【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 at HISTORY
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 - 暇つぶし2ch712:月光仮面
07/04/22 08:48:42
イラン方面ではバダフシャン峡谷に産するラピス・ラスリを瑠璃とし、これをエジプトに
販売する商人としてのジプシーをルリと呼ぶらしい。欧州ではルーマニア・モルダビア
のロマをジプシーと呼ぶ。薬師というのは「菩醍時代に12の大願を立て(その中
に自分の名を聞く者を不具や病気から救うという項目がある),仏となって東方の浄瑠璃
世界の主となり,日光菩醍,月光菩醍(日光・月光)を従えている。采死の病人を救うた
めに薬師如来に祈る供養法(続命法)が行われ,また薬師経を唱える信者を十二神将
が守護するとも説かれる。別に七仏薬師(しちぶつやくし)の伝承があり,これによると
東方に次々に如来がおり,最も遠い第7の如来が薬師であるとされる。」とのこと。

713:月光仮面
07/04/22 09:04:33
バダフシャン峡谷出身と見られるのはエフタルであるが、中国では最後のルを落として
漢字表記されているようである。白いフンとも言われるようであり、トルクメニスタン、新疆
ウイグルではアブドル、新疆ウイグルではエイヌともいうらしい。
スレリンク(whis板)menu50
日本でも中国では落としたルを復活、「「ゑとりをはやくいひて、いひゆがめて―と云
へり、たととは通音也」」
朝鮮人がウェーノム、白丁とか差別する者であるとか、金印委奴国というのは志賀島に
集結されている多くの鹿の角とか、豊前、男鹿半島に残る鬼伝承の主体はこれかな
という感がある。現在ではこの正体はイラン人とする説が有力らしい。

714:月光仮面
07/04/22 09:08:21
秦氏は応神の頃に来朝する王族関係で、その中には蘇我氏の祖のようなものも入って
いたのではないかと見られ、上記のエフタル系統とは時代が違うが、行動を共にしてきた
ことはありえようか。

715:月光仮面
07/04/22 09:24:13
白村江の闘いでは日本の敵であった文武大王「われ死して東海の竜にならん」
URLリンク(www.bbweb-arena.com)
この思想の背景にも強い東方指向性がある。最近発見されたアマゾンにおける
山東省、遼東半島方面のDNAを持つ巨人王、前回の放映では棺に隼人盾の文様
があったが、こうした東方指向精神の一環かもしれないと考えている。

716:月光仮面
07/04/22 09:47:12
モンゴル・チベット方面には白いシャーマンvs黒いシャーマンと言う考えがあり、
日本で言えば神官vs猿田彦、オカメのような善悪二元論から発生したまつりごとの
ようであるが、この白いシャーマンとエフタルの白い匈奴とは全く無関係であるが
混同されることもあったのではないかと考えられる。

717:月光仮面
07/04/22 12:47:18
秦氏とは別に東漢氏も渡来している。「東漢氏の渡来伝承には、神牛の導きに従い、
中国漢末の戦乱から逃れ、朝鮮に渡ったこと、皆才芸に優れ重宝されたこと、さらに
聖王が日本におり、このままでは滅ぼされてしまうとして、渡来してきたことが『続紀』
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
注目されるのは聖王、これは神功の生んだ神の子応神天皇でないかと思うが、キリスト
生誕時に馳せ参じた東方の博士同様救世主思想、つまり、ゾロアスター教によるもので
これは当時三韓にサカ(坂上田村麿等に出てくる)イラン系騎馬民族がいたことを物語り、
ユダヤとか、景教ではないと思うのだ。ゾロアスター教がユダヤ、キリスト教に与えた
影響と言うことを考慮すべきだと思う。また、神牛の導きとは
URLリンク(en.wikipedia.org)
これは小河墓遺跡、牛頭天皇にみられるもの。ここにある菊紋の祖形のようなのが
インドに入ってこうなるのであろう。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


718:月光仮面
07/04/22 14:43:34
薬師経を作ったのはおそらく国際的な香具師
「この縁日は,都市寺院の門前町形成の大きな要因となった。縁日商人(あきんど)と
いう言葉が示すように,寺の門前には縁日になると露店を出して商う香具師(やし)の
集団が集結した。むしろ縁日に立つ市は,香具師仲間によって運営される習慣が江戸
時代末期には一般化しており,近代以降になお引き継がれた。さまざまの縁日の中で
江戸(東京)の浅草寺の縁日は,なんといってもその代表的事例である。」
「香具師はしばしばみずからを神農と称するが,その職神は薬種神の神農皇帝であり,
親子盃その他の儀式に際しては,神農の掛軸が飾られる。その組織は,営業組織とし
ての帳元,帳脇,世話人,若い衆の区分をもつと同時に,親分,子分,兄弟分の身分
的絆(きずな)によって強くつながれている。」
要するに薬師経と言うのはどこそこへ行けば何とか如来(日本語で言えば親分)がいる
から世話になって商売をするというシステムであり、香具師のお経といって良いのでは
なかろうか。12の武将等と言うのは親分に他ならない。つまり、このお経は釈尊の死後
その従兄弟のアーナンダの許可を得てエフタルの先祖のラピスラズリとか、チベットの
薬草の東方向け商売を目指す集団が作ったものと考えるのが自然である。このお経が
成文化する以前から構想は存在し、それが大和の太市におけるスクナヒコナの神となる
のであろう。

719:月光仮面
07/04/22 14:51:30
しかし、これはまた、西方から中国の農耕文明に到達した白人族がとっかかりがなく
商業、農業の管理、補助的分野にもぐりこむために今で言えば第3次産業的分野に
進出したと言うことかもしれない。

720:日本@名無史さん
07/04/26 08:49:04
羽田さんはいつもハタと言ってにごらないと言ってましたが、これはヤハダでないという意味か。

721:日本@名無史さん
07/04/26 09:04:16
>>717
URLリンク(www.narahaku.go.jp)

奈良の五条の猫塚から、
このようなエフタルの冑とも言われるのが出土してるし、
地域的にも時代的にも東漢氏の一派かもしれませんね。

722:日本@名無史さん
07/04/26 11:05:13
DE*YAP+遺伝子から見た(下の方)、中東→中央アジア→日本、日本人のルーツ
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)
タジク人(上のアイヌ人にそっくり)
URLリンク(www.travel-images.com)
サマルカンドで会った、沖縄のお婆親子です
URLリンク(homepage2.nifty.com)

723:日本@名無史さん
07/04/26 11:56:43
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5~6Cに来た半島帰化人が合せて
2~3000人くらい。

半島帰化人の総数は7~8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。

724:日本@名無史さん
07/04/26 13:38:16
DE*YAP+遺伝子を持った民族は不思議と、ユダヤ、旧約聖書、臭がする
のは何故??

725:日本@名無史さん
07/04/26 16:53:01
YAPはアイヌだから1万年以上前に中東から日本に移動したのでユダヤとは関係ありません
その後に渡来して来た弥生人はチベット人になる

726:日本@名無史さん
07/04/26 17:03:59
何がチベット人だよw
好き好んでそんな偏狭に住んでんのかチベット人はw

元は別の場所いたんだろ、恐らくw

727:日本@名無史さん
07/04/26 17:42:40
前秦、後秦、を起こした民族がチベット、チベット系テイ人だと
言われてる。秦氏はチベットと繋がりが有るかもしれんな、
ちなみにチベット系の民族が、ユダヤの子孫認定されてるしな



728:日本@名無史さん
07/04/26 20:17:56
>>726
遺伝子を解析すれば日本人とチベット人は近いんだが

729:日本@名無史さん
07/04/26 20:45:45
チベットは当初は海岸沿いの平地でしたがインド大陸が下にめり込んで持ち上げられて
いやいや高地になってしまいました。

730:日本@名無史さん
07/04/26 21:19:14
HLA的に見ると、
縄文人がチベット人や朝鮮人に近く、
弥生人がモンゴル人に近い。

731:日本@名無史さん
07/04/27 02:56:36
>>725
縄文のYAP+は約4000年前でしょ
ユダヤ人のYAP、イラク人のYAP、日本人のYAPがあって
その中間のシルクロードにYAPがないのは、最初から日本を目指していたためか。
縄文人は消えたシュメール人の末裔か、出エジプト以後に日本に来た集団があったか
そういえばシュメールの遺跡から遮光器土偶にそっくりな人形が見つかっている

732:日本@名無史さん
07/04/27 06:53:24
>>728
そこを基点にするなっつうことだよ。
共有する起点がかって、他にあった。

大陸側の今の現状を基点にしようとする、悪い癖だw

733:日本@名無史さん
07/04/27 08:11:19
>>731
4000年前以上に日本に住んでたのは何人なんですか?

734:月光仮面
07/04/27 09:14:19
日本のYAPはチベットの亜流のようですね。約12000年前、すなわち、ちょうど
旧石器から縄文の始まる頃に来たものでしょう。ユダヤとかブッシュマンのは
これとは違うが、時代的にはほぼ同じ頃のようです。この頃はヤンガードリアス
という超寒冷気候でアフリカへの逆流等もあったのかも。また、インド・ビルマ
南方海中のアンダマンにもYAPがあり、やはりアフリカからベンガル湾チベット高原
等へと潮干狩りをしながらやってきたのかなー。

735:月光仮面
07/04/27 09:20:42
>>721
サムライの先祖、おまわりさんの先祖はこうした北方系かもしれませんね。それと
イジメは子供の間でも伝播しますから、埴輪のような無邪気な連中が次第にサムライ
みたいなもののシステムで下に置かれるという形でも発生する可能性はある。これは
騎馬民族説などでも言えることで、100%渡来によるものというのではなく、風習、
差別の思想が伝播するということもあると思います。

736:月光仮面
07/04/27 09:32:54
>>731
>シュメールの遺跡から遮光器土偶
YAPの推定される南回りコース上にあるともいえますね。多分、太陽崇拝用の道具
でないかな。

737:日本@名無史さん
07/04/27 09:51:23
HLA的に経路を見ると南回りは完全否定される。

北回りなのだが、シベリア経由ではなく、ゴビ砂漠経由になる。

738:日本@名無史さん
07/04/27 10:10:03
YAPとHALをごっちゃにして、都合よく語るなやw

739:月光仮面
07/04/27 10:13:34
>>735
モンゴルの兜
URLリンク(members.tripod.com)
URLリンク(photos.bravenet.com)
15世紀のトルコの甲冑
URLリンク(i4.photobucket.com)
URLリンク(i4.photobucket.com)
URLリンク(i4.photobucket.com)
URLリンク(i4.photobucket.com)
見比べてみると出土品はトルコではなくモンゴルということのようで、世界でも
最も古いモンゴル兜が日本に入ってきたということになりますね。


740:月光仮面
07/04/27 12:15:52
>>737
時代的に古い時代は潮干狩りコース、新石器農業革命以降には農耕牧畜に適した
条件を求めての移動ということでしょうかね。

741:月光仮面
07/04/27 12:17:56
あ、そうだ、マンモスハンターの移動等もあるし。

742:月光仮面
07/04/27 13:42:29
原アジア人の移住
URLリンク(kennethomura.tripod.com)
アジア人は全てインド亜大陸出身である
URLリンク(kennethomura.tripod.com)
日本人は東欧からの拡大が北海道へ、
朝鮮半島から、
東南アジアから
URLリンク(kennethomura.tripod.com)
アジアはインド、中国東南アジア、シベリアと三つに分かれているが
最初にインドから中国東南アジア、これがシベリアに北上、日本には
東欧方面から、朝鮮半島経由来たものもいる。
URLリンク(kennethomura.tripod.com)
この見方ってなかなか進んでいると思う。
URLリンク(kennethomura.tripod.com)

743:日本@名無史さん
07/04/27 15:00:38
本に古墳からインド語が発見されたと書かれてたけど本当ですか?

744:日本@名無史さん
07/04/27 20:05:57
>733 外人
>735 むかしニワトリを50羽ほど飼育してたときは、必ず1羽がイジメられてこつかれて
内蔵が飛び出すほどイジメにあって死んでいくので、閉塞感がイジメの原因物質と思われる。

745:月光仮面
07/04/28 08:01:47
>>744
現在イジメは世界的現象であるし、多数の動物群においても発生する。その反面で、
インドに侵入したアーリア族とか、ギリシャに侵入するペルシャ軍とかは階級制をとる。
秦氏が侵入した百済においてもこうしたカースト制度があり、その制度を保ちながら
日本に入ってきたと言うことはありえる。稲作社会では必ずカースト制度化というと
東南アジアなどではそうしたこともなく、日本だけに士農工商等があるのはやはり
果たしを含む集団にカースト制度があった、つまり、インドイラン時代の残滓があった
と考えられる。

746:月光仮面
07/04/28 08:11:16
逆に言うと稲作が始まって約1000年、古墳のような身分差は発生しておらず、魏の
遣使が倭国で目撃したのは、大人と下戸という極めて原始的な身分制度で、つまり、
それはまさしく古墳時代の始まる寸前の頃なのであろう。神官、武人の身分が確立する
のは古墳時代を経て神社仏閣時代に入る頃のことでなかろうか。そして、それは稲作と
言う単一栽培種文化に新参参入者が入り込むための方策でもあったのだろう。

747:日本@名無史さん
07/04/28 23:37:10
虎杖(コジョウ)トーラの杖?=イタドリ(痛みを取る)イタドリ、イタンポ、スカンポ、等々
=タジヒ、タージ、(蛇、蝮のことも言う)=多治比、丹治比、丹比、多遅比、
1、タンジ、タジ、丹波、但馬地方のイタドリの呼び名、但馬もタンジからと言われる。
2、タジク人「タージ」、中国人は「大食」と記しペルシャ人はアラブ人をこう呼んだ。
3、杖と蛇、モーゼのアロンの杖を連想する、多遅比は応神朝の地元、反正天皇の名。
4、但馬と言えば丹後の間人(タイザ)聖徳太子の母「穴穂部間人(あなほべのハシヒト)」
波斯人(ハシヒト)ペルシャ人、 虎杖は大和言葉で「復活」を意味するらしい。
5、アイヌ語でイタドリの群生地をクッタラ倶多樂(北海道の倶多樂湖)百済??
なんか中東、ユダヤ、旧約聖書を連想するな、列島には中央アジア人多かったのかな?


