琉球(沖縄)の歴史2at HISTORY
琉球(沖縄)の歴史2 - 暇つぶし2ch850:日本@名無史さん
08/09/06 22:04:03
ああ、あと熊野権現も左三巴紋を使うことがあるよな。
基本的に八咫烏が熊野の神紋だからメジャーではないが。

851:日本@名無史さん
08/09/06 22:09:01
>>846訂正
×八重山から古見に武力的に追放するにいたって
○石垣島から古見に武力的に追放するにいたって

×長田大主に宮古島の支配権をゆだねている
○長田大主に八重山の支配権をゆだねている

あと補足しておくというまでもなくアカハチの領地があったのは
石垣島。石垣島の南の方の沿岸部をちょこっと支配していた。

852:日本@名無史さん
08/09/06 22:14:58
あと奄美の支配の実態については史料がない。

北山が奄美諸島の南方、えらぶ島あたりを中心に支配下においていたのは
確かだが、それがどういう経緯なのかはわからん。
だが、これもどちらかといえば冊封的性格だったらしく、八重山同様に、
北山に従属する現地の豪族を取り込んだ形だったと見るべきだろう。
従属しない豪族との間にいさかいがあったというのが実態と思われる。

奄美にもともとどういう文化があり宗教があったのかはわからないが、
現在も琉球から伝わったと思われるノロ制度は一部生きているし、
平瀬マンカイのようなニライカナイ信仰の亜流も存在している。
奄美がなにか文化を王府に奪われたと断じるなら、それ以前になにが
あったのかをいうべきだろう。

853:日本@名無史さん
08/09/06 22:40:49
あと熊野というと補陀落渡海だな。
南の海に観音浄土があると考える仏教の信仰だ。ニライカナイ信仰に似ている。
要するに小船に乗ってわずかな食料を持って南の海に流されるわけだが、
波任せ。いってみりゃ自殺だ。その補陀落渡海をして沖縄にたどり着いた人が
何人かいたともいわれる。ちなみに9世紀ごろの話だ。

しかし補陀落渡海は、別に船を漕いでいくものではなく、船に密閉され
流されるままにいったそうだから、黒潮の海流からいって紀伊半島から
沖縄に流れ着くはずがない。もし漕いで沖縄に行けた行者がいたとしても
熊野から行った人間ではないのではないかと思うんだがな。

854:日本@名無史さん
08/09/06 22:56:42
今調べてみたけど、本当に奄美も宮古も石垣も武力を持って侵略した記録がないな。
琉球王府からの独立を企てた大浜地域の有力者オヤケアカハチの討伐に3千の軍隊を出しただけ。
オヤケアカハチと覇を競い合っていた石垣地域のナータウフシュ始め、他の有力者もオヤケアカハチに従っていない。


855:日本@名無史さん
08/09/06 23:16:08
>>854
調べるまでもない。オレはごく普通の常識をいってるんだから。
奄美も討伐にいってるけど、戦ったのは「奄美」という共同体ではなく
現地の豪族、按司との戦いでしかない。八重山(石垣島)も同じだ。
戦ったのは「八重山」ではなくオヤケアカハチだったにすぎない。

どこの誰が琉球王府は侵略したとかすべて奪ったとかいってるんだ。

まあいってるのは、宮古や八重山や奄美の人間だとわかってるけどな。
ちょっとは謙虚に歴史を学んでからものを言えっつーんじゃ。

856:日本@名無史さん
08/09/06 23:23:47
大局的に見たとき

中国(明・清)←琉球王府←宮古島←八重山

という冊封、朝貢体制があったというのがより正しい理解だよ。

確かに仲宗根豊見親が死んでから王府は八重山の直接統治に乗り出してる。
ここで王府から派遣されたのが、園比屋武御嶽石門を作ったことで有名な
西糖だ。彼はもともと竹富島の人間で、アカハチ討伐のときに才覚を見込まれて
首里に留学していた。竹富島の人間を八重山に帰して、その蔵元(王府の出張
行政機関)の長にしたんだ。

つまりここでも王府は強圧的な支配をしたのではない。
現地の人間を首里で学習させ、人材にして八重山に戻したんだ。

857:日本@名無史さん
08/09/06 23:29:03
>>854
正確には奄美の豪族に対しては何度かある。
完全に平定したのは薩摩に侵略される7,8年前のことだったはずだ。

宮古は全くない。宮古は最初から王府に恭順したからな。
宮古の人間が沖縄を恨んでいるのは、あくまで人頭税の件だ。
人頭税の遠因がどこにあるかといえば薩摩だろ。首里じゃない。
事実人頭税は明治時代に入っても廃止されなかったじゃないか。
薩摩、大和がやってたことだ。
先島の人間から首里が恨まれるいわれなんてなにもないんだよ。

858:日本@名無史さん
08/09/06 23:39:09
ああそれとアカハチ征討についてはさらに行っておくべきことがある。

オヤケアカハチは石垣島出身ではない。波照間島出身だ。
コレがなにを意味するかわかるよな?

