07/06/19 13:47:04
足利将軍家の再建に利用されただけ、信長の力を削ぐために。家康は、江戸幕府設立時に清和源氏武田の足利将軍補佐的な権威を借りるため、甲斐のほとんど全ての寺院の屋根瓦にまで、武田菱紋とならんで三葉葵紋を着けさせた。
201:日本@名無史さん
07/06/19 14:38:08
神君との同盟を、不意打ちという最悪の形で破ったおっさんなのになぁw
世の中の毀誉褒貶なんてあてにならんべ
202:日本@名無史さん
07/06/19 17:36:38
>>167 >>168
まあ正しいんだがそれを言っちゃおしまいなんで。
なおかつ両者に魅力を感じるがね。
信玄、謙信というのは天下統一というより飢饉との戦いに明け暮れたような
気がする。厳しい人生だったろうなあ・・
203:日本@名無史さん
07/06/19 22:45:34
>>201
その同盟を破られた神君が、その後信玄に惚れまくってしまったからな。
信玄がこれだけ有名になったのはやはり家康の力も大きいとおもう。
204:日本@名無史さん
07/06/20 03:25:07
>>203
某S本氏が言うには
柳沢吉保なんかも結構信玄伝説作りまくってるらしいな
もちろん自分の出目の武川衆を高めるためにだが
他にも浄瑠璃とかの影響もあるとか。
まぁ結局家康が一番でかいってのはあるがな
ところで神君を破った信玄が偉大なら信玄を破った村上は(ry
205:日本@名無史さん
07/06/20 08:38:05
惚れたっていうのはポーズだろうな
武田旧領を支配したため、旧主を持ち上げる古典的な手法
加藤清正の名声の元は、後の支配者細川氏の宣伝の産物であるのと一緒
だいたい家康は「三河以来の祖法は変えるな」と遺言しているぐらいで
206:日本@名無史さん
07/06/20 17:43:30
大名の旧領は数多くあるだろうに
名声が残っていくのは一握りだな
207:日本@名無史さん
07/06/20 20:21:00
逆に北条のように、まったく名声が潰された例もある
家康自身の言行として
「信玄は良将だったが悪行の報いが子供にきて滅んでしまった、しかし北条は義を重んじたから滅亡するといえど裏切りは少なく未だに当主に随身する忠臣が多い、見習うべき」
とベタ誉めなのに、信玄と比べて全くその手の虚名が無い
208:日本@名無史さん
07/06/20 20:57:35
家康から見たら、
自分を戦で負かした世界唯一の相手が、信玄だろ。
持ち上げないわけにはいかないよ。
209:日本@名無史さん
07/06/20 21:41:24
むしろ武田遺臣が再就職先での出世のための宣伝に使ったフシがあるな
甲陽軍鑑と甲州流軍学なんてその最たるもの
どれだけ影響力があったかというと、北条とか上杉とかの立場寄りの軍記物にすら軍鑑の内容の丸写しがあるぐらい
実際のところ、信玄はしばしば寡兵の敵に負け、自身が討たれかけたことも数度
徳川に勝ったのだって兵力が二倍以上の時だったんだから、負けるほうがむしろ不思議
本当に信玄は幸運な武将だな
本人が虚名をあの世とやらで喜んでいるかは知らないがw
210:日本@名無史さん
07/06/21 01:58:41
信玄が最強なのを再確認した
全裸で
211:日本@名無史さん
07/06/21 06:15:20
男色ってどんなことしてたんだろ ケツ?
212:日本@名無史さん
07/06/21 06:47:31
武田晴信が高坂弾正の乳首をペロペロ舐めながら竿をシゴいたりシゴかれたり…
素肌に甲冑を着せたまま高坂の肛門に怒張した極太黒マラをブチ込んで差したり抜いたりしてザーメンを兜首にかけたり‥
213:日本@名無史さん
07/06/22 00:03:43
学研M文庫「川中島の戦い」(平山優)が労作でなかなかおもしろかった。
>>168的見解も正しいかもしれないが、また別の視点から川中島の戦いを
分析している。オススメ
214:日本@名無史さん
07/06/22 08:41:26
>>197
自分が読んだものでは、
大枚の金子を張り込んで譲り受けた・・・と
書いてあるけどね。
べつに買い取った云々でも構わないじゃん。
>>204
武田家が高家になるにあたって、尽力したのも柳沢だと云うぞ。
215:日本@名無史さん
07/06/22 09:18:59
妙法寺記では違う、という話なんだから
自分が読んだものって、そんなに異本があったかぁ?
216:日本@名無史さん
07/06/22 09:42:28
しつこい
217:日本@名無史さん
07/06/22 10:04:55
うるさい
218:日本@名無史さん
07/06/22 11:35:26
偽本・妙法寺記来た?w
219:日本@名無史さん
07/06/23 01:45:00
しつこいと思う。
220:日本@名無史さん
07/06/23 01:46:29
偽本キタコレ
221:日本@名無史さん
07/06/23 15:22:06
間違いを指摘されたのに、おかしなこと言った上しつこいとか変に拗ねるからだろ
222:日本@名無史さん
07/06/27 15:39:16
>>100
上泉信綱は元々秀綱だったが
信玄から『信』ともらったと言われている。
223:日本@名無史さん
07/06/27 19:37:13
剣聖
224:日本@名無史さん
07/06/29 18:00:09
あげ
225:日本@名無史さん
07/07/02 12:23:24
ageますよ。
史学素人の俺の長年の疑問、
「川中島ごとき猫額地を巡って、戦国の両雄とまで言われる晴信と謙信が何故、五回も対峙したのか?」
>>168的見解では、「略奪目的なら長対陣は無用、奪うもん奪ってさっさと引き上げれば?」という疑問が残る。
地政学的な解釈も、結果的に両雄がお互いの本拠地まで攻める意志があったとは思えず、やはり疑問が残る。
今のところ、山室恭子氏の見解(群雄創世記)がもっとも納得いくんだけど、これに対する史学界での評価を
ご存じの方がいれば、ご教示いただきたい。
226:日本@名無史さん
07/07/03 19:34:41
義を大事にする謙信が隣国を侵略しまくる信玄を許せなかったが
最後には友情が・・・・・
では無いの?
227:日本@名無史さん
07/07/03 22:03:37
>>226 さんは俺に言ってる?
群雄創世記は一般向けの概説書としてもおふざけが過ぎる表現も散見されるし、
史学生の人で読んだことある人っていないんですかね orz
手法はこの人お得意の、手垢のついた史料を従来とは違う角度で見てみよう、
ってやつです。
まずは妙法寺記を中心に、戦を重ねることによって、甲斐一国中に信玄を核に
した愛国心みたいなものが育っていったんではないか、と読み解く。
次に永禄年間のそれも対上杉戦に限って、神に奉ずる願文の内容が明らかに
人に対してのものであると指摘、なぜ対上杉戦に限るのかと謎を振り川中島へ。
天文二十二年の両雄初対戦は川中島ではないけれど、領国内外への自陣営の
優位性、正当性の宣伝合戦が開始された、と成就院文書や大日方文書を例証
に論を展開。弘治三年頃には、両者にとって川中島という地名が象徴的存在に
なったのではとする(歴代古案、上杉年譜)
(以下、五回目の対戦まで縷々論が展開されますが、私なりの表現で論を要約)
要は、挙国一致の世論を喚起しないとやばいことになるっつーくらい、お互いに
とって初めての強敵、しかもお隣さん。逆に言えば、内の不満を外にぶつける
という為政者の常套手段ですね。これに使われたのが川中島。と言うお話です。
「なぁんだ、そんなことかよ。」と、がっかりされたかもしれませんが・・・
長文失礼
228:日本@名無史さん
07/07/04 01:16:07
胸毛とかすごそうだよね。山梨はけっこう多い。
一晩でいいから抱かれてみたかった・・・
229:日本@名無史さん
07/07/04 01:32:29
史学会の評価って行っても人によって違うが
とりあえず笹本氏の本でも読んでみればいいんじゃないかな?
どっちかというと学会でもマイノリティーだが
230:日本@名無史さん
07/07/04 01:48:53
内には貧しい国土と実利優先の国人層を抱え、外には北条・今川・信濃諸豪族の脅威があった中で父親を追放した21歳の若者が何を思って判断し行動していたのでしょうか?中々想像できません。
231:日本@名無史さん
07/07/04 03:49:56
鬼美濃にペシペシされたかった
232:日本@名無史さん
07/07/04 04:17:44
どうでもいいけど学「界」な。
史学会だと意味が違ってくる。
233:日本@名無史さん
07/07/04 12:07:25
>>229
笹本正治氏なら、「戦国大名の日常生活(講談社選書メチエ)」と
「戦国大名武田氏の研究(思文閣史学業書)」が手元にあります。
どちらも川中島の疑問解決には参考にならなかったけど、戦国
武田氏を知る、という意味ではとても勉強になりました。
>>230
常日頃を共に暮らす人間同士でも「何を思って」はなかなか理解
できるもんじゃないけど、上記「戦国大名の日常生活」は「想像」の
一助にはなるんじゃないかと、思います。
234:日本@名無史さん
07/07/11 23:47:14
>>225
私もしろうとでわからんのですが。
○甲斐で飢饉が相次ぎ部下を食わすのに出かけるしかなかった。
○三国同盟がネックになってて信濃に手を伸ばすしかなかった。
それがいつの間にかライフワークになってしまった。
○謙信が関東に手を伸ばしていたので(北条のためにも)牽制する必
要があった。
・・くらいです。今思えるのは。
信玄が謙信と結んで早くから今川を攻めたらどうだったろうかな、などと
ifを妄想したりします。
235:日本@名無史さん
07/07/12 00:58:28
>>234
川中島に関しては、全戦、謙信側が仕掛けた戦です。
五回目なんか、もう主戦場は西上野に移っているのに、
何を今更な感じで大群率いて攻め込んできてます。
川中島一回戦は弘治元年七月。この頃の信玄は既に
村上を追い出し、完全ではないが北信濃はほぼ制圧。
信玄にとって見れば防衛戦ですので、二つめの理由は
当て嵌まらないと、考えます。
同様に略奪目的であるはずが無く、飢饉続きなら無駄
な戦は避けたいところで、ひとつめも当て嵌まらない。
関東管領の名跡を継ぎ、北条を名乗る(=鎌倉執権の
名跡)相模の一族打倒を第一目標とすべき謙信側から
仕掛けた戦ですので、牽制策というのも成立しない。
信玄にしてみれば、「また来やがったよ、あの毘沙門天
かぶれ。面倒だから三国同盟破って、打倒北条を餌に
謙信と組むか。」と、思ってもおかしくない状況ですが。
ほんと、川中島って不思議な場所です。
236:日本@名無史さん
07/07/13 11:43:28
>>235
いや第二回川中島で、今川義元の仲介で和睦が成立している
それを信玄が破って奇襲しかけたから第三回が発生し以後泥沼になったわけ
そもそも信玄が北信濃を侵略したんで、破れた国人衆が謙信を頼ったのが発端だし
(幕府から信玄討伐令が国人衆に出されたように、大義名分という面では完全に信玄が駄目)
237:日本@名無史さん
07/07/13 15:38:46
>>236
まあ、和睦の条件を簡単に反故にされたら、頭にくるのはしょうがない。
北信や、越後に目を向けずに、美濃方向へ向かっていたら、信長より早く美濃を制圧し、
天下とりに近かったかもしれん。
(村上ちゃんの悪いやつ(晴信)を懲らしめてくれという要請がなければ、
謙信も動かんだろう)
238:日本@名無史さん
07/07/14 00:44:19
完全にゲーム的な発想だな
239:日本@名無史さん
07/07/14 01:54:08
謙信も上田衆を屈服させたばかりだし
川中島出発は政治的な目論見が有っての事じゃないかねぇ
坂戸城周辺を道といい、城下といい改造しまくってるから
魚沼一帯への影響力を強めたいって意志を感じる
んで川中島終わったら政景暗殺
魚沼をモノにしてしまうと・・・謙信も結構食えない
240:日本@名無史さん
07/07/16 01:13:11
>>235信玄は越後を攻めてるんじゃ?
241:240
07/07/16 14:30:03
あ、ごめんなさい
「川中島に関しては」でしたね。
勉強してきます
242:日本@名無史さん
07/07/27 21:25:49
小笠原長時ですけど、この地盤はどこなんでしょうか。
村上とか、諏訪とかにいろいろ押さえられてさえないですが。
それから長野市ですが、ここに中御所という地名がありますね。これって、
征夷大将軍が来たことに関係があるんでしょうか。
243:日本@名無史さん
07/07/30 19:50:26
高野山に大名の墓が並んでいるが、その中に武田信玄公の小じんまりとした
墓がある 前田公の墓など馬鹿でかいが武田の墓は小じんまりと上品だ
その中の説明文の中に「性 直情怪行」と刻んであったので、アレっと
思ったことがある 案外「性 直情怪行」のほうが真実かもしれないね
あまりな名君話はかえっってウソっぽい
244:日本@名無しさん
07/07/30 21:50:16
>>243
人格者と呼ばれるタイプではないと思います。
おそらくは、武将臭い人だったかと。
245:日本@名無史さん
07/07/30 22:07:11
腋臭も臭かったかと。
246:日本@名無史さん
07/07/30 23:13:19
直情怪行?
