【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 at HISTORY
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 - 暇つぶし2ch798:月光仮面
07/05/05 07:45:30
お稲荷さんは趣旨から言っても明確に農業、つまり、田を守る神であり、聖書が
牧畜の民ハビルを上位におくのとは対称的である。そして犬神族はナイル川増水の
シリウス、大犬座を神とする。しかしその神学は極めて高度な天文観測とデータ保持
能力を基礎にしている。このインテリジェンスこそ犬神族とイスラエルの、ハビルと
カビルの差である。であるから、ナイルに加えて、ドナウ、ドニエプル、黄河、長江、
インダス各流域の農業経済を天文学的に予測しながら交易を繰り返したのが犬神族
であり、そのルートに商品としてラピスラズリ、青銅、鉄が加わって行く。ハタ、ハティー、
ヘト、ヒッタイトと言うのはこの辺の事情によるのであろう。神武が何百万年の思考が
出来るのは彼が遺伝学者であったためではなく、彼は宇宙の運行をそのくらいの
単位で読み取れる天文学者集団の助言に基づいていたと言うことであろう。しかし、
星座の観測に加え、太陽のコロナ、フレア等の観測による長中期気象予報を行った
可能性もある。


799:月光仮面
07/05/05 07:57:48
銅鐸というのは殷の時代の中原方面から発生し、綏遠、三韓、吉野ヶ里、出雲と移動し、
終には三河・遠州にいたり、三遠式となる。この三遠式銅鐸に青銅原料を供給した集団
がどうもオルドス、遼寧と移動をした青銅器文明担架者だと思われるが、彼らは飛騨
高山の鉛資源の取引を行っていたのではないかとも考えられる。あるいはこの資源の
ために大陸から移動してきたのかもしれない。弁辰に鉛御津と読める国がある。富山
の滑川は鉛川ではなかろうか。

800:月光仮面
07/05/05 08:04:40
ユダヤ、ゲルマンが伊勢神宮を見てショックを受けるのはエジプトから欧州を
席巻した古代の神の姿を見るからだと思う。

801:日本@名無史さん
07/05/05 09:07:40
犬もこまいぬでないとあかん理由は日本の犬が雑種しかいない時代だったのでしょうか。

802:月光仮面
07/05/05 09:56:23
>>798
この犬神族はナイルを越え、ニジェールにも入っているようである。これはエジプトから
派生したものかもしれないが、アルタイで宇宙終末・再生を記述するような恐るべき天文学
知識は持っているようだ。
URLリンク(www.fitweb.or.jp)

803:月光仮面
07/05/05 10:08:54
>>801
力道山の愛弟子、アントニオ猪木が将軍様(綱吉ではないが)のお犬に触れることを
許可されたのを見ると、秋田犬系統。『後漢書倭伝』には、「会稽の海外に東魚是人
あり。分かれて二十余国となる」のくだりがありというのに出てくるのは土佐犬のような
マスチフ系統。ハンガリーに侵入するマジャールはこの両方を従えており、チベット
族は北方草原から南下したことを物語る、つまり、ハンガリーに入るチベタンマスチフ
は東トルケスタン方面が原産ではないだろうか。そして、土佐犬、尾長鳥、闘牛から
察し、東魚是人とは豊前、延岡方面にまで達した状態の北方系であり、その後宇和島
から高知に入ったものと考える。月山神社、裸での水垢離等は九州北部、岩手等と
共通し、牛馬の文化を感じる。

804:月光仮面
07/05/05 10:40:11
>>802
YAP発祥の地アフリカに倭人そっくりのメンタリティーを持つ民族がいたことは不思議
であるが、彼らの言う異星は天白星」、箱舟は河内物部の磐舟、ピラミッド内部、アララト
山に残っている。

805:月光仮面
07/05/05 14:00:29
>>775 >>776
YAP-Dは日本とチベットに共通で、チベットの方が日本のよりは老舗らしいが、ハンガリー
に移住するマジャールの連れるチベット犬、タングートのチベットへの南下等は歴史
時代の出来事。一方日本の遺伝学者はYAPは縄文人のものとの主張を国際的に
貫いている。しかし、日本は酸性土壌で縄文人の遺伝子サンプルからの立証は不可能。
では、なぜ、日本のYAPは縄文人なのであろうか。これは日本の遺伝子学者が脳内の
勝手な史観に基づいてこじつけたものとしか思えない。こうなると科学ではない。
もし、チベットを初めとするYAPの原郷が中国西部にあるとすれば、秦氏の動きと
一致し、YAPが中国に残っていないと言うことは秦氏は日本人に他ならないというこ
とになり、チベットから雲南にかけての日本人に風貌の似た人種とか、アルタイ系言語
を話す民族は日本人の忘れ形見ということになる。

806:月光仮面
07/05/05 14:16:27
コイサン、ユダヤ、アラブ等のアフリカYAPからチベット・日本YAPが突然変異で分岐
するのは12000年前の頃だと言う。ヤンガードリアス超過冷時代、縄文土器、細石刃
の時代であろう。一方、YAPは発明力に富んだ優秀な特性があり、アフリカ、アジアの
変化がおきるのはレバントとバイカルの中間の辺りかなーと言う感じがする。超古代の
シルクロードであったのかもしれない。

807:月光仮面
07/05/06 13:18:46
>>786
イェルサレム市エジプト代官はエジプト宗教改革ファラオ・イクナートン(1419-1400 BC)
URLリンク(www.alpha-net.ne.jp)エジプト社会と宗教改革.htm
(天照構想は貊人のものかもしれない)
に提出した楔形文字報告書に「ハビリ」が初出。代官がファラオに書いたのは「ハビリ、
ことカルブ・ハルキ」は次々と都市を陥落させております。ということであるが、別分
では「ハビリ、ことカルブ・ハルキ」は、イェルサレム市を全ての都市陥落に成功したと
あり、もうファラオに支援要請を出していない。これら書簡から明らかなことはファラオ・
イクナートンが部下の報告になんらの反応を示していないとされる。疾如風、徐如林、
侵掠如火、不動如山を地で行ったものであろう。 このハビリはバシコルドと自称、
ハシは「頭」、コルドは「狼」、狼族の首脳国とでも言った意味だろう。これが高句麗
となり、貊人はこれから出る。

808:月光仮面
07/05/06 13:24:42
アルタイ学会は高句麗がアルタイから発して朝鮮半島に入ったものとしている。
KHUR、布留はタラシの意味であるが太陽のという意味で匈奴が媒介したものと言う。
朝鮮半島では高句麗、孝霊となったと言う。これが日本では高倉神社、高倉下、高良
大社の言葉に埋め込まれていると考えられる。
また太陽は鹿が角に挟んで運ぶことから、鹿で表現されることも多いらしい。エジプトの
影響であろう。

809:月光仮面
07/05/06 14:07:37
伊勢遺跡の近所には勝部神社という拝火教的行事があるが、1600-1700 B.C.バシコル
トスタンの近辺にあったアルカイム遺跡は伊勢遺跡と似ている。アルカイムも人為的に
火を放ち立て替える習慣があったとされる。
URLリンク(www.krasn.ru)
天孫が、式年遷宮を開始したのはここではないかと思われる。
三種の神器の八咫の鏡を作ったのは↓
URLリンク(shrine.s25.xrea.com)
日本書紀神代、国譲り一書の2に出てくるヨット、マリーナ、勝鬨橋を出雲に献上、オオ
クニヌシから国譲りを受けハードネゴシエーションの結果
邪馬台国建国にいたる商業国家日本の面目躍如たる一面を見せる出雲国造神賀詞↓
URLリンク(www.remus.dti.ne.jp)
これをもって女王共立、邪馬台国に入る。ところが反動天皇崇神はこの約束を破り、
地元大物主祭祀に移行する。この間が重要な謎である。


810:月光仮面
07/05/06 14:15:24
世界最古、最大の犬神宗教をバックとし、天照宗教改革を進めようとした狗奴国
に対抗し、卑弥呼の多分2世であるモモソヒメが抗議し、不振な死を遂げるにまで
邪馬台国を追い込んでいったものとして考えられるのは河内、山城、出雲である。
そうして終には神功、応神、そして秦氏の出番となるのだろう。

811:月光仮面
07/05/06 16:22:24
間違えて→任那日本府説
スレリンク(history板)
ここに入ったが、エジプトと高句麗、日本には関係がありそうである。


812:月光仮面
07/05/06 16:52:57
>>808
国譲り、女王共立、鏡本位協定成立時の天孫は狗奴国、関東等であったが、次第に
経済太国の河内が勢力を伸ばし、出雲、筑紫も不穏になって崇神の時を迎えると
考えたらいいだろうか。

813:日本@名無史さん
07/05/06 19:51:16
雑種の赤犬は日本の在来種で、土佐犬とか秋田犬は全部渡来人が連れてきた変わった犬の部類にはいりますかも

814:日本@名無史さん
07/05/06 21:24:32
仁徳天皇陵、後円部の頂上にある「石ノ唐櫃」(もちろん複製)URLリンク(www.city.sakai.osaka.jp)

アークみたいだねw

815:日本@名無史さん
07/05/06 23:06:53
もうひとつ前方部の石棺。
URLリンク(www.city.sakai.osaka.jp)

これらは石だけど、
当時、木製のこういう形の棺があって、
突起のところは木を通して担いでたんじゃないだろうか。
そういう文化があったんじゃないだろうか。
それが神輿の原型になったのかもしれない。

816:月光仮面
07/05/07 07:50:35
テレビで善光寺の牛を前から映したがこれ↓そっくりだった。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
善光寺の紋章はここにある八方(八幡、ヤサカ)のダブルの菊紋。善光とはアフラマズダ
つまり、ミトラス(マダラ)の背後にあるもので百済王善光、クロマンタなども同じ。善光寺
の前面には前立本尊と書かれた回向柱が立つが、平原、サンピエトロ、シバリンガ等に
見られる思想のようだ。善光寺の地下にはトンカラリン同様暗闇を通って生まれ変わる
思想を体験出来る構造になっているが、豊川稲荷近辺に癌封じのお寺で同様構想が
あるし、諏訪神社の甲賀三郎伝説も同じ。ファウスト、神曲、オルフェウスとも通じる。
善光寺からニカゴ塚古墳には近く、朝鮮半島からの渡来人文化は小諸から関東平野に、
更に千曲川を下っては越後、佐渡、出羽、津軽へと続く。

817:月光仮面
07/05/07 14:42:15
>>816
エーゲ海、サモトラキ神殿同様に牛に布引きするため、人々は
布引観音を造り縁起を残した↓
URLリンク(www.geocities.co.jp)
ここにある布引観音をよく見ると↓
URLリンク(www.geocities.co.jp)
それは投入堂と同じ↓なのだが、
URLリンク(www.town.misasa.tottori.jp)
大同の石窟↓からはるか西のローマからやってきた秦氏のルートが
URLリンク(homepage3.nifty.com)
はっきりと読み取れる。
ちなみにサンピエトロに似た前立本尊とは↓
URLリンク(www.geocities.co.jp)
こうした石窟を見るに付け、ナイル峡谷における類似の石造にその
技術の源流を見る想いがする。

818:日本@名無史さん
07/05/08 03:03:50
ダンと秦の関係ってあるの?