オヤケアカハチ自身が、石垣島の一地域を支配していた外来の人物ということだ。
八重山が琉球王府に侵略されたというが、討たれたのはアカハチであって、
しかもその人物は石垣島出身者ではないときた。笑わせるなっての。

859:日本@名無史さん
08/09/06 23:45:08
西塘の前に王府から派遣されてるマンピキユンチュの名前がかなり気になるなあw

人頭税については宮古池間島の来間教授がなかったと言ってるんだが、これについては宮古の人はどう思ってるのかなあ

860:日本@名無史さん
08/09/07 00:05:12
>>859
満挽与人は実態として、古見で徴税を担当していただけだろ。つまり宮古島が
それまで持っていた八重山の利権を首里が奪ったということだな。

王府による統治は出張行政機関である蔵元の設置から始まると見るべき。
西塘の着任から王府による八重山統治が始まったというのが正しかろう。

宮古に人頭税がなかった説は俺も知ってる。
宮古島ではむしろ労役の方がメインだったらしい。人頭税に使われたという
ブバカリ石についても、これは星見石であるとする説がある。
人頭税がなかったという説もあながち間違いではないと思う。
実際のところ人頭税についての史料は八重山が圧倒的だ。

861:日本@名無史さん
08/09/07 00:07:00
ちなみに西塘は最初、故郷の竹富島に蔵元をつくるが、不便だということで
石垣島に蔵元を移した。

このときから石垣島が八重山の中心地になり、かつては古見島ともいわれた
西表島の凋落が始まったわけだw

862:日本@名無史さん
08/09/07 01:03:48
>>855
宮古や石垣や奄美の人間は全て奪ったとまでは言わない。
特に奄美は。言って得するのは薩摩。人頭税制開始に
深く関与していたことや、奄美併合後の黒糖地獄を覆い隠して
責任を全て首里王府に押し付けようという魂胆。
人頭税制については当然、首里王府にも責任はあるが。

863:日本@名無史さん
08/09/07 02:15:46
久々のQ&Aですね。

>>855-858
フユーや柳田國男の時代で止まってる方も居るというだけでしてね…
(平良市のWikiとか逆説~さんとか)
宮古島市や八重山ガイドなど、しっかりしたサイトには、赤蜂や人頭税についてなかなか適切に書いてあるんですよ。
イリキヤアマリを禁止したのは180年近く後の法師です、等等。
各島の史家も、あまりネットに出てこないだけで、大したものだと思います。
まぁ、懸案の地から偉大な人物さんが出ると、それが定説のように流布していくものなのかも知れません。
それに、メディアや映画や演劇が乗っかって「演義」ができて来る。
赤蜂や鄭?は、陳寿に書かせたら酷い扱いになると思うんですが…

864:日本@名無史さん
08/09/07 02:25:00
>>863
ほう。そうなんだ。
でもそうだとしても一般的には首里を憎む先島の人たちは多いわけで、
偏見は解かれていないからな。

伊波普猷や柳田國男でとまっているというか、彼らすら知らないのが
沖縄県民じゃないの?

イリキヤアマリを禁止したのはずっと後ということは言われてる。
史料が残ってるからな。だからオレもアカハチについてそれについて
触れなかったわけ(笑)

865:日本@名無史さん
08/09/07 02:33:49
>>862
薩摩がいい思いをするのはわかる。
沖縄、琉球学を学んだ上でさらに近代本土史を学ぶと
薩摩の連中がいかにろくでもない連中だったかがよくわかるw
オマケに薩摩=明治政府みたいなもんだしな。

866:863
08/09/07 02:54:03
>>864
>彼らすら知らないのが沖縄県民じゃないの?
まぁ、それは否めませんね。
私なんか、名乗頭をまるっと忘れられて名付けられましたし。

>首里を~人たちは多いわけで
沖縄島内であっても、屋取の裔としては、現代首里人の動向に賛同できなかった面も多いですよ。
イデオローグ扱いされてた御大は、そうすべき理由があったと私は評価していますが、
城はシーツの時のままで良かったんじゃないかとすら思ってます。
正直、彼らが満足しているのが歯痒い。

867:日本@名無史さん
08/09/07 03:08:43
>>866
ま、すべてにおいてルーズなのが沖縄人でそれが長所でもあり短所だとも
思うけどな。ただオレはその「否めない」って現実はどうなのかと思うね。

沖縄人がアイデンティティをどうやって構築するかって問題で、
最低でも伊波や東恩納がどういう仕事を残したかくらいは
知っていてしかるべきだろ。その上で高良倉吉なんかがどういう思いで
首里城を再建したかって話が出てくる。
だから今の首里城は、まるで本質的な存在ではない。

しっかしこうして書いたことに沖縄県民のどれだけがついてこれるのかと思うよ。
悪いけどな。小林の「沖縄論」とか読んで感心してるレベルだからな。

868:日本@名無史さん
08/09/07 17:15:30
学校でも、琉球の歴史はほとんど教えないしな


869:日本@名無史さん
08/09/07 17:22:32
「日本史」がすでに歴史の勝者の歴史観。

琉球史を教えている学校が本土にあるのかね。

870:日本@名無史さん
08/09/07 17:33:56
日本の中に琉球史があることを認めると、所謂「日本」とは「大和」のこと
なんだと客観的に実感できる。
また同時に「日本国」の現実は「大和だけではない」ということもわかる。
日本という国の有り様を正しく理解するには琉球史の知識と視点が必要だ。

ところが肝心の沖縄県民が自分たちのアイデンティティや存在価値に
自覚的でないという皮肉があるw

871:日本@名無史さん
08/09/08 01:53:52
テーミス 2008年9月号
<社会・文化>  沖縄戦の真実(下) 米軍統治の功罪‐「民生改革」と「反日教育」

沖縄では「反日反米」の論調が強いが、沖縄戦後の米軍統治時代は、沖縄の医療、教育、
女性の地位向上などに大きく寄与した時代でもあった。その一方、日本復帰を阻喪させる
ために反日教育も進められた時代であった。ここで冷静に「米軍統治時代」の功罪を検証する。
URLリンク(www.e-themis.net)

(主な内容)
沖縄にはもともと、農民の土地私有を許さず、村落ごとに課税し、耕作地を村落単位で
定期的に替えさせる「地割制」という支配体制があり、結婚も同じ集落の中で行われた。
異なる集落の者と結婚する場合は、青年会会長(ニーセーカシラ)に罰金(馬手間)を
支払う必要があるのだが、それは到底払える金額ではなく、そのため、同じ集落内での
近親婚になりがちで、沖縄ではその影響で現在でも遺伝子異常者の出生割合が高い。
また、集落内では夜、男女が広場に集まって「毛遊び(モウアシビ)」という乱交パーティー
が繰り広げられており、沖縄では性病が蔓延していた。また歴史的に男逸女労社会で
あったために女性の地位が低く、女子の人身売買が公然と行われ、内務省が禁止令を
出しても効果がなかった。
さらに、沖縄ではマラリア被害が非常に大きく、地域によっては沖縄戦の死者数を上回る
犠牲者を毎年出していた。
そうした沖縄の悪しき環境・伝統・風習を改革したのが戦前の日本政府であり、そして、
戦後の米軍統治であった。

872:日本@名無史さん
08/09/08 02:07:51
ああ、琉球列島米国民政府ユースカーよ!
再統治を!