直情径行の間違いじゃないの??
247:日本@名無史さん
07/07/31 01:08:51
>>243
そもそも、高野山にある墓はたいてい供養墓なのであってw
248:日本@名無史さん
07/07/31 02:13:24
大河ドラマ「風林火山」では、信玄は越後を制圧し海をとることを目指したということになってるね。
>>242
小笠原の本拠地は松本
中御所は知らないけど、南北朝時代に南朝の征夷大将軍(宗良親王)が約30年間信濃に駐屯していた。
249:日本@名無史さん
07/07/31 19:32:36
坊主が金儲けの為に武田家子孫の断りもなしに勝手建てちゃった墓地や供養塔が全国にわんさかある
250:日本@名無史さん
07/07/31 19:37:09
>直情径行の間違いじゃないの??
どうだったかな 細かい点までは見ていない
他の大名の墓は馬鹿でかいのばかりで、これみよがしに大きいのばかりだが
武田の墓は「墓たるものは、こういうものだ」というように普通の墓だ
戦国期の宗教は一種の情報センターだろうから、案外、武将の正確な
情報をつかんでいたのかもしれない 意外に奇人変人的なところが
あったのかもしれない それが奇異に見えたのだろう
251:日本@名無史さん
07/07/31 19:40:32
高句麗騎馬民族の末裔 武田騎馬軍団
252:日本@名無史さん
07/07/31 22:00:13
細かいところなんか見ようと見まいと、
「怪行」なんて日本語はないだろww
253:日本@名無史さん
07/07/31 22:10:57
そもそも武田騎馬軍団というものはアラビア種でなく木曽馬タイプの馬種で構成されていたわけではないでしょうか?
254:日本@名無史さん
07/07/31 23:02:59
信玄の乗ってた馬ってのもすごく小さいらしいね
当時の日本人が今より小さいとしても武田騎馬軍団ってのは
一般的にイメージされるようなものじゃないような気がする
255:日本@名無史さん
07/08/07 20:31:10
信玄厨ってキモい
256:日本@名無史さん
07/08/07 22:11:32
騎馬軍団なんて編成されてない
257:日本@名無史さん
07/08/08 04:29:33
小説の世界をそのまま信じる武田厨
258:日本@名無史さん
07/08/08 06:54:42
甲斐駒は中型馬
259:日本@名無史さん
07/08/08 09:37:52
>>258
その「中型」ってのはどういう基準?
現代ではサラブレッドやアラブのような400~500kgの馬で「軽種」、
ペルシュロンのような1000kgクラスで「重種」とされてるけど。
260:日本@名無史さん
07/08/08 14:07:01
山梨県人の集うスレ
261:日本@名無史さん
07/08/08 14:14:08
若いころの信玄の画像を見ると男もすなる様な美男に見えると思うのですが
本当だったのでしょうか?
262:日本@名無史さん
07/08/08 15:39:34
影武者を何人も用意するほど臆病だった信玄。
村上義清に惨敗した砥石崩れでは、
晴信自身が影武者を身代わりにしてようやく窮地を脱するという有様であったとまで言われている。
ださっw
263:日本@名無史さん
07/08/08 16:12:12
最悪の事態に備えるのは大将として褒められこそすれ、けなされるようなことじゃなかったい
264:日本@名無史さん
07/08/08 20:11:44
>>262
信玄ファンには触れられたくない史実だね
上田原、砥石、葛尾城奪還、小岩岳城と、村上義清方に都合4回も負けてる
正攻法の実践では勝てないから、
真田のスパイ諜報作戦で村上軍を分裂させておいてやっと勝てたんだから
265:日本@名無史さん
07/08/08 20:20:21
親父の信虎は長身痩躯の体格だっただろう 信玄もおそらくああいう体格だろう
絵で残っている信玄は武将らしくゴツイ体だがたぶん違うだろう
266:日本@名無史さん
07/08/08 23:06:34
>>259
サラブレッドやペルシュロンと比較してどうするよ。
東アジアの草原馬サイズでの標準型。
267:日本@名無史さん
07/08/08 23:24:15
諜報なしで戰する馬鹿ではない
268:日本@名無史さん
07/08/09 01:47:06
>>267
戦術能力では村上に劣るが、総合力では上なのね。
269:日本@名無史さん
07/08/09 08:21:04
村上義清って相当強かったみたいだね
信繁を仕留めたのも義清自信というし、信玄に傷を負わせたりしたらしいよ
家臣では楽巌寺雅方っていうのがめちゃ強かったらしい
いろいろ調べてみると信玄の最大のライバルは上杉じゃなくて村上のような気がしてきた
270:日本@名無史さん
07/08/09 09:02:49
初鹿野源五郎も義清に討たれてるよな
271:日本@名無史さん
07/08/09 09:19:46
若い頃から村上氏にシゴかれてたから信玄はあれほどの技能を身につけた
とも考えられるな。
アムロに対するランバ・ラルのようなものか。
いや、性的な意味じゃなくてだな。
272:日本@名無史さん
07/08/09 09:41:38
> アムロに対するランバ・ラルのようなものか。
何言ってるのか素でわからぬ。
アムロに対するSAMではないのか?
273:日本@名無史さん
07/08/09 09:58:16
じゃあ板垣はブライトさん?
274:日本@名無史さん
07/08/12 02:41:09
川中島が霧の中の遭遇戦だったというのはプロレスが
八百長だったということほど俺には
275:日本@名無史さん
07/08/12 20:43:18
【ファン】ayumi hamasaki part.48【限定】
スレリンク(gaysaloon板)
276:日本@名無史さん
07/08/13 22:31:18
>>269
楽巌寺雅方、文献で調べたら、
「武田典厩の備えに疾風の如く飛び込んで、
得ての長刀追延べ風車五輪碎き雁連飛燕の秘術をつくし
敵二十八騎切って落とした」
だって。
「風車五輪碎き雁連飛燕の秘術」
なんかかっこいい。
277:日本@名無史さん
07/08/13 22:37:05
信玄の死因
家康軍団の鉄砲のかすり傷による感染症で死んだ
278:日本@名無史さん
07/08/13 23:20:20
いやエイズだろう
279:日本@名無史さん
07/08/13 23:56:58
川中島懐かしいな―!小学校の体育祭で必ずやった。
280:日本@名無史さん
07/08/14 00:02:48
謙信「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァーッ!!!!!!」
信玄「ムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダァーッ!!!!!」
281:日本@名無史さん
07/08/14 00:39:32
迂闊にもwarota
282:日本@名無史さん
07/08/14 13:28:57
毒を仕込んだアナル持ちの美童間者に尻を使って逝かされたに決まってるだろう
283:世界@名無史さん
07/08/16 19:22:51
>>276
もっと詳しく頼む
284:日本@名無史さん
07/08/17 09:15:15
でも「武田」って甲斐の地名じゃないしな・・・・・
285:日本@名無史さん
07/08/18 01:26:27
春、たまたま仕事の研修が「武田」のそばであった。
地図ももたずに探し、住宅街に館跡をみつけた。
平地を見下ろすやや高台。
転々としてよくぞ一族が支配階級に定着できたものと感心した。
286:日本@名無史さん
07/08/18 03:26:38
大河ドラマ見てるけど、信玄のいくさのほとんどって長野県を攻略するための局地戦だったのね…
長野県に攻め込むたんびにひるがえる風林火山の旗って、なんかこじんまりしてるな
あとそれに伴って調べてみたのだけど、
じつはどっしりとしたカリスマじゃなくて、細面の利益調整型人間だったんですね
そんな十人並みの人物が運命に翻弄されて父親を追放し、息子を自害に追い込み、天下を簒奪しようと
明確な意思を持ったのはどのくらいの時期なんですか?
287:日本@名無史さん
07/08/18 12:27:04
>天下を簒奪しようと明確な意思を持った
パラレルワールドの信玄の話なら、そっちの人間に聞いてねw
288:日本@名無史さん
07/08/18 18:40:53
武田信玄には天下を取る意図はなかった。
ちょっと戦が好きだっただけ。
289:日本@名無史さん
07/08/18 21:52:25
信玄は天下取ろうとしたけど早死にしちゃったね。
それだけの器だったということだね。
生きてても息子の勝頼と同じく自害する運命だったろうね。
290:日本@名無史さん
07/08/18 21:57:39
でも、嫡男である太郎を自害させたのは駿河に侵攻したかったからですよね?
そこまでの不退転の覚悟の背景には、毒を食らわば皿までで、やっぱり天下に号令をかけたいっていう大望が
うごめいてたと思うんですよ
291:日本@名無史さん
07/08/18 22:01:35
>289
運命のカラクリはまっこと旨く出来てますよね
292:日本@名無史さん
07/08/19 00:05:43
>>287
それがパラレルワールドだと言い切る根拠も何もないな。
293:日本@名無史さん
07/08/19 10:28:22
.. ,、r‐''''''''''''''''ー 、 , -──- 、
,r' `' 、 ./´ `ヽ、
/ ヽ /: ヽ
. / , ヽ /::::::::: 、ヽ
,,' ; ,、、,_ ニニ ,、」、 l ::::::::::. ミ゙´`゙'゙'''シ ,:ゞ'''"ミ l
l. :;;;i ´ .._`ー ‐''"....| |..::::::::::::... ,. -─- 、 , -─- 、|
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l;゙、',.::l;;;i r ヽ. l, ヽ::::(:::::::::::::::;  ̄,ノ r ヽ. ̄ )
l;;;;`‐;;;;;ヽ . './'ー'''ー‐' ', l; {. ::::::::::::::: ノー'''ー‐' l
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294:日本@名無史さん
07/08/19 17:18:55
誇大妄想癖武田信玄厨
295:日本@名無史さん
07/08/20 10:45:09
>>290
塩が欲しかっただけ
当時山国の人間にとっては塩は相当高価な貴重品
自国で取れるか取れないかで財政が相当変わるぐらいのモノ
296:日本@名無史さん
07/08/21 04:16:23
なるほど
じゃあ最後の「西上作戦」というのはどういう意味合いの軍事作戦だったのでしょうか?
信長は明確に天下布武を旗印に領土拡張をしていたので、武田も自らが滅亡しないためには
結局天下採りという同じ土俵で勝負せざるを得ない状況になっていたのではないでしょうか?
297:Y ◆nzdGjBH722
07/08/21 06:16:54
>>296
多分信長本隊が浅井朝倉三好その他もろもろに向いている間に、徳川を攻めておこうといった感じ。
正直、上洛する気などなかったと思う。平野部で潤沢な遠江三河が欲しかったんだろう。
298:日本@名無史さん
07/08/21 07:58:47
秋山隊の件
299:日本@名無史さん
07/08/21 12:38:22
>>297
「旌旗を帝都にあげえなかったことがなによりの妄執である」
の信憑性はともかく、元亀四正月十一日付上野中務太夫秀政宛
書状(京都御所東山御文庫記録 所収)にはっきりと「信長と
家康を誅して、天下静謐の世を招来せしめん」と、あるね。
天下「簒奪」はともかく、義昭の下、「孫子の旗を都に揚げる」
意志はあったと思っても良いような気がするんだけど。
300:日本@名無史さん
07/08/21 12:44:19
>>299
× 中務太夫
○ 中務大輔
301:日本@名無史さん
07/08/21 14:44:16
>>299
それはおだててただけじゃないのか?
徳川をうまく攻めたいから西で織田をうまく釘付けしてもらうための方便にも思える
徳川攻め時点で信玄周囲の勢力の中で一番御しやすいのは徳川だったからうまく攻めたかったんだろう
302:日本@名無史さん
07/08/21 15:32:26
徳川滅ぼすだけなら城攻めしてんだろ
303:日本@名無史さん
07/08/21 19:01:28
信玄が家康をヌっ殺す、というのが、一番歴史に与える影響がでかいだろう。
304:日本@名無史さん
07/08/21 19:28:48
>>301
非常に的確な指摘を>>302さんがしてますが、書状の中身からも
「おだて」とかは成立しないんですよ。
この書状は、義昭が信長と和睦せよと言う御教書を発したことに
反駁する内容になってます。「甲陽軍鑑 巻十三 御公方義秋様
より御使者御書之事」と、細かい文言はともかく、同じ内容です。
もっとも、こっちは天正元年正月七日付と、史上存在しない日付
なんで軍鑑作者の創作文であること、ほぼ確実ですがw
義昭の自由意志にせよ、三方ヶ原の敗戦で焦る信長の圧力にせよ、
将軍家の和議斡旋を蹴って、信長討滅の教書を賜りたいと言って
るんです。上方で時間稼ぎしてね、とお願いしてるわけじゃない。
305:日本@名無史さん
07/08/21 21:46:52
御旗盾無御照覧あれ
306:日本@名無史さん
07/08/22 03:13:34
信玄は何もできずに滅亡した雑魚武将だよね?
