人格者西郷隆盛先生は"反〟征韓論者であるat HISTORY
人格者西郷隆盛先生は"反〟征韓論者である - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
06/08/25 02:46:45
セクースしようとする度に

玉の海「勝昭…」
勝昭「この朝鮮人野郎!!」
高鐵山「北の富士は見るのも好きだった」
勝昭「もっと高鐵腰を振れ」
高鐵山「正直余計なお世話だと思った」
ってフラッシュバックするのか


3:日本@名無史さん
06/08/25 13:41:07
またピザスレか・・・
芋でも食ってろデブw

4:日本@名無史さん
06/09/09 17:23:43
12345678901234567890123456789012345678901234567890123456789012345678901234567890123456789012345678

5:日本@名無史さん
06/09/09 17:41:30
征韓論だから善だとか悪だとかいう事は無いんだよ。
西郷は征韓論を支持していたが悪人ではなかった。

そして征韓論は時期尚早だったから誤りだった。

征韓論だから悪なのではなく、悪ではないから征韓論ではない訳ではない。

6:日本@名無史さん
06/09/09 17:48:50
朝鮮には清がバックに居る事の意味を考えずに武力行使に訴える馬鹿丸出しの征韓論は元を辿ると木戸や板垣の意見。

西郷は必要なら武力行使を辞さないが、まずは自分が命を張って談判に徹しようとした。
話してダメなら力ずくでもやむなしという意味では征韓論なんだけどね。

7:日本@名無史さん
06/09/09 18:02:05
李氏朝鮮の身分差別は酷かったらしいからなぁ。

8:日本@名無史さん
06/09/09 18:05:25
征韓論か否かはどうでもいい。
西郷隆盛が空前絶後だったことは紛れもない事実なんだから。

9:日本@名無史さん
06/09/09 21:38:12
>>8
それは違うな~、西郷を語る上で征韓論問題は避けて通れない。僕は西郷と言う人間が大好きだからこそ
今の間違った西郷についての一般的なイメージ(堂々と征韓論をぶって、旧武士階級の不平、不満を解消
すために、それらを集めて軍隊を送り朝鮮を侵略、植民地化しようとした)を改めてほしいと思って、こ
のスレを立ち上げたのです。人間的な心の大きさ、優しさ、誠実さ、包容力、決断力。西郷はこれらをす
べて合わせ持った、長い歴史を持つ日本に置いても他に類を見ない、世界に誇るべき真の「英傑」です。
だからこそこの様なイメージが今や固定化されて蔓延していることが、非常に残念でならないのです。征
韓論と呼ばれるこの歪曲された見解を是正し、真の西郷さんを知ってほしいのです。

10:日本@名無史さん
06/09/09 22:30:30
西郷の睾丸のサイズは空前絶後だということも紛れもない事実

11:日本@名無史さん
06/09/09 22:50:35
何しろ空前絶後の大人物だからな。
色んな部分がとてつもないビッグサイズだったのさ。

12:日本@名無史さん
06/09/09 22:56:16
>>9
西郷に会ったこともなければその時代に生きていた訳でもないくせに
何が「真の西郷を知ってほしいのです」だ。

13:日本@名無史さん
06/09/09 22:58:56
>>12
歴史小説(特に司馬)を読んだだけで歴史を分かったつもりになってる奴にこんな奴が多い

14:日本@名無史さん
06/09/09 23:01:10
真の西郷

それは皆の中に今も生き続ける。

15:日本@名無史さん
06/09/09 23:05:43
伝説の大巨人サイゴー
彼は今も太陽系のどこかで静かに復活の時を待ち続けている。

16:日本@名無史さん
06/09/09 23:09:29
-西郷は-
2度と鹿児島へは戻れなかった…。
睾丸と生物の中間の生命体となり
永遠に大韓帝国をさまようのだ。

そして死にたいと思っても死ねないので
―そのうち西郷は考えるのをやめた。

17:日本@名無史さん
06/09/09 23:14:17
2chのこの手のスレを見ると
西郷は交渉で李朝を近代化することに失敗した場合に
初めて武力行使するつもりだった
(から他の軽薄な連中とはレベルが違う、
西郷は誤解されている)って
いう意見が支配的だけど、なんじゃそりゃ。

交渉や通牒を経ずにいきなり武力行使する馬鹿がどこにいる。
テレビゲームの信長の野望とか三国志の感覚で物を語るなよ。
それとも、小説や漫画では
そういうキャラクター設定になってるのか?

18:信長
06/09/09 23:24:10
明治になって勝海舟は「西郷は征韓論者に非ず」といっていた

19:日本@名無史さん
06/09/09 23:30:50
>>17
ゲーム?・・・ 西郷の本を1冊でも読みましたか?

20:日本@名無史さん
06/09/09 23:33:16
>>19
その西郷の本とやらのタイトルを挙げてみて。

21:日本@名無史さん
06/09/09 23:54:12
学陽書房「西郷隆盛」安藤英男著 西郷の入門書としては内容もそこそこ詳しく(本文約400p、全体約500p)て適当かと思います。
どうぞご一読を。

22:日本@名無史さん
06/09/10 00:05:50
西郷の語録・エピソードを数多く取り上げているものとしては、石原出版社「西郷隆盛に学ぶ 世界は一つ」石原貫一郎著が
読みやすく、理解しやすいです。こちらもどうぞ。

23:日本@名無史さん
06/09/10 04:50:16
木戸や板垣は日本人が朝鮮で危害を受け始めていたから迅速に武力行使して日本人を保護すべきと主張していたんだよ。

軽率な意見ではあるものの、既に日本人に対して実害が出ている以上は一理ある。

西郷はそういう意見を制して、まずは話し合いに徹しようとした。

そこで朝鮮が西郷を殺す程野蛮ならば武力行使も仕方ないと考えるのは当然。

24:日本@名無史さん
06/09/10 08:17:20
とりあえず1は、自分の尊敬する根拠を具体的にここで示していくべきだろ
話はそれからだ

25:日本@名無史さん
06/09/10 14:35:24
>>1
重複スレです。
スレリンク(history板)

26:日本@名無史さん
06/09/10 15:31:14
西郷はバカではないし頑迷でもないが大久保ほど合理的に割り切れない情緒
さを持っていたからどうしても自分を信奉する人々(特に薩摩武士団)を切
り捨てることはできなかったのだろう。

それと、西郷は農事方の役人から這い上がってきた以上どうしても発想が
保守的になり、今までどおりの農業を中心とした社会構造(その上に支配者
としての士族が君臨する)を善とする発想から抜け出すこともできなかったし
また商業というものを卑しく見てしまう精神構造からも終生抜け出すこともできなかった。

その点が近代国家建設の重要な要素である重商主義政策についていけなくな
ってしまい、政府高官を汚職役人という一面でしか見れなくなってついには
政府内で居場所が泣くなり正幹論争に突き進んでしまった。

27:日本@名無史さん
06/09/19 01:49:12
>>23
何でそんな危害を加えられるようなとこにいたのさ?
そっちの方がおかしくね?

今で言えば勝手に危険地帯のイランやイラクあたりに行って
日本人が危害加えられたから侵略しろと言ってるようなもん

28:日本@名無史さん
06/09/19 02:23:36
朝鮮は今も昔も蛮族だったんだから
征韓論はむしろ当然だろ

29:日本@名無史さん
06/09/19 10:19:33
朝鮮人の多い場所は例外なく危険だ。
対馬藩は危険を承知で朝鮮と交易していたんだよ。

30:日本@名無史さん
06/09/19 16:28:45
普通の船で軍人を連れず、軍事色を一切出さず、烏帽子直垂の礼装に身を包み、
日本政府の正式な全権である大使を一体どこの国がその場で殺すと言うのか?
当時の朝鮮はそこまで野蛮であったと言うのか?
裸になり、腹の中を全て見せて誠意を持って話し合えば、交渉は必ず成功する。
西郷にはその自身があった。 彼の親友で、薩摩藩士で後に枢密顧問官になった
黒田清綱は当時の西郷のことをこの様に語っている「西郷は朝鮮と戦争したり、
その国を奪おうという考えは毛頭無かった。彼は遣韓大使に一旦任命され、勅許
も下った時期、わたしにむかって、朝鮮のことはすぐ済みます、済んだら北京へま
わって帰ってきます。と語った。」 
西郷が戦争など考えていなかったことは明らかです。

31:日本@名無史さん
06/09/19 23:55:09
元々朝鮮が日本の欧米化嫌って挑発したから征韓論起こったんだろ
アメリカは朝鮮の鎖国もとこうとしたが
あんな野蛮国相手にできんって手引いたし

32:日本@名無史さん
06/09/20 06:50:21
ほっときゃよかったんだ。

近代日本最大の過ち。

33:日本@名無史さん
06/09/24 21:27:31
西郷は戦争のことなど毛頭考えていなかっただろう
腹を割ってお互い話し合えば必ず交渉は成功すると本気で信じていたに違いない。

西郷に罪があるとすれば、談判決裂で大使殺害という最悪の事態になった際
のことを全く考えていなかったことだ。

一国を預かる者があらゆる事態を想定せず、己の能力を過信して国家存亡の
危機に陥るかもしれない大使派遣を強引に推し進めた西郷こそ後世の軍部独
走に匹敵する蛮行ではなかろうか。

34:日本@名無史さん
06/09/30 04:26:09

   感   懐  (かんかい)
                
 幾 歴 辛 酸 志 始 堅   幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、
                    (いくたびかしさんをへてこころざしはじめてかたし)

 丈 夫 玉 砕 愧 甎 全   丈夫玉砕して甎全を愧ず。   
                    (じょうぶぎょくさいしてせんぜんをはず)

 一 家 遺 事 人 知 否   一家の遺事人知るや否や、
                    (いっかのいじひとしるやいなや)

 不 為 児 孫 買 美 田   児孫の為に美田を買わず。 
                    (じそんのためにびでんをかわず)

 (解)人の志というものは、幾度も幾度も辛い目酷い目に会って後、初めて堅く定まる
  ものである。そこで、真の男子たる者は、先ず幾多の辛酸をなめて志を堅くし、その
  堅い志を貫くためには、玉となって砕けることを本懐とし、志を曲げて瓦となって無
  事に生き長らえることを恥とする。
  それについて、自分が家法として子孫に残し置きたいと思う事が一つあるが、それが
  何であるかを知っている人があるか知らん。
  子孫のためにと言って、良い田を買わない事がそれである。

35:抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs
06/09/30 06:14:52
昔、子供の頃小学校だか中学校の教科書での西郷どんの記述

1.大久保さぁと一緒に薩摩藩を率いて、倒幕維新の原動力となる。
2.征韓論を唱え、敗れて政府から去る。
3.鹿児島の地にて、最大最期の不平士族の反乱を起こす。


これだけ見ると、征韓論が通らなかったから、故郷の薩摩に帰って、
政府に反乱を起こした、我がままな理不尽な人物としか捉えられない。
事実そう誤解した人間は沢山いただろう。

歴史の教科書を、僅かな期間に子供に伝える範囲で一冊に纏めると、
どうしても誤解を生じるのだろうが、教科書編纂に当たる人たちは、
何卒西郷どんの記述に注意を払って戴ければ幸いなり。

それではこれから名無史でレスする。ノシ

36:日本@名無史さん
06/09/30 07:08:27
自分が死んだらその機会を無駄にするなと板垣に言っているから戦争する気が毛頭ないとか自分が危害を受けた場合を考えてないというのはおかしい。
板垣や木戸は派兵を急ぐ急先鋒だから、朝鮮との戦争は西郷にとってもファイナルオプションとして意識にあったとしか考えようがない。

37:日本@名無史さん
06/09/30 12:18:10
あの、ところで
>>4
ってなんか意味あるのか?
すこし気になるんだが・・・

38:日本@名無史さん
06/09/30 14:50:45
本スレの続編が立ちました。
続きはこちらでどうぞ。

高潔 西郷隆盛は最高のサムライ2 道義
スレリンク(history2板)

39:日本@名無史さん
06/10/01 09:55:00
コレがおいドンの芸でごわす。
ジジジジジィ~
(自ら一物のチン毛を蝋燭の火で燃やしてる図)

40:日本@名無史さん
06/10/02 09:46:03
西郷隆盛が靖国神社に祭られていない
明治22年に憲法発布の大赦で罪を赦され正三位を追贈されている
なぜ祭らない  おかしいではないか

41:日本@名無史さん
06/10/02 18:41:09
政府にクーデター起こして戦死した奴を称えるわけにはいかんだろ

42:日本@名無史さん
06/10/02 20:40:08
そう思うんなら上野の銅像を破壊してきたらどうですか。
2chで在日認定されそうだけど。

43:日本@名無史さん
06/10/02 22:51:03
>>42
そういう意味じゃなくて、政府に反乱起こした連中の親玉を英雄認定したら
政府が反乱を許容することになっちゃうでしょ
だから好き嫌いや思想なんかは関係無しに、立場上絶対に許すことはできないってこと。

44:日本@名無史さん
06/10/09 02:29:49
ところでよー
西郷は朝鮮へ行って誰と話ししようとしてたんだ?

45:日本@名無史さん
06/10/09 07:05:33
興宣大院君
URLリンク(ja.wikipedia.org)

46:日本@名無史さん
06/10/09 08:02:06
天皇に刃向かった逆賊を天皇が許したのであれば、
臣民である我々がもはや許すも許さないも無い。

47:日本@名無史さん
06/10/09 08:59:01
靖国は天皇に命を捧げた人を神として奉る施設だからね。
一応逆賊として命を落とした西郷さんは生前の貢献度や死後の特赦とは無関係で不採用なんです。

48:日本@名無史さん
06/10/09 13:01:07
大久保利通、伊藤博文などの明治初期の要人は奉られているの?

