08/03/12 13:34:11
>>815
ん~規模の問題じゃないような・・・・
義教の焼き討ちは単に自分をリスペクトするあまりの病的行動に近い気がするけど
信長のそれは前後の政治姿勢からも首尾一貫した「政教分離」の原則を貫いたことが
意義あるんじゃないの?
大体、もし義教もやった、細川も・・・って程度ならそれこそ信玄様が
そのことについて激怒したなんてのも意味わからんし。
思うに義教のときはその後の宗教情勢に変化は見られんから、賛同者(大衆含め)が
得られなかった。信長の時は少なからずそれがいたから以後の変化が起きた、って考えるのが
自然じゃないのかな?
それと大きな勘違いをひとつ。檀家制度は宗教の保護なんかじゃない。
むしろ制約。布教の自由も、移動の自由も認めない宗教保護政策なんてありえない。