873:日本@名無史さん
08/09/08 04:21:35
「1945年当時のアメリカ人の沖縄人観」ハワイ大学教授・崎原貢

三つの記事(ホノルルアドバタイザー紙、デトロイト・フリープレス紙、ニューヨーク・タイムズ紙)に著しく目立つのは、
日本と沖縄をはっきり分離して、沖縄人を日本人ではないと断言している点である。第二に常に沖縄人を被圧迫民族、被征服者、日本人を圧迫者、征服者として捉えている事である。
沖縄人の生活は惨めであるが、それももちろん何世紀にもわたる日本人の搾取の結果であり、今度の沖縄戦で、
沖縄人が日本軍に非協力的で消極的であるのも無理はないとする。第三に両者は性格的にも明らかに異なる。(中略)
沖縄人は温厚、勤勉で平和を愛する民族である。
沖縄人は貧乏で家には家具一つないけれども、食べるものがあり生活が少しでも安定していれば不平を言わない。
単純で愛すべき民族である。(中略)
礼儀正しくて、古代琉球王国は、中国から守礼の邦と呼ばれたほどであり容貌も理知的である。
これが沖縄人であるとすれば、全知全能のアメリカ人の救助願望を満足させるに足るような、かわいそうな人たちであり、
アメリカ人としては、自分の名誉にかけてもジャップの手から沖縄人を解放しなければ、という気持ちになるのである。


874:日本@名無史さん
08/09/08 23:26:13
沖縄を学習してないバカがまた話を自分がわかる小林よしのりレベルの
話に引き戻したいのか?w

バカは沖縄を語ろうとするなよ。バカなんだからよw

沖縄を語る資格があるのはオレのように勉強してる人間だけだ。
そして沖縄を語れない人間は日本人じゃねえんだよ。

ニュー速+にでもいってろバカどもwww

875:日本@名無史さん
08/09/09 18:47:53
しかし話がちょっと深くなるとぴたっと止まるなこのスレ。

大和人はおろか沖縄人自身がいかに沖縄について無知かよくわかる。

876:日本@名無史さん
08/09/09 19:57:26
>>867
はっきり言ってついていけません。ごめんさい><
今日の部活に出るの鬱だわぁとか、何故に女って怒ったら黙るの?言ってくれなきゃわかんないじゃない
!とか、いつまで青年会にいるば?お前はもう中年やしが(#゚Д゚)なんて人間関係に疲れたりナドナド
歴史にそう興味が無く、自分の生活リズムを大切にする人にここで書かれていることを突き付けてもΣ(゚
д`*;)ハァ?って状態になると思う。だけども別にそれは罪じゃない。

ついていけない沖縄人+自覚的でない沖縄人=沖縄の歴史を知らなくとも沖縄人と言える状況が生まれつ
つあるのではなかろーか?
しかし、無自覚だけれども【何故か】生まれ島を思う心は御しがたいぐらいにドでかい。
その【何故か】を説明するには歴史を紐解いていかなきゃならないと思うけど、歴史ってのは重すぎるよ
ね。・・・・・・・・歴史は重くて当然!!故に歴史と対峙した場合は謙虚さが必要なのです!  うむ
、ごもっとも(´・ω・`)

ごもっともですが、その重さのために生活のリズムに溶け込みにくいし億劫であり、ちと堅苦しい。
そこにだ!?あまりにも手ごろなインターネッツや、分かりやすいゴーマンが出てきてしまった。とても
とても身軽でとっつきやすい媒体。自分の主張したい事や批判したい事をド派手に見せ付けるほうに地価r
を入れるので歴史と対峙したときの謙虚さはやや弱め。つまりはアジテーターでありますm9(`・ω・´)シ
謙虚さを脱ぎ捨てたアジテーターの速度といったらもう目にも止まらぬ早業!アレヨアレヨと浸透してい
きますw
となると?パーがチョキに勝てないように、歴史は重みがあるため、アジテートの速度には絶対勝てない
のではありますまいか(`;ω;´)ブワッ
沖縄は何をもってして沖縄であるかと紐解く手段は常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?
残された道といえば・・・・沖縄人をやめることですな。平和人にでも愛国烈士様にでもなってしまえば
沖縄を考える煩悶から解放されるのでしょう(ノД`)



877:日本@名無史さん
08/09/09 19:59:04
>>871
そんな事で僕は自由の翼を広げた先で【魔法の言葉:解釈の自由】を手に入れることに成功しましたw
僕の中では「歴史の真実」とか「不都合な真実」とかを伝えろとすっぱい顔して憤慨しながらも、同じ舌
で琉球王朝は久米村に支配されていたのでございますよ!と歴史を語る愛国烈士=アジテーターでござい
ます。
しかし、せっかく紹介されている本を読まずしては批判もできませぬし、扇動されて流れてしまわないた
めにも「読者の70%が部長以上の役職者」とまばゆいばかりの謳い文句をかかげているテーミスを購入しよ
うとしましたところ・・・・・
なんとコンビニ決済ができないじゃありませんかΣ(´д`ノ)ノ  沖縄人は年収200万以下で暮らしている
のは周知の事実。貧乏暇なしの言葉のとおり、気が付けば閉まっている銀行・郵便振込みを活用する暇が
ありません(そんな暇があれば酒を飲むので)
そこでお願いがあるのですが・・・・愛国烈士様が何を参考に書かれているのか記事内に紹介があれば教
えていただきとうございます(・∀・)オホホ