49:日本@名無史さん
06/10/09 13:22:13
>>45
ありがとう

しかし大した人物でもなさそうだなぁ。

50:日本@名無史さん
06/10/10 16:51:32
>>34

それを国家とともにやろうとしたというわけか。
もし本気でそれを征韓論にもとめたとしたら、
なんとも激しいな。本質的な革命家ということか。
革命の原動力はやはり西郷だったという気がしたよ。

あと毛沢東の晩年に通じるところがあるといえな
くもないと思った。


51:日本@名無史さん
06/10/10 16:55:24
そういえば、今やってるスカパーの翔ぶが如くの
大河の再放送でも、似たような解釈があった。
たとえ国家のほとんどを焦土と化し、日本人が
ことごとく死に絶えたとしても、残った日本人が
本当の日本を作り上げればいい。国家には金や生活よりも
守るべき大事なものがあるとか。


52:日本@名無史さん
06/10/10 16:59:05
多分西郷という人間は一般の評判より、
内に巨大な情熱を秘めた人間だったと
いう気がする。


53:日本@名無史さん
06/10/10 17:13:25
木戸が、西郷たいがいにせんか。。。っていったのに
少し違和感があったが、この詩で納得した。


54:日本@名無史さん
06/10/10 19:54:30
>>50-53
いい書き込みしてくれてありがとう

55:日本@名無史さん
06/10/10 21:05:08
晩年の毛沢東なんて最低の俗物だよ。
歯磨きの習慣が無い上に歯科治療を恐れていたから物凄い口臭だっただの、
14歳の愛人を囲っていただのと立ち居振る舞いが汚ならしい事この上ない。

56:日本@名無史さん
06/10/11 09:37:32
文化大革命をおこしたところの動機と経緯が似てる。
まぁ、美しさの点では正反対ではあるが。


57:日本@名無史さん
06/10/11 18:23:06
大久保とかは征韓論に反対しといて
翌年に台湾攻めちゃってるのが意味わからん
後者の方がリスク高かったと思うんだが


58:日本@名無史さん
06/10/11 18:58:36
征韓と征台では状況が全然違うからな。

朝鮮が開国に応じないからといって力ずくで開国させようとするのは侵略になってしまう。

しかし台湾では日本人が現地人に殺害される事件が発生した。

日本は当然清国政府に抗議して責任を追及したが、
清国は「台湾は野蛮人が住み着いてる場所だから責任は取れない」と拒絶した。

外国相手にそんな事を言うのは「台湾は清の領土ではない」と明言するのと同じ。

だから清の回答を受けた日本は速やかに派兵した。

誰も領有していない土地は早い者勝ちだからだ。

59:日本@名無史さん
06/10/11 19:25:45
>台湾派兵
従道が総大将で薩州(私学校党)からも参加させたんだよな

60:日本@名無史さん
06/10/11 23:39:21
西郷も大久保も平和主義者ではないし征韓論争もそれぞれの権力基盤の確保
のために主張していたところがある。
特に西郷は征韓論争のときも西南戦争のときも下からの突き上げによって
動いたところがあるからよほど自己保身に敏感になっていたのだろう

61:日本@名無史さん
06/10/11 23:46:19
西郷も、大久保も、真に日本の将来を憂えて激論を戦わせた。

西郷の立場は「朝鮮が近代化せず列強の植民地になれば次は確実に日本が危ない。圧力を加えてでも
朝鮮を近代化させよ」

大久保の立場は「今日本が朝鮮に介入すれば列強から睨まれ日本が危なくなる。
今は列強とことを構えられない。富国強兵に専念すべし」



62:日本@名無史さん
06/10/11 23:58:37
問題なのは、征韓論争に際し「内治優先」を主張したにも拘らず、
後に台湾出兵した大久保の豹変である。
この大久保の豹変には、西郷に好意的でなかった木戸さえも
「征韓に反対し多くの参議と軍幹部を失ったにも拘らず、一年と経たず外征を唱えるとなれば、かの内治優先策は西郷等を下野させる為の詭弁だったとの謗りを免れない」
として激しく大久保を非難している。
更に後に大久保は、武力的圧力を背景にし朝鮮を開国させてもいる。
内政は世情不安の一途にあるにも拘らずに、である。
いったい大久保の真意はどこにあったのか?これが問題ではないか?

63:日本@名無史さん
06/10/12 00:09:47
>>60
>自己保身

それは一歩間違えれば武闘派に暗殺(=犬死)されるからな

西郷は不平士族、近衛兵の激派、郷里の久光派の三方から突き上げ受けて、ストレスも凄かったろう
特に久光派の攻撃は辛かったらしい
本音は兎狩と温泉三昧の隠遁生活で余生を送りたかったに違いない

大久保は西郷と戦うことには断腸の思いだったが
>>61の件、江藤から太政官政府の主導権の奪回などで引くわけにいかなかった
また、西郷のような武力の背景が無い代わりに、突き上げもなかった


64:日本@名無史さん
06/10/12 00:11:38
台湾は「化外の地」で、清国すら自国の領土と認識していなかったから出兵は可。
台湾出兵で清国と対立する可能性はゼロ。

大久保の朝鮮開国に転じたのは、富国強兵政策が一定の成果を挙げ、軍備も整ってきた
のに、隣国朝鮮が相変わらずの鎖国政策で近代化を行わなかったため業を煮やしたという
のが推定。ソースが無いのが残念だが。


65:日本@名無史さん
06/10/12 00:22:34
>>62
>後に台湾出兵した大久保の豹変

台湾派兵の件>>58
これは私学校党の憤懣を緩和する意味もあった


>征韓論争に際し「内治優先」を主張

征韓論争自体、政争の意味合いもあった。したがって木戸の批判は当を得ている。

木戸は大久保以上に旧藩から自由であり、急進的な意見(理想論)を具申できる立場にいた。
しかし、病篤く、小言も増えたため、伊藤・井上など腹心たちの心は大久保に移った。
「明治六年政変」後の木戸は孤立感と焦燥に苛まれていたに違いない。


66:日本@名無史さん
06/10/12 00:26:34
征韓論を政争に仕立て上げたは当時のマスコミ。
マスコミはいつの時代にも罪作りだ。

現代では、朝日新聞の低レベルな歪曲と偏向報道に辟易。
もう、誰も騙されないのに。

67:日本@名無史さん
06/10/12 00:27:56
当時の大久保利通に関する直接的な歴史資料がないからインパクトに欠ける。


68:日本@名無史さん
06/10/12 00:36:47
>>66
>征韓論を政争に仕立て上げたは当時のマスコミ。

いや、その一言で片付くほど事は単純ではない。
評論新聞が煽った事実はあるが影響は限られるだろう。


69:日本@名無史さん
06/10/12 12:55:57
西郷が保身など考えるものか。

維新のとき薩摩がはじめて上京する直前、
京都に志士があつまって暴発の危機があった
ときも上の命令を無視して西郷は志士を集め
無秩序になるのを防いだ。たぶんこれと似た
ような役割を自身に課しただけだろう。

なんというか彼は昔からほとんどこういう
役回りばかりやってるが、あまり明確な
方向をしめすということはあまりやらない。
ただ筋を通すということは自分の立場や命に
かえても重視する人間であったようだ。


70:日本@名無史さん
06/10/12 13:09:19
方向を考えるのは大久保で、西郷はその実行に
全責任を負うという車の両輪の関係だが、
岩倉使節外遊が長引き留守政府内を抑える
のに、どうしても方向が欲しかった。
大久保がいなかったために適切な方向に
むけられず、それが征韓論になった。

鳥羽伏見の前の諸藩が複雑な動きをしていたときも、
薩摩以外の志士との工作を担当していた西郷は志士たち
といろいろな約束をした。その約束には薩摩の
方針と異なるものもあったが、その約束を守る
ため薩摩を裏切る可能性も高かったらしい。
そのときも西郷は、「そのときはためらい
なく自分を切ってくれ」と大久保にいっていた
という。彼はそういう人間だ。


71:日本@名無史さん
06/10/12 23:14:52
征韓論の何処が悪い?
今こそ征韓論を実践すべき時じゃないの?

特に北の方に

72:日本@名無史さん
06/10/12 23:29:06
南の歴史教科書=妄想小説も何とかした方が良い。


73:日本@名無史さん
06/10/13 02:12:50
西郷が保身で決起したとはバカバカしい話だな。

政府の要職をすぐに放り出して鹿児島で肥桶かついでたほど無欲な西郷が何で保身の為に反乱なんか起こす必要があるんだか。

地位や金銭に執着しない人間が保身に走る時には、逃げ出せばいいんだよ。

74:日本@名無史さん
06/10/13 02:33:00
URLリンク(www.google.co.jp)


ja&ei=EHsuRd6VJ4mSJJ7vmdgD&ct=res&cd=1&rd=1&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2581%25AF%25E3%2581%2584%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25E3%2581%2595%25E3%2582%2593%25E3%2581%258C%25E9%2580%259A%25E3%2582%258B

75:あ
06/10/13 02:36:03
>>1

76:日本@名無史さん
06/10/13 10:08:57
て言うか。
明治六年政変時点の政府要人で、征韓そのものに反対した人っているのかな?
岩倉は風見鳥で訳わからんし。
大久保は後の行動から征韓そのものに反対した訳で無いことは明白。
木戸は吉田松陰の流れを汲む強行な征韓派だが当時は態度保留。
板垣・江藤・副島も言わずと知れた強行な征韓派。
皆揃いもそろって征韓を容認しているのに何故政府分裂にまで及び、挙句今日「西郷・板垣等は征韓論に敗れ下野」と言われるのか?
なにか非常に香ばしいのだが。。。


77:日本@名無史さん
06/10/13 12:03:59
三条実美が倒れ、岩倉が太政大臣代理に任命された
太政、右、左の三大臣は公家でなければならなかったので
岩倉しかいなかった
岩倉は朝議決定を無視し、遣韓大使派遣と派遣の中止の両方を奏上し
朝廷内を工作、事実上天皇に中止の裁可をさせた

78:日本@名無史さん
06/10/13 12:06:53
>>76-77
たしかに征韓は議論になってないもんな。
正確には遣韓大使派遣問題だね。


79:日本@名無史さん
06/10/13 12:17:11
このころの西郷は長く体調を崩していて気分がすぐれなかったうえ
(フィラリアかなんか)自分がいると妙に担ぎたい連中があつまって
くるとかで厭世気分だったらしい。
斉彬が死んで、月照さんとの心中したときあたりから、
いつも死に場所をさがしてるところがあるね。


80:日本@名無史さん
06/10/13 12:33:26
>>79
月照と一緒に錦江湾に身を投げ、月照は死に自分だけが生き残った
このことがあればこそ、その後の西郷がある
彼は自らの信念のためならいつでも死ぬ覚悟をもっていた、裏表のある心を激しく嫌った
だからこそ人を引き付け、偉業を成し遂げられた


81:日本@名無史さん
06/10/13 12:58:22
しかも二度の遠島で「死中に活を求める」透徹した精神も培われたようだし
二度目の遠島から返り咲いた西郷は斉彬の言う
「西郷は悍馬で、余にしか使いこなせない」西郷とは段違いにスケールアップしていただろう

西郷は政治家、軍政家である以上に哲人だった
しかし、名声も一人歩きし始めた

82:日本@名無史さん
06/10/13 13:11:06
↑正確には三度
奄美大島 徳之島 沖永良部島

83:日本@名無史さん
06/10/13 18:23:06
↑正確には島流し二回で流刑地三箇所だな。

84:日本@名無史さん
06/10/13 18:25:02
>>81
「西郷は悍馬で、余にしか使いこなせない」

これはわかるなぁ。状況で上の
命令無視するからな。上の面目丸つぶれ。

ちょっとあげるだけでも、久光上京のとき下関で
まてというのに、先行して京都の不穏分子をあつ
めたり(これが原因で流される)江戸進軍時にも
太政官に相談せずにきめたことが何度かあるし、
喜界島から村田新八を勝手に連れ帰ったりとか・・・
・・・まぁ数しれず。

上からすればたしかに使いにくい。
大久保は平時でも出世したろうけど、
西郷は使う人次第だな。


85:日本@名無史さん
06/10/13 18:32:21
使いこなすといえば、スレ違いかもしれないが
久光は過小評価されてると思う。
だいたいあのころの諸侯のなかでは、一番結果を
出している。財政運営もなんとかしてるし、
大久保の抜擢だってかなり思い切った事だし、
西郷もなんだかんだいって遠島から帰って
きて後は、あまり口をださず任せるように
なっている。なかなかの君主だと思うけどな。


86:日本@名無史さん
06/10/13 18:58:27
久光の評価は幕末維新史が明らかになるにつれ今よりも上がることはあっても下がることはないと思う
久光がオーナー兼野球監督だとしたら西郷、大久保、小松はコーチ兼主力選手なわけだ



87:日本@名無史さん
06/10/13 19:45:29
そう小松帯刀も過小評価組ですね。
彼がいなければ、久光の下で二人が
あそこまで動けたのか疑問です。


88:日本@名無史さん
06/10/13 21:42:11
仮に西郷が遣韓大使として渡韓したとしても西郷のようなデブで陰嚢水腫
で無教養な土人が朝鮮国王や大院君あたりを言い含めさせることなんか
できるわけないじゃないか