748:月光仮面
07/04/29 07:49:06
タジク人の解釈ではアヴェスタ原典の「王冠」を意味するタージ、あるいは、
商人を意味するトジルのいずれかが語源であろうとしている。ラピスラズリ
商人発祥の土地柄であり、いい線ではないかと思う。エフタルと言うのは、
中国人は高車丁零、つまり、チュルク系の同類と見ていたようである。
朝鮮人には胡を嫌う風潮があり、白丁はこれから来ているのかもしれないが、
日本ではユーラシア各地の要素が集まりさらに間違いが起きている可能性もある。
基本的にいえることは高温多湿の日本的風土において砂漠、乾燥地帯の生活風習が
衛生上極めて危険であったと言うこともあるのではないかと思われる。

749:月光仮面
07/04/29 08:07:51
犬神人というはローマ人の風習であり、ローマ建国者はパラチネの岡に北方火葬墳文化
地域から侵入してきたもので、狼に育てられた双子の神話を持つ。この原点はチュルク、
タタール系である。又エジプトでも活躍しているようである。このローマ文化が新羅経由
日本に入り、敦賀から上陸して京都に入ったものと考えている。

750:月光仮面
07/04/29 08:10:39
秦氏の歴史と言うのは欧州、インド、中国を創造した人々の歴史であると言う点で
重要なのであるが、宗教の起源という点でも重要と思う。

751:月光仮面
07/04/29 08:24:52
話が変わるが豊川稲荷の狐と言うのはどう見てもエジプトのイヌビスである。仏教とと
もにダキーニというヒンドゥの神話に出てくるものに変えられるが、その昔はエジプトの
シリウスの神で、タタールが持ち込んだものと見ている。田の神、つまり、天神の使いの
犬神と見ればいいのである。狗奴国とはまさにこの辺のことなのである。

752:月光仮面
07/04/29 09:20:31
ローマの初午に似たものにルペルカリア祭りがあるが、犬神人はローマの旧都心城壁
を「ツルメソ」の弦のごとく犬と山羊の生贄からとった弦を継ぎ合わせで縄張りする。
また、この弦で娘のしりを打って祝うとのこと。

753:日本@名無史さん
07/04/30 11:01:34
平等社会がくずれてきてるのでイジメが繁盛してきてるわけですね、そこで
階級制度を入れれば無用なイジメはなくなると言うことですね。

754:月光仮面
07/04/30 13:21:16
米国なんか苦労して平等社会を維持しているようですね。でも、日本人にはそんなに
住み易くはないんじゃないのかなー。いじめと言うのは受験地獄、競争地獄の社会に
与えるひずみですね。しかし、イジメ、競争のない理想社会には経済成長はない。この
ひずみのガス抜きをして、社会を正しい方向に向けるのが難しい。政党の真価が問われる。

755:月光仮面
07/04/30 13:46:23
秦氏は原始ミトラス教を奉じ、パルティア国に敗退したローマ帝国(太秦国)軍団の
兵士が中核でしょうが、中央アジア、アルタイ、甘粛、百済、新羅と数奇な運命の中で
古代の犬戎以来、犬狼トーテムのチュルク系と同一行動をとる、つうか、エフタル等は
下層階級に置いたのではないかと思われます。
秦氏と犬狼トーテムのチュルク系の関係を非常によく表すものは、
「欽明が幼少のおり、夢に人が現れ、「秦大津父(はたのおおつち)という者を寵愛す
れば、壮年になって必ず天下を治められるでしょう」と言った。 使者に捜させると、
秦大津父は山城国紀郡の深草の里にいた。 欽明が彼を呼び寄せると、彼はこんな
話をした。 伊勢より商売をしての帰り、山で二匹の狼が闘っているのを見ました。私は
口手を洗い禊(みそぎ)して拝み、あなたがたは尊い神でいらっしゃるのになぜこんな
荒々しいことをなさるのですかと言って争うのをやめさせ、血を拭いて放してやりました。
 欽明は夢のお告げ通り、秦大津父を手厚く遇し、秦大津父は大いに富を重ね、欽明
即位後は大蔵の司に任じられた。」
URLリンク(homepage.mac.com)
犬狼トーテムのチュルク系のうちの没落したものが秦氏の下で犬神人となるのであろう。


756:月光仮面
07/04/30 13:56:01
しかし、秦氏の優秀な経営、産業振興、商業能力にはローマ軍人、チュルク兵士など
には見られないものがあり、非常に歴史の古いユーラシア商人の血筋が残っている
ようです。

757:月光仮面
07/04/30 16:34:32
>>751
古代エジプトの神名はクルド語で解読可能なものが多いらしいが、クルド語では
ギリシャ語のシリウスもサ(犬)レア(道)、と読め、現在でもバシコルド語にはサリア
という女性名がある。また、ソポデトというのはエジプトのシリウス星の神であるが、
これはクルド語のサ-犬、ペ-水、デト-捧げる女と解釈され、このソペデトは洪水、清流、
来る年の神としてあがめられると言われるが、日本語の瀬織津姫はシリウス姫とも読め、
五十鈴川の清流にいます、天照大神のアラタマで、なぜか悪神とされる。そして伊勢湾
を渡ると豊川稲荷があるが、ここの狐はエジプトの黒い犬のようだ。黒い犬はエジプト
ではインプ、冥界の王であり、ギリシャ語ではアヌビスと呼ばれる。しかし、犬という点では
シリウスとつながり、どうも瀬織津姫がアマテラスに変えられる際に伊勢湾の彼方に追
われたのではないかと言う気がするのである。

758:月光仮面
07/04/30 22:09:13
世界の神話は天が男性、地は女性であるが、エジプトとウラルのバシコルド族は天が
女性で地が男性(バシコルドでは蒼穹が男性で空は女性)。バシコルドには犬は天を
呼ぶという伝承がある。他方、エジプトでは雨は降らず、大犬座のシリウスが昇ることに
ナイルが増水する。従って古代からのエジプトとバシコルドのつながりにより、シリウス
の女神ソペデトが水を与える女神となったとのこと。つまり、アマテラスが女性であり、
瀬織津姫がそのアラタマであると言うのはずばりエジプト-バシコルド神話体系によって
説明が付く。伊勢湾周辺は狗奴族、つまり、バシコルド族の国ではなかったであろうか。

759:月光仮面
07/04/30 22:13:59
犬は雨を呼ぶが、誤って、天を呼ぶとなっており失礼。犬はブリザードの接近も
予報するそうである。

760:月光仮面
07/05/01 09:45:59
しかし、シリウスというのはギリシャ語であり、エジプトではオシリスに変わっていた。
これがオシラサマ、ギリシャ語のシリウスが瀬織津姫となるのは秦氏の中にいた太秦
系が旧ギリシャ系中央アジア方面から持ち込んだと考えて見たい。

761:月光仮面
07/05/01 12:14:21
狗奴国を建設したのは貊族でなかろうか。太秦ミトラス(マダラ)教徒である、秦氏の
第一波であるツヌガアラヒトとともに北陸に上陸、木曾から伊勢・三河湾方面に向かい
狗奴国を建国したのであろう。

762:月光仮面
07/05/01 15:08:01
古代ローマ
次にに生贄の饗宴があり、その後「狼兄弟神官」は犠牲獣の皮を切って弦を作るのであ
るが、これがフェブルア(2月のふぇブラリーの語源)と呼ばれ、「狼兄弟神官」は「浪
人間」を真似て犠牲の山羊の毛皮を身にまとい、パラチネ古城壁を駆け巡るが、その
城壁跡には目印の列石が置かれ、弦を手にもって二手に分かれ、見物の群集をそれで
打つ。娘と若い女は彼らの通り道に並び、これらの鞭打ちを受ける。これは女性が子宝
に恵まれ、不妊を防ぎ、安産をもたらすと信じられている。この行事は(キリスト教の
影響を受け、春に行われることとなって)イースター・マンデーの鞭打ち等として生き残って
いるようである。
富山県
しりうち‐まつり【尻打祭】
富山県婦負(ネイ)郡の鵜坂神社で、もと五月一六日の祭日に、神主が祝詞を唱え、
一郷の婦女にその年に関係した男の数をいわせ、榊(サカキ)のむちでその数だけ尻
を打った行事。
キリスト教の影響を受けたのであろうか。

763:日本@名無史さん
07/05/02 10:17:19
宮本常一の民間暦でも尻打ちの行事が取り上げられていたような。
北部九州地方では、藁を束ねたもので娘衆の尻を叩いて廻るとか。安産祈願らしいが。
ところで、尻打ちはシリウスに引っ掛けてるのですか?

764:月光仮面
07/05/02 10:55:26
梢園社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)に従って天下りした牝牡2匹の白犬の
末裔が人間と化し,犬神人の祖となる。犬神人,弦売僧,弦女曾,弦練作,弦召、
〈弦懸(つるかけ)、犬神人は路上に座して弦を商い,〈つるうり(弦売)〉と呼ばれ,
〈つるめし候へ〉と売声を発している。越前気比神宮、京都祇園社にいた。・・・
東京等でも正月の前には注連飾りが売られるがよく似ている。これはローマの
ルペルカリア行事と似ているので、富山のしりうちは本来弦乃至は縄の類で
打ったのではないかと思う。牝牡2匹の白犬とは狛犬の起源でシリウス信仰の
名残り。牛頭天王はマダラ神とも関係し、これに犬神人が随伴するのは4000年
前からの慣習であろう。・・・と考えてますが。

765:月光仮面
07/05/02 12:08:35
牛と人間の関わり方ですが、
(1)牛の頭に魔よけの効力を認めるもの。
アルタイ、日本、タイ、ルーマニア等の千木、鬼瓦。小河墓遺跡ミイラ
(2)牛を崇拝するもの。
インド、ヒンドゥー教
(3)牛を殺して神に捧げるもの。
ローマ、小アジアのミトラス教、秦氏のマダラ神、スペイン等の闘牛、日本韓国の牛相撲
にもその痕跡が残るのかも。
こういう風に分類して見ると、秦氏のマダラ神はローマ軍団のミトラス教から出ており、
祇園社の牛頭天王は小アジア方面の魔よけから出ているのではないかと思われます。

766:月光仮面
07/05/02 13:02:00
>>761
貊族とは後漢書東夷伝ワイ伝によれば、「その習俗は山川を重視する。山川には各々
区域があり、妄りに干渉する事は許されない。同姓は結婚しない。忌諱が多く、病人や
死者が出ると、その度に旧宅を棄てて新たに新居を建てる。麻の栽培・養蚕・綿布の
製造を知っている。星宿(星座)の観察に明るく、その年の収穫の多寡を予知する。
毎年、十月に天を祭り、昼夜に渡って酒を飲んで歌い踊り、これを舞天と呼んでいる。
また虎を祀って神としている。」ここに言う「星宿(星座)の観察に明るく、その年の収穫
の多寡を予知する。」というのがバシコルドのアミン・ベクがユダヤのヨセフ同様エジプト
王朝の宰相に登用された所以である。アミン・ベクは発音がアメノヒボコと似ている。

767:日本@名無史さん
07/05/02 21:45:01
こま犬ですわ、前から気になってるこま犬、流行でどこの神社でも置いてるのか
訳があって置いてるのかが

768:月光仮面
07/05/02 21:46:46
>>761
八坂神社の真弓宮司は『新撰姓氏録』八坂造の項に「狛国人の之留川麻乃意利佐
(シルツマノオリサ)」とあり、「春川には古くから狛国があった」ことを指摘されておら
れる。 斉明天皇二年に来日した狛人81人は春川の狛人ではないかとの仮説を出さ
れている。三韓覇権争いの地であり、その頃の高句麗の南下で、狛人の亡命が想定
され、それに該当するとの見方である。
URLリンク(www.kamnavi.net)
秦氏の牛祭りを見ても解るように、牛との関係があり、春川においても、狛国人を下部
組織としていたのではないかと思われる。その後彼らは次第に新羅方面へと南下し、
敦賀に正式に上陸する。そのときとんがり帽子、バシコルド、サカ、サルマート、ミディア
人のごとくかぶり、これを見た倭人は角のある人といったのか、あるいは、秦族がトカラ
人であるといったのかではないかと思う。



769:月光仮面
07/05/02 21:58:19
>>767
小アジアで牛頭を鳥居式に固定する風習があり、狛犬はこれとセットになっている
感じですね。牛頭天王の守りと言う役割でしょうか。
>>755 秦大津父が欽明に言う二匹の狼というのは「最近軍部が乱れておりまして」
といった引っ掛けのような気がしますね。

770:月光仮面
07/05/02 22:11:00
エーゲ海の小アジアトロイに近い大きな神殿サモトラキ
URLリンク(en.wikipedia.org)
ここに牛頭天王、八坂のシンボルがあるが多分これを基にしてローマ人
である秦氏が鳥居を流行らせた。これに貊族が乗り込んで狛犬を作った
URLリンク(en.wikipedia.org)
というのが正解でしょう。



771:日本@名無史さん
07/05/02 22:38:04
推論や考古学などを述べてるけど
これだけ科学技術が発達してるから
DNAでも何でも調べれば簡単に分かるんじゃないですか?

