家康を再認識するスレ【やっぱりすごいかも】at HISTORY
家康を再認識するスレ【やっぱりすごいかも】 - 暇つぶし2ch484:日本@名無史さん
07/01/16 14:36:35
家康のことを色々知りたいと思うのですが、
皆さんはどういう書籍を通じて家康のことを知られましたか?

485:日本@名無史さん
07/01/16 20:17:28
抽象的すぎてどう答えたらいいかわからん
入門程度なら歴史群像のムックとかでいいだろうが、
専門性を求めるなら北島正元や藤野保、煎本増夫らの専門書、
あと「徳川家康文書の研究」は外せないだろうな

486:日本@名無史さん
07/01/16 23:19:48
>>484
きっかけは小学館だったかが出していた「マンガ日本の歴史」
あおむら純?とかいう人が作家のやつ
あのマンガ内でのド狸ぶりの家康を見て、
「ああ、天下をとるってのはこういうものなのか」と思ったな

487:日本@名無史さん
07/01/17 00:44:34
俺は25年ぐらい前に日本TVでやってた
アニメの歴史物で家康に興味もった。

488:日本@名無史さん
07/01/17 02:20:48
んでもさ、やっぱ鈴木はスゲーよ。あれが通説になれば世の中変わるぜ?大河ドラマ見れなくなる

489:日本@名無史さん
07/01/17 03:26:10
合戦分析は評価すべきと思うけど、
鈴木の言う「天下人史観批判」についてはねえ…

こんなこと言っちゃ元も子もないけど、
歴史なんてのは所詮史料をもとに独自の推論を立てるしかないわけで、
鈴木の見解もその推論の一つに過ぎないわけじゃない?

で、鈴木の「天下人史観批判」についていえば、
鈴木の好き嫌いが激しすぎて極論ぶちまけすぎの嫌いが否めないな
まあ鈴木にすれば家康なんかは「歴史を歪めた悪の権化」だから手厳しくなるのだろうけどw

鈴木の欠点だと思うけど、自説に凝り固まりすぎて、
通説や他説を必要以上に貶めすぎるんだよな
で、その悪い部分が「天下人史観批判」では露骨過ぎるかな
というか「天下人云々」は鈴木の専門外だと思うから、
合戦分析に比べて魅力がないのは仕方がないのかもしれないけど

そういう批判があったのかどうか知らないけど、
最近はこの方面についての活動はやめちゃったようだけどね
「天下人史観批判」の2冊ほど出してた本もいずれも絶版になってて、
本来の合戦分析の方向に戻ってる

鈴木は専門の合戦分析で頑張ればそれでいいと思うよ

490:日本@名無史さん
07/01/17 18:08:00
>>489
鈴木自身が「天下人史観」の本のあとがきで、
「精一杯やったが自信がない」ようなこと書いてるしな

鈴木の家康論の場合欠点を上げれば、

・幸運に恵まれただけと強調するが、
 幸運に恵まれた際家康が具体的にどう動いたかその検証もなく、
 またその行動についての評価もない

・小牧長久手の合戦のあと、家康に対し有利であったはずの秀吉が、
 なぜ自分の身内を家康に人質に差し出したのか、
 「唐攻めしたかったから」というだけで、
 秀吉が家康をどう認識していたかについての説明がない
(ただし秀吉は家康が自分の後釜を狙えるほどの実力を持っていたであろう、
と認識していた事は認めている)

・甫庵信長記を、
 「甫庵は江戸時代の人間で、脚色も多く信憑性がない」
 とあれほど批判しているにもかかわらず、
 家康のエピソードを描く際には同じ作者の甫庵太閤記を参考史料にしている

といったところか

けど手厳しく家康批判をする割には、
「江戸時代は暗黒時代ではなく、またその時代が築かれたのは家康の存在を無視できない」
と評価をしていたりもするんだよなw

491:日本@名無史さん
07/01/17 19:34:06
しかしまあある意味日本史上唯一のシナ型の英雄。
シナとは人文地理環境が違うからあんな風になったが、
シナ型英雄にありがちなある種の人間としての品のなさ、陰湿さ、
人が寄ってくる鷹揚さ、田舎っぽさ、質素さなどを兼ね備えた人物。
こういうアンビバレンスを一人格で統一してるケースは日本人には少ない。
曹操は中国人離れした人物だが、逆にこの手の型は後の日本でしばしば出ている。

492:日本@名無史さん
07/01/17 20:52:41
中国の英雄って、漢の高祖のように実務的能力は果てしなくゼロに近いが
カリスマ性だけは恐ろしく高い人間だろ?

家康は全然違うと思うが。

493:日本@名無史さん
07/01/17 20:52:55
信長のほうが(ry

494:日本@名無史さん
07/01/17 21:02:50
日本は朝廷という大義が揺るがない点、中国や欧州のように権力者が
全部塗り替えるということがないから、時代が変化するときは民意みたいな
世の流れみたいなものが外国の関与等と関係しつつ後押しして世の中が変わる
そういう意味で家康って日本っぽいと思うけど。
頼朝、尊氏も一度は敗者になっても世の中が作った権力者として復活。
誰か権力者が一から組みたてるというより、朝廷を守りつつ現状を考えつつ臨機応変という形。
ただ西欧列強が進出を受けた戦国と明治維新は例外に変革されたけど、大航海時代をうけても
もう一回幕府を開く家康は日本らしさを保全したと思う。

495:日本@名無史さん
07/01/17 21:40:25
たぶんシナ型英雄の概念が司馬ライズされてるんじゃない?
ヒキ算で毛沢東からイデオロギー性を控除すると、
資料の数で最も多いシナ型英雄が顔をのぞかせる。
周恩来のように都会っ子でもないし、公共的でもない。
案外家康みたいな人物だよ。

496:日本@名無史さん
07/01/28 11:17:24
>>491
秀吉がほとんど当てはまると思うが

497:日本@名無史さん
07/01/28 11:49:39
まあ「シナ」なんて言ってるレイシストの言うことなど、何の説得力もないがw

普通に中国って書けよ、ウヨ坊。

498:日本@名無史さん
07/01/28 12:10:51
家康の凄さは寿命だ。
これに尽きる。

499:日本@名無史さん
07/01/28 12:35:28
>>498
都合の良い時に都合の良い人が死ぬ、という運もある

500:日本@名無史さん
07/01/28 12:37:07
>>491は確かに、家康よりも秀吉の方がずっとあてはまるな

(500ゲトかな?)

501:日本@名無史さん
07/02/15 20:53:23
ヒストリーチャンネルの「徳川家康と徳川幕府」はしょぼい(特に画像がw)。

502:ぴーす ◆u0zbHIV8zs
07/02/15 21:23:51
あれこっそり黄門様が映ってたぞ

503:日本@名無史さん
07/02/17 19:27:38
凄いのはあの時代にあの家に生まれたことだ。

504:日本@名無史さん
07/02/17 20:54:28
>>1
徳川三百年といっても家康一人の功績は最初の50年程度分だろ
後は後継の徳川家臣団代々の功績
まあ泰平といっても儒教で縛って進歩的なものを悉く弾圧し、
ひたすら忠君のみに徹し骨抜きした武士道によって飼い慣らし、
公務員化した武士リーマンの上に安住した、シナ朝鮮と似たような政治体制だったから別に功績とはいえない。
もうちょっとで危うくシナ同様列強に食い荒らされるところだった。

505:日本@名無史さん
07/02/17 20:58:03

前田家はなんで外様なの?
利長は関が原で家康側についてたのに。
利政が三成側についたからかな?