89:日本@名無史さん
06/10/13 22:22:13
キムチ臭いのが湧いたな

90:日本@名無史さん
06/10/13 22:29:56
西郷と大院君が直に談判していたら両国の誤解も晴れて関係改善を計れたなんて電波を金達寿あたりが飛ばしていたな。
朝鮮人の我田引水な妄想は民族性なのかねぇ…

大院君や高宗が西郷の説く文明化の意義を理解できるほど賢明な人物とは思えないけどな。

91:日本@名無史さん
06/10/13 22:54:22
↑ 違うな
西郷は相手が誰であれ誠意と礼節を持って接する真の人格者、大丈夫である
確かに当時の朝鮮は排他的、閉鎖的であっただろう
しかし、それは僅か2・30年前の日本とて同じ事
国家間の問題であれ、最後の決着は結局は人間対人間
真に誠意と礼節を重んじて相手の立場を考え、何も包み隠さずに命を預ける
覚悟を持って話し合えば相手は必ず理解してくれる
西郷はこれを実践する事が出来る当時の日本で唯一の人間であった

92:日本@名無史さん
06/10/13 23:26:59
全然違うよ。

朝鮮では秀吉との戦争が終わると、日本軍が銃火器を駆使して朝鮮軍や明軍を蹴散らしていた事から学んで急遽数百挺の火縄銃を購入した。

その後、どうなったかというと火縄銃は武器庫に仕舞い込まれたまま300年放置され、
李朝末期になって弓矢や槍だけではロシアや日本に対抗出来ないと気付いて慌てて引っ張り出したらほとんど全部が錆の塊と化していた。

日本では世界最高品質の火縄銃と射撃技術を生産、発達させていたのと正反対。

余談だが現代では前装銃を用いる射撃競技の種目に日本語由来のtanegashima、tanzutsu、hizadaiの3つが存在する程だ。

明治初期には薩摩出身の村田経芳が欧州留学中に射撃大会を荒らし回って優勝を重ねていた。

村田は維新前から西洋の武器から学んで国産銃の開発に務め、
西南戦争の僅か3年後には軍用小銃での世界最高性能を実現した13年式村田銃で世界の軍事関係者のドギモを抜いた。

日本人は明治になってから急に優秀になった訳ではない。

江戸時代の時点からポテンシャルが圧倒的に高かったんだよ。

儒教的な価値観に固執して進歩を自ら拒絶していた朝鮮とは全然違う境遇なのだ。

93:日本@名無史さん
06/10/14 17:07:29
↑ 違うな
歴史的、宗教的な相違点を挙げ、それを異質、野蛮、時代錯誤などと指摘し
非難していては外交などできない
西郷にはそれさえも乗り越えて相手を包み込む(懐柔という意味ではない)
幽玄な懐の深さと、優しさを持っていたんだよ

94:日本@名無史さん
06/10/14 17:52:34
違わないね

人の言葉を理解出来ない禽獣を言葉で説得する能力は西郷でも備えていない。

虎の子の火縄銃を300年間放置するような低能は自分達が日本人よりも桁違いに愚劣だという事実さえ自覚していない。

アル中大名の説得にも手こずり最後には暗殺を仄めかす事で無理矢理黙らせるのが関の山だった西郷には朝鮮みたいな愚劣国家を説得出来ない。

95:日本@名無史さん
06/10/14 21:31:46
西郷・板垣の征韓論はなんにも間違っちゃいない。
後世の歴史教科書の書き方が間違っている。

96:日本@名無史さん
06/10/14 22:16:27
というか教科書、ドラマ、小説・謎本レベルでは
明治六年政変までのすったもんだはかなり端折って描かれているから話が噛みあわねぇ

97:日本@名無史さん
06/10/15 00:59:43
当時の朝鮮は中国以上に儒教国家
その朝鮮へロクな儒教素養も何の武力ももたないまま単に口先だけで交渉に
当たろうなどと思い上がりもいい方

西郷を道理の分る人格者だと信じていたのは日本国内のごく一部の泡沫士族
だけであって、当然海外には通用しないばかりかしかも朝鮮が望んでもいない
のに一方的な論理を押し付けるなどペリーと変わらぬ傲慢さ

これを現代に置き換えると、自己管理もできない巨体のしかも風土病で睾丸
が膨れ上がった低学歴がロクな民主主義・人権思想ももたないくせに身勝手
な正義感を振りかざしてたった一人で我が国に乗り込んでこようとしている
のと同じこと

98:日本@名無史さん
06/10/15 01:24:47
>>94>>97ご尤も。
カァーッット!ハイ次!

99:日本@名無史さん
06/10/15 02:13:06
西郷は儒教にも詳しいよ。
朱子学だけを儒教だと思い込む朝鮮人こそ無知無学。
西郷は朱子学が余りにも机上の空論過ぎる為に社会を停滞させると批判した陽明学を学んだ。
現実世界から乖離した朱子学しか知らない朝鮮人との議論では負ける筈が無い。

問題は、朝鮮人は阿呆過ぎて議論に負けても自覚できないという事だけだ。

100:日本@名無史さん
06/10/15 02:30:25
遠島の時繰り返し読んでいたのが、佐藤一斎の「言志四録」だからね

101:日本@名無史さん
06/10/15 10:09:11
西郷は軍人にして権謀術数にも長けていると同時に、学者でもあったと思う。
西郷が低学歴と言い切る奴はいないだろう。

西郷は陽明学。朝鮮の朱子学儒教とは発想が異なる。
知るは行うの始めにして、行うは知るの成るなり。
机上の空論で戦うのではなく、実践してなんぼ。


102:日本@名無史さん
06/10/15 10:54:33
軍人というか軍政家 学者というよりは哲人

>机上の空論で戦うのではなく、実践してなんぼ。

議を言うより先に行動しているってことやね 書生論と正反対


103:日本@名無史さん
06/10/16 22:59:04

林秀彦著「この国の終わり」(成甲書房、百十一~百十三頁)に、
福沢諭吉の言が引用されてある。

その論旨は、西洋人の言説の本筋は何か?
それは、「商売せよ。しなければ殺す」 と言うことに尽きる、と。

しかしこれは、福沢諭吉が日本人に分るように、最大限にやわらかく表現
したのであって、西洋人の本音は、「ドレイに成れ。さもなくば殺す」であると。

つまり、お前はオレのドレイに成れ。さもなければ、オレはお前を殺す、と。

イルミナティのスローガンは、オベイ、オア ダイ!! Obey, or die!!
言うことを聞け! (言う通りにしろ!!オレさまの命令に服従しろ!!)
さもなければ殺す!!

もっとも、これは、彼等の原理であって、その原理は、当然のことながら
状況によって、変化し、変身し、変容する。

「敵」「相手」が強過ぎる場合、言葉、思想、イデオロギー、宣伝、口先によって、
この原理を実現しようとする。つまり、相手をペテンにかけるわけである。

従って、これは、言葉による、思想による、イデオロギーによる、世界観による、
宗教による、殺し合いである。

西洋は、何よりもまず、こうした言葉、思想、イデオロギーによる戦争で
勝ち抜いて来た最終勝者である。ことを、知らなければならない。

日本人、日本民族は、未だかって、このことを正面から調査研究したことがない。

会沢正志斎の「新論」は、ほんの少々この方向を歩み出している。
しかし、会沢正志斎も晩年、開国已むなし、などと言って、気勢の上がらないこと。

104:日本@名無史さん
06/10/16 22:59:43

西洋と徹底的に戦えば、どう成るか?

士農工商の身分制度下で、農工商は、おかみについて行くのみ。

武士階級は、どう成ったか?

武士は二つに分裂した。死=全滅を賭して西洋と戦え派と、
殺されるのはイヤだから、西洋のドレイと成って生き延びる派、とに。

前者の代表は西郷南洲であり、後者の代表は、大久保利通と、
長州の木戸、伊藤、山県ら。

西南戦争で、西郷軍が潰滅したあと、日本の国家権力は、後者、
西洋のドレイと成って生き延びる派によって、完全に独占された。

そして今、どうなのか。イルミナティサタニスト世界権力は、日本民族
ひとり残らず皆殺し戦争の総仕上げにとりかかろうとする。

今、イルミナティによって操作=展開されている、北朝鮮共産政権との紛争は、
イルミナティの日本民族皆殺し戦争へ向かっての、着実な一歩であるだろう。

現在の日本の苦境は、明治六年、大久保、木戸、岩倉、三條、伊藤らによる、
西郷隆盛追放の政変に始まっていることを、日本民族有志は知らなければならない。

105:日本@名無史さん
06/10/17 01:36:19
ここは電波スレですか?

106:日本@名無史さん
06/10/17 08:55:47
西郷先生はそういう人も拒みません。

107:日本@名無史さん
06/10/17 09:33:50
>103-104
禿しく同意。

脱亜論等と言う愚論をのたまい、日本を欧米の奴隷に仕立てた福沢某の言なんぞは知らぬが、明治六年政変と後の西南戦争に因って、日本が欧米の奴隷と堕した事は疑いようも無い事実。

明治六年、日本政府が失ったのは西郷その人だけでなく、日本民族の誇りを失ったのである。
明治十年、日本が失ったのは西郷その人だけでなく、日本民族の魂を失ったのである。

もはや今日、日本に日本人はおらず、欧米の奴隷がいるのみ。西郷の死と共に日本民族は滅びたのです。日本の運命等と言う物は欧米に握られているのです。





108:日本@名無史さん
06/10/17 12:08:56
('O') ジュシンチュウ...シバラクオマチクダサイ


109:日本@名無史さん
06/10/17 12:37:00
奴隷=自らの意思で人生を選択できない人。

たしかに欧米の権力者グループは狡猾だが、
その陰謀にのったのは強制ではないんじゃね?

そんなに現状が不満なら、もっと説得力のあること
をいって、人々の支持を集めまっとうな方法で権力を
握り対抗すればいいじゃん。できない?なぜ?

権力とは他人の支持を背景に他者を 動かす力のこと。
それを持つことができないとすれば他人の支持が
背景にないから。

仮にイルミナティがあるとして、陰謀に拠って
権力をもっているにせよ 他人から支持を得て
いるからであることは間違いない。

騙されていようが皆それを望んで信じているんだよ。
陰謀とは信じたいものを提供 することで可能になるから。

あなたが信じたいのは、日本をダメにしたのは
欧米の悪魔どもであるということ。
どっかの文章をよんだあなたは、本を買わせられる
陰謀に引っかかったわけだ。でも今の日本を選択した
のは日本人自身でしょう。


110:日本@名無史さん
06/10/17 13:39:51
姑息で稚拙な小さなウソは、すぐにバレて嘲笑される
奇想天外、にわかには信じられない巨大なウソの方を大衆は信じ、騙されている
という感覚さえ失い、更に深く信じ込んで行く

111:日本@名無史さん
06/10/17 14:52:05
たしかに911が自作自演であるいいたいの
でしょうね。たしかにそれが本当なら誰も
信じたくはないね。でもスレ違い。




112:日本@名無史さん
06/10/17 14:57:20
日本語ヘン。

ところで西郷さん関連の大衆の信じたい側面といえば
上野の西郷像は、ちっとも似てないとか。
西郷を知る薩摩士族からもっとも不評なのが
あの浴衣姿。あんなみっともない格好はしたことがない。
彼らにいわせると、確かに庶民的な事を愛した人であるが
庶民的なところは、ちっともなかったといっていました。


113:日本@名無史さん
06/10/17 14:59:17
子息の菊次郎(遠島時の長男)いわく、一番似ているのは
キヨソネの肖像だそうで、顔も庶民的ではなくかなり
ハンサムだったそうです。


114:日本@名無史さん
06/10/17 21:44:21
西郷さんはアゴなしゲンさんに似てる。

115:日本@名無史さん
06/10/17 22:25:40
>109
論外。岩倉右大臣も大久保内務卿も伊藤初代総理も、また戦中の東条総理も戦後の吉田総理も、国民の支持多数により選出された指導者ではない。
貴様は歴史を知らな過ぎて話にならん。消えろ。

116:日本@名無史さん
06/10/17 22:39:37
国民の支持だったらどうだっていうのかねぇ。

117:日本@名無史さん
06/10/18 12:57:10
国民の支持がある指導者によって営まれる社会は、
最悪の専制君主制よりマシであることが保障される程度。
歴史をしってればそれぐらいわかるんじゃねーか?

明治維新は、現代の日本のエリートにはおそらく
真似できない陽明学を地でいくような士族階級に
よってなされた。

西郷をはじめとする志士たちを支持したのは民衆ではなく、
この陽明学と武士道精神を信じる士族階級であった。

欧米支配のセイだかなんだか知らないけど、
傾き始めたアメリカが、もう面倒みきれないから
今日から自分でやってね?といわれても、
傾くアメリカにさえ、すみません見捨てないで
とスガるだけのことしか今の日本にはできまい。
これが、国民の支持をうけた政府のやることだ。


118:日本@名無史さん
06/10/19 04:47:59
>>109
日本語おかしいよ。所々意味不明。
それから、ソースも説明も無しに断言的に語られても説得力無い。
根拠も示さず~に間違いない、って言われてもねえ。。。

119:日本@名無史さん
06/10/19 09:02:18
ソースが必要な話のようには思えないのだが。。

120:日本@名無史さん
06/10/27 03:18:46
西郷の国創りの理想を具現化したのが私学校なのでは?