307:日本@名無史さん
07/08/22 06:51:27
なるほど
信玄がどういう思惑だったかは今となっては推し量るしかない、という結論のようですが
最後の数ヶ月、信玄は間違いなく日本の行く末を左右するキャスティングボードを握ってたと思うんですよ
惜しむらくはそれ以降、また武田は局地戦へと回帰してしまったことですよね
長篠の戦にしても織田は武田との決戦という明確なビジョンがあったのに、武田はあくまでも
寸土を巡る局地戦の延長ですよね
土豪が土から乖離して、天下国家の理念を獲得するのが当時どれだけ難しいことだったかの証左ですよね
308:日本@名無史さん
07/08/22 07:30:36
>>192
甲州の男は美男が多かったらしいね
イケメンインテリ武闘派ヤクザみたいな武田軍に
他国の女はメロメロだったんじゃない?
309:日本@名無史さん
07/08/22 10:54:21
>>303
そんな馬鹿な。当時は徳川は雑魚武将。消えても歴史の大勢に影響はない。
310:日本@名無史さん
07/08/22 11:11:59
>>309
いや303が言っているのは徳川三百年が
消えるって事だろう
311:日本@名無史さん
07/08/22 12:33:45
>>307
元亀四年四月 信玄没。
以後、
同年(天正元年)九月 徳川領 諏訪原城攻略
同年十一月 織田領 飯羽間城攻略
天正二年四月 徳川領 大沼城攻略
同年六月 徳川領 高天神城攻略
同年八月 徳川本拠 浜松城をうかがうも撤退
天正三年四月 法性院機山信玄 三回忌大法要
同年五月 徳川領 長篠城包囲→設楽が原の戦
政権基盤脆弱な勝頼ですが、一貫して織田・徳川同盟打倒、
すなわち天下布武路線へ対抗してますよ。信玄西上作戦を
「明確な天下簒奪の意志」などと過剰評価気味のあんたが
勝頼の事績は「寸土を巡る局地戦」と酷評するのはなぜ?
312:日本@名無史さん
07/08/22 13:15:25
信長\(^o^)/オワタ
313:日本@名無史さん
07/08/22 15:22:09
>>310
豊臣300年でもOKだが?
314:日本@名無史さん
07/08/22 16:01:40
たらの話だが信玄公がなくならなかったら、信長も秀吉も家康も
歴史に名が残らなかったことだろう
315:日本@名無史さん
07/08/22 16:53:07
>>314
信長や家康は信玄存命中にすでに有力大名として存在してるだろ
316:日本@名無史さん
07/08/22 17:01:50
信玄公は完璧を期すために準備に時間をかけすぎた
信長は暴走経営だがスピーディーだった
317:日本@名無史さん
07/08/22 19:40:48
>311
あ、勝頼すきですよ
でも彼のいくさは信玄が最後にはなった「西上作戦」にくらべると、かつての長野を攻略していたときのような
こじんまり感がいなめないんですよね
やっぱり大いくさっていうのも、いろんなお膳立ての上にやっと華を咲かせる花火みたいなものだとしたら、
勝頼はそのお膳立てがうまくなかったんだろうなぁ、と。
しかし信玄でさえそんなきらびやかな花火をみせるのは駿河侵攻からだと自分は思うので、一概に勝頼を責めるものではありません。
318:日本@名無史さん
07/08/22 21:03:36
最後の一行、諏訪や北信濃や西上野で、何年も何十年も
飽きずに「こじんまり感の否めない戦」繰り返したのは
信玄だってのはお認めのようで。
幕府は瓦解、浅井・朝倉は滅亡、伊勢長島の一揆は皆殺し
と包囲網が個別撃破され続けている状況で、いきなり西上
とかできるわけ無いでしょ。じっくりとお膳立てできない
状況になったのも、信玄が最後に織徳同盟に決定的に対立
したせいでしょ。領内を取り纏めるまもなく、半年以上の
遠征から帰ったばかりの軍を休めるまもなく、孤軍奮闘、
最大勢力の織徳同盟の領地を削っただけでもたいしたもの。
「一概に勝頼を責めるものではありません」って、厳し杉w
319:日本@名無史さん
07/08/22 21:23:31
当時信長は四郎を誉めそやす余裕さえありますからね
結局信長から見てさえも、四郎は天下統一を競うライバルというよりは、手強い土豪の英雄くらいの
認識しかなかったのでは?
戦略的に信長の天下統一の野心を脅かしたのは信玄の「西上作戦」と晩年の上杉くらいしかないとおもうんですよ
320:日本@名無史さん
07/08/22 21:56:04
親子揃って雑魚武将ですか
321:日本@名無史さん
07/08/22 22:04:19
尾張の雑魚武将がなんかほざいてますよ
322:日本@名無史さん
07/08/23 00:13:24
>>319
あんた流に言えば、「手強い土豪」くらいの勝頼が、不利な状況下で
最大勢力に挑み続けたのに、「辺土を巡る局地戦」は酷評に過ぎる。
と、言ってるんですが? 信長にとって真の驚異だったかどうかとは
別な話してるんですけど。まぁ、この件は表現上の問題で片付く話の
ような気もするし、これ以上議論するかは、あんたにお任せします。
それよりも・・・
謙信宛の書状で「油断ならぬ相手」と評価したのが、余裕なのか真情
なのか私には解りませんが、あんたがそう断言する根拠を示してね。
あとさ、天下簒奪と言うからには、足利将軍家に取って代わる意志が
あったんでしょ、信玄には。これも、そう解釈できる論拠を示してね。
両方とも、できないなら別に良いですよ。あんたが「俺はそう思う」
レベルの人なら、疲れるだけで得るモノはないので退散するだけです。
323:日本@名無史さん
07/08/23 00:44:50
「明確な天下簒奪の意志」かどうかは別として、
もし織田徳川を滅したら結局は、将軍家に取って代ってたのではないかな。
元々武田は足利の分家ではなく、
足利と「同格」の源氏の分家 (だと本人たちは思っていたに違いない)わけで。
まあ別に明確な論拠があって言ってるわけでもないのであくまでも推測だが。
324:日本@名無史さん
07/08/23 05:31:14
>322
あー、スンマセン
自分はこの一週間くらいで資料集めてかじってるだけなので浅学ですよ
別に信玄シンパ、勝頼シンパってワケではないので、かるい一言で思いいれの深い方を刺激してしまったことは
謝罪いたします
自分の場合そういうものに思いを馳せるのはロマンだなーっと、そんな程度です
中にはアマチュア研究家とか、郷土史家の方で、この問題に一生をささげてる方なんかもいらっしゃると思うので、
以後軽率な発言は慎みたいと思います
325:日本@名無史さん
07/08/23 06:04:36
武田信玄じゃ織田と徳川にはとても歯が立たない
役不足ですな
326:日本@名無史さん
07/08/23 06:21:05
ばかだな。織田も徳川も仮想敵は常に武田だったよ。
織田は上杉とも武田とも親密外交と切り崩しを上手く
やったから、一番手ごわい時期の武田と当らずに済んだんだよ。
信玄も謙信も毒殺されたと思わずにはいられないよ。
327:日本@名無史さん
07/08/23 06:33:39
武田信玄は、
近隣国に残虐な事しただけの馬鹿武将。
結局何をやりたかったんだか分からず犬死にした。
義心を持った上杉謙信の爪の垢でも煎じて飲ませてやるべきだったな。
328:日本@名無史さん
07/08/23 08:40:47
それこそ何の論拠もなしに
>>325とか>>327みたいないい加減なことを言う人達
の方が、ずっと問題だと思うがな
329:日本@名無史さん
07/08/23 09:30:35
織田厨は本当にどうしようもないな
330:日本@名無史さん
07/08/23 10:53:47
>>325
当時の石高だけ見ればそうだが、内部に長島、本願寺・雑賀と反織田勢力をかかえ
大軍を貼り付ける必要があり、浅井、朝倉が健在で、将軍家が暗躍している状況では、
信玄の西上時点では織田とは5分5分だろう。
331:日本@名無史さん
07/08/23 12:17:56
>>324
そういうことなら、私もロマンを書かせてもらいたいw
こっちだって素人だし、信玄上洛の意志について>>299
以外の根拠は逆さに降ってもでないんだけど。
定説通り、死因が肺結核なら元亀四年の正月には、もう
死期を悟っていただろう五十三歳の老将。陣中ながらも
正月の祝い酒で顔を赤くする功臣達を眺めながら、その
胸中を「ワシのわがままにつきあわせてすまない。この
一挙で家の滅びを招くこともあろう。それでもワシは、
師父快川紹喜のお手になる風林火山の旗を都に揚げたい。
許せよ、皆の者。」という思いが満たした、なんてねw
332:日本@名無史さん
07/08/23 13:01:25
役不足にだれも突っ込まない件
333:日本@名無史さん
07/08/23 13:13:53
またまた長文、ごめんなさいね。
>>323
信玄が、義国の系統の足利と新羅三郎の裔である自分を
血統的には同格と、思っていたということですか?
あり得るとは思いますけど、桓武平氏の末裔たる長尾や
在原業平の裔を称する長野も、さらには小笠原も村上も
もちろん信玄自身も、血統云々を名分に統治の正当性を
訴えた史料は残ってません。戦国大名は幕府職制上の職、
位階体系上の官位には執心で、猟官活動は盛んだけど。
下克上が当たり前の「下りはてたる世の中」にあって、
血統なんて天下簒奪の心理的障壁にもならなかった、と
考えます。秀吉や家康がやったように。信玄が足利家を
追い落とすならどんな名分を考えたか、秀吉や家康より、
守護大名上がりだけにかえって難しいかも知れません。
334:日本@名無史さん
07/08/23 14:23:00
御旗楯無をみるたびに新羅三郎の血統である事に誇りをもっただろうな
335:日本@名無史さん
07/08/23 17:15:55
お言葉の通りです。
支配階級に生まれた中世の人間が、自己の血統を誇りに思わない
などはありえず、>>333がそのように捉えられかねない、暴論に
近いことを認めて、>>323さんにも謝罪します。
336:日本@名無史さん
07/08/23 18:36:34
>>319
そんな事はない
信長の最大級の危機は尾張統一までと志賀の陣
岐阜移転からを天下統一の戦略構想の始まりとするなら志賀の陣が最大の危機
337:日本@名無史さん
07/08/23 20:41:26
>331
いいなー
そういえば今回の大河ドラマ快川和尚が全然でてこないですね
338:日本@名無史さん
07/08/23 20:48:24
>336
ちょっとググってみたけど志賀の陣は半端なくヤバイですね
信長の天下布武を一番打ち砕くところまでいってるのに朝倉もったいない
339:日本@名無史さん
07/08/23 21:19:13
>>337
快川紹喜はもともと美濃崇福寺の住職で、最初は
弘治元年から一年だけ恵林寺の住持になってます。
大河は、天文二十年の夏になったところ。孫子の
旗も勘助の進言に依るみたいな設定でしたから、
未登場でもおかしくないでしょう。
ちなみに快川が恵林寺に再入山するのは永禄七年。
340:日本@名無史さん
07/08/24 03:54:27
単なる田舎大名である武田を、
徳川、織田、豊臣と同じ土俵で語るのはおかしい。
何を錯覚してるのだろう?
341:日本@名無史さん
07/08/24 08:26:18
>>302
ひたすら城攻めていると思うが
浜松など主要な城を攻めていないのはまだ攻めれるような
攻めても落とせるような状況ではなかっただけじゃないか
三方が原後は北遠江刑部一帯を制圧しているし、それから野田城と
山間部からじわじわと攻める気だったんだと思うが
>>304
何でそれで「おだて」とかは成立しないになるんだ?