772:日本@名無史さん
07/05/03 01:28:33
スレを読み返せ

773:月光仮面
07/05/03 07:22:03
秦氏は白人系だけでもローマ、イラン(サカ)、アナトリア(ハティー)、古欧州等が
入っている非常に大きく、数千年の歴史的広がりを持つ集団と考えられます。
そして、日本国内でも南西諸島から利尻礼文・オホーツクにまで広がったと見られ
ますが、どちらかと言うと内陸よりは沿岸部、つまり、後発ですから内陸は先着または
先住者に抑えられていたのではないでしょうか。中央に進出したのはエリートでしょう。

774:月光仮面
07/05/03 10:35:25
日本列島に居住する帰化高句麗氏族の代表的な氏族名
URLリンク(www2.odn.ne.jp)
基本的に高句麗/ワイ貊、百済、新羅は半島原住民、櫛目文土器文化人ではなく
ウラル・アルタイ草原地帯の出自であり、一部は現在の半島人の中にも遺伝子を
残しているが基本的にユーラシアを移動した民族と見るべきであろう。しかし、逆に
櫛目文土器時代のネイティブ朝鮮人がフィンランド東部まで進出したと言うことも
ありえる。時代は変わるが相互乗り入れのような関係も考えられよう。ローマに
侵入した北方印欧語族はウラル・アルタイ系犬神人が随伴していたという可能性は
ウラル・サマラ川で井戸に投げ込まれた犬の骨を調査した米国考古学チームの
推論である。

775:日本@名無史さん
07/05/03 15:37:56
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)


宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
URLリンク(home.att.ne.jp)
URLリンク(youtube.com)

776:日本@名無史さん
07/05/03 15:42:49
宝来mtDNAデータのトリックとその欠陥を簡単に説明してやると、

朝鮮半島にしろ中国大陸にしろ、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、データの中に北方アジア人に関するタイプの
データが一切出てこない。

しかも、調査サンプルにも北方アジア人のサンプルが一つも無い。

つまり、宝来mtDNAデータは、北方アジア抜きの偏向調査で出された単なる
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの非常に悪質極まりない欠陥データに過ぎないのである。

777:日本@名無史さん
07/05/03 17:30:43
日本の城を見たときはこれは日本人が作った物だと感じるけど
古墳を見た時はこれは西洋人が作ったのかと思った
なんか長さが正確だからね

778:月光仮面
07/05/03 18:24:03
古墳・飛鳥・奈良時代に渡来した多くの西洋人系は優れた文化を残したが、そのDNA
は残っていない。彼らに随伴してやってきたモンゴル東部・南部の現在のブリャート人
のDNAは日本全国で生き延びた。

779:月光仮面
07/05/03 18:46:35
現在日韓両国に残る高句麗、百済、新羅の武人の末裔の先祖、特に、三河、関東
武士の先祖はかつてユーラシア、中近東を席巻したモンゴロイド系騎馬民族の名残
だと思う。

780:日本@名無史さん
07/05/03 20:14:41
コネがなかった新羅系が関東に追放されたのでそこで自由にワザを磨いた。

781:日本@名無史さん
07/05/04 05:26:26
出雲の邪視紋銅鐸てメソポタミアやエジプトの太陽と翼のマークに似てるな

782:日本@名無史さん
07/05/04 10:40:29
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)

(2) 秦氏によるユダヤ文化の導入:
ここで、最も驚くべきことは、大和朝廷を建て上げるために天皇家を大いに助けた秦氏一族は
クリスチャン、しかも、ユダヤ教的な(あるいは、ユダヤ人の)、しかも、原始キリスト教徒(一部、
景教徒も含む)であったことである。それは、秦氏が設立にかかわった宗教的な建物や習慣に、ヘブラ
語や旧約聖書の儀式・慣習といったユダヤ性だけではなく、新約聖書からの教理や教えが、
秦氏が渡来した初めから含まれているからである。

783:日本@名無史さん
07/05/04 10:58:11
URLリンク(daioh3.typepad.jp)

秦氏建立の伏見稲荷の神輿は、
二人のケルビムを表してるようで興味深い。

784:月光仮面
07/05/04 13:49:41
秦氏が本来持っていたのはマダラ神、ローマ軍団としての宗教、秦氏は来日後
インテリ集団として遣唐使から唐の最新情報等のインプットを受け、国史編纂等に
協力したのであろうが、景教の洗礼を受けたのであればマダラ神は捨てたであろう。
宗教のプロだったんだと思うが。

785:月光仮面
07/05/04 14:24:30
秦氏は宗教専門家として、新興宗教などには極めて反動的であったものが、景教に
対してガードが甘いのは、当時の唐の国策が 当初はこの教えを波斯経教,その寺院
を波斯寺,つまりペルシア人の宗教とよんできたが,発生の地がペルシアではなく
大秦国であることを知り,745年(天宝4)には詔によって波斯寺を大秦寺と改めること
になったと言った事実が遣唐使によって朝廷にもたらされた結果、ローマ帝国代表部
として景教に変えたほうがいい等と言う思惑もあったのだろうか。

786:月光仮面
07/05/04 15:36:39
伏見稲荷は多分貊人(エジプトでは犬族ハビルと呼ばれたもの)の社であり、ヘブライ
というのもこの言葉から来たが、イスラエル・ユダヤよりは歴史が古く、創世記のヨセフ
の話はハビル族のものであった。ローマにラテン人とともに侵入したのもこれであろう。
シリウスを見てナイル増水の時をエジプト人に教え、ファラオとチェッカーの賭けに勝ち
国を貰ったと言う伝承も持っている。ちなみに、ブラジルに到達した文明はアマゾンの
増水を昴で予知した。そして翡翠にこだわり、隼人紋で棺を飾っている。これも同一
民族ではないかと思われる。アルタイの石碑に描かれた神像からは星座の運行によって
宇宙の未来を予言しているそうであるが、例えば日本のキトラ古墳等にもこの影響があ
るのではかと思われる。


787:日本@名無史さん
07/05/04 15:41:01
>>778
子孫が一人もいないって極端すぎて論にならないよ

788:月光仮面
07/05/04 15:44:50
日韓にはいないんだが、中国にいるんだよ。

789:日本@名無史さん
07/05/04 16:15:59
>>788
何がいるの?

790:月光仮面
07/05/04 16:30:58
遺跡付近のいくつかの村で、多くの人々は鼻が高く、目のところの彫りが深く、髪は
天然パーマで、頭髪、ひげ、体毛が皆ブロンドであり、体格ががっちりしていて、
まさしく地中海地方の人々の外見的特徴を持っていることを発見した。三十九歳の
宋国栄さんもその一人である。宋さんは身長が一八二センチあり、鼻が高くて顔の
彫りが深く、肩までの長髪はブロンドでカールしている。宋さんの話では、この一帯
には同じような容貌の人が百人近くはいるという。この村の宋一族の長老は宋さんよ
りも背が高く、青い目をしている。子供が何人かいるが、皆ヨーロッパの子供と全く
同じで、肌は白くてブロンドのヘアーである。
祭祀(さいし)の時に用いられる。この一帯の村々では、村役場や主な道つじに
「牛公廟(ぎゅうこうびょう)」が建てられ、また牛の頭をトーテムとしている。
毎年立春の前に村人たちは川から泥を取ってきて、牛公廟の中に「春牛」を造る。
立春になると、人々は春牛を廟の外に引っ張り出して粉々にたたき壊し、幸運と
五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。また、地元の人々がもっとも楽しみにしている
「抵牛(角突き)」と呼ばれる行事もある。毎年この行事の日になると村人たちは
牛の群れをかつて牛を殺したことのある場所へ追っていき、牛たちは血のにおいをかい
で狂ったようになって、互いに角を突き合わせてぶつかり合うようになる。こういった習慣
は今でも続けられており、専門家たちの話によると、これはまさしく古代ローマ人の闘牛
の遺風を受け継ぐものであるという。

791:月光仮面
07/05/04 16:32:14
闘牛は日本各地でも行われている。新潟では牛の角突き、隠岐では牛突き、宇和島で
は牛相撲とも呼ばれ、鹿児島県徳之島では牛オーシ、そして当地沖縄では牛
オーラセーと呼ばれる。
URLリンク(www.geocities.jp)

792:月光仮面
07/05/04 16:42:10
このローマの連中が新羅に入るのは最も早くて後漢、月氏/トカラ人ルートに乗るもの
だろう。斎明の頃のトカラ人が作ったというローマ風建築は彼らの手によるものと見て
よかろう。しかし、こんなローマ人、ミトラス・マダラ教はグローバルな秦氏のスケールの
ほんの一部であり、問題は伏見稲荷の犬神様。これこそエジプト、ローマを生んだもの
に関係し、今や中南米、アマゾンにまで関係するのではないかと見られる。

793:日本@名無史さん
07/05/04 17:19:57
白人の子孫でも4世代まで来ると現地人と混血して普通に黄色人に見えたな

794:月光仮面
07/05/04 17:25:01
多分イスラエルは最も古い牧畜の民でエジプトでも何かと神官めいたことをやって
いたが、本物の農耕牧畜のプロはウラル・アルタイにいた犬神族ハビルだった。
これは天文観測のプロであり、気象変動の予測も出来た。イスラエルはハビルを
詐称し、エジプトに取り入った。そして犬神族をカビルとして聖書を作り上げた。
つまり、新石器農業革命後は犬神族が、つまり、秦氏の方がイスラエルの上位に
あったのである。ヨセフの話は秦氏の話を盗んだものであろう。

795:月光仮面
07/05/04 17:31:46
先着のトカラ人と血縁関係を結んだから純潔種が保たれたんだろう。

796:月光仮面
07/05/04 17:42:47
しかし、犬神族の行くところにはイタリアのマフィア、ロシアの秘密警察、欧州の秘密
結社ありで、エジプト人には蛇蝎のごとく嫌われていたと言う説もある。いいところ
だけではないのである。

797:日本@名無史さん
07/05/04 20:37:05
倭国には牛や馬がいないと書かれてるので、沖縄から入れた牛が黒牛の和牛ですよね。

798:月光仮面
07/05/05 07:45:30
お稲荷さんは趣旨から言っても明確に農業、つまり、田を守る神であり、聖書が
牧畜の民ハビルを上位におくのとは対称的である。そして犬神族はナイル川増水の
シリウス、大犬座を神とする。しかしその神学は極めて高度な天文観測とデータ保持
能力を基礎にしている。このインテリジェンスこそ犬神族とイスラエルの、ハビルと
カビルの差である。であるから、ナイルに加えて、ドナウ、ドニエプル、黄河、長江、
インダス各流域の農業経済を天文学的に予測しながら交易を繰り返したのが犬神族
であり、そのルートに商品としてラピスラズリ、青銅、鉄が加わって行く。ハタ、ハティー、
ヘト、ヒッタイトと言うのはこの辺の事情によるのであろう。神武が何百万年の思考が
出来るのは彼が遺伝学者であったためではなく、彼は宇宙の運行をそのくらいの
単位で読み取れる天文学者集団の助言に基づいていたと言うことであろう。しかし、
星座の観測に加え、太陽のコロナ、フレア等の観測による長中期気象予報を行った
可能性もある。


799:月光仮面
07/05/05 07:57:48
銅鐸というのは殷の時代の中原方面から発生し、綏遠、三韓、吉野ヶ里、出雲と移動し、
終には三河・遠州にいたり、三遠式となる。この三遠式銅鐸に青銅原料を供給した集団
がどうもオルドス、遼寧と移動をした青銅器文明担架者だと思われるが、彼らは飛騨
高山の鉛資源の取引を行っていたのではないかとも考えられる。あるいはこの資源の
ために大陸から移動してきたのかもしれない。弁辰に鉛御津と読める国がある。富山
の滑川は鉛川ではなかろうか。

