琉球(沖縄)の歴史2at HISTORY
琉球(沖縄)の歴史2 - 暇つぶし2ch800:日本@名無史さん
08/06/30 01:38:09
ナント!ナーハイバイの歌は唄ったら駄目なのか~
ウーマクーなあの子にクンクルバーシェーと言ったらモンスターペアレントにヤられるのか~
ええい、比島決戦の歌でも唄わねばやってられんわい。

 いざ来いニミッツ、マッカーサー
 出てくりや地獄へさか落とし

小禄御殿の流れは、これを唄わねばならぬ。

801:日本@名無史さん
08/07/01 23:17:18
>>800
むっ!? この歌はどこかで・・・・・・・ハテ?どこで記憶したのだろか・・・・・
そうだ(゚∀゚)ノ 【沖縄祖国復帰物語 著者・櫻井溥 大蔵省印刷局発行】で紹介されてた!てか何故に大蔵省印刷局??んまー勘ぐりはよしてと・・・・
このミニッツ元帥の名前は我々と我々より上の世代は皆記憶にある筈である。
日本陸軍第八師団司令部の置かれていた東北最北の弘前という町で育った私などは小学校の行き帰りの道の角に立てられたトルーマン大統領
とチャーチル首相の似顔絵が描かれていた分厚い板を、そこに吊るされていた拍子木で力一杯叩いて通ったものである。
そして、しびれる手を左手でかばいながらそのとき口ずさんだのが「いざ来いニミッツ、マッカーサー 出てくりや地獄へさか落としホニャホニャ・・・・・ 」って(・∀・)
この本・・・佐藤栄作首相と山中貞則衆院議員とのやりとりなんかは感動ですぞ! 
だけどもそのやりとりも、復帰に向けて頑張った沖縄と本土の連携プレーも題名どおりに「物語」になってしまった昔話なのね(´;ω;`)
そして物語になりすぎて、祖国復帰運動を知らない若造はこうも考えるのです。
「はてな?本当に祖国なのだろか?なんで独立っての選ばなかったのだろか?」 谷川さんはその疑問をわかりやすく「沖縄を読む 火にかけた鍋=沖縄」でこのように解説しています

本土一体化論と沖縄独立論のどちらかをとるかといった論議は二者択一を好む本土人の質に合ってはいるけれども、およそ沖縄の現実の中では
不毛の論議である。
沖縄の人達の欲望を否定形で表現すれば、本土一体化も沖縄独立も双方どちらともごめんだし、肯定形で表現すれば本土一体化と沖縄独立の
双方ともが成立することを望んでいる。
おそらくは沖縄の人達は二者択一、つまりアレかコレかの道を選ぶとき必ず誤りを犯すという苦い体験からいまや本能化しているといっても差し支えない。
うーむ・・・・・・大阪が大阪のままでも、他府県が他府県のままでも日本であり続けられるように、沖縄は沖縄のままで日本になりたかったわけね? 
それは十分に叶えられているのではありませぬか? えっ!? んなこたーない? まぁ答えは300年後に持ち越ししまひょ(・∀・)

802:日本@名無史さん
08/07/01 23:21:18
えっと・・・・なんだっけ?? そそ、比島決戦でしたな! さあ、なぜに小禄御殿の流れは比島決戦を唄わねばならぬのでしょう?
向氏小禄御殿といえば、玉陵の碑文で有名な尚真王の長男である尚維衡が祖ですな?
門中大辞典によれば「ハイレベルな名門」らしいです
ちなみに『御殿』とは「うどぅん」であり、王家、按司家の邸宅のことだが転じてその家の主人を指すこともある。
沖縄そばの原材料に蕎麦粉が使われていなく、うどんに分類されるにもかかわらず「そば」とよばれるのは明治以降、
御殿の高貴な方々が麺類に対しすべて「うどぅん」と呼んだからに他ならない。
引用元【明 房 書 房 言われて納得。食の裏事情より】                (・∀・)ゲヘ

いい本がなかったのでインターネッツを頼ってみますと・・・・・
URLリンク(ja.wikipedia.org)
フィリピン戦を目前にして国民の士気を煽る必要から、敵将ニミッツとマッカーサーの名前を入れるように要望があった。
しかし打ち合わせで西条がそれを断ると出席していた陸軍報道部の親泊中佐がその場で
「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」と代筆してこの曲が出来上がった。
(゚Д゚)ホホッー!? 当時の少年にまで唄われていた有名なフレーズは親泊中佐が代筆したのですか?
しらなんだ! ・・・・・・・てか親泊中佐って誰ね? 姓でウチナーンチュってのはわかるけども んでググると・・・・
URLリンク(www6.plala.or.jp)
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
「ガ島で死すべかりし命を今宵断ちます。皇国の前途をよろしく頼む。」
「終戦の間際 天皇、皇太后ら全く意気地なし。みずから戦を宣しておきながら真先きに軟化して敗戦に至る。終生の恨事。」

んで親父が
URLリンク(www6.plala.or.jp)
向氏で第二尚氏第3代尚真王の廃嫡となった長男・尚維衡(浦添王子朝満)の後裔。
その後も教育に力を注ぎ、『沖縄教育』や『通信教育』などを編集発行
(ノД`)シクシク なにもいえぬ


803:日本@名無史さん
08/07/02 03:37:20
URLリンク(www.enjoykorea.jp)
沖縄の人よ、「祖国復帰闘争」を忘れるな!

804:日本@名無史さん
08/08/03 18:51:09
hosyu

805:日本@名無史さん
08/08/09 11:56:38
ほす? ほすほすとな? ほすほすほすとな?
さて
>>803
僕らは「誰も喜ばなかった日本復帰」とやらの何を覚えていればいいのでそーか?
いちきゅーななにぃーごーてんいちごーと年表を覚えるようなお勉強が必要なのかしら?′ω`
フムフム・・ペラペラ・・・・・「復帰運動に子供を使うな!」との意見もあったようですなぁ オモローw
それに反論した当時の教員の投稿などを捜しちう
なーんかファナチコっぽく県民大会となんら変わりない気もしてきたね祖国復帰って・・・・・・と僕は書きました(笑)
しかし何故にエンコリ? なにゆえ~

806:日本@名無史さん
08/08/14 19:27:24
オモローを沖縄弁にするとウムルー。


807:日本@名無史さん
08/08/15 00:56:47
【千葉で】☆大嶺祐太6☆【チバリヨー】
スレリンク(base板)

808:日本@名無史さん
08/08/16 00:07:51
お元気そうで何よりだね。
今年も平穏に9月7日を迎えたいものです。
こんな日に何だけど、エンコリで伊豆見さんが韓国系扱いされてたよ。
韓-国基 峯井親雲上 元伝 であって、韓国-基じゃないし、
久米士族でもなく首里士族なのになぁ…
前述の「~闘争」を忘れるなだの、ハラワタ煮えくり返る話題ばかりというか、
人の家の出自は軽々しく載せるべきじゃないなと思った。
サバチを自分の出身地の豪族出にする谷川健一さんも、エンコリの人と似たようなもんだわ。

809:日本@名無史さん
08/08/16 04:50:40
何だか苦言ばかりになりますが…
ハジチを恥かしいと思う必要は無いと思いますが、特別見直す必要も無いと思う。
風説の一つとして、王女が薩摩領主の求愛を断りたく思ったとき、
馬順徳-国頭按司正格が発案したというのがあるけど、後の作り話だろうってのは面白いと思いますがね。

傲慢とは思うけど、地元女性の直視すべき過去を論う。嫌な順番に
一、瀉血(特に乳幼児に対するそれ)
   → 一門では無いが、30代女性でもこれを施されて傷が残っている人が居る。
二、ユタ
   → 羽地朝秀・蔡温も忌み嫌う存在。
      私はカウンセリングとしても認める気は無い。ただでさえ豊かでない庶民から金を取る存在。

あと、一般的ではないけれども、戦後、人工ミルクのみが良いといった説に丸々乗っかって、それのみで育てた等。

810:日本@名無史さん
08/08/16 11:13:27
ユタねえ・・まあほとんどはそうだな
ただ、ごく少数だけど本物はいるし金も受けとらない、仮に取ってもせいぜい数千円程度
しかし、そういう人に限って名前が表にでるのを極端に嫌うし、紹介者がいないとまず会えないな
スレ違いだな、失礼

811:日本@名無史さん
08/08/16 19:27:28
オレも前向きなユタは好きだな。

812:日本@名無史さん
08/08/17 22:52:01
えぇぇーい!ユタ肯定論者共め!全員ひっ捕らえてブリブリの刑にしてやる!・・・・・・・ってぐらい元気にしてます☆(ゝω・)v
>>808
このサバチとはなんぞ?と思っているそこの君ヽ(´∀`)9  2年前まではベッドの上で足バタバタさせながら
   〃∩ ∧_∧
   ⊂⌒(  ・ω・) フムフム 
     `ヽ_っ⌒/⌒
        ⌒ ⌒
「まんが首里城ものがたり」を読んでいた僕と一緒に紐解こうではありませぬか!
しかし内緒話しですけどココにいる皆様方は少しばかり意地が悪くてですなw教えてぇー言っても教えてくれませんのよ(ヽ´ω`)まるで鬼ね・・・・・ここは鬼の巣ね・・・・
そう、まるでユタが火ぬ神に判事をお伺いするのと似ているような・・・・
ユタが火ぬ神にホニャホニャしていると、どーしても通らない事や納得ができない判事がでることがしばしば。
再度お伺いするとシャシャリでてくるのはグソー(後生)に逝ってそう経験がないご先祖様(新参者)。新参者ほどいろいろアドバ
イスしてくるらしいですが、仏になって日が浅いせいなのか当てにならないことばかり言うらしいですな

遠い先祖や、按司世・カミ世・ハダカユーらのカミ(上級者)達は簡単には降りてこないんで呼び出すためにユタは肩がこるらし
い。ほいで降りてきたとしてもホンの一言二言だけ告げてとっとと帰っていくみたい(笑)なんて不精な神様たちでしょうか(`;ω;´)
僕もユタはブリブリの刑にしてもやり足りないぐらいと思っていますが、こんな人間臭い話しは大好きでございます

さて?サバチとは? URLリンク(tiida.jp)
【沖縄中部】   【那覇】 (首里方言を含む)   【沖縄南部】  
櫛(クシ)のことでございます!!!・・・・・・・・・・・・・
さ て と 調べなおし それと浦商 d(゚Д゚)☆スペシャルサンクス☆( ゚Д゚)b

813:日本@名無史さん
08/08/18 09:31:24
サバチって櫛なのか。㌧。
沖縄wikiって、あったんか・・

814:日本@名無史さん
08/08/18 22:46:31
サバチ=櫛と判明したわけですが・・・・なんともーいっちょサバチがあるのです(^o^)ノ
紐解いていきますと先ずはコレ!【名和長年】さんでございます!
URLリンク(ja.wikipedia.org)