121:日本@名無史さん
06/10/28 06:48:23
西郷は理想だけあって具体性のない思想好きの宗教家みたいなやつ
死学校にもほとんど関わってないし
西郷は結局どんな政府にも満足しないだろ

122:日本@名無史さん
06/10/28 08:19:58
そもそも西郷が私財を投じて私学校を創ったのは、士族の再就職のため
いわば職業訓練学校のようなもの
それが一般には「私学校は士族の過激思想集団」や「西郷の私兵養成学校」だったって誤解されてる
西郷が私学校で自ら率先して進めてたのは、吉野台地の開墾と士族の営農化だし
私学校での軍事教練だって、日本陸軍に優秀な士官を送れるようにとした事
いわば「武を捨て切れない士族」が将来、日本陸軍に就職できるよう教育してた


それに西郷自身が明治維新で士族を無職にしてしまった事に対する、アフターフォローもしくは贖罪もあったろう。
西郷って人は、そういう人なんだよ
私利私欲からはとことん離れた存在の人

123:日本@名無史さん
06/10/28 08:48:21
せごどんは、酒を呑むと素っ裸になって陰毛をむしりながら踊りだして
いたそうだが、そんな人格者が居るのか?


124:日本@名無史さん
06/10/28 15:00:38
大の西郷どんファンだけど、
征韓論を否定する必要はないんだけどなあ
戦後の学校や社会の平和教育の影響で
時代に関係なく、植民地政策=絶対悪の構図にこだわりすぎてるから
人格者の西郷どんは非征韓論者だったとしなければならないとすれば
それはあまりにもあさはかだよ

125:日本@名無史さん
06/10/28 16:36:16
>>122
しかし西郷の考えと取り巻きの思惑とはまた別だったし

>西郷が私財を投じて私学校を創った
県費で作ったのでは?

>>124
なんでも『今』の尺度ではかっちゃたしかにいけないね。
放映中の大河ドラマにしても一夫一妻が美徳に語られていてちゃんちゃらおかしい。
当時の尺度や背景を教えることも教育なのにねorz

126:日本@名無史さん
06/10/28 19:06:50
>人格者の西郷どんは非征韓論者だったとしなければならないとすれば~

これは考えすぎじゃないかな、俺なんかは西郷がどういう立場で
どういう見方をしていたのかを知りたかったクチ。

127:日本@名無史さん
06/10/29 01:03:08
西郷は旧士族という「負け組み」のセーフティーネットを張ろうとしていたのだろう
遣韓で平和裏に話し合いが済んでも対ロシアが控えていたわけだし
西欧列強の脅威はともかく対ロシア戦までは西郷の視野に入っていたはず
ちなみに黒田清隆が北海道開拓に拘っていたのは西郷の遺策ということもある

128:日本@名無史さん
06/10/31 09:41:53
>125
西郷の考えと取り巻きの思惑についてだけど。

桐野利秋日記を読むと、西郷と桐野の考えは実によく似ている。
大山綱良は大の西郷信者として有名で、西郷の意志に追随している。
篠原国幹は寡黙で有名で、その考えはあまり伝えられていない。
村田新八は熊本隊の佐々の伝によると、温厚で柔和な思想を持っていた。
永山弥一郎は桐野と昵懇の間柄であり、別府晋介は桐野の従弟であり、桐野に追随していたと考えられる。

主な私学校幹部の思惑と、西郷の思惑にそれほど違いがあるとは思えない。

129:日本@名無史さん
06/11/04 02:38:06
私学校は、公に対しての”私”だからな。
そこにすべてが表現されていると思う。
文章家として一流だね。

私としたのは、彼がもっとも親しみをもっていた
士族精神のことだと思う。
士族精神は公に対する奉仕精神を最大の
特徴としているが、かつての公そのもので
あった士族精神が、次に公となった
(私利私欲にまみれていくように見える)
明治政府によって私になったことに対する
皮肉がこめられてるんじゃないだろうか。


130:日本@名無史さん
06/11/04 03:03:45
西郷は陽明の徒だ。行動と心は根本で一致して
いなければならない。
その西郷は、私学校は人任せで、その頃もっとも
熱心に自分の行動でしめしていたのは吉野開墾社だ。

百姓と同じ事をすることになっても、
彼が愛した士族精神は不滅であらんとした。



131:日本@名無史さん
06/11/04 03:08:17
西郷は大久保は結果を重んじることでは
同じだが、根本的に違うところは、
”目的や理念”と”行動の精神”のどちらを
優先するかというところだ。

西郷は、明治政府の理念とか体制に
対して具体的なイメージはほとんど
もっていなかったようだ。
多分重要視していなかった。
故に、肯定も否定もなかったろう。
この辺はシステム偏重精神論軽視の
現代人になかなか理解しにくいところ
だと思う。

かれの考えは多分シンプルだ。
大事なのはそれを行うものの心であって、
明治が天命に背く事になったとき、
その心(士族精神)をもつもの達で
ただせばよい。

ただ、西南戦争は明治がどう転ぶにせよ
彼には時期ではなかったんだろうと思う。


132:日本@名無史さん
06/11/04 03:25:14
>>127
ごもっともですな。
征韓論は、確かに正確には朝鮮使節派遣問題。
当時のマスゴミと一部政局に利用した人によって
征韓論となった。

かれの本当の意図はまさに、ロシアまたは列強による、
朝鮮の植民地をおそれたというその一点のみだと思われ。


133:日本@名無史さん
06/11/04 03:40:16
当時の朝鮮は朱子学に凝り固まった鎖国政策
をとる国。日本が開国した事に怒っていた。
ちなみに朱子学は一種の中華思想みたいなモノ。

日本の明治の開明な指導者からみた朝鮮は
非常に危なっかしかった。

地政学的に朝鮮を植民地化されると、
日本は防げないのは明白であったから、
なんとしても朝鮮の考えを変える必要があった。
その方法は二つ。

・上策:朝鮮の開国と日本・中国との同盟。
・下策:手段を選ばず、黒船がやったように
    戦火を交えて、朝鮮を日本の影響下におくこと。


134:日本@名無史さん
06/11/04 04:05:17
ただ、当時、儒教的先進国であった朝鮮に
日本人の抱くイメージは、軽蔑的な意味は全く
なかった。(現に李舜臣は日本海軍の研究で
見いだされ日本海軍内では崇拝されていた)

影響下にいれる事は可能性として考えられて
いたとしても、当時の日本の情勢と国力を
考えても”占領統治化する”という発想は
なかったと断言できる。

また一戦交えても海軍で優勢であったし、
占領統治するという愚をおかさなければ、
海を隔てた日本と朝鮮では泥沼になる心配はないし、
朱子学の朝鮮が、列強の介入を許すことはありえない。

なにもしないことで、先に列強によって朝鮮が屈服
する方のリスクが高いとさえいえる。

とにかく後生の朝鮮を植民地化した後の時代をしる
人間の考えとは全然違うことは確かだ。


135:日本@名無史さん
06/11/20 06:35:59
もう半月も書き込みが無かこつ・・・
おわはんら、どげんしたしもした?
もっと気張って書き込んでくれもはんか


136:日本@名無史さん
06/11/20 07:09:32
江戸時代半ばに書かれた林子平の海国兵談を読むと、
朝鮮人は無駄飯食いのデクの棒だと書いてある。

儒教先進国なんて錯覚して変な幻想を持っていたのは林大学頭などの偏狭な朱子学者くらいしか居なかったというのが実状。

137:日本@名無史さん
06/11/20 20:36:58
西郷さんあんな事で内乱起こすなんて馬鹿げてるよ
まあ、九州士族の突き上げとか色々あったんだろうけど

138:日本@名無史さん
06/11/22 20:02:25
>>137
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
って奴じゃねーのか?

西南の役前後の行動やら言動をみても、
内乱は本意ではなかったのは確か。
(もっと大きなことを目論んでいたらしい)

ただ、最強薩摩の不満分子だけで内乱した場合。

内乱中と、内乱後の処置にいろいろな
不安定要素を生み出す。

内乱中は、軍がゲリラ化して乱が長期化するとか、
盗賊化してそれを抑えられない政府の権威が失墜し
治安がみだれが全国に広がる可能性がある。

統率のとれない軍は厄介だ。

内乱後の問題は、久光や西郷、そして、
政府内の薩摩士族の立場も非常に微妙になる。

内乱を抑えられなかった陸軍大将
西郷の統率にも疑問符がつき、
明治政府も西郷の非常に高い名望を
うまく利用していたが、それが利用できな
くなるだけでなく、責任を追及するという
難しい問題を抱える。この対処の仕方が
甘い厳しいのどちらでも、問題がある。


139:日本@名無史さん
06/11/22 20:02:57
ところが、あの大西郷と最強薩摩士族の
コンビでも、平民政府軍に勝てなかった
となれば、士族の時代が終わったことを
印象付けられるし、もう誰も反乱を
おこそうとは思う人間がいなくなる。

現に西南の役は、日本で最後の内乱になり、
日本というひとつの国ができた。


140:日本@名無史さん
06/11/27 20:47:23
自転車ツーキニストの疋田智氏の著書「日本史の旅は自転車に限る 天下を獲り損ねた男たち」では
「わしは韓国で斬られる。それを口実に士族を送り込めばいい」と彼はいった。
韓国人にとってはトンデモなく迷惑な話だが、
西郷のアタマは、もはや、職もなく、プライドばかりの士族たちをどうやって救うか
ということばかりだったのだろう。彼はただ単に士族に活躍の場を与えようとした。
勝敗などはもはや度外視だった・・・・・

と、ありますが、この発言は(真意は別として)事実なのでしょうか?

この文章をごらんになって、感じられること等、
何かご意見があれば、よろしくお願いします。

141:日本@名無史さん
06/11/29 13:54:27
>>140
んじゃ一言
西郷もいいかげんにするお

142:日本@名無史さん
06/12/13 13:16:54
>>140
まぁ、概ね事実なんでないでしょうか?

ただ、マスコミがよくやりますが、肝心なところを隠して、
一部だけをとりあげている感があります。

この主張の根拠はすべて、板垣宛西郷書簡です。

そもそも征韓論というのは、朝鮮使節派遣
問題を具にした、洋行帰りによる留守政府
への巻き返しを意図した主導権争いなんです。

西郷は、薩摩で不遇だった時代をみても
わかるように、この手の内部の権力闘争が
下手で、その変な大久保にまかせっきりです。

で長くなりますが、そのいきさつを。。。。。

143:日本@名無史さん
06/12/13 13:26:17
URLリンク(f48.aaa.livedoor.jp)

定期的に幕府は朝鮮からの朝鮮通信使をうけいれてきました。
ここで口をすっぱくしても強調しておかなくてはならないのは、
司馬遼太郎の本にもかいてあるんですが、この頃の朝鮮は
もう常識はずれなレベルにおいて、どうしようもない儒教の
形式に凝り固まり、礼という形式を国家の国益以上にすべて
において優先する国家だったのです。



144:日本@名無史さん
06/12/21 22:07:49
濡れ衣を 干さうともせず 子どもらが なすがまにまに 果てし君かな




145:日本@名無史さん
06/12/22 12:26:41
まんまだな。(^^;
勝さんは詩は苦手のようだ。

西郷自身の反乱でないということは、
天皇、大久保、その他大勢の発言からも
伺える。自転車ツーキニストの疋田智
さんはちと、自前の論の展開のために
歴史的事実をおとしめすぎかと。


146:140
07/01/06 18:03:10
>>142
お礼が遅くなりました。

朝鮮は「お前ら、身の程をわきまえろ」という態度だったんですね。
でも普通にありますよね。そんな態度。この社会でも。
でも朝鮮の場合、儒教によりガチガチになっていたんですね。

大東亜戦争の大本営参謀だった瀬島龍三さんも朝鮮半島は軍事的に重要な場所だったと書いておられますから、そんな態度でこられたら日本としたらやるしかないというところまで追い詰められてしまうでしょうね。。。

なるほど、知れば知るほど・・奥が深い。
大変、勉強になりました(本当に感謝します)

147:145
07/01/06 18:04:31
>>145
ほんと~~~ですね。
僕も、今日、ちょっと利口になりました。

148:日本@名無史さん
07/01/06 18:05:33
ああ、訂正します。
147を書いたのは140でした^^

再度お礼を。。。みなさん、ありがとう。

149:日本@名無史さん
07/01/09 13:12:38
>>140
143です。お礼のほどでもありません。
実は途中で書くのをやめてまして。(^^;

でも、>>146で 朝鮮半島は軍事的に重要な場所
ということを認識されておられるようなので、
まぁ付け足すこともそうないのですが。
知ったかぶりのものづきながら
一応続きを。。。。。


150:日本@名無史さん
07/01/09 13:14:08
当時の指導層の列強に対する危機感は
非常に切迫してました。

廃藩置県という、普通ならありえない
クーデターがほとんど混乱もなく成立した
点がそれをよく示しています。

その危機感と朝鮮半島の安全保障の問題は、
当時の帝国主義的な常識では、日本の死活問題で、
事実その後の歴史の、日清、日露はすべて
朝鮮がらみの問題でした。

朝鮮使節問題(征韓論)は世界情勢への認識に
乏しい上頑なな朝鮮に変化が必要と考えた西郷の
行動で、彼はその朝鮮の認識を変えるためには
平和的にせよ日本への黒船のような方法にせよ行動
による変化が必要と考えていたと思います。


151:日本@名無史さん
07/01/09 13:15:32
西郷はただそれだけを考えていたのですが、
征韓論は、その論争の直前に、欧米視察の
旅にでていた岩倉、大久保、木戸、伊藤など
の西郷以外の主力メンバーが、条約改定を
しくじって面目をおとし、留守時に政府の
重要な改革を次々に行った、江藤などの台頭
で、政権を失いつつありました。
それを阻止するため、大久保は征韓論を政争の具
につかいました。これは大久保も苦渋の選択だった
ようで、相当逡巡していたようです。

西郷はこの手の内部の政治が苦手でこれまでは、
大久保がやっていたのですが、この欧米視察で、
大久保と立場を異にしてしまった。

江藤派は、そこを狙い、大久保と西郷の分裂と、
国家の最重要問題の、この問題を押し通すことで、
政権主導権の確立を狙っていました。

朝鮮使節問題は、そんな政争以上に重要な問題で
あったため、まっすぐな西郷は引き下がれず、
そこを両者に利用されたんですね。


>なるほど、知れば知るほど・・奥が深い。

おっしゃるとおりで、
陰謀はどうなされるかをまざまざと
見せてくれる好例だと思います。

152:140
07/01/09 20:45:05
再度の投稿ありがとうございます。
知ったかぶりなんてことはないです、大変、勉強になります。
投稿を拝読してから、以前に自分なりにまとめた年表を再度追ってみたら1873年に大きな動きが集中しているんですね、で、これを検索したら「明示六年の政変」にヒットしました(江華島事件も、その背景にガチガチの儒教思想があったということなんですね)

で、素朴な疑問が湧いてきたのですが、
大久保、岩倉も当然、半島の軍事的重要度は認識してたはずです。
だって半島問題は「政争の具」以前に、国家の軍事上の重大課題であったはずです。
この明治六年の時点で彼らには、半島問題に何か代替案があったんでしょうか?
>>大久保も苦渋の選択だった ようで、相当逡巡していたようです
この逡巡の意味は何でしょうか?