800:月光仮面
07/05/05 08:04:40
ユダヤ、ゲルマンが伊勢神宮を見てショックを受けるのはエジプトから欧州を
席巻した古代の神の姿を見るからだと思う。

801:日本@名無史さん
07/05/05 09:07:40
犬もこまいぬでないとあかん理由は日本の犬が雑種しかいない時代だったのでしょうか。

802:月光仮面
07/05/05 09:56:23
>>798
この犬神族はナイルを越え、ニジェールにも入っているようである。これはエジプトから
派生したものかもしれないが、アルタイで宇宙終末・再生を記述するような恐るべき天文学
知識は持っているようだ。
URLリンク(www.fitweb.or.jp)

803:月光仮面
07/05/05 10:08:54
>>801
力道山の愛弟子、アントニオ猪木が将軍様(綱吉ではないが)のお犬に触れることを
許可されたのを見ると、秋田犬系統。『後漢書倭伝』には、「会稽の海外に東魚是人
あり。分かれて二十余国となる」のくだりがありというのに出てくるのは土佐犬のような
マスチフ系統。ハンガリーに侵入するマジャールはこの両方を従えており、チベット
族は北方草原から南下したことを物語る、つまり、ハンガリーに入るチベタンマスチフ
は東トルケスタン方面が原産ではないだろうか。そして、土佐犬、尾長鳥、闘牛から
察し、東魚是人とは豊前、延岡方面にまで達した状態の北方系であり、その後宇和島
から高知に入ったものと考える。月山神社、裸での水垢離等は九州北部、岩手等と
共通し、牛馬の文化を感じる。

804:月光仮面
07/05/05 10:40:11
>>802
YAP発祥の地アフリカに倭人そっくりのメンタリティーを持つ民族がいたことは不思議
であるが、彼らの言う異星は天白星」、箱舟は河内物部の磐舟、ピラミッド内部、アララト
山に残っている。

805:月光仮面
07/05/05 14:00:29
>>775 >>776
YAP-Dは日本とチベットに共通で、チベットの方が日本のよりは老舗らしいが、ハンガリー
に移住するマジャールの連れるチベット犬、タングートのチベットへの南下等は歴史
時代の出来事。一方日本の遺伝学者はYAPは縄文人のものとの主張を国際的に
貫いている。しかし、日本は酸性土壌で縄文人の遺伝子サンプルからの立証は不可能。
では、なぜ、日本のYAPは縄文人なのであろうか。これは日本の遺伝子学者が脳内の
勝手な史観に基づいてこじつけたものとしか思えない。こうなると科学ではない。
もし、チベットを初めとするYAPの原郷が中国西部にあるとすれば、秦氏の動きと
一致し、YAPが中国に残っていないと言うことは秦氏は日本人に他ならないというこ
とになり、チベットから雲南にかけての日本人に風貌の似た人種とか、アルタイ系言語
を話す民族は日本人の忘れ形見ということになる。

806:月光仮面
07/05/05 14:16:27
コイサン、ユダヤ、アラブ等のアフリカYAPからチベット・日本YAPが突然変異で分岐
するのは12000年前の頃だと言う。ヤンガードリアス超過冷時代、縄文土器、細石刃
の時代であろう。一方、YAPは発明力に富んだ優秀な特性があり、アフリカ、アジアの
変化がおきるのはレバントとバイカルの中間の辺りかなーと言う感じがする。超古代の
シルクロードであったのかもしれない。

807:月光仮面
07/05/06 13:18:46
>>786
イェルサレム市エジプト代官はエジプト宗教改革ファラオ・イクナートン(1419-1400 BC)
URLリンク(www.alpha-net.ne.jp)エジプト社会と宗教改革.htm
(天照構想は貊人のものかもしれない)
に提出した楔形文字報告書に「ハビリ」が初出。代官がファラオに書いたのは「ハビリ、
ことカルブ・ハルキ」は次々と都市を陥落させております。ということであるが、別分
では「ハビリ、ことカルブ・ハルキ」は、イェルサレム市を全ての都市陥落に成功したと
あり、もうファラオに支援要請を出していない。これら書簡から明らかなことはファラオ・
イクナートンが部下の報告になんらの反応を示していないとされる。疾如風、徐如林、
侵掠如火、不動如山を地で行ったものであろう。 このハビリはバシコルドと自称、
ハシは「頭」、コルドは「狼」、狼族の首脳国とでも言った意味だろう。これが高句麗
となり、貊人はこれから出る。

808:月光仮面
07/05/06 13:24:42
アルタイ学会は高句麗がアルタイから発して朝鮮半島に入ったものとしている。
KHUR、布留はタラシの意味であるが太陽のという意味で匈奴が媒介したものと言う。
朝鮮半島では高句麗、孝霊となったと言う。これが日本では高倉神社、高倉下、高良
大社の言葉に埋め込まれていると考えられる。
また太陽は鹿が角に挟んで運ぶことから、鹿で表現されることも多いらしい。エジプトの
影響であろう。

809:月光仮面
07/05/06 14:07:37
伊勢遺跡の近所には勝部神社という拝火教的行事があるが、1600-1700 B.C.バシコル
トスタンの近辺にあったアルカイム遺跡は伊勢遺跡と似ている。アルカイムも人為的に
火を放ち立て替える習慣があったとされる。
URLリンク(www.krasn.ru)
天孫が、式年遷宮を開始したのはここではないかと思われる。
三種の神器の八咫の鏡を作ったのは↓
URLリンク(shrine.s25.xrea.com)
日本書紀神代、国譲り一書の2に出てくるヨット、マリーナ、勝鬨橋を出雲に献上、オオ
クニヌシから国譲りを受けハードネゴシエーションの結果
邪馬台国建国にいたる商業国家日本の面目躍如たる一面を見せる出雲国造神賀詞↓
URLリンク(www.remus.dti.ne.jp)
これをもって女王共立、邪馬台国に入る。ところが反動天皇崇神はこの約束を破り、
地元大物主祭祀に移行する。この間が重要な謎である。


810:月光仮面
07/05/06 14:15:24
世界最古、最大の犬神宗教をバックとし、天照宗教改革を進めようとした狗奴国
に対抗し、卑弥呼の多分2世であるモモソヒメが抗議し、不振な死を遂げるにまで
邪馬台国を追い込んでいったものとして考えられるのは河内、山城、出雲である。
そうして終には神功、応神、そして秦氏の出番となるのだろう。

811:月光仮面
07/05/06 16:22:24
間違えて→任那日本府説
スレリンク(history板)
ここに入ったが、エジプトと高句麗、日本には関係がありそうである。


812:月光仮面
07/05/06 16:52:57
>>808
国譲り、女王共立、鏡本位協定成立時の天孫は狗奴国、関東等であったが、次第に
経済太国の河内が勢力を伸ばし、出雲、筑紫も不穏になって崇神の時を迎えると
考えたらいいだろうか。

813:日本@名無史さん
07/05/06 19:51:16
雑種の赤犬は日本の在来種で、土佐犬とか秋田犬は全部渡来人が連れてきた変わった犬の部類にはいりますかも

814:日本@名無史さん
07/05/06 21:24:32
仁徳天皇陵、後円部の頂上にある「石ノ唐櫃」(もちろん複製)URLリンク(www.city.sakai.osaka.jp)

アークみたいだねw

815:日本@名無史さん
07/05/06 23:06:53
もうひとつ前方部の石棺。
URLリンク(www.city.sakai.osaka.jp)

これらは石だけど、
当時、木製のこういう形の棺があって、
突起のところは木を通して担いでたんじゃないだろうか。
そういう文化があったんじゃないだろうか。
それが神輿の原型になったのかもしれない。

816:月光仮面
07/05/07 07:50:35
テレビで善光寺の牛を前から映したがこれ↓そっくりだった。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
善光寺の紋章はここにある八方(八幡、ヤサカ)のダブルの菊紋。善光とはアフラマズダ
つまり、ミトラス(マダラ)の背後にあるもので百済王善光、クロマンタなども同じ。善光寺
の前面には前立本尊と書かれた回向柱が立つが、平原、サンピエトロ、シバリンガ等に
見られる思想のようだ。善光寺の地下にはトンカラリン同様暗闇を通って生まれ変わる
思想を体験出来る構造になっているが、豊川稲荷近辺に癌封じのお寺で同様構想が
あるし、諏訪神社の甲賀三郎伝説も同じ。ファウスト、神曲、オルフェウスとも通じる。
善光寺からニカゴ塚古墳には近く、朝鮮半島からの渡来人文化は小諸から関東平野に、
更に千曲川を下っては越後、佐渡、出羽、津軽へと続く。

817:月光仮面
07/05/07 14:42:15
>>816
エーゲ海、サモトラキ神殿同様に牛に布引きするため、人々は
布引観音を造り縁起を残した↓
URLリンク(www.geocities.co.jp)
ここにある布引観音をよく見ると↓
URLリンク(www.geocities.co.jp)
それは投入堂と同じ↓なのだが、
URLリンク(www.town.misasa.tottori.jp)
大同の石窟↓からはるか西のローマからやってきた秦氏のルートが
URLリンク(homepage3.nifty.com)
はっきりと読み取れる。
ちなみにサンピエトロに似た前立本尊とは↓
URLリンク(www.geocities.co.jp)
こうした石窟を見るに付け、ナイル峡谷における類似の石造にその
技術の源流を見る想いがする。

818:日本@名無史さん
07/05/08 03:03:50
ダンと秦の関係ってあるの?

819:月光仮面
07/05/08 06:35:58
秦氏同様百済方面の感じがする。西欧系で、牛がいる。頭の飾り方がそっくり。
てなことだが、上記由緒のリンクでは「また、善光寺の特徴としてとして、ご本尊が本堂
正面にはない、ということも挙げられるかと思います。善光寺本堂は3つに分かれて
おり、ご本尊は左側の瑠璃壇に祭られています。では、真ん中と右は、というと、善光寺
の名前の由来にもなった創健者、本田善光と妻の弥生、そして子の善佐が祭られてい
るのです。何も知らずに真ん中に向かってだけお参りをされてしまうと、実はご本尊では
なく本田善光さんにだけお参りをしたことになってしまうので、注意しましょう。」
これって現在の教会と同じ父と子と精霊とか、マリア、精霊、キリストのセットのような
三点セット。神功、タケシウチ、応神のセットにも似ている。


820:月光仮面
07/05/08 06:57:28
秋田物部の地、唐松神社韓服宮では息長帯比売命、香具土命、宮毘姫命、また、
天日宮では饒速日命、玉鉾大神、愛子大神と三点セットが多い。これも神功時代の
特徴かもしれない。高句麗と倭が北海道と楽浪のニ正面で対立し、膽咋連、神功は
前線激励に出動したのかもしれない。

821:月光仮面
07/05/08 09:12:26
唐松神社(韓服宮)では、韓服とは韓を服さすとされるが、天日宮はブリャートモンゴル
の石積祭祀場ケレクスルそのものであり、韓服もブリャートモンゴルの光明神
KHORMUSTAがカラマツとなったと考えると、これは当社祭神の軻具突命、別名・愛子
大神、当地の物部氏の氏神である火結神と整合する。KHORはアルタイ語で太陽の
という意味と帯という2つの意味を持ち、日本語の布留に相当。ホムダワケ(応神)、
本田善光もKHORMUSTA光明神、八幡神でこれが菊紋の意味であろう。韓服とは韓を
服さすと言うのは第二義的な意味と見るのが妥当。ちなみにブリャートモンゴルでは
クダラというのは隠遁の地ということで、いまだにバイカル湖にはクダラ・スモンと言う
地名が残る。

822:月光仮面
07/05/08 09:18:46
こうして見ると布引観音は息長帯比売のタラシであり、善光寺とは一致となるものと
考えられる。七枝刀が石上神宮から出土する意味がわかる。
URLリンク(www.tenri-iexpress.com)

823:月光仮面
07/05/08 09:29:56
香具土はアブラハムに殺されるイサクのようにイザナギに殺される。この話は青銅器
文化を持っていた犬神系統の神話が遊牧民イスラエルによって盗まれたものの、金属
製造部分が省略されたものだから恐ろしい話になったものであろう。いずれにせよ恐ろ
しいが。

824:月光仮面
07/05/08 09:37:40
渡来人研究会でも熱心に記紀研究が行われているものの、ユダヤ・キリスト教原典
との比較だけであり、ハザール・タタール方面の原典、考古学データが全く考慮され
ていないので、点と線のような感じがするが、非常に参考にはなる。基本的に景教・
ユダヤは後発であり、中国西部から百済において後のカラスが先になるようなことも
あったであろうが、聖書オンリーでは秦氏をユダヤ人とするような弱いところがある
ようだ。

