琉球(沖縄)の歴史2at HISTORY
琉球(沖縄)の歴史2 - 暇つぶし2ch750:日本@名無史さん
08/05/26 01:37:20
384 :名無しさん@八周年:2008/05/21(水) 01:16:56 ID:HFB4X8ur0
ガチ話だけど都になった京都に、
どさくさに紛れて住み着いただけの
都だったの権威を振りかざす、由緒も糞もない寄生虫だよ
大部分の京都の多重性格を育む住民は・・・冷静に観察して見ると!
まずくなると、渡来人とかほざくし、ゲテモノものだよアイツらは。




385 :名無しさん@八周年:2008/05/21(水) 01:22:29 ID:gpkqv+zm0
まあ、ぶぶ漬けでもおあがりやす


386 :名無しさん@八周年:2008/05/21(水) 02:35:06 ID:O4OX1yRN0
京都は昔から身分の高い人がいたけど
その分身分の低い人も大勢いたからな
大きな寺院に所属してその権威を笠に着て暴れてた人たちとか
乞食とか大勢いたところだからな


751:日本@名無史さん
08/05/26 02:45:31
>>742
「ャー」の意味を知りたいね
ウチナンチューは沖縄の衆、ヤマトンチューは大和の衆
ってすぐに見当がつくんだけど

752:日本@名無史さん
08/05/26 03:15:07
内地ちゅーの変化形だろ。
本島人は、ちの連続が苦手なのかw

奄美を調べれ。

753:日本@名無史さん
08/05/26 17:59:13

琉球王国は人口過剰なのに、どうして台湾を侵略しなかったの?

754:日本@名無史さん
08/05/27 01:29:11
>>753
八重山、特に西表以南はマラリア猖獗地。
蔡温のように移民政策を行ったら全滅しかねない。
よしんば移れたとしても、ゲリラ的な馘首を風習とする部族がワラワラ居るから、当時の正規兵では数が足り無過ぎる。
平野部の漢人と交易するだけで十分。

そう言えば、>>736で紹介されているヤイマも、アレな方々にタイワナー差別があったとよく言われる。

755:日本@名無史さん
08/05/27 02:04:27
演義の諸葛亮も諸将を総動員しているが、瘴気とゲリラ戦に悩まされているよな。
ま、地元だったら王連ならずとも端から愚考と言ったんじゃなかろうか。

756:日本@名無史さん
08/05/27 11:58:01
>>749
糞?科学的に京都が糞ということを証明してください。
歴史からでは沖縄ははるか昔日本の大和朝廷に中国王朝にやったように朝貢をお願いしにきている。
同じ半分沖縄なのに冷たい。


757:日本@名無史さん
08/05/28 03:22:30
>>751
正しくはヤマトゥンチュ、ウチナーンチュ。

一度ウチナーに暮らしてみればわかる。

ナイチャーは内地人。アメリカーはアメリカ人。タイワナーは台湾人。
フィリピナーはフィリピン人。日本人を表す言葉は他にもあって
ヤマトゥー「大和人」、「ジャパニー」←現在は死語。というのもある。
また白人全般をさす言葉としてオランダ人「ウランダー」←現在は死後。


個人的にはナイチャーよりはヤマトゥーのほうがなじみがあります。

758:日本@名無史さん
08/05/28 22:06:50
>>750
わかります!
385 :名無しさん@八周年:2008/05/21(水) 01:22:29 ID:gpkqv+zm0
まあ、ぶぶ漬けでもおあがりやす
↑は『さっさと寝ろ!』って言っているんだよね。礼儀作法はとっても便利です(´∀`)

>>751
ふむ・・・・・僕も知りたい(・∀・) 
>757をみてみると・・・・・・フムフム・・・
・ガチマイ(食いしん坊)→ ガチマャー(食いしん坊な人)
・ジンモチ(金持ち)→ ジンムッチャー(金持ちな人)
・トゥルバル(呆ける)→ トゥルバャー(ぼーっとしている人)
・ユタ買い(ユタに相談すること)→ユタコーャー(ユタに通う人)
・内地(内地)→ナイチャー(内地の人)
『ャー』とはよく言われる+erって奴? 
威張る→イバヤー(威張っている人)
筋肉→キンニカー(筋肉モリモリな人※ヤンバルだけ?これって??)
ムッ? なーんかジジババに変な言葉使うなっ(`ω´*)って怒られそうな言葉ばっか ジラッwwww ディwwwww
でも>752の説明が( ´・∀・`)ホホーって納得できそう

759:日本@名無史さん
08/05/28 22:07:32
>>754
福州園にたむろっている人達はタイワナー? 台湾元がよく落ちているんだけども
でも正直言ってタイワナーって始めて聞いた ジャパニーってのも始めて聞いた

>>755
関索はいません でも関索がかっこいいんです

>>756
まあ、ぶぶ漬けでもおあがりやす(・∀・) 使えた!使えたよー(^o^)ノ

760:日本@名無史さん
08/05/31 23:31:03
さてはて(・∀・)
地割制度をちょくちょく調べてみた(^o^)ノ  抜けているとこや間違い指摘プリーズ
まず各間切りの耕作地の構成が・・・・・・
A:百姓地(地割制度が適用される 売買禁止 割り当てる百姓の数が足りなく耕地が余る場合は間切りに払い下げ可能 払請地:売買可能) 
B:役地 (地頭役職に対する給地 地頭地 ノロクモイ地 売買禁止)
C:仕明地 (百姓及び村で共同開墾した土地:仕明請地 士が開墾した土地:仕明知行 私有が認められた土地)

百姓が耕す耕作地(一地)の割り振り方法
性別 年齢別 男女別など各間切りで違ってきている
南風原あたりでは男2人で1地 女4人で一地 中部あたりでは15-25歳までが~地ってカンジ

耕作地はある一定期限をすぎると地割が行われて別の耕作地に移る
この更新期間も各間切りで違っていて具志川あたりでは7-8年 もしくは12年から13年 
百姓の家族数によって更新期間は変動
漢那あたりでは5年毎

ほいでなんで耕作地をいちいち変えるのか?ってーと耕すに適した土地やそうでない土地などがあり平等を期すために更新期間がくると百姓に割り当てられた耕地も変更

参考書(漢那区誌 具志川区誌)
なんでこんな古臭い本かってーと? 大正時代に発刊された区誌におもしろい文言があったのです(・∀・)ジカンガホシイ
(;゚д゚)....アッナルホド このことを言っていたのかって奴

761:日本@名無史さん
08/05/31 23:31:36
ふーむ・・・・・なんかそんなに悪いシステムでもないような気がしてきた。ってか地割制度って全国各地にあるんじゃない?
こんなん調べるとアレをおもいだすのです 
「ドメスティックに政治を行えるのは専制君主制度であり、指導者が優 秀 で あ れ ば 民主主義よりも優れたシステムである byヤン・ウェンリー」だったっけ? ファイレーーーーンヽ(`Д´)ノ       まっいいか(´∀`)

んで、各シマで喋っていたウチナー口を調べていたんだけども 
「那覇人やナーバイバイ 首里人やスリーズリー 久米人やクンクルバーセー」なんて出てきた
どーいった意味だこりゃ
まー呼び方ドーコーだったり耳に入る音ドーコーでその人の価値を決めるってんならそのうちコノ歌も発禁になるんじゃない?

んなわけで一曲( ゚∀゚ ) チョンチョンキジムナー♪
チチぬ夜や 呼びぃが来ぅぐとくぅ まじゅん 行かやぁ カーマデー(・∀・) カーマデー(・∀・)
(月の夜になったら呼びにくるから一緒にいこうね カマデーたん カマデーたん)
ウフユゥや汝むん 目玉や我むん
(大きい魚はキミのもの 目はボクのもの)
ちょんちょんちょんちょん♪ ちょんちょんちょんちょん♪ キジムナーがチョーンチョン♪
(来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ♪ 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ♪ キジムナーがやってくる)
URLリンク(www.respect-record.co.jp)



762:日本@名無史さん
08/06/01 00:01:09
>>754
基地周辺では、タイワナーよりフィリピナーが多いからね。
自分もジャパニーは聞いたこと無いなぁ。
基本的にクンクルバーセーではなく、ナーハイバイだったので、ナーハイバイの方をよく耳にした。
子供の頃だから、スリーズリーはまず無かった気がする。

763:日本@名無史さん
08/06/01 09:53:37
81:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2008/06/01(日) 09:16:01 ID:1oe3VZNN
71

歴史をしらないのかな?


琉球の漁民が 台湾の高砂族に虐殺され

救出しに薩摩藩がのりだした。

中国はこのことについて黙秘し、

琉球は日本と親密になり、以後日本領に接収されることを望んだ

上で言われている事は本当でしょうか?


764:日本@名無史さん
08/06/01 22:20:09
朝保、僕はもう疲れたよ。

765:日本@名無史さん
08/06/02 22:01:43
>>740
沖縄の若もんだけどよ、沖縄の若もんの多くはナイチャーっていう言葉に
含まれる差別意識について考えた事もない馬鹿もんなんだよ
自分には差別意識がないからナイチャーナイチャー言うけど
差別意識が無いからってナイチャーが差別語であることには変わりない

ただ、ナイチャーは差別用語だけど、「内地の人」となると
ちょっとニュアンスは違ってくる
この場合は、本当にただ地名としての「内地」だからな

ヤマトンチュは正しい言い方だが、若者は使わない
使う奴が極端に少ないし、恥ずかしいから


766:日本@名無史さん
08/06/02 23:54:09
>>765
明治における区分から勉強し直しなされ、内地人。

767:日本@名無史さん
08/06/03 02:46:16
「ャー」はerだとずっと思ってましたよ。

768:日本@名無史さん
08/06/03 23:45:52
>>763
琉球を助けに行くぞと勇ましく。それに感謝感謝として以後、琉球は日本領

になることを望みましたとさチャンチャン♪
ふむぅ・・・・もしかするとコレでいいのかもしれないね(´・ω・`)
突っ込まずに歴史を「分かりやすい物語り」として扱ってそれで良しとしたら

ば一枚岩になれるのでしょう

>>764
伊江王子乙                    (・∀・)かな?

769:日本@名無史さん
08/06/03 23:46:24
>>765
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          /  ̄   ̄ \
         /、          ヽ
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        q -´ 二 ヽ       |
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770:日本@名無史さん
08/06/03 23:50:20
さて、本縣児童ニ日本国民タルノ精神ヲ発揮セシムベシ
で始まる【琉球教育第8号 明治29年8月 論説 沖縄は沖縄なり琉球にあらず】 を読んでみますとですな? 
會員川上豊蔵君曰く・・・・本縣児童ノ教育上最モ重要ト為スベキ所ハ国民教育、即チ日本国民タルノ精神ヲ発揮セシムルニ至ル・・・・らしいです
ほうほう? なんででしょ?

・日本帝国ヲ併セテ之ヲ外国視スルニ至リ、【内地各県】ヨリ至レル人ヲ目シ
テ日本人と冩シ、自ラヲ沖縄人ト冩シ上流士族に在テハ特ニ自ヲ琉球人ト
称セリ・・・・・・・だそうです。
ふーむ・・・・このときから県外を内地と呼んでいたのですな(・∀・)
(´σω `)鼻くそホジホジしながら「はぁ?沖縄人は沖縄人でしょ?」って輩
にも腹を立てている模様。上流士族は悪あがきっぽいね
ほいで?? ほいで??

771:日本@名無史さん
08/06/03 23:50:47
・内地各縣人モ亦自ラ日本人ノ名ヲ専ニシ、本縣人呼ブニ日本帝国沖縄人ト言ワズ單ニ沖縄人ト称ス
むっ?別にいいんじゃない?内地各縣人が沖縄人を沖縄人と呼んでなにか不都合でも?このおじさんは何が不満なんでそ?
・單ニ沖縄人ト称スルノミナラズ琉球人ト呼ビ以テ之ヲ外藩視シ、日本人ノ
質位ヲ興ヘズ
>日本人ノ質位ヲ興ヘズ
>日本人ノ質位ヲ興ヘズ
>日本人ノ質位ヲ興ヘズ
>日本人ノ質位ヲ興ヘズ
ナルホド・・・・・立派な日本人扱いしてもらいたかったんだね(ノД`)
沖縄人は沖縄人のままでは日本国民足り得なかったんだね(ノД`)

( ´゚,_つ゚)ヒッシダナwwwwなんて思う輩も
(´σω `) 鼻くそホジホジって興味ゼロな輩をどうにかしたかったんだね(´・ω・`)

そいでこのオジサンはこうも言ってるのだけども・・・・・
・抑モ内地トハ三府四十一縣ヲ称スル者アリト言エトモ
決シテ然ルニアラサルナリ、東ハ青森ヨリ西ハ山口ニ至リ
南ハ和歌山ヨリ北ハ石川ニ至ル 即チ日本州ナリ
北海道、九州各縣、四国各縣、淡路島、佐渡島、隠岐島、対馬島、壱岐島
沖縄島、宮古島、八重山如キハ皆本州ノ属島ナリ
故ニ九州、四国及ビ北海道 其他各島ヲ以ッテ内地ノ名称ヲ付ケスベキニアラズ・・・・・・・・・・・?????

772:日本@名無史さん
08/06/04 01:12:04
>>770
上流士族は別に悪あがきでは無いと思うよ。
無禄士族でも琉球人と言っていたりする。水呑百姓は、普通にウチナーと言っていた。
戦前の教育書は、コンプレックスの滲み出し方が酷いよね。
いや、戦後も標準語の使い方が悪いとか、行儀が悪いとか、一挙手一投足に憤懣をぶちまけている教員の日記があってキモ面白い。
結局のところ、学ぶことの面白さを伝えるのは二義的だったのかねぇ?