153:日本@名無史さん
07/01/09 22:59:40
>>152
>大久保の逡巡
①盟友西郷と袂を分かつこと。
②①の結果、薩摩の武力的背景を失うこと(その代わりに西郷下野後、島津久光を取り込もうとしたが失敗している)。
③西郷、板垣を下野させることによる、政情不安(本人の考えはともかく、彼らは不平士族の代表とみなされていた)。

154:日本@名無史さん
07/01/10 09:27:23
逡巡は完全に153は完璧な回答だろうと思います。

>大久保、岩倉も当然、半島の軍事的重要度は
>認識してたはずです。

認識していたでしょうね十分に。
ただそれより、政権を自分たちで持つことを
優先、つまり江藤のような理が先にたつだけの
連中にやらせては、それこそ日本の選択を
誤らせると思ったのでしょう。
自分的には西郷と江藤のペアと大久保派
の一部をとりこめば日本はそれなりにやって
いけたと思いますが。(^^;


155:日本@名無史さん
07/01/10 09:29:03
>だって半島問題は「政争の具」以前に、
>国家の軍事上の重大課題であったはずです

そのとおりで、実際大久保は西郷下野で
政権を取り戻した直後しっかり対策してます。

その最初の一手がお調べになった江華島事件で、
大久保の死後も伊藤に受け継がれます。

つまり、大久保はまるっきり黒船方式を
とったわけです。

ifはナイといっても、西郷だったらどうだっただろうと
考えてしまいます。朝鮮使節問題時の西郷のイメージは、
長州征伐のときの直談判だったと私は 思いますが、
そうなっていれば歴史は 相当かわっていたでしょうね。

なんか、どうしても大久保批判な書き方に
なってますが、自分は西郷なみに評価して
るんだけど。。。。

どうしてこうなるんだろう。(^^;

156:日本@名無史さん
07/01/10 21:16:34
再度の回答ありがとうございます。

>>153さまの回答が完璧とのことですね。
いや~、みなさん博学ですね・・・!
私はてっきり朝鮮対応策の一手、飛車を失うかのような苦悩が伴ったのではないかと憶測してました。

>>黒船方式、つまり艦砲外交ですよね。

私が西郷さんに興味を持つようになったのも、
泥沼の日朝関係の由縁に興味があったからなんです。
どうしてここまで悪化してるの?という素朴な疑問です。
先に紹介した瀬島龍三さんは、職業柄、バリバリの右翼ですw。
この人にいわせれば日韓併合も、後ろ指を差されるようなことのない国際的にみても
なんら問題のない正当な条約という認識なんです。

確かに論理的にはそうかも知れません。
「論理」というのはそれぞれの立場でいくらでも創ることが出来るからです。
ヒットラーにはヒットラーの論理があり、フセインにはフセインの、大日本帝国にも。。
それぞれに、それぞれの論理があるんです。でも大切なのは「論理的であること」よりも「理性的であること」なんです。
そこが人間の真価だと思うんです。ときに自分に不都合なことも、自ら課さなければいけなくなるんです。
ここに「人格」というものが現われるんだと思うんです。


>>どうしてこうなるんだろう。(^^;
たぶんですね、大久保の論理力は認めつつも、西郷さんに論理に勝る理性を感じておられるからではないでしょうか?
私は「論理の大久保」「理性の西郷」・・というイメージなんです。
たぶん、ですが敬天愛人の”天”とは初期仏教でいう自然法と類似の意味を持っていると思うんです。克己修身、自律心、自制心。。です。

if,西郷さんだったら・・・・どうなっていたんでしょうねw
ありがとうございました。

157:日本@名無史さん
07/01/18 08:14:42
その考察ではまだ不十分だ。
様々な史料から総合すると留守政府の舵取り役を担っていた江藤の言動が問題の中心にある。

江藤は薩長土肥の中で最も発言力の小さな佐賀閥の台頭という野心を抱いていた。
何故佐賀の発言力が弱かったかと言えば、滅多な事を口に出さない大久保さえも露骨に「佐賀のお国柄とは申しながら」と言い放つくらい臆病者の気風が際立っていたからだ。

大久保にしてみれば薩長土と比べて軍事力としては全く期待出来ないのが佐賀だった。

そんな中で新政府では長州が薩摩に次ぐ発言力を持っていたが、長州は長州でカネに汚いお国柄が発揮されて政治は早くも汚職の巣窟と化した。
江藤は維新直後から早速始まった政治腐敗を一掃する為に西郷の内諾を得て、
腐敗の元凶である長州閥を政権から叩き出そうと試みたのだ。

井上馨の事を「三井の番頭」と呼んでいた事で知られる西郷は元々私腹を肥やす腐敗官吏に好意を持つような性格ではなく、基本的には私腹を肥やしていない江藤にシンパシーを感じたのだろう。
江藤の方では「西郷は愚人である。まず西郷を使って長州を倒す」と述懐していたように長州、そしてゆくゆくは最大勢力薩摩に取って替わるつもりだった。

158:日本@名無史さん
07/01/18 09:03:02
大久保や木戸らが海外に出た途端、江藤は長州閥の大掃除を開始した。
西郷に話をつけて薩摩を後ろ楯にした江藤が汚職の摘発に辣腕を奮うと、スネに傷を持つ長州の貪官汚吏は為す術なく証拠を突き付けられて処罰されていった。
世間では江藤時代が始まったともてはやし、長州閥はコテンパンに叩きのめされ風前の灯となった。

そこへ大久保らが長旅から戻って来た。
禁門の変で薩摩を恨んでいた長州を紆余曲折の末にやっと糾合した大久保の目には、
江藤が維新を台なしにしかねない危険な綱渡りをしているように映った事だろう。
大久保には薩摩人の事務処理能力の低さが頭痛の種だった。
「戦場では非常に役立つが役人としては殆ど使い物にならない」というのが薩摩閥に対する大久保の評価だ。

つまり分かり易く箇条書きにすると
薩摩閥…

軍事力◎事務処理能力×品行◎

長州閥…
軍事力○事務処理能力○品行×

佐賀閥…
軍事力×事務処理能力◎品行○

といった所だ。

佐賀が長州を政権中枢から駆逐しても、長州は厄介な反政府勢力として維新の足を引っ張るだけとなる。
その場合佐賀軍では薩摩の助太刀として期待できない。
しかし非力な佐賀を切り捨てても痛くはない

159:日本@名無史さん
07/01/18 09:17:10
志士歴や所属藩の戊辰役での貢献度なども新政府での任官では重要だったろうから。
江藤がいくら有能でも序列は低かったろうな。肥前なんて勝ち馬に乗ったに近い形だし。

それでも割と貢献度の高い尾張や芸州が新政府の中枢に加えられなかったのは人材がいなかったのだろうな。

>>158
薩摩にも松方、寺島、五代など強力な人材はいたけどな。軍事畑ほど充実してはいないけど。

長州は金に汚い人物が多かったが、薩摩は女に弱いと言われていたらしい。品行は△?

佐賀は江藤、大隈らの個人プレイに近いから弱いよな。

土佐は藩が日和見のときの板垣の頑張りだけが貯金だったし、人材は二流どころだし。

160:日本@名無史さん
07/01/18 09:18:28
つまり大久保は風前の灯として政権中枢から一掃される寸前だった長州閥に助け舟を出す事で薩長の分裂を回避し、
維新を台なしにしかねない勝負に打って出た軽率な江藤と西郷を切る事にしたのだ。

西郷を利用して薩長を分裂させようとした江藤の野望はこうして大久保に叩き潰され、
その副作用で長州閥による腐敗の病巣は残留した。

161:日本@名無史さん
07/01/18 09:22:44
女に弱いのは汚職とは直接関係ない。
ここでいう品行とは権力を私する誘惑に対する耐性だ。
薩摩閥では女に狂って政治を腐敗させた形跡はほぼ皆無なので◎で問題なし。

162:日本@名無史さん
07/01/18 10:06:27
長州人が品行方正だったらとか佐賀人が勇猛果敢だったらと夢見ても始まらないからな。
欠点まみれの人材を上手く使いこなすのが政治指導者の役目。

肝心要である維新政府の崩壊を防ぐ為にギリギリの選択で長州閥の不正を見逃して清廉潔白な江藤や西郷の方を潰す事を決断した大久保の指導力は瞠目に値する。
大久保が汚職に一枚噛むような人物ではなく、西郷とは命懸けで助け合う親友であったにも関わらず私情が全く挟まっていない。

163:日本@名無史さん
07/01/18 10:15:09
>>161
黒田さんと北海道…

164:日本@名無史さん
07/01/18 10:17:35
黒田と北海道がどうかしたかね?

165:日本@名無史さん
07/01/18 10:26:13
黒田が酒に酔って妻を斬殺したという噂は全く事実無根だよ。
当時の関係者の証言を集めると妻の主治医らが病死と診断しているにも関わらず黒田の評判を下げる為に故意にデマを流された形跡がある。

大久保が汚職で肥え太っているという噂が立って暗殺された程の時代だから根も葉も無い噂の出所はハッキリしないが、
状況からは薩摩閥の弱体化を狙った勢力の仕業にも見える。

166:日本@名無史さん
07/01/18 10:32:09
北海道は薩摩閥の植民地と形容される程薩摩出身の官吏が赴任していた時期があったが、それは伊藤博文が内務卿になってからの傾向。
ロシアの南下に備える為に薩摩閥の武力を必要とするという体裁で東京から左遷されたと見るのが妥当。

黒田の妻の死にまつわる噂といい、大久保の死後薩摩から主導権を奪った長州閥の意図が匂う。

167:日本@名無史さん
07/01/18 10:39:11
長州が諸悪の根源だったのかw

168:日本@名無史さん
07/01/18 10:54:23
例の法則は太陽系最強の生物と名高い薩摩武士さえも毒牙にかける。

169:日本@名無史さん
07/01/26 16:13:03
 改心しないで、肉食で身が穢れている者は助からないのだ。天国でなくて地獄行きだ。
 出口王仁三郎 続・瑞能神歌(予言)
シベリア狐は死にたれど(ソ連崩壊) 醜の曲霊は種々に  妖雲呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ
オホーツク海や千島船 樺太島を揺さぶりて  雪割草の間より 暗雲低く仇鳥の
舞い下り上る恐ろしさ  北海道から三陸へ 雪崩の如く押しよする
ここを先どと連合の 戦の場や神の国  華のお江戸は原爆や 水爆の音草もなき
一茫千里大利根の 月の光も哀れぞかし  残るは三千五百万 星条旗の旗の下
どっと攻め入るアメリカの 沖縄沿いや人のなく  非義非道の場所狭く 八百曲津見神八岐大蛇
哀れ崩るや日の本の 血汐に赤き統一も  アメリカの殺戮も ここに終わりて神の子は
再び原始に帰るぞかし
大江の幽山に立籠めし 醜の邪霊の重なりて  今は九尾の本姿 世界隅々またがりて
組んずほぐれつのたうつる 姿は哀れ曲津神  八百曲津見神八岐大蛇 その行くさまの凄まじき
物質界の曲津神 狂人の如く振舞いて  世は様々の相克ぞ
世の大本も散り失せて 月の輪台の影あわれ  お蔭信心なしいたる 信徒は今は離れ去り
真実の三千五百人 残る教の幕開きは  この時からと高熊の 山の五十鈴や清水台
国常立の大神の 岩戸開きはこの時ぞ  固き巖に手をかけて 振うて落す地獄道
ノアとナオとの火水霊 現れ出でて揺さ振れば  一天にわかに掻き曇り 矢を射る如く流星の
地球に向いて落ち来る 大地一度に震動し  吼へば地軸の回転も 止るばかりの大音響
物質浄土は忽ちに 地獄餓鬼道修羅と化す  山は崩れて原野裂け 人は哀れに呑み込まる
身の毛のよだつ凄まじさ 今明かに書き置くぞ  三段いよいよ開く時 三千余年の昔より
国の御祖の選まれし 中略  神代ながらの祭政一致 開き始めて日の本の 中略
ここに従ふ三五の 人の心ぞ尊とけれ  宇宙を拝し宣りませば 世界は輝きおのころの
東天に向い伏し拝む 地上天国この秋ぞ  