この名和氏の子孫が熊本の八代にいまして理由はよく分かりませんが南を目指して目指して琉球にたどりついたのでございます。その流れを組むのがなんと苗代大親と呼ばれた尚思紹(尚巴志のおとーちゃま)なんですねΣ(´д`ノ)ノ

根拠は尚思紹の本拠地であった佐敷とまったく同じ地名が熊本は八代(名和氏の本拠地)の近くにあることと
URLリンク(maps.google.com)

尚思紹はなんとまぁ・・・・実のところショウシショウと呼ぶのではなくてナワシロと呼ぶのです。
紹の漢字は誤字であり本当は尚思絽(ナワシロ)が正しいのです m9(`・ω・´)シ
他にもイロイロありますがこんなところで、第一尚氏の出自は名和氏なのでございます(・∀・)ガハハ  ・・・・・・っと折口信夫さん
(折口信夫とは?URLリンク(ja.wikipedia.org)

ところがどっこい東恩納寛惇さんがちょっと待ったと反論します
(今の世の中反論すれば同調圧力ホニャホニャレッテル貼られかねませんw)
東恩納寛惇とは?URLリンク(ja.wikipedia.org)

尚思紹をナオシロと読むのだって? オモローwww そもそも思紹が尚姓を名乗ったことなんてないじゃないのさ(`ω´*)
だから尚思紹なんて後年つけられた名前をもってして、ナオシロと呼ぶだなんてトンチンカンでチンプンカンプンのポッテカスーでありますよ!
君はMMRに入れるな"(((( ´,,_ゝ`)))) ププッ

さぁ、こっからです!ここからサバチを紐解いていくのです!
しかし・・・・本をフムフムと読むのと、読んだ内容を整理して書いてみるのとでは大違いですなぁ
本に書かれているそのまんまだとコピペ馬鹿となんら変わらなくなるし(´・ω・`)ムズイ
上手くまとめることができるのでそーか?

815:日本@名無史さん
08/08/19 04:02:24
テーミス 2008年8月号
<社会・文化>  沖縄戦の真実(中) 沖縄の「近代化」に皇室が果たした役割

現在、沖縄の子どもたちは「県民は皇民化教育を強制された」と教育され、
皇室が沖縄の近代化にいかに貢献したか、全く知らされないでいる。
しかし、むやみに美化される琉球王国は実は「独裁国家」であり、廃藩置県は
県民にとって「奴隷制からの解放」でもあったのだ。
URLリンク(www.e-themis.net)


記事によれば、沖縄では、廃藩置県前までは他村との交流が禁じられていたため
近い血縁との婚姻に陥りがちで、そのために、遺伝子異常が現在でも現れるらしい。

816:日本@名無史さん
08/08/19 15:20:33
言い伝えどうり琉球王国の祖が源為朝なんですか?

817:日本@名無史さん
08/08/19 20:09:47
そりゃぁ、島津のでっち上げw

忙しいよなハヤトパクッたり色々と。

818:日本@名無史さん
08/08/20 14:51:45
邪馬台国が沖縄だったというのは?

819:日本@名無史さん
08/08/20 15:45:37
邪馬台国沖縄説なんざ全く支持を受けてない。
韓国人がなんでもかんでも起源を主張するのと一緒。

820:日本@名無史さん
08/08/21 20:54:18

やまとーんちゅ政治家の沖縄県民へのお言葉《沖縄見聞雑記》

利のある仕事はすべて内地人の手に入り、引き合はざる役廻りは常に土人に帰し、
内地人は殿様にて土人は下僕たり、内地人は横柄にて土人は謙遜なり、
肝心の表通りは内地人の商店にて場末の窮巷は土人の住居なり、内地人は強く土人は弱く、内地人は富み土人は貧し。
畢竟是れ優勝劣敗の結果にて如何ともすべきらざる訳なれども凡そ亡国の民ほどつまらぬものはなし

821:日本@名無史さん
08/08/23 01:44:36
ちょーせなーはあんますかん

822: 
08/08/26 21:41:23
薩摩が琉球の歴史書を燃やした話を聞いた事あるが
なんぞ、都合の悪い事でも書いてあったんだろうか・・・

まぁ、強い国・民族や、戦争に勝った国・勢力が歴史を書き換えるなんてこと
別に珍しくはないが・・・


823:日本@名無史さん
08/08/26 21:43:54
残念ながら、その話は聞いたことがありません。
ソースを提示してください。

824:日本@名無史さん
08/08/27 00:33:38
>>823
( ^ω^)ヒッヒヒッヒ 僕も過去に薩摩の焼討ちってあんま聞いたことないなーとほざいてちゃんと調べろ
!って怒られたので猛省しているのです>< 今日読んでみた「東恩納寛惇全集」で・・・・
( θ_Jθ)フーム「又嘉津宇嶽下がる 雨くれ降ろちへ 鎧濡らちへ 又 大和の軍 山城の軍」のおもろは果た
して源為朝上陸を指しているのか?薩摩入りを指しているのか?・・・もし薩摩入りを指したおもろなら
ば、今帰仁で焼討ちホニャホニャと薩摩側の史料に散見されるように、当時は雨ではなかったと思われる
・・・・・ってそこで文献名が出ていたけど忘れた(´△`)

さて、東恩納寛惇さん。尚思紹は尚姓を名乗ったことが無い、よって思紹があたかも尚姓を名乗ってしか
も、尚をナオと読んで「尚思絽=ナオシロ」とつなげるのはどんだけとプンスコ(`皿´)
尚といった文字は尚巴志の童名『ハチ』の転訛なわけ!
短身の按司であった「さしきのまこはつ」または「さしきのこはつ」が「佐敷の小按司」となったのでは
ありますまいか?
当時の童名に「郭伯玆毎=コハチミー」とか「真古波津=マコハツ」などハチ・ハツが転訛して漢字に当
てられた例もあるからあながち的外れでもないでしょう(・∀・)ガハハ
あっ!?ちなみに島尻の「おほさと」は「阿勃察度」と漢字に当てることができますが、これを「アブー
・サイト」と読んでアラビア人とする早計な史家もおるようで・・・・・・"(((( *´艸`)))) ププッ

またもやどっこい今度は原田禹雄先生が東恩納先生に一言物申します(江頭2:50のテーマで参上)
先生は尚巴志は佐敷の小按司(さしきのこはちもい)だとしていますが・・・・・
尚巴志がコハチモイのはずはない(σ`ω´)σビシッ
尚巴志を中国音で発すると「サバチ」なり。おもろそうしにでる人名の「サバチ」と一致しますゆえ、サ
バチといった音を漢字に当てたのが「尚巴志」なのでござろう!
中国人が尚を姓で巴志が名前と理解したので、尚巴志以降の王の名前に尚が付くようになったのです(・∀
・)ガハハ

825:日本@名無史さん
08/08/27 00:35:32
では本当に「尚巴志」といった読みを中国語で発音すると「サバチ」となるのか実験してみまほ!
URLリンク(www.chinese1.jp)
尚shàng 巴bā 志zhì  シャーン バー チー シャンーバーチー シャーバーチー サーバーチー 
あらほんとだ(・∀・)
しかし・・・サバチを尚巴志としたのは大陸の中国人ではなくて、外交文章作成に長けていた琉球の懐機
ら華人ではありますまいか?・・・・・と睨んでいるのです m9(`・ω・´)シ

おもろそうしの人名と一致する「サバチ」とあったのでひーこら漁ってみましたところ・・・このおもろ
でしょうか?
さはちきよがおもろ 黄金もちろくように十百末に
これといちえ鳴響む さはちきよがせるむ
又首里杜城 黄金もちろくやに 又京 鎌倉あらやに
もしくは・・・
さはち子が船遣れ 御船 暗波 
夜露掛けらたな 走りやさ
又按司襲いが親御船    

むっ!? 走りやさ? 船? 走りよー船?ときたら「だんじゅかりゆし」なのでございます(・∀・)
URLリンク(www.monsoonrecord.com)
走りよー船よー♪ ゆーはいせー♪ なんちゃゆーはいせ~ささゆーはいせ~ ぃ~やっははははっ!

826:日本@名無史さん
08/08/27 00:37:00
【まとめ】
谷川健一さんは「蘇る海上の道」で尚をナオと当てて尚思絽=ナオシロと読む折口信夫もおかしいねとしながらも、
名和氏の豪族の法名に紹の漢字が使われている事と思紹との結びつきも考えるポイントではありますまいか!?としてますが。使われている漢字だけで出自を決めるのが・・・・・・
【サバチを自分の出身地の豪族出にする谷川健一さんも、エンコリの人と似たようなもんだわ。 】なのでございます
いじょーでサバチとはなんぞ?の補足説明おわり!(>Д<)ゝ ・・・・・・(・∀・)ドンナケ??
参考資料【東恩納寛惇全集 南島風土記 琉球と中国~忘れられた冊封使 標音おもろさうし注釈】

さて、長門本平家物語では沖縄を鬼界島十二島に編入→滝沢馬琴がこの説をとりあげて椿説弓張月(URLリンク(ja.wikipedia.org))を書いたり、
皇朝史略の著者青山拙斎さんも「いにしへ琉球を以って啖人国となす。これによれば琉球諸島を称して鬼が島となす知るべきなり。かの云う琉球舜天を為朝の子とする以って証すべきなり」ホニャホニャ・・・・・・・

・・・・・・・えぇーい!やかまさん!(`皿´)
琉球だろーと鬼が島だろーと何処だっていいの! 要は為朝が離島に行けたのかどうかを考える前提がぬけてるじゃん! 
何を為朝が琉球に来た前提ありきで話し進めてんの!と東恩納寛惇さんまたきれます
怖ぇぇえー東恩納おじさん怖ぇぇええぇ(´;ω;`)
で?啖人国ってなんぞ??


827:日本@名無史さん
08/08/27 01:34:41
>>822
琉球でやったかは知らないが奄美では旧記や系図を没収したよ。
で、燃やしたんだったかサツエイ戦争で焼けたんだったかは忘れたが、
とにかくなくなってしまった。だから薩摩侵攻以前の奄美の歴史は
よく分からないことが多い。

828:日本@名無史さん
08/08/27 21:05:30
昔の事なんて確証のない事は多い。他国の文献とかと合わせて考察するものだしな。
書物が政変で燃やされたり、単に紛失したりってのは普通にあること。

本があっても、正確かどうかでまた議論が出てくるし、歴史には常に
憶測がつき物だよね。


829:日本@名無史さん
08/08/31 23:01:12
琉球は長寿と肥満ナンバーワン
自殺者と銭湯の数は全国最低
就職率と非婚率トップ

この世の楽園

830:日本@名無史さん
08/09/03 16:30:14
所詮歴史など当てにならん。科学や数学で証明できるものではないからね。


今日琉球と薩摩って薩摩侵攻以前から付き合いがあったって知った。
大和朝廷にも朝貢したとも知った。

沖縄も教えたくない歴史ってあるんだろうな。




831:日本@名無史さん
08/09/03 21:42:28
>琉球と薩摩って薩摩侵攻以前から付き合いがあったって知った。
大航海時代に交流ないと思ってたのかwwww
そうか、そうか、平和的に交流を持っていた琉球を
なぜ侵攻したのかな?