506:日本@名無史さん
07/02/17 23:07:11
>>505
外様=西軍じゃないぞ

507:日本@名無史さん
07/02/18 12:27:51
東軍の主力はほとんど豊臣系なんだが。


508:日本@名無史さん
07/02/18 13:29:00
地方の有力大名は、徳川への貢献度を問わずみんな外様扱いだよ

大領を与える代わりに、一切幕府中枢の政治にタッチさせなかった
その代わり、後に、松平姓を与えたり、婚を通じたりして懐柔もしているが

509:日本@名無史さん
07/02/18 19:15:07
>>504
その代わり別の「文明」築いたからね
幕末の西洋人の観察記見てると、こちらが恐縮するくらい
植民地にならなかったのは意外に、そんな影響も大きかったのかも

510:日本@名無史さん
07/02/19 00:51:47
日本の行政中枢機構である江戸幕府は軍事政権であり、
政権トップは、連邦軍総司令官で、政権を構成する公務員たちは軍人だったわけだ。
江戸への参勤は、各地方領主たちが、総司令官への忠誠を示すための軍事的賦役。

幕末には、欧米の最新技術から取り残されたり、官僚主義が行き過ぎて、やや形骸化していたとはいえ、
常に自国(藩)の防衛が念頭にある軍人官僚たちが、政治権力を握っていたことも、
日本が独立維持出来たことに関連していると思う。文治主義の多い東アジアの中でも異色。


511:日本@名無史さん
07/02/19 21:25:10
軍人といっても幕末時の旗本八万騎の体たらくをみれば、張りぼてにも程がある
農民徴兵の奇兵隊に手もなくやられる程度の弱体ぶりでは列強の侵略を防げるものではない
武士とはいえ、その内実は今の文官と何ら変わらない
軍事訓練を行うわけでもなく、単に二本差してるだけであれを軍人とはとてもいえない

戦国時代には日本の軍事力はヨーロッパにさほど劣らなかった
仮に織田、或いは豊臣の天下が続いていれば、或いは泰平ではなかったかもしれないが、
鎖国などという政策を取ったはずもなく、世界から取り残され植民地化の危機に晒されることもなかったかもしれない。
江戸文化というものは鎖国が作り上げた一個の興味深い文化ではあるかもしれないが、
それは密閉された温室で不自然に培養され作り上げられた、壊れやすい人工的な変種に過ぎない
その証拠に開国後、周りの環境に適応出来ず瞬く間に滅んでしまった。

この政策の滑稽なところは、出島からちゃっかりと外の世界の情報を十分得ていながら、
それでも鎖国を維持し続けていたという茶番性にある。いきなり黒船が来て、開国してみてはじめて西洋文明の凄さにびっくりした、
というのではなく、もともとわかっててやってたという確信犯だから呆れる。

512:日本@名無史さん
07/02/19 22:58:50
家康が鎖国したわけじゃないと何度言ったら・・・

513:日本@名無史さん
07/02/19 23:01:56
家康が鎖国したとは一言も書いていないが

514:日本@名無史さん
07/02/19 23:28:05
ここ家康スレじゃないのか?

515:日本@名無史さん
07/02/19 23:57:36
スレの流れを読め

516:日本@名無史さん
07/02/21 01:01:43
>>511
「張りぼてにも程がある」まで読んだ


517:日本@名無史さん
07/02/23 10:19:02
世界的にみても類をみない平和な時間を謳歌し
文化・環境も非常に成熟した。という良い点は完全無視?


518:日本@名無史さん
07/02/25 20:31:33
>軍人といっても幕末時の旗本八万騎の体たらくをみれば、張りぼてにも程がある

んー でも徳川の防衛システムは幕末まで意外と機能しているよ。
甲州鎮撫隊1つ取っても八王子千人同心の近藤や、長吏浅草弾右衛門のような存在が
幕府草創期の計算通りに動いている事の方が驚きだ。

計算違いだったのは、まさか朝廷の権威があれほど高くなってしまうとは思わなかった
のだろう。

519:日本@名無史さん
07/02/25 20:33:21
三河人って偉大だよな~
日本に三河がなければ朝鮮みたいなもんだし
三河人は日本の神だよ

520:日本@名無史さん
07/02/25 20:57:27
甲州鎮撫隊や新撰組だって成員は旗本ではなく郷士とか農民でしょ
長年録食んできた旗本なのにいざという時本当使えない
意地見せたのは彰義隊くらいでしょ
それもたった半日で壊滅
会津藩一藩の方が百倍活躍した

521:↑
07/02/25 21:16:01
バカですか?


522:日本@名無史さん
07/02/26 03:04:48
バカだろうな

523:日本@名無史さん
07/02/27 00:32:40
三皮人は日本人を骨抜きにして朝鮮化寸前にまでした極悪。
徳川250年の停滞で日本は亡国寸前のところまでいった。
忠君忠孝を説く似非武士道で洗脳しようとしたが、殆ど会津以外全てに裏切られ、
全く効果なしだった。250年タダ飯食らっていざというときに何の役にも立たなかった
旗本八万騎w
所詮いつになっても三皮の田舎もんだったということだ

524:日本@名無史さん
07/03/04 19:37:11
大御所時代に駿府に現われた肉人ってなんだったんだろ?          家康を見にきた未来人か?

525:日本@名無史さん
07/03/09 00:43:22
いつだったかヒストリーchかディスカバリーで徳川家康やってた。
権力者の帝国ってシリーズだったかな?
めちゃくちゃ手抜きなつまらん番組だった。

526:日本@名無史さん
07/03/29 12:48:30
どうも、歴史を知らん奴ほど秀吉マンセーで家康をけなすな。

まず金ケ崎、秀吉ばかりが脚光を浴びるが、実はあれは
家康が助けにいかなかったらやばかった。
後々まで秀吉はそのことで家康に恩があり、義理堅く信頼に
値する男として遇した。



527:日本@名無史さん
07/03/29 12:52:56
つぎ、姉川。
数の多い朝倉を左翼で家康が対峙し、
少ない浅井に織田勢が対峙したが、
開戦後織田は一方的に浅井に押されまくって
かなりやばかった。その頃朝倉の軍勢を
破って右翼に回り込み織田を救った。



528:日本@名無史さん
07/03/29 12:59:15
次、長篠。布陣をみると、家康は敵陣主力から
数百メートルのもっとも激しい攻撃のところで
戦っている。信長は遥か後方。
まぁ家康の援軍という形でもっとも働かないと
いけないということで、この位置を自ら志願した
ということだが、ほとんど捨て駒の扱いだ。
しかし、敵を壊滅させたといっても、織田徳川も
6000のかなりの損害率だ。おそらく家康の
損害がもっとも大きかったに違いないが、
ここでも最大の働きをしている。



529:日本@名無史さん
07/03/29 13:06:50
小牧・長久手はいうまでもなく、
もっとも、スゴイのは、関が原。

東軍が勝ったため、東軍が有利に推移したとおもわれているが、
実は戦略・戦術的にかなりの綱渡りをしている。

戦略的に長期戦はのぞめない状況と、怨恨を残す泥沼の
長期戦を避けるため、あるいは、鮮やかな勝利で覇者として
印象付けるためかわからないが、わざと戦術的に不利な状況に
追い込み決戦を誘った。

これは、武田の三方が原を応用したみたいなところがある。

推移を細かく調べればわかるが、戦術的な展開とタイミングが、
針の穴を通すような、大胆かつ精緻なもの。
秀忠の主力3万がおらず、兵力及び配置及び時間的余裕ともに、
すべて不利であったにもかかわらず、会戦に踏み切った判断は
さすがだ。


530:日本@名無史さん
07/03/29 13:12:11
織田の主要な歴史的な合戦のすべてで決定的な仕事をし、
更に東国の最強の上杉・北条・武田・今川を織田の防波堤として
防ぎ続けた。そして最終的に240年の太平の世に導いた。
戦国時代の本当の主人公はやはり家康だよ。


531:日本@名無史さん
07/03/30 02:10:14
少し褒めすぎの気もするがw 家康の戦上手については同意。
古今最高位の戦略家だったとは思う。

532:日本@名無史さん
07/03/30 07:42:15
>526
家康もすごいが秀吉もすごいよ。
戦略面だけ見ればこの二人は甲乙つけ難い。

533:日本@名無史さん
07/03/30 23:59:22
・質実剛健、職業軍人肌の家康
・合理性、効率重視の天才肌の秀吉

こんな感じ?