武田に織田家を倒すという意思があるように見えない限り
反織田諸勢力も時間稼ぎなんてしないから
武田は口では信長を倒したいと言ってるだけじゃ
この時期武田は似たような手口で飛騨や越中の勢力にも
上杉滅ぼしたいから協力してと言っているが
342:日本@名無史さん
07/08/24 11:10:39
くだらん
343:日本@名無史さん
07/08/24 11:53:23
>>341
釈迦に説法でしょうが、時系列に見れば・・・
遠州刑部で陣を張り年越し、この間、十二月三日に朝倉が江北から撤退。
「此の節信長滅亡の時刻到来候処 唯今寛宥の御備 労して功なく候か」
と、例の激越な非難の書状は十二月二十八日付。年明け後、三河に入り
野田城攻略。信長包囲網が既に崩れいているのを承知しながら、浜松を
ほったらかしてさらに西進。朝倉撤兵は、信長が岐阜に兵を引いたから
可能となった。つまり当初の状況より、信長と戦端を開く時期が早まる
可能性がより強くなったのを承知の上での西進です。
これらを考慮し、さらには義昭の和議斡旋に対し、せめて三河切り取りを
願い出ることすらせず、「どうか信長、家康を誅戮するよう御下知を賜り」
たいという書状の内容から、上洛意志はあったと見る蓋然性は高いと判断
しました。「おだてなどは成立しない」は断定的すぎる表現だったことは
認めて、撤回します。
344:日本@名無史さん
07/08/24 13:05:25
>>343
それは徳川ひきつけておくというアピールにも見える
今は徳川に集中して後ほど織田にも戦闘ふっかけるから後方で織田と合戦して釘付けにしておけばもっと
早く織田戦に参加できますよ、と言ってるようにも取れるな
345:日本@名無史さん
07/08/24 13:41:39
今でも疑問なのが、三方が原で徳川家康を打ち破って、なぜそのとき
家康にトドメを刺さなかったのか?酒井が太鼓を打ち鳴らしたとか
いろいろ云われてるようだが、逃げ込んだ城に攻め込んでトドメを
刺しておくべきだっただろう 信玄、一生の不覚だな
346:日本@名無史さん
07/08/24 14:07:40
>>344
2chでは長文が嫌われる傾向があるのは認めますが、
何を言っておられるのか、全く理解できません。
私の頭が悪いのは認めますから、もう少し丁寧に論理
的に説明してください。
347:日本@名無史さん
07/08/24 16:20:56
>>346
他人馬鹿にする前にもうちょっと考えたら?
348:日本@名無史さん
07/08/24 19:03:34
>>347
は?
解らないから解らないと、素直に聞いてるんですけど?
なんなら、あんたにお答えいただいても結構ですが?
349:日本@名無史さん
07/08/24 19:59:08
>>343
それ反論になっているのか?
浜松ほったらかしはいきなり攻めても落とすことは難しいという判断からでしょ
西進したといっても攻めたのは野田城、普通に長篠から南に勢力圏を伸ばしたようにみえる
1571年に三河攻めた時とさほど変わらない
>義昭の和議斡旋に対し、せめて三河切り取りを願い出ることすらせず
信長と和睦して徳川を討とうというのは虫が良すぎるんじゃ
信玄自身家康を信長先手と称したことがあるが、織田徳川を切り離すことは難しいのでは
いずれは上洛する意思があったかもしれないが
>>344の言うようにこの時点では織田を畿内に釘付けするため
現時点での上洛意思があるように見せているだけだと思う
もし本当に信長と戦う気があるなら信玄自身が書状で言っているように
野田城よりも東美濃に主力をまわせばいいのでは
350:日本@名無史さん
07/08/24 20:37:13
なるほど。
>>343で三河切り取りを持ち出したのは、上洛否定論の論旨が
「西進作戦は徳川領奪取が主目的」という論調が主であったと
認識していたもので、おっしゃるとおり、論理的には矛盾点が
ありますね。ここは撤回、謝罪します。
ようは野田城攻略後、懸如に義景再出陣を依頼したことも含め、
この時期の信玄の外交文書は全て、信長を畿内に釘付けするの
が目的、と言うことですか? 朝倉勢が再度近北に出張れば、
信長が岐阜からまた近江に戻ったと? 首尾良く信長が動いた
ら三・遠州、をいただくんですね?
で、三方原直後の家康でさえ「攻めても落とすことは難しい」
と判断したのなら、どういう状況になったら落とせるんです?
新たな援軍がどっかから湧いてくるとか? そのためになんか
信玄が動いていた、というような史料はあります?
あと、お時間有ったら>>344をどう読んだら、「この時点では
織田を畿内に釘付けするため現時点での上洛意思があるように
見せているだけだ」と、解釈できるのか、解説してください。
351:日本@名無史さん
07/08/24 21:31:54
>>350\.:.\: : : : : : : : :\:\ l:l: : : : : l l.:.:.:.:.:.:.l
\.:.\: : : : : : : : :\:\ l: l: : : : : :l l.:.:.:.:.:.:.l
\.:\ : : : : : : : : \:\ l: l : : : : : l l.:.:.:.:.:.:.l
\:.\ : : : : : : : : >‐┴―┴l: : : : : : ' ',.:.:.:.:.:.:l
ヽ.:.ヽ: : : :,. ',. ‐:'  ̄ ̄ `l: : : : : : :ヽヽ: : : : ',
ヽ.:.`,//: : : : : : : : : : :', : : : : : :ヽヽ: : : :ヽ
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iレ: : /: : : : : : : : : : / ',\: : : : : :\ヽ: : : : ヽ
l:l: : f : /: / : : :/_,. -―t :`'┬t、∠_ノ: : : :.:.ノ
,.-‐,.l:l : :l: //: : / V : :|i:! ,- 、  ̄ ̄
. /.:/.:)l: : レ'___∠_ ___ ヽ: _j:(.:\.:\
/.:/.:, イf:l : lイ .ハvハ' ハvハ`l .l:/ i\.:\.:\ そういうこと。わかった?
,. -'´.:./.:/ l `l : l` 弋zノ ヒ;zノ. ' レ:) / \.:\.:`'‐ 、
-‐ ' 「.:.:.:.:.:.:.:.:,/ ヽ_l : l ム ノ \.:.:.:.:.::.:.:`T' ‐--
l.:.:.:.:.:.:.:.:`: ー―---、 ' /r---――‐'.:..:.:.:.:.:.:.:.l
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l.:.:.:〉.:`ァ--‐― '¨Τ: :l.:.:>、 ,.ィ.:.:.:l: :l `¨ ' ―--f.:.:.l.:.:.:.:.:.l
-―-、.L___ノ Vl: レ-イ,_> - <_,!`<;l :ト、 ヽ____レ' '‐-
___r―----――く ̄l: l. fl:: : : : : : : ::l! l: lー‐ァ―-----―、___
ノ ). V f`ー‐-―‐'.l V .f´
352:349
07/08/24 21:38:24
>>350
全てとは言わないな
何らかの変があれば上洛に変わることも十分考えていたと思う
でも当面は徳川への対処が優先じゃないかと
>朝倉勢が再度近北に出張れば、信長が岐阜からまた近江に戻ったと? (ry
武田側の理想はそうだろうな、そして徳川を滅ぼすなり降伏させるなりして
次の段階へと進む、現実に出来るかは別問題だが
>どういう状況になったら落とせるんです?(ry
もっと孤立させないと無理でしょ、もっと周りの支城落として三河との連結を絶ったりして
>信玄が動いていた
三方ヶ原後刑部井伊谷周辺などを征圧して、浜松浜名湖北方も支配
その後野田城を落として、三河遠江間の交通路は海路と東海道以外武田影響下としている
十分動いているように見えるが
>あと、お時間有ったら>>344をどう読んだら(ry
日本語の説明なんてどうすればいいんだあ、そんな読めば分かるだろと思うが
この時点では=今は徳川に集中して
織田を畿内に釘付けするため=織田と合戦して釘付けにしておけば
現時点での上洛意思があるように見せているだけだ=徳川ひきつけておくというアピール
こんな風に説明すればいいのか?
344にはもっといろんな意味が含まれているかもしれないが
353:日本@名無史さん
07/08/24 22:12:18
まず信玄にとって一番避けたいのは織田主力との合戦。
これは兵力差から考えると当然であると思う。
例えば浜松攻めなかったのは自身の健康と江北戦線の状態から浜松攻めてる間に織田の援軍が来たらたまらないからと推測される
しかしここで退却したらやる気が無いと思われても仕方がない
ここでどうすれば西方諸国にやる気を見せて主力が来る前に退却出来るか考えると西進した方がいいという結果になった
もしもここで西方の大名が再び織田軍主力を釘付けにしてくれれば戦闘続行、来なければ信濃から退却し、何事も無かったように逃げ切る
信玄としては自分が生きている間にできるだけ領土を増やしておきたかった面もあるだろうし、西方には頑張って欲しかった
と自分が信玄の立場だった状況で孫子を元に考えてみた
自分自身信玄でないし、実際は違うかもしれない
漏れにはその周辺の史料からこう推測できたが、実際はどうなんだろうな
354:日本@名無史さん
07/08/24 22:26:13
>>352
いろいろとご教授感謝します。>>344も、なるほど
そういうことかと納得できました。
>全てとは言わないな
>何らかの変があれば上洛に変わることも十分考えていたと思う
この一言で、長々頑張ったカイもあったと感じてます。多謝。
355:日本@名無史さん
07/08/25 04:10:29
また信玄厨の創作劇場が始まったな
356:日本@名無史さん
07/08/25 11:16:32
>>345
三方が原の戦いは戦闘開始が夕方
357:日本@名無史さん
07/08/28 00:27:42
. ,、r‐''''''''''''''''ー 、
,r' `' 、
/ ヽ
. / , ヽ
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l. :;;;i ´ .._`ー ‐''"....|
l:,;'"`'、, . ,;ィェ、.. ,rェ;〈
. ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン .., .:::'''"゙,
l;゙、',.::l;;;i r ヽ. l, あぁ^~夏は下痢糞しか出ないからたまらねえぜ
l;;;;`‐;;;;;ヽ . './'ー'''ー‐' ', l;;;,,
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、
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:.:.:.:.| ヽヽ `'---‐'" .// ! |
358:日本@名無史さん
07/08/28 00:35:25
>>357
おまえ、畠山義統だろう?
359:日本@名無史さん
07/08/28 02:13:17
畠山義続じゃない?
360:日本@名無史さん
07/09/05 21:47:53
本を当ったところによると駿河を征服した後に東進論と西進論とあったみたいですね
織田と同盟を継続した状態で武田が東進した場合どうなっていたでしょうか?
361:日本@名無史さん
07/09/06 00:14:04
多分北条と泥試合になっているうちに、結局手打ちになって
西へ進むしかなくなる気がする
362:日本@名無史さん
07/09/06 00:25:48
>>360
武田の駿河侵攻で頭にきた氏康がすぐに武田軍を攻撃しているので、
東進論も西進論もないだろう。
363:日本@名無史さん
07/09/08 19:56:51
【風林火山】亀治郎の顔芸
URLリンク(vision.ameba.jp)
364:日本@名無史さん
07/09/10 18:20:42
あの傲岸不遜な信長が、武田に対しては異常な恐れを持っていた
だから信玄生存時には多額の贈り物をしていた
家康も一度は武田に手痛い目に合わされている 武田を軽く見るのは間違い
365:日本@名無史さん
07/09/10 18:43:10
はいはいわろすわろす
366:日本@名無史さん
07/09/10 19:37:31
武田なんて雑魚じゃん
信玄は若死にしてその馬鹿息子は逃げたあげく自害、
そして滅亡・・・
織田、徳川と同列で語るなんて500年早いぞ
367:日本@名無史さん
07/09/10 20:47:21
追放された信虎は駿河から京に移って後も 天下の情勢を息子に
書き送っている。
親バカといえばそれまでだが、信虎・晴信父子には不思議な絆が感じられる。
368:日本@名無史さん
07/09/11 12:48:22
ランク
A 徳川 織田 豊臣
B 北条 今川 毛利
C 上杉 村上 長野
D 真田 武田 小笠原
369:日本@名無史さん
07/09/15 14:08:17
ださいよ、信玄、ださいよ
370:日本@名無史さん
07/09/15 14:27:53
繧ャ繝√�帙Δ縺」縺ヲ蝎ゅ′縺ゅk縺梧悽蠖薙°�シ�
371:日本@名無史さん
07/09/15 15:14:10
ランク
A 今川 武田
B 小笠原 毛利 村上 諏訪
C 上杉(長尾)織田 真田
D 徳川 北条
猿 豊臣
372:日本@名無史さん
07/09/15 17:10:57
>>370
この人なんて言ってるの?
>>368で武田をDランクにされたから怒ってるようだが
373:日本@名無史さん
07/09/16 01:09:51
A 徳川 織田 豊臣
B 上杉 村上 真田
C 北条 今川 毛利
D 小笠原 諏訪
・
・
・
Z 狸 武田
374:日本@名無史さん
07/09/19 12:30:13
>367
源氏はどういうわけか?一族同士で内ゲバをやる
頼朝 VS 義経
信虎 VS 信玄
内ゲバが活力の源になっている点もあるが、他氏族より内ゲバが激しい
現代では家庭内暴力は源氏の家系に多い?つうこともないか?