>大和朝廷にも朝貢したとも知った。
>沖縄も教えたくない歴史ってあるんだろうな。
なんで学校で教えないの?
沖縄も朝貢してたニダ。
だから日本の領地ニダ。
沖縄をどうしようと日本の勝手ニダ<ノ`Д´>ノ

って堂々と言えよwwww


832:日本@名無史さん
08/09/04 11:21:25
琉球が朝貢の類を日本にするようになったのは薩摩の侵入以降
もし、大和朝廷にも朝貢があったという書物があるとすれば捏造と断言できる

薩摩が琉球に侵入したのは中国貿易の利益と幕府との関係でいざと言うとき
奄美あたりに拠点が移せるように奄美を割譲した。
薩摩が琉球に侵攻できるようになったのは朝鮮出兵で船大工を連れてきたこと
トカラの海賊を支配下においたからである。それにトカラの住人は琉球人ではない。


833:日本@名無史さん
08/09/04 12:04:32
琉球が和冦の襲来を受けてないのはなぜですか?

834:日本@名無史さん
08/09/04 13:03:14
>>827
琉球でも一部で損失はあったが大部分は残ってる。

>>832
まあ大和に朝貢ってのはデマだわな。

>>833
受けてるよ。撃退してるけど。
が、一説によれば琉球王家は元々倭冦と関係があるという人もいる。
それこそ谷川健一とか、彼が尊崇する折口信夫とか。ともに大和人
なのが面白い所だが(笑) 最近でも吉成直樹と福寛美の共著で
そういう指摘されてた。史書はないが、状況証拠がある。

835:日本@名無史さん
08/09/04 16:05:22
>>789
ウィキでその記事を書いた者ですが、よく調べてますな(笑)
ヤンバルっつーよりは国頭半島ですね。そもそもふたつの王統の由来が中山、本島中央ではなく、
伊是名、伊平屋であることに疑問を感じませんか? いずれも元は今帰仁/国頭半島を中心とした
北山の領土なわけですよ。さらにいいますと、王国のノロの最高位は聞得大君、その下にあおりやへと
さすかさがいますが、あおりやへは北山の、さすかさは南山の最高位のノロだと考えられている。
この二人のノロのことは「おもろさうし」で聞得大君に次いで歌われていますが、特に北山、今帰仁に
由来するあおりやへのおもろを読んでみてください。「神てぃだ(太陽)のせぢ、おろちへ」とある。
なんと、太陽神のせぢ(霊力)を国王に下ろすカミは聞得大君ではない。あおりやへ=今帰仁のノロ=
北山のノロなわけです。これは実に興味深い事実です。
太陽神=王権権威という概念は、おそらく北山からもたらされたものでしょう。水平神の概念は
また別の、おそらく島尻に由来するのではないでしょうか。琉球の信仰は、おそらく各地方の信仰の
混成なんだと思います。

なお、王権の強化は薩摩以前からのものです。キンマムンとは琉球の来訪神全般の総称です。
キンマムンを特定の神の名と思っている人が多いようで、またそういう説もあるのですが、正しくは
神の総称です。またこの言葉は大和言葉に当てはめると「君真物」と書くことができます。
君はノロのこと。真物とは真の物、つまり神のことです。キンマムンは異界より琉球に来訪し、
ノロに憑依する神の総称です。まあ、琉球神道記の記述はよくわかりません。まあ大和の坊さんが
書いた物なので。この坊さんは勝手に琉球神道とかいってますし。

オボツカグラは神の名ではなく、異界の名です。天空の神界のことです。
オボツカグラにいかなる神がいるのかは今手元に資料がありません。首里城には京の内という聖域が
ありますが、京の内はオボツカグラを地上に映したものであると考えられていました。
また、オボツカグラでは地上の予型があると考えられていました。地上でおこる出来事は、既に過去
オボツカグラであった出来事なわけです。これはノロの予知能力の論拠になっていたと思われます。


836:日本@名無史さん
08/09/05 22:38:32
与論島クオリアってサイトはオヌヌメ
URLリンク(manyu.cocolog-nifty.com)

837:日本@名無史さん
08/09/06 00:12:52
>>835
( ;´・ω・`)アワワ ウィキの編集者がおいでなすった。この調子じゃそのうち高良大明神も降りてきて「な
ぬがザリガニの横滑りじゃい!思想性を持った知識人にしか分からないような説明じゃ駄目だ(`皿´)」と
憤慨するのですね><オソロシヤオソロシヤ
ほいで、この「あおりやへ」を調べてみた (^o^)ノ
第二尚氏になって聞得大君という神女の最高職が置かれるまでは、おありやへが最上級の神女であったと
考えられる。今帰仁村のあおりやへは今にも伝わっている・・・・・・・・ふむふむ
伊平屋・伊是名に目を向けると、確か伊平屋では喜界島に向かって祈願する行事があったはず。
墓参りやウタキ参りするとき満潮でそこにたどり着けない場合はその方向に向かって拝む「お通し」に似
ているような・・・しかし与論・沖永良部・徳之島・奄美大島を通り過ぎて何ゆえ喜界島?
喜界島といえば、城久遺跡群であったり、尚徳王の喜界出兵であったり、平氏打倒を企てた俊寛が流され
た島とされたりと賑やかな島! そう!北山は喜界に何かしらの中心性を見出していたのではありませぬ
か。その中心性こそが・・・・・・源為朝の幻想を中心とするヤマト勢力なのですm9(`・ω・´)シ  
それらの勢力は琉球にたどりついたのではなく、薩摩潟の小島のどっかに来たのです!!(・∀・)ガハハハ 

・・・・・・・・って当時の信仰の背景から上手く繋げたところでw
為朝来琉説ってなんだわけ!?を説明させていただきます(>Д<)ゝ”

838:日本@名無史さん
08/09/06 00:14:37
まずは【琉球神道記】から! 書いた人はこのお坊さん(URLリンク(ja.wikipedia.org)袋中)
どういった経緯で書かれたかってーと・・・袋中坊さん曰く・・
この国(琉球)に漂着して桂林寺に籠居し、歳月を過ごすことになろうとは思いもかけぬことであった。
豪傑の人と会うこともないので道を尋ねる手段もなく、智徳の友と交わることもないから、津を問ういと
まもなく、いたずらに賤しい者たちの嘔唖を聞いて天帝の化儀を思うばかりであった(´ρ`)

しかるに、この国の士族で黄冠の馬幸明(誰?)なる人がいて私にこういった
馬:「琉球国は神国なのですが、昔からの伝記がない。なんで書いてくださいまし 」
袋:「いやいや、私はこの国の人間ではないので御国のなにが書けましょうか」
馬:「私があらましは聞いております。知らないところは知人に聞きますゆえ・・・」
としきりに請うので承知した。それであれこれの言葉を拾い集め「琉球神道記」と名付け5巻に分けた
フムフム。。。。となると琉球人から聞いた話も含まれるってことですな?

1巻・器界の濫觴(世界の始まり)を知らせるために四洲をあげて第一巻とした
(須弥山がどーたら兜率天がどーたらと仏教のお話。ここらへんは袋中上人の本領発揮でしょう)
2巻・竺土(インド)は仏の国である
(釈迦がどーたらのお話。ここんところもお坊さんの範囲内)
3巻・震旦(中国)は王の国である
(天地開闢の盤古王から始まって三皇五帝~明の太祖まで。ここらへんを琉球人に聞いたのかと思ったけ
ども、当時の教養人・宗教人であれば当たり前に知っている中国のお話だはず。保元物語からもフムフム
とそこらへんは読み取れます)
4巻・琉球国の多くの伽藍(僧侶があつまる場所・寺院のこと)をあげ、垂迹の本地(本地垂迹とは?
URLリンク(ja.wikipedia.org))を明らかにする
(首里の金城にある天界寺の本尊は釈迦牟尼仏でその由来はホニャホニャとか、ここらへんも坊さんが説
明できる範囲内。しかし琉球って意外とお寺が多かったんだとビックリするぐらい紹介があります)
5巻・琉球の神祇をとりあげた
(波の上権護国寺の霊石は崎山の里主が拾っただのキンマモンの由来だのそういったお話)



839:日本@名無史さん
08/09/06 00:16:08
さて、その問題の記述ですが・・・
波上権現の事で
「中頃、鎮西の八幡為朝この国土来たり逆賊を威しめ今鬼神(今帰仁の事)より飛礫をなす」とあり
沖の権現の事では
「建立の時代や霊異の事は明らかでない。熊野権現のようである。私が考えるに為朝が琉球国を治められ
たとき、鬼神を降伏する神であるから念願あって建立されたものであろうか?」
とあります。。。。。さらに注目するのは
末吉権現の事で
「尚泰久の時、天界寺(首里金城町にあったお寺)の前任の鶴翁和尚は壮年の頃に倭へ修行に行った。時
に熊野のほうへ向かって、私の学問が成就したらば・・・ウンヌンカンヌン」と鶴翁和尚といったヤマト
に出向いた僧侶を紹介しています。
鶴翁和尚は京都五山は建仁寺(URLリンク(ja.wikipedia.org)建仁寺)の月舟和尚の文集にも出てきて
いるようで、ここでも為朝来琉説が出てきてますΣ(゚Д゚;
しかも琉球からやってきた鶴翁和尚がそういったとの事。なんと1527年の事。琉球神道記より78年も遡り
ます。(・∀・)フハハハハ ここまでくると為朝が琉球にやってきたのは間違いござらん!
否定論者どもは素直に認めなさい(`・ω・´)
・・・・・・しかしここでチョットまったー!!
【次回・平家/保元物語から読むミナミ島 鬼ね・・・南は鬼の巣ね・・・(ヽ´ω`)】

>>836
アスムイの立って与論をみたらば、言われているように境界線の不思議さにブチあたりますな
ウチナーがウチナーのように、奄美は奄美。与論も伊平屋もすぐそこなのに境界線から上は意識の中から
抜け落ちている。猛省です><

840:日本@名無史さん
08/09/06 00:20:42
途中抜けてた><

>>838の続きが・・・・
袋中上人は手元に資料がないので変な物書きもするので突っ込まれれば恥ずかしいとも書いてます。
僧侶としての知識と、琉球人から聞きまとめた話で構成される【琉球神道記】
この5巻を編集するにあたって現地の琉球人の助けを借りたと思われます。
そして・・・なんと!この5巻に為朝が琉球に来たと書かれているのです (((( ;゚Д゚)))ドーユーコト??
しかも書いたのが・・・「時に大明の万暦33年龍集乙巳四月の望日」アイヤー・・・1605年です
薩摩入り前ですな? 薩摩入り前に琉球に源為朝が来ていたと現地でささやかれていたとな??




