07/06/21 19:31:13
昨日の読売新聞にすごい記事が出ていた。
あの喜界島に、8世紀から12、3世紀までの政庁の遺跡が出たというのだ。
出土物はちょうど太宰府跡のそれに相当するという。
漢字をわすれたがグスク遺跡と呼ばれる。グスクは地名だ。
たちまちいろいろなことが想像される。
沖縄語には平安朝末期、つまり源平時代の日本語の影響が濃厚にあるが、
これを平家の落ち武者による征服の結果とする説を読んだことがある。
グスク遺跡からすれば、そんな説を考える必要もない。
つまり平安朝末期の日本語の影響があるのは、そのときに一過性の
事件があったからではなく、上記の政庁の支配が途絶えたために、
日本語の影響がそこでいったん止まったからなのだ。
また俊寛が鬼界島に流されたのも、絶海の孤島に流されたという
歌舞伎のイメージではなく、そこにまだ平家の出先政庁があったから、
そこで監視を受けるためだったのだ。