534:日本@名無史さん
07/03/31 05:14:16
秀吉の本質は軍略家。政治と軍事の境界部分で本領を発揮。
つまり戦争する前にだいたい勝負を決めるタイプ。

戦略面をいうと、秀吉がやっぱり圧倒すると思う。
そこは家康もわかっていたようだ。

そもそも秀吉のした戦争で、やばかったのは
金ヶ崎ぐらいで、あとは秀吉自身が危ない状況におち
いったことすらないんじゃね?
小牧・長久手も局地的に負けても全体として勝つし。

こういう人は、諸将をまとめる総大将にもっともむいているな。
アイゼンハワー、マッカーサーあるいは、ニミッツみたいな。


535:日本@名無史さん
07/03/31 05:24:15
家康はっていうと、そこまでの頭がないのか、
彼らのスタイルなのか、どうしてかいつも最後は戦場にいるんだな。
多分ね東国武士の自負というか意識があるんだとおもうよ。

三河武士とトヨタには愚直なひたむきさで通じるものがあるね。


536:日本@名無史さん
07/04/01 00:04:27
家康にとって小牧・長久手は最終決戦では無かった希ガス。 長い戦略の一段階。
家康に頭が無かったら城の内堀は埋められないだろう。

537:日本@名無史さん
07/04/02 12:39:54
いくらんんでも、そこまで先を見通せる人間は
この世に存在しないだろうよ。

家康という男は、戦争ではあれだけ果断なのに、
政治的に強い相手に対しては異常なほど慎重で
相手が強い場合には石橋を叩いても渡らない。
(ところが、相手より強いときは卑怯なぐらい強くでる。)

戦略でなくて単に強い相手には様子をみるという
習性だと思う。しかも、相手が強い限りにおい
ては虚心なく本心から従うので相手も信用してしまう。



538:日本@名無史さん
07/04/02 12:41:09
これは彼の生い立ちや、それまでの経緯で染み
込んだスタイルで、運良く彼はこの方法でステップ
アップしてきた。

秀吉の誤算は、朝鮮戦争で家康以外の豊臣
恩顧の大名が軒並み疲弊し相対的に家康が
強くなる事を見逃した事。
おそらく秀吉が死ぬのを待っていたという事
ではなく、死んでしばらくして、皆が自分を
頼るようになってから野心が芽生え、同時に
豊臣政権のやり方では、再び内乱になることを
予感するに及び、決心したのではなかろうか。

家康とはそういう男のような気がする。


539:日本@名無史さん
07/04/03 03:11:48
とんでもない。 やはり先は読んでたと思うよ。
でなければ関ヶ原であれだけの根回しはできない。
秀吉子飼いの武将を味方にして邪魔者は全て排除してしまう。
これが計算でなくて何だというのだ。

540:日本@名無史さん
07/04/03 12:23:20
もし、先をよんで何10年も前から工作していたとするなら、
前田利家は暗殺ということになるな。


541:日本@名無史さん
07/04/03 12:40:25
言葉足らずだったが、いまでこそ家康が天下をとったので
関が原前も家康有利にかんじているかもしれないが、

利家存命のとき、家康はそこまで有利であったという
とむしろ逆。

もしあのタイミングで殺せなかったらかなり不利な関が原を
強いられただろう。

ていうか、現実の関が原でも戦略状況的には、
負けていたので利家が諸家をまとめていたら多分
勝ち目はない。

それとも、秀吉の遺言を破る前にすでに利家渦中に
暗殺要因を忍ばせていたというなら話は別だが。


542:日本@名無史さん
07/04/03 13:08:22
あと秀次もいたから、そんなに前から計算てのはできない。


543:日本@名無史さん
07/04/05 01:13:01
計算と言うより時期を見計らっていたと言うべきか。
大坂城は落とせると踏んでの出兵だろう。

大坂方の不安材料の多さを見れば攻略はたやすいと読んで関ヶ原に踏み切ったと言える。
じっさい吉川、小早川のような超重要ポストが裏切る事を見越せる段階で勝負はついた。

544:日本@名無史さん
07/04/06 09:07:35
んー、そう楽観できるほど、戦略状況も戦術的な状況もよくないんだがな。
政治的状況はよかったといえるが、家康の関が原の前の数日間は、
かなりの綱渡りだった。この辺がわかれるようになるには
結構背景をいろいろ調べてイメージしないといけないが、
正直自分も、若い頃はわからなかった。


545:日本@名無史さん
07/04/07 00:47:48
そうでもない。ほとんど素通りで関ヶ原まで直行している。
これは各大名、土豪、豊臣家への根回しと情報収集のレベルが高かった証拠。
家康は若い頃から今川義元、武田信玄が街道中途で挫折するのを見てきている、なのに軍行を
強行できたのは自信が有ったからと見るべき。

ちょっかいを出さない限り素通りできるほど圧倒的存在だったとも言える。

546:日本@名無史さん
07/04/07 09:02:37
豊臣政権内での争いだからな

547:日本@名無史さん
07/04/07 13:31:42
>>545
その頃には家康派とアンチ家康派にはっきり分かれていたということだろ
アンチを叩けば家康が天下を取れる下地はできていたということ

548:日本@名無史さん
07/04/07 13:37:43
家康は 戦だけでは ない!内政がほかの大名に比べてよかった。下る者にひ 下る。

549:日本@名無史さん
07/04/07 13:38:02
【都知事選】浅野史郎氏、志同じならと民団に支援を要請
スレリンク(news4plus板)%374623990/

東京都の人は、ぜひ読んでみてください。
現在、朝鮮総連や民団その他の反日団体が、総がかりで浅野を応援しています。
浅野が知事になれば、たぶん東京は終了します。

550:日本@名無史さん
07/04/09 14:45:48
その巣通りこそが綱渡りでしょ。
脆弱な補給線をさらさんといけない。

長期戦で旗色が悪くなったら、東海道で野心が
芽生える大名がいないともかぎらん。
また、昌幸とか、勘兵衛みたいなのがでない
とも限らん。

絶対に避けねばならない。
その圧倒的存在であったのではなく、
そうみせる必要があった。そんなことしてみろよと。

だから、西軍をあわてさせるぐらい、どんどん
進出して”会戦”を誘発したんだよ。



551:日本@名無史さん
07/04/09 18:41:19
素通りなんかしてないぜ。
美濃の小大名の砦は結構落としてるぞ。

552:日本@名無史さん
07/04/09 23:05:34
要所要所の重要大名や土豪への根回しは済んでたと言う事だね。
上杉も佐竹も追いかけてこれなかったし来る気も無かった。
秀吉亡き豊臣に各大名は期待はしていなかったというのが実情だろう。