841:日本@名無史さん
08/09/06 14:11:19
>>837
俊寛らが流された 鬼界島は硫黄島のことである
喜界島とは別物



842:日本@名無史さん
08/09/06 14:31:06
琉球王朝が、かってまったく異文化国だった八重山や奄美を侵略して
全てを奪って併合してしまった事実はがいしゅつですか?

843:日本@名無史さん
08/09/06 14:43:33
宮古・八重山の琉球処分の状況

明治政府によって一方的に琉球藩が廃止され、沖縄県が設置されると、宮古・八重山にも処分官が派遣された。
八重山では役人を中心に、沖縄島の親清派の影響を受けた人々によって日本帰属反対のうごきがおこった。
だが、いざ処分官が派遣されてくると、在番・頭以下の役人は、処分官のきびしい要求に抗しきれず、
「天皇に忠誠をつくす」旨の誓約書を提出させられた。
最後の八重山在番となった渡慶次ペーチンは、その帰沖の途上、海上に身を投じて自殺した。
宮古でも日本帰属反対のうごきが大きく、県制が実施されると「日本政府には絶対に従わない」という血判状が作成され、
役人を中心に多くの島民が署名した。

『琉球・沖縄史』より

844:日本@名無史さん
08/09/06 15:29:53
>>842
日本も古代東北蝦夷を侵略したし
近世では蝦夷地に侵入してアイヌから収奪した
明治になっても武力や強制移住でアイヌの人口を激減させた
これも、一種の民族浄化


845:日本@名無史さん
08/09/06 20:56:08
>>842
侵略されたのではなく一部の豪族が討伐されたのだ。
すべてを奪った? 少なくとも八重山についていえば、アカマタクロマタも
パーントゥも現在まで残っているじゃないか?

何か勘違いしてるようだが、はっきりいってやる。
八重山を統治していたのは宮古島だ。

14世紀に宮古島と八重山は中山に朝貢をはじめているが、沖縄本島はまだ
三山時代だから、中山は決して武力で宮古や八重山を支配したわけではない。
その間に、宮古島が八重山に対する影響力を強化したんだよ。
それも直接武力統治したのではなく、西表島の古見に拠点を置いて、
現地有力者にから上納させ、中山に朝貢させてたんだ。つまり冊封のようなものだ。
現地の文化を奪ったりはしていないし、現地豪族も同意のことだ。

そこに本島を統一した琉球王国が勢力を伸ばしてきたとき、王国はまず
宮古島に王府の冊封を受けるかどうか打診した。宮古島は豊見親
(そもそも豊見親とは宮古島の支配者の別称)によって各地の豪族が征伐
され、統一統治されていたが、豊見親はこれを受け入れた。
だから宮古島は王国からなんの武力侵略も受けていない。

846:日本@名無史さん
08/09/06 20:57:23
そして八重山を冊封していた宮古島が王府に従属したということは、
八重山も王府に間接的に従属することを意味する。少なくとも、
宮古島は八重山から徴税したものを王国に献上し始めた。
で、そういう時代背景で、八重山の豪族の一部のオヤケアカハチが
宮古、琉球王国による支配体制に謀反をおこしたんだよ。
史料では3年にわたって朝貢を拒絶したとある。
それどころか八重山で王府に従属的で宮古島とも連帯していた
有力豪族の長田大主を八重山から古見に武力的に追放するにいたって、
宮古島の豊見親が琉球王府アカハチの謀反を伝え、王府は3000の兵を
46隻の船に収容して八重山に武力介入した。それが1500年の征討だ。
いいか、いっておくが八重山に対して王国が武力行使をしたのは
このときくらいのものだ。それも八重山を討伐したのではない。
八重山で王府に反抗的だった一部の豪族を討ったのだ。

しかもその結果、王府が八重山を直接統治するようになったかというと
そうではない。王府は宮古島の仲宗根豊見親と、アカハチに追放された
長田大主に宮古島の支配権をゆだねている。
1523年に仲宗根豊見親が死んでから、王府は直接支配を始めるんだ。

これでも王府が侵略してすべてを奪ったとかいうのかお前は。

847:日本@名無史さん
08/09/06 21:18:49
>>837
阿応理屋恵(あおりやへ/オーレー)は正確には北山最高位の神職で
太陽神の霊力を司ることがおもろに記述されている。
一方、もう一人の佐司笠が南山最高位の神職らしい。
では中山から誰が台頭したのか?
あなたも知ってるように、第二尚氏の時代になってようやく聞得大君がおかれた。
つまり第一尚氏の時代の最高神官がだれだったのか、またさかのぼって中山の
最高位のノロは誰だったのかという疑問が生じる。
オレはしらん。どの本にも書いていない。知ってるなら教えてもらいたい。

すくなくとも第一尚氏において、敗北した北山の神職・阿応理屋恵や南山の
神職・佐司笠が迫害されたり廃絶されることはなかった。それどころか
おもろさうしで聞得大君の歌に次いで歌われているように、聞得大君制定後も
聞得大君に次ぐ別格の君として扱われていたんだよ。

聞得大君の神名は「てだしろ」「しませんこあけしの」というが、この名前は
いずれもすでにあったノロの神名を奪い取ったものだ。「てだしろ」はもともと
馬天ノロの神名だったし、「しませんこあけしの」は北山、勢理客にある御嶽を
守るノロの神名だ。聞得大君ってのは本当に権勢をシステム化するために
作られた神職であることがよくわかる。王の血族だからおなり神の神性がある
ということ意外になんの根拠もない。

あと、伊平屋、伊是名は簡単に触れられない。謎が多すぎる。
伊平屋と伊是名には、なぜか北から南まで、琉球領域のあらゆる
信仰の形式が伝わっている。いうまでもなく王統発祥の地だが。

あと平家の痕跡は、宮古島の方が堅いと思うがな。
平家の墓があるし、平家の子孫だといってる一族もある。
オレは本島を支配していたのはやはり倭寇の一族だったと思うんだが。
そしてやはり阿応理屋恵が置かれていたし、


848:日本@名無史さん
08/09/06 21:20:23
あ、最後の一行は削除忘れ。すまん

阿応理屋恵がいたのは今帰仁、首里、沖えらぶだよ。

849:日本@名無史さん
08/09/06 21:51:10
>>839
そもそも熊野権現っつーより鍵は八幡でしょうな。

琉球王家の家紋である左三巴紋は、八幡神の神紋と同じだ。
琉球倭寇由来説を唱える人間は、これを論拠の一つにする。
八幡の神紋が琉球に渡ったとすれば、それは八幡船(はばんせん)を
かっていた倭寇以外ありえないというわけだ。
彼らは阿応理屋恵の神も正体は八幡だという。
確かに武士である源氏も武神である八幡大菩薩を信仰していたが、
為朝が王統の発祥ならば、もっと具体的に八幡信仰が
強く残っていたと思うが。

琉球八社のうち、安里だけが八幡権現を祭っているが(ほかはすべて熊野系)
これは喜界島遠征で八幡神が国王に力を貸して、制圧に成功したという逸話に
由来する。ここで喜界島がまた出てくるのも奇妙な話だが…・。
とりあえずこの安里八幡は琉球王統の発祥にも、まして源氏にも関係がない
ずっと後世にできた神社なのは確かだ。

ちなみに八幡信仰についてはユダヤ系渡来民とも言われる秦氏が
起こしたことが明らかになっている。
まあ、琉球にユダヤの影響があるとはあまり思えないが、
確かに一部過越祭に似た習俗もある。

850:日本@名無史さん
08/09/06 22:04:03
ああ、あと熊野権現も左三巴紋を使うことがあるよな。
基本的に八咫烏が熊野の神紋だからメジャーではないが。

851:日本@名無史さん
08/09/06 22:09:01
>>846訂正
×八重山から古見に武力的に追放するにいたって
○石垣島から古見に武力的に追放するにいたって

×長田大主に宮古島の支配権をゆだねている
○長田大主に八重山の支配権をゆだねている

あと補足しておくというまでもなくアカハチの領地があったのは
石垣島。石垣島の南の方の沿岸部をちょこっと支配していた。

852:日本@名無史さん
08/09/06 22:14:58
あと奄美の支配の実態については史料がない。

北山が奄美諸島の南方、えらぶ島あたりを中心に支配下においていたのは
確かだが、それがどういう経緯なのかはわからん。
だが、これもどちらかといえば冊封的性格だったらしく、八重山同様に、
北山に従属する現地の豪族を取り込んだ形だったと見るべきだろう。
従属しない豪族との間にいさかいがあったというのが実態と思われる。

奄美にもともとどういう文化があり宗教があったのかはわからないが、
現在も琉球から伝わったと思われるノロ制度は一部生きているし、
平瀬マンカイのようなニライカナイ信仰の亜流も存在している。
奄美がなにか文化を王府に奪われたと断じるなら、それ以前になにが
あったのかをいうべきだろう。

853:日本@名無史さん
08/09/06 22:40:49
あと熊野というと補陀落渡海だな。
南の海に観音浄土があると考える仏教の信仰だ。ニライカナイ信仰に似ている。
要するに小船に乗ってわずかな食料を持って南の海に流されるわけだが、
波任せ。いってみりゃ自殺だ。その補陀落渡海をして沖縄にたどり着いた人が
何人かいたともいわれる。ちなみに9世紀ごろの話だ。

しかし補陀落渡海は、別に船を漕いでいくものではなく、船に密閉され
流されるままにいったそうだから、黒潮の海流からいって紀伊半島から
沖縄に流れ着くはずがない。もし漕いで沖縄に行けた行者がいたとしても
熊野から行った人間ではないのではないかと思うんだがな。

854:日本@名無史さん
08/09/06 22:56:42
今調べてみたけど、本当に奄美も宮古も石垣も武力を持って侵略した記録がないな。
琉球王府からの独立を企てた大浜地域の有力者オヤケアカハチの討伐に3千の軍隊を出しただけ。
オヤケアカハチと覇を競い合っていた石垣地域のナータウフシュ始め、他の有力者もオヤケアカハチに従っていない。


855:日本@名無史さん
08/09/06 23:16:08
>>854
調べるまでもない。オレはごく普通の常識をいってるんだから。
奄美も討伐にいってるけど、戦ったのは「奄美」という共同体ではなく
現地の豪族、按司との戦いでしかない。八重山(石垣島)も同じだ。
戦ったのは「八重山」ではなくオヤケアカハチだったにすぎない。