773:日本@名無史さん
08/06/04 12:54:51
きかいじまって結局琉球領土ではなくもともと大和朝廷領土なの?琉大のセンセーが言ってたが。これって沖縄にとって歴史的大事件かな?

774:日本@名無史さん
08/06/04 13:52:30
あのなw
本島人は海の底から湧いて琉球を建国したのか?
あんま北を見る必要は無いが、奄美ぐらいは見ろよ。

775:日本@名無史さん
08/06/04 14:13:03
>>773=>>774
ここでも貼り付いてますかw

776:774
08/06/04 14:14:13
別人だあふぉ。

777:日本@名無史さん
08/06/04 18:45:51
>>773
いやなんかそれって事件か?

778:日本@名無史さん
08/06/05 01:10:33
>>776
いつも罵倒しかしませんね。そんなに本島人に見て欲しいのですか?

779:日本@名無史さん
08/06/05 23:21:59
>>772
だよねぇ(´・ω・`) 物事を学ぶってのは楽しいですよ。こんなにも面白いですよ!ってスタンスじゃなく
羽地朝秀のように同じ土俵に立つための下準備としての取り入れて学んだのでもなく
明らかに「大日本帝国沖縄人」になるための条件を習得するのが教育の基本である(`ω´*)っつーカンジ
こういった戦前の教育書は読み始めだけども・・・・「沖縄人のままでは差別される。ネイティブのままでは差別される!」なんて強迫観念にもよく似た焦りを感じるねぇ( TДT)
そしてそれが当時の沖縄県の教育界で広められたってのも悲しい(´;ω;`)
キモ面白い日記も読んで見たいけどコワイでもある・・・・・(´Д`)
ってかwww キモ面白いってwww ひどおもしろw

だから一曲なのです!差別されて奪われた言葉と紹介してもいいでしょう!
言葉のオモシロさと懐かしさを覚える美しい音階といったウチナー口の本質は色あせないのですヾ(´∀`)ノ゛

浜千鳥節
URLリンク(www.okinawabbtv.com)
・旅や浜 宿り草ぬヤ~レ葉の枕 寝てぃも忘ららんン~ンン~ン 我親のヤ~レ我親の御側
 千鳥や浜居てチュイチュィナ~
ン~ンン~ン(・∀・) ン~ンン~ン(・∀・)ってところがイイネ


780:日本@名無史さん
08/06/05 23:23:04
さて?この【琉球教育】と聞いて不思議不思議と思いましたのは・・・・
沖縄は沖縄なり琉球にあらずと論説まで立ててるのに何故に【琉球】なんでしょうか?
さらに読んでみますと・・・・・・
會員新田義尊君曰く
彼ノ復藩主義ヲ執ヲレタ先生ガ、何トナク某氏ニ吹キ込ムデ琉球教育ガ宜シイ、沖縄トイウテハ未ダ他府県デハ
知ラヌ者モアル 琉球国トイヘバ知ラヌ者ハナイ 名称ガ大キク開エルト好イト口説ヲ設ケテ人ヲ引キ込ミマシタ
引キ込マレル人モ人ヨ・・・・・沖縄教育ニ致シテハト申シタル修正説ガ討死致シマシタ
>修正説ガ討死致シマシタ
>修正説ガ討死致シマシタ
>修正説ガ討死致シマシタ
>修正説ガ討死致シマシタ

いやぁーこういった言い回しってのはいつの時代も素直に面白いものです(・∀・)ウフフ


781:日本@名無史さん
08/06/05 23:24:41
彼ノ復藩主義ヲ執ヲレタ先生とは太田朝敷さんだろかね?
んでなんで沖縄教育にしては?って修正説を出したかってーと?
琉球人ト申ス響ハ古来島津家ノ領民トカ附属トカ申亦リタルハ、トマレカクマレ耳障リトシテ聞ク時ハ
和蘭人、南京人、朝鮮人ト同様ニ種性種気モ分カラヌ外郷人ノ音ガ致シマス
そう、人の呼び方でその価値を決めるアンポンタンがいる。なのでわざわざ自分で琉球人と名乗って
民度を下げなくてもよろしいでしょうってさ・・・・・・・・・・・・・・
       {    !      _,, -ェェュ、   |
ィ彡三ミヽ  `ヽ     ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
彡'⌒ヾミヽ   `ー  /ililハilミilミliliミliliミミヾ|
     ヾ、        /iiiiイ!ヾヾミ、ミニ=ー-ミii|
  _    `ー―' i!ハ:.:.\\_::::::::::::::/:.|
彡三ミミヽ        i! ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|
彡'   ヾ、    _ノ i!::: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,|
      `ー '    {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"|
 ,ィ彡三ニミヽ  __ノ ヽヘ`" 彡' 〈     |
彡'      ` ̄       `\   ー-=ェっ |
      _  __ ノ  {ミ;ヽ、   ⌒   |
   ,ィ彡'   ̄        ヾミミミミト-- '  |
ミ三彡'        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|
       ィニニ=- '     / i   `ー-(二つ
     ,ィ彡'         { ミi      (二⊃
   //        /  l ミii       ト、二)
 彡'       __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
        /          | ミ{     :.:.:..:|
            ノ / ヾ\i、   :.:.:.:.:|
      ィニ=-- '"  /  ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|
    /     /  `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|
   ノ     _/   /   /  |:. :.:.:.:.:.:.:|
      /     /   /   |::.:.:.:.:.:.:.:|
なぜか怨嗟憤怒うずまくようなこのAAが脳裏に浮かんだ

782:日本@名無史さん
08/06/05 23:25:15
>>773
「まんが しゅりじょうものがたり」でも出てくる話だしそう目新しいことではないんじゃ?
そこで発掘された遺跡から当時の日本地図が南下する可能性があるってのが大事件なんじゃない?
となれば? 琉球の喜界島出兵は琉球vs大和といった明確な対立図があってのことなのではありますまいか?
だからね? だからね?北山・伊平屋を押さえられたんで勝連にチョッカイだしたわけでありますよ(・∀・)
モチズキ按司あたりがそーなのです どーでしょ? マガジン編集部の皆様? この説を某マンガで取り上げては?

>>774
だから北山は大和武士だ・・・・・・・・・・・・・・><ナンデモナイデス

783:日本@名無史さん
08/06/06 00:02:56
うん、琉球中山はクニンダじゃなくて、大和武士のヤンバラーに乗っ取られていたんだ、ナンダッテー!!
第一・第二尚氏 → 流れ着いたヤンバラー
翁氏 → 采地と血縁的にヤンバラー
毛氏 → 読谷山といいつつヤンバラー
馬氏 → 正真正銘のヤンバラー

784:783
08/06/06 00:17:07
>774じゃないんだが、書いてて本当にヤンバラーばかりだなぁと。
今の経済界も乗っ取られてるようなもんだわね。

785:日本@名無史さん
08/06/07 23:47:26
>>783
>読谷山といいつつヤンバラー
吹いたwwwww 
しかし,卑下るわけではありませぬが沖縄に経済界なんて立派なものがあるのでしょうか(´・ω・`)
しかもソレをヤンバラーが牛耳っているとな? ふむふむ僕の引き出しである「アンサイクロペディア」によれば『沖縄には会社は3つしかない。沖縄電力と沖縄ハムとオリオンビールである』
URLリンク(ja.uncyclopedia.info)
んー? 何かが抜けているような・・・・・・・・・・何だろうか・・・・・・・
そうだ(^o^)ノ  サンエーである!サンエーが抜けているのだ!
沖縄人は天皇の赤子と言えば( ゚Д`;)ハァ?なんて抜かす137万人総アカでございますが、
老若男女お世話になっているサンエーの赤子と言えば愛国烈士の皆様方もムムムッ・・・・と唸りながらも認めざるを得ないところがありもーす! そのサンエーをヤンバラーが牛耳っているのですな! 

この調子でヤンバラーが全琉を仕切った暁には寛大政策を持って各シマンチュの皆様方はなーふぁんちゅとかホニャホニャ好きなように名乗っていいことにします☆(ゝω・)v
しかし?石川んちゅだけは例外ドス(`ω´*) そう、あの合併劇でうるま市になったにも関わらず
「やーまーんちゅえーがー?」「イシチャーでーびる」なんてほざいて「石川んちゅよりうるま市民としての意識を!」と一部の人に叩かれているような、いないような石川んちゅのことです
これもまたとんでもない話でございまして石川はりっぱなヤンバルであります
あの某コメディアンの決めポーズ(URLリンク(www.city.uruma.lg.jp))のようなアホっちい市章なんて掲げている『うるま市民』を名乗るなんて民度が低くて可哀相でございますゆえ、
多少の無理があってでも石川んちゅは「ヤンバラー」とさせていただきます。何卒ご理解の程よろしゅー┏○ペコ
・・・・・はて?僕はいったい何を調べていたのだろうか?

786:日本@名無史さん
08/06/07 23:48:42
沖縄県国頭郡誌 大正8年4月21日
「汝の立つ所を深く掘れ。其処は泉あり」というニイチエの警句を私は好んで引用しますが、
今一度引用することを許してください。
これは借りて以って郷土研究の必要を説くに都合の好い言葉だと思います。
誰でも活動しようとする人は先ず其の足元に注意せなければなりませぬ
自己から出発せない活動はほんの空騒ぎに過ぎませぬ       伊波普猷

わしズム11.30秋号「ナショナリズムの反転攻勢」のためにの高森ホニャホニャさんが・・・・
「ヤマトンチュ云々」という沖縄県民の声がどれだけ歴史的な根っこを持っているのか疑問です
ホニャホニャホニャホニャ・・・・・それがヤマトンチュとウチナンチュと対立しているかのように言い出すのは
これも一つの歴史偽造じゃないですか」   ふむぅ・・・・・・・・・・・(´・ω・`)
ほいで、わしズム5.16春号では「沖縄のエッセンスが本土に浸透して日本を変えるくらいでなければならない」と力説していますが・・・・・・ふむ・・・この「沖縄のエッセンス」とは一体なんでしょう?

沖縄のエッセンス=歴史の落とし所ではありませぬか?
台湾出兵は琉球を救うための義挙である!をそれで好しとするような歴史の落とし所
そう、ウチナーンチュが自己の足元を深く掘ってしまえば煩わしい問題にぶちあたってしまう
「何をいまさら」ってカンジで、んなことワザワザしなくてもいいじゃないか?って落とし所を求めている気がしないでもない。これがよしりんが広めたい沖縄のエッセンス?

ふむ・・・・僕はウチナーンチュが自己の出発点を考えるときはニライカナイとオボツカグラのように
足元にある沖縄人としての水平の意識と日本人としての垂直の意識があるような気がしてなりませぬ。


787:日本@名無史さん
08/06/09 08:45:06
(・∀・)グッモーニン
・自民党が負けると北朝鮮が攻めてくる。 ・日本人はみんな将軍様の奴隷になる。
・アメリカに見捨てられる。 ・中国に九州を、ロシアに北海道を割譲することになる。
・経済は停滞し日本人はみんなホームレスになる。 ・子供たちはみんな不良になって親父狩りが多発する。
・サラリーマンは将来に絶望しみんな自殺する。 ・環境は悪化し、地球は氷河期を迎える。
引用元 アンサイクロペディア
なんて叫び声が聞こえてそうな朝をいかがお過ごしですか?でもあれだよね?
ウチナーのホシュって年がら年中【戦争がドータラ軍人の名誉がドータラ】とか
・中国が攻めてきますぞおおおおおおヽ(´Д`;)ノ
・ミンスがホニャったら中国に主権ホニャホニャ(`ω´*)とか
・へんなチラシをばら撒いて自民党や公明党は大会に参加すべきでないとか言っている人達でしょ?
そんなのは政治でもなんでもないのでは?と思われてしょうがないのです
まぁミンスにしたらドーコーとかジミンにしたらドーコーとかお互い必死に指の指し合いを繰り広げるがいいさ(`皿´)
んでも・・・・ミンスってヤンバルクイナレベルじゃなくて? 
まぁ親父どもは今頃悔しいの必死で我慢しているやら意味なく自慢気な態度やらで・・・・・m9(^Д^)プギャーーーッ

788:日本@名無史さん
08/06/09 08:45:42
さて沖縄縣國頭郡誌によれば地割制度をこう評しています
百姓地の地割替は今日称へらるる【経済上の共産制度】にして農民をして一人も土地を耕作せざるものはなく
永代其村に安堵して業務に就かしめんとの精神より出でたるものにして、全然排斤すべからずものありと
誰も之に伴う弊害亦甚だしきものあり。今其著しきものを挙ぐれば左の如し

1・地割地は永久に自己の所有にあらざるために土壌の改良行われず地力大に耗竭すること
2・勤倹貯蓄の念及企業の精神に乏しく従って小成に安じ生活程度の向上を阻害すること

アッ ナルホド?誰も書かない的な評価はこのことを言っていたんだ?。だとしたら・・・・・同じ郡誌には・・・
【旧藩時代の土地制度】として
・旧藩時代に於ける本県土地の種類は百姓地・地頭地・オヘカ地・ノロクモイ地・仕明地・仕明知行地・請地
・「開墾地」なる仕明請地、仕明知行地及び払下地なる請地に私有を認め、其他は人民をして私有せしめず
従って売買を禁ぜられたり
ふむ・・・・・郡誌は地割で割り当てられた土地以外に開墾して私有を認められた土地のことにも触れていますが
なぜに誰も書かない的な評価は大正時代の批評をすこし捏○して「毛沢東やポル・ポト派が試みた原始共産制です。」なんてなったのかしら?
いやいや?もしかすると本当にアカ共が試みた原始共産制と一寸と違わないのやもしれぬ?
近年の地割制度に対しての研究や評価批評はどのようになっているのでしょうか? 何かいい本はないかしら・・
でも今は不用意に用いてしまった「オボツカグラ」の方を調べたい(・∀・)