170:日本@名無史さん
07/01/27 22:25:03
長州って陰謀だらけで、いつも責任なすりつける相手探してるんだよな。
真実をねじ曲げてまで・・・。

171:日本@名無史さん
07/01/27 23:14:38
大久保の気高さと公正な治世を心から尊敬して見習おうとしていた伊藤は、
自分が内務卿になったからといって長州閥をエコ贔屓する気はなかっただろう。

ただ山縣や井上らが利権を貪る為に薩摩閥の足を引っ張る悪企みに奔走するのを抑えるだけの力量が無かっただけで。

172:日本@名無史さん
07/03/02 04:20:35
鹿児島県要請で「西郷隆盛は征韓論」削除
 西郷隆盛らの征韓論を記述した日本史教科書に、
西郷が朝鮮との平和的交渉を目指したとする「遣韓論」も併記するよう
鹿児島県の伊藤祐一郎知事から要請を受けた教科書出版社の1つが、
「西郷は征韓論を唱えた」との記述を削除していたことが1日、分かった。
伊藤知事が県議会で自民党県議の質問に答え、明らかにした。
スレリンク(news板)

173:ホッシュジエンの国内ニュース解説
07/03/02 11:59:51
 西郷隆盛らの征韓論を記述した日本史教科書に、西郷が朝鮮との平和的
交渉を目指したとする「遣韓論」も併記するよう鹿児島県の伊藤祐一郎知事
から要請を受けた教科書出版社の一つが、「西郷は征韓論を唱えた」との
記述を削除していたことが1日、分かった。伊藤知事が県議会で自民党県議の
質問に答え、明らかにした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    尊皇攘夷とともに韓国へ武力で開国を迫る
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  /  征韓論者、西郷隆盛。  
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~ 
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 国民にとって最も危険な人物らを支持させ
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l ようとするのは、国の常套手段ですけどね。(・A・ )

07.3.2 日経「『西郷は征韓論』を削除・鹿児島知事要請で教科書出版社」
URLリンク(www.nikkei.co.jp)

174:日本@名無史さん
07/03/07 18:47:38
西郷が「不平士族対策のために」征韓を唱えた
ってのはどこから来たんだろう
そう言った書簡がある?
それとも単なる予想?

175:日本@名無史さん
07/03/07 20:33:26
西郷が征韓論を焦点とする政局で下野したのは事実であり、征韓論を唱えたと解釈するのはあながち間違いではない。
自分が朝鮮で命を落としたら後の事を頼むと板垣に頼んでもいた。
板垣と言えば主戦派の筆頭だから発言の趣旨は明白だ。
大東亞戦争後に日本のマスメディアを乗っ取った反日勢力による言論統制の為に朝鮮への武力行使を企てる征韓論については問答無用で悪の烙印を捺された。

勿論当時の経緯を調べたら身勝手な理屈をつけて日本人に危害を加えていた朝鮮の方に非があるのは明白であり、
必要とあらば武力行使をいとわない西郷さんが板垣に与したとしても全く不思議は無い。

西郷さんが征韓論ではなかったと強調するのは、
反日史観によって歪曲された征韓論=絶対悪という反日宣伝の呪縛から抜け出していないが故の歪曲に過ぎない。

176:日本@名無史さん
07/03/08 07:57:05
>>175
「無礼」というだけでは朝鮮の非は明白でない
と考えたのが西郷
日本もつい最近まで攘夷してたから
西郷は朝鮮の感情をよく理解していた

177: 1です  
07/03/08 21:55:07
>>175は「西郷さん」と言うところを見ると本当は西郷が好きなんだね

意見はどうあれうれしいよ


178:174
07/03/08 22:10:28
「不平士族対策のために」という言葉は
板垣宛て書簡の中に出てくるのかな?

179:日本@名無史さん
07/03/12 12:51:59
自分は知らないが、西郷に求められたのは、
ほとんどその不満をを抑えることなので、
朝鮮使節派遣問題の狙いは

5割は不平をそらす
(即戦争・征服というわけでは、もちろんない)
5割は安全保障上の問題

だろうと普通は思う。

ただ、台湾征服後の清国とのやりとりの
困難さをみても、明確な主従関係のない
台湾に対し、明確にそれがあった朝鮮問題は
確かにややこしい。



180:日本@名無史さん
07/03/12 13:33:34
それがわからない西郷ではないはずで
なんらかのビジョンがあったはずだが、

推測させていだいただくと、当時儒教的礼儀にうるさい
朝鮮が礼をとった使節を殺すわけないし、
そうなっても、ほとんど国家元首級の人物を殺すこと
になるので、それに対し日本が軍事行動をとり、プサン
の占領程度をやったとしても極めて正統。

そうなると、いくら主従関係のある清国も撤退を求め
はしても、あまり強い非難行動はとれない。

表面上、最悪のシナリオでも
・開国をもとめた平和条約締結
・プサンの返還(これで清国はだまる)
・かかった経費+αの賠償金
だと西郷は考えたのではないか。

つまりこの最悪のはずのシナリオでもすべて
メリットがあり日本は戦闘で死んだ兵士以外
のデメリットはない。

181:日本@名無史さん
07/03/12 13:39:21
実は西郷的にこれがベストだったが、ありそうも
ないので、半分冗談で、板垣に自分が殺されたら、
そのときは堂々と軍隊で乗り込めばいいといったの
だろう。彼の手紙にはこういうちょっとブラックな
冗談が好き。

だが実際ありそうなパターンは、ただの平和条約の
更新で収穫といえるのは、日本が開国し維新を成し
遂げた理由を切々と朝鮮にうったえ、開国にむけて
動きつつある中国と日本に対し朝鮮がいかに鈍感と
同時に危機的であり、いますぐ開国の準備をするべきで、
それは日本の利益にも沿うことであると説くというもの。

これで、朝鮮に変化を求めるというものでは
なかっただろうか。

もっとも、実現可能性がないわけでない、目標と
していたのは、開国を含む平和条約の締結であったろう。

こう考えると、大久保のいうように征韓論は
必ずしも暴論ではないのだが政争の具にされて
しまった。


182: 1です  
07/03/12 23:03:58
>>179-181
久しぶりにスレタイに沿った内容の濃い書き込みが出た思います
ありがとうございます

183:日本@名無史さん
07/03/13 02:14:35
西郷のプランは実はかなりの名案だったんだよね
どっちに転んでも長い目で見れば日本の国益に叶うという。
江華島事件の大砲外交っぷりに西郷がぶちぎれるのも理解できる↓
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)


西郷は恐ろしく頭の切れる軍人であり、同時に、
理想を忘れぬドリーマーでもあった。

こういう軍人こそ、その後の日本に必要な存在だったのになぁ・・・

184:日本@名無史さん
07/03/13 09:21:22
そうだね。

>>江華島事件の大砲外交っぷりに
ビスマルクに影響をうけた
大久保→伊藤ラインは朝鮮の植民地化も視野にはいって
いたのかもしれないね。

西郷南洲遺訓」より

「文明とは道の普く行なわるるを賛称せる言にして、宮
室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うに非ず。
 世人の唱うるところ、何が文明やら、何が野蛮やらちっ
とも分からぬぞ。予、曾(か)つて或る人と議論せしことあり。
『西洋は野蛮じゃ』と言いしかば、『否、文明ぞ』と言い争う。
『否々、野蛮じゃ』と畳みかけしに、『何とてそれほどに
申すにや』と推(お)せし故、『実に文明ならば未開の国
に対しなば慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、
さなくして未開蒙昧の国に対するほどむごく残忍の事を致
し、己れを利するは野蛮じゃ』と申せしかば、その人は口
をつぼめて言なかりきとて、笑われる」

西郷は欧米の帝国主義を文明に非ずと断じていたように
別な日本やアジアのイメージがあったのかもしれない。
ちょっと遠くを見すぎていたのかもしれないが。


185:日本@名無史さん
07/04/13 13:02:58
「西郷隆盛とは」
中杉 弘ブログ
URLリンク(blog.livedoor.jp)
来訪されたし。

186:日本@名無史さん
07/04/13 13:38:45
未開蒙昧の民に対して慈愛を以て接するのは理想だが、当の薩摩が関ヶ原以来続いた徳川による圧力に対抗する為には奄美や琉球を武力で搾取せざるを得なかったように、
現実から乖離した幻想だ。
弱者は食い物にされ、強者だけが生き延びる。

187:日本@名無史さん
07/04/13 15:31:55
西郷って一種の宗教家みたいなもんだろ
西郷武士道狂

188:日本@名無史さん
07/04/13 15:36:25
韓国のことわざ
「女は三日殴らないと狐になる。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」
「他人の家の火事見物をしない君子はいない。」
「弟の死は肥やし。」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」
「死んだ息子のちんこに触ってみる。(死んだ子の年勘定)」
「母親を売って友達を買う。」
「いとこが田畑を買えば腹が痛い。」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。」
「死ぬ女が陰部を隠すものか。」
「家と女房は手入れ次第。」
「娘は盗人だ。」
「ただの物は苦くても甘い。」
「銭は汚く儲けても、きれいに使えばよい。」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」
「ひとつ釜の飯を食べて訴訟を起こす。」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」
「倒れない木はない(あきらめずにくどけば、落とせない女はいない)」
「ニ人で食事をしていて、片方が死んでも気が付かない。(すごく美味しい)」
「女の話は良く聞いても破産し、聞かなくても恥をかく。」
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」

189:日本@名無史さん
07/04/13 22:04:56
現代日本人でさえ武士道を理解できないバカが増えたぐらいだ。
無知蒙昧な朝鮮人に西郷の慈愛が通用すると考えるのは甘い。


190:日本@名無史さん
07/04/24 01:43:17
彼は、最後は穏やかに、静かに、ひっそりと生涯を終えたかったのだろうと思う。
あの様な最後を遂げなければならなかったことは、なんとも痛々しい。
しかし、あの最後だからこそ彼の生涯は輝いたのかもしれない。
英雄とはそういうものなのか。

191:日本@名無史さん
07/04/24 01:51:27
西郷は単なる愚人、宗教の教祖と変わらない

192:日本@名無史さん
07/04/24 01:55:36
そんなことしか言えないおまえが真の愚人だな

193:日本@名無史さん
07/04/24 01:57:36
>>192
西郷って何が凄いの?薩摩人に人望があっただけだろw
今の公明党みたいなもの

194:日本@名無史さん
07/04/24 02:11:35
>>190
彼だからこそ、全てを背負って死ななければならなかったんだと思う。

195:日本@名無史さん
07/04/24 02:14:25
何の基礎知識も無いのに説明しても無理
教科書程度の知識しかない奴に「西郷のなにが凄いの?」って言われてもね・・・

196:日本@名無史さん
07/04/24 02:16:44
全てを背負っても何も、くだらない理由で反乱おこして無策で散っただけだろw
西南戦争のなんか見ると、完全に発狂して浮世絵かした宗教団体の末路とそっくり。

197:日本@名無史さん
07/04/24 02:25:40
既存の権力を有する人間から権力を取り上げてハイ平民になってね。
これを普通の人間が飲むか?
維新はそもそも武士の階級から起こったのに、彼らは平民にならなければならない。
この不満をどこかで発散させなければ、日本の安全と新しい世の中は訪れなかった。
その為の生贄。みたいなもんなんですよ。西郷さんは。

198:日本@名無史さん
07/04/24 03:45:33
西郷は政治家でも軍人でもなく、薩摩狂の崇拝者にしてそれを守ろうとする教祖だっにすぎない
オウムや切支丹のような宗教勢力が、たまたま維新側の主力として活躍し功臣になったにすぎない

199:日本@名無史さん
07/04/24 03:59:16
>>198
いや、軍人だけど?