メッケルスではないが関ヶ原の布陣を見て「徳川が勝つ」と言う軍人は居ないだろう。一見無謀な綱渡りに見える。
だがこの段階で大和の旧筒井家臣は家康を出迎えているし西軍の大将、幹部クラスにすら内通している。
ある意味デキレース。この段階で石田に勝ち目は無い。

553:日本@名無史さん
07/04/10 01:28:03
内応をあてにするほど、家康はおろかではないよ。
そもそも内応ってのは状況を補強する役にしかたたないし。
そう簡単ではなかったよ。


554:日本@名無史さん
07/04/10 14:04:06
でも内応をある程度見込んでいなければ関ヶ原であの布陣はできないんじゃないの?
とはいえ約束はあくまで約束であって戦況によってどう転ぶかわからなかったのも事実
で、慎重居士の家康がよくあんな賭けに出たものだと思うよ。
実際小早川が日和見してたわけだし、家康の最大の凄みはあの時点で秀秋の性格、
与える効果、諸々を瞬時に判断して威嚇射撃を命じた決断力だな。

ただ小早川の威嚇射撃による裏切りって、どうもできすぎた話のようにも思えるんだけどな。
複数の史料にある話なら事実なんだろうけど。

555:日本@名無史さん
07/04/10 15:45:20
>>554
威嚇射撃より、送り込んでいた軍監の働きが大きかったんじゃないか?
西軍はこれをしていないから

556:日本@名無史さん
07/04/11 12:18:59
指揮下にない軍隊に軍監の意味があるのかねぇ。
それとも小早川に監視役でも送っていたというのなら
話は別だが、それならはじめから東軍という事になる。


557:日本@名無史さん
07/04/11 12:22:29
それとも小早川秀秋という意味でなくて、西軍全体を監視する役が
いなかったからという意味でならナットク。
でも、西軍方にそれに適切な人はちと思いつかない。


558:日本@名無史さん
07/04/11 23:09:12
>>556
伏見攻めの後このことを家康に詫びるし、
黒田と人質交換するわ、家康と黒田の軍監を受け入れるわ、
あげく松尾山の西軍の将を追い出して居座るなど、
関ヶ原前から小早川は明らかに東軍という行動をとってる

軍監が送り込まれているということは、
秀秋への監視役の意味もあったろうし、
仮に彼が去就に迷った時は東軍に加担するよう改めて、
説得を行う事ができるわな

559:日本@名無史さん
07/04/12 03:22:59
伏見攻め自体家康は最初から想定して仕掛けた事だからな。お互いわかりきっての旗揚げだし。
当時の武将達は「あーあやっちまった」ていどの感覚だったんじゃなかろうか。

小早川に吉川は毛利両川だったか。
ホントは毛利も腹の底では家康の天下もやむなしと思ってたんじゃないかと思う。
秀吉亡き後、生え抜きの軍人達が女子供を頭にして、家康相手に本気で一戦交えるつもりが
有ったかどうかすら疑わしい。

560:日本@名無史さん
07/04/12 04:19:41
そもそも関ヶ原って政権内抗争という体裁だからな

561:日本@名無史さん
07/04/15 22:35:09
結局小牧・長久手で秀吉が完全に家康を屈服させられなかったのが後々関ヶ原まで
響いたということかなあ。

もしあそこで家康が敗北していたらどうだったろう? 長曽我部や島津の例から考えると
三河一国、よくて駿・遠・三の三国に領土は削減、関東250万石への転封も無かったろう
から後年の家康の声望・威望も無かった。転封はあってももっと僻地だったかも知れない。

562:日本@名無史さん
07/04/15 23:28:12
小牧・長久手で家康は秀吉に自分の力をちょこっと見せつければ良いだけだから
ポイントを押さえて行くだけで大敗するほど突っ込んだ総力戦をする気も無かったのでは?
まあ、織田家が投げ出しちゃったら退くしかないね。

563:日本@名無史さん
07/04/22 02:25:05
>>561

長曽我部や島津の例は秀吉の決断じゃないよ。
それに西国の外様と東国武士の代表たらんと
する家康とでは比較できないと思う。

あと、秀吉臣下の礼を取るやつには面倒見がいいし、
ほとんど戦闘をせずに相手を調略するのがうまいが、
戦闘でまけた相手には、キッチリケジメをつけるだろう。
そうであって、調略は初めて効果を発揮する。

>>562
大敗するほど突っ込んだ総力戦しないっていうけど、
結果論じゃない?秀吉の兵力をみても本気なんだから、
家康が手加減して勝てる相手じゃないでそ。

つまり戦闘にまけたら、家康も終わってたって事。
あの時代はそういうもんでないかな。
だから、裏切りもするし、調略も効果がある。


564:日本@名無史さん
07/04/23 02:22:01
ありゃー織田家vs秀吉の戦争だろ。
それに要所要所は家康に先手をうたれてるから秀吉もあれ以上攻められない。
野戦では格が違う。

565:日本@名無史さん
07/05/12 19:53:12
浜松城についてお訊きします。
城の西に行くに従って標高が高くなるというのは、電網で調べました。
ところで城全体は、三方原台地の南端にあると考えて良いのでしょうか?
それとも三方原台地の下の平野面に存在するのでしょうか?
浜松に詳しいかた御教授いただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。

566:日本@名無史さん
07/05/19 11:26:58

上田合戦は痛いぞ 家康

567:日本@名無史さん
07/05/20 00:16:10
秀忠軍は、いなくても無問題ですよ。

568:日本@名無史さん
07/05/20 10:46:55
そのおかげで外様にいっぱい領地をあげなくちゃならなくなったわけだが

569:日本@名無史さん
07/05/21 16:51:32
そんなこたぁない

570:日本@名無史さん
07/05/22 00:59:30
いっぱい領地を削られた外様もいるからな・・・

571:前田家
07/06/01 00:02:21
前田家119万5000石の内訳を教えてください。
太閤検地では越中38、能登21、加賀36で計95。
加賀の一部は金吾中納言領等とすれば、90くらい?
太閤時代は82?これが加賀2郡?加えてなぜ38増えた?

572:日本@名無史さん
07/06/04 02:54:12
新田開発くらいはやっただろうし、海に面しているんだから、貿易もしたんじゃないの?