789:日本@名無史さん
08/06/15 01:24:55
ウチナー愛国烈士の皆様方グッイブニーン(・∀・) まぁ・・・・その・・・なんだね?
北朝鮮の工作員ホニャホニャ、中国の工作員ホニャホニャと目に見えない敵よりも先に・・・・・・・(´・ω・`) 
・自民党が負けたら台湾が攻めてきたなんてアンサイクロペディアに書かれないように(;゚д゚)
しかしまぁどこぞの愛国者が民進党ドータラ、国民党ドータラ鼻くそほじりながら真面目に考えているフリをしてヤイノ
ヤイノ騒いでいる間、影響を受けるのはわったーウチナーでありますね。しかし・・・・今日も日本は平和です(笑)

さて、北を見ろいうので国頭はチザラ・イヘヤ・シヌクシ・アフリ・の四嶽からなるアスムイにのぼってみますと
娘ジントヨーを歌いたくなるのです
URLリンク(www.respect-record.co.jp)
オクの山々でお茶を摘む頃はョ~ ヨロン懐かしャ~
ジントヨ~辺戸の岬ョ~ ジントヨージントヨー

アスムイに民間人が入れるようになったのは明治以降とのこと。ここがノロクモイ地でありオボツカグラにちかい場
所でしょうか?ウィキペディアによりますと・・・・フムフム・・・・
URLリンク(ja.wikipedia.org)
オボツカグラは天空にあると概念される異界である。もともとは国頭地方の信仰と考えられ、琉球王国時代に喧伝
されて、王権神授論的な権威付けに用いられた
(・∀・)フハハハハ すごいぞヤンバル! なーふぁんちゅはさっさと県都を名護に明け渡しなさい(`・ω・´)

790:日本@名無史さん
08/06/15 01:26:23
んでも不思議に思い当たる。キミテズリは国王即位の際に現れる神様って位置付けでしょ?
ニライカナイ(水平)に住んでいて王権授与の時期がきたらアスムイに降臨し御嶽を回って首里に到着でしょ?
なんで?おかしくない?? これじゃまるでオボツカグラの神様っぽいさ?
ほいで開闢七御嶽はアマミキヨが天上の神(オボツカグラ)の命を受け創ったってされているけど、受水入水(ウキン
ジュハインジュ)に稲作をもたらしたのはニライカナイ(水平)から種を持ってきたアマミキヨでしょ? なんか役割がご
っちゃになってない?
ってことで・・・・ここで推測

1・古琉球ではアマミキヨは水平からの来訪神でしかなかった。ってかオボツカグラなんて垂直からの降臨神なんて
のは考えられなかった
2・キミテズリは瑞兆であり虹のことを言っているのであります(琉球神道記で10月ごろに山の上に5色の帯で出ると
かあったはず。)
3・薩摩入り後には王権もグダグダになってしまったので久米村を復興させたように王権も補強する必要が出てきた
4・いままでは只の瑞兆であった虹(キミテズリ)を神格化しオボツカグラに祭り上げた
5・水平からの来訪者は災厄をももたらすといったイメージのままじゃ都合よろしくないので祭り上げたキミテズリをさ
らにニライカナイの来訪神に仕立て上げた
これが古琉球以降の神話のarchetypeではありますまいか!さっそくテーミスかたま出版に持ち込まねば ε=ε=ε
( ´∀`)ノ
えっ!?元来水平からの来訪神でしかなかったアマミキヨが開闢七御嶽を創ったオボツカグラ的な垂直の役割を担
ったのは何故が説明されてないじゃなかって?
まぁ・・・・そこらへんは・・・・・韮沢さんに金星人のせいにでもしてもらいます(´△`)
URLリンク(jp.youtube.com)

って思ってましたところ・・・・琉球神道記を読んでみたら
「キンマモン陰陽ノ神。天ヨリ下リ給キライカナイキンマモント称ス。海ヨリ上給オボツカグラキンマモント称ス」
?????? イミフなんで寝ます

791:日本@名無史さん
08/06/15 16:38:13
琉球人が多弁になるのは本島内だけ。
本土に来ると、とたんに無口になり被害者ズラになる。

792:日本@名無史さん
08/06/15 16:43:55
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)

793:日本@名無史さん
08/06/16 20:35:22
>>785
ぐ、グシチャーもイシチャーと全く同じだとは思ってないんだからね、もぅ。

>>789
クニジャンって、何気なく凄いね。
最期まで御殿位の家格を保ってるのは、尚元王の伝承だけじゃなくてそこら辺もあるのかな?
向象賢が苦労したのも分かる気がするし、あちらの家は結構あざとい感じがする。
といっても、贈収賄連発で国を揺るがした蔡氏ほどじゃないと思うけど。
父の不祥事は国頭正弥で晴らしたというところかな。

794:日本@名無史さん
08/06/20 23:44:35
>>791
ウチナーンチュは掘って掘って掘りまくってるだけじゃ、自分で掘り下げてできた穴に閉じこもった
状態になってしまうやも?なんでピョコっと飛び出してみるといいよね(・∀・) 

>>792
(゚Д゚)ジャポ(・∀・)ニカ! (゚Д゚)ジャポ(・∀・)ニカ! (゚Д゚)ジャポ(・∀・)ニカ!

さて、僕が好きな原田禹雄先生。京都のお医者さんでありながらいろんな訳注本を出しているおじさん曰く・・・・・
「自分に必要な部分だけをピックアップして利用し、ただそれだけで原著をいかにも知っているかのように語ったり
書いたりする人を私は信じる気になれない」
うぅ・・・・怒られているようでビビる><  肝に銘じていきます!(>Д<)ゝ”

>>793
調べてみた(^o^)ノ
・国頭正胤:馬氏国頭按司家の祖 向氏以外では唯一の按司家
・国頭正弥:馬氏国頭按司家 六世
薩摩入りの後に国質として上国する。島津家久から国頭左馬頭(クニアタマヒダリウマアタマ・・・・(・∀・)ウソ くにがみさまの
かみの名を与えられ、大阪夏の陣に従軍する
・国頭正則:馬氏国頭按司家 七世
正則の妻は聞得大君でそのせいなのか、王府改革を図る向象賢と政治的に対立
参考文献つ【沖縄門中大辞典】 ふーむ・・・限界(´ω`)
国頭正弥のとーちゃんが起こした不祥事と蔡氏のダメさを調べることができなかったので宿題
蔡氏って聞くと・・・・尚円王のときに中国で勝手に龍紋の装束を注文して怒られた蔡氏でそーか?

カンニング的にインターネッツ!で調べてみますと・・・・・フムフム
URLリンク(rekibun.jp)
・七世国頭按司正則…島津光久の信頼が厚く薩摩との交渉にあたる。羽地朝秀と対立。
西森ノ御イベ(下儀保村)は1657年国頭王子正則が島津光久の厄難を消すために創建(『琉球国由来記』)。
ホホー!? 
→ココはURLリンク(withoutasound.web.fc2.com)
島津光久のためのウタキとな? これはビックリ(・∀・)

795:日本@名無史さん
08/06/20 23:45:24
んで、原田先生の訳注:琉球国旧記をペラペラめくってみますとですな?
琉球役職の説明のところで・・・・・
【異国奉行】:尚質王の御時に国頭正則が異国奉行に任ぜられた。しかしその後この職はない
どうして廃止させられたのかは明らかでないってある。これはあれだよ! 
羽地が「おい!正則よぃ!今はそんなウタキとか作ってる場合じゃねぇっての!はぁ?ゆーこと聞かないつもりだわ

け?だったら異国奉行は廃止しましょうね?m9(^Д^)国頭プギャーーーッ m9(^Д^)正則プギャーーーッ」
しかし・・・・何故に島津とのパイプが強そうな国頭らと羽地は対立したのかしら?
羽地も「あぁー改革って難儀やっさー。理解してくれるのは北にしかおらんわぃ(´・ω・`)」と愚痴っているのに?
ふむぅ・・・・・羽地vs国頭の構図はオモシロそうですな!! 

ほいで・・・・同じく訳注:琉球国旧記から
【奥渡より上の扱理(うぅくうよりかみのさばくい)】 国頭・与論・永良部などの地方専任名
扱理は捌理と書かれるのが普通で古琉球では三司官のことであった。近世になると地方役人の名称となる・・・・・・

とな?? 三司官の別称は「よあすたべ」かと思ったら「さばくい」もそーなのですか? 
ってことで一曲(・∀・) 国頭サバクイ♪
URLリンク(www.ongen.net)
いい声してますな! もういっちょ(^o^)ノ
URLリンク(www.city.nago.okinawa.jp)
サー首里天加那志ぬ ヨイシーヨイシー
サー御材木だやびる ハイユエー ハーラーラ
サーハリガヨイシー サーイショショショーショ
イーイヒヒヒーヒ(・∀・) アーアハハハーハ(・∀・)

後ろで踊っているオジィが今にもグソーに旅立ちそうだったり(笑)、空手っぽい踊りが(゚∀゚)カッコイイ!!

796:日本@名無史さん
08/06/26 01:49:37
アチサンヤー(;´ρ`)  さて、国頭の田舎のことはうっちゃんぎてですな?
ちょいと前に紹介された本を読み始め・・・・・・・その本の名前は・・・・・・・
「蘇る海上の道・日本と琉球 谷川健一」でございます m9(`・ω・´)シ あわせて「日本の神々」も読み始め。
ふむふむ・・・・・「人がなんと言おうとも日本の敗戦とは国家神道の敗北に他ならぬことを、柳田や折口は知悉していた。」
「敗戦直後の柳田が目指したのは、日本の神道にまつわりついてきた中世以降の歴史的付加物を慎重に剥離して、それを原初の姿に還元することであった」  一糸まとわぬ原初のカタチに永遠の無垢を求めるのですな。わかります。

柳田らが剥離した歴史的付加物とはなんでそう?
例えば・・・・・・キンマムンをインターネッツで調べていたときにとあるところがヒットしましたのでホウホウ?と読んでみますとですな?
・皇室に千年に一度、開けなさい、という封印された箱があった。
・ちょうど千年経過したため、その箱を開けた。 そこには巻物があった。
・様々な事が書かれていたが、その中の一つに、久高島に行きなさい、と書いてあったため、 秋篠宮様が五回も久高島に来ている、との噂。
・当時、女系天皇問題で皇室は揺れていたが、久高島来島後すぐ、紀子様がほどなくご・懐妊されたとの噂。
確かに久高島には来てたみたいだね。だけどね?こういった不敬なゴシップこそが剥離すべき歴史的付加物なのではありますまいか?
・・・・・・・・・なんだよ(´△`) 千年に一度って・・・・・

797:日本@名無史さん
08/06/26 01:49:57
でもね、「沖縄は沖縄なり。琉球にあらず」なんてアホな論説で違いを悪とし、それを乗り越えるために自分らの母(言語の基層文化)と父(歴史)を踏み台にした輩よりも、 谷川さんのように「日本と沖縄は同母異父の兄弟である」ってほうがナルホドと思える。

だけども、そのナルホド+柳田や谷川さんらの沖縄への思慕をくみ取ると、上のような又吉イエスがデンパをうけて喋りだしたようなコピペに対しても
「それで良し!」と落とし所にしてしまいそうな罠に陥ってしまうのではないのでしょーか?(´・ω・`)
ふむぅ・・・・(´ヘ`;) まぁ悩んでもしょうがないのでここで好きなオモロを一つ
URLリンク(jp.youtube.com)
これはナベアツでしたな(・∀・) イーチ(`・ω・´) ニィー(`・ω・´) サーン(。∀゚)ノ

798:日本@名無史さん
08/06/27 20:02:14
大和と琉球って結局は兄弟だ。


799:日本@名無史さん
08/06/30 00:32:11
>>798
夫婦の間柄にも例えられるけど・・・・・・・兄弟がマダしっくりくるね(・∀・)

ところで・・・・・・・ウワァァ━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━ン!!!!
どーやら「ヤンバラー」なんてのは差別用語らしいですぞー なんと可哀相なヤンバラーたちでございましょうか! 
もう、クンクルバーセーはおっぱアイスは食べちゃいけないのです! スリズーリーには今帰仁スイカの一切れもあげませぬ!
ナーバイバイらはヤンバルに足を踏み入れたとたん、とっ捕まえてブリブリの刑にしてやるのです!!   (・∀・)ってね(笑)

さて、蘇る海上の道を読んでいきますと・・・・・・ほほう?? なななんと? 第一尚氏は名和氏の残党らしいですぞ??
「琉球統一王朝が誕生するきっかけとなったのは、私見によれば九州から南下した武装勢力であった。折口信夫は名和氏の残党としているがその公算は極めて大きいホニャホニャホニャ・・・・・・・・」
( ゚Д゚)ホォー? 後年、自分の出自を朝鮮にされたり、九州の豪族にされたりするなんて尚巴志といえども夢にも思っていなかったでそう。
しかしですよ?南下した武装勢力は北山止まりなのです! それ以南はもう別の勢力があったのではありますまいか!?その勢力とは・・・・ちゅ・・・・チューゴク?
大和と琉球は兄弟ってイメージがあるように、日本と中国は昔から不倶戴天、両雄並び立たずってイメージがあるさね
となると? 昔っからこのちっぽけなシマで日本と中国はヤイノヤイノしてたのですかな? 
【大和武士北山神風連合vs中山武闘派媽祖組商業会】ってカンジで・・・・・・・・・・・ヤンチーっぽい(・∀・)
っつか土鍋とかカムイヤキとか鮫川大主とか皆様方はこの本を元に論争を繰り広げていたのですな? しらなんだしらなんだ