批判者とアジテーターは完全に別であり、何で見分けるのかと言えば歴史の取り扱い方でしょう
どう取り扱っているのかを理解するためには歴史に体当たりしていかなければなりませぬ
とはいえ、これまた億劫であり、めんどくさいので、入り口となり得る歴史の面白さからも沖縄県民は遠
ざかってしまうのでしょうか?(´ω`)

さて、僧侶の知識や現地琉球人から聞き取って書いたと思われる琉球神道記
さらに読んでいきますと? ・・・・・なんぞこれ?と首を傾げるとこがでてきます
「中ごろ、小松の内府の重盛は平家一問の繁栄を本宮に祈られた。ウンヌンカンヌン
・・・喜界の流人の少将成経と沙弥尚秀は三社にお祭りして京都に帰られることを祈られた
卒塔婆流れの歌は次のとおり」

さつまがたおきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜ
おもひやれしばしとおもふたびだにもなほふるさとはこひしきものを

むっ!? これは平家物語の卒塔婆流しではありませぬかΣ(´д`ノ)ノ

URLリンク(kazeoto.com)
なにゆえ琉球神道記に平家物語が??

878:日本@名無史さん
08/09/09 20:02:20

MMRに入隊すべく想像の翼を広げまして「平家物語を読む~成立の謎をさぐる 早川厚一~」をペラペラと
・・・フムフム
平家物語では平家の守護神厳島明神により平家の興隆が予知され、源氏の守護神・八幡大菩薩により平家
の衰退と興隆が予知される。
ところが厳島明神・八幡大菩薩よりもいち早く平家の衰退・源氏の興隆を予知する神として平家物語に一
貫して現れるのが熊野権化である・・・・・・く・・熊野だと!? ここでも熊野だと!?
MMRが何かを調査していつの間にかノストラダムスにたどりつくのと似ていますかな(・∀・)

熊野の神々が関わる記事
平家の興隆 鱸 URLリンク(kazeoto.com)
平家の衰退 熊野参詣 URLリンク(kazeoto.com) などなど

平家物語の成り立ちには当時のお坊さん達や伽藍の成り立ちも密であるとの事
しかし・・・今の価値観からみるとこの時代の神職ってのはロクデナシの集団ですな。生臭ですなナマグ
サ><

このように平家物語の成り立ちには当時の坊さんや神仏が当然のごとく関わってくる。
当時の坊さんは平家物語などを覚えるのは一般教養であったのではありますまいかm9(`・ω・´)シ
なんで袋中上人が琉球国の多くの伽藍をあげ、垂迹の本地を明らかにすると言っているように平家物語の
一文が出てきてもなんら不思議じゃないことが分かりました 。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ
となると?当時の坊さんたちはミナミ島・薩摩潟より沖の小島は想像も付かぬ鬼が住む島。日本の範囲外
。そう喜界と認識していたと説明しても合点でございます。
なぜかといえば平家物語では「さつまがたとは惣名也、きかいは十二の島なれば、くち五島は日本へ随へ
り、おく七しまはいまだ我朝に従はずといへり、白石、、あこしき、くろ島、いわうが島、あせ納、あ世
波、やくの島とて、ゑらぶ、おきなは、きかいが島といへり」とあります
当時の知識人や宗教人は南西諸島のどの位置にどういった島があり、そこは何々島とかでなく、この地域
全体を自分たちの生活範囲から飛び出た領域=喜界=鬼が島・・・・南は鬼の巣ね・・・(ヽ´ω`)
と認識していたのでしょう

879:日本@名無史さん
08/09/09 20:04:05
さあ、そこで琉球入りしたといわれる源為朝どのが活躍する保元物語を読んでみまそ
下巻・第二十章…為朝が鬼が島に渡ること、ならびに最期の事
URLリンク(www.geocities.co.jp)
そう!保元物語にも為朝が琉球に行ったなんぞ書かれていません!というかこの時代、日本本土および南
西諸島のどこをさがしても為朝が来たなんて話しは一切なかったのではありますまいか!?
じゃあどこから沸いて出たのさ!? 火が無いところに煙はなんとやらですぞ? ふむ・・・ごもっとも

そこで(仮)ではありますが、まぁ話しを聞いてたもれ(・∀・)
ポイントは琉球の天界寺の鶴翁和尚さんの時代背景でございます!
①尚泰久王の御世はヤマトの坊さんがたくさん来琉した時期。
②平家物語や保元物語を一般教養としミナミ島を喜界と認識していた坊さんがワッサワサ
③いままで喜界といったぼんやりとしたイメージが琉球といった確たる存在に転換した
④為朝鬼が島(日本より外の範囲が及ばない喜界)渡り→為朝琉球入りが確立
⑤それが琉球内でも流布し始めた
⑥天界寺の琉僧・鶴翁和尚もヤマト和尚との交流でそれを知る
⑦鶴翁和尚がヤマト旅に出かけたときにその話を京都の和尚さんに話した
⑧為朝琉球入り説の出来上がりヽ(´ー`)ノ

880:日本@名無史さん
08/09/09 20:05:00
そう、為朝琉球入りの原型は鬼が島渡りの御伽噺でありました
その御伽噺が琉球=喜界のイメージのまま輸入され、お坊さん達によって育まれ(笑)それがまた日本本
土にも伝わったのでは!?
なので為朝がやってきた説は沖縄本島のみならず、遠く離れた島=喜界にひろく見られるのではありませ
ぬか!!!・・・・・・(・∀・)ドンナケ?
【参考資料:平家物語 保元物語 平家物語を読む~平家物語を読む~成立の謎をさぐる 早川厚一~ 
しまぬゆ特別企画1609年奄美・琉球侵略 琉球神道記 】