819:月光仮面
07/05/08 06:35:58
秦氏同様百済方面の感じがする。西欧系で、牛がいる。頭の飾り方がそっくり。
てなことだが、上記由緒のリンクでは「また、善光寺の特徴としてとして、ご本尊が本堂
正面にはない、ということも挙げられるかと思います。善光寺本堂は3つに分かれて
おり、ご本尊は左側の瑠璃壇に祭られています。では、真ん中と右は、というと、善光寺
の名前の由来にもなった創健者、本田善光と妻の弥生、そして子の善佐が祭られてい
るのです。何も知らずに真ん中に向かってだけお参りをされてしまうと、実はご本尊では
なく本田善光さんにだけお参りをしたことになってしまうので、注意しましょう。」
これって現在の教会と同じ父と子と精霊とか、マリア、精霊、キリストのセットのような
三点セット。神功、タケシウチ、応神のセットにも似ている。


820:月光仮面
07/05/08 06:57:28
秋田物部の地、唐松神社韓服宮では息長帯比売命、香具土命、宮毘姫命、また、
天日宮では饒速日命、玉鉾大神、愛子大神と三点セットが多い。これも神功時代の
特徴かもしれない。高句麗と倭が北海道と楽浪のニ正面で対立し、膽咋連、神功は
前線激励に出動したのかもしれない。

821:月光仮面
07/05/08 09:12:26
唐松神社(韓服宮)では、韓服とは韓を服さすとされるが、天日宮はブリャートモンゴル
の石積祭祀場ケレクスルそのものであり、韓服もブリャートモンゴルの光明神
KHORMUSTAがカラマツとなったと考えると、これは当社祭神の軻具突命、別名・愛子
大神、当地の物部氏の氏神である火結神と整合する。KHORはアルタイ語で太陽の
という意味と帯という2つの意味を持ち、日本語の布留に相当。ホムダワケ(応神)、
本田善光もKHORMUSTA光明神、八幡神でこれが菊紋の意味であろう。韓服とは韓を
服さすと言うのは第二義的な意味と見るのが妥当。ちなみにブリャートモンゴルでは
クダラというのは隠遁の地ということで、いまだにバイカル湖にはクダラ・スモンと言う
地名が残る。

822:月光仮面
07/05/08 09:18:46
こうして見ると布引観音は息長帯比売のタラシであり、善光寺とは一致となるものと
考えられる。七枝刀が石上神宮から出土する意味がわかる。
URLリンク(www.tenri-iexpress.com)

823:月光仮面
07/05/08 09:29:56
香具土はアブラハムに殺されるイサクのようにイザナギに殺される。この話は青銅器
文化を持っていた犬神系統の神話が遊牧民イスラエルによって盗まれたものの、金属
製造部分が省略されたものだから恐ろしい話になったものであろう。いずれにせよ恐ろ
しいが。

824:月光仮面
07/05/08 09:37:40
渡来人研究会でも熱心に記紀研究が行われているものの、ユダヤ・キリスト教原典
との比較だけであり、ハザール・タタール方面の原典、考古学データが全く考慮され
ていないので、点と線のような感じがするが、非常に参考にはなる。基本的に景教・
ユダヤは後発であり、中国西部から百済において後のカラスが先になるようなことも
あったであろうが、聖書オンリーでは秦氏をユダヤ人とするような弱いところがある
ようだ。

825:月光仮面
07/05/08 12:00:25
天日宮はブリャートモンゴルの石積祭祀場ケレクスルは東胡遺跡と考えられるが、
中心の円から放射状に花弁が8枚程度伸びているのがWEBで黙認できた。そして
前方に鹿柱がある。これは毎年伸びる鹿、トナカイの角を先端両面に彫り込んだ
ステラ(石碑)で、鹿島神宮の鯰石、春日大社の恐れ石に相当。東胡族は
ファリシズムの習俗をアルタイに持ち込んでいるような線刻図遺跡がある。日本における
ファリシズムは八重山諸島から佐渡、相模方面に分布。
ほだれ祭りレポート
URLリンク(www4.plala.or.jp)
つぶろさしレポート cf Tubalary
URLリンク(www4.plala.or.jp)
ここではファロス(陽根)励起の所作があり、これがコンタン踊りとか
前立尊回向柱習俗の起源であろう。いずれにせよ現在のブリャート、扶餘の前身
であるツングース系東胡族の存在があり、これが男鹿半島、牡鹿半島、塩釜を経て、
鹿島神宮、春日神宮にと回る。これが藤原系統であり、秦氏とは出自を異にするが、
八幡、ヤサカの太陽崇拝思想の部分では、既にアルタイで秦氏の影響を受け、その
結果バイカル・興安嶺地方でケレクスル文化を発展させたのであろう。賀茂氏は
アルタイに到達した鴨をトーテムとするウグロフィン系部族から出ているようだ。


826:月光仮面
07/05/08 15:59:10
>>824
渡来人研究会の総括をとしては↓
「新約聖書の諸伝承が応神・神功紀、推古・聖徳太子伝承、景行・ヤマトタケル伝承等
に、比較的ダイレクトに挿入されていることが明らかにされてきました。そしてこれらの
伝承には、系統的な同一性が認められます。これらは外来伝承との関わりが強く、
主に新羅系、天日矛伝承や、ツヌガアラヒト伝承等と関連しながら、新羅系の渡来氏族
等によって記紀および儀式にもたらされたことがわかります。第8章の旧約聖書の挿入
事例とあわせて考えると、斉明朝から天武朝、および元明・元正朝にかけての記紀
製作時にも、さらなる外来宗教の挿入があり、特に景教経典の挿入が顕著であった
ことが明らかにされます。」
これを見ると記紀において外来宗教が挿入される時代は記紀が外交的に唐、新羅、
百済等の手に渡る頃に対応していることがわかる。つまり、わが国の国史に国際的に
納得の出来る当時として日中韓に共通な宗教概念で微妙な国際関係を和らげている
と言うことがいえる。当時の朝廷をはじめとするトップレベルの国際感覚は恐ろしいもの
であったと言うことでないかと思う。こうしたものを背後で支えることにおける秦氏集団の
役割は大きかったのであろう。

827:月光仮面
07/05/09 14:46:13
>>816 >>817
新羅がローマ時代に入るのは崇神時代、ツヌガアラシトが来朝する頃で、ローマ系
が国王となるのは奈勿麻立干(なこつ(なむる)まりかん)で、356年はこの王の即位
の年と考えられる。ミトラス教の背後にはギリシャ神話ファーネスの卵生があり、
これを神話とする王朝の開始が天山方面から新羅にローマ系が到着したことを
表すのであろう。敦賀気比神宮の獅子頭のユニコーン、この辺を中心として始まる
角杯土器、気比神宮にローマ同様の犬神人が現れるのがこうした動きに対応する
のであろう。これはシルクロードでは前漢の終わりであり、これ以前の衛満時代
から馬韓一帯に入っている秦族とは別のもので、例えば出雲神話で言うならスサノオ
に対するオオクニヌシのような時代の交代であろう。

828:月光仮面
07/05/09 14:53:36
これはつまり、半島原三国に二重構造が発生、新興新羅は五胡十六国時代の中国
とのつながりを重視し、百済との対立構造は列島内にも移動したと考えて、三輪王朝
の周辺諸国との対立を考えるべきであろう。

829:月光仮面
07/05/09 15:10:05
こういう風に考えると、善光寺の弥生様が焼肉屋のオネーチャンに見える。弥勒菩薩
はヨン様のようだが。善光寺の出来る頃には韓国人も立派に成長を始めていたのだ
ろうか。

830:月光仮面
07/05/09 15:28:59
話は変わるがミトラス神は裏地が星空であるケープをまとっているということであり、
キトラ古墳被葬者は新羅系であることがわかる。すると百済系は消え、天武の皇子
と言うことになろうか。

831:月光仮面
07/05/09 16:12:58
ローマ系新羅は秦氏の日本移住の妨害をする勢力であったのに、秦氏はなぜ
ローマのミトラス教まで祭らされたのかは難しい。まー、流行の宗教といったもので
後にシリア人が来日し景教が流行るとそれに架け替えるといった具合で、一種の
新しいゲームソフトといったものであったのであろうか。

832:日本@名無史さん
07/05/10 07:57:24
新羅系も前期、中期、後期では中身が変わっており日本と不仲になるのは後期だけでしょうか。

833:月光仮面
07/05/10 08:27:11
>>832
新羅前期-辰韓、中期ローマン新羅、後期-統一新羅としますか、356年奈勿王から
王朝が中国方面出自に変わることで基本的に日本・百済との対立がはっきりする。
ただ、同時に日中関係に応じくるくると変わる波乱含みな状況であったのかなーと。
どうもいまだにふらついてるようで。

834:月光仮面
07/05/10 10:22:29
>>832 >>833
「377年に前秦に初めて新羅が朝貢したと記される。382年には新羅王楼寒(ろうかん、
ヌハン)の朝貢が行われ、その際に新羅の前身が辰韓の斯盧国であることを前秦に述
べたとされる。この「楼寒」については王号の「麻立干」を表すものと見られ、該当する
王は第17代奈勿尼師今に比定されている。この記述から奈勿尼師今の即位(356年)が
新羅の実質上の建国年とも考えられている。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これは前秦のバックアップで新羅を征圧したローマン新羅王奈勿が、宗主国に自国の
歴史を説明したものでしょう。弓月国の首府月支国から方角的に辰にあるのが、辰韓、
巳にあるのが弁韓、午にあるのが馬韓で、辰韓とは鎮東府という意味もあろうかと思う
のですが。そして辰韓の王は丹波であるとか、このローマ遺民とかの傭兵を採用する
に抵抗がなかったということもあるなかな。


835:月光仮面
07/05/11 09:39:35
>>831
百済秦氏と新羅王朝のミトラス教との関係には難しいものがあるが、セム系でも旧約
中に三位一体が読み取れ、唐松神社、善光寺、高良玉垂宮等にも機能的に三位一体
が働いているようである。百済秦氏の思想は高良玉垂命の末裔 稲員家と三種の神宝
古田史学会報1998年 6月10日 No.26
「この地が九州王朝の王都であった証拠が高良大社文書『高良記』(中世末期成立)に
記されていた。「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ
面ヲキセ、犬ノ スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ
 マフリタテマツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事
六十余ケトノ其一ナリ」(中略) ここで記されていることは、百済からの降人の頭、百済
氏が犬の面をつけて正月十五日に犬の舞を日本国の朝廷の守りとなって舞う行事が
今も高良大社で続いているということだ(後略)」神職は稲員というらしいが、この辺が
お稲荷さんくさい。いずれにせよ、百済秦氏の思想はプロの犬神(シリウス占星術者)
として各国の支配者に仕えるというスタンスであろう。
こうした秦氏のスタンスに対してミトラス教は、星宿の悠久の動きを制する、牡牛座を
殺す神を祭るということで、絶対的宇宙観のようなものがあるのが違うのではないか
と思われる。