800:日本@名無史さん
08/06/30 01:38:09
ナント!ナーハイバイの歌は唄ったら駄目なのか~
ウーマクーなあの子にクンクルバーシェーと言ったらモンスターペアレントにヤられるのか~
ええい、比島決戦の歌でも唄わねばやってられんわい。

 いざ来いニミッツ、マッカーサー
 出てくりや地獄へさか落とし

小禄御殿の流れは、これを唄わねばならぬ。

801:日本@名無史さん
08/07/01 23:17:18
>>800
むっ!? この歌はどこかで・・・・・・・ハテ?どこで記憶したのだろか・・・・・
そうだ(゚∀゚)ノ 【沖縄祖国復帰物語 著者・櫻井溥 大蔵省印刷局発行】で紹介されてた!てか何故に大蔵省印刷局??んまー勘ぐりはよしてと・・・・
このミニッツ元帥の名前は我々と我々より上の世代は皆記憶にある筈である。
日本陸軍第八師団司令部の置かれていた東北最北の弘前という町で育った私などは小学校の行き帰りの道の角に立てられたトルーマン大統領
とチャーチル首相の似顔絵が描かれていた分厚い板を、そこに吊るされていた拍子木で力一杯叩いて通ったものである。
そして、しびれる手を左手でかばいながらそのとき口ずさんだのが「いざ来いニミッツ、マッカーサー 出てくりや地獄へさか落としホニャホニャ・・・・・ 」って(・∀・)
この本・・・佐藤栄作首相と山中貞則衆院議員とのやりとりなんかは感動ですぞ! 
だけどもそのやりとりも、復帰に向けて頑張った沖縄と本土の連携プレーも題名どおりに「物語」になってしまった昔話なのね(´;ω;`)
そして物語になりすぎて、祖国復帰運動を知らない若造はこうも考えるのです。
「はてな?本当に祖国なのだろか?なんで独立っての選ばなかったのだろか?」 谷川さんはその疑問をわかりやすく「沖縄を読む 火にかけた鍋=沖縄」でこのように解説しています

本土一体化論と沖縄独立論のどちらかをとるかといった論議は二者択一を好む本土人の質に合ってはいるけれども、およそ沖縄の現実の中では
不毛の論議である。
沖縄の人達の欲望を否定形で表現すれば、本土一体化も沖縄独立も双方どちらともごめんだし、肯定形で表現すれば本土一体化と沖縄独立の
双方ともが成立することを望んでいる。
おそらくは沖縄の人達は二者択一、つまりアレかコレかの道を選ぶとき必ず誤りを犯すという苦い体験からいまや本能化しているといっても差し支えない。
うーむ・・・・・・大阪が大阪のままでも、他府県が他府県のままでも日本であり続けられるように、沖縄は沖縄のままで日本になりたかったわけね? 
それは十分に叶えられているのではありませぬか? えっ!? んなこたーない? まぁ答えは300年後に持ち越ししまひょ(・∀・)

802:日本@名無史さん
08/07/01 23:21:18
えっと・・・・なんだっけ?? そそ、比島決戦でしたな! さあ、なぜに小禄御殿の流れは比島決戦を唄わねばならぬのでしょう?
向氏小禄御殿といえば、玉陵の碑文で有名な尚真王の長男である尚維衡が祖ですな?
門中大辞典によれば「ハイレベルな名門」らしいです
ちなみに『御殿』とは「うどぅん」であり、王家、按司家の邸宅のことだが転じてその家の主人を指すこともある。
沖縄そばの原材料に蕎麦粉が使われていなく、うどんに分類されるにもかかわらず「そば」とよばれるのは明治以降、
御殿の高貴な方々が麺類に対しすべて「うどぅん」と呼んだからに他ならない。
引用元【明 房 書 房 言われて納得。食の裏事情より】                (・∀・)ゲヘ

いい本がなかったのでインターネッツを頼ってみますと・・・・・
URLリンク(ja.wikipedia.org)
フィリピン戦を目前にして国民の士気を煽る必要から、敵将ニミッツとマッカーサーの名前を入れるように要望があった。
しかし打ち合わせで西条がそれを断ると出席していた陸軍報道部の親泊中佐がその場で
「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」と代筆してこの曲が出来上がった。
(゚Д゚)ホホッー!? 当時の少年にまで唄われていた有名なフレーズは親泊中佐が代筆したのですか?
しらなんだ! ・・・・・・・てか親泊中佐って誰ね? 姓でウチナーンチュってのはわかるけども んでググると・・・・
URLリンク(www6.plala.or.jp)
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
「ガ島で死すべかりし命を今宵断ちます。皇国の前途をよろしく頼む。」
「終戦の間際 天皇、皇太后ら全く意気地なし。みずから戦を宣しておきながら真先きに軟化して敗戦に至る。終生の恨事。」

んで親父が
URLリンク(www6.plala.or.jp)
向氏で第二尚氏第3代尚真王の廃嫡となった長男・尚維衡(浦添王子朝満)の後裔。
その後も教育に力を注ぎ、『沖縄教育』や『通信教育』などを編集発行
(ノД`)シクシク なにもいえぬ


803:日本@名無史さん
08/07/02 03:37:20
URLリンク(www.enjoykorea.jp)
沖縄の人よ、「祖国復帰闘争」を忘れるな!

804:日本@名無史さん
08/08/03 18:51:09
hosyu

805:日本@名無史さん
08/08/09 11:56:38
ほす? ほすほすとな? ほすほすほすとな?
さて
>>803
僕らは「誰も喜ばなかった日本復帰」とやらの何を覚えていればいいのでそーか?
いちきゅーななにぃーごーてんいちごーと年表を覚えるようなお勉強が必要なのかしら?′ω`
フムフム・・ペラペラ・・・・・「復帰運動に子供を使うな!」との意見もあったようですなぁ オモローw
それに反論した当時の教員の投稿などを捜しちう
なーんかファナチコっぽく県民大会となんら変わりない気もしてきたね祖国復帰って・・・・・・と僕は書きました(笑)
しかし何故にエンコリ? なにゆえ~

806:日本@名無史さん
08/08/14 19:27:24
オモローを沖縄弁にするとウムルー。


807:日本@名無史さん
08/08/15 00:56:47
【千葉で】☆大嶺祐太6☆【チバリヨー】
スレリンク(base板)

808:日本@名無史さん
08/08/16 00:07:51
お元気そうで何よりだね。
今年も平穏に9月7日を迎えたいものです。
こんな日に何だけど、エンコリで伊豆見さんが韓国系扱いされてたよ。
韓-国基 峯井親雲上 元伝 であって、韓国-基じゃないし、
久米士族でもなく首里士族なのになぁ…
前述の「~闘争」を忘れるなだの、ハラワタ煮えくり返る話題ばかりというか、
人の家の出自は軽々しく載せるべきじゃないなと思った。
サバチを自分の出身地の豪族出にする谷川健一さんも、エンコリの人と似たようなもんだわ。

809:日本@名無史さん
08/08/16 04:50:40
何だか苦言ばかりになりますが…
ハジチを恥かしいと思う必要は無いと思いますが、特別見直す必要も無いと思う。
風説の一つとして、王女が薩摩領主の求愛を断りたく思ったとき、
馬順徳-国頭按司正格が発案したというのがあるけど、後の作り話だろうってのは面白いと思いますがね。

傲慢とは思うけど、地元女性の直視すべき過去を論う。嫌な順番に
一、瀉血(特に乳幼児に対するそれ)
   → 一門では無いが、30代女性でもこれを施されて傷が残っている人が居る。
二、ユタ
   → 羽地朝秀・蔡温も忌み嫌う存在。
      私はカウンセリングとしても認める気は無い。ただでさえ豊かでない庶民から金を取る存在。

あと、一般的ではないけれども、戦後、人工ミルクのみが良いといった説に丸々乗っかって、それのみで育てた等。

810:日本@名無史さん
08/08/16 11:13:27
ユタねえ・・まあほとんどはそうだな
ただ、ごく少数だけど本物はいるし金も受けとらない、仮に取ってもせいぜい数千円程度
しかし、そういう人に限って名前が表にでるのを極端に嫌うし、紹介者がいないとまず会えないな
スレ違いだな、失礼

811:日本@名無史さん
08/08/16 19:27:28
オレも前向きなユタは好きだな。

812:日本@名無史さん
08/08/17 22:52:01
えぇぇーい!ユタ肯定論者共め!全員ひっ捕らえてブリブリの刑にしてやる!・・・・・・・ってぐらい元気にしてます☆(ゝω・)v
>>808
このサバチとはなんぞ?と思っているそこの君ヽ(´∀`)9  2年前まではベッドの上で足バタバタさせながら
   〃∩ ∧_∧
   ⊂⌒(  ・ω・) フムフム 
     `ヽ_っ⌒/⌒
        ⌒ ⌒
「まんが首里城ものがたり」を読んでいた僕と一緒に紐解こうではありませぬか!
しかし内緒話しですけどココにいる皆様方は少しばかり意地が悪くてですなw教えてぇー言っても教えてくれませんのよ(ヽ´ω`)まるで鬼ね・・・・・ここは鬼の巣ね・・・・
そう、まるでユタが火ぬ神に判事をお伺いするのと似ているような・・・・
ユタが火ぬ神にホニャホニャしていると、どーしても通らない事や納得ができない判事がでることがしばしば。
再度お伺いするとシャシャリでてくるのはグソー(後生)に逝ってそう経験がないご先祖様(新参者)。新参者ほどいろいろアドバ
イスしてくるらしいですが、仏になって日が浅いせいなのか当てにならないことばかり言うらしいですな

遠い先祖や、按司世・カミ世・ハダカユーらのカミ(上級者)達は簡単には降りてこないんで呼び出すためにユタは肩がこるらし
い。ほいで降りてきたとしてもホンの一言二言だけ告げてとっとと帰っていくみたい(笑)なんて不精な神様たちでしょうか(`;ω;´)
僕もユタはブリブリの刑にしてもやり足りないぐらいと思っていますが、こんな人間臭い話しは大好きでございます

さて?サバチとは? URLリンク(tiida.jp)
【沖縄中部】   【那覇】 (首里方言を含む)   【沖縄南部】  
櫛(クシ)のことでございます!!!・・・・・・・・・・・・・
さ て と 調べなおし それと浦商 d(゚Д゚)☆スペシャルサンクス☆( ゚Д゚)b

813:日本@名無史さん
08/08/18 09:31:24
サバチって櫛なのか。㌧。
沖縄wikiって、あったんか・・

814:日本@名無史さん
08/08/18 22:46:31
サバチ=櫛と判明したわけですが・・・・なんともーいっちょサバチがあるのです(^o^)ノ
紐解いていきますと先ずはコレ!【名和長年】さんでございます!
URLリンク(ja.wikipedia.org)

この名和氏の子孫が熊本の八代にいまして理由はよく分かりませんが南を目指して目指して琉球にたどりついたのでございます。その流れを組むのがなんと苗代大親と呼ばれた尚思紹(尚巴志のおとーちゃま)なんですねΣ(´д`ノ)ノ

根拠は尚思紹の本拠地であった佐敷とまったく同じ地名が熊本は八代(名和氏の本拠地)の近くにあることと
URLリンク(maps.google.com)

尚思紹はなんとまぁ・・・・実のところショウシショウと呼ぶのではなくてナワシロと呼ぶのです。
紹の漢字は誤字であり本当は尚思絽(ナワシロ)が正しいのです m9(`・ω・´)シ
他にもイロイロありますがこんなところで、第一尚氏の出自は名和氏なのでございます(・∀・)ガハハ  ・・・・・・っと折口信夫さん
(折口信夫とは?URLリンク(ja.wikipedia.org)

ところがどっこい東恩納寛惇さんがちょっと待ったと反論します
(今の世の中反論すれば同調圧力ホニャホニャレッテル貼られかねませんw)
東恩納寛惇とは?URLリンク(ja.wikipedia.org)

尚思紹をナオシロと読むのだって? オモローwww そもそも思紹が尚姓を名乗ったことなんてないじゃないのさ(`ω´*)
だから尚思紹なんて後年つけられた名前をもってして、ナオシロと呼ぶだなんてトンチンカンでチンプンカンプンのポッテカスーでありますよ!
君はMMRに入れるな"(((( ´,,_ゝ`)))) ププッ

さぁ、こっからです!ここからサバチを紐解いていくのです!
しかし・・・・本をフムフムと読むのと、読んだ内容を整理して書いてみるのとでは大違いですなぁ
本に書かれているそのまんまだとコピペ馬鹿となんら変わらなくなるし(´・ω・`)ムズイ
上手くまとめることができるのでそーか?

815:日本@名無史さん
08/08/19 04:02:24
テーミス 2008年8月号
<社会・文化>  沖縄戦の真実(中) 沖縄の「近代化」に皇室が果たした役割

現在、沖縄の子どもたちは「県民は皇民化教育を強制された」と教育され、
皇室が沖縄の近代化にいかに貢献したか、全く知らされないでいる。
しかし、むやみに美化される琉球王国は実は「独裁国家」であり、廃藩置県は
県民にとって「奴隷制からの解放」でもあったのだ。
URLリンク(www.e-themis.net)


記事によれば、沖縄では、廃藩置県前までは他村との交流が禁じられていたため
近い血縁との婚姻に陥りがちで、そのために、遺伝子異常が現在でも現れるらしい。

816:日本@名無史さん
08/08/19 15:20:33
言い伝えどうり琉球王国の祖が源為朝なんですか?

817:日本@名無史さん
08/08/19 20:09:47
そりゃぁ、島津のでっち上げw

忙しいよなハヤトパクッたり色々と。

818:日本@名無史さん
08/08/20 14:51:45
邪馬台国が沖縄だったというのは?