573:日本@名無史さん
07/06/15 02:44:29
504同意、別に徳川家康が3百年幕府を統治したわけじゃないんだが
あと豊臣が天下とったけど日本を平和に導く力がなかったから徳川が「こいつじゃ駄目だ」って思ったと思う
 豊臣の晩年の暗君化を見ても明らかだし豊臣には到底徳川さんの真似事なんてできるわけない
秀吉自体小田原征伐
を終えた時点で国内統治に徹しておけばよかったんだけど
徳川さんに天下の豊臣家譲ったほうがいい国できたと思うよ
まああくまで天下取ったのは秀吉だけどね
何故徳川さん秀吉のこと嫌ってたんだろうね?
大体秀吉には支配者としての資質が不十分だったと思うんだ
徳川は一応一国一城の主の息子だし親が統治者だから
どう言う政策で国を治めればいいか十分見てきたと思うんだ
大体天下統一した時点で朝鮮侵略する事自体馬鹿だろ!
元々足軽の息子なんかが日本を支配するなんて無理だよ
もちろん小田原征伐までは評価するけど 秀吉


574:ぴーす ◆u0zbHIV8zs
07/06/21 18:46:14
【時代劇】英BBCが全編日本で時代劇制作 家康の策略描いた『SHOGUN』

URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)
スレリンク(mnewsplus板)

どんな出来になるかな。


575:日本@名無史さん
07/06/21 19:06:33
大名の石高は恣意的な部分もあるんじゃないか。

576:日本@名無史さん
07/07/10 09:35:01
石川数正の松本城に是の字の瓦があったぞ。是ってのは、清康が夢の中で不思議な老人から掌に書いてもらったもので占い師に占わせると松平家から天下人が現れる、と占われてそれ以来、松平家の縁起物になったらしい。それと墓も岡崎の大宗寺の側に見つかってる。
だから数正と家康はぐるらしい。発見者は中島次太郎。山岡荘八の「日本人の味」にあったんだがだれかくわしいひといない? てか山岡荘八の資料ってどうなったんだろうか。

「水戸宰相頼房を副将軍と免許賜うべく候そのいわれは、将軍国政上よこしまなるときは、将軍老中諸役人評定せられ、水戸より指図を以って、尾州,紀州両家を見立て、相続を奉文すべく、万一両家にその任に応ぜざるときは、
なんれの諸侯の内、天下を治鎮いたすべき品量を奉聞候は、水戸家に限るべし」(公家法度第十四目)
これって家康の朝廷に対する態度、「天下は天下~」の言葉、大日本史編纂とかの説明になる気がする。

577:日本@名無史さん
07/07/13 10:57:19
けっこう家康の経済政策なんかは信長(厳密には六角)の影響を受けている所が
あるんだよなぁ

578:日本@名無史さん
07/07/15 08:03:33
>>574
『SHOGUN』か…フジヤマ、ゲイシャ、サムライ、ハラキリから一歩も出てない前作の焼き直しになるんじゃないか。BBCは、さりげなく巧妙な反日だし。


579:日本@名無史さん
07/07/15 23:28:18
葵徳川三代の前半を放映すればいいのに
台湾でも放送してたぞ、葵。

580:日本@名無史さん
07/07/17 00:18:57
>>576
公家諸法度ってそんなことまで書いてあるんだ?
よく朝廷を抑圧し、バカにしまくったものだってことを
右も左も言うけれど、そんな単純なもんじゃないな。

581:日本@名無史さん
07/07/17 12:20:07
>578
イギリス人は嫌いだから、弁護というわけではないが、
反日というか、奴らは自分らも含めてなんでも
コケにするのが好きな国民性だからな

582:日本@名無史さん
07/07/17 16:49:39
>>580
「三種の神器(皇位)は、世界萬民撫育のためにあり」
「淳和奨学院別当職、関東将軍へ任ぜられし上は、上は三親王揺家をはじめ、公家並びに諸侯と雖も、
悉く支配致し候。国益一切知らせべく、政道奏聞に及ぼす候。四海の鎮め致し難きときはその罪将軍にあるべし」
みたいなのもある。
一々指図しなければならなかったのは、戦国時代都落ちした公卿どものみだれぶりにある。
土地だって戦国時代の朝廷の意味のなさや、織田信長の三千石からは増えている。
そもそも土地が足りない。それは秀吉時代から変わらない。


583:日本@名無史さん
07/07/17 19:16:37
>>582
なるほど。山岡荘八の造形した家康像には、
こういったしっかりした根拠があるわけだ。
少なくとも司馬遼太郎以降の小説家が描くような、
「腹黒くて冷酷で陰気な権謀家」という
矮小な家康像とはほど遠いな。

584:日本@名無史さん
07/07/18 05:57:51
>>583
でも、「徳川の天下に邪魔になるものを掃除するために、そいつらを率いて挙兵する石田三成」ってのはありえないなぁ。

585:日本@名無史さん
07/07/18 16:33:48
>>584
まあ本人も随想で、我々は歴史と小説という矛盾を組み合わせたものを書いている、みたいなことや、一巻あとがきにこれは理想小説である、みたいなことかいているからな。
研究書ってわけじゃないし。

>>584
結構根拠はあるよ。あの人は調べまくる人だから。知りたかったら山岡荘八の随想徳川家康を読んでみるのもいいと思う。司馬は論外に近い、かな。

家康は大坂夏の陣で陰険的なイメージがあるが、人生五十年の時代に関が原後十五年間、なにも画策しなかったのは結構慈悲深いと思う。
戦国武将だから確かに冷徹さはあっただろうが、信長や秀吉ほどではない。

586:日本@名無史さん
07/07/18 16:52:59
>>584
> 結構根拠はあるよ。あの人は調べまくる人だから。

三成が、豊臣家を差し置いてそんなに家康に献身的だったの?
そんな描写してる人って歴史家はもちろん小説家まで捜索範囲を広げても他に見たことがないんだけど。

587:日本@名無史さん
07/07/18 20:57:43
>>586
その根拠はないと思う。そもそも家康に献身的なら、わざわざ秀頼利用していちいち歯向かうはずがない。
そこら辺は小説的な演出だと俺は思う。本当のところはわからんが、山岡荘八は三成の成長を表したかったんじゃないだろうか。
三成の心境を「戦はもちろん勝つつもりでやる、が、万が一負けたとしても、太平の礎になってやろう」、的なニュアンスで俺は読んでたと思う。最後に読んだのが二、三年前で曖昧だが。

588:日本@名無史さん
07/07/19 13:01:10
>>586
スマン、ミスった。
584×
583〇

589:ぴーす ◆u0zbHIV8zs
07/07/23 12:44:37
堺から帰国途中に京都近郊の城に昼飯食いにきたって説話が残ってる
んだけど遠回してまで明智のうようよ居る山城に立ち寄った真意はなんだろ。

590:日本@名無史さん
07/07/23 20:15:17
>>589
そっちは影武者

591:日本@名無史さん
07/07/23 20:16:24
>>589
何か打ち合わせに来たんでしょう。
光秀は後年の天海だからw

592:日本@名無史さん
07/07/27 05:21:32
家康って天下統一過程であまり重要な仕事してないよね

593:日本@名無史さん
07/07/27 05:26:48
信長の死後秀吉が破竹の勢いでテリトリー伸ばしている最中
北条残党だの甲府平定だのあまりに地味な活動しかしていない

594:日本@名無史さん
07/07/27 20:28:46
あのときに勢力伸ばしたからこその政権ナンバー2だけどな。
織田家の財産ほとんど相続した秀吉と、中小大名の自力の差だろう。

595:日本@名無史さん
07/07/27 21:08:39
まあ、考えようによっては北条や甲州こそ関東防衛の要だからな。
幕末にも江川伊豆代官や甲府を押さえられたら関東は西からの進軍には無防備。
だから小栗は箱根で分断を注進し、近藤は甲府へ向かった。
近藤の八王子同心も武田残党か?ある意味幕末まで機能していた事が脅威ですらある。

596:日本@名無史さん
07/07/28 08:59:32
朝鮮引き上げは評価していいんじゃないか?

597:ぴーす ◆u0zbHIV8zs
07/07/29 19:25:30
信雄が講和してなかったら畿内進行してたかなぁ~と思う。

598:日本@名無史さん
07/07/29 21:16:03
さすがにそれは無理っぽい。
だが濃尾以東は徳川配下となり天下統一は遅れたか?