836:月光仮面
07/05/11 10:20:45
国家が一神教、全体主義に淫し、原理主義の美名のもとに地球破滅を行う現在に
おいて、国家にフレームワークを提供し、民力の高揚に頼り、争いを避ける秦氏の
ポジションは何千年の歴史を通した史観、天文学的宇宙観が背後にある。キトラ
古墳の星宿は今から4千年前の春分・秋分点が描かれている。アルタイで解読された
石碑には数字でマグナ・マーテルの死と再生が示されていたという。ローマもこうした
シリウス占星術犬神族によって作られ、運命のいたずらでその子孫が甘粛、三韓に
舞い込んだのであろう。しかし、三韓には既に犬神族が来ていたという、これまた、
運命のいたずらがあったということであろう。

837:月光仮面
07/05/11 11:10:08
今ひとつの謎は、新羅におけるローマ物質文化の開始に先立って、卵生神話が
三韓まで伝わったことをどう見るかであるが、これは月氏が大月氏国に移動した後も
小月氏、百済月支国がシルクロードで天山方面との接触を保持したことにより、商人
連中によりミトラス教の一部が伝達されたということとか、パジリク・サカ文化において
原始ミトラス教が受け入れられ、衛満時代に一部が三韓に流入したということもありえ
ようか。





838:月光仮面
07/05/11 15:53:47
>>835
犬の面-アヌビス、玉垂-アテン神、玉鉾(秋田唐松)-アテン神、フツの御霊-Ptah王笏、
アメノヒボコ-アテン神鉾、梵天(横手)-ミトラス教宇宙卵、布留-ホルス・・・秦氏には
エジプトのにおいが強い。ミトラス教とはスケールが違うようだ。ちなみに蓬莱とは
アルタイ語で都市の意味で、蓬莱山とは山上の宮、信貴山のような感じのところ
となる。徐福時代の日本にそんなのあったのかなー。

839:月光仮面
07/05/11 15:59:01
アルタイ語で高良は蓬莱、つまり、都市なんだから、高良玉垂とは太陽神アテンの
山上神殿という意味になる。装飾古墳などエジプト文化の色濃い遺跡が筑後、肥後に
に多いのは百済から入った秦氏勢力がその方向に流れたということであろうか。

840:月光仮面
07/05/11 16:14:15
アメノヒボコについては近江の鏡神社に祀られており、近江の息長族と関係がある
といわれる。垂仁の時の来朝は初めてにしてはおかしい。豊前・周防方面にあった
秦王国に潜んでいたものであり、邪馬台国建国の陰の力であった可能性が大きい。
ただ、崇神の代から鏡は流浪の旅に出るようあり、この辺がよくわからん。

841:月光仮面
07/05/11 20:54:42
>>839
「『日本書紀』には、ヤマト政権軍と交戦した際、将軍の近江毛野に対して磐井が「かつ
ては同じ釜の飯を食べた仲ではないか」と呼びかけたとする記述があり、磐井は若い
頃、九州からヤマトへのぼり、大王の元で毛野らとともに仕えた経験があると考えられ
ている。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これは毛野が犬奴、東シナ海・日本海に展開する安曇の犬飼で、磐井も同族。共に犬神
ニギハヤヒ(ハヤヒのニキ)を信奉し、百済から渡来し、秋田にナマハゲ、鹿児島に
トシドン、沖縄にジュリ、ポーランドではタタールとしてライコニク(ジュリ)を残しスイス
東部にナマハゲを残したのはフンであろう。多分殷の時代から犬戎として中国西部に
入っていたものと考えられる。これが、更に昔にはエジプト、ウラル、夏を結び、青銅、
ラピスラズリ、天文学等の媒介を行っていたのであろう。

842:月光仮面
07/05/11 21:01:40
しかし、甘粛のローマ人が新羅の王族には入った後にローマ犬神人が組織され、
それがツヌガアラシトと共に敦賀気比神宮あたりに入る可能性がある。

843:月光仮面
07/05/12 11:43:27
>>841
タタール(現地語ではバシコルト)語でハヤとは天の意味であり、犬とは関係ない。
秦大津父が欽明に伊吹山で争う狼のことを述べたことから判断するに、秦氏は
これらを神々として祀るが、これらをトーテムとするということではない。狼、欽明、
敦賀関連で日野宮神社↓があるが、大津父の言う狼の一方はこれだろう。
URLリンク(www.mitene.or.jp)
ここで天照大神が出てくることから、この狼はエジプト神話でHAT-HORのアラタマ
とされるSekhmetであろう。Hat-Horとは、Horとは、「大空を飛ぶハヤブサの姿から
イメージされた天空神で,天空は広げた翼,日月はその両眼とされた」、「復活して
冥界の支配者となった故王オシリスをうけて新王ホルスがエジプトに秩序(マアト)を
回復す」オオクニヌシのようなものであるが、Hatは「家」である。アラタマ
とされるSekhmetの頭はライオンであるが、これがインドのダキーニと一緒にされ
豊川稲荷、また、Hatは家という意味であるから神社、ここから、秦、服部等が出て
いるのではなかろうか。

844:月光仮面
07/05/12 12:10:39
ハトホルは本来太陽神ラーが落胆する際、励まし元気付けるために踊る神であり、
その神官はジェンダーレスの舞踊家、音楽家、芸人であるとされる。又「酒」の神
であるとされるが、そうすると、オオクニヌシ、酒で有名な三輪山も秦氏かという
ことになる。鏡の女王のような卑弥呼、その候補者百襲姫、
「吉備津彦神社要覧 由緒 当社は昔、太陽、月、星、磐座、巨木を仰ぎ山は神体山にし
て天津磐座磐境を有し、境内十万町歩といわれ、朝日の宮(夏至六月二十一日の
日出には、太陽が正面向いの山の中心より昇り御鏡に入る)と称され、本州一宮、
吉備之国一品一宮、国の宗祖神を祀るお社として吉備社、吉備津神社、吉備津宮と
いわれ崇められてきました。 」
URLリンク(kamnavi.jp)
ここから大避神社、川勝というのは千種川東岸生まれ、河東の意味だろう、に向かう
途中に
岡山県赤磐郡熊山町  熊山石積遺構 
URLリンク(www.ne.jp)
という、越前日野宮神社にそっくりな遺跡があるが、これも太陽神を祀る秦氏の遺跡
であろう。


845:月光仮面
07/05/13 17:41:21
つまり、辛島氏の神山に天下ったと書かれてあるのである。辛島氏の神山とは、本来は
香春岳以外にはない。あえて、宇佐における辛島氏の神山を探せば「稲積山」である。
実は「辛島」とは「辛国(宇豆)高島」をつづめた称である。ちなみに、山背の「太秦」
(うずまさ)の「うず」とは「宇豆」であり、「まさ」は「勝」で「すぐり」(朝鮮の「村長」)の
意である。だから太秦とは、秦氏一族の勝(すぐり)の統領(が住んだ地)を表している。
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
《稲積》とは、元来は稲を積み上げた砦のようなものを意味しますが、同時に、豊前の
辛島氏の本拠地の地名でもあります。
この史跡は、和気清麻呂が配流された場所から数キロほど離れた場所にありますの
で、大隈に移住してきた秦氏系統辛島氏の本拠がこのありだとすれば、和気清麻呂が
流された場所もこのあたりであったことと符合するわけです。というものも、和気清麻呂
は当時秦氏と協力関係にあり、道鏡事件に関わり、一族が各地に配流される際、
和気氏を影で支えたのが秦氏です。和気清麻呂が豊前の宇佐に行き、さらに大隈の
この地に配流されたバック背景は、ひとえに秦氏との繋がりにあるとしか考えられない
のです。
URLリンク(www.mmjp.or.jp)
「宇豆峯は、山林の美称であるという。ま‐さ・し【真狭し】〓形ク〓(マは接頭語)
せまい。せし。神武紀「内木綿(ウツユウ)の―・き国と雖も」
どうもウズとは大和同様保津川、初瀬川が平野に出る場所で、商業適地のようなこと。
そしてウズは秦氏のキーワード。


846:月光仮面
07/05/13 17:44:56
日奉部というのはアメノヒボコ、太陽を矛先につけて行進する人々。
URLリンク(homepage2.nifty.com)
URLリンク(homepage2.nifty.com)
珍彦、椎根津彦、大和宿禰は秦氏の先駆者だろう。


847:月光仮面
07/05/13 18:40:58
>>845
「思えば、アメノヒボコはなぜ新羅の「王子」と呼ばれなくてはならなかったのか、ツヌガ
アラシトはなぜ大加羅の「王子」と呼ばれなくてはならなかったのか。彼らが童神、すな
わち太子(アル)だったからに他ならない。新羅・若者組の「花郎」や薩摩藩・兵児二才
の「稚児様」とは、太子だったことも分かる(新羅の「源花」はアルのもう一側面の
母神か)。紀記中の神名に登場する「彦」(日子)もアルであり、太子信仰に拠るもので
ある。」
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
AR=RA、これはアルタイ語の法則で語頭にRを出さないからこうなる。太陽神は
既にエジプトにおいて童神であった。


848:日本@名無史さん
07/05/14 01:41:38
いま古墳時代のもみあげのところに8の字に結ぶ美豆良の髪型を
西アジア中のレリーフの中から探す作業をしてます
今のところサザン朝ペルシャ頃のレリーフに
似た髪形があったとの情報もありました。がんばって調査します。

849:月光仮面
07/05/14 08:02:30
>>848 後漢書では馬韓人につき、
概ね皆、魁頭露[糸介](かいとうろけい=頭に何も被らず、髪を露出
する事)、布の袍(上着)を着て草履(わらぐつ)を履く。(※魁頭
は科頭(頭に何も被らない事)と同じである。髪を巻いて分けて結ぶ
事をいう。)
lぷいう表現をしておりますが、美豆良の感じがします。
また、敦煌莫高窟の中唐の壁画(第158窟)の少年像にも類例がある
とのことですが、ササン朝にあれば更に源流に近づけるかも知れません。


850:日本@名無史さん
07/05/14 08:33:22
カラ島

851:kakashi
07/05/14 13:32:09
古代史大好きっ子です。
古代史の解明をしたブログみつけました。
       ↓
URLリンク(blog.livedoor.jp)
古代史が好きな人は是非、読んでネ!

852:日本@名無史さん
07/05/14 17:15:50
月光氏の話をまとめてるサイトないの?