819:日本@名無史さん
08/08/20 15:45:37
邪馬台国沖縄説なんざ全く支持を受けてない。
韓国人がなんでもかんでも起源を主張するのと一緒。

820:日本@名無史さん
08/08/21 20:54:18

やまとーんちゅ政治家の沖縄県民へのお言葉《沖縄見聞雑記》

利のある仕事はすべて内地人の手に入り、引き合はざる役廻りは常に土人に帰し、
内地人は殿様にて土人は下僕たり、内地人は横柄にて土人は謙遜なり、
肝心の表通りは内地人の商店にて場末の窮巷は土人の住居なり、内地人は強く土人は弱く、内地人は富み土人は貧し。
畢竟是れ優勝劣敗の結果にて如何ともすべきらざる訳なれども凡そ亡国の民ほどつまらぬものはなし

821:日本@名無史さん
08/08/23 01:44:36
ちょーせなーはあんますかん

822: 
08/08/26 21:41:23
薩摩が琉球の歴史書を燃やした話を聞いた事あるが
なんぞ、都合の悪い事でも書いてあったんだろうか・・・

まぁ、強い国・民族や、戦争に勝った国・勢力が歴史を書き換えるなんてこと
別に珍しくはないが・・・


823:日本@名無史さん
08/08/26 21:43:54
残念ながら、その話は聞いたことがありません。
ソースを提示してください。

824:日本@名無史さん
08/08/27 00:33:38
>>823
( ^ω^)ヒッヒヒッヒ 僕も過去に薩摩の焼討ちってあんま聞いたことないなーとほざいてちゃんと調べろ
!って怒られたので猛省しているのです>< 今日読んでみた「東恩納寛惇全集」で・・・・
( θ_Jθ)フーム「又嘉津宇嶽下がる 雨くれ降ろちへ 鎧濡らちへ 又 大和の軍 山城の軍」のおもろは果た
して源為朝上陸を指しているのか?薩摩入りを指しているのか?・・・もし薩摩入りを指したおもろなら
ば、今帰仁で焼討ちホニャホニャと薩摩側の史料に散見されるように、当時は雨ではなかったと思われる
・・・・・ってそこで文献名が出ていたけど忘れた(´△`)

さて、東恩納寛惇さん。尚思紹は尚姓を名乗ったことが無い、よって思紹があたかも尚姓を名乗ってしか
も、尚をナオと読んで「尚思絽=ナオシロ」とつなげるのはどんだけとプンスコ(`皿´)
尚といった文字は尚巴志の童名『ハチ』の転訛なわけ!
短身の按司であった「さしきのまこはつ」または「さしきのこはつ」が「佐敷の小按司」となったのでは
ありますまいか?
当時の童名に「郭伯玆毎=コハチミー」とか「真古波津=マコハツ」などハチ・ハツが転訛して漢字に当
てられた例もあるからあながち的外れでもないでしょう(・∀・)ガハハ
あっ!?ちなみに島尻の「おほさと」は「阿勃察度」と漢字に当てることができますが、これを「アブー
・サイト」と読んでアラビア人とする早計な史家もおるようで・・・・・・"(((( *´艸`)))) ププッ

またもやどっこい今度は原田禹雄先生が東恩納先生に一言物申します(江頭2:50のテーマで参上)
先生は尚巴志は佐敷の小按司(さしきのこはちもい)だとしていますが・・・・・
尚巴志がコハチモイのはずはない(σ`ω´)σビシッ
尚巴志を中国音で発すると「サバチ」なり。おもろそうしにでる人名の「サバチ」と一致しますゆえ、サ
バチといった音を漢字に当てたのが「尚巴志」なのでござろう!
中国人が尚を姓で巴志が名前と理解したので、尚巴志以降の王の名前に尚が付くようになったのです(・∀
・)ガハハ

825:日本@名無史さん
08/08/27 00:35:32
では本当に「尚巴志」といった読みを中国語で発音すると「サバチ」となるのか実験してみまほ!
URLリンク(www.chinese1.jp)
尚shàng 巴bā 志zhì  シャーン バー チー シャンーバーチー シャーバーチー サーバーチー 
あらほんとだ(・∀・)
しかし・・・サバチを尚巴志としたのは大陸の中国人ではなくて、外交文章作成に長けていた琉球の懐機
ら華人ではありますまいか?・・・・・と睨んでいるのです m9(`・ω・´)シ

おもろそうしの人名と一致する「サバチ」とあったのでひーこら漁ってみましたところ・・・このおもろ
でしょうか?
さはちきよがおもろ 黄金もちろくように十百末に
これといちえ鳴響む さはちきよがせるむ
又首里杜城 黄金もちろくやに 又京 鎌倉あらやに
もしくは・・・
さはち子が船遣れ 御船 暗波 
夜露掛けらたな 走りやさ
又按司襲いが親御船    

むっ!? 走りやさ? 船? 走りよー船?ときたら「だんじゅかりゆし」なのでございます(・∀・)
URLリンク(www.monsoonrecord.com)
走りよー船よー♪ ゆーはいせー♪ なんちゃゆーはいせ~ささゆーはいせ~ ぃ~やっははははっ!

826:日本@名無史さん
08/08/27 00:37:00
【まとめ】
谷川健一さんは「蘇る海上の道」で尚をナオと当てて尚思絽=ナオシロと読む折口信夫もおかしいねとしながらも、
名和氏の豪族の法名に紹の漢字が使われている事と思紹との結びつきも考えるポイントではありますまいか!?としてますが。使われている漢字だけで出自を決めるのが・・・・・・
【サバチを自分の出身地の豪族出にする谷川健一さんも、エンコリの人と似たようなもんだわ。 】なのでございます
いじょーでサバチとはなんぞ?の補足説明おわり!(>Д<)ゝ ・・・・・・(・∀・)ドンナケ??
参考資料【東恩納寛惇全集 南島風土記 琉球と中国~忘れられた冊封使 標音おもろさうし注釈】

さて、長門本平家物語では沖縄を鬼界島十二島に編入→滝沢馬琴がこの説をとりあげて椿説弓張月(URLリンク(ja.wikipedia.org))を書いたり、
皇朝史略の著者青山拙斎さんも「いにしへ琉球を以って啖人国となす。これによれば琉球諸島を称して鬼が島となす知るべきなり。かの云う琉球舜天を為朝の子とする以って証すべきなり」ホニャホニャ・・・・・・・

・・・・・・・えぇーい!やかまさん!(`皿´)
琉球だろーと鬼が島だろーと何処だっていいの! 要は為朝が離島に行けたのかどうかを考える前提がぬけてるじゃん! 
何を為朝が琉球に来た前提ありきで話し進めてんの!と東恩納寛惇さんまたきれます
怖ぇぇえー東恩納おじさん怖ぇぇええぇ(´;ω;`)
で?啖人国ってなんぞ??


827:日本@名無史さん
08/08/27 01:34:41
>>822
琉球でやったかは知らないが奄美では旧記や系図を没収したよ。
で、燃やしたんだったかサツエイ戦争で焼けたんだったかは忘れたが、
とにかくなくなってしまった。だから薩摩侵攻以前の奄美の歴史は
よく分からないことが多い。

828:日本@名無史さん
08/08/27 21:05:30
昔の事なんて確証のない事は多い。他国の文献とかと合わせて考察するものだしな。
書物が政変で燃やされたり、単に紛失したりってのは普通にあること。

本があっても、正確かどうかでまた議論が出てくるし、歴史には常に
憶測がつき物だよね。


829:日本@名無史さん
08/08/31 23:01:12
琉球は長寿と肥満ナンバーワン
自殺者と銭湯の数は全国最低
就職率と非婚率トップ

この世の楽園

830:日本@名無史さん
08/09/03 16:30:14
所詮歴史など当てにならん。科学や数学で証明できるものではないからね。


今日琉球と薩摩って薩摩侵攻以前から付き合いがあったって知った。
大和朝廷にも朝貢したとも知った。

沖縄も教えたくない歴史ってあるんだろうな。




831:日本@名無史さん
08/09/03 21:42:28
>琉球と薩摩って薩摩侵攻以前から付き合いがあったって知った。
大航海時代に交流ないと思ってたのかwwww
そうか、そうか、平和的に交流を持っていた琉球を
なぜ侵攻したのかな?

>大和朝廷にも朝貢したとも知った。
>沖縄も教えたくない歴史ってあるんだろうな。
なんで学校で教えないの?
沖縄も朝貢してたニダ。
だから日本の領地ニダ。
沖縄をどうしようと日本の勝手ニダ<ノ`Д´>ノ

って堂々と言えよwwww


832:日本@名無史さん
08/09/04 11:21:25
琉球が朝貢の類を日本にするようになったのは薩摩の侵入以降
もし、大和朝廷にも朝貢があったという書物があるとすれば捏造と断言できる

薩摩が琉球に侵入したのは中国貿易の利益と幕府との関係でいざと言うとき
奄美あたりに拠点が移せるように奄美を割譲した。
薩摩が琉球に侵攻できるようになったのは朝鮮出兵で船大工を連れてきたこと
トカラの海賊を支配下においたからである。それにトカラの住人は琉球人ではない。


833:日本@名無史さん
08/09/04 12:04:32
琉球が和冦の襲来を受けてないのはなぜですか?

834:日本@名無史さん
08/09/04 13:03:14
>>827
琉球でも一部で損失はあったが大部分は残ってる。

>>832
まあ大和に朝貢ってのはデマだわな。

>>833
受けてるよ。撃退してるけど。
が、一説によれば琉球王家は元々倭冦と関係があるという人もいる。
それこそ谷川健一とか、彼が尊崇する折口信夫とか。ともに大和人
なのが面白い所だが(笑) 最近でも吉成直樹と福寛美の共著で
そういう指摘されてた。史書はないが、状況証拠がある。

835:日本@名無史さん
08/09/04 16:05:22
>>789
ウィキでその記事を書いた者ですが、よく調べてますな(笑)
ヤンバルっつーよりは国頭半島ですね。そもそもふたつの王統の由来が中山、本島中央ではなく、
伊是名、伊平屋であることに疑問を感じませんか? いずれも元は今帰仁/国頭半島を中心とした
北山の領土なわけですよ。さらにいいますと、王国のノロの最高位は聞得大君、その下にあおりやへと
さすかさがいますが、あおりやへは北山の、さすかさは南山の最高位のノロだと考えられている。
この二人のノロのことは「おもろさうし」で聞得大君に次いで歌われていますが、特に北山、今帰仁に
由来するあおりやへのおもろを読んでみてください。「神てぃだ(太陽)のせぢ、おろちへ」とある。
なんと、太陽神のせぢ(霊力)を国王に下ろすカミは聞得大君ではない。あおりやへ=今帰仁のノロ=
北山のノロなわけです。これは実に興味深い事実です。
太陽神=王権権威という概念は、おそらく北山からもたらされたものでしょう。水平神の概念は
また別の、おそらく島尻に由来するのではないでしょうか。琉球の信仰は、おそらく各地方の信仰の
混成なんだと思います。

なお、王権の強化は薩摩以前からのものです。キンマムンとは琉球の来訪神全般の総称です。
キンマムンを特定の神の名と思っている人が多いようで、またそういう説もあるのですが、正しくは
神の総称です。またこの言葉は大和言葉に当てはめると「君真物」と書くことができます。
君はノロのこと。真物とは真の物、つまり神のことです。キンマムンは異界より琉球に来訪し、
ノロに憑依する神の総称です。まあ、琉球神道記の記述はよくわかりません。まあ大和の坊さんが
書いた物なので。この坊さんは勝手に琉球神道とかいってますし。

オボツカグラは神の名ではなく、異界の名です。天空の神界のことです。
オボツカグラにいかなる神がいるのかは今手元に資料がありません。首里城には京の内という聖域が
ありますが、京の内はオボツカグラを地上に映したものであると考えられていました。
また、オボツカグラでは地上の予型があると考えられていました。地上でおこる出来事は、既に過去
オボツカグラであった出来事なわけです。これはノロの予知能力の論拠になっていたと思われます。


836:日本@名無史さん
08/09/05 22:38:32
与論島クオリアってサイトはオヌヌメ
URLリンク(manyu.cocolog-nifty.com)

837:日本@名無史さん
08/09/06 00:12:52
>>835
( ;´・ω・`)アワワ ウィキの編集者がおいでなすった。この調子じゃそのうち高良大明神も降りてきて「な
ぬがザリガニの横滑りじゃい!思想性を持った知識人にしか分からないような説明じゃ駄目だ(`皿´)」と
憤慨するのですね><オソロシヤオソロシヤ
ほいで、この「あおりやへ」を調べてみた (^o^)ノ
第二尚氏になって聞得大君という神女の最高職が置かれるまでは、おありやへが最上級の神女であったと
考えられる。今帰仁村のあおりやへは今にも伝わっている・・・・・・・・ふむふむ
伊平屋・伊是名に目を向けると、確か伊平屋では喜界島に向かって祈願する行事があったはず。
墓参りやウタキ参りするとき満潮でそこにたどり着けない場合はその方向に向かって拝む「お通し」に似
ているような・・・しかし与論・沖永良部・徳之島・奄美大島を通り過ぎて何ゆえ喜界島?
喜界島といえば、城久遺跡群であったり、尚徳王の喜界出兵であったり、平氏打倒を企てた俊寛が流され
た島とされたりと賑やかな島! そう!北山は喜界に何かしらの中心性を見出していたのではありませぬ
か。その中心性こそが・・・・・・源為朝の幻想を中心とするヤマト勢力なのですm9(`・ω・´)シ  
それらの勢力は琉球にたどりついたのではなく、薩摩潟の小島のどっかに来たのです!!(・∀・)ガハハハ 

・・・・・・・・って当時の信仰の背景から上手く繋げたところでw
為朝来琉説ってなんだわけ!?を説明させていただきます(>Д<)ゝ”

838:日本@名無史さん
08/09/06 00:14:37
まずは【琉球神道記】から! 書いた人はこのお坊さん(URLリンク(ja.wikipedia.org)袋中)
どういった経緯で書かれたかってーと・・・袋中坊さん曰く・・
この国(琉球)に漂着して桂林寺に籠居し、歳月を過ごすことになろうとは思いもかけぬことであった。
豪傑の人と会うこともないので道を尋ねる手段もなく、智徳の友と交わることもないから、津を問ういと
まもなく、いたずらに賤しい者たちの嘔唖を聞いて天帝の化儀を思うばかりであった(´ρ`)

しかるに、この国の士族で黄冠の馬幸明(誰?)なる人がいて私にこういった
馬:「琉球国は神国なのですが、昔からの伝記がない。なんで書いてくださいまし 」
袋:「いやいや、私はこの国の人間ではないので御国のなにが書けましょうか」
馬:「私があらましは聞いております。知らないところは知人に聞きますゆえ・・・」
としきりに請うので承知した。それであれこれの言葉を拾い集め「琉球神道記」と名付け5巻に分けた
フムフム。。。。となると琉球人から聞いた話も含まれるってことですな?