599:日本@名無史さん
07/07/30 07:56:36
家康は地味
人任せなやり方がww

600:日本@名無史さん
07/07/30 08:07:40
利用できるものは利用して天下取るみたいなやり方じゃんね
家康 信長 秀吉よりそう言うところは卑怯だ

601:日本@名無史さん
07/07/30 08:36:48
秀吉ととことんやってたら、天下統一できたかは微妙だな。すくなくともかなり遅れたはず。

豊臣政権の補佐や尻拭いは結構してたんだがな。なんで律儀な内府なんて言われてたんだか。

602:日本@名無史さん
07/07/30 11:33:10
家康って謙虚だよな

603:日本@名無史さん
07/08/05 13:44:44
司馬が家康を才がない模倣者みたいに書いていたが、勤勉家とはとれなかったのだろうか。
てか、秀吉もそんなに独特な政策を出してるようには思えないんだが。あの人は素晴らしい実行者な気がする。

604:日本@名無史さん
07/08/05 14:16:33
>>603
勤勉家だね。しかも同じ失敗を二度としない。
勉強する習慣が人質時代に身についたんだろう。雪斎がいたから。
信長も信玄も秀吉もみんな家康の師匠だろう。
天下餅を食えたのは、それだけ学んだからだと思うが。

605:日本@名無史さん
07/08/05 19:31:36
>>604
たしかにそうだ。あと家康は健康であった。

606:日本@名無史さん
07/08/05 19:39:05
家康って、山ほど失敗しているが、それを後にちゃんと生かしているところが凄いね。
三方ヶ原の戦いの信玄と家康の陣形、関ヶ原の戦いの家康と三成の陣形、酷似していないか?
しかも浜松城から誘い出される形になった家康と大垣城から誘い出される形になった三成。

失敗を二度としないだけではなく、自己の失敗を逆に利用する辺りなんぞ凄すぎる。


607:日本@名無史さん
07/08/05 19:42:06
おねは家康に好意的で三成を嫌っていた、淀殿は家康を嫌っていて三成に好意的だった
物語だとだいたいこういう捉え方が多いんだけど、どうも違うみたいだね。


608:日本@名無史さん
07/08/05 19:48:42
>>607
前者は知ってるけど、
>淀殿は家康を嫌っていて三成に好意的だった

>どうも違うみたいだね。
の理由またはソースを教えてくれないか。

609:日本@名無史さん
07/08/05 20:53:46
負け戦の直後に絵師を呼んでウン漏らしの画を描かせるだけでも
常人じゃなあないね。

610:日本@名無史さん
07/08/05 21:11:46
俺も山岡荘八の随想徳川家康買ったぞ。なかなかおもしろいな、これ。
これに書いてあったが武士に厳しく農民に篤い点が謙虚だよな。直訴の許可に百姓の切り捨て禁止。内大臣でありながら百姓の年貢を自分の手でしたためている(開墾地の保証的な意味で)。祐筆もいただろうに。
無論農民が豊かに暮らせていたかとなると簡単に頷けないが、時代の段階的なものもあったし、当時の士農工商も秩序を築くものだったからな。

611:日本@名無史さん
07/08/05 22:41:25
>>610
天野三郎兵衛康景とかは、ある意味犠牲者だね。ただ、天野も三河武士でなかったら謀反でも起こしたかもしれない。
天野も「どちへんなし」と言われた公平無私の人間。

612:日本@名無史さん
07/08/06 00:14:24
>>610
すると「百姓は生かさず殺さず」って言ったのは誰なんだろう?
取るにたらん俗説かな?

613:日本@名無史さん
07/08/06 00:20:22
>>603
> 司馬が家康を才がない模倣者みたいに書いていたが、勤勉家とはとれなかったのだろうか。

司馬は頭の切れる才子&破壊者タイプが大好きだからしょうがない。
実際には、謙虚さが無く自分をいっぱしの才人だとうぬぼれた奴のほうがよっぽど道を誤りやすいんだが。

614:日本@名無史さん
07/08/06 00:30:29
>>612
「百姓は生きぬよう死なぬように」と言ったのなら、本多正信だと思う。
 

615:大えええええ氏 ◆rfC8aZVkRQ
07/08/06 00:38:02
>>562
お前らさ、よく考えてみろよ。
長久手の戦いでは、弱冠23歳の「井伊の赤鬼」こと井伊直政に
森長可が討ち取られ、家康勢に池田恒興・池田元助を討ち取られて
唯一生き残った池田輝政は小便ちびりながら逃げ帰って、
猛撃に恐れをなして関ヶ原の戦いの際には父の仇に与してるんだぞ。
織田信雄隊はゴミクズだから何もしてないので実質兵差は3000人であり
本多忠勝・榊原康政・酒井忠次も参戦していない。
しかも「井伊の赤備え」には武田の無敵騎馬隊の遺臣が多数配属されており
石川数正が寝返った為、兵制も武田家仕様にしてある。

もし秀吉が苦戦の末、三河平定に成功したとして
家康が大幅減封を受けたとしても秀吉軍にも多数の犠牲者が出る上
同盟国の北条とも敵対することになるので、北条討伐に東北兵や九州兵を当てることが出来ず
すぐさま戦闘になり、残存勢力の上杉・毛利・北条・長宗我部と対抗するのにさえ苦難する。
それに東北では伊達政宗が頭角を現すので関東平定後も強大化した
伊達政宗に真っ向から当たらねばならず、秀吉生前中に天下が平定できるかさえ危ぶまれてくるよ。

616:日本@名無史さん
07/08/06 00:52:03
>>612
落穂集か本佐録じゃないか。
山岡荘八は、徳川家康の駿府領での年貢が三公七民、四公六民と為政者として上々、直訴の許可(時に藩主は我が家も首も吹き飛ぶ)や百姓の切り捨て禁止、
荒地を開墾したものには七年無税、八年目からは自分の手で受け取りを書く、口を開けば「百姓は何を食べていると思うぞ」と側近の奢りをいましめ、
自分の子供たちにも「百姓に慕われる領主でなければならんぞ」と口癖のように訓戒している、などから百姓を大事にした点で並ぶものなど珍しく、百姓をいじめたなどと決め付けるのはで軽率である。
当時は色々なものが不足で、義務負担の平等が必要であり、規則で一番武士を縛り、商人も奢侈禁止令で抑制すると、厳しかったのは農民にだけでない。
もしかしたら、一部の大名や領主から非難の声があったのかもしれず、「百姓も生かさず殺さず」といったのが誤られたのではないだろうか。
と、書いているな。

617:616
07/08/06 01:11:13
訂正:一行目、本佐録、のあとに挿入
、昇平夜話あたりで「百姓は生かさぬ様殺さぬ様」と家康が本多正信に言ったことば。

追記:本佐録は確か「財の余らぬ様……」の方

618:日本@名無史さん
07/08/06 02:28:33
健康オタクで野戦の上手い武将



619:日本@名無史さん
07/08/06 03:43:40
>>616
家康は為政者の鏡だね。覇道ではなく王道政治。
なのに司馬の家康主人公の小説の題は「覇王の家」‥‥


620:日本@名無史さん
07/08/06 07:47:18
>>615
確かにね。
秀吉は「位攻め」の典型例だが、秀吉の天下統一レベルの位攻めは、優先度を良く考えたものだと思う。


621:日本@名無史さん
07/08/06 11:14:45
>>616
あれは百姓を外様大名並みに油断のならん相手だという風に捉えていると思うのだが。
この手の話では大抵は「弱者の大衆」という具合にとられるが、実際は何か不満があると
直ぐに他国への逃散や一揆を起こす存在という風に権力者は捉えている。