さて、よしりんは沖縄論で【琉球・沖縄の伝統文化の多くは薩摩の支配下で創造されたものである】
と紹介していまして、【沖縄の歴史書は保元物語・源氏物語】にならって書かれたとしています
ふむ、この歴史書とはイラストでもわかるように中山世鑑を指していますな。
では中山世鑑のどの部分が保元/源氏物語なのか紐解いていきましょう(・∀・)
ふむふむ・・・・・って東恩納おじさんがどうやら怒髪天のご様子 (((( ;゚Д゚)))

881:日本@名無史さん
08/09/09 22:14:02
大和人も何が大和文化なのか知らないしな
この先進国は働くのに一生懸命でそれを知る余裕もない

資源さえあれば……もう一度大東亜共栄圏をぉ

882:日本@名無史さん
08/09/09 22:48:25
>>876
>常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?~
それでも、被害妄想に陥ることなく、学ぶ他無いんでしょうね。
私は何度も沖縄人をやめようと思ったことがあります(汗)。
里主の逸る気は分からんでもないですが、ここのところの岡本的と言うか、
大宅的というか、周的な煽りに無理して呼応せずとも良いでしょう。
素人の我々が、直情径行な大和気早のようになっても詮無い。

源平に関して言えば、沖縄が源氏で宮古や大島が平氏的な扱いになっているのも面白いですね。
各名門が持つ大和名も、源平藤橘の名に若干符合するところがあるように思えました。

883:日本@名無史さん
08/09/10 00:18:56
大和を引き合いに出さなければアイデンティティをもてないのだろうか?

「薩摩芋」や「薩摩揚げ」って呼び名にクレームつけろよw

884:日本@名無史さん
08/09/10 00:36:06
ほう、やっと自分のルーツについて少しは調べられるようになったと評価してやろうと思ったのだがなw
褒められるのは、親の代から変わり身の早いところだけだな。

885:日本@名無史さん
08/09/10 12:39:44
>沖縄は何をもってして沖縄であるかと紐解く手段は常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?

勉強しないのを正当化するなW
少なくともここでアジってる奴は教養を持ってアジってるんだ。
教養のない小林よしのりのようなアホに反論できないようだから駄目なんだよ。

886:日本@名無史さん
08/09/10 20:52:56
薩摩焼きもクレームつけなきゃね

まぁ、日本に最初に入ったのが薩摩だから
薩摩○○ってのは別にクレームつけるところじゃないけど

>>884
評価してくれるだけの大和文化を一つ披露してくれ~( ゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ


887:871
08/09/10 21:12:02
>>877
テーミスはジュンク堂で立ち読みしただけ。
非買雑誌は、一部大型書店で売られているケースが多い。置いてある図書館もあるよ。
沖縄はどうか知らないけど。
たしか、沖縄の人が書いていたと思うけど、氏名は失念。参考図書なんて紹介してたかな?
はっきり覚えてない。「地割制」ならネット検索すれば出て来るが・・・

888:日本@名無史さん
08/09/10 21:31:06
>>886
>まぁ、日本に最初に入ったのが薩摩だから
>薩摩○○ってのは別にクレームつけるところじゃないけど

もうさ、その2行ですら議論が出来るんだよ。

「なら沖縄は日本ではないのか」「沖縄が国内でサツマイモや揚げ物焼き物の
ルーツが鹿児島ではなく沖縄にあることを訴えることはナンセンスか」
「沖縄が日本においてどういう位置を占めているのか、また社会的にどう
認知されてるのか」

いろいろ論点が出てくると思うぜ。
沖縄の民族主義者と大和同化主義者と大和人じゃ意見は全く違うと思うがどうよ。

889:日本@名無史さん
08/09/10 21:46:28
仮に薩摩芋が駄目でも琉球芋じゃなくて江南芋、もしくは南米芋だな

890:日本@名無史さん
08/09/10 21:54:52
メキシコ芋だな

891:日本@名無史さん
08/09/10 22:16:52
ま、唐芋か琉球芋、間を取って蕃薯か甘藷ってとこか。

まあ、たとえばこういう議論が戦わされることこそ、沖縄のアイデンティティを
内外に対して形成していく努力だと思うが、沖縄人ってのはそういう意識が
全くないよな。

歴史についても俺のような大和人のほうが詳しい。奮起してもらいたいもんだ。

892:日本@名無史さん
08/09/10 22:32:17
歴史は実証主義でいわば科学なんだからそんな感情論は議論にはいらん
アイデンティティなんてのは個人で形成してけばいい

893:日本@名無史さん
08/09/10 22:35:32
感情の介在しないアイデンティティなどあるまい。

894:日本@名無史さん
08/09/11 20:00:36
なんで沖縄人の発言が止まるかな…

895:日本@名無史さん
08/09/11 20:25:23
>>891
やれやれ、専門家に相手にされなんで、素人相手にまた俺様自慢かw
薩摩の芋っぽなんぞと言われたくないから、別にサツマイモで構わんよ。

896:日本@名無史さん
08/09/11 21:16:33
相手にされてないのはお前だろw
スレの質を落とすなよ。

897:日本@名無史さん
08/09/11 21:29:45
>>896
いい加減、駄スレと一緒に上げるのをやめろ。
奮起し得ざる理由は、普猷も書いておる。
御前のようなアジ野郎こそ、国家統合の障害だ。

898:日本@名無史さん
08/09/11 22:23:41
国家統合w
異民族の統合に価値を感じてるのは大和だけだろw

そういうところで価値をすり替えるのが
沖縄論のゆがみだとわかっていないようだ。

899:日本@名無史さん
08/09/11 23:54:24
>>882
歴史の重みは主義主張によって左右されないものであると強く自戒し、膨大な時間をかけて歴史に対峙し
た人達であれば、さすが史家!アジテーターが100人乗ってもだいじょーぶ!と言えるのだろうけどもね・
・・・歴史とは散歩中に「おっ!?あれは何々のアレアレの時代のどれそれがモチーフのホニャホニャで
すな(・∀・)」って散歩を楽しむツールぐらいが丁度いいぐらいなのでしょうかねぇ