ドイツなどでは内ゲバはないというが、日本的つうか源氏的つうか・・・
375:日本@名無しさん
07/09/19 12:34:02
別に源氏だから仲間ということはないし。
同じ一門なら利権争いのネタは絶えないし。
暴れ者同士なら尚更のことで。
376:日本@名無史さん
07/09/19 13:49:12
古くは義朝 VS為義や頼賢や為朝など
義賢 VS 義平
義綱VS為義 なんかもそうだね。
あと、
源義親
URLリンク(ja.wikipedia.org)
によると
源氏を継いだ、源為義と他の兄弟とは不仲であったようで、
他の兄弟は保元の乱、平治の乱をはじめ、
その後の、源氏の挙兵にも一切参加せずに、都にあって官僚の道を歩んだ
。地方の長官になっても源為義与党としての行動をとらなかった。
また、源為義が低い地位で地方の長官にもなれなかった時期にも、他の兄弟は高位につき、
長男、源義信は従四位下まで登っている。となってるね。
377:日本@名無史さん
07/09/19 21:43:11
いや、源氏の内輪もめは異常
378:日本@名無史さん
07/09/19 22:07:33
一族で仲良く昇進し、仲良く滅亡した
伊勢平氏に比べたら、
河内源氏~鎌倉将軍家の殺しあいぶりは異常だな。
379:日本@名無史さん
07/09/21 13:50:38
「骨肉、相食む」「一族の血を血で洗う抗争」
なんだか、兄弟間がライバル関係つうのを感じるね
我が身を、振り返ってそう思うよ まあ清和源氏だから仕方がないか・・・
決して平和的な氏族ではないが、内ゲバを続けることで戦闘力を保持できた
氏族ということは言えるかもしれない 他氏族から見たら異常だろうな
380:日本@名無史さん
07/09/21 15:42:41
仲が良すぎる平家一門が武門と家としては異常
381:日本@名無史さん
07/09/21 15:57:12
・織田信長=同母弟織田信行を殺害
・豊臣秀吉=甥豊臣秀次を切腹させる
・徳川家康=息子松平信康を切腹させる
・武田信玄=息子武田義信を切腹させる
・伊達政宗=同母弟伊達小次郎を殺害
戦国大名にとって、一族殺し合いは、お家芸。
382:日本@名無史さん
07/09/21 16:23:42
義龍も親父と戦ったな
織田信雄信孝も兄弟同士だし
今川義元もそうか
383:日本@名無史さん
07/09/21 18:02:14
源氏は異常
384:日本@名無史さん
07/09/21 20:06:38
おい、みのもんたがなんかスゲエこと言ってるぞ。
385:日本@名無史さん
07/09/21 22:04:24
武田信玄と家康が親子…
ありえない
よね?
386:日本@名無史さん
07/09/21 22:07:35
だっぷんは?
親子で死に物狂いの戦いかい?
ムチャクチャだ。
387:日本@名無史さん
07/09/21 22:13:48
あまり有名ではなく地元浜松のひとでも
あまり知らないが、例の家康ウンコが市内の
神社に納められている
388:日本@名無史さん
07/09/21 22:29:15
>>387
DNA鑑定すれば
本物かどうか確かめられそうだな
389:日本@名無史さん
07/09/21 22:35:36
>385
見てたけど無理ありずきな展開だったな
お大=ネヅ夫人?花菱は信玄特化の家紋という段階で
もう笑うしかなかったよ。無理ありすぎなせいか
後半かなり強引にまとめててだったら最初から無理に
放送することもなかっただろうにと思ったよ。
さすがにネヅ夫人に関しては米沢武田家から
クレーム出るんじゃね?
390:日本@名無史さん
07/09/22 02:45:29
さすがは何もかも誇大妄想の武田信玄厨
391:日本@名無史さん
07/09/22 19:00:11
武田の特長は構想力の大きさ
392:日本@名無史さん
07/09/22 23:18:32
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| まず、駿河を手に入れて港を確保し、琉球と結んで広く
| 交易を行って富を蓄える。さらに謙信を倒して、
| 越後の港を手に入れ、そこから支那へ渡り、
| 女真と結んで、大明国を滅ぼし、韃靼を経て天竺を制し、
| 天竺から波斯を制して、西班牙、葡萄牙までを版図に納める。
| しかるのちに産業と貿易を大いに振興して財力を兵力を蓄え、
| 朝鮮を制圧し、そこを足がかりに九州を、中国を制圧する。
| そうすれば、駿河と中国から信長を挟み撃ちにできる。
\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
O
o
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/ ヽ
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393:日本@名無史さん
07/09/23 14:32:20
明治維新は、
徳川の家臣になった武田残党 VS 諸藩に散った武田残党 の一騎打ち
今度は
官についた武田残党 VS 野に下った武田残党 の一騎打ちになりそうだな
面白くなりそうだ
信玄公にも、お楽しみあれ
394:日本@名無史さん
07/09/23 23:47:32
>>392
ずいぶんスケール大きな畠山だなオイ
395:日本@名無史さん
07/09/24 01:15:17
>392
ワロスw
396:日本@名無史さん
07/09/24 02:51:13
392は全然面白いとも思わなかったが、
394で不覚にもワロタ
397:日本@名無史さん
07/09/24 07:57:53
大河ドラマて、、
ドラマなんだよなWW
良く考えたら
398:日本@名無史さん
07/09/24 08:06:06
春日源五郎 虎綱 (高坂昌信) 1527-1578
始め春日源助、源五郎。元服して春日虎綱。
武田家四名臣の一人。春日弾正忠虎綱。高坂弾正忠昌信。
本名の春日姓で出仕し、改名して一時(香坂)高坂姓、後日また春日の姓も名乗っているため春日と高坂名が混在しています。
甲斐、石和の農家春日家に生まれ16歳で武田信玄の奥近習となり、使い番、侍大将を経て川中島の合戦時には信濃海津城の城代。
地下人(農民)出身でありながら譜代の家臣を抜いて一代で9千貫を領する重臣にまで取り立てられた武田家家臣中一の出世頭です。
春日源五郎は初め信玄の近習として仕え、格別に寵愛されました。 信玄が近習の弥七郎に手を付けたとして源五郎が腹を立てたのに対し、
「弥七郎には言い寄ったが腹痛持ちなので断られた。今までも弥七郎を伽に寝させたことは無い。これからも無い。そのように疑わないでくれ」
となだめたり言い訳している信玄の誓詞が現存しています。
永禄4年の川中島合戦では、海津城の城代として上杉謙信の出陣を甲府の信玄へ知らせ、城の守りを固めて攻撃に備え、戦闘時には本隊
から離れ妻女山を迂回する別動隊として働きました。
一時敗戦の色が見えた信玄を危機一髪で助け、合戦後は戦場に倒れている屍を敵味方の区別無く手厚く葬り、
上杉方の遺品も回収して越後へ届けたといいます。
上洛途中で信玄が亡くなり、その後家督を継いだ武田勝頼を重臣として支えましたが、勝頼主従とはそりが合わず疎まれることもありました。
長篠、設楽原の対信長、家康戦には参戦しませんでしたが、大敗を喫し逃げ戻った勝頼を迎え出て、用意した武具や服に着替えさせて
敗戦の惨めさを領民へ見せないように配慮しています。 川中島の戦後処理といい温厚で気配りの良い人柄が偲ばれるエピソードです。
399:日本@名無史さん
07/09/24 20:12:09
花菱紋の紋様がインドの城の城壁にレリーフで残ってるよ
場所はインドの北部、釈迦が最初に説法をした土地の近くの城だ
ある神主に「うちは隅切角に花菱が家紋だ」と言ったら「それは神紋だ」と
言われたことがある 武田も遠祖はインドあたりから渡ってきたのかな
400:日本@名無史さん
07/09/26 12:00:16
花菱アチャコ
401:日本@名無史さん
07/09/26 20:14:15
猛将勝頼のスレが無いんだが・・・
402:日本@名無史さん
07/09/26 22:56:25
>>401
もしも武田勝頼になったら・・・★7
スレリンク(sengoku板)
■■武田勝頼 総合スレッド パート2■■
スレリンク(sengoku板)
毛利輝元 vs 武田信玄&勝頼
スレリンク(sengoku板)
柴田勝頼4
スレリンク(k1板)
柴田勝頼!戻って来い
スレリンク(wres板)
403:日本@名無史さん
07/09/26 23:13:33
>>401
武田家が滅んだ時の当主だからなあ
それに何かと晴信が有名だし
もう、しょうがないだろ、人気が無いのは
404:日本@名無史さん
07/09/27 10:32:24
武田信昌 義父を殺して実権掌握
武田信縄 実父と弟をクーデターで排して実権掌握
武田信虎 叔父二人を族滅し義父を隠居させて実権掌握
武田晴信 実父を追放し傅役を抹殺して実権掌握
武田義信 実父を排除しようとして失敗、自殺
上に従わない国人の利益を調整していないといけない
甲斐という土地のお国柄なんだろうけど国守は大変だ。
405:日本@名無史さん
07/09/28 02:37:48
>>402
もしタイムスリップして勝頼の脳内に憑依してしまったら、
勝頼を動かして謙信と和を結び、甲、相、越の新三国同盟を締結、
同盟軍の一員として織田を攻め、織田・徳川を滅亡させる。
406:日本@名無史さん
07/09/28 22:42:01
北条。上杉どちらにもつけない三国にはじじょうがあった。
407:日本@名無史さん
07/10/01 05:34:07
>勝頼を動かして謙信と和を結び、甲、相、越の新三国同盟を締結
あの時代の武士は物理的なパワーバランスのほかに「面目」というきわめて重要な
バロメーターもあるからなぁ
408:日本@名無史さん
07/10/01 15:27:37
謙信の場合はそれがより強いなあ。
まあ逆に、面目や大義名分で吊れば、さしたる実利を与えなくても、
利用にできるという面もある。
409:日本@名無史さん
07/10/02 17:53:13
謙信はあれで利害に聡いよ
北条と同盟を組んだ時も共倒れを見越してか
北条が幾ら頼んでも武田の牽制をしなかった
なかなか戦国大名としてしたたかな面も持ってる
410:日本@名無史さん
07/10/03 00:35:16
>>402
おおっ!あったのか。サンクス。
若干違うジャンルの人間が・・・w
411:日本@名無史さん
07/10/16 17:05:42
ドキュンからバックアップうけている反日本記事捏造のアサヒる新聞。
恥ずかしくて公共の場では読めない新聞。
412:日本@名無史さん
07/10/22 15:25:02
猛々しい武田がボツボツ登場すべきではないか?と思われ
413:日本@名無史さん
07/10/24 08:00:28
有名な大盗賊、武田猛もボツボツ登場すべきではないか?と思われ。
414:日本@名無史さん
07/10/24 21:16:28
信玄ダサすぎ
武田二十四将ショボすぎ
415:日本@名無史さん
07/10/29 13:49:55
日本の成功者てのはよくよく調べるとみんな盗人名人だからな
盗賊だといって、別に恥じる必要はない
盗人名人は成功者、下手なのが監獄へ、ということよ
416:日本@名無史さん
07/10/29 23:41:40
信玄のやり方は汚いとはいえない。
憲法とかのない時代だからな。
あの時代の武将としてはもちろん有能な部類に入る。
417:日本@名無史さん
07/10/30 06:33:37
姑息な武将というのがピッタリ
418:日本@名無史さん
07/10/30 14:46:46
だがそれがいい
419:日本@名無史さん
07/10/30 14:52:41
織田信長がリスペクトしてる人物が斎藤道三と武田信玄じゃなかったか
420:日本@名無史さん
07/10/30 17:35:52
信玄厨必死だな
421:日本@名無史さん
07/10/30 23:22:22
信長は信玄を恐れに恐れていたという感じだな。
とにかく戦うのは避けようとしていた。
信長は、戦うものとは戦う、勝てないものとは戦いを避ける。
信玄に足りなかったのは、時代の先を見る能力だな。
422:日本@名無史さん
07/10/30 23:41:33
武田勝は本当に無能だったのか 作り上げられたイメージが独り歩きしてるだろ
スレリンク(news板)
423:日本@名無史さん
07/10/31 09:36:26
>>421
脳みそとな
424:日本@名無史さん
07/10/31 19:53:56
テレビに武田信玄公から17代目の若様がでてた
425:日本@名無史さん
07/10/31 20:22:30
竹田震源
426:名無しさん@お腹いっぱい。
07/10/31 20:52:53
>>421
信玄は自分の軍が絶対優勢じゃないと戦わない人ですよ。
そういったギャンブルに走らない点は流石といったところ。
上洛軍を起こしても、朝倉の援軍が絶望的になると進行速度を落として
早々甲州に引き上げてるし
427:日本@名無史さん
07/10/31 22:16:50
>>421
×信玄を恐れた
○多方面作戦になるのを恐れた
428:日本@名無史さん
07/11/01 02:07:35
信長が一枚上の次元にいるな
429:日本@名無史さん
07/11/01 17:13:32
信玄は後世の歴史評論家から過大評価されてるね。
戦下手で政略・外交も下手で、もし評価されるとしたら
①甲州法度之次第 制定
②信玄堤
くらいかな?