つまり、反乱起こされぬ様に、然りながら租税も取れる様に直接、目をかけなければならない
ということかと

622:日本@名無史さん
07/08/06 12:10:20
今の民主主義をみれば、いかさず殺さずが
どういうことかすぐわかるだろうに。

生かすばかりやってると、
要求はどんどん高くなる。



623:日本@名無史さん
07/08/06 12:54:20
正確には覚えてないが、

百姓から年貢を取ることは鷹に肉を与えるようなもの。
多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。
多すぎれば困窮するし、少なすぎればわがままの元。
百姓どもは生かさぬように殺さぬように。

という話だったと思う。

搾り取れるだけ搾り取れという発想でないだけまだましだと思うし、
実際は他の大名より年貢は軽めだったようだ。

624:日本@名無史さん
07/08/06 13:14:44
>>621
まあ言いたいことはわかる。そんな面もある。
更に言えば戦国時代の百姓なんか武装していて、戦の後には略奪、強盗などして治安撹乱するほどだからな。秀吉が刀狩をしたのはそんな背景がなくもない。
だけど、支配者は権力を握っているわけである程度の横暴が通ってしまうこともあるわけだ。その支配者に公許として直訴の轡をかませたのは立派だろ。
繰り返しになるが、家康の年貢も二公一民(確か秀吉時代)があった時代に三公七民は百姓寄り。逆に武士には儒学でがんがらじめにしようと厳しい。
そこら辺は相互関係なんじゃないか。たとえば、家康が自分やお家のためを全く考えなかった、もしくは、平和のため、日本のためを全く考えなかったって二元論いったら嘘になるだろう。
それに時代には段階があるわけであった戦国上がりの当時、四民平等なんて理想いっても下剋上推奨するようなものだ。
家康は傲慢でもない代わりに甘ちゃんでもないってことじゃないだろうか。

625:日本@名無史さん
07/08/06 14:36:49
<儒教というか朱子学(武士道も含む)の利点>
中世では、弟は兄に無条件に従うものだとか、上の者には絶対服従、下の
者には無条件な命令とか「軍隊統制法まるだし」で、インドのカースト制の
「徳」の思想とかも混ざってたが、社会の秩序維持にそれなりに役立った。

<儒教というか朱子学(武士道も含む)の欠点>
しかし、近代日本にぺリーが来た時、立場関係が上か下かだけで絶対服従か
拒否しかなくて、例え自分の立場が弱くても、どこどこまでの範囲の契約だと
か、外交の条件を柔軟に部分交渉を行なうとかいう発想がないという欠点も
露呈した。これら欠点は、その後に続く昭和期の日本人の外交下手の原因と
して、また現在も労働者のサービス残業の遠因として根強く残ってしまった。

結論---明治でちょんまげ捨てた時に、儒教(武士道)も捨ててれば良かった

626:日本@名無史さん
07/08/06 14:59:42
>>625
無法な戦国時代に生きた奴ら対策だから、時代が進めばあわない部分もでるわな。だけど武士道を捨てるってよりは昇華してほしいかな。
上にたつものに権力と金をもって好きかって暴れ回られるよりは、清廉潔癖であってほしい。一般民として。

627:日本@名無史さん
07/08/06 21:05:57
>>625
で、きみは武士道捨てて、その代わりに何をバックボーンに持つべきだと言うのかな?


628:日本@名無史さん
07/08/06 22:13:26
>>627
飛び道具は卑怯なり、とかいう軍事的にアレな江戸時代の武士道よりも
騎士道のがよかった・・・。

事実として、明治維新で自らちょんまげや刀、武士階級も捨てちゃった
けれども、洋服やサーベルに身をつつんだ元サムライ達は、日清日露
戦争などに勝利した。だから本当は騎士道というかヨーロッパ軍制の
輸入だけで充分だったように思う。

629:日本@名無史さん
07/08/07 00:00:33
そこまでやる気なら仏教、神道もやめてキリスト教にしないと

630:日本@名無史さん
07/08/07 00:30:00
でもバテレンの背後には侵略軍が控えてますからな。
儒教、朱子学も陽明学を生んでるし。まあ、それほど悪いものでもない。

631:日本@名無史さん
07/08/07 00:45:36
>>628
その日露の例はそんなよくないだろ。明治がよかったのはトップに武士の士風が残っていたからで、昭和の乱れは洋化の堕落にもとがあるとか言われたらどう答えんのさ。
まず、そういう類のものは簡単にとってかえられるものではない。慣れるのに時が必要になる。簡単に捨てるのは、しがみ付くのと同じくらいの危うさをはらむ。時にはただの破壊になりかねない。
武士は清貧に甘んずべきもの。江戸時代、武士が借金を返済できなかった場合には「お笑いくだされ」というのがあったらしい。武士には金を返さなくてすむより、笑われる方が嫌だったのだ。
また、上の立場に立てば、下のものより、学問も武芸も励まなければならなかった。これは騎士道とは違った味だろ。無論一部にはそうでない武士もいたが、それを取り上げて評するのは悪貨は良貨を駆逐するの例になりかねない。
明治に和魂洋才って考えがあった。ここら辺応用きかせてんじゃないか? あの新戸渡稲造が日本が世界に誇りうるのは武士道って言ってたりするし。

あと、江戸初期の観点からいうと、下剋上あがりの荒武者どもに、身分をはっきり統制させて、責任を負わせたのはかなり有効な策だろ。今では馬鹿らしい長幼の序も、当時それが明らかでなければ、家中二分ってなりかねないからな。
序列が引っ繰り返るごとに一々騒動が起きる。そこらは自由と秩序の調和の問題だな。

てか、飛び道具は卑怯ってまた別じゃないか。

632:日本@名無史さん
07/08/07 08:18:54
>>631
> 飛び道具は卑怯ってまた別じゃないか。

そうそう。外様大名が鉄砲を多数保有することを抑制するためのへりくつ。
幕府は大量の鉄砲を持っていた。

633:日本@名無史さん
07/08/07 12:42:58
>>632
でも、見方によっては平和思考ともとれるぞ。徳川家の御家流は活人剣の新陰流。家康は無刀どりの達人柳生石舟斎に師事してる。息子の宗矩は滅多に刀を抜かなかったし、大坂の役で八人切り捨て秀忠を危急から救ってるが大した恩賞も受けず、自慢もしてない。
実力はあっても抜くをよしとしない。
試合にも作法があってただ勝てばよいというわけではない、ということなんじないだろうか。
まあ、土俵が違えばあれなんだがな。

ところで、ここまでいっといて聞くのもなんだが、実際飛び道具は卑怯ってどれくらい浸透してたんだ?
家康自体は鉄砲、なかなかの腕なわけだし。幕末の兵備の近代化で、飛び道具は卑怯だ、とかいう反対ってあったの?

634:日本@名無史さん
07/08/07 18:48:24
>>633
>飛び道具は卑怯だ、とかいう反対ってあったの?