どこの誰が琉球王府は侵略したとかすべて奪ったとかいってるんだ。

まあいってるのは、宮古や八重山や奄美の人間だとわかってるけどな。
ちょっとは謙虚に歴史を学んでからものを言えっつーんじゃ。

856:日本@名無史さん
08/09/06 23:23:47
大局的に見たとき

中国(明・清)←琉球王府←宮古島←八重山

という冊封、朝貢体制があったというのがより正しい理解だよ。

確かに仲宗根豊見親が死んでから王府は八重山の直接統治に乗り出してる。
ここで王府から派遣されたのが、園比屋武御嶽石門を作ったことで有名な
西糖だ。彼はもともと竹富島の人間で、アカハチ討伐のときに才覚を見込まれて
首里に留学していた。竹富島の人間を八重山に帰して、その蔵元(王府の出張
行政機関)の長にしたんだ。

つまりここでも王府は強圧的な支配をしたのではない。
現地の人間を首里で学習させ、人材にして八重山に戻したんだ。

857:日本@名無史さん
08/09/06 23:29:03
>>854
正確には奄美の豪族に対しては何度かある。
完全に平定したのは薩摩に侵略される7,8年前のことだったはずだ。

宮古は全くない。宮古は最初から王府に恭順したからな。
宮古の人間が沖縄を恨んでいるのは、あくまで人頭税の件だ。
人頭税の遠因がどこにあるかといえば薩摩だろ。首里じゃない。
事実人頭税は明治時代に入っても廃止されなかったじゃないか。
薩摩、大和がやってたことだ。
先島の人間から首里が恨まれるいわれなんてなにもないんだよ。

858:日本@名無史さん
08/09/06 23:39:09
ああそれとアカハチ征討についてはさらに行っておくべきことがある。

オヤケアカハチは石垣島出身ではない。波照間島出身だ。
コレがなにを意味するかわかるよな?

オヤケアカハチ自身が、石垣島の一地域を支配していた外来の人物ということだ。
八重山が琉球王府に侵略されたというが、討たれたのはアカハチであって、
しかもその人物は石垣島出身者ではないときた。笑わせるなっての。

859:日本@名無史さん
08/09/06 23:45:08
西塘の前に王府から派遣されてるマンピキユンチュの名前がかなり気になるなあw

人頭税については宮古池間島の来間教授がなかったと言ってるんだが、これについては宮古の人はどう思ってるのかなあ

860:日本@名無史さん
08/09/07 00:05:12
>>859
満挽与人は実態として、古見で徴税を担当していただけだろ。つまり宮古島が
それまで持っていた八重山の利権を首里が奪ったということだな。

王府による統治は出張行政機関である蔵元の設置から始まると見るべき。
西塘の着任から王府による八重山統治が始まったというのが正しかろう。

宮古に人頭税がなかった説は俺も知ってる。
宮古島ではむしろ労役の方がメインだったらしい。人頭税に使われたという
ブバカリ石についても、これは星見石であるとする説がある。
人頭税がなかったという説もあながち間違いではないと思う。
実際のところ人頭税についての史料は八重山が圧倒的だ。

861:日本@名無史さん
08/09/07 00:07:00
ちなみに西塘は最初、故郷の竹富島に蔵元をつくるが、不便だということで
石垣島に蔵元を移した。

このときから石垣島が八重山の中心地になり、かつては古見島ともいわれた
西表島の凋落が始まったわけだw

862:日本@名無史さん
08/09/07 01:03:48
>>855
宮古や石垣や奄美の人間は全て奪ったとまでは言わない。
特に奄美は。言って得するのは薩摩。人頭税制開始に
深く関与していたことや、奄美併合後の黒糖地獄を覆い隠して
責任を全て首里王府に押し付けようという魂胆。
人頭税制については当然、首里王府にも責任はあるが。

863:日本@名無史さん
08/09/07 02:15:46
久々のQ&Aですね。

>>855-858
フユーや柳田國男の時代で止まってる方も居るというだけでしてね…
(平良市のWikiとか逆説~さんとか)
宮古島市や八重山ガイドなど、しっかりしたサイトには、赤蜂や人頭税についてなかなか適切に書いてあるんですよ。
イリキヤアマリを禁止したのは180年近く後の法師です、等等。
各島の史家も、あまりネットに出てこないだけで、大したものだと思います。
まぁ、懸案の地から偉大な人物さんが出ると、それが定説のように流布していくものなのかも知れません。
それに、メディアや映画や演劇が乗っかって「演義」ができて来る。
赤蜂や鄭?は、陳寿に書かせたら酷い扱いになると思うんですが…

864:日本@名無史さん
08/09/07 02:25:00
>>863
ほう。そうなんだ。
でもそうだとしても一般的には首里を憎む先島の人たちは多いわけで、
偏見は解かれていないからな。

伊波普猷や柳田國男でとまっているというか、彼らすら知らないのが
沖縄県民じゃないの?

イリキヤアマリを禁止したのはずっと後ということは言われてる。
史料が残ってるからな。だからオレもアカハチについてそれについて
触れなかったわけ(笑)

865:日本@名無史さん
08/09/07 02:33:49
>>862
薩摩がいい思いをするのはわかる。
沖縄、琉球学を学んだ上でさらに近代本土史を学ぶと
薩摩の連中がいかにろくでもない連中だったかがよくわかるw
オマケに薩摩=明治政府みたいなもんだしな。

866:863
08/09/07 02:54:03
>>864
>彼らすら知らないのが沖縄県民じゃないの?
まぁ、それは否めませんね。
私なんか、名乗頭をまるっと忘れられて名付けられましたし。

>首里を~人たちは多いわけで
沖縄島内であっても、屋取の裔としては、現代首里人の動向に賛同できなかった面も多いですよ。
イデオローグ扱いされてた御大は、そうすべき理由があったと私は評価していますが、
城はシーツの時のままで良かったんじゃないかとすら思ってます。
正直、彼らが満足しているのが歯痒い。

867:日本@名無史さん
08/09/07 03:08:43
>>866
ま、すべてにおいてルーズなのが沖縄人でそれが長所でもあり短所だとも
思うけどな。ただオレはその「否めない」って現実はどうなのかと思うね。

沖縄人がアイデンティティをどうやって構築するかって問題で、
最低でも伊波や東恩納がどういう仕事を残したかくらいは
知っていてしかるべきだろ。その上で高良倉吉なんかがどういう思いで
首里城を再建したかって話が出てくる。
だから今の首里城は、まるで本質的な存在ではない。

しっかしこうして書いたことに沖縄県民のどれだけがついてこれるのかと思うよ。
悪いけどな。小林の「沖縄論」とか読んで感心してるレベルだからな。

868:日本@名無史さん
08/09/07 17:15:30
学校でも、琉球の歴史はほとんど教えないしな


869:日本@名無史さん
08/09/07 17:22:32
「日本史」がすでに歴史の勝者の歴史観。

琉球史を教えている学校が本土にあるのかね。

870:日本@名無史さん
08/09/07 17:33:56
日本の中に琉球史があることを認めると、所謂「日本」とは「大和」のこと
なんだと客観的に実感できる。
また同時に「日本国」の現実は「大和だけではない」ということもわかる。
日本という国の有り様を正しく理解するには琉球史の知識と視点が必要だ。

ところが肝心の沖縄県民が自分たちのアイデンティティや存在価値に
自覚的でないという皮肉があるw

871:日本@名無史さん
08/09/08 01:53:52
テーミス 2008年9月号
<社会・文化>  沖縄戦の真実(下) 米軍統治の功罪‐「民生改革」と「反日教育」

沖縄では「反日反米」の論調が強いが、沖縄戦後の米軍統治時代は、沖縄の医療、教育、
女性の地位向上などに大きく寄与した時代でもあった。その一方、日本復帰を阻喪させる
ために反日教育も進められた時代であった。ここで冷静に「米軍統治時代」の功罪を検証する。
URLリンク(www.e-themis.net)

(主な内容)
沖縄にはもともと、農民の土地私有を許さず、村落ごとに課税し、耕作地を村落単位で
定期的に替えさせる「地割制」という支配体制があり、結婚も同じ集落の中で行われた。
異なる集落の者と結婚する場合は、青年会会長(ニーセーカシラ)に罰金(馬手間)を
支払う必要があるのだが、それは到底払える金額ではなく、そのため、同じ集落内での
近親婚になりがちで、沖縄ではその影響で現在でも遺伝子異常者の出生割合が高い。
また、集落内では夜、男女が広場に集まって「毛遊び(モウアシビ)」という乱交パーティー
が繰り広げられており、沖縄では性病が蔓延していた。また歴史的に男逸女労社会で
あったために女性の地位が低く、女子の人身売買が公然と行われ、内務省が禁止令を
出しても効果がなかった。
さらに、沖縄ではマラリア被害が非常に大きく、地域によっては沖縄戦の死者数を上回る
犠牲者を毎年出していた。
そうした沖縄の悪しき環境・伝統・風習を改革したのが戦前の日本政府であり、そして、
戦後の米軍統治であった。

872:日本@名無史さん
08/09/08 02:07:51
ああ、琉球列島米国民政府ユースカーよ!
再統治を!

873:日本@名無史さん
08/09/08 04:21:35
「1945年当時のアメリカ人の沖縄人観」ハワイ大学教授・崎原貢

三つの記事(ホノルルアドバタイザー紙、デトロイト・フリープレス紙、ニューヨーク・タイムズ紙)に著しく目立つのは、
日本と沖縄をはっきり分離して、沖縄人を日本人ではないと断言している点である。第二に常に沖縄人を被圧迫民族、被征服者、日本人を圧迫者、征服者として捉えている事である。
沖縄人の生活は惨めであるが、それももちろん何世紀にもわたる日本人の搾取の結果であり、今度の沖縄戦で、
沖縄人が日本軍に非協力的で消極的であるのも無理はないとする。第三に両者は性格的にも明らかに異なる。(中略)
沖縄人は温厚、勤勉で平和を愛する民族である。
沖縄人は貧乏で家には家具一つないけれども、食べるものがあり生活が少しでも安定していれば不平を言わない。
単純で愛すべき民族である。(中略)
礼儀正しくて、古代琉球王国は、中国から守礼の邦と呼ばれたほどであり容貌も理知的である。
これが沖縄人であるとすれば、全知全能のアメリカ人の救助願望を満足させるに足るような、かわいそうな人たちであり、
アメリカ人としては、自分の名誉にかけてもジャップの手から沖縄人を解放しなければ、という気持ちになるのである。