825:月光仮面
07/05/08 12:00:25
天日宮はブリャートモンゴルの石積祭祀場ケレクスルは東胡遺跡と考えられるが、
中心の円から放射状に花弁が8枚程度伸びているのがWEBで黙認できた。そして
前方に鹿柱がある。これは毎年伸びる鹿、トナカイの角を先端両面に彫り込んだ
ステラ(石碑)で、鹿島神宮の鯰石、春日大社の恐れ石に相当。東胡族は
ファリシズムの習俗をアルタイに持ち込んでいるような線刻図遺跡がある。日本における
ファリシズムは八重山諸島から佐渡、相模方面に分布。
ほだれ祭りレポート
URLリンク(www4.plala.or.jp)
つぶろさしレポート cf Tubalary
URLリンク(www4.plala.or.jp)
ここではファロス(陽根)励起の所作があり、これがコンタン踊りとか
前立尊回向柱習俗の起源であろう。いずれにせよ現在のブリャート、扶餘の前身
であるツングース系東胡族の存在があり、これが男鹿半島、牡鹿半島、塩釜を経て、
鹿島神宮、春日神宮にと回る。これが藤原系統であり、秦氏とは出自を異にするが、
八幡、ヤサカの太陽崇拝思想の部分では、既にアルタイで秦氏の影響を受け、その
結果バイカル・興安嶺地方でケレクスル文化を発展させたのであろう。賀茂氏は
アルタイに到達した鴨をトーテムとするウグロフィン系部族から出ているようだ。


826:月光仮面
07/05/08 15:59:10
>>824
渡来人研究会の総括をとしては↓
「新約聖書の諸伝承が応神・神功紀、推古・聖徳太子伝承、景行・ヤマトタケル伝承等
に、比較的ダイレクトに挿入されていることが明らかにされてきました。そしてこれらの
伝承には、系統的な同一性が認められます。これらは外来伝承との関わりが強く、
主に新羅系、天日矛伝承や、ツヌガアラヒト伝承等と関連しながら、新羅系の渡来氏族
等によって記紀および儀式にもたらされたことがわかります。第8章の旧約聖書の挿入
事例とあわせて考えると、斉明朝から天武朝、および元明・元正朝にかけての記紀
製作時にも、さらなる外来宗教の挿入があり、特に景教経典の挿入が顕著であった
ことが明らかにされます。」
これを見ると記紀において外来宗教が挿入される時代は記紀が外交的に唐、新羅、
百済等の手に渡る頃に対応していることがわかる。つまり、わが国の国史に国際的に
納得の出来る当時として日中韓に共通な宗教概念で微妙な国際関係を和らげている
と言うことがいえる。当時の朝廷をはじめとするトップレベルの国際感覚は恐ろしいもの
であったと言うことでないかと思う。こうしたものを背後で支えることにおける秦氏集団の
役割は大きかったのであろう。

827:月光仮面
07/05/09 14:46:13
>>816 >>817
新羅がローマ時代に入るのは崇神時代、ツヌガアラシトが来朝する頃で、ローマ系
が国王となるのは奈勿麻立干(なこつ(なむる)まりかん)で、356年はこの王の即位
の年と考えられる。ミトラス教の背後にはギリシャ神話ファーネスの卵生があり、
これを神話とする王朝の開始が天山方面から新羅にローマ系が到着したことを
表すのであろう。敦賀気比神宮の獅子頭のユニコーン、この辺を中心として始まる
角杯土器、気比神宮にローマ同様の犬神人が現れるのがこうした動きに対応する
のであろう。これはシルクロードでは前漢の終わりであり、これ以前の衛満時代
から馬韓一帯に入っている秦族とは別のもので、例えば出雲神話で言うならスサノオ
に対するオオクニヌシのような時代の交代であろう。

828:月光仮面
07/05/09 14:53:36
これはつまり、半島原三国に二重構造が発生、新興新羅は五胡十六国時代の中国
とのつながりを重視し、百済との対立構造は列島内にも移動したと考えて、三輪王朝
の周辺諸国との対立を考えるべきであろう。

829:月光仮面
07/05/09 15:10:05
こういう風に考えると、善光寺の弥生様が焼肉屋のオネーチャンに見える。弥勒菩薩
はヨン様のようだが。善光寺の出来る頃には韓国人も立派に成長を始めていたのだ
ろうか。

830:月光仮面
07/05/09 15:28:59
話は変わるがミトラス神は裏地が星空であるケープをまとっているということであり、
キトラ古墳被葬者は新羅系であることがわかる。すると百済系は消え、天武の皇子
と言うことになろうか。

831:月光仮面
07/05/09 16:12:58
ローマ系新羅は秦氏の日本移住の妨害をする勢力であったのに、秦氏はなぜ
ローマのミトラス教まで祭らされたのかは難しい。まー、流行の宗教といったもので
後にシリア人が来日し景教が流行るとそれに架け替えるといった具合で、一種の
新しいゲームソフトといったものであったのであろうか。

832:日本@名無史さん
07/05/10 07:57:24
新羅系も前期、中期、後期では中身が変わっており日本と不仲になるのは後期だけでしょうか。

833:月光仮面
07/05/10 08:27:11
>>832
新羅前期-辰韓、中期ローマン新羅、後期-統一新羅としますか、356年奈勿王から
王朝が中国方面出自に変わることで基本的に日本・百済との対立がはっきりする。
ただ、同時に日中関係に応じくるくると変わる波乱含みな状況であったのかなーと。
どうもいまだにふらついてるようで。

834:月光仮面
07/05/10 10:22:29
>>832 >>833
「377年に前秦に初めて新羅が朝貢したと記される。382年には新羅王楼寒(ろうかん、
ヌハン)の朝貢が行われ、その際に新羅の前身が辰韓の斯盧国であることを前秦に述
べたとされる。この「楼寒」については王号の「麻立干」を表すものと見られ、該当する
王は第17代奈勿尼師今に比定されている。この記述から奈勿尼師今の即位(356年)が
新羅の実質上の建国年とも考えられている。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これは前秦のバックアップで新羅を征圧したローマン新羅王奈勿が、宗主国に自国の
歴史を説明したものでしょう。弓月国の首府月支国から方角的に辰にあるのが、辰韓、
巳にあるのが弁韓、午にあるのが馬韓で、辰韓とは鎮東府という意味もあろうかと思う
のですが。そして辰韓の王は丹波であるとか、このローマ遺民とかの傭兵を採用する
に抵抗がなかったということもあるなかな。


835:月光仮面
07/05/11 09:39:35
>>831
百済秦氏と新羅王朝のミトラス教との関係には難しいものがあるが、セム系でも旧約
中に三位一体が読み取れ、唐松神社、善光寺、高良玉垂宮等にも機能的に三位一体
が働いているようである。百済秦氏の思想は高良玉垂命の末裔 稲員家と三種の神宝
古田史学会報1998年 6月10日 No.26
「この地が九州王朝の王都であった証拠が高良大社文書『高良記』(中世末期成立)に
記されていた。「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ
面ヲキセ、犬ノ スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ
 マフリタテマツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事
六十余ケトノ其一ナリ」(中略) ここで記されていることは、百済からの降人の頭、百済
氏が犬の面をつけて正月十五日に犬の舞を日本国の朝廷の守りとなって舞う行事が
今も高良大社で続いているということだ(後略)」神職は稲員というらしいが、この辺が
お稲荷さんくさい。いずれにせよ、百済秦氏の思想はプロの犬神(シリウス占星術者)
として各国の支配者に仕えるというスタンスであろう。
こうした秦氏のスタンスに対してミトラス教は、星宿の悠久の動きを制する、牡牛座を
殺す神を祭るということで、絶対的宇宙観のようなものがあるのが違うのではないか
と思われる。

836:月光仮面
07/05/11 10:20:45
国家が一神教、全体主義に淫し、原理主義の美名のもとに地球破滅を行う現在に
おいて、国家にフレームワークを提供し、民力の高揚に頼り、争いを避ける秦氏の
ポジションは何千年の歴史を通した史観、天文学的宇宙観が背後にある。キトラ
古墳の星宿は今から4千年前の春分・秋分点が描かれている。アルタイで解読された
石碑には数字でマグナ・マーテルの死と再生が示されていたという。ローマもこうした
シリウス占星術犬神族によって作られ、運命のいたずらでその子孫が甘粛、三韓に
舞い込んだのであろう。しかし、三韓には既に犬神族が来ていたという、これまた、
運命のいたずらがあったということであろう。

837:月光仮面
07/05/11 11:10:08
今ひとつの謎は、新羅におけるローマ物質文化の開始に先立って、卵生神話が
三韓まで伝わったことをどう見るかであるが、これは月氏が大月氏国に移動した後も
小月氏、百済月支国がシルクロードで天山方面との接触を保持したことにより、商人
連中によりミトラス教の一部が伝達されたということとか、パジリク・サカ文化において
原始ミトラス教が受け入れられ、衛満時代に一部が三韓に流入したということもありえ
ようか。





838:月光仮面
07/05/11 15:53:47
>>835
犬の面-アヌビス、玉垂-アテン神、玉鉾(秋田唐松)-アテン神、フツの御霊-Ptah王笏、
アメノヒボコ-アテン神鉾、梵天(横手)-ミトラス教宇宙卵、布留-ホルス・・・秦氏には
エジプトのにおいが強い。ミトラス教とはスケールが違うようだ。ちなみに蓬莱とは
アルタイ語で都市の意味で、蓬莱山とは山上の宮、信貴山のような感じのところ
となる。徐福時代の日本にそんなのあったのかなー。

839:月光仮面
07/05/11 15:59:01
アルタイ語で高良は蓬莱、つまり、都市なんだから、高良玉垂とは太陽神アテンの
山上神殿という意味になる。装飾古墳などエジプト文化の色濃い遺跡が筑後、肥後に
に多いのは百済から入った秦氏勢力がその方向に流れたということであろうか。

840:月光仮面
07/05/11 16:14:15
アメノヒボコについては近江の鏡神社に祀られており、近江の息長族と関係がある
といわれる。垂仁の時の来朝は初めてにしてはおかしい。豊前・周防方面にあった
秦王国に潜んでいたものであり、邪馬台国建国の陰の力であった可能性が大きい。
ただ、崇神の代から鏡は流浪の旅に出るようあり、この辺がよくわからん。

841:月光仮面
07/05/11 20:54:42
>>839
「『日本書紀』には、ヤマト政権軍と交戦した際、将軍の近江毛野に対して磐井が「かつ
ては同じ釜の飯を食べた仲ではないか」と呼びかけたとする記述があり、磐井は若い
頃、九州からヤマトへのぼり、大王の元で毛野らとともに仕えた経験があると考えられ
ている。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これは毛野が犬奴、東シナ海・日本海に展開する安曇の犬飼で、磐井も同族。共に犬神
ニギハヤヒ(ハヤヒのニキ)を信奉し、百済から渡来し、秋田にナマハゲ、鹿児島に
トシドン、沖縄にジュリ、ポーランドではタタールとしてライコニク(ジュリ)を残しスイス
東部にナマハゲを残したのはフンであろう。多分殷の時代から犬戎として中国西部に
入っていたものと考えられる。これが、更に昔にはエジプト、ウラル、夏を結び、青銅、
ラピスラズリ、天文学等の媒介を行っていたのであろう。

842:月光仮面
07/05/11 21:01:40
しかし、甘粛のローマ人が新羅の王族には入った後にローマ犬神人が組織され、
それがツヌガアラシトと共に敦賀気比神宮あたりに入る可能性がある。

843:月光仮面
07/05/12 11:43:27
>>841
タタール(現地語ではバシコルト)語でハヤとは天の意味であり、犬とは関係ない。
秦大津父が欽明に伊吹山で争う狼のことを述べたことから判断するに、秦氏は
これらを神々として祀るが、これらをトーテムとするということではない。狼、欽明、
敦賀関連で日野宮神社↓があるが、大津父の言う狼の一方はこれだろう。
URLリンク(www.mitene.or.jp)
ここで天照大神が出てくることから、この狼はエジプト神話でHAT-HORのアラタマ
とされるSekhmetであろう。Hat-Horとは、Horとは、「大空を飛ぶハヤブサの姿から
イメージされた天空神で,天空は広げた翼,日月はその両眼とされた」、「復活して
冥界の支配者となった故王オシリスをうけて新王ホルスがエジプトに秩序(マアト)を
回復す」オオクニヌシのようなものであるが、Hatは「家」である。アラタマ
とされるSekhmetの頭はライオンであるが、これがインドのダキーニと一緒にされ
豊川稲荷、また、Hatは家という意味であるから神社、ここから、秦、服部等が出て
いるのではなかろうか。

844:月光仮面
07/05/12 12:10:39
ハトホルは本来太陽神ラーが落胆する際、励まし元気付けるために踊る神であり、
その神官はジェンダーレスの舞踊家、音楽家、芸人であるとされる。又「酒」の神
であるとされるが、そうすると、オオクニヌシ、酒で有名な三輪山も秦氏かという
ことになる。鏡の女王のような卑弥呼、その候補者百襲姫、
「吉備津彦神社要覧 由緒 当社は昔、太陽、月、星、磐座、巨木を仰ぎ山は神体山にし
て天津磐座磐境を有し、境内十万町歩といわれ、朝日の宮(夏至六月二十一日の
日出には、太陽が正面向いの山の中心より昇り御鏡に入る)と称され、本州一宮、
吉備之国一品一宮、国の宗祖神を祀るお社として吉備社、吉備津神社、吉備津宮と
いわれ崇められてきました。 」
URLリンク(kamnavi.jp)
ここから大避神社、川勝というのは千種川東岸生まれ、河東の意味だろう、に向かう
途中に
岡山県赤磐郡熊山町  熊山石積遺構 
URLリンク(www.ne.jp)
という、越前日野宮神社にそっくりな遺跡があるが、これも太陽神を祀る秦氏の遺跡
であろう。