853:日本@名無史さん
07/05/14 20:20:04
祭りの稚児様に選ばれるのも名よなことらしい

854:日本@名無史さん
07/05/15 03:11:11
美豆良の行方を探ってたものですが、いくつかわかったこと。
もみあげを長く垂らす文化があるのは世界でも限定的なこと。
発祥地はイスラエル?後にカザール帝国(khazar)でも受け継がれている
カザールは黒海の北、シルクロードの中継地点にあるユダヤ教国だった。
もう1つは美豆良(ミズラ)という語感から連想した、ミスラ(ミトラ)との関連
ミスラはローマ帝国の時代にローマからインドまで影響を与えたミトラ教、
ミスライズム。ミスラ、ミトラ、マイトレーヤ、日本では8世紀以降に伝わり弥勒菩薩。
そういえば弥勒菩薩の耳は長く垂れ下がり、見様によっては美豆良みたい。
インドのミスラ像は巨大なイヤリングをしている。
本家本元イランのミスラ像はどうなっているかといえば、これが髪の毛が
長くちぢれて、耳が隠れている。
東洋に弥勒として伝わるとき長髪やイヤリングが7世紀に耳たぶに変形した
彫像になっていったのだろう。
知られざる日本史のなかでは3世紀頃すでに日本にイランのミスラが伝わっており、
これを信仰した人々がミスラの髪型を美豆良という名で残したのかもしれない。
と憶測。

855:日本@名無史さん
07/05/15 03:36:55
もうひとつ興味深いことがわかった
日本では知られていないが紀元前のローマ帝国の遺跡から発掘されるもの
ANCIENT HOLY LAND BRONZE BELL. Roman Period
URLリンク(www.edgarlowen.com)
URLリンク(www.edgarlowen.com)
URLリンク(test.huntmuseum.com)
URLリンク(www.qaronline.org)
どう見ても日本の銅鐸です。やっぱり2世紀の日本の道もローマに通じてたのかな
銅鐸の起源については日本発祥説、中国説、オルドス説が有力ですが
これらホーリーベルが発掘される時代とこの形状から見ても
日本の銅鐸は古代ローマ文化が日本列島に持ち込まれたんだと考えてみるのも有りかと。



856:月光仮面
07/05/15 06:39:34
>>854
ミトライズムはBC1世紀、小アジアキリキアの海賊から発生したとする説があります。
これはイスラエルに非常に近く、その後ローマでは昔のレコードで言えばA面、その後
キリスト教がA面に入ると、B面、つーか、裏ビデオ、つうか、になり、日本・唐でも時間差
をおいて景教がA面に出て最終仕上げを行うということになるのでしょう。それにしても、
仏教というのは何から何まで皆取り入れたようで、いささかヘンテコですが、胎蔵界
曼荼羅なんていう宇宙観はどうもミトラス教の影響を受けている感じです。
ユダヤのヘロデ紋についてはユダヤ本来のものではなく、どこからか拾ってきたもの
とするのが欧米のサイトにはありますが、起源としては小アジアのマグナ・マーテル
の二輪車のホイールではないかと↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ここにカグや姫、狛犬のルーツもありそうですね。

857:月光仮面
07/05/15 06:45:49
上記を補足するものとして
URLリンク(upload.wikimedia.org)


858:月光仮面
07/05/15 06:55:15
ところが、このホイール、一部出土物がBC17世紀とされるウラルl・アルカイム
遺跡にある(下記を下のほうに下げて見てください)。
URLリンク(newchron.narod.ru)
この地方で出土する青銅二輪車が夏・殷にはいったようですね。ですから
殷の銅鐸もこの地方と考えると、ローマ方面にもそうした遺物があったということにも
うなづけます。

859:月光仮面
07/05/15 06:59:44
↓下記の左の欄の上から6番目のAで始まるアイテムをクリック
URLリンク(newchron.narod.ru)
どうもガードが固いな。

860:月光仮面
07/05/15 08:15:55
《古事記》では仁徳の皇子,墨江中王(すみのえのなかつきみ)の〈近習隼人〉として
曾婆訶理(そばかり)の名が見えるそうですが、ロシアにソバカリという名前があり、
狗人の意。
神代紀には,火酢芹(ほすせり)命(海幸)が弟の山幸に敗れて伏罪したとき,みずから
狗人(いぬひと)と称したといい,〈火酢芹命の苗裔,諸の隼人ら,今に至るまで天皇の
宮墻の傍を離れずして,代(よよ)に吠ゆる狗して奉事(つかえまつ)る者なり〉といわれ
るが、タタール語のハヤが天空、エジプトのホルスは天空神で鷹の頭をしている。
ニギハヤヒとはホルスと考えると、隼人は本来にニギハヤヒに仕えたものが、山幸
神武乃至はこれを担いだ大和宿禰、珍彦に破れ、結果沖の島から対馬、勅島の
制海権、伊都の「島」の権益が布留式土器文化人の手に渡り、北部九州は庄内式
土器文化の影響下に入ったのではないでしょうか。



861:月光仮面
07/05/15 09:32:43
珍彦のウズとは、秦氏関連で「山」を意味しており、山幸と通ずる。海の幸と
山の幸の交易が目的である秦氏はウズマサ/ヤマトつまり峡谷が平野に、
特に盆地に出る場所に陣取った。しかし、秦氏の日向、迎日立地の思想は
祁連山東麓、更に、西方でも存在したもので、神武が「太陽の子ともあろう
ものが、太陽に向かってショットするとは」ともらす一言にある。ひょっとして
思想を伝えたいがためにこのような物語を挿入したのかも。
草香邑 白肩の津参照↓
URLリンク(www.max.hi-ho.ne.jp)

862:月光仮面
07/05/15 09:52:34
エジプトには黒い犬の形をとる、秋分点の神、Inpuというのがあるが、どうも日本語の
忌部とピッタシである。ギリシャ語は日本語よりはるかになまっており、アヌビスと
いう。
「古代エジプトのジャッカルまたは犬の神。オシリスがアビドスに王国を確立してより,
そのネクロポリスの神として〈冥界の支配者〉の称号を得た。ピラミッド文書ではホルス
の目と結びつけられ,冥界で死者をオシリスまで導くことが彼の務めとされた。イシスと
ネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命によりオシリスを
蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。《死者の書》ではオシリスの
法廷で死者の心臓を計量し,葬儀に際して墓の入口で死者のミイラを受け取る姿が描
かれ,151章ではミイラの横たわる棺架のわきに立ち,保護するしぐさで手を差しの
べ,〈我はオシリスを保護せんために来たれり〉と言ったさまが描かれている。道の開拓
者たる金狼神ウプウアット Up‐uat と対をなし夏至の擬人化であるほか,医学の守護神
としても知られ,信仰の中心地はレトポリス Letopolis で,ヘリオポリスのアトゥム・ラー
神殿,サイスのネイト神殿と共にレトポリスのアヌビス神殿は下エジプトにおける医療の
中心地であった。」

863:月光仮面
07/05/15 09:57:47
スサノオが、多分、東日本の国王を望んだが、結局このアヌビスとされ、大いに泣いた
らしい。多分これはニギハヤヒを奉じる一派が吉備津彦に征圧され奴隷とされて阿讃播
石積墳、そして、大型古墳時代へと入るのではなかろうか。

864:月光仮面
07/05/15 10:05:05
>>862
「ホルスの目」というのは辛国息長大姫大目尊の「大目」が多分狗人のもう一つの
神かあるいは秦氏の神の一つであったのであろう。他にも当時の官職「ミミ」もこうした
神話体系を背後にしている可能性がある。

865:月光仮面
07/05/15 10:57:15
蝕による星宿の終焉と星宿の誕生を数値化、アルマ・マーテルとして画像化、石刻した
ステラがアルタイ・オークネフ文化(中国の夏併行期)に残っていることから、ウラルアル
カイム天体観測遺跡の聖地としてアルタイがあったことが考えられるが、共に銅の産地
でもある。この青銅技術が新疆ウイグル、甘粛、そして三苗文明と接して銅緑山、無錫
等長江下流域の銅山を開発、夏、殷の青銅器文化を生んだ。もう一つの流れとしてカラ
スク、オルドス、遼寧、楽浪の青銅器文化を生み、これが須玖、吉野ヶ里、出雲、東奈
良、野洲、朝日へと流れた。古代安曇海人族・海幸はこの文化を運んだもので、更に
その昔にはエジプト・欧州のピラミッド・ドルメン等の巨石文化を朝鮮半島に伝えたも
のであった。ところがこうした文化の波は何波にも及び日本列島においてすら文化の
交代があった。その最初が海幸・山幸倭国乱による青銅器の鏡への統一であったの
であろう。

866:月光仮面
07/05/15 11:13:52
ハザールの祖であるタタール(バシコルド)にいわすれば、エジプトにシリウス(天狼星)
とナイル増水、農事の開始と、天体観測によるその正確な次期の予測を教えたのは、
既にウラルでこうした技術に基づいて農業を行っていた、エジプト人にいわすれば狗人
ハビリであるが、これはタタール語では農作者を意味する、ハに畑の意味があるという
こと。他方エジプトに出入りしたイスラエル人には農耕とか、犬を使ってブリザードまで
予測する能力等はなく、彼らがエジプトで成功したヨセフの話等はバシコルトにも別の
バージョンがあり、イスラエル人がバビリの説話を導入したものであろうとしている。
逆にイスラエル人というものはハビリの影響を受けたものと考えるべきかも。というのは
ラピスラズリはアブラハムが生まれるよりもはるかに昔のエジプト王朝以前からエジプ
トに入っているからであるというのがバシコルドの主張。

867:月光仮面
07/05/15 11:28:43
天文学的観測により、ニジェール、アマゾンの増水期を知り、テオティワカンに金星
観測による蛇の下るピラミッドを建設し、ナスカに地上絵を描いたのはピューマ人、
日置部、あるいは、磐船に乗って飛来する人々であろうが、UFOを信じるか、DNAでは
北部縄文人とするドイツ研究所を信じるかは個人の自由であろう。しかし、そこに秦族
がいたとするのもこれまた自由であってしかるべきであろう。

868:月光仮面
07/05/15 12:19:55
新羅・日本にローマ文化が到達した経緯となる情報が中国によって突き止められ、
日本語に、見事な日本語に翻訳されたものを日本の学界は無視し続けている↓
10年の無視は殺人でも時効になるほどの恐ろしい怠慢である。
URLリンク(www.china.org.cn)
イタリア等は反応し調査団を送っているようだが、秦氏を研究するものとして穴があったら
入りたい気持ちである。これによって新羅には前秦の頃からローマ軍団の子孫、驪県
URLリンク(www.china.org.cn)
Marcus Licinius Crassus のLiciniusは中国読みすると驪県、Marcusも馬子に似ている。
欽明天皇所縁の葵祭のこの日に中国の価値ある寄稿に深甚の謝意を表したい。



869:日本@名無史さん
07/05/15 14:08:59
Crassusはどこに置き忘れてきちゃったんだよ(w

870:月光仮面
07/05/15 14:35:21
クラッススは敗軍の将としてパルティアにおいて斬首の刑に処せられた。その息子が
6000人の兵士を率いて囲みを突破。ローマとパルティアはBC20年に和平条約を
締結、ローマは33年前の捕虜返還を求める。この年、前漢では甘粛省に驪県が設置。
この前にBC36年前漢軍はカザフスタン・ジャンブルに4万の軍勢を投入、これを征圧。
ローマ人1500人を捕虜にして中国に連行。甘粛省驪県に定住させ、今日に至る。
まだ生きてるそうだ。