874:日本@名無史さん
08/09/08 23:26:13
沖縄を学習してないバカがまた話を自分がわかる小林よしのりレベルの
話に引き戻したいのか?w

バカは沖縄を語ろうとするなよ。バカなんだからよw

沖縄を語る資格があるのはオレのように勉強してる人間だけだ。
そして沖縄を語れない人間は日本人じゃねえんだよ。

ニュー速+にでもいってろバカどもwww

875:日本@名無史さん
08/09/09 18:47:53
しかし話がちょっと深くなるとぴたっと止まるなこのスレ。

大和人はおろか沖縄人自身がいかに沖縄について無知かよくわかる。

876:日本@名無史さん
08/09/09 19:57:26
>>867
はっきり言ってついていけません。ごめんさい><
今日の部活に出るの鬱だわぁとか、何故に女って怒ったら黙るの?言ってくれなきゃわかんないじゃない
!とか、いつまで青年会にいるば?お前はもう中年やしが(#゚Д゚)なんて人間関係に疲れたりナドナド
歴史にそう興味が無く、自分の生活リズムを大切にする人にここで書かれていることを突き付けてもΣ(゚
д`*;)ハァ?って状態になると思う。だけども別にそれは罪じゃない。

ついていけない沖縄人+自覚的でない沖縄人=沖縄の歴史を知らなくとも沖縄人と言える状況が生まれつ
つあるのではなかろーか?
しかし、無自覚だけれども【何故か】生まれ島を思う心は御しがたいぐらいにドでかい。
その【何故か】を説明するには歴史を紐解いていかなきゃならないと思うけど、歴史ってのは重すぎるよ
ね。・・・・・・・・歴史は重くて当然!!故に歴史と対峙した場合は謙虚さが必要なのです!  うむ
、ごもっとも(´・ω・`)

ごもっともですが、その重さのために生活のリズムに溶け込みにくいし億劫であり、ちと堅苦しい。
そこにだ!?あまりにも手ごろなインターネッツや、分かりやすいゴーマンが出てきてしまった。とても
とても身軽でとっつきやすい媒体。自分の主張したい事や批判したい事をド派手に見せ付けるほうに地価r
を入れるので歴史と対峙したときの謙虚さはやや弱め。つまりはアジテーターでありますm9(`・ω・´)シ
謙虚さを脱ぎ捨てたアジテーターの速度といったらもう目にも止まらぬ早業!アレヨアレヨと浸透してい
きますw
となると?パーがチョキに勝てないように、歴史は重みがあるため、アジテートの速度には絶対勝てない
のではありますまいか(`;ω;´)ブワッ
沖縄は何をもってして沖縄であるかと紐解く手段は常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?
残された道といえば・・・・沖縄人をやめることですな。平和人にでも愛国烈士様にでもなってしまえば
沖縄を考える煩悶から解放されるのでしょう(ノД`)



877:日本@名無史さん
08/09/09 19:59:04
>>871
そんな事で僕は自由の翼を広げた先で【魔法の言葉:解釈の自由】を手に入れることに成功しましたw
僕の中では「歴史の真実」とか「不都合な真実」とかを伝えろとすっぱい顔して憤慨しながらも、同じ舌
で琉球王朝は久米村に支配されていたのでございますよ!と歴史を語る愛国烈士=アジテーターでござい
ます。
しかし、せっかく紹介されている本を読まずしては批判もできませぬし、扇動されて流れてしまわないた
めにも「読者の70%が部長以上の役職者」とまばゆいばかりの謳い文句をかかげているテーミスを購入しよ
うとしましたところ・・・・・
なんとコンビニ決済ができないじゃありませんかΣ(´д`ノ)ノ  沖縄人は年収200万以下で暮らしている
のは周知の事実。貧乏暇なしの言葉のとおり、気が付けば閉まっている銀行・郵便振込みを活用する暇が
ありません(そんな暇があれば酒を飲むので)
そこでお願いがあるのですが・・・・愛国烈士様が何を参考に書かれているのか記事内に紹介があれば教
えていただきとうございます(・∀・)オホホ

批判者とアジテーターは完全に別であり、何で見分けるのかと言えば歴史の取り扱い方でしょう
どう取り扱っているのかを理解するためには歴史に体当たりしていかなければなりませぬ
とはいえ、これまた億劫であり、めんどくさいので、入り口となり得る歴史の面白さからも沖縄県民は遠
ざかってしまうのでしょうか?(´ω`)

さて、僧侶の知識や現地琉球人から聞き取って書いたと思われる琉球神道記
さらに読んでいきますと? ・・・・・なんぞこれ?と首を傾げるとこがでてきます
「中ごろ、小松の内府の重盛は平家一問の繁栄を本宮に祈られた。ウンヌンカンヌン
・・・喜界の流人の少将成経と沙弥尚秀は三社にお祭りして京都に帰られることを祈られた
卒塔婆流れの歌は次のとおり」

さつまがたおきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜ
おもひやれしばしとおもふたびだにもなほふるさとはこひしきものを

むっ!? これは平家物語の卒塔婆流しではありませぬかΣ(´д`ノ)ノ

URLリンク(kazeoto.com)
なにゆえ琉球神道記に平家物語が??

878:日本@名無史さん
08/09/09 20:02:20

MMRに入隊すべく想像の翼を広げまして「平家物語を読む~成立の謎をさぐる 早川厚一~」をペラペラと
・・・フムフム
平家物語では平家の守護神厳島明神により平家の興隆が予知され、源氏の守護神・八幡大菩薩により平家
の衰退と興隆が予知される。
ところが厳島明神・八幡大菩薩よりもいち早く平家の衰退・源氏の興隆を予知する神として平家物語に一
貫して現れるのが熊野権化である・・・・・・く・・熊野だと!? ここでも熊野だと!?
MMRが何かを調査していつの間にかノストラダムスにたどりつくのと似ていますかな(・∀・)

熊野の神々が関わる記事
平家の興隆 鱸 URLリンク(kazeoto.com)
平家の衰退 熊野参詣 URLリンク(kazeoto.com) などなど

平家物語の成り立ちには当時のお坊さん達や伽藍の成り立ちも密であるとの事
しかし・・・今の価値観からみるとこの時代の神職ってのはロクデナシの集団ですな。生臭ですなナマグ
サ><

このように平家物語の成り立ちには当時の坊さんや神仏が当然のごとく関わってくる。
当時の坊さんは平家物語などを覚えるのは一般教養であったのではありますまいかm9(`・ω・´)シ
なんで袋中上人が琉球国の多くの伽藍をあげ、垂迹の本地を明らかにすると言っているように平家物語の
一文が出てきてもなんら不思議じゃないことが分かりました 。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ
となると?当時の坊さんたちはミナミ島・薩摩潟より沖の小島は想像も付かぬ鬼が住む島。日本の範囲外
。そう喜界と認識していたと説明しても合点でございます。
なぜかといえば平家物語では「さつまがたとは惣名也、きかいは十二の島なれば、くち五島は日本へ随へ
り、おく七しまはいまだ我朝に従はずといへり、白石、、あこしき、くろ島、いわうが島、あせ納、あ世
波、やくの島とて、ゑらぶ、おきなは、きかいが島といへり」とあります
当時の知識人や宗教人は南西諸島のどの位置にどういった島があり、そこは何々島とかでなく、この地域
全体を自分たちの生活範囲から飛び出た領域=喜界=鬼が島・・・・南は鬼の巣ね・・・(ヽ´ω`)
と認識していたのでしょう

879:日本@名無史さん
08/09/09 20:04:05
さあ、そこで琉球入りしたといわれる源為朝どのが活躍する保元物語を読んでみまそ
下巻・第二十章…為朝が鬼が島に渡ること、ならびに最期の事
URLリンク(www.geocities.co.jp)
そう!保元物語にも為朝が琉球に行ったなんぞ書かれていません!というかこの時代、日本本土および南
西諸島のどこをさがしても為朝が来たなんて話しは一切なかったのではありますまいか!?
じゃあどこから沸いて出たのさ!? 火が無いところに煙はなんとやらですぞ? ふむ・・・ごもっとも

そこで(仮)ではありますが、まぁ話しを聞いてたもれ(・∀・)
ポイントは琉球の天界寺の鶴翁和尚さんの時代背景でございます!
①尚泰久王の御世はヤマトの坊さんがたくさん来琉した時期。
②平家物語や保元物語を一般教養としミナミ島を喜界と認識していた坊さんがワッサワサ
③いままで喜界といったぼんやりとしたイメージが琉球といった確たる存在に転換した
④為朝鬼が島(日本より外の範囲が及ばない喜界)渡り→為朝琉球入りが確立
⑤それが琉球内でも流布し始めた
⑥天界寺の琉僧・鶴翁和尚もヤマト和尚との交流でそれを知る
⑦鶴翁和尚がヤマト旅に出かけたときにその話を京都の和尚さんに話した
⑧為朝琉球入り説の出来上がりヽ(´ー`)ノ

880:日本@名無史さん
08/09/09 20:05:00
そう、為朝琉球入りの原型は鬼が島渡りの御伽噺でありました
その御伽噺が琉球=喜界のイメージのまま輸入され、お坊さん達によって育まれ(笑)それがまた日本本
土にも伝わったのでは!?
なので為朝がやってきた説は沖縄本島のみならず、遠く離れた島=喜界にひろく見られるのではありませ
ぬか!!!・・・・・・(・∀・)ドンナケ?
【参考資料:平家物語 保元物語 平家物語を読む~平家物語を読む~成立の謎をさぐる 早川厚一~ 
しまぬゆ特別企画1609年奄美・琉球侵略 琉球神道記 】

さて、よしりんは沖縄論で【琉球・沖縄の伝統文化の多くは薩摩の支配下で創造されたものである】
と紹介していまして、【沖縄の歴史書は保元物語・源氏物語】にならって書かれたとしています
ふむ、この歴史書とはイラストでもわかるように中山世鑑を指していますな。
では中山世鑑のどの部分が保元/源氏物語なのか紐解いていきましょう(・∀・)
ふむふむ・・・・・って東恩納おじさんがどうやら怒髪天のご様子 (((( ;゚Д゚)))

881:日本@名無史さん
08/09/09 22:14:02
大和人も何が大和文化なのか知らないしな
この先進国は働くのに一生懸命でそれを知る余裕もない

資源さえあれば……もう一度大東亜共栄圏をぉ

882:日本@名無史さん
08/09/09 22:48:25
>>876
>常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?~
それでも、被害妄想に陥ることなく、学ぶ他無いんでしょうね。
私は何度も沖縄人をやめようと思ったことがあります(汗)。
里主の逸る気は分からんでもないですが、ここのところの岡本的と言うか、
大宅的というか、周的な煽りに無理して呼応せずとも良いでしょう。
素人の我々が、直情径行な大和気早のようになっても詮無い。

源平に関して言えば、沖縄が源氏で宮古や大島が平氏的な扱いになっているのも面白いですね。
各名門が持つ大和名も、源平藤橘の名に若干符合するところがあるように思えました。

883:日本@名無史さん
08/09/10 00:18:56
大和を引き合いに出さなければアイデンティティをもてないのだろうか?