845:月光仮面
07/05/13 17:41:21
つまり、辛島氏の神山に天下ったと書かれてあるのである。辛島氏の神山とは、本来は
香春岳以外にはない。あえて、宇佐における辛島氏の神山を探せば「稲積山」である。
実は「辛島」とは「辛国(宇豆)高島」をつづめた称である。ちなみに、山背の「太秦」
(うずまさ)の「うず」とは「宇豆」であり、「まさ」は「勝」で「すぐり」(朝鮮の「村長」)の
意である。だから太秦とは、秦氏一族の勝(すぐり)の統領(が住んだ地)を表している。
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
《稲積》とは、元来は稲を積み上げた砦のようなものを意味しますが、同時に、豊前の
辛島氏の本拠地の地名でもあります。
この史跡は、和気清麻呂が配流された場所から数キロほど離れた場所にありますの
で、大隈に移住してきた秦氏系統辛島氏の本拠がこのありだとすれば、和気清麻呂が
流された場所もこのあたりであったことと符合するわけです。というものも、和気清麻呂
は当時秦氏と協力関係にあり、道鏡事件に関わり、一族が各地に配流される際、
和気氏を影で支えたのが秦氏です。和気清麻呂が豊前の宇佐に行き、さらに大隈の
この地に配流されたバック背景は、ひとえに秦氏との繋がりにあるとしか考えられない
のです。
URLリンク(www.mmjp.or.jp)
「宇豆峯は、山林の美称であるという。ま‐さ・し【真狭し】〓形ク〓(マは接頭語)
せまい。せし。神武紀「内木綿(ウツユウ)の―・き国と雖も」
どうもウズとは大和同様保津川、初瀬川が平野に出る場所で、商業適地のようなこと。
そしてウズは秦氏のキーワード。


846:月光仮面
07/05/13 17:44:56
日奉部というのはアメノヒボコ、太陽を矛先につけて行進する人々。
URLリンク(homepage2.nifty.com)
URLリンク(homepage2.nifty.com)
珍彦、椎根津彦、大和宿禰は秦氏の先駆者だろう。


847:月光仮面
07/05/13 18:40:58
>>845
「思えば、アメノヒボコはなぜ新羅の「王子」と呼ばれなくてはならなかったのか、ツヌガ
アラシトはなぜ大加羅の「王子」と呼ばれなくてはならなかったのか。彼らが童神、すな
わち太子(アル)だったからに他ならない。新羅・若者組の「花郎」や薩摩藩・兵児二才
の「稚児様」とは、太子だったことも分かる(新羅の「源花」はアルのもう一側面の
母神か)。紀記中の神名に登場する「彦」(日子)もアルであり、太子信仰に拠るもので
ある。」
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
AR=RA、これはアルタイ語の法則で語頭にRを出さないからこうなる。太陽神は
既にエジプトにおいて童神であった。


848:日本@名無史さん
07/05/14 01:41:38
いま古墳時代のもみあげのところに8の字に結ぶ美豆良の髪型を
西アジア中のレリーフの中から探す作業をしてます
今のところサザン朝ペルシャ頃のレリーフに
似た髪形があったとの情報もありました。がんばって調査します。

849:月光仮面
07/05/14 08:02:30
>>848 後漢書では馬韓人につき、
概ね皆、魁頭露[糸介](かいとうろけい=頭に何も被らず、髪を露出
する事)、布の袍(上着)を着て草履(わらぐつ)を履く。(※魁頭
は科頭(頭に何も被らない事)と同じである。髪を巻いて分けて結ぶ
事をいう。)
lぷいう表現をしておりますが、美豆良の感じがします。
また、敦煌莫高窟の中唐の壁画(第158窟)の少年像にも類例がある
とのことですが、ササン朝にあれば更に源流に近づけるかも知れません。


850:日本@名無史さん
07/05/14 08:33:22
カラ島

851:kakashi
07/05/14 13:32:09
古代史大好きっ子です。
古代史の解明をしたブログみつけました。
       ↓
URLリンク(blog.livedoor.jp)
古代史が好きな人は是非、読んでネ!

852:日本@名無史さん
07/05/14 17:15:50
月光氏の話をまとめてるサイトないの?

853:日本@名無史さん
07/05/14 20:20:04
祭りの稚児様に選ばれるのも名よなことらしい

854:日本@名無史さん
07/05/15 03:11:11
美豆良の行方を探ってたものですが、いくつかわかったこと。
もみあげを長く垂らす文化があるのは世界でも限定的なこと。
発祥地はイスラエル?後にカザール帝国(khazar)でも受け継がれている
カザールは黒海の北、シルクロードの中継地点にあるユダヤ教国だった。
もう1つは美豆良(ミズラ)という語感から連想した、ミスラ(ミトラ)との関連
ミスラはローマ帝国の時代にローマからインドまで影響を与えたミトラ教、
ミスライズム。ミスラ、ミトラ、マイトレーヤ、日本では8世紀以降に伝わり弥勒菩薩。
そういえば弥勒菩薩の耳は長く垂れ下がり、見様によっては美豆良みたい。
インドのミスラ像は巨大なイヤリングをしている。
本家本元イランのミスラ像はどうなっているかといえば、これが髪の毛が
長くちぢれて、耳が隠れている。
東洋に弥勒として伝わるとき長髪やイヤリングが7世紀に耳たぶに変形した
彫像になっていったのだろう。
知られざる日本史のなかでは3世紀頃すでに日本にイランのミスラが伝わっており、
これを信仰した人々がミスラの髪型を美豆良という名で残したのかもしれない。
と憶測。

855:日本@名無史さん
07/05/15 03:36:55
もうひとつ興味深いことがわかった
日本では知られていないが紀元前のローマ帝国の遺跡から発掘されるもの
ANCIENT HOLY LAND BRONZE BELL. Roman Period
URLリンク(www.edgarlowen.com)
URLリンク(www.edgarlowen.com)
URLリンク(test.huntmuseum.com)
URLリンク(www.qaronline.org)
どう見ても日本の銅鐸です。やっぱり2世紀の日本の道もローマに通じてたのかな
銅鐸の起源については日本発祥説、中国説、オルドス説が有力ですが
これらホーリーベルが発掘される時代とこの形状から見ても
日本の銅鐸は古代ローマ文化が日本列島に持ち込まれたんだと考えてみるのも有りかと。



856:月光仮面
07/05/15 06:39:34
>>854
ミトライズムはBC1世紀、小アジアキリキアの海賊から発生したとする説があります。
これはイスラエルに非常に近く、その後ローマでは昔のレコードで言えばA面、その後
キリスト教がA面に入ると、B面、つーか、裏ビデオ、つうか、になり、日本・唐でも時間差
をおいて景教がA面に出て最終仕上げを行うということになるのでしょう。それにしても、
仏教というのは何から何まで皆取り入れたようで、いささかヘンテコですが、胎蔵界
曼荼羅なんていう宇宙観はどうもミトラス教の影響を受けている感じです。
ユダヤのヘロデ紋についてはユダヤ本来のものではなく、どこからか拾ってきたもの
とするのが欧米のサイトにはありますが、起源としては小アジアのマグナ・マーテル
の二輪車のホイールではないかと↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ここにカグや姫、狛犬のルーツもありそうですね。

857:月光仮面
07/05/15 06:45:49
上記を補足するものとして
URLリンク(upload.wikimedia.org)


858:月光仮面
07/05/15 06:55:15
ところが、このホイール、一部出土物がBC17世紀とされるウラルl・アルカイム
遺跡にある(下記を下のほうに下げて見てください)。
URLリンク(newchron.narod.ru)
この地方で出土する青銅二輪車が夏・殷にはいったようですね。ですから
殷の銅鐸もこの地方と考えると、ローマ方面にもそうした遺物があったということにも
うなづけます。

859:月光仮面
07/05/15 06:59:44
↓下記の左の欄の上から6番目のAで始まるアイテムをクリック
URLリンク(newchron.narod.ru)
どうもガードが固いな。

860:月光仮面
07/05/15 08:15:55
《古事記》では仁徳の皇子,墨江中王(すみのえのなかつきみ)の〈近習隼人〉として
曾婆訶理(そばかり)の名が見えるそうですが、ロシアにソバカリという名前があり、
狗人の意。
神代紀には,火酢芹(ほすせり)命(海幸)が弟の山幸に敗れて伏罪したとき,みずから
狗人(いぬひと)と称したといい,〈火酢芹命の苗裔,諸の隼人ら,今に至るまで天皇の
宮墻の傍を離れずして,代(よよ)に吠ゆる狗して奉事(つかえまつ)る者なり〉といわれ
るが、タタール語のハヤが天空、エジプトのホルスは天空神で鷹の頭をしている。
ニギハヤヒとはホルスと考えると、隼人は本来にニギハヤヒに仕えたものが、山幸
神武乃至はこれを担いだ大和宿禰、珍彦に破れ、結果沖の島から対馬、勅島の
制海権、伊都の「島」の権益が布留式土器文化人の手に渡り、北部九州は庄内式
土器文化の影響下に入ったのではないでしょうか。



861:月光仮面
07/05/15 09:32:43
珍彦のウズとは、秦氏関連で「山」を意味しており、山幸と通ずる。海の幸と
山の幸の交易が目的である秦氏はウズマサ/ヤマトつまり峡谷が平野に、
特に盆地に出る場所に陣取った。しかし、秦氏の日向、迎日立地の思想は
祁連山東麓、更に、西方でも存在したもので、神武が「太陽の子ともあろう
ものが、太陽に向かってショットするとは」ともらす一言にある。ひょっとして
思想を伝えたいがためにこのような物語を挿入したのかも。
草香邑 白肩の津参照↓
URLリンク(www.max.hi-ho.ne.jp)

862:月光仮面
07/05/15 09:52:34
エジプトには黒い犬の形をとる、秋分点の神、Inpuというのがあるが、どうも日本語の
忌部とピッタシである。ギリシャ語は日本語よりはるかになまっており、アヌビスと
いう。
「古代エジプトのジャッカルまたは犬の神。オシリスがアビドスに王国を確立してより,
そのネクロポリスの神として〈冥界の支配者〉の称号を得た。ピラミッド文書ではホルス
の目と結びつけられ,冥界で死者をオシリスまで導くことが彼の務めとされた。イシスと
ネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命によりオシリスを
蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。《死者の書》ではオシリスの
法廷で死者の心臓を計量し,葬儀に際して墓の入口で死者のミイラを受け取る姿が描
かれ,151章ではミイラの横たわる棺架のわきに立ち,保護するしぐさで手を差しの
べ,〈我はオシリスを保護せんために来たれり〉と言ったさまが描かれている。道の開拓
者たる金狼神ウプウアット Up‐uat と対をなし夏至の擬人化であるほか,医学の守護神
としても知られ,信仰の中心地はレトポリス Letopolis で,ヘリオポリスのアトゥム・ラー
神殿,サイスのネイト神殿と共にレトポリスのアヌビス神殿は下エジプトにおける医療の
中心地であった。」

863:月光仮面
07/05/15 09:57:47
スサノオが、多分、東日本の国王を望んだが、結局このアヌビスとされ、大いに泣いた
らしい。多分これはニギハヤヒを奉じる一派が吉備津彦に征圧され奴隷とされて阿讃播
石積墳、そして、大型古墳時代へと入るのではなかろうか。

864:月光仮面
07/05/15 10:05:05
>>862
「ホルスの目」というのは辛国息長大姫大目尊の「大目」が多分狗人のもう一つの
神かあるいは秦氏の神の一つであったのであろう。他にも当時の官職「ミミ」もこうした
神話体系を背後にしている可能性がある。

865:月光仮面
07/05/15 10:57:15
蝕による星宿の終焉と星宿の誕生を数値化、アルマ・マーテルとして画像化、石刻した
ステラがアルタイ・オークネフ文化(中国の夏併行期)に残っていることから、ウラルアル
カイム天体観測遺跡の聖地としてアルタイがあったことが考えられるが、共に銅の産地
でもある。この青銅技術が新疆ウイグル、甘粛、そして三苗文明と接して銅緑山、無錫
等長江下流域の銅山を開発、夏、殷の青銅器文化を生んだ。もう一つの流れとしてカラ
スク、オルドス、遼寧、楽浪の青銅器文化を生み、これが須玖、吉野ヶ里、出雲、東奈
良、野洲、朝日へと流れた。古代安曇海人族・海幸はこの文化を運んだもので、更に
その昔にはエジプト・欧州のピラミッド・ドルメン等の巨石文化を朝鮮半島に伝えたも
のであった。ところがこうした文化の波は何波にも及び日本列島においてすら文化の
交代があった。その最初が海幸・山幸倭国乱による青銅器の鏡への統一であったの
であろう。

