07/01/08 12:18:15
>崇神天皇九年(前八九年)、広瀬の河合の里長に御神たくがあり、一夜で沼地が陸地に変化し
湖沼周辺部の水害を防ぐ為、河川改修の土木工事があり、湖沼の水位を下げたことを言っているのではないの?
水路(大和川)を掘り下げ水位を下げた結果、河合と広瀬が出現し、そこに神社を設置した。
上記工事が仁徳の時ならば、広瀬大社は九州からの移転と見るのも当然であるが、
崇神の時となると、崇神の元集団は九州方面(吉備か?)から河内移動してきた集団であることが必要。
崇神9年は崇神が河内から奈良盆地に勢力を伸ばしていた時期になる。