「薩摩芋」や「薩摩揚げ」って呼び名にクレームつけろよw

884:日本@名無史さん
08/09/10 00:36:06
ほう、やっと自分のルーツについて少しは調べられるようになったと評価してやろうと思ったのだがなw
褒められるのは、親の代から変わり身の早いところだけだな。

885:日本@名無史さん
08/09/10 12:39:44
>沖縄は何をもってして沖縄であるかと紐解く手段は常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?

勉強しないのを正当化するなW
少なくともここでアジってる奴は教養を持ってアジってるんだ。
教養のない小林よしのりのようなアホに反論できないようだから駄目なんだよ。

886:日本@名無史さん
08/09/10 20:52:56
薩摩焼きもクレームつけなきゃね

まぁ、日本に最初に入ったのが薩摩だから
薩摩○○ってのは別にクレームつけるところじゃないけど

>>884
評価してくれるだけの大和文化を一つ披露してくれ~( ゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ


887:871
08/09/10 21:12:02
>>877
テーミスはジュンク堂で立ち読みしただけ。
非買雑誌は、一部大型書店で売られているケースが多い。置いてある図書館もあるよ。
沖縄はどうか知らないけど。
たしか、沖縄の人が書いていたと思うけど、氏名は失念。参考図書なんて紹介してたかな?
はっきり覚えてない。「地割制」ならネット検索すれば出て来るが・・・

888:日本@名無史さん
08/09/10 21:31:06
>>886
>まぁ、日本に最初に入ったのが薩摩だから
>薩摩○○ってのは別にクレームつけるところじゃないけど

もうさ、その2行ですら議論が出来るんだよ。

「なら沖縄は日本ではないのか」「沖縄が国内でサツマイモや揚げ物焼き物の
ルーツが鹿児島ではなく沖縄にあることを訴えることはナンセンスか」
「沖縄が日本においてどういう位置を占めているのか、また社会的にどう
認知されてるのか」

いろいろ論点が出てくると思うぜ。
沖縄の民族主義者と大和同化主義者と大和人じゃ意見は全く違うと思うがどうよ。

889:日本@名無史さん
08/09/10 21:46:28
仮に薩摩芋が駄目でも琉球芋じゃなくて江南芋、もしくは南米芋だな

890:日本@名無史さん
08/09/10 21:54:52
メキシコ芋だな

891:日本@名無史さん
08/09/10 22:16:52
ま、唐芋か琉球芋、間を取って蕃薯か甘藷ってとこか。

まあ、たとえばこういう議論が戦わされることこそ、沖縄のアイデンティティを
内外に対して形成していく努力だと思うが、沖縄人ってのはそういう意識が
全くないよな。

歴史についても俺のような大和人のほうが詳しい。奮起してもらいたいもんだ。

892:日本@名無史さん
08/09/10 22:32:17
歴史は実証主義でいわば科学なんだからそんな感情論は議論にはいらん
アイデンティティなんてのは個人で形成してけばいい

893:日本@名無史さん
08/09/10 22:35:32
感情の介在しないアイデンティティなどあるまい。

894:日本@名無史さん
08/09/11 20:00:36
なんで沖縄人の発言が止まるかな…

895:日本@名無史さん
08/09/11 20:25:23
>>891
やれやれ、専門家に相手にされなんで、素人相手にまた俺様自慢かw
薩摩の芋っぽなんぞと言われたくないから、別にサツマイモで構わんよ。

896:日本@名無史さん
08/09/11 21:16:33
相手にされてないのはお前だろw
スレの質を落とすなよ。

897:日本@名無史さん
08/09/11 21:29:45
>>896
いい加減、駄スレと一緒に上げるのをやめろ。
奮起し得ざる理由は、普猷も書いておる。
御前のようなアジ野郎こそ、国家統合の障害だ。

898:日本@名無史さん
08/09/11 22:23:41
国家統合w
異民族の統合に価値を感じてるのは大和だけだろw

そういうところで価値をすり替えるのが
沖縄論のゆがみだとわかっていないようだ。

899:日本@名無史さん
08/09/11 23:54:24
>>882
歴史の重みは主義主張によって左右されないものであると強く自戒し、膨大な時間をかけて歴史に対峙し
た人達であれば、さすが史家!アジテーターが100人乗ってもだいじょーぶ!と言えるのだろうけどもね・
・・・歴史とは散歩中に「おっ!?あれは何々のアレアレの時代のどれそれがモチーフのホニャホニャで
すな(・∀・)」って散歩を楽しむツールぐらいが丁度いいぐらいなのでしょうかねぇ

>>885
薩摩入りを同族による外圧としながらも、琉球は宮古・八重山を侵略した!ゴーマンの延長線にある
>>842に対する答えを>>845のように説明できない歴史認識のレベルを勉強不足だと言われれば確かにグゥ
の音もでません。
しかしですな?注釈本よりもたまごクラブ。解説書よりもチャンプロード、おもろさうしと睨めっこする
よりも、農協からの督促状相手に睨めっこっと生活の中に歴史を学ぶ時間が全くなくても生活に支障はな
い。その生活リズムの中に無くても困らない歴史を学ぶ作業を組み込むにはどうしたらいいわけ?
反論するために歴史を学ぶの? そんなの苦痛でしかないし!
家から帰ってきてパソコンに電源を付けてココを覗く人達にとっては、反論といった行為にいろんな重み
を付けれるのだろうけども、ここに書かれていることについていけない人にそんな理由で歴史を学ぶ意義
とし、たきつけても(`皿´)ウゼーで終わるだけだよ?
もし、それが発端で歴史に興味を持ったとしても立派なアジテーターしか育たないのではありますまいか
?嫌韓流を読んで何かに目覚めたイタイ人と同じでしょ?

>>887
('∀`;)アンレマw 返事がくるとは思わなんだ。しかし僕が住んでいるところは米軍基地があるくせに戸締
りしなくても空き巣被害がないイミフなド田舎なので・・テーミスみたことありません(笑)ヤンバルク
イナを探し出すほうが早いです。参考図書のとかなかったのね・・・・・・・まぁあんがと

900:日本@名無史さん
08/09/11 23:55:52
だから、学んだ歴史を高みにおいたままじゃ素人からこう叫ばれても仕方ないの
琉球・沖縄の歴史って聞けば国家統合だの奪われた言語だのもーうんざり´Д`・・・・ってね(・∀・)
歴史をとっつきにくくしている状況を作り出しているのは史家の怠慢も原因じゃありませぬか?ってゴー
マンかます者であります(>Д<)ゝ”

いやいやどぞどぞ続けてくんさい。何だかんだで見ていてフムフムとためになりますゆえ
さて、上級者vs上級者。初心者to初心者で進めていきまそ。
時は1416年。尚巴志中山連合は北山に進撃! 猛攻撃を受け壊滅寸前の山北城主・攀安知の活躍劇!
もう、勝てぬか・・・(´・ω・`) 自害するときだが・・・・今一度合戦をしかける!死装束ぞ!
と身に纏うは「赤地ノ錦ニ直垂ニ、火縅ノ鎧ヲ着、龍頭ノ甲緒シメ、千代金丸ト重代相博ノ太刀ヲハキ三寸五尺ノ小長刀
ヲ腋ニ挟ミ花ヤカニ・・・・」
むっ!?この様子はまるで源氏の若武者か平氏の雅か・・・・・
南無八幡大菩薩!(`・ω・´) 兄弟一族只17騎で3000の敵に突っ込んでいきます
攻撃力・防御力MAXの最終最強装備を手に入れた攀安知の活躍は千切っては投げ千切っては投げと鬼神の如
し!えぇーい!遠巻きに射てぇー!ひるんだ尚巴志中山連合は弓矢の雨を降らせます。死に花も持たせぬと
はなんと非情でございましょうか(`;ω;´)ブワワッ
10騎は矢で射抜かれ、残るも矢まみれ血まみれ・・・これ以上罪をつくっても仕方なし、敵の手にかかる
も末代の恥辱と攀安知は割腹するのでありました・・・・・「中山世鑑」より

901:日本@名無史さん
08/09/11 23:57:55
また、舜天の活躍劇では・・・天孫氏を滅ぼした利勇を討たんとして「やぁやぁ!我こそは不肖の身なれ
とも日本人王五十六代後胤六孫王八世の孫鎮西八朗為朝の子としてホニャホニャとにかくお前を討つ(`Д´)」
となんとまあ説明すぎる説明乙って感じで登場してきます。
源為朝が琉球入りする経緯までは「後白河院御即位の事」「新院が為義をお召しになられる事」「新院が
御所各門を固められる事」「朝敵の宿所を焼き払う事」「為義降参の事」「為朝が生け捕りにされ流罪に
処される事」がまるまるって言っていいぐらいに使われて説明されてます
よしりんに「つまり薩摩侵入があったからこそ作られた歴史書である」と評された中山世鑑。
保元物語にならって書いた部分はこのような軍記チックなとこなんですね

さて、時は遡り今よりちょっと昔のお話し。
「( ´,_ゝ`)プッwwww向象賢ウケルwww 薩摩に気に入られたいがために為朝琉球入りの説を捏造し
ておるわいww必死すぎwwwこんなトンデモ話は向象賢が中山世鑑に書いたのが最初でしょうww」と
どこかの教授が評します。
これを聞いた東恩納おじさん「吾人はこれに甚少なからず悩まされ」と向象賢が為朝琉球入りを考え付い
たなんて説にはものすごい疑問である(`皿´)とプンスコ
さあ!>>817の そりゃぁ、島津のでっち上げwを紐解いていきましょう!・・・・・たぶんこのことだは
ず(・∀・)


902:日本@名無史さん
08/09/12 16:20:21

三山時代以前の王の名前は、みな中国人っぽいさーねー。
ヤマトーンチュがわざわざ「英祖」「察度」「汪英紫」って名付けるかねー。(名付けないと思う)
中国には普通に今でも「汪」さんって名前がいるさー。
何が言いたいかというと、琉球の支配層は中国から流れてきたと思うわけさ。

脳の奥にある思考そのものが中国人じゃないと、こんな名前は思いつきもしないでしょう。
ヤマトーンチュがわざわざ沖縄にきてさー
「英祖です。汪英紫です。他魯毎 です。」と言うかさ!名乗るかさ!

源為朝説は歴史の改ざんに決まってる。
誰が信じるかさー。

「中山」
察度(Cha-du)
武寧 (Wu Ning)

「北山」
怕尼芝(Pa-ni-zhi)

攀安知

「南山」
承察度(Cheng-cha-du )
汪英紫(Wang-ying-zi)
汪応祖(Wang-ying-zu)
達勃期 (Da-bo-qi)
他魯毎 (Ta-lu-mei)

903:日本@名無史さん
08/09/12 16:46:51
タルミイかっこよす

904:日本@名無史さん
08/09/12 17:09:06
汪応祖の「応」は本当は「應」でしょう?