武田騎馬軍は無かったとされてるし、駿河手中後に編成された水軍も大して生かせなかったし
430:日本@名無史さん
07/11/02 01:25:06
信玄の場合、同盟→一方的な破棄というパターンが多過ぎる感はある。
そのため確かに領土は増えるけど、いらん戦いも増えていってる気が。
431:日本@名無史さん
07/11/02 04:06:59
>>426
×優勢じゃないと戦わない
○優勢ですら勝てないこともある
432:日本@名無史さん
07/11/02 12:57:14
晴信が凄いと思うのは、甲斐国の3倍の面積の信濃国を制圧した事かな
越後に長尾景虎がいなければ上洛して天下に号令をかけてたな
433:日本@名無史さん
07/11/02 22:21:58
謙信居ようが居よまいが越後の他の大名に阻まれて終わりだろ
謙信だってそんな軍神と呼ばれるほどの化け物じみた采配なんぞ見せてないわけだし
434:日本@名無史さん
07/11/05 09:42:26
信玄は明らかに過大評価だね
戦い方がかっこ悪いし
武田二十四将も大したことないしw
435:日本@名無史さん
07/11/05 10:00:32
上杉も武田も北条も東国の英雄
436:日本@名無史さん
07/11/05 11:49:51
同意。
割拠した英雄かな。
いずれ大打ち込みを受けて滅亡は必至。
信長は少し異常だな。信長が出現しなくても信長じみたヤツが出現して機内制圧に成功。圧倒的な経済力で
周辺を切り取ってゆくだろうな。
僻地だよ。甲斐は
437:日本@名無史さん
07/11/05 20:48:39
武田信玄が幾ら名将でも、あの甲州の山の中では、
どうにもなら無いだろう。
ドライブが好きで実際、長野、甲府に行ったが、ホンと山の中
あの山の中では、大兵力を養う生産力なんて期待できない。
軍にしても、武田が有力国人の寄せ集め+農民の徴兵。
圧倒的なカリスマを持った信玄だったからこそ、まとめられた
ようなもんで、それが無い武田勝頼には、戦略を立てても、
実務上はコマのように配下武将を動かす事もままならなかっただろう。
それに対し、信長は、圧倒的な経済力を背景にした傭兵集団。
それに、軍団長である武将の指揮権が圧倒的に強い。
たとえ、軍が壊滅しても、圧倒的な経済力を背景に再軍備。
地の利は如何ともしがたいと思う。
438:日本@名無史さん
07/11/05 21:21:09
晴信が天下取れなかった理由に、駿河に今川、相模に北條、越後に長尾と東国が強豪ばかりだったから
おまけに信濃を侵略したら、小笠原・村上・笠原・諏訪などと戦い、服従と裏切りを繰り返す小豪族との戦い・・・
国内は、兵力が消耗しきり商人や農民には重税を課せていたりと順風満帆ではない。
そこが京に近い信長のいた尾張との大きな違いであると思う
439:日本@名無史さん
07/11/05 21:37:26
信長は疲弊した機内でなく尾張という豊かな準先進国で生まれたから台頭できた。
飛躍できたのは地に恵まれていたから。
信玄は古典的名将。
440:日本@名無史さん
07/11/05 21:49:27
農業生産力が高い濃尾平野があって、津島での水運業による税徴収によって莫大な財力を蓄えた事が、織田信長が天下を取れた事と関係してるんじゃないか?
441:日本@名無史さん
07/11/06 00:55:28
>>437 木曽義仲
442:日本@名無史さん
07/11/06 13:31:18
>>440
信長って天下取ったの?
443:日本@名無史さん
07/11/06 13:45:10
甲斐という山国が信玄の代に駿河や信濃を攻略した。信長みたいに経済基盤があるわけじゃないのにすごいよ
444:日本@名無史さん
07/11/06 13:47:01
勝頼は侍大将として良いね
445:日本@名無史さん
07/11/07 11:29:55
>>443
そんなにはスゴクない。駿河に関しては、信玄は当時は織田と同盟し、
織田を通じて徳川とも盟約し、共同作戦で今川を攻撃している。それでも駿河制圧に2年かかった。
同盟してたのに急に反信長の盟主的な存在になり、徳川を攻撃したり美濃の岩村城を攻略されたりして、
信長は大激怒、謙信宛の書状で「信玄の行いは前代未聞のひどいもので、侍の義理を知らず、日本中の
嘲笑を顧みないものだ。遺恨は幾重にも重なり、尽きることが無い」と感情をぶちまけている。
信濃に関しては小大名が分立し、強大な勢力が無かったので侵略できて当然。
(それでも兵力が少ない村上に敗退したりしてるけどね)
446:日本@名無史さん
07/11/07 12:34:07
武田信玄、金山
毛利元就、銀山
447:日本@名無史さん
07/11/07 12:44:41
人口も少ないし
そのほとんどは
農民だろ。
信長とは基盤が違いすぎる。
優れた人物だが
いずれ大打ち込みをうけて滅亡は必至。
実際に滅亡したし。信長と感覚が違う。
もしもを語るなら
信玄があの時点で死ななくて進出したとしても一度の会戦では勝利したかもしれないが
やがてじり貧になり撤収を余儀なくされただろう。
そして大打ち込み。
448:日本@名無史さん
07/11/07 23:15:42
信玄はやり方が古すぎる。
農民中心とした軍事力では上洛などできるわけがない。
信玄が天下を取れた可能性はゼロ。
信長は兵農分離を不完全ながら実現した。
そして商業政策を盛んに行った。
これでは大きな差が出て当然。
信玄の周りが敵ばかりだから上洛できなかったというのは歴史の素人の言うこと。
信長の周りも敵ばかりだった。
449:日本@名無史さん
07/11/08 01:56:34
と、ど素人が語っておりま。
450:日本@名無史さん
07/11/08 02:49:50
>>448
それは極端だな。勿論信玄が天下を取れた可能性はある。
当時信長は約400万石とはいえ、伊勢長島、本願寺と国内に敵対勢力をかかえて
兵を貼り付けざるをえず、浅井、朝倉は健在、三好も敵対していて、信玄に対して兵力を集中できない。
いくら優れた経済力や先進思想を持っていようが、軍事で決定的な敗北をすればその時点で信長はアウト。
また、兵農未分離と言っても五十歩百歩、信玄、謙信などでも兵をひきいて出陣し、4~10月の農繁期の間、
ずっと帰国しないこともある。だいたい、村から根こそぎ動員してしまったら
信玄単独でも20万以上の軍勢が動員可能だw。
451:日本@名無史さん
07/11/08 02:55:16
20万は言い過ぎだろ。秀吉くらいからだろ。
452:日本@名無史さん
07/11/08 04:03:24
>>445
その2年の月日のほとんどは強力な北条相手の戦いで
今川自体は一ヶ月であっさり武田にやられて駿河から追い出されてるのを
なんで隠すのかね、この人は。
さらに書いておくと、信濃の大名だって小大名が多かったがそれでも武田だって
そこまで大きくは無かった。信濃の連中だって随分連合して武田に向かってる。
信長だって滅ぼした相手はほとんどが自分の勢力の半分以下がほとんど。
比率で言えば武田と大差ない。
453:日本@名無史さん
07/11/08 04:18:16
信長は徹底的な理系頭脳。
信玄とは比較しようがない。
いずれ大打ち込みは必至
454:日本@名無史さん
07/11/08 05:01:49
さっきから必死に信長と信玄に差をつけようとしているのはなんなんだ?
信長と信玄もどっちも優秀な大名で環境からその取った政策や勢力の伸張が
違っただけだろ。なんで無理に差をつけようとするんだか。
455:日本@名無史さん
07/11/08 05:16:21
信長と信玄の違いがわからない?
456:日本@名無史さん
07/11/08 05:25:00
とりあえず環境による政策や戦略の違いくらいしかわかんないな。
信長のやってることなんて大抵先例がある事ばっかりだし。
457:日本@名無史さん
07/11/08 16:00:34
>>454に同意というしかないな
最近は信玄を必要以上に過大過大と殊更に貶めつつ信長を持ち上げて
いっぱしの通をきどる奴も多いし
458:日本@名無史さん
07/11/08 17:17:46
信長厨の愉快な主張
信玄が国力2分の一以下の村上に苦戦した場合
ぷっw信玄弱すぎw
信長が国力2分の一以下の朝倉浅井に苦戦した場合
朝倉強すぎ!朝倉義景は過小評価されすぎだよ!名将だよ!
ちなみに村上が小笠原その他と連合していたけどそれらを加えないのはサービスです。
459:日本@名無史さん
07/11/08 18:04:14
信玄厨が故意に一向宗とか三好三人衆とか六角ゲリラを加えないのはサービスです。
460:日本@名無史さん
07/11/08 18:12:26
>>459
まあそういった連中を信長側に加算させるなら
信玄側にも他の信濃豪族連中を加える事になって
結局「苦戦しても仕方ない比率」とやらになるんじゃないか?
信長厨が信玄を叩くのは確かにダブスタな気がするわな。
461:日本@名無史さん
07/11/08 18:28:46
>>460
いや、信玄厨が叩く時には信濃の豪族は出すのに>>459は出さないねって意味で書いたんだけど
信玄は隙を伺って攻めて大敗、信長は裏切りに合って危機とかの問題点もあるがな
462:日本@名無史さん
07/11/08 21:14:07
そういえば、最近読んだ本に武田の騎馬隊は嘘だったと書いてあった。
当時の馬の大きさは、ロバほどしかなくそれに、騎馬隊の割合も
諸大名に比べて高いわけではなかったと。
あの本は信頼できるもんだろうか?
463:日本@名無史さん
07/11/08 21:36:58
>>461
問題点っつーか朝倉に普通に志賀の陣とかで痛い目に合わされてるだろ。
裏切りにあった事だった免罪符にはならないだろ。
そんな事いったら武田だって板垣が油断して戦場のど真ん中で首実検するなんて
非常識な事しなけりゃ負けなかった可能性は高いぞ。
村上に押し込まれた後も反撃して村上方の将を結構討ち取ってるしな。
464:日本@名無史さん
07/11/08 21:44:20
志賀の陣では文字通り信長は八方ふさがりだったからな。
465:日本@名無史さん
07/11/08 21:46:54
志賀の陣は言い訳できんわな。信長の完敗だ。ありゃ。
466:日本@名無史さん
07/11/08 22:31:21
>>462
騎馬兵の使用自体はあるよ。
当時の馬の大きさは現代のサラブレッドとかにくらべりゃそりゃ低いけど
モンゴル帝国の馬だってそれくらいだった。
戦闘用にちゃんと訓練されてればそれくらいの馬だって十分に戦場を駆け抜けられる。
そもそもサラブレッドなんか戦闘用には使えない馬だし。
ただ武田の騎馬武者の比率が他家より大きいわけではなかったのは事実。
でも武田の領土は名馬の産地を多く保有していたのも事実。
467:日本@名無史さん
07/11/09 01:12:25
騎馬率は
北条が11%で武田が8%だったと思う
468:日本@名無史さん
07/11/09 01:21:33
今「由布姫 ゆかりの地」で検索したら諏訪家の最後が紹介されてた武田2万が来たとウソばかり。おまけに「8騎を討ち取った」と大アピールだ
信玄自身の指揮の責任が問われるのは砥石だけだと思う。2敗のうち1敗は板垣のせいで奇襲くらった
469:日本@名無史さん
07/11/09 17:31:04
騎馬隊(騎馬のみ)の例は戦国時代で一例のみあるね。
騎馬隊を単独で編成し小笠原長時を急襲した塩尻・勝弦峠の戦いくらいだろう。
470:日本@名無史さん
07/11/09 20:04:22
騎馬の集中運用はそれくらいか
471:日本@名無史さん
07/11/09 23:31:16
騎馬隊の集中運用することは各家の惣領を集めて部隊を編成することになるが・・・
実際はそんな危ない真似は出来ない。
472:日本@名無史さん
07/11/10 00:11:49
戦術ユニットである「備」には普通に騎馬隊があるんじゃ?