871:月光仮面
07/05/15 14:39:07
4500人ほど生きてローマでライオンのえさになるより中央アジアで暮らそうとした連中が
いる勘定になるが、こういうのが大勢日本に来たのと違うかなー。どうも飛鳥時代の
ローマ石造物をみるとこんな気がする。

872:月光仮面
07/05/15 14:49:55
この連中の宗教といえばミトラス教しかない。そしてミトラス教であれば景教とはうまく
行かない筈だ。卑弥呼時代はアメノヒボコ、太陽神アテン、エジプトの神、なので無関
係だが、半世紀後、崇神の頃のツヌガアリシト、これは気比神宮の犬神人、ユニコーン、
角杯(その辺を中心に分布)からみて、新羅に突入したあおりで来日したのではないか
と考える。応神の頃に秦氏の渡来を邪魔する新羅の勢力がローマ人であり、洗脳教育
等をして送り込んだ可能性もある。

873:月光仮面
07/05/15 15:24:29
宇佐八幡託宣集では崇神の御宇に天竺から5本の霊剣が投げられたといわれ、
この頃が英彦山の修験道の開始の可能性があるが、新羅ローマ人の武人精神
は花郎、武士道、修験道、投入寺(洞窟祭祀)等その後の日韓両国の精神文化に
深甚な影響を与えたものと見られる。



874:月光仮面
07/05/15 17:28:11
>>862
>イシスとネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命により
>オシリスを蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。
アルタイのウェブサイトでホルという言葉に太陽のという意味と帯という2つの意味が
あるのが引っかかっていたが、この包帯ということで命を蘇生する帯、タラシ、
アマタラシの意味がわかる。神功皇后の腹帯、水天宮の腹帯の意味がわかる。
そこで布留の石上神宮だがなんとここは元鳥見山でニギハヤヒを祀ったという。
すると神武の敵の神はニギハヤヒで、隼の頭をしていた。これが神武に破れ
石上神宮となったということになる。トミビコというのはこうしたニギハヤヒを祀る
シャーマンであったのであろう。海幸・山幸の戦場はどこであったのだろう。


875:月光仮面
07/05/15 17:39:35
それは高地性集落の配置からして外洋沿岸海人族と内海沿岸海人族の覇権争いで
あった可能性も考えられる。海の男は物語が上手である。

876:日本@名無史さん
07/05/15 20:26:04
加羅国息長

877:日本@名無史さん
07/05/16 02:14:06
>>874
海幸山幸の話は、高句麗では沸流・温乍(ふる・おんそ)とまったく同じ
たぶんこれもローマ方面の神話が起源?

878:月光仮面
07/05/16 07:51:11
>>877
高句麗こそ狗人、貊人のご本家のようなところであり、上田正明「日本の神話を考える」
でも神武東遷の高句麗東明王との類似が紹介されている。記紀編集者が高句麗神話に
通じていたことと、日本の弥生末期の情報が乏しいがおおむね高句麗神話に類似した
対立構造があったことから類似に拍車がかかったのかと。しかし、北部九州の甕棺墓
文化が終わること、庄内式土器が始まること、伯耆で青谷上寺地に戦闘痕跡が残る
ことを考慮し、阿讃播石積墳の急増、吉備墳丘墓、オオヤマト大型古墳の労働力の
出てくる理由を考え、倭人伝にある投馬国という広域単位の人口を考えると、北部
九州沿岸部、山陰沿岸部に武力構想があり、妻木挽田集落のような大規模住民が
捕虜となり古墳建設その他に動員されたにではないかと考える。この時代の新羅に
まだローマ文化要素はなかっただろう。

879:月光仮面
07/05/16 08:14:10
春先の西シベリアは雪解けの増水で一面の海となり、遠くウラル、黒海、エーゲ海を越
えて一衣帯水、舟でなくては通行できず、不作の年にはナイルの農作物が唯一の糧と
なる。ミトラス教の発生したとされるキリキアはフェニキアにも近いがこうした海の民、
つまり、日本に来れば海人族となる、海賊の中で生まれたとされる。甘粛驪県のローマ
敗残兵集落にあってはミトラス教が唯一のものであったであろうが、ウラル方面のサカ
族等がアルタイ経由で別途持ち込んで来て、増幅しながら新羅に達するということもあ
ろうか。トラキアの墳墓に隼人同様地下横穴式があるといわれるが効した海人族の
ルート上にある。これは関係ないかもしれないが参考まで。

880:月光仮面
07/05/16 08:34:27
京セラ、村田、伊奈等は銅鐸に始まる古代熱加工、窯業、トヨタは飛騨の匠につながる
車輪、からくり、日本人にはこうしたアナログ・デジタルの匠の文化を尊重し、絶やさない
ところがあるのではないかと思う。

881:月光仮面
07/05/16 11:15:53
>>875
海人族として神武族が頼ったのは阿多・吾田族、であり、敗北したのは安曇族、この
結果半島とのシーレーンの快速復路である沖ノ島が吾田系の宗像族に渡り、安曇族は
諏訪に亡命したのであろう。

882:月光仮面
07/05/16 11:25:01
神武の岡のミナト以降の話がぷっつり消えているのは何者かがカットしたようでもある。
おそらくは色んな勢力の意見がわかれ、どういう話しにしていいかわからなくなり、
疑わしきはカットするであったのかもしれない。

883:月光仮面
07/05/16 11:35:19
日本人はユダヤ人ではないが、サムライにはコーカソイドの血が入っている
ようだ・・・
URLリンク(britam.org)
宗教史観もここまで来るとなかなかおもしろい。当たっているような気がする。

884:月光仮面
07/05/16 12:04:10
URLリンク(britam.org)
ここに言う欧米ユダヤ人の人種評価こそアウシュビッツを生み出したものであり、
汎神論で、自然と調和する大和心に相反するもの。トヨタが世間に選ばれたのは
その地球へのやさしさという小さなエッジであった。中近東の終わりなき殺戮の背後
にある大和心の欠如にいつかは気付いて欲しい。

885:日本@名無史さん
07/05/16 22:50:39
そうだな。
英語ばっかりで疲れたけど面白かったよ。


886:日本@名無史さん
07/05/16 23:25:52
>>883
そこのサイトを簡単に要約すると、

「古代日本にヘブライの影響は少しはあったかもしれないが、
あまり信じることはできない、
東のモンゴロイドと我々気高いヘブライ人と一緒にしないでくれ、
日本人は民族主義だ、アイヌ差別主義者だ」


887:日本@名無史さん
07/05/17 01:58:57
日本書紀には西暦2世紀の出来事まで詳細に書かれてるのに2世紀ごろの書物は無い
でも日本書紀を書くためにはその頃の情報が文書の形で残ってた筈で
そういうものは大化の改新前後に消滅したと言われるが

法隆寺の一角に伏蔵と呼ばれる地下倉庫がある
聖徳太子はこれは絶対に開けてはならない、開くときは仏教が滅ぶ時だと言っている
おそらくここには仏教関連のみならず日本書紀の編纂のために使われた複数の原書が
保存されている
それらはもしかしたら漢字で書かれてはいないのかもしれない

888:日本@名無史さん
07/05/17 08:50:43
政権が交代するたびに歴史書を書き換えてたら解明するのに手間取りすぎるよな

とらえた奴隷も使えるようになるまで2年はかかる、いや奴隷になるのがなれてるのですぐに働ける

889:月光仮面
07/05/17 12:11:12
魔多羅神/ミトラス神の起源について調べて見たんだが、春分の日の日の出のあたりの
星座(日食なら見えるが、普段の時は天球儀を回すと解る)、これについてBC2000年頃の
ウラル・アルカイム観測所のようなところでは牡牛座であり、占星術をもっぱらとする神官
はそれを不変のように子々孫々に約2000年間伝えてきたが、前190ころ‐前125ころ
ヒッパルコス[ニカイアの]によってそれが魚座にまで移っており、それが歳差という天体
活動によって天宮間を移動する原理が解明された。この秘儀が、ミトラス教となり、それは
ローマ軍団の駐屯地の教会の後戸で秘密の会員に伝授された。このローマ軍団の一つが
前漢時代に甘粛の驪県に入る。そしてそこから東方に拡散され、新羅には奈勿王の頃
までには到来している。キトラ古墳の天体図はミトラス教の発生の元となった、その天体図
より2000年前の春分点が描かれている。つまり、ミトラス教の忠実な信者によって作ら
れたことを立証している。つまりそれはローマ軍人の子孫である可能性が高い。そして
秦氏と魔多羅神 を結ぶ猿楽集団にもその末裔がいた可能性がある。

890:月光仮面
07/05/17 12:14:36
ちなみに秦大津父というのはミトラス教の最高位の「父」の位を持つ神官であった
可能性がある。

891:月光仮面
07/05/17 13:01:49
>>887
伏殿とはCRYPTと呼ばれる教会の地下室のことだろう。そこはミトラ教儀式が行われる。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
新入りが入ると、ミトラに扮した秦大津父(父)が弓を引き絞り、発射、地面に当たると
噴水が噴出す。ミトラはオス牛を剣で突き殺す。(牛は春を象徴)ミトラはフリギア帽子という
前に折れた烏帽子をかぶっている。大地を意味する狗と蛇が牡牛の切り口から血をすする
が、場合によっては穀物で代行する。秋を意味するさそりが牡牛の睾丸に食らい付く。
通常はカラスが登場。杯と小獅子、明暗を表す双子天体、灯持ち(日本では童子)、これが
烙印棒を一人は上に向け、一人は下に下げている。ミトラスの上には日神と月神がある。
こうしたショッキングな演出のプレゼンによって天体の位置、動きを頭に叩き込むのだろう。
秘密を口外したものは大避神社の井戸に投げ込まれるのかもね。・・・こういうことであった
可能性もある。ほかに宇宙を外側から見たものとして岩に巻きついた蛇もあるたしい。
スサノオのでどこもこの辺かも。

892:月光仮面
07/05/17 13:16:02
ちなみに、ミトラス教の階級と7福神を対比するとかなりの連関がありそうだ。
(1)〈父〉          寿老人
(2)〈太陽の使者〉    福禄寿,
(3)〈ペルシア人〉    えびす(夷,恵比須),
(4)〈獅子〉         布袋(ほてい),
(5)〈兵士〉         毘沙門天(びしやもんてん),
(6)〈花嫁〉         弁才天
(7)〈大鴉〉         大黒天,
広隆寺等では魔多羅神 像上部に7つの星として出ている。

893:日本@名無史さん
07/05/17 15:25:47
イラン
アヴェスター語 ミスラ  Mithra
パフラヴィー語 ミフル  Mihr
ソグド語   ミール  Mir

インド
サンスクリット語 マイトレーヤ Mithraya
インド神話  ミトラ   Mithra

ローマ帝国 ミトラス Mithras

こう考えていくと天照大神、アマテラスももしかしたらア・マテラスで
ア・マテラスA.Materas
  ミトラス  Mithras
最も発音が近いのはローマ帝国のミトラスだ。
ローマ帝国では1世紀から5世紀までミトラスが信仰されたので
もし太陽神アマテラスが、太陽神ミトラスと同じものなら発音から
考えるとローマ帝国経由だ