200:日本@名無史さん
07/04/24 04:09:23
>>199
軍人だとすると古来まれに見る無策な愚人ということだな

201:日本@名無史さん
07/04/24 04:13:26
>>200
まぁ、アンタには一生わからんだろうて。

202:日本@名無史さん
07/04/24 12:38:05
ま、長州と土佐の連中はわりと理解可能な革命人だが、

(竜馬は歴史への関与は大きいしのは確かだが、
 歴史に及ぼした時間が短すぎてなんとも評価しずらい。
 実績だけをあげれば、ただの変わった仲介者。)

西郷と大久保は、他の歴史上の人物とくらべても、
かなり異質だからな。

調べれば調べるほど、凡人にはちょっと理解しがたい
精神力と行動・思考様式に唖然とする。

そういう通史的にも強烈な二人が同時代の
隣近所にすんでいたという点は、環境が人を
作るという証明だな。

いうなれば、薩摩士族とあの時代の化学反応を
代表したというか。


203:日本@名無史さん
07/04/24 17:06:08
相撲取りになるんなら、「ごわす」より「ごんす」の方がいいと思うよ

204:日本@名無史さん
07/04/25 20:24:07
龍馬暗殺に関わってる腹黒野郎

205:日本@名無史さん
07/04/25 21:43:11
西郷が朝鮮で殺されていれば
確かに良い口実になった。
「こんな未開な国は併合されても仕方ない」と誰もが思うし
韓国にいまだ「謝罪しる」と言われ続けることもなく
昭和戦後の「日本=悪」というプロパガンダもまかり通らなかったろう

西郷が殺されず、交渉が成功していればそれはもちろん
平和的外交をなしとげた日本の名誉となっただろう。

西郷内閣(留守政府)時にマリア・ルス号事件が起きている
日本はペルー船に乗せられた清国奴隷200余名を解放した
これは正に「白人の奴隷となる有色人種を解放」という図式である

明治六年政変なければ江華島事件はなく
日本はこのマリア・ルス号事件の人道的流れを引き継ぎ
その後必ず起こっただろう大東亜戦争も
人種差別をなくすための
真の聖戦となっていたはずだ


206:日本@名無史さん
07/04/25 22:33:42
西郷は偉大なのか雑魚なのか、正直よう分からん。

207:日本@名無史さん
07/04/25 23:16:49
西郷は幕末は「偉大」だけど
明治になると急に「雑魚」になる。
なぜか?
それは西郷が明治政府にとって逆賊だから。
そして今の日本政府は明治政府の続きだから。
史観がどうしても明治政府寄りになる。
たとえば岩倉使節の外遊を必要以上に褒め称えるけど
留守中に数々の改革を実行した西郷の手腕は評価しない、とかね

208:日本@名無史さん
07/04/25 23:25:40
いやそういう次元じゃなくて・・・西郷はよう分からん。

209:日本@名無史さん
07/04/25 23:39:52
逆賊になっても昔敵だった人からそれ無くして><と嘆願があって
明治天皇が西郷は殺すなと言ってた位
色んな人に慕われてたって時点で、普通じゃないと思うがね。

210:日本@名無史さん
07/04/25 23:40:44
むしろ西郷の神格化は反乱後に顕著なんだが。
政府内外の要人がこぞって西郷の名誉回復を働きかけて銅像まで建立、
遺児は侯爵家にして遺徳を讃えた。

211:日本@名無史さん
07/04/25 23:41:40
西郷の本を配って歩いたのが庄内藩の人だという事もね。

212:日本@名無史さん
07/04/26 00:31:58
西郷が同時代の人に強く支持されていたのは確かだが
何故当時そこまで支持されていたのか、はあまり伝わってない
いまだ教科書的には遣韓論が征韓論に歪曲されてるのがその一例

213:日本@名無史さん
07/04/26 00:54:47
西郷の支持層は明治新政府を再びひっくり返してもらいたかった人々。
または、革命を外国に輸出したかった人々。
前者は新政府の恩恵を受けられなかった公家、士族、困窮に喘ぐ農民。
後者は武闘派の軍人。

214:日本@名無史さん
07/04/26 01:01:49
西郷は無論愚人であるが、勢力だけはあった
薩摩狂の教祖で今の創価学会の巨大版の党首みたいなもの

215:日本@名無史さん
07/04/26 20:58:31
福沢諭吉が西南戦争後の
マスコミによる西郷バッシングを非難したのは有名?

216:日本@名無史さん
07/04/26 23:18:58
>>193 >>196 >>214
おまい、薩摩教、狂って言うの何なんだ???
自分の生まれ故郷を愛するのが、「教」や「狂」なのか?
おまいは、西郷は自らの出身地である薩摩のこと「のみ」を考え、日本の国家や世界情勢をまったく
考えていなかった、もしくは考えるだけの器量も知識も能力も無かったと言いたいのか?
もしそうなら、おまいは、西郷についてはまったくの無知だと言うことを自ら露呈していると言うことだぞ
それに気付かんのか?   ヴゥァカと言う言葉をおまいに贈ろう

217:日本@名無史さん
07/04/26 23:49:23
>>216
定期的に生まれる釣りだから気にするな。

218:日本@名無史さん
07/04/26 23:53:07
釣りは華麗にスルーしなきゃ芋侍扱いされるぉ(´・ω・`)

219:日本@名無史さん
07/04/26 23:58:59
>>216
馬鹿とは西郷のようなものを言うのだろう
久光を田舎者とかいってたらしいが、反乱までおこす分始末が悪い愚かな田舎者が西郷

220:216
07/04/27 00:06:11
ああ、そうかい、そうかい、そうかい^-^
よくわかったよ
おめでたい人だ

221:日本@名無史さん
07/04/27 00:26:18
>>220
西郷の凄さを書けない哀れな西郷オタw
しょうがないよな西郷自体無能だから

222:216
07/04/27 01:07:38
西郷の凄さ??www
きみに言って通じるものならいくらでも書いてあげるよ
でもね、きみには無理だ
きみには西郷のみならず、偉人の業績や尊さ、崇高さを理解能力も資質も姿勢も
どうやら無いようだ
本を読もう
西郷の本じゃなくてもいいんだ
きみの好きな歴史上の人物でいい
学校の図書館に置いてある様な本じゃなくて、まともな文庫本
そうだな、少なくとも300pはある位の本を読もう
それを少なくとも20冊位は読んでから、気が向いたら西郷の本も読んでくれ
お薦めの本はたくさんあるが、どれを読むかはきみに任せる
まだ若いんだろ?
しかし「光陰矢の如し」だ
本を読め、若い内はそれが己の血肉となる
がんばれよ(`・ω・´)

223:日本@名無史さん
07/04/27 01:27:11
ごまかしてないで西郷の凄さを教えても貰う

224:日本@名無史さん
07/04/27 02:25:52
人に教えを求める間は進歩しないよ。自分で調べようという気にならない限りは。
受身で一生生きていくつもりなら、止めはしないけど、酷い人生にはなるだろうね。

225:日本@名無史さん
07/04/27 03:26:52
観察日記1

西郷オタは論理的に西郷の偉大さを説明できない、しかも必死にごまかそうとする幼稚さ。
これは西郷と信者のレベルの低さの表れだろうか・・・

226:日本@名無史さん
07/04/27 07:19:06
自演臭

227:日本@名無史さん
07/04/27 09:05:26
たしかに幼稚なツリに反応しすぎだな。


228:日本とは?
07/04/27 12:48:18
幼稚なツリは醜い。やめなされ。

229:日本@名無史さん
07/04/28 15:27:02
西郷なんか武市先生なんかと比べると相当小物にすぎんよ

230:日本@名無史さん
07/05/09 23:39:09
昭和初年。西郷隆盛西南戦争戦死、五十年の記念祭が開かれた。
そしてこの記念祭出席した人々の中に、徳富蘇峰がいた。

蘇峰はこのとき、

日本人の中に、西郷南洲に対する熱い思いが、残っている間は、
日本は大丈夫。しかし、その思いが日本人の中から無くなるときは、
日本が滅亡するときであろう。

と言う趣旨のことを述べたと言う。

次期天皇としての現皇太子は、西郷について、どんな評価なのか。
一般国民は、この事項について、なにも情報を与えられていないが、
現在の皇太子妃は「西郷隆盛」など、そもそも、全く意識にない
ようにしか見えない。

西郷隆盛は、明治維新は大惨敗、致命的失敗、という立場である。
従って、もう一度、維新をやり直すべきという。

西郷のこの志は、西南戦争で西郷軍が、世界権力とそのエージェント
たるニセ日本国中央政府国家権力によって皆殺しにされたあとも、
日本人の心の奥に生き続けた。

だからこそ、大正に入ると、間もなく「大正維新」の旗が立てられた。
昭和に入ると、さらに「昭和維新!!」の旗幟が高々と掲げられた。

「維新、未だ成らず」 つまり、明治以来の日本の正統性を否定すべしと。

明治以来の日本の国家権力は、反日本的、非日本的、日本破壊的な
勢力に占領された敵国のようなものに等しい。これが、西郷の志である。

この西郷南洲の心を現在的に継承する者こそ、本当の日本人である。

231:日本@名無史さん
07/05/10 00:45:43
表現が少し右翼がかっていますが、要旨には大いに賛同できます

232:日本@名無史さん
07/05/11 01:03:50
日本がいまだ「昭和」を解釈しきれないのは
明治を解釈しきれてないから、
明治維新の多くの部分が隠蔽されてるからだと思う

233:日本@名無史さん
07/05/11 21:12:05
歴史は勝者が作るって面もあるからね
時代を問わず隠蔽はたくさんあると思う
明治六年の政変も明治政府にとって隠したいことだったのかも

西郷の征韓の意志が直接見られるのは、黒田と板垣への手紙くらいなのに、
それだけで征韓論者とするのはおかしいと思うのだが…
西郷は今でこそ回復しつつあるけど、ちょっと前まで、士族中心主義者とか
侵略主義者とも言われて、ある意味歴史の被害者だと思う

234:日本@名無史さん
07/05/12 13:55:42
副島種臣のような人道主義者が征韓論側な時点で
明治六年政変の通説は「なんかおかしい」

あと日本赤十字社の前身である博愛社が設立されたきっかけは
西南戦争だ
西南戦争だからこそ「敵味方区別なく救護する組織」
の設立を急がせ、そしてそれは実現した

当時の多くの日本人の目に、
条約改正という目的も果たせず帰還し
西郷らを追い出した明治政府はどう映っていたのだろう?

235:日本@名無史さん
07/05/13 06:07:43
>日本赤十字社の全身~
へえ、知らなかったよ!

西郷下野後の庶民の反応はわからないけど
岩倉使節団自体、新聞等で皮肉られたりしてる
洋行自体は無駄ではなかったろうが、
あの顔ぶれ及び莫大な費用と釣り合ったのか疑問
その後は留守政府に比べ反乱も多くなったし
(西郷が下野して士族の活動が活発になった面もあるだろうが)
決して、手放しで歓迎されたものじゃなかったと思う

あと、232を読んで思い出したんだけど、どっかの掲示板で読んだもの

通説は、10月15日は西郷は欠席して始末書のみを提出し、
西郷の無言の圧力によって三条が折れて使節派遣決定だけど、
15日に出席してると言う史料もあるらしい。(大久保日記、岩倉公実記)
また、大西郷全集では15日は欠席したが、始末書は17日に提出とある
で、大久保の七か条意見書の作成時期が実はもっと後ではないかというもの
もし15日に西郷が出席してたら、無言の圧力で決定したのではなくて、
ちゃんと、議論の上で決定したことになるんだよね?
もし、詳しいことが書いてある本があれば読んで見たい

236:日本@名無史さん
07/05/13 17:38:31
議事録は無いのかな
当時は速記技術もまだ無かったのかもしれないが

237:日本@名無史さん
07/05/13 19:50:21
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)
『岩倉公実記』調べたら全文あった
上のURLは「朝鮮国遣使に付閣議分裂の事」の部分
矢印は右で進む

238:日本@名無史さん
07/05/14 00:10:27
15日西郷は出席して派遣決定、17日に始末書提出とあるね
どうして15日欠席→始末書が通説になったんだろ・・・

大久保の意見書はいつ書かれたものかはっきりしていないし
もし後世の作り物だとしたら意見書を作ったことで15日当日
大久保は自分は堂々と議論したが、西郷はあくまで議論せず
圧力で征韓が決定されたと思わせたかったとか?
穿ちすぎかな・・・

239:日本@名無史さん
07/05/14 08:28:26
明治維新の三傑・大久保利通の命日は5月14日
URLリンク(news.livedoor.com)

煮え切らない雑文やなぁ

240:日本@名無史さん
07/05/15 00:20:35
>>237
よくこんなの見つけましたね、感心しました。僕は良く読めませんけど・・・w
きっと明治維新にお詳しい方なんでしょうね、羨ましいです。

241:日本@名無史さん
07/05/15 23:11:07
235だけど西郷の15日出欠についてはわからなかったが
始末書は17日付と15日付があるそうだ。
田村貞夫によれば文面自体も微妙に異なっていて、
そのうちの15日付の一通に「征討」と言う言葉が文中にある

読んだ本は「明治維新の政治と権力」92年の発行物で
田村の文は毛利の西郷は平和的道義的修好を望んだという考えの
批判として書かれたもので最後には毛利説は誰も支持してない、と書いてあったw
このごろは征韓論者かどうかはともかく西郷があの時点で唱えたのは、
あくまで遣韓で即征韓ではなかったという説明をする人が出てきたし
江藤対大久保の権力争いも今は結構支持されてると思っていいのかな

242:日本@名無史さん
07/05/16 02:18:27
西郷が朝鮮に行って説きに説いても、どうにもならんで、そのうちうなだれて帰って来ただろ。
結果、国内ではさらに過激な征韓論がもちあがって来るが、西郷は自分のやることは終わったと下野して鹿児島へ。
西郷抜きの太政官なら大久保らによって征韓論は押さえつけられる。
不平不満はつのり、結局は西郷が御輿に乗せられて・・・

西郷が行っても行かなくても結果は変わらずと思う。


243:日本@名無史さん
07/05/16 08:33:26
>>241
その二日の始末書の原本が読みたい

244:日本@名無史さん
07/05/16 12:55:42
最善を尽くした結果の征韓と
尽くさないで征韓では
同じ征韓でも意味が違う
国際世論や後々の日本の名誉のことを考えるべし

「日本は西郷(=留守政府時は事実上日本の最大指導者)
自らが丸腰で平和外交を行おうとした」

こういう既成史実を作る意義は大きい
これで駄目なら相手が悪い、世論も歴史もそうみなす

245:日本@名無史さん
07/05/16 19:17:58
>>243
長いのではしょって書くけど前後の文は両方ほぼ同じ。

17日
自然暴挙も不破計抔との御疑念を以非常の備を設け被差遣候ては、
又、礼を失せられ候得ば、是非交誼を厚く被成候御趣意貫徹いたし候様有之度、
其上暴挙の時機に至候て、初て彼の曲事分明に天下に鳴らし、其の罪を可問訳に御座候。

