07/04/08 15:32:26
推古紀
「はじめて四天王寺を難波の荒陵に作りはじめた」
この荒陵の字に注目すると、
大阪市内に荒のつく地名は、過去現在とも一つもありません。
しかし福岡市は、古くは大荒・小荒郷と和名抄にも書かれ、
現在の大字でも荒江・荒戸・荒津と沢山見られます。
荒と言う地名は博多湾周辺の地名とも考えられます。
そして陵の字の云う盛り上がった地形も、
博多湾には砂丘遺跡等が沢山確認されますし、松原地名も砂丘を指します。
湾の弓なりの地形も、砂丘により形成された事を物語ります。
以上のように小高い砂丘の、所謂陵が多かったと考えられるのです。
しかしその砂丘=陵は、江戸期以降全国的に崩され、低湿地へ転用され続けて来ました。
ですから博多でも、砂丘上の遺跡の多くは、既に破壊されていると考えられます。
寺の特質上小高い所=砂丘上に作られる事が多い為、
遺跡の存在が確認できない皮肉となるのです。