アマテラスの別名ヒルメと卑弥呼のヒメは同じものだろうか
卑弥呼のhimiと、ヒルメ・hirumeは同じとの指摘もあるし。
現代日本語では意味不明な上古日本語発音は、
おそらくやはり中央アジア以西が起源なのだとおもう。


894:日本@名無史さん
07/05/17 15:34:40
天は訓読みでアマという発音だけじゃなくマという発音もある
高天原の天はマと発音する
だから天照だけでマテラスと発音するのかもしれないのだ。
マテラスとミトラスならほとんど変わらない。
はっきり言って天照大神とはローマ帝国経由のミトラス神のことだ。
長い距離を経て、長い年月が過ぎたにも関わらず、
ほんのちょっとしか言葉に誤差が無く、神格も似通っている

895:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/05/17 15:42:06
古事記の注に(通常は)天はアマ(阿麻)と読めとの牽制文がある。
これを逸脱しては間違いに進む。
壱岐の別名の天ヒトツハシラとか、一部の例外はアメと読む。

896:日本@名無史さん
07/05/17 15:52:47
>>895
高天原はタカマガハラのマだぞ
記紀の意味不明な当て字としての解釈は自由度が高いしな

897:月光仮面
07/05/17 16:24:19
ウラルタタール語でサファルは商用出張、メソポタミアクルド語でサファルは銅、ユダヤ
語のセファルディはスペイン語に近いラディノ語を話すユダヤ人集団およびイベリア
半島のサラセンからの奪還完了後にその地からの避難民のことであるが、スペインの
ピレネー山脈は世界有数の銅産地。
タタールのアミンベク伝説から紀元前3-2千年紀にウラルでは商人が銅採掘、運送に
従事したことがわかるとされる。福岡の早良等はこうしたことと関係があるのではないか
と思う。

898:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/05/17 16:26:23
タカマガハラは間違い読み。真はタカアマハラと読む。

899:月光仮面
07/05/17 16:55:13
>>897
早良というところはどうやら奴国の国際貿易センタであったようだ。
URLリンク(inoues.net)
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)

900:日本@名無史さん
07/05/17 17:01:25
たかだか100年前の言葉でも本国の発音とかけはなれた発音になるよ
全ての可能性を捨てるのはもったいない

901:日本@名無史さん
07/05/17 17:43:40
月光仮面は何人いるの?

902:日本@名無史さん
07/05/17 19:43:23
ハタ氏は真面目にコツコツ働いたが性格が悪いので出世しないままで退職されたが
あれは元もとたいしたコネがないからであった。

903:日本@名無史さん
07/05/18 06:39:29
職人としては優秀だったが百済系のように完璧なコネではなく、すりよる根回しだけで
相手に裏切られたりして生き方がいまいちヘタ、または神をおそれぬ反逆心のあるひねくれた人だった。

904:月光仮面
07/05/18 06:46:08
戦前日本の小学校講堂の教壇背後にあった奉安殿という後戸、米軍、ソ連軍の
従軍牧師的仕組にローマ軍団と共通する点がある。筆記手段のない印欧・セム
語の伝播の背景にこうした秘密結社的メカニズムが働いたのではないか。
コーカサスのセム系ドルメンマイコープ文化にその秘密があるようだ。
このイスラエルのドルメン資料でそうした感を受けた↓
URLリンク(britam.org)

905:月光仮面
07/05/18 06:57:56
>>892
(4)〈獅子〉         布袋(ほてい),
このランクは算盤で言えば一級らしく、その上は有段者となる。布袋様はお坊様
のトップクラスなのでライオンということだが。わかるかね。


906:月光仮面
07/05/18 07:04:03
>>891
宇宙に外側というと量子物理学みたいだが、古代人は天文学的に
URLリンク(upload.wikimedia.org)
こんなものを考えていたのではなかろうか。

907:日本@名無史さん
07/05/18 11:58:00
中国では弥勒と布袋は同義語だろ

908:月光仮面
07/05/18 11:58:02
ナスカに地上絵を描いた人々がイメージする神、その神の目から
われわれの宇宙を見ると↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
神は銀河を見て、この宇宙(岩)はウロブスが取り付いているではないか
URLリンク(upload.wikimedia.org)
と思い剣でオロチを斬った。その後が天香具山に残る↓
URLリンク(yujiwww.web.infoseek.co.jp)
この時、宇宙に時間が始まり、月が誕生し、運動を起こす。この神はイワレビコあるいは
スサノオであったのだろうか。
URLリンク(www.geocities.jp)

909:月光仮面
07/05/18 12:07:23
布袋 
中国,唐末五代の僧。名は契此,別に定応大師,長汀子ともよぶ。容貌奇異,
額と腹が大きく,いわゆる布袋腹 生前すでに弥勒の化身とみられたというから
弥勒信仰華やかなりし頃の有名人というか。

910:日本@名無史さん
07/05/18 18:01:09
布袋(ほてい)と秦(はた)は何か関係あるのだろうか?

911:日本@名無史さん
07/05/18 19:26:56
芸能人の名前はフタイやなかったかな

912:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/05/18 20:33:55
黄眉老佛を下す。南無彌勒正佛 摩訶般若波羅蜜。

913:月光仮面
07/05/19 08:58:24
>>908
ウロボスではなくよく見るとオウロボロスとなってるなー。うろたえたなー。さて、
月に群雲、花に風、そして、銀河に暗黒星雲。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
「さて天村雲命のルーツであるが、やはり彦火明命と素戔嗚尊との関係が窺われるよう
である。 素戔嗚尊の八岐大蛇の物語で、大蛇の尾から出た刀を天叢雲剱と称するが、
大蛇の精そのものが天村雲命とも言える。同じく素戔嗚尊の御子神とも言える。ここに
五十猛尊と同一視できる所以がある。天五多底命である。」
URLリンク(www.kamnavi.net)
銀河には切られたように暗黒星雲が横断している場所がある。


914:月光仮面
07/05/19 09:43:23
イタカの民は航海者として広く海外に雄飛した。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
ヘブル(アピル)はエバル、イバル、流浪の民、流民、好ましからざるもの、ゲットーの住民、旅人。油津はアビラ、アピルの港町で、アビラ津姫はアピル族のことか。
URLリンク(www.taroscopes.com)

915:日本@名無史さん
07/05/19 10:02:45
>>月光仮面氏

悪いんだけど、話の一つ一つを、
分かりやすく言ってくれないと、
話の内容がすっ飛んでしまってる訳です。
いきなりイタカとか言われても、
何のことか分からんとです。
油津というのも宮崎の事か何か分からないし。

916:月光仮面
07/05/19 10:31:59
飛んでイスタンブール、その近所にイタカ、いなかったか、油を売ってても
しょうがない。ちょっくら調べる。

917:月光仮面
07/05/19 11:08:25
話が変わるけど、油津は宮崎、東国原は神武とよく似た響きを持つ。神武にも
東さんのような奥さんと子供があったようだが、プライバシーに触れるのか、記紀
ではあまり詳しくは立ち入っていない。ところが世界的にアビラ、アヒルといった
言葉はユダヤ人のような流浪の旅人を表すようで、東さんの場合はいいとしても、
神武の場合はユーラシア・ディアスポラ(離散民)を妻にしていたようである。ところが
URLリンク(www.kamnavi.net) 先代旧事本紀でもアビラヨリヒメというのが、
天の村雲(イタカ人、ギリシャ人かな)と一緒になっている。まー、これはユーラシア
海人族(シベリアは季節によっては海となる)が先祖であることを言っているのではない
かと思われる。


918:月光仮面
07/05/19 11:27:47
昔は皇室典範でなく仁義なき戦いだから神武の嫡子タギシミミでも、ばっさりやられる。
夫餘では不作の場合王が殺されるのが普通。昭和天皇は軍部の暴走に結果責任を
取らされて当然と考えマッカーサーに命を差し出した。ところがソ連に原爆を盗まれ、
方針を変えていた米国はこれを好機と国体護持に回った。東さんが言ってたが集団
決定に結果責任を取らされる政治判断とは大変なことらしい。それが芸人と政治家の
差なんだろうね。

919:月光仮面
07/05/19 12:31:23
「オデュッセウスは女神の導きの許、故国イタカへと至りました。アテナ女神は、
オデュッセウスの姿を物乞いのみすぼらしいそれに変え、名前を偽り、かつての
彼自身の館へと忍び込ませます。」・・・神武が天香具山のハニを盗る時に似ている
シーンである。
URLリンク(red.sakura.ne.jp)
往時のトロイの石垣に沖縄のグスク、日本の城壁の石垣を見る想いがする。
URLリンク(upload.wikimedia.org)


920:月光仮面
07/05/19 14:19:24
夕月国<馬韓月支国<小月氏<月氏>大月氏(クシャン王朝
これはトカラ人の国であが、ギリシャ人の国バクトリアを征服してギリシャ化した。
このときにギリシャ人の文化がどっさり入り、前漢、後漢を通じての中国貿易の
傍ら、馬韓月支国もかなり強くギリシャ化し、そのあおりが出雲方面に浸透して
来たと考えられる。新羅へのローマ人の到来でシナージー効果も出てきたこと
であろう。おかげで日本は極東にありながら、神話上ギリシャ・ローマ文化の
延長線、ロシアなんかよりも早くから西欧化する、という事態と相成った次第と考える。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

921:月光仮面
07/05/19 14:32:38
このグレコ・ローマンのほかにウラル・アルタイのエジプト神話体系が入ってきているよう
である。これは安曇・海部系で、狛犬等を持ち込んでいる。こうしたものの上に更に仏教が
入り込む。これだけ手の込んだカクテルは世界でも類を見ないだろう。

922:日本@名無史さん
07/05/19 18:34:12
石上神宮に伝わる十種神宝にこんな名称のものがある。

品物比礼 神輿様の箱。Xという十字架が書かれている。なんと読むのか
蛇比礼  十字架。ヘブレイと読める。
蜂比礼  6角形なのでダビデの星か。名称もヘブレイだ

923:日本@名無史さん
07/05/19 19:57:32
秦氏が活躍した時代は平民には名字がなかったんだし、下の名前だけの人が99,99パーセントを占めていたので

924:日本@名無史さん
07/05/19 22:00:05
>>922
これだね。
URLリンク(kamnavi.jp)

十種神宝。

925:月光仮面
07/05/20 08:07:21
>>904 >>919
欧州の吟遊詩人、日本の琵琶法師、浪曲に文字のない民族が情報伝達する共通の
姿がある。視覚文化に対する聴覚文化というか。
ところで、神武紀は基本的に海洋沿岸を一巡して帰国するオデュッセウス冒険譚に
日本の地名を当てはめたようである。すると本来終着点は高千穂の天香具山で
あったのではなかろうか。すると神武の元妻が出てこない理由もわかる。日向に
渡来した流浪の民のオデュッセウス冒険譚のあらすじを借用したものとすると
神武紀で意味のあるのは近畿の部分だけとなる。

926:日本@名無史さん
07/05/20 20:25:07
古代は部民制度の枠の中に全員はいってるので、神社の氏子に全員がなってる時代から今は
氏子ではない人の方が多い

927:日本@名無史さん
07/05/20 21:00:55
>>922 >>924
よ~く見ろよ。 六角形じゃなくて八角形だし、Xじゃなくて×だ!