1巻・器界の濫觴(世界の始まり)を知らせるために四洲をあげて第一巻とした
(須弥山がどーたら兜率天がどーたらと仏教のお話。ここらへんは袋中上人の本領発揮でしょう)
2巻・竺土(インド)は仏の国である
(釈迦がどーたらのお話。ここんところもお坊さんの範囲内)
3巻・震旦(中国)は王の国である
(天地開闢の盤古王から始まって三皇五帝~明の太祖まで。ここらへんを琉球人に聞いたのかと思ったけ
ども、当時の教養人・宗教人であれば当たり前に知っている中国のお話だはず。保元物語からもフムフム
とそこらへんは読み取れます)
4巻・琉球国の多くの伽藍(僧侶があつまる場所・寺院のこと)をあげ、垂迹の本地(本地垂迹とは?
URLリンク(ja.wikipedia.org))を明らかにする
(首里の金城にある天界寺の本尊は釈迦牟尼仏でその由来はホニャホニャとか、ここらへんも坊さんが説
明できる範囲内。しかし琉球って意外とお寺が多かったんだとビックリするぐらい紹介があります)
5巻・琉球の神祇をとりあげた
(波の上権護国寺の霊石は崎山の里主が拾っただのキンマモンの由来だのそういったお話)



839:日本@名無史さん
08/09/06 00:16:08
さて、その問題の記述ですが・・・
波上権現の事で
「中頃、鎮西の八幡為朝この国土来たり逆賊を威しめ今鬼神(今帰仁の事)より飛礫をなす」とあり
沖の権現の事では
「建立の時代や霊異の事は明らかでない。熊野権現のようである。私が考えるに為朝が琉球国を治められ
たとき、鬼神を降伏する神であるから念願あって建立されたものであろうか?」
とあります。。。。。さらに注目するのは
末吉権現の事で
「尚泰久の時、天界寺(首里金城町にあったお寺)の前任の鶴翁和尚は壮年の頃に倭へ修行に行った。時
に熊野のほうへ向かって、私の学問が成就したらば・・・ウンヌンカンヌン」と鶴翁和尚といったヤマト
に出向いた僧侶を紹介しています。
鶴翁和尚は京都五山は建仁寺(URLリンク(ja.wikipedia.org)建仁寺)の月舟和尚の文集にも出てきて
いるようで、ここでも為朝来琉説が出てきてますΣ(゚Д゚;
しかも琉球からやってきた鶴翁和尚がそういったとの事。なんと1527年の事。琉球神道記より78年も遡り
ます。(・∀・)フハハハハ ここまでくると為朝が琉球にやってきたのは間違いござらん!
否定論者どもは素直に認めなさい(`・ω・´)
・・・・・・しかしここでチョットまったー!!
【次回・平家/保元物語から読むミナミ島 鬼ね・・・南は鬼の巣ね・・・(ヽ´ω`)】

>>836
アスムイの立って与論をみたらば、言われているように境界線の不思議さにブチあたりますな
ウチナーがウチナーのように、奄美は奄美。与論も伊平屋もすぐそこなのに境界線から上は意識の中から
抜け落ちている。猛省です><

840:日本@名無史さん
08/09/06 00:20:42
途中抜けてた><

>>838の続きが・・・・
袋中上人は手元に資料がないので変な物書きもするので突っ込まれれば恥ずかしいとも書いてます。
僧侶としての知識と、琉球人から聞きまとめた話で構成される【琉球神道記】
この5巻を編集するにあたって現地の琉球人の助けを借りたと思われます。
そして・・・なんと!この5巻に為朝が琉球に来たと書かれているのです (((( ;゚Д゚)))ドーユーコト??
しかも書いたのが・・・「時に大明の万暦33年龍集乙巳四月の望日」アイヤー・・・1605年です
薩摩入り前ですな? 薩摩入り前に琉球に源為朝が来ていたと現地でささやかれていたとな??




841:日本@名無史さん
08/09/06 14:11:19
>>837
俊寛らが流された 鬼界島は硫黄島のことである
喜界島とは別物



842:日本@名無史さん
08/09/06 14:31:06
琉球王朝が、かってまったく異文化国だった八重山や奄美を侵略して
全てを奪って併合してしまった事実はがいしゅつですか?

843:日本@名無史さん
08/09/06 14:43:33
宮古・八重山の琉球処分の状況

明治政府によって一方的に琉球藩が廃止され、沖縄県が設置されると、宮古・八重山にも処分官が派遣された。
八重山では役人を中心に、沖縄島の親清派の影響を受けた人々によって日本帰属反対のうごきがおこった。
だが、いざ処分官が派遣されてくると、在番・頭以下の役人は、処分官のきびしい要求に抗しきれず、
「天皇に忠誠をつくす」旨の誓約書を提出させられた。
最後の八重山在番となった渡慶次ペーチンは、その帰沖の途上、海上に身を投じて自殺した。
宮古でも日本帰属反対のうごきが大きく、県制が実施されると「日本政府には絶対に従わない」という血判状が作成され、
役人を中心に多くの島民が署名した。

『琉球・沖縄史』より

844:日本@名無史さん
08/09/06 15:29:53
>>842
日本も古代東北蝦夷を侵略したし
近世では蝦夷地に侵入してアイヌから収奪した
明治になっても武力や強制移住でアイヌの人口を激減させた
これも、一種の民族浄化


845:日本@名無史さん
08/09/06 20:56:08
>>842
侵略されたのではなく一部の豪族が討伐されたのだ。
すべてを奪った? 少なくとも八重山についていえば、アカマタクロマタも
パーントゥも現在まで残っているじゃないか?

何か勘違いしてるようだが、はっきりいってやる。
八重山を統治していたのは宮古島だ。

14世紀に宮古島と八重山は中山に朝貢をはじめているが、沖縄本島はまだ
三山時代だから、中山は決して武力で宮古や八重山を支配したわけではない。
その間に、宮古島が八重山に対する影響力を強化したんだよ。
それも直接武力統治したのではなく、西表島の古見に拠点を置いて、
現地有力者にから上納させ、中山に朝貢させてたんだ。つまり冊封のようなものだ。
現地の文化を奪ったりはしていないし、現地豪族も同意のことだ。

そこに本島を統一した琉球王国が勢力を伸ばしてきたとき、王国はまず
宮古島に王府の冊封を受けるかどうか打診した。宮古島は豊見親
(そもそも豊見親とは宮古島の支配者の別称)によって各地の豪族が征伐
され、統一統治されていたが、豊見親はこれを受け入れた。
だから宮古島は王国からなんの武力侵略も受けていない。

846:日本@名無史さん
08/09/06 20:57:23
そして八重山を冊封していた宮古島が王府に従属したということは、
八重山も王府に間接的に従属することを意味する。少なくとも、
宮古島は八重山から徴税したものを王国に献上し始めた。
で、そういう時代背景で、八重山の豪族の一部のオヤケアカハチが
宮古、琉球王国による支配体制に謀反をおこしたんだよ。
史料では3年にわたって朝貢を拒絶したとある。
それどころか八重山で王府に従属的で宮古島とも連帯していた
有力豪族の長田大主を八重山から古見に武力的に追放するにいたって、
宮古島の豊見親が琉球王府アカハチの謀反を伝え、王府は3000の兵を
46隻の船に収容して八重山に武力介入した。それが1500年の征討だ。
いいか、いっておくが八重山に対して王国が武力行使をしたのは
このときくらいのものだ。それも八重山を討伐したのではない。
八重山で王府に反抗的だった一部の豪族を討ったのだ。

しかもその結果、王府が八重山を直接統治するようになったかというと
そうではない。王府は宮古島の仲宗根豊見親と、アカハチに追放された
長田大主に宮古島の支配権をゆだねている。
1523年に仲宗根豊見親が死んでから、王府は直接支配を始めるんだ。

これでも王府が侵略してすべてを奪ったとかいうのかお前は。

847:日本@名無史さん
08/09/06 21:18:49
>>837
阿応理屋恵(あおりやへ/オーレー)は正確には北山最高位の神職で
太陽神の霊力を司ることがおもろに記述されている。
一方、もう一人の佐司笠が南山最高位の神職らしい。
では中山から誰が台頭したのか?
あなたも知ってるように、第二尚氏の時代になってようやく聞得大君がおかれた。
つまり第一尚氏の時代の最高神官がだれだったのか、またさかのぼって中山の
最高位のノロは誰だったのかという疑問が生じる。
オレはしらん。どの本にも書いていない。知ってるなら教えてもらいたい。

すくなくとも第一尚氏において、敗北した北山の神職・阿応理屋恵や南山の
神職・佐司笠が迫害されたり廃絶されることはなかった。それどころか
おもろさうしで聞得大君の歌に次いで歌われているように、聞得大君制定後も
聞得大君に次ぐ別格の君として扱われていたんだよ。

聞得大君の神名は「てだしろ」「しませんこあけしの」というが、この名前は
いずれもすでにあったノロの神名を奪い取ったものだ。「てだしろ」はもともと
馬天ノロの神名だったし、「しませんこあけしの」は北山、勢理客にある御嶽を
守るノロの神名だ。聞得大君ってのは本当に権勢をシステム化するために
作られた神職であることがよくわかる。王の血族だからおなり神の神性がある
ということ意外になんの根拠もない。

あと、伊平屋、伊是名は簡単に触れられない。謎が多すぎる。
伊平屋と伊是名には、なぜか北から南まで、琉球領域のあらゆる
信仰の形式が伝わっている。いうまでもなく王統発祥の地だが。

あと平家の痕跡は、宮古島の方が堅いと思うがな。
平家の墓があるし、平家の子孫だといってる一族もある。
オレは本島を支配していたのはやはり倭寇の一族だったと思うんだが。
そしてやはり阿応理屋恵が置かれていたし、


848:日本@名無史さん
08/09/06 21:20:23
あ、最後の一行は削除忘れ。すまん

阿応理屋恵がいたのは今帰仁、首里、沖えらぶだよ。

849:日本@名無史さん
08/09/06 21:51:10
>>839
そもそも熊野権現っつーより鍵は八幡でしょうな。

琉球王家の家紋である左三巴紋は、八幡神の神紋と同じだ。
琉球倭寇由来説を唱える人間は、これを論拠の一つにする。
八幡の神紋が琉球に渡ったとすれば、それは八幡船(はばんせん)を
かっていた倭寇以外ありえないというわけだ。
彼らは阿応理屋恵の神も正体は八幡だという。
確かに武士である源氏も武神である八幡大菩薩を信仰していたが、
為朝が王統の発祥ならば、もっと具体的に八幡信仰が
強く残っていたと思うが。

琉球八社のうち、安里だけが八幡権現を祭っているが(ほかはすべて熊野系)
これは喜界島遠征で八幡神が国王に力を貸して、制圧に成功したという逸話に
由来する。ここで喜界島がまた出てくるのも奇妙な話だが…・。
とりあえずこの安里八幡は琉球王統の発祥にも、まして源氏にも関係がない
ずっと後世にできた神社なのは確かだ。

ちなみに八幡信仰についてはユダヤ系渡来民とも言われる秦氏が
起こしたことが明らかになっている。
まあ、琉球にユダヤの影響があるとはあまり思えないが、
確かに一部過越祭に似た習俗もある。

850:日本@名無史さん
08/09/06 22:04:03
ああ、あと熊野権現も左三巴紋を使うことがあるよな。
基本的に八咫烏が熊野の神紋だからメジャーではないが。

851:日本@名無史さん
08/09/06 22:09:01
>>846訂正
×八重山から古見に武力的に追放するにいたって
○石垣島から古見に武力的に追放するにいたって

×長田大主に宮古島の支配権をゆだねている
○長田大主に八重山の支配権をゆだねている

あと補足しておくというまでもなくアカハチの領地があったのは
石垣島。石垣島の南の方の沿岸部をちょこっと支配していた。

852:日本@名無史さん
08/09/06 22:14:58
あと奄美の支配の実態については史料がない。

北山が奄美諸島の南方、えらぶ島あたりを中心に支配下においていたのは
確かだが、それがどういう経緯なのかはわからん。
だが、これもどちらかといえば冊封的性格だったらしく、八重山同様に、
北山に従属する現地の豪族を取り込んだ形だったと見るべきだろう。
従属しない豪族との間にいさかいがあったというのが実態と思われる。