>>885
薩摩入りを同族による外圧としながらも、琉球は宮古・八重山を侵略した!ゴーマンの延長線にある
>>842に対する答えを>>845のように説明できない歴史認識のレベルを勉強不足だと言われれば確かにグゥ
の音もでません。
しかしですな?注釈本よりもたまごクラブ。解説書よりもチャンプロード、おもろさうしと睨めっこする
よりも、農協からの督促状相手に睨めっこっと生活の中に歴史を学ぶ時間が全くなくても生活に支障はな
い。その生活リズムの中に無くても困らない歴史を学ぶ作業を組み込むにはどうしたらいいわけ?
反論するために歴史を学ぶの? そんなの苦痛でしかないし!
家から帰ってきてパソコンに電源を付けてココを覗く人達にとっては、反論といった行為にいろんな重み
を付けれるのだろうけども、ここに書かれていることについていけない人にそんな理由で歴史を学ぶ意義
とし、たきつけても(`皿´)ウゼーで終わるだけだよ?
もし、それが発端で歴史に興味を持ったとしても立派なアジテーターしか育たないのではありますまいか
?嫌韓流を読んで何かに目覚めたイタイ人と同じでしょ?

>>887
('∀`;)アンレマw 返事がくるとは思わなんだ。しかし僕が住んでいるところは米軍基地があるくせに戸締
りしなくても空き巣被害がないイミフなド田舎なので・・テーミスみたことありません(笑)ヤンバルク
イナを探し出すほうが早いです。参考図書のとかなかったのね・・・・・・・まぁあんがと

900:日本@名無史さん
08/09/11 23:55:52
だから、学んだ歴史を高みにおいたままじゃ素人からこう叫ばれても仕方ないの
琉球・沖縄の歴史って聞けば国家統合だの奪われた言語だのもーうんざり´Д`・・・・ってね(・∀・)
歴史をとっつきにくくしている状況を作り出しているのは史家の怠慢も原因じゃありませぬか?ってゴー
マンかます者であります(>Д<)ゝ”

いやいやどぞどぞ続けてくんさい。何だかんだで見ていてフムフムとためになりますゆえ
さて、上級者vs上級者。初心者to初心者で進めていきまそ。
時は1416年。尚巴志中山連合は北山に進撃! 猛攻撃を受け壊滅寸前の山北城主・攀安知の活躍劇!
もう、勝てぬか・・・(´・ω・`) 自害するときだが・・・・今一度合戦をしかける!死装束ぞ!
と身に纏うは「赤地ノ錦ニ直垂ニ、火縅ノ鎧ヲ着、龍頭ノ甲緒シメ、千代金丸ト重代相博ノ太刀ヲハキ三寸五尺ノ小長刀
ヲ腋ニ挟ミ花ヤカニ・・・・」
むっ!?この様子はまるで源氏の若武者か平氏の雅か・・・・・
南無八幡大菩薩!(`・ω・´) 兄弟一族只17騎で3000の敵に突っ込んでいきます
攻撃力・防御力MAXの最終最強装備を手に入れた攀安知の活躍は千切っては投げ千切っては投げと鬼神の如
し!えぇーい!遠巻きに射てぇー!ひるんだ尚巴志中山連合は弓矢の雨を降らせます。死に花も持たせぬと
はなんと非情でございましょうか(`;ω;´)ブワワッ
10騎は矢で射抜かれ、残るも矢まみれ血まみれ・・・これ以上罪をつくっても仕方なし、敵の手にかかる
も末代の恥辱と攀安知は割腹するのでありました・・・・・「中山世鑑」より

901:日本@名無史さん
08/09/11 23:57:55
また、舜天の活躍劇では・・・天孫氏を滅ぼした利勇を討たんとして「やぁやぁ!我こそは不肖の身なれ
とも日本人王五十六代後胤六孫王八世の孫鎮西八朗為朝の子としてホニャホニャとにかくお前を討つ(`Д´)」
となんとまあ説明すぎる説明乙って感じで登場してきます。
源為朝が琉球入りする経緯までは「後白河院御即位の事」「新院が為義をお召しになられる事」「新院が
御所各門を固められる事」「朝敵の宿所を焼き払う事」「為義降参の事」「為朝が生け捕りにされ流罪に
処される事」がまるまるって言っていいぐらいに使われて説明されてます
よしりんに「つまり薩摩侵入があったからこそ作られた歴史書である」と評された中山世鑑。
保元物語にならって書いた部分はこのような軍記チックなとこなんですね

さて、時は遡り今よりちょっと昔のお話し。
「( ´,_ゝ`)プッwwww向象賢ウケルwww 薩摩に気に入られたいがために為朝琉球入りの説を捏造し
ておるわいww必死すぎwwwこんなトンデモ話は向象賢が中山世鑑に書いたのが最初でしょうww」と
どこかの教授が評します。
これを聞いた東恩納おじさん「吾人はこれに甚少なからず悩まされ」と向象賢が為朝琉球入りを考え付い
たなんて説にはものすごい疑問である(`皿´)とプンスコ
さあ!>>817の そりゃぁ、島津のでっち上げwを紐解いていきましょう!・・・・・たぶんこのことだは
ず(・∀・)


902:日本@名無史さん
08/09/12 16:20:21

三山時代以前の王の名前は、みな中国人っぽいさーねー。
ヤマトーンチュがわざわざ「英祖」「察度」「汪英紫」って名付けるかねー。(名付けないと思う)
中国には普通に今でも「汪」さんって名前がいるさー。
何が言いたいかというと、琉球の支配層は中国から流れてきたと思うわけさ。

脳の奥にある思考そのものが中国人じゃないと、こんな名前は思いつきもしないでしょう。
ヤマトーンチュがわざわざ沖縄にきてさー
「英祖です。汪英紫です。他魯毎 です。」と言うかさ!名乗るかさ!