473:日本@名無史さん
07/11/10 00:20:52
>>
騎馬のみを集中運用するのを騎馬隊とすれば、それは騎馬隊とは言わないだろう。
474:日本@名無史さん
07/11/10 00:23:42
>>462
信用できない
475:日本@名無史さん
07/11/10 00:30:13
>>473
でも実際に騎馬をそろえて備で使われてるわけで。
各家の惣領を集めた運用っていうわけじゃないのでは。
476:日本@名無史さん
07/11/10 02:31:04
なんで武田信玄=最強騎馬隊
勝頼=長篠で馬でパカパカ突進して鉄砲にやられた=時代遅れのバカ
というようなイメージになったんだろ
477:日本@名無史さん
07/11/10 06:41:51
>>476
徳川史観
478:日本@名無史さん
07/11/10 07:46:52
>466-476
あの本も一研究者が書いた本だから、100%信用できないけど、
少なくても、あの本を見る前は武田騎馬隊=中世無敵の騎士軍団みたいなイメージが
有ったんです。NHKでも、サラブレットを使って火縄銃の有効射程距離を何秒で駆け抜けるか
やっていたぐらいだから。
火縄銃にしたって、ヨーロッパではクレシーの戦いで、無理な突撃をしたフルンス騎士団が
壊滅的な打撃を受けているし、別に3段式でなくてもいいんですけどね。
モンゴルが使っていた馬もロバ程度だったとは、今はじめて知りました。
本当に何でもかんでも、疑って掛からないと駄目ですね。
479:日本@名無史さん
07/11/10 09:46:18
クレシーの戦いの時にはまだ火縄銃はありませんよ。イングランド軍の長弓です。
480:日本@名無史さん
07/11/10 11:08:15
>>476
最近は武田信玄自体そんなに強くなかったというのが定説
小説で作られた虚像ということになっている
騎馬隊もでっちあげ
481:日本@名無史さん
07/11/10 12:09:35
>>480
>>最近は武田信玄自体そんなに強くなかったというのが定説
どこの誰による定説なのか詳しく。
甲斐一国から百万石を超える領国を作り上げた人物を強くないとかなにそれ。
482:日本@名無史さん
07/11/10 12:14:15
>>481
2chの信長厨内の定説。
483:日本@名無史さん
07/11/10 12:27:46
>>476
武田は山岳地帯に慣れた馬を数多く保有し、それに多くの荷物を運ばせて
小荷駄をつくり、山岳地帯における高い機動力を確保したという説がある。
武田の領国内に名馬の産地は多いしその効果もあったのかも。
んでそれらによって出来た武田の騎馬は強いというイメージや風評が江戸時代に
なって講談によって拡大した。
史実として長篠では勝頼は兵力圧倒的劣勢にも関わらず織田・徳川の厳重な陣地に
一日中突撃を繰り返すという事をやって壊滅している。
これを端的に説明するのにも「武田には突撃力において強力な騎馬隊があり、それに
自信を持って突撃したけど信長の鉄砲戦術に敗れた」という説明はわかりやすく、
そういったイメージが定着していった。
484:高校生旅人
07/11/10 14:57:04
>>480 私の尊敬する武田晴信になんてことを。山国の甲斐が駿河侵攻し領土化・小田原攻めをしたり途上の峠の戦いの山岳戦で勝利を収めた。素晴らしいことじゃないか。
駿河攻略に2年もかかた→それは北条が予想外(想定内だったかもしれんが)に今川に援軍を出し家康と連合になるのを恐れたからだ。損害が予想される連合軍と戦わず一人ずつ敵を倒していくのが素晴らしい。
信長厨へ…あなたの尊敬する人は高天神城が武田に攻められたとき、恐怖のあまり兵を出さなかったしようやく出陣しても牛のような進軍速さでしたね
485:日本@名無史さん
07/11/10 15:30:17
武田信玄も上杉謙信も言われるほどは強くなかった
だけど貶されるほど弱くもなかったのは事実
こんな所じゃね?
流石に弱かったらあそこまで勢力は拡大できないのも事実だしな
失策っぽいものはかなり多いが
486:日本@名無史さん
07/11/10 15:40:37
失策っぽいものってどんなん?
487:日本@名無史さん
07/11/10 15:48:47
史実の武田って随分手堅い戦略で着実に領土を広げてる感じだけどな。
その分爆発的な拡大が無かったのは事実だけどそれって失策か?
488:日本@名無史さん
07/11/10 17:04:37
戦国時代において国力にあわない領土拡大をしたからって失策にはならないと思う
489:日本@名無史さん
07/11/10 18:05:21
>>484
それは高天神城救援と見せかけて、実は長島一向一揆
征伐に向かうためだったんじゃまいか
490:日本@名無史さん
07/11/10 20:46:13
URLリンク(ja.wikipedia.org)
491:日本@名無史さん
07/11/10 20:51:02
>>490
なんだこの記事?中学生がいたずらで書いたのか?
492:日本@名無史さん
07/11/10 21:52:43
義信事件と今川攻めは最大の失策に入るんじゃまいか?
もし今川攻めを失策としないなら、今川攻めてる最中の徳川への攻撃は失策以外の何者でもない
493:日本@名無史さん
07/11/10 21:59:42
今川攻めはそもそも今川自身が武田と織田の同盟を見て不信感を抱き、
上杉とかとも組んでいたからいづれやらなきゃいけなかった。塩止めもされてたし。
徳川への攻撃は確かに失策。でもちゃんと取り返したけど。
494:日本@名無史さん
07/11/10 22:44:45
基本的に晴信は「同盟=破るもの」みたいな感じの施策が多い気がする。
騎馬隊については、何とも言えないらしい。「千人のうち数騎」みたい
な記事もあれば、「小幡勢は馬の功者なり」「つづいて乗り入れ」という
記述も「甲陽軍鑑」にはあるというし
495:日本@名無史さん
07/11/10 23:15:35
戦国時代だしねえ。陰謀裏切り当たり前の時代。
496:日本@名無史さん
07/11/10 23:42:19
氏真は最初の頃は武田との同盟を強くし西に目を向けたかったらしいが信玄は三国同盟破棄したからな
失策といえば北条との戦いは100%無駄だったね。両者とも利益なし
497:日本@名無史さん
07/11/10 23:56:21
氏真は義元が討たれた後、織田に弔い合戦をしようかとか考えなかったんだよね
結局、氏真を見限った松平などの小豪族が織田についてしまったし
498:日本@名無史さん
07/11/11 00:02:11
>>496
駿河とれたじゃん。北条との戦いでは。
499:日本@名無史さん
07/11/11 01:42:45
>>498
その為に大幅に時間を取られたのも事実
その時の箕輪城代も討ち死にしてるし
500:日本@名無史さん
07/11/11 10:55:16
まあ豊かな駿河を取るのに2年くらいですんだのは早いペースといえんでもない。
北条が出てくるのはある程度必然でもあるし。
501:日本@名無史さん
07/11/11 11:34:52
駿河は取れたものの結局西方作戦直前に再度同盟
武田は北条が駿河攻略に一定の理解をするではと少し希望があった。武田は北条を度々救っているし。
2年かかたのは家康と北条が一体となり武田と戦うのが危険すぎるから。とりあえず抑えをおいて一旦下がってまずは北条を潰す、そしたら家康なんてちょろいものだ。
被害が予想される連合軍と戦わず一匹ずつ叩くのが勝頼と信玄の違いだな。
502:日本@名無史さん
07/11/11 12:41:56
信玄は1571年1月にに北条の駿河においての重要拠点である深沢城を攻略した後
2月から上杉と組んだ徳川に対して侵攻作戦をやってるんだよな。
山家三方衆を服属させ、足助城、大沼城、田代城、野田城を攻略し二連木で
徳川軍を撃破したりと文字通り鎧袖一触だったんだよな。
高天神を攻略できなかった事がよく言われるけど先に進むことを優先した結果であって
高天神を放って進軍して上の戦果をちゃんと挙げてるし。
503:日本@名無史さん
07/11/11 12:59:20
1571年の徳川領土侵攻は吉田城にも放火してるな。
家康が間一髪で吉田に先に入って守りを固めたから武田軍は攻撃をやめたけど
下手すればここで吉田が攻略されて徳川領分断の危機だったな。
504:日本@名無史さん
07/11/11 20:40:41
大河ドラマ
義元死んだ~
505:日本@名無史さん
07/11/13 00:13:46
駿河侵攻で貴重な時間を浪費したことは確かだな。
氏康は越相同盟を維持するつもりであり、氏康の再同盟遺言説は最近では否定されているので、
もし氏康が死んでいなかったら、まだ信玄は駿河あたりでうろうろしてるだろう。
しかも、駿河侵攻は嫡男武田義信と義信派の飯富虎昌らを粛清する事態になってしまい、
家中に亀裂(信玄在世中は表面化しなかった)を生じさせたことが大きく、
その亀裂は後年の長篠の戦いでの御親類衆の勝手な戦線離脱や、
武田征伐時の武田信廉の大島城放棄、穴山氏の裏切りなどに現れる。
なにも駿河に侵攻しなくても、後年岩村城を攻略した路線で美濃制圧、
ひいては上洛を目指せばよかった。
506:日本@名無史さん
07/11/13 01:59:12
海が欲しかったんだろうな
氏康は武田が攻めてくるたびに上杉に支援を要請するが無視されるし、関東での争いでは互いが敵だから上杉自体を良く思っていないだろう。対武田に対ししか使えない同盟。
一方中央(関西)では着々と時代が動いている。田舎(関東周辺)での小競り合いなんてせず進出を目指せば良かったのにというのが私の結果論です
507:日本@名無史さん
07/11/13 08:24:32
つか氏康が死んだらさっさと同盟が結ばれてることからして
北条内部じゃ全然動いてくれない上杉に対する不満は大きかったんじゃないかね。
信玄と組んだ反北条勢力との争いも厄介だし、それに集中する為にも北条は
武田との再同盟を選択した。氏康もいづれはその結論に行き着いたように思えて仕方がない。
氏康でもすでに家督を継承している氏政や家臣団の意思をいつまでも無視できないだろ。
508:日本@名無史さん
07/11/13 13:29:26
うむ。氏康の再同盟遺言が無かったとしても、上杉が全然あてにならない以上、頼めば共同出兵してくれて頼りになる武田との再同盟論は北条側にもあったと思う
509:日本@名無史さん
07/11/13 14:08:05
越相同盟は上杉の力をたよりにしてきた北関東の中小大名にとっては大衝撃だったが、
謙信にとっては北条を攻撃しないだけ有難く思えということだろう。
ただ、このおかげで謙信は越中の平定に集中でき、同盟の翌年に富山城を攻略している。
510:日本@名無史さん
07/11/14 01:51:49
武田は北条が小田原攻めにあったときに越後国境で大暴れして上杉を驚かせたり上野を一緒に攻めたり氏康を何度も救っているよ
大げさかもしれんが河越夜戦も武田が今川との仲介をしてくれたらこそ勝てた。
再同盟後すぐの信玄の西方作戦にも援軍を出しているし北条にも武田に恩みたいなのがあったんだろうね。氏康が駿河攻略時に今川に援軍を出したことを考えると氏康が死んだからこそ再同盟ができたとも考えられるな
511:日本@名無史さん
07/11/15 08:49:21
後の天下人・徳川家康にも戦の何たるかを教えたし、偉大な武将だな
512:日本@名無史さん
07/11/17 19:19:51
>>510
越後国境だっけ
碓氷峠だったと思うけど
この頃はまだ箕輪城は健在だったし(業正死後も武田を追い払ってるし)
上杉が慌てたというのは本当なんだろうか
小田原城の解囲後(鎌倉で就任式~古河城の始末~病気の療養)の動きを見ると
それほど慌ててるようには見えない
513:日本@名無史さん
07/11/18 20:50:57
, -──-= 、
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,'.;;;;;;;;;r'"´ ̄``''''゙゙゙`ヾ;;;;、 / ヽ
j;;;;;;;, ′ ヾ;', 丶
,j;;;;;, ′- 、 u ! | u リ 、----ヽ、 ヾ- ' ' ';'' ` 、 l
」;;;;;,′ -≧y__j _,._ 、',、__ ; ;、__,_ `` | 武田信玄は高坂弾正を愛しています。
ハ;;;′ { ゞ 、 ', _| /
いリ ` |,, ', / 世界中の誰よりも
(_ノ ´ y、ュ .! / | ヽ、///// /
i ,T三ゝ| .! └- /
l .:;;;' ニニ´';:;, ! i_,i /、
, イ', .:;:.:;:.:; '゙゙゙゙゙''. :;:;.:;.. ,′ ∨ /ノ.:.\
''"´ ヽ .:.:;:;:;:;;;;;;;;.:.:;:;:;;;;' /'ヘ ,//.:.:.:.:.:.:.\
ゝ、、 .:;:;:;:;:;;;;;;;;:;::'′, ':.:| `ー-= - /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.\
``ー-----‐'''゙゙´.:.:.::| `ヽ /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::ヽ
514:日本@名無史さん
07/11/19 14:26:53
URLリンク(ja.wikipedia.org)
515:日本@名無史さん
07/11/19 16:50:12
昨日の大河ドラマの最後の事件って事実?