15日
自然暴挙も不破計抔との御疑念を以非常の備を設け被差遣候ては、
又、礼を失せられ候得へば、益々交誼を厚く被成候御趣意貫徹いたし候様有之度、
其上暴挙の時機に至り候はば、彼の曲事も判然可致候に付、其罪をに天下に鳴して、
征討可致訳に御座候。


>>244
西郷にとって名分条理を貫くことがなによりも大事
だから武力的征韓論派とか平和的使節派遣派とか関係なく、
まず第一に使節派遣で、駄目なら初めて武力行使という形を
構想していたんじゃないかっていう考えの人もいるね
8年の篠原への手紙は征韓論者とは思えないけど…

246:日本@名無史さん
07/05/16 21:56:33
たまたま白石一郎の「倭館」(対馬藩の朝鮮出先機関)という短編を読んだんだけど、
朝鮮の官ってのはとにかく横柄で話してわかるような連中ではないと感じたw


247:日本@名無史さん
07/05/17 01:21:34
>>245
ありがとう
「征討」という言葉を使っているけど、内容自体は同じだな

・朝鮮
「日本は西欧みたいニダ!お前なんかと絶対付き合わないニダ!」
・サムライたち
「なんたる無礼!朝鮮に切り捨て御免するでござる!」
・西郷さん
「まあまあ、まず使節派遣しようよ
 それで駄目なら征韓てことで。ね?」

ここに突然、岩倉御一行様が飛び入り参加。
グダグダいちゃもんつけてきた

西郷たちはただの権力奪還のためのいちゃもんでしかないことを
よーく分かってるから大反発

こういう風にしか見えない

248:日本@名無史さん
07/05/17 02:58:34
日清修好条規(対等条約)を結んだ後だし
アジア外交に対して割と楽観的というか
留守政府首脳陣は対朝交渉成功の自信があったんではないか

249:日本@名無史さん
07/05/17 07:15:51
征韓トンネル

ってあったよな。

250:日本@名無史さん
07/05/17 22:04:29
>>247
征討と書く平和使節論者がいるわけない、としたいんだろうけど
文字だけで内容的には変わらないしなあ、という感じだよね。

>>248
毛利の台湾出兵だけがソースなんで偏っていて悪いが
実際の朝鮮は日本に対して他国への対応と違ってかなり
慎重な態度で、日本人は朝鮮から殺されず帰ってきたらしい。
そのうえ宗主国の清とも対等な条約を結べた事実もあり
国民はともかく実は政府にとっては即征韓という事態ではなかったらしい。
だからこそ西郷はまず征韓論をおさえ、使節を主張したのかも。
個人的に台湾出兵を読んだ限りは門前払いはどうかわからないが
殺される可能性は低い気がした。
反対派は何を根拠に必ず殺されると主張したんだろうね

251:日本@名無史さん
07/05/18 00:45:35
西郷自身が朝鮮に死にに行くとか言ってたんじゃないの?

252:日本@名無史さん
07/05/18 01:06:09
自分は(台湾問題で清国との交渉に成功した)副島先生のようなことはでいないが、
死ぬことぐらいならできるから、行かせてくれというようなことを言っているはず。


253:日本@名無史さん
07/05/18 01:55:57
申し訳ない、副島みたいなことはできないけど死ぬことくらいできるっていうのは
板垣宛の手紙でだけだと思ってたんだがいつ頃発言されたんだろう?
三条には暴殺されたら派兵すればいいみたいなことを言ってるようだが

254:日本@名無史さん
07/05/18 21:10:56
>>253
いや、そのとおりだ。
言ったというのは、手紙で言ったという意味。


255:日本@名無史さん
07/05/18 23:03:42
そういうことでしたか、ありがとう。
板垣の手紙は回した可能性もあるようだから
回したとすれば、大隈経由などで大久保たちも知っていたかも。
もし西郷自身の手紙が根拠だとしたら、西郷には誤算だったね

256:日本@名無史さん
07/05/19 13:34:21
使節が派遣されたとして朝鮮は「皇」と書いた書をもった使節を必ず殺す
朝鮮が交渉を受け容れると言うことは日本を清同様 宗主国と認め、属国になること
だから使節派遣は絶対無理だと書いている本があったんだけど本当?

257:日本@名無史さん
07/05/19 15:00:45
 確かに憲法9条の1項で言うと、国際紛争を解決するための軍備を持たない
というのは自衛のための軍備も含み、自衛隊は憲法違反であり、自衛のために
軍備保持できるよう改正すべきである。
 政府はこれとは別に集団的自衛権を行使できるように改正しようとしている。
これは阻止すべきである。前のイラク戦争はアメリカの侵略戦争で、そんなア
メリカを助けるために自衛軍を派兵したら、イラクから見れば日本も侵略者と
なる。今後起きる朝鮮戦争の時に自衛軍を派兵すると、北朝鮮の後ろにはロシ
アがいて日本は格好のカモとなる。最後の頼みのアメリカは最後に裏切って日
本を攻撃してくる。その時になってこの憲法改正が日本を壊滅させる陰謀だと
気がついても後の祭りである。
 国民の最大の敵は日本政府
 国民は政府に支配されている。本来、土地は誰の物でもないのにそれを所有
するのにお金がかかり、その上税金がかかる。鉄壁の税体制で生き血を吸われ
ている。これは合法的な泥棒制度である。
 政府はお金を印刷する事によって元手なしにお金を使う事ができ、お金で国
民をコントロールしている。
 江戸時代、生き血を吸われて犠牲になった百姓が大勢いたから生き血を吸う
武士も食べていけたが、今の様に贅沢になり地球の資源を食い潰している経済
で、犠牲になっているのが農民だけでは経済が成り立つ筈がない。それが不況
の原因であり、戦争によって殺戮、破壊を経て、復興特需を待つより方法がな
い。これは今までの歴史が教えている。
 日本が世界文明の発祥の地であり、神の国である事を政府がかくしているの
である。日本は聖徳太子を暗殺した朝鮮人(藤原氏)に乗っ取られ、今の支配層
も同じである。この支配層はフリーメーソンの命令を受けて日本人殺しの手先
となっている。太平洋戦争はこの支配層とフリーメーソンによる日本壊滅の陰
謀だったのである。
 科学は神の存在を否定し、人間を悪魔の道具にするための洗脳の手段である。
世界は悪魔が支配しているから、悪法がはびこって悪くなる一方である。今の
人間のほとんどが悪魔の味方についており、ハルマゲドンによって悪が成敗さ
れ、弥勒の世が築かれるのである。


258:日本@名無史さん
07/05/19 15:03:17
 君たちは自分の頭で真理を研究したことがなく、馬鹿な学者の妄説を疑いも
なく鵜呑みにしている馬鹿どもだ。その典型が東大出の阿呆どもだ。
 科学は詭弁学である(メーソンによる)
 物理現象が量子力学の言う様に確率の波によって起きるのなら、因果律の法
則が成り立たない。確率の波で遺伝子が作れる訳がない。生物の魂がなければ
死体と同じである。魂まで確率の波で出来たと言うのか。おかしくて笑い話に
もならない。時間とは物体が振動するから考えられる事であり、振動しない物
体には時間は無いの同じである。 
 光の速度で飛ぶ事が出来るUFOで速度の加算法則を思考実験してみる。U
FOAとUFOBが光速度Cで並行して飛行している。UFOBから見たUF
OAの速度はC-Cで0となる。今度はお互いに逆行してすれ違った場合、U
FOBから見たUFOAの速度はC+Cで2Cとなる。UFOAを光と見立て
ても同じ事が言える筈だが、光の場合は両方ともCとなるそうである。なぜ、
物体で成り立つ法則が光では通用しないのか。測定機器で測るとCとなるよう
である。昔から光は瞬時に伝わると考えられて来た。オリオン座のリゲルは7
00光年(光速度は30万㎞毎秒)の距離にあり、今輝いている光が700年
前の光だと到底思えない。だから、相対性理論は真っ赤な嘘である。
 最初に狂牛病になった牛はプリオンとはまったく関係が無い。牛に牛の肉骨
粉を共食いさせたからである。どうして、共食いさせると狂牛病になるのか科
学で説明してみろ。それは神の意思だからである。共食いは神の律法に反する
罪なのである。肉食も共食いの一種である。
 がんは発がん性物質によって遺伝子が傷つけられて発生すると言われている
が、発生したがん細胞は生まれたての様に若く盛んに細胞分裂を繰り返す。な
ぜ、細胞分裂で出来た細胞が急に若返ってがん細胞になるのか。新たに発生し
た細胞と考えざるを得ない。すると、細胞分裂以外の方法で発生した事になる。
このことを科学で説明する事は出来ない。女性の卵子細胞も同じ事が言える。
ボウフラはたまり水からわく。この不思議な現象を神道では邪気によって生物
が生まれると解明している。 


259:日本@名無史さん
07/05/19 15:25:33
キショイスレだなwww
何無理やり西郷をキモ左翼の平和主義にしてんだよw

260:日本@名無史さん
07/05/19 18:26:59
書簡というのは前後の流れを読まないと意味がないように思う
どんな言葉に対してなんと返したのか
板垣や三条や江藤や岩倉や大久保や
明治六年政変でやりとりされた全ての書面を確認したいものだ

261:日本@名無史さん
07/05/19 22:22:38
まあ、研究者や良心的な歴史小説家はそういう作業をした上で、
自分なりの説を立ててるんだろうな。

「翔ぶが如く」を読むと、国内士族の救済と
「(西郷が考える)
 あるべき日本 (=士族が国を担う伝統的な倫理よって成り立つ国)」
のために西郷は愚直に戦争を希求していたことになっている。
司馬遼太郎は、どう考えても(膨大な引用の量からいって)そういう作業をしていると
思うので、彼の(そういう作業の結果)持った印象はそういうものだったのだろう。
まあ、小説家の場合は、調べた上で、あえて脚色するということもあるので、
なんともいえんけど。

262:日本@名無史さん
07/05/20 00:50:37
色々調べた上で西郷は士族と結びついてると考える人が多かったんだろうね。
征韓論争の西郷の意図は現在も西郷が使節になって殺されることで戦争を
起こし、武士を救済しようとしたという考えが多いみたいだし。
平和使節とした毛利さんは、その説が合っているかどうかは置いておいて
新しい西郷像を発見した人だと思う。
たくさんの解釈が出るから歴史は面白い。
六年の当事者達の書簡とか見たい。議事録とかあればよかったのにな。

263:日本@名無史さん
07/05/20 15:58:22
まあ、士族と結びついている、というより、
西郷自身の信念というか、願望のようなものだなぁ。

明治維新以降「士族」というまとまった集団が形成されたことはなかったんでね?
西郷自身にはそういうものを糾合して一つにまとめるだけの
カリスマがあったけど、そういうことをやろうとはしなかった。
(その気があったのなら、萩の乱とか、佐賀の乱とかには、
 もうすこし別の対処のしかたがあったはず。)

西郷が結びついていた集団というのは、薩摩士族だけで、
それも、薩摩士族が西郷の意を体して立ったのではなくて、
仕方なく担がれたっぽい。
西郷自身は、朝鮮使節の話が流れた段階で、嫌気がさして、
もうどうでもよくなってしまったというのが、
やっぱり本当のところのように思える。

ぶっちゃけ、西郷にとっては日韓関係がどうなろうと、戦争がおきようと起きまいと、
知ったこっちゃ無かったんでは。

264:日本@名無史さん
07/05/20 19:13:21
作家も研究者も所詮一解釈か
こんなに解釈が割れてるからには
原典確かめて自分なりにすっきりしたい気分
西郷サイト作ってる人が原資料の現代語訳をまとめてくれたら有り難いよなw

265:日本@名無史さん
07/05/20 21:02:30
勝は西郷は征韓論者じゃないと主張してたな
史料を全部見たとしてもこれだけ両極端な解釈が出るんだから
謎が深まるだけかもしれないがw

朝鮮派遣について西郷が閣議などでどのような発言をしたか凄く気になる
西郷が閣議で暴殺されに行く→戦争すれば良い、と発言したとする書もあるが
国家の代表がそんなこと言ったら副島達は反対した気がするが。

266:日本@名無史さん
07/05/20 22:06:56
というか、「征韓論」というものの実質が不明瞭な気がする。
当時の感覚としては、「懲韓論」(ちょっと懲らしめて、日本の対面を保つ)ぐらいの
つもりだったんじゃないかという気がするんだけど。
征服して自国の領土として併呑する、というような意味での「征韓論」を
唱えてた人って、あまりいなかったのでは?

267:日本@名無史さん
07/05/22 13:50:10
そういや実際征韓論を主張していたのは木戸や板垣だけど
彼らはどの程度の事をするつもりだったんだろうか?

征韓論についてのエピソードとか話も面白い。
別府に短銃を用意させ、遺書のような詩も作ったことや、
長州の人間も死んだほうがいいと言う発言を何かでよんだ。
また、下野後、桐野の話では西郷は朝鮮へ死にに行くつもりで、
使節を殺したという大義名分をもって攻めるつもりだったらしい。
こういうのは征韓論者的にみえる。
一方で山縣に戦争できますか?と聞かれ今は無理。と言った発言や
>>30のような話もある。
酒井には誠意を持って他国にあたらねばならないと言っていた
というし、明治8年の篠原への手紙もそんな感じのことを書いてる。

西郷の使節派遣の発言については印象が両極端で真意が見えない。


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