866:月光仮面
07/05/15 11:13:52
ハザールの祖であるタタール(バシコルド)にいわすれば、エジプトにシリウス(天狼星)
とナイル増水、農事の開始と、天体観測によるその正確な次期の予測を教えたのは、
既にウラルでこうした技術に基づいて農業を行っていた、エジプト人にいわすれば狗人
ハビリであるが、これはタタール語では農作者を意味する、ハに畑の意味があるという
こと。他方エジプトに出入りしたイスラエル人には農耕とか、犬を使ってブリザードまで
予測する能力等はなく、彼らがエジプトで成功したヨセフの話等はバシコルトにも別の
バージョンがあり、イスラエル人がバビリの説話を導入したものであろうとしている。
逆にイスラエル人というものはハビリの影響を受けたものと考えるべきかも。というのは
ラピスラズリはアブラハムが生まれるよりもはるかに昔のエジプト王朝以前からエジプ
トに入っているからであるというのがバシコルドの主張。

867:月光仮面
07/05/15 11:28:43
天文学的観測により、ニジェール、アマゾンの増水期を知り、テオティワカンに金星
観測による蛇の下るピラミッドを建設し、ナスカに地上絵を描いたのはピューマ人、
日置部、あるいは、磐船に乗って飛来する人々であろうが、UFOを信じるか、DNAでは
北部縄文人とするドイツ研究所を信じるかは個人の自由であろう。しかし、そこに秦族
がいたとするのもこれまた自由であってしかるべきであろう。

868:月光仮面
07/05/15 12:19:55
新羅・日本にローマ文化が到達した経緯となる情報が中国によって突き止められ、
日本語に、見事な日本語に翻訳されたものを日本の学界は無視し続けている↓
10年の無視は殺人でも時効になるほどの恐ろしい怠慢である。
URLリンク(www.china.org.cn)
イタリア等は反応し調査団を送っているようだが、秦氏を研究するものとして穴があったら
入りたい気持ちである。これによって新羅には前秦の頃からローマ軍団の子孫、驪県
URLリンク(www.china.org.cn)
Marcus Licinius Crassus のLiciniusは中国読みすると驪県、Marcusも馬子に似ている。
欽明天皇所縁の葵祭のこの日に中国の価値ある寄稿に深甚の謝意を表したい。



869:日本@名無史さん
07/05/15 14:08:59
Crassusはどこに置き忘れてきちゃったんだよ(w

870:月光仮面
07/05/15 14:35:21
クラッススは敗軍の将としてパルティアにおいて斬首の刑に処せられた。その息子が
6000人の兵士を率いて囲みを突破。ローマとパルティアはBC20年に和平条約を
締結、ローマは33年前の捕虜返還を求める。この年、前漢では甘粛省に驪県が設置。
この前にBC36年前漢軍はカザフスタン・ジャンブルに4万の軍勢を投入、これを征圧。
ローマ人1500人を捕虜にして中国に連行。甘粛省驪県に定住させ、今日に至る。
まだ生きてるそうだ。


871:月光仮面
07/05/15 14:39:07
4500人ほど生きてローマでライオンのえさになるより中央アジアで暮らそうとした連中が
いる勘定になるが、こういうのが大勢日本に来たのと違うかなー。どうも飛鳥時代の
ローマ石造物をみるとこんな気がする。

872:月光仮面
07/05/15 14:49:55
この連中の宗教といえばミトラス教しかない。そしてミトラス教であれば景教とはうまく
行かない筈だ。卑弥呼時代はアメノヒボコ、太陽神アテン、エジプトの神、なので無関
係だが、半世紀後、崇神の頃のツヌガアリシト、これは気比神宮の犬神人、ユニコーン、
角杯(その辺を中心に分布)からみて、新羅に突入したあおりで来日したのではないか
と考える。応神の頃に秦氏の渡来を邪魔する新羅の勢力がローマ人であり、洗脳教育
等をして送り込んだ可能性もある。

873:月光仮面
07/05/15 15:24:29
宇佐八幡託宣集では崇神の御宇に天竺から5本の霊剣が投げられたといわれ、
この頃が英彦山の修験道の開始の可能性があるが、新羅ローマ人の武人精神
は花郎、武士道、修験道、投入寺(洞窟祭祀)等その後の日韓両国の精神文化に
深甚な影響を与えたものと見られる。



874:月光仮面
07/05/15 17:28:11
>>862
>イシスとネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命により
>オシリスを蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。
アルタイのウェブサイトでホルという言葉に太陽のという意味と帯という2つの意味が
あるのが引っかかっていたが、この包帯ということで命を蘇生する帯、タラシ、
アマタラシの意味がわかる。神功皇后の腹帯、水天宮の腹帯の意味がわかる。
そこで布留の石上神宮だがなんとここは元鳥見山でニギハヤヒを祀ったという。
すると神武の敵の神はニギハヤヒで、隼の頭をしていた。これが神武に破れ
石上神宮となったということになる。トミビコというのはこうしたニギハヤヒを祀る
シャーマンであったのであろう。海幸・山幸の戦場はどこであったのだろう。


875:月光仮面
07/05/15 17:39:35
それは高地性集落の配置からして外洋沿岸海人族と内海沿岸海人族の覇権争いで
あった可能性も考えられる。海の男は物語が上手である。

876:日本@名無史さん
07/05/15 20:26:04
加羅国息長

877:日本@名無史さん
07/05/16 02:14:06
>>874
海幸山幸の話は、高句麗では沸流・温乍(ふる・おんそ)とまったく同じ
たぶんこれもローマ方面の神話が起源?

878:月光仮面
07/05/16 07:51:11
>>877
高句麗こそ狗人、貊人のご本家のようなところであり、上田正明「日本の神話を考える」
でも神武東遷の高句麗東明王との類似が紹介されている。記紀編集者が高句麗神話に
通じていたことと、日本の弥生末期の情報が乏しいがおおむね高句麗神話に類似した
対立構造があったことから類似に拍車がかかったのかと。しかし、北部九州の甕棺墓
文化が終わること、庄内式土器が始まること、伯耆で青谷上寺地に戦闘痕跡が残る
ことを考慮し、阿讃播石積墳の急増、吉備墳丘墓、オオヤマト大型古墳の労働力の
出てくる理由を考え、倭人伝にある投馬国という広域単位の人口を考えると、北部
九州沿岸部、山陰沿岸部に武力構想があり、妻木挽田集落のような大規模住民が
捕虜となり古墳建設その他に動員されたにではないかと考える。この時代の新羅に
まだローマ文化要素はなかっただろう。

879:月光仮面
07/05/16 08:14:10
春先の西シベリアは雪解けの増水で一面の海となり、遠くウラル、黒海、エーゲ海を越
えて一衣帯水、舟でなくては通行できず、不作の年にはナイルの農作物が唯一の糧と
なる。ミトラス教の発生したとされるキリキアはフェニキアにも近いがこうした海の民、
つまり、日本に来れば海人族となる、海賊の中で生まれたとされる。甘粛驪県のローマ
敗残兵集落にあってはミトラス教が唯一のものであったであろうが、ウラル方面のサカ
族等がアルタイ経由で別途持ち込んで来て、増幅しながら新羅に達するということもあ
ろうか。トラキアの墳墓に隼人同様地下横穴式があるといわれるが効した海人族の
ルート上にある。これは関係ないかもしれないが参考まで。

880:月光仮面
07/05/16 08:34:27
京セラ、村田、伊奈等は銅鐸に始まる古代熱加工、窯業、トヨタは飛騨の匠につながる
車輪、からくり、日本人にはこうしたアナログ・デジタルの匠の文化を尊重し、絶やさない
ところがあるのではないかと思う。

881:月光仮面
07/05/16 11:15:53
>>875
海人族として神武族が頼ったのは阿多・吾田族、であり、敗北したのは安曇族、この
結果半島とのシーレーンの快速復路である沖ノ島が吾田系の宗像族に渡り、安曇族は
諏訪に亡命したのであろう。

882:月光仮面
07/05/16 11:25:01
神武の岡のミナト以降の話がぷっつり消えているのは何者かがカットしたようでもある。
おそらくは色んな勢力の意見がわかれ、どういう話しにしていいかわからなくなり、
疑わしきはカットするであったのかもしれない。

883:月光仮面
07/05/16 11:35:19
日本人はユダヤ人ではないが、サムライにはコーカソイドの血が入っている
ようだ・・・
URLリンク(britam.org)
宗教史観もここまで来るとなかなかおもしろい。当たっているような気がする。

884:月光仮面
07/05/16 12:04:10
URLリンク(britam.org)
ここに言う欧米ユダヤ人の人種評価こそアウシュビッツを生み出したものであり、
汎神論で、自然と調和する大和心に相反するもの。トヨタが世間に選ばれたのは
その地球へのやさしさという小さなエッジであった。中近東の終わりなき殺戮の背後
にある大和心の欠如にいつかは気付いて欲しい。

885:日本@名無史さん
07/05/16 22:50:39
そうだな。
英語ばっかりで疲れたけど面白かったよ。


886:日本@名無史さん
07/05/16 23:25:52
>>883
そこのサイトを簡単に要約すると、

「古代日本にヘブライの影響は少しはあったかもしれないが、
あまり信じることはできない、
東のモンゴロイドと我々気高いヘブライ人と一緒にしないでくれ、
日本人は民族主義だ、アイヌ差別主義者だ」


887:日本@名無史さん
07/05/17 01:58:57
日本書紀には西暦2世紀の出来事まで詳細に書かれてるのに2世紀ごろの書物は無い
でも日本書紀を書くためにはその頃の情報が文書の形で残ってた筈で
そういうものは大化の改新前後に消滅したと言われるが

法隆寺の一角に伏蔵と呼ばれる地下倉庫がある
聖徳太子はこれは絶対に開けてはならない、開くときは仏教が滅ぶ時だと言っている
おそらくここには仏教関連のみならず日本書紀の編纂のために使われた複数の原書が
保存されている
それらはもしかしたら漢字で書かれてはいないのかもしれない

888:日本@名無史さん
07/05/17 08:50:43
政権が交代するたびに歴史書を書き換えてたら解明するのに手間取りすぎるよな

とらえた奴隷も使えるようになるまで2年はかかる、いや奴隷になるのがなれてるのですぐに働ける

889:月光仮面
07/05/17 12:11:12
魔多羅神/ミトラス神の起源について調べて見たんだが、春分の日の日の出のあたりの
星座(日食なら見えるが、普段の時は天球儀を回すと解る)、これについてBC2000年頃の
ウラル・アルカイム観測所のようなところでは牡牛座であり、占星術をもっぱらとする神官
はそれを不変のように子々孫々に約2000年間伝えてきたが、前190ころ‐前125ころ
ヒッパルコス[ニカイアの]によってそれが魚座にまで移っており、それが歳差という天体
活動によって天宮間を移動する原理が解明された。この秘儀が、ミトラス教となり、それは
ローマ軍団の駐屯地の教会の後戸で秘密の会員に伝授された。このローマ軍団の一つが
前漢時代に甘粛の驪県に入る。そしてそこから東方に拡散され、新羅には奈勿王の頃
までには到来している。キトラ古墳の天体図はミトラス教の発生の元となった、その天体図
より2000年前の春分点が描かれている。つまり、ミトラス教の忠実な信者によって作ら
れたことを立証している。つまりそれはローマ軍人の子孫である可能性が高い。そして
秦氏と魔多羅神 を結ぶ猿楽集団にもその末裔がいた可能性がある。

890:月光仮面
07/05/17 12:14:36
ちなみに秦大津父というのはミトラス教の最高位の「父」の位を持つ神官であった
可能性がある。

891:月光仮面
07/05/17 13:01:49
>>887
伏殿とはCRYPTと呼ばれる教会の地下室のことだろう。そこはミトラ教儀式が行われる。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
新入りが入ると、ミトラに扮した秦大津父(父)が弓を引き絞り、発射、地面に当たると
噴水が噴出す。ミトラはオス牛を剣で突き殺す。(牛は春を象徴)ミトラはフリギア帽子という
前に折れた烏帽子をかぶっている。大地を意味する狗と蛇が牡牛の切り口から血をすする
が、場合によっては穀物で代行する。秋を意味するさそりが牡牛の睾丸に食らい付く。
通常はカラスが登場。杯と小獅子、明暗を表す双子天体、灯持ち(日本では童子)、これが
烙印棒を一人は上に向け、一人は下に下げている。ミトラスの上には日神と月神がある。
こうしたショッキングな演出のプレゼンによって天体の位置、動きを頭に叩き込むのだろう。
秘密を口外したものは大避神社の井戸に投げ込まれるのかもね。・・・こういうことであった
可能性もある。ほかに宇宙を外側から見たものとして岩に巻きついた蛇もあるたしい。
スサノオのでどこもこの辺かも。

892:月光仮面
07/05/17 13:16:02
ちなみに、ミトラス教の階級と7福神を対比するとかなりの連関がありそうだ。
(1)〈父〉          寿老人
(2)〈太陽の使者〉    福禄寿,
(3)〈ペルシア人〉    えびす(夷,恵比須),
(4)〈獅子〉         布袋(ほてい),
(5)〈兵士〉         毘沙門天(びしやもんてん),
(6)〈花嫁〉         弁才天
(7)〈大鴉〉         大黒天,
広隆寺等では魔多羅神 像上部に7つの星として出ている。