516:日本@名無史さん
07/11/19 17:49:06
鎌倉での関東管領就任式は三月
その後、古河城に居た近衛前久が政虎へ宛てた六月の書状で
成田長泰は人質を出したが箕輪は出さない(上杉文書)と報じている
よって打擲事件で成田が北条方へ寝返ったというのは嘘
517:日本@名無史さん
07/11/19 21:38:46
成田長泰打擲事件って歴史の捏造
上杉政虎が長泰の烏帽子を打ち落としただけだから
518:日本@名無史さん
07/11/19 23:27:43
十分に無礼
519:日本@名無史さん
07/11/20 20:53:57
武田信玄は天下統一を目指したの?
それを示唆する一次資料はある?
520:日本@名無史さん
07/11/20 21:04:59
>>519
天下統一かは知らんけど義昭助けて信長倒して上洛して天下静謐の馳走をするとは
書状で述べてる。
521:日本@名無史さん
07/11/24 13:16:49
大河ドラマ1561年で終わるなんて悲しいな
522:日本@名無史さん
07/11/24 15:22:11
だがそれがいい
523:日本@名無史さん
07/11/25 01:19:17
確かに
駿河奪ったあとから見ると川中島で失われた4000の命は?ってことになる
川中島の戦いの意味がない
524:日本@名無史さん
07/11/25 16:42:54
勝頼は信勝の後見人、という話は甲陽軍艦だけの話と思っていたら、
長篠城史跡に行ったら、遺言状が残っていた。
あれって、後の時代に作られたもの?
525:日本@名無史さん
07/11/25 19:05:14
秀吉も、北信濃四郡のために五回も川中島の戦いしたは無益な戦だったと酷評している
526:日本@名無史さん
07/11/25 20:30:38
今 大河にいる 香坂って奴さ、長篠で負けた勝頼に着替えを用意した人?
527:日本@名無史さん
07/11/26 01:26:36
信玄の恋人
528:日本@名無史さん
07/12/02 19:58:06
信玄って同性愛者なんですか?
529:日本@名無史さん
07/12/04 07:18:44
戦国時代はバイセクシャルが多い
530:日本@名無史さん
07/12/04 22:05:10
2007年最も検索された戦国武将名ランキング
URLリンク(news.ameba.jp)
531:日本@名無史さん
07/12/04 23:28:16
>>525
越後や駿河に進出して上杉や北条と無駄に戦うよりは、
美濃に向かうのが正解。
532:日本@名無史さん
07/12/05 19:15:18
歴史全然分かんなくて申し訳ないんだが誰か教えてくれ。
武田家滅亡って全滅なの?
信玄の子孫で
533:日本@名無史さん
07/12/05 19:16:19
歴史全然分かんなくて申し訳ないんだが誰か教えてくれ。
武田家滅亡って全滅なの?
信玄の子孫で千葉方面に逃れた人達って居ない?
上総武田氏とは別で。
534:日本@名無史さん
07/12/05 21:46:31
>>533
答えるから落ち着けw
全滅ではない。信玄の次男信親の子孫は幕府の高家。途中養子が
入っているが、信玄の祭祀を行っている。現当主がオセロ対決した方。
信玄の7男、信清は高野山へ逃れた後姉の夫・上杉景勝に仕える。
あと、5男盛信や信玄の弟の子孫も旗本。
上総方面では、盛信の子が上総武田氏を頼って落ち延びたという
伝承があり、盛信の武具や肖像を伝えている。また、当時の上総武田の
当主にも、信玄の三男の後身であるという伝承がある。
535:日本@名無史さん
07/12/06 04:01:25
>>534
ありがとう!
>盛信の武具や肖像を伝えてる
って事は今のその家系の人ははっきりしてるのかな?
実は自分ちがどう関係してるのか知りたいんだが
どこまで話していいかわからん…
536:日本@名無史さん
07/12/06 12:15:15
>>535
安心して全部話しちゃいなよ!
537:日本@名無史さん
07/12/06 13:44:13
>>535
おらおらおら!
ゲロっちまえよ!
538:日本@名無史さん
07/12/06 13:56:36
>>536
マジありがとう
っても多分特定されないしそんな大事じゃないと思うんだけど。知らなければならない事情も無いし。
うちの名字は武田だし家紋武田菱なんだけど大きな家でもないしあんまり気にしてなかったのね。
でも何年か前から親が調べしたんだけど家系図残ってなくて全然分かんないんだ。
で、地方は上総で、周りに上総武田氏だって人は居ない。
漠然と上総武田氏の流れかと思ってたが古い書物に信玄の名前があったらしいから信玄より下の流れらしい。
「御武」というのがキーワードらしく家の裏に小さい祠みたいなのがある(筍により破損)
昔は墓守をしてたらしい。
刀も残ってたらしいが錆びてぼろぼろだった上にトーチャンがちゃんばらで…
情報少なくてスマン何か分かる事あったら教えて欲しい。
539:日本@名無史さん
07/12/06 15:56:40
>>538
ウィキペディアからひろってきた。
ちなみにうちの母方の先祖は信玄の家臣だったが、家紋は武田菱。
武田家から貰ったのか?その後井伊家に仕官する際にねつ造したのか?
家紋が武田菱だから武田家とは限らないという例。
上総武田氏
URLリンク(ja.wikipedia.org)武田氏#.E4.B8.8A.E7.B7.8F.E6.AD.A6.E7.94.B0.E6.B0.8F
仁科盛信の子孫
URLリンク(ja.wikipedia.org)仁科盛信
>三男:晴正 上総武田家最後の当主武田豊信に頼り、落ち延びたとされ、子孫は現存しているとされる。
武田豊信
URLリンク(ja.wikipedia.org)武田豊信
>上総武田氏当主。武田清信の養子とされている。一説には甲斐武田氏の武田信玄の三男信之が養子として入ってきたとも言われている。
>上杉謙信と北条氏康が越相同盟を結んだときに、これに対抗する里見義堯と武田信玄の同盟(甲房同盟)の仲介をしたとされている。
>近年では上総武田氏庶流出身説や上総多賀氏出身説なども唱えられてはいるが、現存の上総武田氏関連文献は少なく、かつそのほとんどが甲斐武田氏出身説を採っている。
540:日本@名無史さん
07/12/06 17:51:36
>>539
ありがとう。聞いといてなんだが可能性を肯定する要素がないから
家系図が見つからない限り途方もない話なんだよな。
仁科盛信が可能性として残ってはいるけど
信玄とか上総武田氏とか関係ない、もしくはあっても離れ過ぎてるって事もあるってとこかな?
あと須田って名前が墓石にあったらしいんだけどヒントになるかな?
541:日本@名無史さん
07/12/07 18:08:38
>>540
須田っていってもありふれた名字だから...
戦国時代だと信濃の豪族にもいるし、千葉の一宮城主にも須田というのがいたらしい。
情報が少なすぎるので肯定も否定もできない。
上総武田氏も、里見と武田信玄の同盟の仲介をしたわけだから関係ないとも言えないし。
逆に極端な話、ただ単に墓守をしていただけって可能性だってありえる。
古文書とか今はいっさい残っていないの?
祠や墓石とか専門家に見てもらえないのかな?
しかし見てもらえたとしてもはっきりはわからないかな
上総武田氏自体の文献が少ないし。
第一、武田信玄すらわかってないことが多い。
調べてみたら面白そうだけど
542:日本@名無史さん
07/12/07 19:13:14
>>541
そうかぁ…やっぱ情報少ないよね…
私自身も今実家から離れてるからあんまり詳しくないし。
書物はもう無いんだけど親が系図探したりしてるから
正月に帰った時何か分かるかもしれない。
正月明けに聞きたい事あったら情報まとめてまた来ます。いろいろありがとう。
543:唐松山
07/12/07 23:27:49
武田の直系でなく 長野県に住んでいたとしたら。
秀吉による 関東移封も 視野に入れてください。
私の家系も 小笠原が 関東に移封され戻ってくるまでが判りません。
多分 一緒に付いて行った口だと思います。
関東で分家他の大名に仕える。 かも
544:日本@名無史さん
07/12/08 01:34:33
>>543
そんな可能性もあるんですか!!なんか甘く見てました。
今ちょっとググってたらもしかしたら
家紋は武田菱じゃなくて丸に武田菱だったような気がしてきた…。
正月に確認してきますorz
545:日本@名無史さん
07/12/08 18:27:23
>>544
各地の武田家が、武田菱とともに、丸に武田菱も使っているので
その辺は矛盾しないけど。
ただ >>539 でも書いたけど、今家紋が武田菱だから先祖が武田家とは限らない。
正月待ってます。
546:日本@名無史さん
07/12/08 18:33:16
先祖の名前からどの系統か類推することができる 名前をつけるときに
うちなんかは家系図から名前を拾ってたようだ 松太郎とか竹五郎なんてのもある
名前に武田の系統の名前が無かったら、まず違うだろうな
547:日本@名無史さん
07/12/08 19:41:39
>>554
家の家紋って一つじゃないよ?
3個くらいあってあたりまえ。
548:日本@名無史さん
07/12/09 13:01:27
普通は表紋と裏紋の2種類だろう 不都合なことが起こったときに名前と紋を
裏に変えてたようだな ほとぼりが冷めてからまた表に戻すなんてこともあったようだ
家の配置も表陣屋、裏陣屋なんて名前をつけていたようなケースもある
549:日本@名無史さん
07/12/09 13:22:55
ホゥ~
550:日本@名無史さん
07/12/09 17:16:03
こんなにレスつくとは思わなくて嬉しいです(ノω・、)
先祖の名前調べてみます。
家系図無いので父に聞ける範囲と神社に残ってる名前までですが。
ひいおじいさんもおじいさんも早くに亡くなったからかなぁ、
あんまり家柄についての事が伝えられてないのが残念になってきました。
有名どころじゃなくても分かってる方が良かったなぁ。
御武(みたけ)については何か分かりませんか?
>>538に書いた祠みたいな物の事です。
分家の屋号も御武になってるし、気になるんですが。
551:日本@名無史さん
07/12/09 17:38:21
住んでる場所について補足です。
周りに上総武田氏だって人が居ないって書いたんですが
地域が微妙にズレてるっぽいです。
真理谷がかなり近いんですが
その辺には行かないので情報が無いだけかな。
って地図見てたら御嶽神社って近くにあるジャマイカ!!
我が家の「みたけ」について調べた時長野の御嶽神社と関係が!?
って思ってたんですがこっちの神社が関係あるらしいです。
552:唐松山
07/12/09 20:06:46
甲州で御岳といえば 金桜神社?
百姓、などの 調停に 撞くのが 此方の鐘
信玄が調停 の時撞くのは,諏訪の鐘
格が 全然違います。
鐘を撞く=神明に誓う。
553:日本@名無史さん
07/12/09 20:17:15
12000程度で妻女山を攻めると上杉が山を降りると確信できる理由が昔からわからん
554:日本@名無史さん
07/12/09 20:27:26
女紋などもあるから家紋はたくさんある。
父方の紋に裏表。母方の紋に裏表
今当主になっている家の紋はもとより、絶家になった自分の家よりも
家格が上の家の紋も用意される。
あとは氏族特有の紋、二両引きとかがこれにあたるかな。
家紋もいろいろある。
555:高校生旅人
07/12/09 20:31:38
>>553
海津に入るまでに信玄が補給路を止めたから上杉は山を降りる機会を伺っていると予想した。
上杉も多少、山に軍を残してたから別部隊、戸惑ったようだな
車係りの陣、絶対ウソだわ。
というか山を1万単位の軍勢が一晩で動けるのもおかしいな
午前10時から武田が勝よ
556:日本@名無史さん
07/12/09 20:34:03
>>555
山を降りるとすれば攻められて降りるのは愚の骨頂。
実際は予想したから山を降りたが、そうでないときは山で守るほうが上策では?
557:日本@名無史さん
07/12/09 20:35:14
>>555
山を降りるとすれば攻められて降りるのは愚の骨頂。
実際は予想したから山を降りたが、そうでないときは山で守るほうが上策では?
558:高校生旅人
07/12/09 20:42:37
山だから補給に限りがあるってことを考えたのでは?
信繁の死が美化されてて良い。信繁が突撃した間に陣を整え12000が来るのを待った。感動だね
風林火山の人たちは死にながら喋るのが良い。
啄木鳥戦法はウソだと思うよ。隊を2つに分けたとしたら善光寺の兵を討つためだろう
559:日本@名無史さん
07/12/09 20:45:04
車掛りなんて陣形もうそ臭いし
560:高校生旅人
07/12/09 20:50:39
車係りはウソだろ
敵陣がクルクル周りながら攻めてくるんだぜ。日本海軍マニア風に言うと対空警戒体型で空母(大将)の周りを何隻もの駆逐艦がクルクル空母の周りを回っているような感じ
恐ろしいけどありえない。
12000が下山して車係りなんて…