奄美にもともとどういう文化があり宗教があったのかはわからないが、
現在も琉球から伝わったと思われるノロ制度は一部生きているし、
平瀬マンカイのようなニライカナイ信仰の亜流も存在している。
奄美がなにか文化を王府に奪われたと断じるなら、それ以前になにが
あったのかをいうべきだろう。

853:日本@名無史さん
08/09/06 22:40:49
あと熊野というと補陀落渡海だな。
南の海に観音浄土があると考える仏教の信仰だ。ニライカナイ信仰に似ている。
要するに小船に乗ってわずかな食料を持って南の海に流されるわけだが、
波任せ。いってみりゃ自殺だ。その補陀落渡海をして沖縄にたどり着いた人が
何人かいたともいわれる。ちなみに9世紀ごろの話だ。

しかし補陀落渡海は、別に船を漕いでいくものではなく、船に密閉され
流されるままにいったそうだから、黒潮の海流からいって紀伊半島から
沖縄に流れ着くはずがない。もし漕いで沖縄に行けた行者がいたとしても
熊野から行った人間ではないのではないかと思うんだがな。

854:日本@名無史さん
08/09/06 22:56:42
今調べてみたけど、本当に奄美も宮古も石垣も武力を持って侵略した記録がないな。
琉球王府からの独立を企てた大浜地域の有力者オヤケアカハチの討伐に3千の軍隊を出しただけ。
オヤケアカハチと覇を競い合っていた石垣地域のナータウフシュ始め、他の有力者もオヤケアカハチに従っていない。


855:日本@名無史さん
08/09/06 23:16:08
>>854
調べるまでもない。オレはごく普通の常識をいってるんだから。
奄美も討伐にいってるけど、戦ったのは「奄美」という共同体ではなく
現地の豪族、按司との戦いでしかない。八重山(石垣島)も同じだ。
戦ったのは「八重山」ではなくオヤケアカハチだったにすぎない。

どこの誰が琉球王府は侵略したとかすべて奪ったとかいってるんだ。

まあいってるのは、宮古や八重山や奄美の人間だとわかってるけどな。
ちょっとは謙虚に歴史を学んでからものを言えっつーんじゃ。

856:日本@名無史さん
08/09/06 23:23:47
大局的に見たとき

中国(明・清)←琉球王府←宮古島←八重山

という冊封、朝貢体制があったというのがより正しい理解だよ。

確かに仲宗根豊見親が死んでから王府は八重山の直接統治に乗り出してる。
ここで王府から派遣されたのが、園比屋武御嶽石門を作ったことで有名な
西糖だ。彼はもともと竹富島の人間で、アカハチ討伐のときに才覚を見込まれて
首里に留学していた。竹富島の人間を八重山に帰して、その蔵元(王府の出張
行政機関)の長にしたんだ。

つまりここでも王府は強圧的な支配をしたのではない。
現地の人間を首里で学習させ、人材にして八重山に戻したんだ。

857:日本@名無史さん
08/09/06 23:29:03
>>854
正確には奄美の豪族に対しては何度かある。
完全に平定したのは薩摩に侵略される7,8年前のことだったはずだ。

宮古は全くない。宮古は最初から王府に恭順したからな。
宮古の人間が沖縄を恨んでいるのは、あくまで人頭税の件だ。
人頭税の遠因がどこにあるかといえば薩摩だろ。首里じゃない。
事実人頭税は明治時代に入っても廃止されなかったじゃないか。
薩摩、大和がやってたことだ。
先島の人間から首里が恨まれるいわれなんてなにもないんだよ。

858:日本@名無史さん
08/09/06 23:39:09
ああそれとアカハチ征討についてはさらに行っておくべきことがある。

オヤケアカハチは石垣島出身ではない。波照間島出身だ。
コレがなにを意味するかわかるよな?

オヤケアカハチ自身が、石垣島の一地域を支配していた外来の人物ということだ。
八重山が琉球王府に侵略されたというが、討たれたのはアカハチであって、
しかもその人物は石垣島出身者ではないときた。笑わせるなっての。

859:日本@名無史さん
08/09/06 23:45:08
西塘の前に王府から派遣されてるマンピキユンチュの名前がかなり気になるなあw

人頭税については宮古池間島の来間教授がなかったと言ってるんだが、これについては宮古の人はどう思ってるのかなあ

860:日本@名無史さん
08/09/07 00:05:12
>>859
満挽与人は実態として、古見で徴税を担当していただけだろ。つまり宮古島が
それまで持っていた八重山の利権を首里が奪ったということだな。

王府による統治は出張行政機関である蔵元の設置から始まると見るべき。
西塘の着任から王府による八重山統治が始まったというのが正しかろう。

宮古に人頭税がなかった説は俺も知ってる。
宮古島ではむしろ労役の方がメインだったらしい。人頭税に使われたという
ブバカリ石についても、これは星見石であるとする説がある。
人頭税がなかったという説もあながち間違いではないと思う。
実際のところ人頭税についての史料は八重山が圧倒的だ。

861:日本@名無史さん
08/09/07 00:07:00
ちなみに西塘は最初、故郷の竹富島に蔵元をつくるが、不便だということで
石垣島に蔵元を移した。

このときから石垣島が八重山の中心地になり、かつては古見島ともいわれた
西表島の凋落が始まったわけだw

862:日本@名無史さん
08/09/07 01:03:48
>>855
宮古や石垣や奄美の人間は全て奪ったとまでは言わない。
特に奄美は。言って得するのは薩摩。人頭税制開始に
深く関与していたことや、奄美併合後の黒糖地獄を覆い隠して
責任を全て首里王府に押し付けようという魂胆。
人頭税制については当然、首里王府にも責任はあるが。

863:日本@名無史さん
08/09/07 02:15:46
久々のQ&Aですね。

>>855-858
フユーや柳田國男の時代で止まってる方も居るというだけでしてね…
(平良市のWikiとか逆説~さんとか)
宮古島市や八重山ガイドなど、しっかりしたサイトには、赤蜂や人頭税についてなかなか適切に書いてあるんですよ。
イリキヤアマリを禁止したのは180年近く後の法師です、等等。
各島の史家も、あまりネットに出てこないだけで、大したものだと思います。
まぁ、懸案の地から偉大な人物さんが出ると、それが定説のように流布していくものなのかも知れません。
それに、メディアや映画や演劇が乗っかって「演義」ができて来る。
赤蜂や鄭?は、陳寿に書かせたら酷い扱いになると思うんですが…

864:日本@名無史さん
08/09/07 02:25:00
>>863
ほう。そうなんだ。
でもそうだとしても一般的には首里を憎む先島の人たちは多いわけで、
偏見は解かれていないからな。

伊波普猷や柳田國男でとまっているというか、彼らすら知らないのが
沖縄県民じゃないの?

イリキヤアマリを禁止したのはずっと後ということは言われてる。
史料が残ってるからな。だからオレもアカハチについてそれについて
触れなかったわけ(笑)

865:日本@名無史さん
08/09/07 02:33:49
>>862
薩摩がいい思いをするのはわかる。
沖縄、琉球学を学んだ上でさらに近代本土史を学ぶと
薩摩の連中がいかにろくでもない連中だったかがよくわかるw
オマケに薩摩=明治政府みたいなもんだしな。

866:863
08/09/07 02:54:03
>>864
>彼らすら知らないのが沖縄県民じゃないの?
まぁ、それは否めませんね。
私なんか、名乗頭をまるっと忘れられて名付けられましたし。

>首里を~人たちは多いわけで
沖縄島内であっても、屋取の裔としては、現代首里人の動向に賛同できなかった面も多いですよ。
イデオローグ扱いされてた御大は、そうすべき理由があったと私は評価していますが、
城はシーツの時のままで良かったんじゃないかとすら思ってます。
正直、彼らが満足しているのが歯痒い。

867:日本@名無史さん
08/09/07 03:08:43
>>866
ま、すべてにおいてルーズなのが沖縄人でそれが長所でもあり短所だとも
思うけどな。ただオレはその「否めない」って現実はどうなのかと思うね。

沖縄人がアイデンティティをどうやって構築するかって問題で、
最低でも伊波や東恩納がどういう仕事を残したかくらいは
知っていてしかるべきだろ。その上で高良倉吉なんかがどういう思いで
首里城を再建したかって話が出てくる。
だから今の首里城は、まるで本質的な存在ではない。

しっかしこうして書いたことに沖縄県民のどれだけがついてこれるのかと思うよ。
悪いけどな。小林の「沖縄論」とか読んで感心してるレベルだからな。

868:日本@名無史さん
08/09/07 17:15:30
学校でも、琉球の歴史はほとんど教えないしな


869:日本@名無史さん
08/09/07 17:22:32
「日本史」がすでに歴史の勝者の歴史観。

琉球史を教えている学校が本土にあるのかね。

870:日本@名無史さん
08/09/07 17:33:56
日本の中に琉球史があることを認めると、所謂「日本」とは「大和」のこと
なんだと客観的に実感できる。
また同時に「日本国」の現実は「大和だけではない」ということもわかる。
日本という国の有り様を正しく理解するには琉球史の知識と視点が必要だ。

ところが肝心の沖縄県民が自分たちのアイデンティティや存在価値に
自覚的でないという皮肉があるw

871:日本@名無史さん
08/09/08 01:53:52
テーミス 2008年9月号
<社会・文化>  沖縄戦の真実(下) 米軍統治の功罪‐「民生改革」と「反日教育」

沖縄では「反日反米」の論調が強いが、沖縄戦後の米軍統治時代は、沖縄の医療、教育、
女性の地位向上などに大きく寄与した時代でもあった。その一方、日本復帰を阻喪させる
ために反日教育も進められた時代であった。ここで冷静に「米軍統治時代」の功罪を検証する。
URLリンク(www.e-themis.net)

(主な内容)
沖縄にはもともと、農民の土地私有を許さず、村落ごとに課税し、耕作地を村落単位で
定期的に替えさせる「地割制」という支配体制があり、結婚も同じ集落の中で行われた。
異なる集落の者と結婚する場合は、青年会会長(ニーセーカシラ)に罰金(馬手間)を
支払う必要があるのだが、それは到底払える金額ではなく、そのため、同じ集落内での
近親婚になりがちで、沖縄ではその影響で現在でも遺伝子異常者の出生割合が高い。
また、集落内では夜、男女が広場に集まって「毛遊び(モウアシビ)」という乱交パーティー
が繰り広げられており、沖縄では性病が蔓延していた。また歴史的に男逸女労社会で
あったために女性の地位が低く、女子の人身売買が公然と行われ、内務省が禁止令を
出しても効果がなかった。
さらに、沖縄ではマラリア被害が非常に大きく、地域によっては沖縄戦の死者数を上回る
犠牲者を毎年出していた。
そうした沖縄の悪しき環境・伝統・風習を改革したのが戦前の日本政府であり、そして、
戦後の米軍統治であった。

872:日本@名無史さん
08/09/08 02:07:51
ああ、琉球列島米国民政府ユースカーよ!
再統治を!

873:日本@名無史さん
08/09/08 04:21:35
「1945年当時のアメリカ人の沖縄人観」ハワイ大学教授・崎原貢

三つの記事(ホノルルアドバタイザー紙、デトロイト・フリープレス紙、ニューヨーク・タイムズ紙)に著しく目立つのは、
日本と沖縄をはっきり分離して、沖縄人を日本人ではないと断言している点である。第二に常に沖縄人を被圧迫民族、被征服者、日本人を圧迫者、征服者として捉えている事である。
沖縄人の生活は惨めであるが、それももちろん何世紀にもわたる日本人の搾取の結果であり、今度の沖縄戦で、
沖縄人が日本軍に非協力的で消極的であるのも無理はないとする。第三に両者は性格的にも明らかに異なる。(中略)
沖縄人は温厚、勤勉で平和を愛する民族である。
沖縄人は貧乏で家には家具一つないけれども、食べるものがあり生活が少しでも安定していれば不平を言わない。
単純で愛すべき民族である。(中略)
礼儀正しくて、古代琉球王国は、中国から守礼の邦と呼ばれたほどであり容貌も理知的である。
これが沖縄人であるとすれば、全知全能のアメリカ人の救助願望を満足させるに足るような、かわいそうな人たちであり、
アメリカ人としては、自分の名誉にかけてもジャップの手から沖縄人を解放しなければ、という気持ちになるのである。


874:日本@名無史さん
08/09/08 23:26:13
沖縄を学習してないバカがまた話を自分がわかる小林よしのりレベルの
話に引き戻したいのか?w

バカは沖縄を語ろうとするなよ。バカなんだからよw

沖縄を語る資格があるのはオレのように勉強してる人間だけだ。
そして沖縄を語れない人間は日本人じゃねえんだよ。

ニュー速+にでもいってろバカどもwww

875:日本@名無史さん
08/09/09 18:47:53
しかし話がちょっと深くなるとぴたっと止まるなこのスレ。

大和人はおろか沖縄人自身がいかに沖縄について無知かよくわかる。

876:日本@名無史さん
08/09/09 19:57:26
>>867
はっきり言ってついていけません。ごめんさい><
今日の部活に出るの鬱だわぁとか、何故に女って怒ったら黙るの?言ってくれなきゃわかんないじゃない
!とか、いつまで青年会にいるば?お前はもう中年やしが(#゚Д゚)なんて人間関係に疲れたりナドナド
歴史にそう興味が無く、自分の生活リズムを大切にする人にここで書かれていることを突き付けてもΣ(゚
д`*;)ハァ?って状態になると思う。だけども別にそれは罪じゃない。

