07/05/07 20:29:33
もっと極端に古典的思考をもっていたのが、上杉謙信であり、関東に関東管領の上杉家の権威をもって攻め寄せた時も、
家来が遠征した先々で略奪をしたので、信を失い、越後に退却せざるおえなくなったようです。
武田の軍も上杉の軍も平気で敵地から略奪していたようですね。
特に、上杉軍は飢饉で冬が越せそうにもないときは、家来が餓死しないように、信濃に侵攻し、略奪してたみたいです。
信濃への侵攻は、略奪目的なので、武田と戦う気はサラサラ無かったようです。
一度、川中島で対峙していたとき、霧にまぎれて撤退しようとしたとき、偶然、武田軍と遭遇して大乱戦になったときがあったそうです。
武田信玄としては、重臣たちの脅威が怖かったので、上杉が食い詰めて信濃に攻め込んでくると、
新規に登用した家臣を前面に押し出し、手柄と称して位と兵を与え、自分の子飼いの武将を育成するための格好の利用場だったようなので、
全然上杉と戦争する気はなく、お互い、ある程度、馴れ合いの部分があったそうです。
それだけに、川中島の霧の中で敵軍に遭遇したとき、
「やる気が無いように見せかけて、実はそれは罠で、本当は本気で、こちらを殲滅する気だったんだ!」
とお互いの将兵が思い込み、死に物狂いの乱戦になり、互いに多数の死者を出したようです。