源為朝説は歴史の改ざんに決まってる。
誰が信じるかさー。

「中山」
察度(Cha-du)
武寧 (Wu Ning)

「北山」
怕尼芝(Pa-ni-zhi)

攀安知

「南山」
承察度(Cheng-cha-du )
汪英紫(Wang-ying-zi)
汪応祖(Wang-ying-zu)
達勃期 (Da-bo-qi)
他魯毎 (Ta-lu-mei)

903:日本@名無史さん
08/09/12 16:46:51
タルミイかっこよす

904:日本@名無史さん
08/09/12 17:09:06
汪応祖の「応」は本当は「應」でしょう?

905:日本@名無史さん
08/09/12 20:56:17
902=904は私(^^)。
羽地間切王子の子孫だよ。

思紹 (Si-shao)
尚巴志(Shang Ba-zhi)
尚忠(Shang Zhong)
尚思達(Shang Si-da)
尚金福(Shang Jin-fu)
尚泰久(Shang Tai-jiu)
尚德(Shang De)

小林よしのりの「沖縄論」を読んでみたけど、なんで「門中制度」が
薩摩起源になってるの?

「門中」が「薩摩の琉球入りがなかったら生まれなかった習俗である」とP143に書かれているわけ。

馬鹿なの?



906:日本@名無史さん
08/09/12 21:33:36
沖縄を侵略したがっている中国人ID:gIUW0TC+
スレリンク(news4plus板)

286 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/09/12(金) 19:53:42 ID:gIUW0TC+
考古学籍証拠によれば日本は中華の奴婢自治区(漢倭奴國王)で始めたことを直視して
琉球も中国固有の領土だった

515 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/09/12(金) 21:18:02 ID:gIUW0TC+
香港は確かに発展しています. お前香港の経済発展率を見たのか? 香港はもうアジアの商業と貿易の中心地

琉球は地政学的位置は香港よりもっと良い

強い中国の一部になったら戦争心配がない. 日本は軍事基地で使っているが, 中国は東アジアのハーブで. また経済的文化的繁栄を享受することができる. もちろん中国は 一国両制の自治を保障してくれるでしょう.


907:日本@名無史さん
08/09/12 21:35:00
沖縄の歴史をドラマで放送して欲しい
日本の歴史飽きた

908:日本@名無史さん
08/09/12 23:40:31
このサイトは知ってる?
URLリンク(www.google.com)

909:日本@名無史さん
08/09/13 00:26:41
アイヌと琉球もドラマ化すればいいのに
大和人のオナニーがひどい

910:日本@名無史さん
08/09/13 14:43:42
>>907
つ 琉球の風

もっともあれは現実の登場人物が主役じゃなかったし半年しかやってないし。

琉球は日本の歴史時代劇のように特定の個人がなにをやったかの詳細な
記録がないんだよね。

オヤケアカハチあたりならドラマになりそうだけど。

911:845
08/09/13 15:18:12
>>899
無論、オレは議論やアジのために沖縄の歴史を学んだわけじゃない。
沖縄が好きだから沖縄学を学んでいるんだ。
だが沖縄人は沖縄のことを好きだが沖縄学を学ぼうとは思わない。
それはそのままでいいが、小林よしのりのようなバカが出てきたときに、
沖縄人が何の反論も出来ないことが歯がゆいのさ。

]>>905
門中は中国起源だね。どの学者もそういってる。
中国にはほとんど残っていないが。
まあ、支配層が中国から来たというのはひとつの意見としてあると思うけど、
もともと琉球の文字文化ではない漢字を論拠にするのはいかがなものかと。
一般論としては単なる韻への当て字と考えるべきで、琉球が中国の冊封を
受けていた歴史を踏まえれば韻に中国風の漢字を当てただけかもしれない。
ちょっとだけ反論しとくわ。

あと、第一尚氏以前の琉球が大和に強い親和性を持っていたのは一方で
事実だ。勝連を鎌倉にたとえてみたり、京都に行くことを「上る」といったりね。
勝連や久高島をはじめ各地に「赤椀の世直し」の神歌もある。
太陽神がヤマトの臍から来たと歌うものだ。
もちろん琉球が大和の支配者に服従した記録はない。しかしそうした大和への
意識の強さも一方で論じなければならないと思う。

912:845
08/09/13 15:34:37
ああ、どっちかというと仲宗根豊見親の方がドラマになりそうな気がするな。
八重山アカハチ討伐→与那国島鬼虎討伐→死去
という流れは本土の戦国時代劇にも劣るまいw

913:日本@名無史さん
08/09/13 18:04:56
サンアイイソバきぼんぬ。

914:日本@名無史さん
08/09/13 18:09:32
沖縄の卑弥呼こと、サンアイ・イソバ

915:845
08/09/13 19:19:14
仲宗根豊見親の活躍を主軸にした方がいろんな人物出せるじゃん。

宮古島:目黒盛豊見親(仲宗根の曽祖父、宮古島を統一した武将)
     仲宗根豊見親と祭金他の子供たち、
     金志川以下将兵、クイダニ以下の4人の司(祝女)
首里:尚真王、音智殿茂金(月清/初代の聞得大君)、
    アカハチ遠征の大里以下九将
久米島:君南風(祝女)
石垣島:長田大主とクイツバ、マイツバなど肉親、オヤケアカハチ、満慶山
      多田屋オナリ
西表島:古見の主、慶来慶田城
竹富島:西塘
与那国島:サンアイイソバと4人の兄弟、鬼虎と娘
波照間島:シシカドン