905:日本@名無史さん
08/09/12 20:56:17
902=904は私(^^)。
羽地間切王子の子孫だよ。

思紹 (Si-shao)
尚巴志(Shang Ba-zhi)
尚忠(Shang Zhong)
尚思達(Shang Si-da)
尚金福(Shang Jin-fu)
尚泰久(Shang Tai-jiu)
尚德(Shang De)

小林よしのりの「沖縄論」を読んでみたけど、なんで「門中制度」が
薩摩起源になってるの?

「門中」が「薩摩の琉球入りがなかったら生まれなかった習俗である」とP143に書かれているわけ。

馬鹿なの?



906:日本@名無史さん
08/09/12 21:33:36
沖縄を侵略したがっている中国人ID:gIUW0TC+
スレリンク(news4plus板)

286 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/09/12(金) 19:53:42 ID:gIUW0TC+
考古学籍証拠によれば日本は中華の奴婢自治区(漢倭奴國王)で始めたことを直視して
琉球も中国固有の領土だった

515 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/09/12(金) 21:18:02 ID:gIUW0TC+
香港は確かに発展しています. お前香港の経済発展率を見たのか? 香港はもうアジアの商業と貿易の中心地

琉球は地政学的位置は香港よりもっと良い

強い中国の一部になったら戦争心配がない. 日本は軍事基地で使っているが, 中国は東アジアのハーブで. また経済的文化的繁栄を享受することができる. もちろん中国は 一国両制の自治を保障してくれるでしょう.


907:日本@名無史さん
08/09/12 21:35:00
沖縄の歴史をドラマで放送して欲しい
日本の歴史飽きた

908:日本@名無史さん
08/09/12 23:40:31
このサイトは知ってる?
URLリンク(www.google.com)

909:日本@名無史さん
08/09/13 00:26:41
アイヌと琉球もドラマ化すればいいのに
大和人のオナニーがひどい

910:日本@名無史さん
08/09/13 14:43:42
>>907
つ 琉球の風

もっともあれは現実の登場人物が主役じゃなかったし半年しかやってないし。

琉球は日本の歴史時代劇のように特定の個人がなにをやったかの詳細な
記録がないんだよね。

オヤケアカハチあたりならドラマになりそうだけど。

911:845
08/09/13 15:18:12
>>899
無論、オレは議論やアジのために沖縄の歴史を学んだわけじゃない。
沖縄が好きだから沖縄学を学んでいるんだ。
だが沖縄人は沖縄のことを好きだが沖縄学を学ぼうとは思わない。
それはそのままでいいが、小林よしのりのようなバカが出てきたときに、
沖縄人が何の反論も出来ないことが歯がゆいのさ。

]>>905
門中は中国起源だね。どの学者もそういってる。
中国にはほとんど残っていないが。
まあ、支配層が中国から来たというのはひとつの意見としてあると思うけど、
もともと琉球の文字文化ではない漢字を論拠にするのはいかがなものかと。
一般論としては単なる韻への当て字と考えるべきで、琉球が中国の冊封を
受けていた歴史を踏まえれば韻に中国風の漢字を当てただけかもしれない。
ちょっとだけ反論しとくわ。

あと、第一尚氏以前の琉球が大和に強い親和性を持っていたのは一方で
事実だ。勝連を鎌倉にたとえてみたり、京都に行くことを「上る」といったりね。
勝連や久高島をはじめ各地に「赤椀の世直し」の神歌もある。
太陽神がヤマトの臍から来たと歌うものだ。
もちろん琉球が大和の支配者に服従した記録はない。しかしそうした大和への
意識の強さも一方で論じなければならないと思う。

912:845
08/09/13 15:34:37
ああ、どっちかというと仲宗根豊見親の方がドラマになりそうな気がするな。
八重山アカハチ討伐→与那国島鬼虎討伐→死去
という流れは本土の戦国時代劇にも劣るまいw

913:日本@名無史さん
08/09/13 18:04:56
サンアイイソバきぼんぬ。

914:日本@名無史さん
08/09/13 18:09:32
沖縄の卑弥呼こと、サンアイ・イソバ

915:845
08/09/13 19:19:14
仲宗根豊見親の活躍を主軸にした方がいろんな人物出せるじゃん。

宮古島:目黒盛豊見親(仲宗根の曽祖父、宮古島を統一した武将)
     仲宗根豊見親と祭金他の子供たち、
     金志川以下将兵、クイダニ以下の4人の司(祝女)
首里:尚真王、音智殿茂金(月清/初代の聞得大君)、
    アカハチ遠征の大里以下九将
久米島:君南風(祝女)
石垣島:長田大主とクイツバ、マイツバなど肉親、オヤケアカハチ、満慶山
      多田屋オナリ
西表島:古見の主、慶来慶田城
竹富島:西塘
与那国島:サンアイイソバと4人の兄弟、鬼虎と娘
波照間島:シシカドン

どうよ。

916:羽地間切っ子
08/09/13 20:32:57
>> 911さん


グスクから見つかった壷は中国や東南アジアの壷が圧倒的でしょう。
14世紀に築城された首里城でさえ出土した壷の8割近くは中国の壷だよ。
大和の壷は、タイやインドネシアの壷よりも少なかったんだよ。

14世紀以前の琉球の初期勢力(英祖~三山時代)の浮上は、中国の影響が圧倒的に強かったと私は思う。

理由は、神聖な場所であるウタキ・グスクの各地から中国貨幣がたくさん出土してるから。
7,8世紀の中国貨幣が沖縄から沢山見つかってるってことは中国との交流が明らかに強かったことでしょう。
7,8世紀どころか、燕の貨幣が沖縄から出土しているくらいだもん。

8世紀~13世紀の大和貨幣や壷が、中国貨幣や壷をしのぎ大量に出土したなら、琉球の初期勢力が大和から流れ着いたとか、
大和がきっかけで国を形成するにいたったと言えるかもしれない。

結局、グスクや神聖なウタキから中国貨幣がでてきてるんだもん。
純粋に考えれば、支配勢力の出現は中国がきっかけになったと思う。


917:845
08/09/13 21:29:52
>>916
いや、別に否定はしないよ。中国の影響は大きかっただろうと思うし。

だが一方で大和とのつながりの強さをしのばせるものもあるということ。
ことにクェーナやウムイといった神歌に大和との関係性が歌われていることは
注目すべきことだって話。

918:日本@名無史さん
08/09/13 22:45:10
琉球が大和と関わるのは薩摩の侵入後で日本の文化の影響があるが
それ以前とは明らかに異なる
薩摩侵入以前の建造物などの遺跡は明らかに日本ではないし出てこないが
何故か大和瓦が勝連城から出土している
さらに不思議なのはひらがなで書かれた「ブツ」が出てくる。
例えば玉御陵の碑文がある
しかも、文は明らかに日本語である
本物なら16世紀に琉球人は共通語に近い日本語を話していたことになる。
薩摩の侵入時に言葉は通じず中国語でやり取りしているのである。
おそらく、玉陵碑文は明治になってひらがなの日本文に書き換えたんだろう
つまり、捏造、贋作の類であるといえる

919:845
08/09/13 22:46:51
と、小林よしのりのアホが言ってたのか?

920:日本@名無史さん
08/09/13 23:00:43
>>899
今度は旭屋書店で立ち読みしてもう一度確認してきた。
書いているのは、ジャーナリストの惠隆之介。参考図書は紹介してない。

Ryunosuke Megumi Home Page
URLリンク(www.cosmos.ne.jp)

921:日本@名無史さん
08/09/14 00:31:54
>>908
沖縄の古い人名が当て字というのは結構言われている事だよね。
本格的な中国名(唐名)を使うようになったのは第二尚氏時代で家譜が作られるようになってからで、それも専ら大陸向けの名前。

>>902は違うと思う。
それに為朝は単なる言い伝えであっていちいち改竄なんて言っていたらキリがないし。

922:日本@名無史さん
08/09/14 12:50:22
>>889
普通は「ウム」だが・・・

923:日本@名無史さん
08/09/14 13:06:25
仮に琉球独立したら、国防はアメリカに任せるんですか?新たに琉米安保条約を締結させんんですかね?それとも琉球国軍を発足させるんでつか?首相は仲間由紀恵になるんでつか?

924:日本@名無史さん
08/09/14 16:21:36
歴史の話題じゃねえだろw

925:羽地間切っ子
08/09/14 20:34:48
沖縄の民間信仰が、固有・土着の民間信仰とか、
神道に通じるとか言われたりするけど、
中国道教から得たもので固有・土着ではない気がします。

①あちこちの集落に土帝君(トゥーティークー)の神様(道教の神様)が祀られてる。
②1700年代の中国側の資料に「琉球で竈祭=(かまどの神を祝う祭)が行われていた。」との記述があること。
現在は、台所の隅っこに「火の神(ひぬかん)」が置かれていて、私の母親は、毎月旧暦の1日・15日に必ず線香たてて
家族の健康のお祈りをしています。
③沖縄の線香(ヒラウコー)の謎
線香(ヒラウコー)は、細い長い線香が6本くっついて1片となっています。
1人でお願い事をする時、彼岸や他人の家でお祈りする時は、3本(1/2片)ウコー。
旧暦の1日・15日の家族の健康を祈る時は、12本(2片)ウコー。
24本(4片)ウコーは、神人(カミンチュ)しか使用できない。
祈りのタイプによって線香の数が決められてる。
この線香(ヒラウコー)の使用本数は、3の倍数が基本になってる。
3本、9本、12本、15本、24本。 
例外は7という数字で、7本と17本がある。
この3という数字は道教に通じるものがあると思う。
④私の血族の亀甲墓の石扉をあけると、奥のほうに3段の階段があるそう。(祖母からきいた)
右に故人の各骨壷。左に大きな骨壷。
33年忌をむかえると、右の故人達の骨は大きな壷にいれられるそうです(血族ミックスというのかな)。
階段が3段、33年忌。 これまた、3の倍数でしょう。

⑤ウチカビ、清明祭、旧暦2月2日土帝君祭、石厳当、シーサー、
ユタ・ノロの女系神職、
これだけ道教色が強いのに、なんで土着・固有信仰となるのか?
不思議で仕方ない。
結局のところ、中国の影響をうけることで信仰も固定化され、
住民に広まっていったわけでしょう。
固有・土着の信仰というのはオカシイと思う。

926:日本@名無史さん
08/09/15 02:03:45
なんで肝心の御嶽信仰やニライカナイ信仰を無視よ?

沖縄学ではそれをベースに渡来した宗教を吸収し混交したと解釈されていて
とっくに議論の対象になってない。

宗教の核は死の扱い(死生観)と葬制だよ。それらはすべて外郭にすぎん。


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