08/02/19 09:43:21
>>736
信玄に対する罵倒と捉えてしまうあたり信玄厨のかほりがするが。
まず結果が全て。義信離反というが、部下、それも後継者に背かれている
時点で首長の迂闊さは責められてしかるべき。(そういう意味では本能寺も同断)
細かく見れば今川との同盟破棄に対し女婿である義信の反対は当然予想されるべき。
しかし、説得工作や根回しをした形跡は全くない。「俺の言うこと聞け」だけ。
ここで、リスク管理能力が疑われるし、後継者に対する権威付けという後継者育成に
最も重要な部分の軽視が伺われる。信玄自身もそれで苦労したはずなのに学習能力が
ないとしか言いようがない。
そして廃嫡、処断という決断をしたなら次の後継者育成に早急に手を打たねばならない
ところを、「後継者に対する権威づけの軽視」はさらに酷くなる。
一度臣籍降下した勝頼しか後継者はいないのだから、よほど手厚く権威付け
しなければ家臣団は納得させられない。なのに官途の獲得にも動かず「四郎勝頼」のまま。
総領として扱い、一軍を率いさせねばならないところを一部将として先鋒をやらせる始末。
これでは、家臣団が勝頼を後継者として認めないのは当然。
一体信玄はあと何十年生きるつもりだったのか?この迂闊さを「老害」と言わずして
なんと言う??
自分が十二分に動けるうちに家督を譲り、軍団長として政権内のトップに後継者をすえ、
自らが後見することによって権威付けに心を砕いた信長・家康に比べれば、信玄のやり様は
稚拙極まると判断せざるを得ない。