893:日本@名無史さん
07/05/17 15:25:47
イラン
アヴェスター語 ミスラ  Mithra
パフラヴィー語 ミフル  Mihr
ソグド語   ミール  Mir

インド
サンスクリット語 マイトレーヤ Mithraya
インド神話  ミトラ   Mithra

ローマ帝国 ミトラス Mithras

こう考えていくと天照大神、アマテラスももしかしたらア・マテラスで
ア・マテラスA.Materas
  ミトラス  Mithras
最も発音が近いのはローマ帝国のミトラスだ。
ローマ帝国では1世紀から5世紀までミトラスが信仰されたので
もし太陽神アマテラスが、太陽神ミトラスと同じものなら発音から
考えるとローマ帝国経由だ

アマテラスの別名ヒルメと卑弥呼のヒメは同じものだろうか
卑弥呼のhimiと、ヒルメ・hirumeは同じとの指摘もあるし。
現代日本語では意味不明な上古日本語発音は、
おそらくやはり中央アジア以西が起源なのだとおもう。


894:日本@名無史さん
07/05/17 15:34:40
天は訓読みでアマという発音だけじゃなくマという発音もある
高天原の天はマと発音する
だから天照だけでマテラスと発音するのかもしれないのだ。
マテラスとミトラスならほとんど変わらない。
はっきり言って天照大神とはローマ帝国経由のミトラス神のことだ。
長い距離を経て、長い年月が過ぎたにも関わらず、
ほんのちょっとしか言葉に誤差が無く、神格も似通っている

895:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/05/17 15:42:06
古事記の注に(通常は)天はアマ(阿麻)と読めとの牽制文がある。
これを逸脱しては間違いに進む。
壱岐の別名の天ヒトツハシラとか、一部の例外はアメと読む。

896:日本@名無史さん
07/05/17 15:52:47
>>895
高天原はタカマガハラのマだぞ
記紀の意味不明な当て字としての解釈は自由度が高いしな

897:月光仮面
07/05/17 16:24:19
ウラルタタール語でサファルは商用出張、メソポタミアクルド語でサファルは銅、ユダヤ
語のセファルディはスペイン語に近いラディノ語を話すユダヤ人集団およびイベリア
半島のサラセンからの奪還完了後にその地からの避難民のことであるが、スペインの
ピレネー山脈は世界有数の銅産地。
タタールのアミンベク伝説から紀元前3-2千年紀にウラルでは商人が銅採掘、運送に
従事したことがわかるとされる。福岡の早良等はこうしたことと関係があるのではないか
と思う。

898:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/05/17 16:26:23
タカマガハラは間違い読み。真はタカアマハラと読む。

899:月光仮面
07/05/17 16:55:13
>>897
早良というところはどうやら奴国の国際貿易センタであったようだ。
URLリンク(inoues.net)
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)

900:日本@名無史さん
07/05/17 17:01:25
たかだか100年前の言葉でも本国の発音とかけはなれた発音になるよ
全ての可能性を捨てるのはもったいない

901:日本@名無史さん
07/05/17 17:43:40
月光仮面は何人いるの?

902:日本@名無史さん
07/05/17 19:43:23
ハタ氏は真面目にコツコツ働いたが性格が悪いので出世しないままで退職されたが
あれは元もとたいしたコネがないからであった。

903:日本@名無史さん
07/05/18 06:39:29
職人としては優秀だったが百済系のように完璧なコネではなく、すりよる根回しだけで
相手に裏切られたりして生き方がいまいちヘタ、または神をおそれぬ反逆心のあるひねくれた人だった。

904:月光仮面
07/05/18 06:46:08
戦前日本の小学校講堂の教壇背後にあった奉安殿という後戸、米軍、ソ連軍の
従軍牧師的仕組にローマ軍団と共通する点がある。筆記手段のない印欧・セム
語の伝播の背景にこうした秘密結社的メカニズムが働いたのではないか。
コーカサスのセム系ドルメンマイコープ文化にその秘密があるようだ。
このイスラエルのドルメン資料でそうした感を受けた↓
URLリンク(britam.org)

905:月光仮面
07/05/18 06:57:56
>>892
(4)〈獅子〉         布袋(ほてい),
このランクは算盤で言えば一級らしく、その上は有段者となる。布袋様はお坊様
のトップクラスなのでライオンということだが。わかるかね。


906:月光仮面
07/05/18 07:04:03
>>891
宇宙に外側というと量子物理学みたいだが、古代人は天文学的に
URLリンク(upload.wikimedia.org)
こんなものを考えていたのではなかろうか。

907:日本@名無史さん
07/05/18 11:58:00
中国では弥勒と布袋は同義語だろ

908:月光仮面
07/05/18 11:58:02
ナスカに地上絵を描いた人々がイメージする神、その神の目から
われわれの宇宙を見ると↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
神は銀河を見て、この宇宙(岩)はウロブスが取り付いているではないか
URLリンク(upload.wikimedia.org)
と思い剣でオロチを斬った。その後が天香具山に残る↓
URLリンク(yujiwww.web.infoseek.co.jp)
この時、宇宙に時間が始まり、月が誕生し、運動を起こす。この神はイワレビコあるいは
スサノオであったのだろうか。
URLリンク(www.geocities.jp)

909:月光仮面
07/05/18 12:07:23
布袋 
中国,唐末五代の僧。名は契此,別に定応大師,長汀子ともよぶ。容貌奇異,
額と腹が大きく,いわゆる布袋腹 生前すでに弥勒の化身とみられたというから
弥勒信仰華やかなりし頃の有名人というか。

910:日本@名無史さん
07/05/18 18:01:09
布袋(ほてい)と秦(はた)は何か関係あるのだろうか?

911:日本@名無史さん
07/05/18 19:26:56
芸能人の名前はフタイやなかったかな

912:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/05/18 20:33:55
黄眉老佛を下す。南無彌勒正佛 摩訶般若波羅蜜。

913:月光仮面
07/05/19 08:58:24
>>908
ウロボスではなくよく見るとオウロボロスとなってるなー。うろたえたなー。さて、
月に群雲、花に風、そして、銀河に暗黒星雲。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
「さて天村雲命のルーツであるが、やはり彦火明命と素戔嗚尊との関係が窺われるよう
である。 素戔嗚尊の八岐大蛇の物語で、大蛇の尾から出た刀を天叢雲剱と称するが、
大蛇の精そのものが天村雲命とも言える。同じく素戔嗚尊の御子神とも言える。ここに
五十猛尊と同一視できる所以がある。天五多底命である。」
URLリンク(www.kamnavi.net)
銀河には切られたように暗黒星雲が横断している場所がある。


914:月光仮面
07/05/19 09:43:23
イタカの民は航海者として広く海外に雄飛した。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
ヘブル(アピル)はエバル、イバル、流浪の民、流民、好ましからざるもの、ゲットーの住民、旅人。油津はアビラ、アピルの港町で、アビラ津姫はアピル族のことか。
URLリンク(www.taroscopes.com)

915:日本@名無史さん
07/05/19 10:02:45
>>月光仮面氏

悪いんだけど、話の一つ一つを、
分かりやすく言ってくれないと、
話の内容がすっ飛んでしまってる訳です。
いきなりイタカとか言われても、
何のことか分からんとです。
油津というのも宮崎の事か何か分からないし。

916:月光仮面
07/05/19 10:31:59
飛んでイスタンブール、その近所にイタカ、いなかったか、油を売ってても
しょうがない。ちょっくら調べる。

917:月光仮面
07/05/19 11:08:25
話が変わるけど、油津は宮崎、東国原は神武とよく似た響きを持つ。神武にも
東さんのような奥さんと子供があったようだが、プライバシーに触れるのか、記紀
ではあまり詳しくは立ち入っていない。ところが世界的にアビラ、アヒルといった
言葉はユダヤ人のような流浪の旅人を表すようで、東さんの場合はいいとしても、
神武の場合はユーラシア・ディアスポラ(離散民)を妻にしていたようである。ところが
URLリンク(www.kamnavi.net) 先代旧事本紀でもアビラヨリヒメというのが、
天の村雲(イタカ人、ギリシャ人かな)と一緒になっている。まー、これはユーラシア
海人族(シベリアは季節によっては海となる)が先祖であることを言っているのではない
かと思われる。


918:月光仮面
07/05/19 11:27:47
昔は皇室典範でなく仁義なき戦いだから神武の嫡子タギシミミでも、ばっさりやられる。
夫餘では不作の場合王が殺されるのが普通。昭和天皇は軍部の暴走に結果責任を
取らされて当然と考えマッカーサーに命を差し出した。ところがソ連に原爆を盗まれ、
方針を変えていた米国はこれを好機と国体護持に回った。東さんが言ってたが集団
決定に結果責任を取らされる政治判断とは大変なことらしい。それが芸人と政治家の
差なんだろうね。

919:月光仮面
07/05/19 12:31:23
「オデュッセウスは女神の導きの許、故国イタカへと至りました。アテナ女神は、
オデュッセウスの姿を物乞いのみすぼらしいそれに変え、名前を偽り、かつての
彼自身の館へと忍び込ませます。」・・・神武が天香具山のハニを盗る時に似ている
シーンである。
URLリンク(red.sakura.ne.jp)
往時のトロイの石垣に沖縄のグスク、日本の城壁の石垣を見る想いがする。
URLリンク(upload.wikimedia.org)


920:月光仮面
07/05/19 14:19:24
夕月国<馬韓月支国<小月氏<月氏>大月氏(クシャン王朝
これはトカラ人の国であが、ギリシャ人の国バクトリアを征服してギリシャ化した。
このときにギリシャ人の文化がどっさり入り、前漢、後漢を通じての中国貿易の
傍ら、馬韓月支国もかなり強くギリシャ化し、そのあおりが出雲方面に浸透して
来たと考えられる。新羅へのローマ人の到来でシナージー効果も出てきたこと
であろう。おかげで日本は極東にありながら、神話上ギリシャ・ローマ文化の
延長線、ロシアなんかよりも早くから西欧化する、という事態と相成った次第と考える。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

921:月光仮面
07/05/19 14:32:38
このグレコ・ローマンのほかにウラル・アルタイのエジプト神話体系が入ってきているよう
である。これは安曇・海部系で、狛犬等を持ち込んでいる。こうしたものの上に更に仏教が
入り込む。これだけ手の込んだカクテルは世界でも類を見ないだろう。

922:日本@名無史さん
07/05/19 18:34:12
石上神宮に伝わる十種神宝にこんな名称のものがある。

品物比礼 神輿様の箱。Xという十字架が書かれている。なんと読むのか
蛇比礼  十字架。ヘブレイと読める。
蜂比礼  6角形なのでダビデの星か。名称もヘブレイだ

923:日本@名無史さん
07/05/19 19:57:32
秦氏が活躍した時代は平民には名字がなかったんだし、下の名前だけの人が99,99パーセントを占めていたので

924:日本@名無史さん
07/05/19 22:00:05
>>922
これだね。
URLリンク(kamnavi.jp)

十種神宝。

925:月光仮面
07/05/20 08:07:21
>>904 >>919
欧州の吟遊詩人、日本の琵琶法師、浪曲に文字のない民族が情報伝達する共通の
姿がある。視覚文化に対する聴覚文化というか。
ところで、神武紀は基本的に海洋沿岸を一巡して帰国するオデュッセウス冒険譚に
日本の地名を当てはめたようである。すると本来終着点は高千穂の天香具山で
あったのではなかろうか。すると神武の元妻が出てこない理由もわかる。日向に
渡来した流浪の民のオデュッセウス冒険譚のあらすじを借用したものとすると
神武紀で意味のあるのは近畿の部分だけとなる。

926:日本@名無史さん
07/05/20 20:25:07
古代は部民制度の枠の中に全員はいってるので、神社の氏子に全員がなってる時代から今は
氏子ではない人の方が多い

927:日本@名無史さん
07/05/20 21:00:55
>>922 >>924
よ~く見ろよ。 六角形じゃなくて八角形だし、Xじゃなくて×だ!

928:日本@名無史さん
07/05/20 21:02:11
ranboy_ikuiku@yahoo.co.jp

929:日本@名無史さん
07/05/22 08:25:38
全国民が神社の氏子になってた時代は、つい最近のことです


930:日本@名無史さん
07/05/22 19:37:08
むかしむかし、農夫が、重い傷で動けなくなったコウノトリを畑で見つけた。
農夫の看病で元気になったこの鳥は「お礼に」と、すいかの種を置いていく。
それをまくと、たちまちすいかは大きくなり、中から金貨があふれ出てきた。

 ▼中央アジアのウズベキスタンに伝わる民話を集めた『ウズベクのむかしばなし』にある一編。
コウノトリが親切な人間に恩返しをする内容の伝承は、ルーマニアや韓国にもある。
日本の『ツルの恩返し』だって、主人公は実はツルではなく、コウノトリだとの説がある。

URLリンク(www.sankei.co.jp)


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