07/05/16 19:17:58
>>243
長いのではしょって書くけど前後の文は両方ほぼ同じ。
17日
自然暴挙も不破計抔との御疑念を以非常の備を設け被差遣候ては、
又、礼を失せられ候得ば、是非交誼を厚く被成候御趣意貫徹いたし候様有之度、
其上暴挙の時機に至候て、初て彼の曲事分明に天下に鳴らし、其の罪を可問訳に御座候。
15日
自然暴挙も不破計抔との御疑念を以非常の備を設け被差遣候ては、
又、礼を失せられ候得へば、益々交誼を厚く被成候御趣意貫徹いたし候様有之度、
其上暴挙の時機に至り候はば、彼の曲事も判然可致候に付、其罪をに天下に鳴して、
征討可致訳に御座候。
>>244
西郷にとって名分条理を貫くことがなによりも大事
だから武力的征韓論派とか平和的使節派遣派とか関係なく、
まず第一に使節派遣で、駄目なら初めて武力行使という形を
構想していたんじゃないかっていう考えの人もいるね
8年の篠原への手紙は征韓論者とは思えないけど…