928:日本@名無史さん
07/05/20 21:02:11
ranboy_ikuiku@yahoo.co.jp

929:日本@名無史さん
07/05/22 08:25:38
全国民が神社の氏子になってた時代は、つい最近のことです


930:日本@名無史さん
07/05/22 19:37:08
むかしむかし、農夫が、重い傷で動けなくなったコウノトリを畑で見つけた。
農夫の看病で元気になったこの鳥は「お礼に」と、すいかの種を置いていく。
それをまくと、たちまちすいかは大きくなり、中から金貨があふれ出てきた。

 ▼中央アジアのウズベキスタンに伝わる民話を集めた『ウズベクのむかしばなし』にある一編。
コウノトリが親切な人間に恩返しをする内容の伝承は、ルーマニアや韓国にもある。
日本の『ツルの恩返し』だって、主人公は実はツルではなく、コウノトリだとの説がある。

URLリンク(www.sankei.co.jp)

931:日本@名無史さん
07/05/22 20:46:00
>>883
そこのサイトで気になるのは、イスラエルの1世紀の書物、エズラ書の中に
十支族が東の果ての「アルザレト=最果ての地」へ向かったとあるが、
その国は日本ではなくオーストラリアのことだと言ってること。

まずはっきり言うが、オーストラリアはありえない。
オーストラリアがヨーロッパの地図に初めて登場したのは16世紀、
ヨーロッパ人が初めて上陸したのは17世紀のことで、
ティモールでさえ中国の歴史書に初めて登場するのも14世紀のことで
それ以前のヨーロッパと中国の歴史書はオーストラリアは存在していない
なによりアボリジニという先史時代からの先住民しか存在していなかった

結局白人国としてのオーストラリアの歴史がいつから始まったかも
知らずに語っている部分が文章中にはかなりあって、
日本にヘブライ人が到達したかという論争を単に一蹴したいだけで
ヘブライ人とイエロージャップと一緒にすんなという意図を感じる。

932:月光仮面
07/05/23 14:00:16
ヘブライ族には(1)セファルディム/ユダヤ教クルド人、(2)アシュケナジム/イスラム教
クルト人があり、(2)のイスラム教クルド人はユダヤ教の成立する以前から印欧語族の
イラン系とアーリア系の分化の始まる頃にウラル南部におり、ユダヤ教とよく似たエジプト
との関係を維持していたようだ。どうも、ドルメン、支石墓はヘブライ族に関係するようで
あり、甕棺墓はフィンノ・ウグリックの卵生神話と関係している。これが賀茂氏の宇宙像と
同じで銅鐸圏の思想に通ずる。

933:月光仮面
07/05/23 16:11:42
セファルディム、ユダヤ系クルド人というのは、アシュケナジム、イスラム教クルド人
と住み別けて中東以西にいるので東方に移動はないであろう。しかし、タイのバンチャイ
の青銅鉾はアッシリアの鉾のような半月形をしている。ビルマにはユダヤ系が発見され
イスラエルに帰国したそうだし、インドシナ山岳地帯ではいまだにドルメンを作るものもおり、
石造技術はアンコールワット、ボロブドール遺跡等でも見られる。これらはイスラム系
クルドがイスラムに改宗する以前のイラン時代に北方から南下したものとも考えられる。

934:日本@名無史さん
07/05/23 20:32:24
それはありえる白人最高主義で、行き方知らずや黄色人のとこに行ったとは死んでも言わない
ならばどこに行ったかと言われるのでウソ800で塗り

935:日本@名無史さん
07/05/23 23:18:22
弓月国について詳しい情報知りたいな。
秦氏の故郷なんだろうし。
キリスト教国でOK?

936:日本@名無史さん
07/05/24 01:47:14
弓月の融通王が18000の民を引き連れ倭国に入ったのが3世紀だったかと

937:日本@名無史さん
07/05/24 06:33:28
はっきり言ってくわしい情報なんかないのでは、移住をできること事態が

938:月光仮面
07/05/24 09:00:35
>>932
URLリンク(www.rc.kyushu-u.ac.jp)
出土人骨C14年代測定による支石墓(ヘブライ)、甕棺(ウラル)、箱式(東胡)の出現
順序を見ると春秋時代に到達しているようだ。しかし、本拠地が松菊里方面にあって
九州の豪族の発注工事を履行したのに過ぎないということもあろう。甕棺はウラル
の鴨神話を具象化するものであろうが、檀君朝鮮、櫛目文土器文化時代からあるもの
かもしれない。

939:日本@名無史さん
07/05/25 07:05:36
たんなる移住と違って捕虜とちがうかな、外国と戦い民としたので連れてきたとか

940:月光仮面
07/05/25 07:39:07
秦氏は大犬座シリウスにより農事吉凶を占うことから犬神人とされ、葬祭、医療等を専ら
とし、自らを畑人と呼んだ。エジプトではその神はインプと呼ばれたが、忌部、犬部とも
読める。中国では犬戎、秦、朝鮮族は高句麗と称したのも同一。
「高良大社文書『高良記』では、
「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ面ヲキセ、犬ノ 
スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ マフリタテ
マツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事六十余ケ
トノ其一ナリ」とされるが、これは彼らが神王ホルスからホルス・布留の民と称したのを、
降伏した意味で降人と勝手に解釈したことに起因する。秦氏の基本理念はユダヤと
共通するが、王権の下に産業を興し、経済発展を通じて繁栄することにあった。
遺伝子的にはユダヤ人と同一であるが、歴史的にははるかに古く、ユダヤの本家筋
に当たる。

941:月光仮面
07/05/25 14:42:41
秦氏の原郷は、欧州、中央アジアに印欧文化が始まり、サテム系がYAMNAとされる
ステップに広がり↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
その中でイラン系が下記アンドローノフ地域のピンクの部分でゾロアスター教を作り、
アーリアから分離する。この辺が秦氏の原郷であろう。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
しかし、この辺に支石墓・ドルメンの文化はなく、それは黒海の北東部分にある。これは
セム系と見られており、自分の推測ではここに早期のユダヤ教があったのではないか、
そしてその文化が中国に向かう秦氏に便乗して、遼東に達したのではないかと考える↓
URLリンク(ja.wikipedia.org)
その根拠は「葛城の事代主神 事代主神の最初の本拠地は葛城(奈良県御所市)の
下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)です。ここで事代主神は最初、葛城川の岸辺
に季節毎に祭られる田の神でした。それがやがて、同じ葛城におられ、叔父様に当たる
一言主神の神格の一部を引き継いだのか、託宣の神としての性格も持つようにな
ります。」
URLリンク(www.ffortune.net)
これがヤーヴェ神託神という戎(ペルシャを指すことが多いようだ)の神とされている
ことで、これがモーセと似ている↓
URLリンク(ja.wikipedia.org)
この神は鴨宇宙卵に基づく銅鐸文化への割り込みを図ったようで、神武
の行動と似たパターンであるが、失敗し、引退、最終的には秦氏のバックアップする
住吉大社が賀茂氏の文化を継承したのではないかと考える。

942:月光仮面
07/05/25 14:56:07
では、大陸秦氏のユダヤ人遺伝子がなぜ日本に残らなかったという問題であるが、
大陸秦氏のアンドローノフ文化圏の東北にアファナーシエフ文化圏というのがある↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ここには東方のバイカル湖南岸方面からモンゴロイドの東胡の祖先が移住してき
ている。このモンゴロイドが秦氏の文化を吸収し、箱式石棺墓文化人として列島に
ファリシズム(陽根崇拝)と共に上陸したようである。

943:月光仮面
07/05/25 15:58:12
秦氏の原郷、ハザール地方がユダヤ教に改宗するのは9世紀のこととされている↓
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
従って、神代の日本にユダヤ教が入ってきていたなんていうと、秦氏の子孫である
現代のバシコルトスタンの人々からはとんでもない電波だと一蹴されるかもしれない。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
しかし、この隣国マリでは天神をクグユモと呼び、賀茂氏と同じ鴨、雷神等の神話体系
を持っている。


944:日本@名無史さん
07/05/25 18:39:08
王は亡命してきたのかも、戦乱や気にいらないことがあったので
出てきた。

945:月光仮面
07/05/26 09:02:36
ウラルの鴨神話では原始の宇宙卵の殻はうずらの卵の殻のように星がちりばめられて
おり、この卵の殻が後に天蓋、後楽園ドームのようなものとなったとのこと。
エジプト神話では太古天の女神ヌトと地の男神ゲブは一体となってはなれず、空間が
存在しなかった。そこで大気の神シューが天を支えて空間を創造したとのこと。つまり
後楽園ドームに空気が注入され天井が上がった。
国常立命、ドルメンの意味するところであろう。インドに入り
宇宙空間虚空蔵は電波を通す↓
URLリンク(www2.ocn.ne.jp)
とまでに発展した。これはヒンズークシ、インド人殺しといわれる数千メーターの高山
の連なるパミールの尾根を越え、ヒマラヤのシェルパのごとくラピスラズリの採鉱に
従事した秦氏の活動がなければナイルの平野とか、黄河とかでは絶対発生しない
思想である。
参考→「星宮神社 御祭神:天香香背男命(星大神)
祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。星宮大明神と崇められ、
明応4年(1495)創建の言い伝えのある、当社で最も古い神社です。古来「奥の院」
とも称され、当社では特別大切におまつりしています。ここにはなぜか虚空蔵菩薩
さまもおまつりしております。当社の秋の例祭は、この神社のお祭です。祭日は、
10月第2日曜日です。境内はこの夜、カラオケ大会などの余興で大賑わいです。
虚空蔵菩薩さまが祀られるようになったのは次のような事情があったのだと云い
伝えています。
 もともとこの虚空蔵さまは今の片岡地内のある神社に祀られていました。ところが
虚空蔵さまは川魚、とくにうなぎの守護神といわれるので、人々はうなぎをとって
食べることが出来ませんでした。そこで困った村人は住吉に目をつけて、住吉は川魚
が食べられなくても、海の魚があるからよいだろうというわけで、虚空蔵さまを住吉へ
移してよこしたというのです。」
URLリンク(homepage2.nifty.com)


946:月光仮面
07/05/26 09:11:29
「天香香背男命(星大神) 祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。」
しかし、ミトラスの神は更にこの後というか、上にあって東京ドームの天井裏の星座
の牛ですら殺す神であり、更に進化した姿であるようだ。新羅のローマ宗教は尾張
にまでは達していないと考えていいのかも。