どうよ。

916:羽地間切っ子
08/09/13 20:32:57
>> 911さん


グスクから見つかった壷は中国や東南アジアの壷が圧倒的でしょう。
14世紀に築城された首里城でさえ出土した壷の8割近くは中国の壷だよ。
大和の壷は、タイやインドネシアの壷よりも少なかったんだよ。

14世紀以前の琉球の初期勢力(英祖~三山時代)の浮上は、中国の影響が圧倒的に強かったと私は思う。

理由は、神聖な場所であるウタキ・グスクの各地から中国貨幣がたくさん出土してるから。
7,8世紀の中国貨幣が沖縄から沢山見つかってるってことは中国との交流が明らかに強かったことでしょう。
7,8世紀どころか、燕の貨幣が沖縄から出土しているくらいだもん。

8世紀~13世紀の大和貨幣や壷が、中国貨幣や壷をしのぎ大量に出土したなら、琉球の初期勢力が大和から流れ着いたとか、
大和がきっかけで国を形成するにいたったと言えるかもしれない。

結局、グスクや神聖なウタキから中国貨幣がでてきてるんだもん。
純粋に考えれば、支配勢力の出現は中国がきっかけになったと思う。


917:845
08/09/13 21:29:52
>>916
いや、別に否定はしないよ。中国の影響は大きかっただろうと思うし。

だが一方で大和とのつながりの強さをしのばせるものもあるということ。
ことにクェーナやウムイといった神歌に大和との関係性が歌われていることは
注目すべきことだって話。

918:日本@名無史さん
08/09/13 22:45:10
琉球が大和と関わるのは薩摩の侵入後で日本の文化の影響があるが
それ以前とは明らかに異なる
薩摩侵入以前の建造物などの遺跡は明らかに日本ではないし出てこないが
何故か大和瓦が勝連城から出土している
さらに不思議なのはひらがなで書かれた「ブツ」が出てくる。
例えば玉御陵の碑文がある
しかも、文は明らかに日本語である
本物なら16世紀に琉球人は共通語に近い日本語を話していたことになる。
薩摩の侵入時に言葉は通じず中国語でやり取りしているのである。
おそらく、玉陵碑文は明治になってひらがなの日本文に書き換えたんだろう
つまり、捏造、贋作の類であるといえる

919:845
08/09/13 22:46:51
と、小林よしのりのアホが言ってたのか?

920:日本@名無史さん
08/09/13 23:00:43
>>899
今度は旭屋書店で立ち読みしてもう一度確認してきた。
書いているのは、ジャーナリストの惠隆之介。参考図書は紹介してない。

Ryunosuke Megumi Home Page
URLリンク(www.cosmos.ne.jp)

921:日本@名無史さん
08/09/14 00:31:54
>>908
沖縄の古い人名が当て字というのは結構言われている事だよね。
本格的な中国名(唐名)を使うようになったのは第二尚氏時代で家譜が作られるようになってからで、それも専ら大陸向けの名前。

>>902は違うと思う。
それに為朝は単なる言い伝えであっていちいち改竄なんて言っていたらキリがないし。

922:日本@名無史さん
08/09/14 12:50:22
>>889
普通は「ウム」だが・・・

923:日本@名無史さん
08/09/14 13:06:25
仮に琉球独立したら、国防はアメリカに任せるんですか?新たに琉米安保条約を締結させんんですかね?それとも琉球国軍を発足させるんでつか?首相は仲間由紀恵になるんでつか?

924:日本@名無史さん
08/09/14 16:21:36
歴史の話題じゃねえだろw

925:羽地間切っ子
08/09/14 20:34:48
沖縄の民間信仰が、固有・土着の民間信仰とか、
神道に通じるとか言われたりするけど、
中国道教から得たもので固有・土着ではない気がします。

①あちこちの集落に土帝君(トゥーティークー)の神様(道教の神様)が祀られてる。
②1700年代の中国側の資料に「琉球で竈祭=(かまどの神を祝う祭)が行われていた。」との記述があること。
現在は、台所の隅っこに「火の神(ひぬかん)」が置かれていて、私の母親は、毎月旧暦の1日・15日に必ず線香たてて
家族の健康のお祈りをしています。
③沖縄の線香(ヒラウコー)の謎
線香(ヒラウコー)は、細い長い線香が6本くっついて1片となっています。
1人でお願い事をする時、彼岸や他人の家でお祈りする時は、3本(1/2片)ウコー。
旧暦の1日・15日の家族の健康を祈る時は、12本(2片)ウコー。
24本(4片)ウコーは、神人(カミンチュ)しか使用できない。
祈りのタイプによって線香の数が決められてる。
この線香(ヒラウコー)の使用本数は、3の倍数が基本になってる。
3本、9本、12本、15本、24本。 
例外は7という数字で、7本と17本がある。
この3という数字は道教に通じるものがあると思う。
④私の血族の亀甲墓の石扉をあけると、奥のほうに3段の階段があるそう。(祖母からきいた)
右に故人の各骨壷。左に大きな骨壷。
33年忌をむかえると、右の故人達の骨は大きな壷にいれられるそうです(血族ミックスというのかな)。
階段が3段、33年忌。 これまた、3の倍数でしょう。

⑤ウチカビ、清明祭、旧暦2月2日土帝君祭、石厳当、シーサー、
ユタ・ノロの女系神職、
これだけ道教色が強いのに、なんで土着・固有信仰となるのか?
不思議で仕方ない。
結局のところ、中国の影響をうけることで信仰も固定化され、
住民に広まっていったわけでしょう。
固有・土着の信仰というのはオカシイと思う。

926:日本@名無史さん
08/09/15 02:03:45
なんで肝心の御嶽信仰やニライカナイ信仰を無視よ?

沖縄学ではそれをベースに渡来した宗教を吸収し混交したと解釈されていて
とっくに議論の対象になってない。

宗教の核は死の扱い(死生観)と葬制だよ。それらはすべて外郭にすぎん。


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