ついていけない沖縄人+自覚的でない沖縄人=沖縄の歴史を知らなくとも沖縄人と言える状況が生まれつ
つあるのではなかろーか?
しかし、無自覚だけれども【何故か】生まれ島を思う心は御しがたいぐらいにドでかい。
その【何故か】を説明するには歴史を紐解いていかなきゃならないと思うけど、歴史ってのは重すぎるよ
ね。・・・・・・・・歴史は重くて当然!!故に歴史と対峙した場合は謙虚さが必要なのです!  うむ
、ごもっとも(´・ω・`)

ごもっともですが、その重さのために生活のリズムに溶け込みにくいし億劫であり、ちと堅苦しい。
そこにだ!?あまりにも手ごろなインターネッツや、分かりやすいゴーマンが出てきてしまった。とても
とても身軽でとっつきやすい媒体。自分の主張したい事や批判したい事をド派手に見せ付けるほうに地価r
を入れるので歴史と対峙したときの謙虚さはやや弱め。つまりはアジテーターでありますm9(`・ω・´)シ
謙虚さを脱ぎ捨てたアジテーターの速度といったらもう目にも止まらぬ早業!アレヨアレヨと浸透してい
きますw
となると?パーがチョキに勝てないように、歴史は重みがあるため、アジテートの速度には絶対勝てない
のではありますまいか(`;ω;´)ブワッ
沖縄は何をもってして沖縄であるかと紐解く手段は常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?
残された道といえば・・・・沖縄人をやめることですな。平和人にでも愛国烈士様にでもなってしまえば
沖縄を考える煩悶から解放されるのでしょう(ノД`)



877:日本@名無史さん
08/09/09 19:59:04
>>871
そんな事で僕は自由の翼を広げた先で【魔法の言葉:解釈の自由】を手に入れることに成功しましたw
僕の中では「歴史の真実」とか「不都合な真実」とかを伝えろとすっぱい顔して憤慨しながらも、同じ舌
で琉球王朝は久米村に支配されていたのでございますよ!と歴史を語る愛国烈士=アジテーターでござい
ます。
しかし、せっかく紹介されている本を読まずしては批判もできませぬし、扇動されて流れてしまわないた
めにも「読者の70%が部長以上の役職者」とまばゆいばかりの謳い文句をかかげているテーミスを購入しよ
うとしましたところ・・・・・
なんとコンビニ決済ができないじゃありませんかΣ(´д`ノ)ノ  沖縄人は年収200万以下で暮らしている
のは周知の事実。貧乏暇なしの言葉のとおり、気が付けば閉まっている銀行・郵便振込みを活用する暇が
ありません(そんな暇があれば酒を飲むので)
そこでお願いがあるのですが・・・・愛国烈士様が何を参考に書かれているのか記事内に紹介があれば教
えていただきとうございます(・∀・)オホホ

批判者とアジテーターは完全に別であり、何で見分けるのかと言えば歴史の取り扱い方でしょう
どう取り扱っているのかを理解するためには歴史に体当たりしていかなければなりませぬ
とはいえ、これまた億劫であり、めんどくさいので、入り口となり得る歴史の面白さからも沖縄県民は遠
ざかってしまうのでしょうか?(´ω`)

さて、僧侶の知識や現地琉球人から聞き取って書いたと思われる琉球神道記
さらに読んでいきますと? ・・・・・なんぞこれ?と首を傾げるとこがでてきます
「中ごろ、小松の内府の重盛は平家一問の繁栄を本宮に祈られた。ウンヌンカンヌン
・・・喜界の流人の少将成経と沙弥尚秀は三社にお祭りして京都に帰られることを祈られた
卒塔婆流れの歌は次のとおり」

さつまがたおきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜ
おもひやれしばしとおもふたびだにもなほふるさとはこひしきものを

むっ!? これは平家物語の卒塔婆流しではありませぬかΣ(´д`ノ)ノ

URLリンク(kazeoto.com)
なにゆえ琉球神道記に平家物語が??

878:日本@名無史さん
08/09/09 20:02:20

MMRに入隊すべく想像の翼を広げまして「平家物語を読む~成立の謎をさぐる 早川厚一~」をペラペラと
・・・フムフム
平家物語では平家の守護神厳島明神により平家の興隆が予知され、源氏の守護神・八幡大菩薩により平家
の衰退と興隆が予知される。
ところが厳島明神・八幡大菩薩よりもいち早く平家の衰退・源氏の興隆を予知する神として平家物語に一
貫して現れるのが熊野権化である・・・・・・く・・熊野だと!? ここでも熊野だと!?
MMRが何かを調査していつの間にかノストラダムスにたどりつくのと似ていますかな(・∀・)

熊野の神々が関わる記事
平家の興隆 鱸 URLリンク(kazeoto.com)
平家の衰退 熊野参詣 URLリンク(kazeoto.com) などなど

平家物語の成り立ちには当時のお坊さん達や伽藍の成り立ちも密であるとの事
しかし・・・今の価値観からみるとこの時代の神職ってのはロクデナシの集団ですな。生臭ですなナマグ
サ><

このように平家物語の成り立ちには当時の坊さんや神仏が当然のごとく関わってくる。
当時の坊さんは平家物語などを覚えるのは一般教養であったのではありますまいかm9(`・ω・´)シ
なんで袋中上人が琉球国の多くの伽藍をあげ、垂迹の本地を明らかにすると言っているように平家物語の
一文が出てきてもなんら不思議じゃないことが分かりました 。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ
となると?当時の坊さんたちはミナミ島・薩摩潟より沖の小島は想像も付かぬ鬼が住む島。日本の範囲外
。そう喜界と認識していたと説明しても合点でございます。
なぜかといえば平家物語では「さつまがたとは惣名也、きかいは十二の島なれば、くち五島は日本へ随へ
り、おく七しまはいまだ我朝に従はずといへり、白石、、あこしき、くろ島、いわうが島、あせ納、あ世
波、やくの島とて、ゑらぶ、おきなは、きかいが島といへり」とあります
当時の知識人や宗教人は南西諸島のどの位置にどういった島があり、そこは何々島とかでなく、この地域
全体を自分たちの生活範囲から飛び出た領域=喜界=鬼が島・・・・南は鬼の巣ね・・・(ヽ´ω`)
と認識していたのでしょう

879:日本@名無史さん
08/09/09 20:04:05
さあ、そこで琉球入りしたといわれる源為朝どのが活躍する保元物語を読んでみまそ
下巻・第二十章…為朝が鬼が島に渡ること、ならびに最期の事
URLリンク(www.geocities.co.jp)
そう!保元物語にも為朝が琉球に行ったなんぞ書かれていません!というかこの時代、日本本土および南
西諸島のどこをさがしても為朝が来たなんて話しは一切なかったのではありますまいか!?
じゃあどこから沸いて出たのさ!? 火が無いところに煙はなんとやらですぞ? ふむ・・・ごもっとも

そこで(仮)ではありますが、まぁ話しを聞いてたもれ(・∀・)
ポイントは琉球の天界寺の鶴翁和尚さんの時代背景でございます!
①尚泰久王の御世はヤマトの坊さんがたくさん来琉した時期。
②平家物語や保元物語を一般教養としミナミ島を喜界と認識していた坊さんがワッサワサ
③いままで喜界といったぼんやりとしたイメージが琉球といった確たる存在に転換した
④為朝鬼が島(日本より外の範囲が及ばない喜界)渡り→為朝琉球入りが確立
⑤それが琉球内でも流布し始めた
⑥天界寺の琉僧・鶴翁和尚もヤマト和尚との交流でそれを知る
⑦鶴翁和尚がヤマト旅に出かけたときにその話を京都の和尚さんに話した
⑧為朝琉球入り説の出来上がりヽ(´ー`)ノ

880:日本@名無史さん
08/09/09 20:05:00
そう、為朝琉球入りの原型は鬼が島渡りの御伽噺でありました
その御伽噺が琉球=喜界のイメージのまま輸入され、お坊さん達によって育まれ(笑)それがまた日本本
土にも伝わったのでは!?
なので為朝がやってきた説は沖縄本島のみならず、遠く離れた島=喜界にひろく見られるのではありませ
ぬか!!!・・・・・・(・∀・)ドンナケ?
【参考資料:平家物語 保元物語 平家物語を読む~平家物語を読む~成立の謎をさぐる 早川厚一~ 
しまぬゆ特別企画1609年奄美・琉球侵略 琉球神道記 】

さて、よしりんは沖縄論で【琉球・沖縄の伝統文化の多くは薩摩の支配下で創造されたものである】
と紹介していまして、【沖縄の歴史書は保元物語・源氏物語】にならって書かれたとしています
ふむ、この歴史書とはイラストでもわかるように中山世鑑を指していますな。
では中山世鑑のどの部分が保元/源氏物語なのか紐解いていきましょう(・∀・)
ふむふむ・・・・・って東恩納おじさんがどうやら怒髪天のご様子 (((( ;゚Д゚)))

881:日本@名無史さん
08/09/09 22:14:02
大和人も何が大和文化なのか知らないしな
この先進国は働くのに一生懸命でそれを知る余裕もない

資源さえあれば……もう一度大東亜共栄圏をぉ

882:日本@名無史さん
08/09/09 22:48:25
>>876
>常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?~
それでも、被害妄想に陥ることなく、学ぶ他無いんでしょうね。
私は何度も沖縄人をやめようと思ったことがあります(汗)。
里主の逸る気は分からんでもないですが、ここのところの岡本的と言うか、
大宅的というか、周的な煽りに無理して呼応せずとも良いでしょう。
素人の我々が、直情径行な大和気早のようになっても詮無い。

源平に関して言えば、沖縄が源氏で宮古や大島が平氏的な扱いになっているのも面白いですね。
各名門が持つ大和名も、源平藤橘の名に若干符合するところがあるように思えました。

883:日本@名無史さん
08/09/10 00:18:56
大和を引き合いに出さなければアイデンティティをもてないのだろうか?

「薩摩芋」や「薩摩揚げ」って呼び名にクレームつけろよw

884:日本@名無史さん
08/09/10 00:36:06
ほう、やっと自分のルーツについて少しは調べられるようになったと評価してやろうと思ったのだがなw
褒められるのは、親の代から変わり身の早いところだけだな。

885:日本@名無史さん
08/09/10 12:39:44
>沖縄は何をもってして沖縄であるかと紐解く手段は常にアジテートに蹂躙される外ないのでしょうか?

勉強しないのを正当化するなW
少なくともここでアジってる奴は教養を持ってアジってるんだ。
教養のない小林よしのりのようなアホに反論できないようだから駄目なんだよ。

886:日本@名無史さん
08/09/10 20:52:56
薩摩焼きもクレームつけなきゃね

まぁ、日本に最初に入ったのが薩摩だから
薩摩○○ってのは別にクレームつけるところじゃないけど

>>884
評価してくれるだけの大和文化を一つ披露してくれ~( ゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ


887:871
08/09/10 21:12:02
>>877
テーミスはジュンク堂で立ち読みしただけ。
非買雑誌は、一部大型書店で売られているケースが多い。置いてある図書館もあるよ。
沖縄はどうか知らないけど。
たしか、沖縄の人が書いていたと思うけど、氏名は失念。参考図書なんて紹介してたかな?
はっきり覚えてない。「地割制」ならネット検索すれば出て来るが・・・

888:日本@名無史さん
08/09/10 21:31:06
>>886
>まぁ、日本に最初に入ったのが薩摩だから
>薩摩○○ってのは別にクレームつけるところじゃないけど

もうさ、その2行ですら議論が出来るんだよ。

「なら沖縄は日本ではないのか」「沖縄が国内でサツマイモや揚げ物焼き物の
ルーツが鹿児島ではなく沖縄にあることを訴えることはナンセンスか」
「沖縄が日本においてどういう位置を占めているのか、また社会的にどう
認知されてるのか」

いろいろ論点が出てくると思うぜ。
沖縄の民族主義者と大和同化主義者と大和人じゃ意見は全く違うと思うがどうよ。

889:日本@名無史さん
08/09/10 21:46:28
仮に薩摩芋が駄目でも琉球芋じゃなくて江南芋、もしくは南米芋だな

890:日本@名無史さん
08/09/10 21:54:52
メキシコ芋だな

891:日本@名無史さん
08/09/10 22:16:52
ま、唐芋か琉球芋、間を取って蕃薯か甘藷ってとこか。

まあ、たとえばこういう議論が戦わされることこそ、沖縄のアイデンティティを
内外に対して形成していく努力だと思うが、沖縄人ってのはそういう意識が
全くないよな。

歴史についても俺のような大和人のほうが詳しい。奮起してもらいたいもんだ。

892:日本@名無史さん
08/09/10 22:32:17
歴史は実証主義でいわば科学なんだからそんな感情論は議論にはいらん
アイデンティティなんてのは個人で形成してけばいい

893:日本@名無史さん
08/09/10 22:35:32
感情の介在しないアイデンティティなどあるまい。

894:日本@名無史さん
08/09/11 20:00:36
なんで沖縄人の発言が止まるかな…

895:日本@名無史さん
08/09/11 20:25:23
>>891
やれやれ、専門家に相手にされなんで、素人相手にまた俺様自慢かw
薩摩の芋っぽなんぞと言われたくないから、別にサツマイモで構わんよ。

896:日本@名無史さん
08/09/11 21:16:33
相手にされてないのはお前だろw
スレの質を落とすなよ。

897:日本@名無史さん
08/09/11 21:29:45
>>896
いい加減、駄スレと一緒に上げるのをやめろ。
奮起し得ざる理由は、普猷も書いておる。
御前のようなアジ野郎こそ、国家統合の障害だ。

898:日本@名無史さん
08/09/11 22:23:41
国家統合w
異民族の統合に価値を感じてるのは大和だけだろw

そういうところで価値をすり替えるのが
沖縄論のゆがみだとわかっていないようだ。


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