947:月光仮面
07/05/26 10:08:42
ストーンヘンジ、ドルメン等巨石建立、青銅器の鋳造は土器の製造と同じく土砂で鋳型
を製作し、巨石、青銅器が出来た後で土砂を取り除く。この応用が飛鳥石舞台古墳。
ピラミッド、長城も同じ。基本は土壇を築き、修羅で巨石を引き上げるのであるが、土壇
とか、鋳型、それの基となるハニが重要。檀君の檀とは土壇の壇で、ドルメン建設と
関係するのかも。ウラルの鴨神話では、鴨がこうしたドロを水底から咥えて浮上し、
大地を造る。これが住吉、片岡神社の表筒(土)、中筒(土)、底筒(土)であり、
カグツチとは金の土であるから最高の神であったはず。ところが記紀パンテオン
では穢れを意味する部類に位置付けられる。また、天香香背男命は布津主の
レポートで悪神とされる。そして銅鐸は地表から抹殺される。これは倭人伝の伝える
卑弥呼が狗奴国と仲が悪いと記述と符合する。つまり、天香具山に立地した鴨宗教は
銅鐸を捨て東国に逃れた。卑弥呼が敵に回したのは↓
URLリンク(homepage1.nifty.com)
卑弥呼政権はかなり不安定な政局であったであろう。

948:月光仮面
07/05/26 10:58:23
ウラル鴨神話では、天蓋を支えるのは頂上が北極星に届く(銅、鉄、石の)山(金剛山
か)、一説では強大な樫(アマカシとはこれだろう)。世界山の三脚は中山(天香具山
か)、北山(耳成山か)、霊山(畝傍山か、冥界、時には北山と同一とされる)間を流れ
るトネ川(マナ川)(飛鳥川か)。また、天の川は海から出た人間が天の支柱である
樫を切り、これが倒れたものであるとする。天地創造儀式は水底、畝傍山の土を取る
ことにある。
URLリンク(www.norichan.jp)
従って、神武が天香具山の土をとることは鴨神話の破壊であり、神武が卑弥呼の
祖先であることを意味する。タケハニヤスの乱は、鴨族の政権奪回の動きに他なら
ない。類似の行動は東海S字瓶の胎土に雲出川の砂を混ぜることにも見られるが、
雲出は雲梯に通じる。

949:月光仮面
07/05/26 11:20:24
宇宙創造神鴨Wyaynyamyoynen(八井の明神とでも読もうか)は地形、海底地形を創造
するとされるので空中偵察機のようなものらしい。ポイントは偵察飛行後に建国が行わ
れるということで、ウラルアルカイム遺跡の建設に通じる。それと共に日置部とか太陽観
測部民のような存在を含意する。又、瀬戸内海をはじめ日本近海には海の難所が多く、
安全な航海のためには事前に水路調査が不可欠である。飛鳥川から飛び出した鴨が
ソラミツ大和の国を作るといった話からヤマトトトビモモソ姫が生まれたのかもしれない。

950:月光仮面
07/05/26 11:36:20
タラシとは廃語となりつつある帯を意味するグル、その古形布留と同様ホルス、神王を
意味する言葉で、渡来人アメノヒボコの子孫である神功がこの名前をとどめるのは
わかる。神功は旧狗奴国、九州南部の隼人、高句麗の南進と新羅の抵抗という政治的
チャレンジを受け、わが子を神の児に仕立て上げ三韓と狗奴国、隼人の一切を統一した。
、「この酒は吾が酒ならず酒の神、常世にいます、いわたたす少名御神の神寿. ぎおぎ
狂おし、豊ほぎ、ほぎも通し、祭っ来たりし御酒ぞ」という神功の歌には酒の神、巨石
建設の神、薬の神が同一であることを歌っているが、それは神功の祖先の神であり、
神功がそうした成功をなしえた力が、そうした文化を持っている秦氏にあったことを
歌い上げている。

951:月光仮面
07/05/26 11:54:24
銅鐸圏というとウインドウズ95とかの最終段階に入っていたアーキテクチャー
つまり鴨神話体系であり、そこに日向から出てきた男がCONFIG.SYSをイジクル
話はおかしい。インサイダーの仕業と考えるのが当然である。箸墓の基礎部分は
尾張が受けたが、仕上げ部分は吉備が担当した。こうしたことを画策した銅鐸圏
内部の仕掛け人こそ神武を操ったものであろう。それは北部九州の対外貿易を
狙った河内・摂津の勢力ではなかったであろうか。


952:日本@名無史さん
07/05/26 12:29:09
中国大陸では常に戦乱に明け暮れて疲弊した市民が多いので性格も曲がってしまい
それで日本に逃げてきた羽田氏も働きものだが性格がいまいち悪く

953:日本@名無史さん
07/05/26 12:44:05
お前らさ、ちょんとジャップは永遠のライバルだな?おもしれーw
目くそ鼻くそ同士w背比べお似合いなwかっこよろいーわーw

たかが黄色人種同士で劣等レッテルの擦り付け合いナw
そんでここではみんなで俺をちょんと馬鹿にするオ決まりパターンw

日本も中国大陸につながってりゃ同じ運命だ馬鹿がw

まず白人に差別されてる人種ということはやくきずけよ

954:日本@名無史さん
07/05/26 18:03:00
唐人は戦争が嫌でトゥルクの西域に移住し高昌国を建国した
ウイグルの古墳壁画に日本の奈良時代の聖徳太子の絵や
天狗にそっくりな絵が出てくる。実際にはその絵は天狗じゃなく
鼻が高いコーカソイドなわけだが。日本とウイグルで同じ時期に
同じ絵が描かれていたのはおもしろい

955:日本@名無史さん
07/05/26 19:28:49
朝鮮半島は古代より楽浪郡が置かれたり、要は中国との付き合いが大変なものであった、当時の日本は幸いにも天然の城壁にまもられて
スクスクと育ちいまでも世界1の観光客として高く評価されており、それにひき替え
半島では日夜えげつないことにまきこまれて性格の・・以下省略

956:月光仮面
07/05/27 09:11:13
>>948  雲梯
古代中国の雲梯
URLリンク(upload.wikimedia.org)
古代の高層社殿
URLリンク(www.highlight.jp)
ピラミッド内部 上昇通廊 「王の間の上部には約17mにわたって5つの小部屋が積み
重ねられており、それは王の間が潰れないよう重力拡散の働きをするものといわれて
いる。これらの部屋はいずれも1m前後の高さしかなく、最上段の部屋の天井は切妻式
になっている」 ポイントは出雲同様「切妻式」にある。
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)
何故日本にはこうした↓建造技術が残り、世界の他の地方には全く残らなかったのか?
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)
それは、そうした技術が秦氏に属することに他ならない。


957:月光仮面
07/05/27 10:16:50
出雲と「王の間」では雲梯の付く位置が違うでないかとの意見もあろうが、出雲の
それは↓
URLリンク(www.highlight.jp)
URLリンク(www.highlight.jp)
を復元したもので、必ずしも古代の姿(江戸時代などでは現代通り)を忠実に表すもの
でもない。
モホスの大王は弥生時代の東北人というドイツ研究所の判断も出ており、王の棺には
隼人盾紋が付いている↓
URLリンク(www.athome.co.jp)
URLリンク(www.tbs.co.jp)
ドゴン族のシリウス天文学も秦氏の関与がなければ成立しない↓
URLリンク(www.fitweb.or.jp)


958:月光仮面
07/05/27 10:39:43
URLリンク(www.y-asakawa.com)
URLリンク(www.y-asakawa.com)
URLリンク(www.y-asakawa.com)
「「王の部屋」の西側の隅に置かれた石棺
花崗岩をくり抜いて作られた、通称「石棺」と呼ばれているこの巨大な石の箱は、何に
使われたものなのか全くわかっていない。エジプト学者は王の遺体が置かれたものと
主張しているが、これが棺であった証拠は何一つ発見されていない。それより、当時の
大柄な人間が入るには狭すぎる。王の遺体は何重にもなった木の箱で覆われているの
が普通であることを考えると、この大きさではとても無理である。それにしても、巨大な
一枚岩のから切り出したこの硬いを花崗岩を、まるで鏡の面のように見事に彫り抜いた
技術は、驚異以外の何物でもない。切削の専門家は、現代の最先端の機器を用いても
出来るかどうか疑問であると言っている。ピラミッドに使われたハイテクノロジーは我々
の遙かに想像を超えたものであったようだ。部屋の壁に注目していただきたい。全く
隙間がないことに気付かれるであろう。「ピラミッド再建計画」を立案した大林組の
担当者が、「我々にはここまでの技術はないでしょうね」と言っていた言葉が、思い出さ
れる。石棺には、はめ蓋の跡が残されている。 不思議なことに、この石棺に使われたと
思われる蓋(ふた)が発見されていない。もともと石棺には蓋がなかったと主張している
学者もいるが、上部には、滑り戸式の蓋に使われたと思われる溝の跡が残されている
ことから、蓋の存在は間違いないように思われる。それにしても、どの記録にも残されて
いない蓋は、一体どこへ消えてしまったのだろうか?」それはアララト磐舟、バイカル
モンゴリアの箱式石棺墓、そして、天磐舟となって、大和国哮峯(いかるがみね)に天降
ったのだ。

959:月光仮面
07/05/27 10:54:53
出雲神話にはギリシャ神話の影響が残るが、これは大月氏方面からの影響で
あろうが、哮峯(いかるがみね)もこの線上でイカロスが着陸したとも解釈できる。

960:月光仮面
07/05/27 11:59:01
「金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、金海駕洛国に石の船が1隻現れました。
その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗っていました。そのとき彼女は
16才の美しい処女でした。彼女は天神の命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきました。
許黄玉は、一度も会ったことのない首露王を夫に迎えるために、遠くインドから船に
乗ってきたのでした。船が始めて入港したところは、今の鹿山の海岸です。彼女が
乗ってきた船には妹の許宝玉と数名の侍女と石で作った塔が乗っていました。
 許黄玉は金首露王に気に入られ首露王妃となり、妹の許宝玉は長游庵という寺を
建ててそこで暮らしました。現在の長游社がそれです。国際結婚をした首露王は王妃
許黄玉との間に10名の王子が生まれました。首露王は、その中の二人に許氏の姓を
与え、代を継がせました。それで、今でも金海金氏と許氏は、結婚しないそうです。同じ
氏族であることを証明しています。」
URLリンク(www.geocities.jp)
この話も到着した渡来人が石の船を建造したから、その民族は海路渡来したことに
なるのであって、実際に海路である可能性は少ない。要するに大月氏、クシャン王朝
からの渡来者ということであろう。大和国哮峯(いかるがみね)に天降るのも同様である。

961:月光仮面
07/05/27 12:14:46
>>956
>何故日本にはこうした↓建造技術が残り、世界の他の地方には全く残らなかったのか?
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)
>それは、そうした技術が秦氏に属することに他ならない。
しかし、秦氏の通過した新羅にはちゃんと残っている↓
「前の2つの数字を足して得るフェボナッチ数列(1、1、2、3、5、8…)を暗号として
用い、その数列を無限に続けて連続する2つの数を割って得る数字を重要に扱って
いたからである。その数字1.612…は1に対しての黄金比と呼ばれ、人間の建造物
はもちろん自然界のいたるところに現れる神秘の数なのである。」
URLリンク(www1.korea-np.co.jp)
瞻星台(チョムソンデ)
URLリンク(www1.plala.or.jp)


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