無いでしょ、そんな馬鹿な意見。

そういえば時代劇かなんかで、1対1での尋常の果たし合いのはずなのに、悪者側が木の陰から鉄砲なんかで狙い撃ちにして、
「うわっ!!‥‥飛び道具とは、ひ、卑怯なりっ!ううう‥‥」
って場面あるじゃん。
多分、誰かさんはこういう台詞を真に受けてるんでしょ。


635:日本@名無史さん
07/08/07 19:03:08
飛び道具は卑怯とは、まあ負けたやつのはらいせのことばだろう。
弓馬は最高の武芸だし、鉄砲は大名もよく稽古していた。慶喜は手裏剣が得意だな。
逆に投石、印字は最下層の芸だな。

柳生親子は関ヶ原の旧筒井家家臣の取りまとめで活躍しているな。
もともと家康は奥山神影流(後の直心影流)だし柳生には親近感も有ったのかもしれない。

636:日本@名無史さん
07/08/07 19:43:39
もし武士の反乱とか内乱が起きても、相手が飛び道具を使わずに刀だけ
にこだわってくれれば、幕府は鎮圧するには刀 vs 刀の方が数の力で抑え
やすいからそういう方向で教えていた・・・とか本当かどうかは知らん。

でも、実際の官軍は洋式軍隊なので飛び道具を容赦なく使った・・・、と。


637:日本@名無史さん
07/08/07 21:43:45
 「飛び道具は卑怯」は林羅山ほかのプロパカ゜ンダ。
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)

638:日本@名無史さん
07/08/08 08:00:26
>>634
いや、あなたの書き方が、既にデフォでそうなっているんですよ。
「尋常の果たし合い」という表現が、既に尋常でないものとの対比で書かれている。
それは飛び道具の使用を「尋常でないもの」という前提になっている。
飛び道具が卑怯だ、という考えがないのなら、尋常も尋常でないもない。

>>637も書いているが、「卑怯」というのは、発想的に朱子学が武士の教養として入ってきたから次第にそうなっていった、ということだろう。
これは「平和」だからそうなる。「剣術」や「軍学・兵学」が泰平の世だから流行ったのと同様。
戦いが通常の社会では、戦い方に卑怯も何もない。基本は勝てば良い。
戦いが礼式化した社会だと、礼に反する戦闘方法が卑怯になる。

・・・家康と関係なくなってきた・・・

639:日本@名無史さん
07/08/08 08:03:59
戦いの礼式化が悪いと言っている訳ではないので念の為。
その究極が「スポーツ」でしょう。

640:日本@名無史さん
07/08/08 08:54:42
>>638
横からすまんが、
>>634が「尋常の果たし合い」と書いてるのは
「そういう表現が時代劇なんかには見られる」ということであって
>>634さん自身が、そういう言語的枠組の中で話をしている、ということではないと思うよ。

641:日本@名無史さん
07/08/08 09:16:01
>>639
もし「剣術」や「軍学・兵学」が本当に「礼式化した戦い」に過ないのなら、
それは悪いに決ってるだろう。それは既に何の武術でもない、のだから。

実際、江戸時代には既に
「近頃の剣術は生死をかけたものではなく、ただの試合になってしまっている」
と嘆く声が出始めるわけで。
それを嘆くということは、逆に
当時目指された「剣術」とはそのようなものではない、
真に生死をかけたものであった、ということになる。
その意味で、現代の「スポーツ」としての剣道とは異なるね。
(現代の人が、「剣道は生死をかけたものではない」ことを嘆く、
ということはあり得ない。)

まあこういう議論以前に、あなたは
現代のスポーツなんて下らん、とは思ってない人のようだから、
そもそも歴史というものに対する見方自体が違うんだろうが。

642:日本@名無史さん
07/08/08 09:55:14
俺も635みたいだと思ってた。

>>641
うーん、時代によるんじゃないか。戦国時代は切り取り強盗が武士の習いなわけで、秀吉にしたって土地が足りないなら朝鮮から切り取れ、って考えをもっている。
武人があまってしかたなかった豊臣時代から江戸時代初期、そいつらを官僚にしたてなきゃいけなかったし、下剋上の考えも改めさせて太平のルール遵守という概念をたたき込まなければならなかった。剣道もその一端。
剣道には、剣禅一致という考えがあるわけで、道場は精神を鍛える場所という意味もある。ただ武芸をならうのは稽古場。
そんな転換期だから、いろんな声もあるだろうよ。たしか、柳生流は棒振り剣法なんてよばれてたな。それでも強かったみたいだが。
ということで俺も439同様平和的と考える。
そして、権現様は太平を希求した偉大な御方と無理に締めを結んでみる。

643:642
07/08/08 09:57:05
439×
639〇

なんというミス……

644:日本@名無史さん
07/08/08 21:23:39
>>638
> 「尋常の果たし合い」という表現が、既に尋常でないものとの対比で書かれている。

ちょっと待った。武器は何を使ってもいい、人数も好きなだけ伏せてもいい、じゃそれはもう「果たし合い」じゃなくて戦争でしょ。
しかも、それは武士道がどうのという問題か?
西洋にも果たし合い(まあ決闘といっているが)というものはあるし、
それにもちゃんとルールはある。ルール違反が卑怯だという感覚もあるよ。

645:日本@名無史さん
07/08/09 07:56:51
ゴルゴ13は卑怯だ

646:日本@名無史さん
07/08/09 09:00:32
明治前までは 家康は神君といわれ崇められていた
明治に入ってからは 狸や裏切りとか叩かれた

まあ薩長 シネだな

647:日本@名無史さん
07/08/09 09:04:11
東照大権現様ですから

648:日本@名無史さん
07/08/09 09:10:21
>>644
現在進行形で互いにルールについてあれこれ言えるのが決闘で、終わった後に勝者が敗者のルール違反をあげつらうのが
戦争ってことなんだろう。
戦争で勝者の側がルール破りについて謝罪するなんてことはあり得ない。

649:日本@名無史さん
07/08/09 09:36:11
福沢諭吉は古今東西比類無し、みたいな最大級の賛辞送ってたな。
まあ、幕府を倒した薩長にしたら、幕府の創始者が勤王家で偉大な王者ってのは、かなりやりにくかったんだろう。あいつら、逆賊とまで言い切ってたからな。
それとも、関ケ原の負け側として、実際に狸家康を信じてたのかもな。

650:日本@名無史さん
07/08/09 18:15:49
じっさい水戸も尾張も勤皇だったわな。慶喜も錦旗には絶対に逆らわなかった。

651:日本@名無史さん
07/08/10 00:23:15
南北朝時代から勤皇の志厚かった井伊家に、京都のすぐ近くで徳川譜代としては破格の近江三十万石を与えたってのも水戸と同じく家康の勤皇の一つのあらわれな気がするな。
まあ、直弼は水戸が京都の志士たちを操ってる、と憎みすぎて脱線しちまったがな。

652:日本@名無史さん
07/08/10 10:48:35
山岡荘八の「伊達政宗」に家康が政宗に政治には慈悲が必要、若いときにはそれを見落としがちである、って語る場面があるんだが、最近では案外家康にはそんな面がある気がしてきた。
例えばとり潰した大久保も水野をつかって再興の機会を与えてるし、大坂の役でも豊臣氏存続の可能性を残している。
大名の妻子にしたって扱いが悪かったわけじゃないし(少なくとも戦国の人質とは違う)、才能がない君主でも家臣がしっかりしてればよいという考えは安心を生み、なかなかに味わい深い。
さらには盗人なども古着売りとして体制下に組み入れる。
現実を見つめる人だが、どこかに生かす道を作っている。
といっても、実際俺にはあんま知識がないんで贔屓のひき倒しっぽいが、家康が完璧な聖人でないとは言え、そんな片鱗はあった気がする。

653:日本@名無史さん
07/08/10 16:33:30
孔子とか老子の語る聖人のイメージに近いものがあるかもね
聖人や孔子、老子にまだ意味があるとしてだが

「己を修めて民衆を安らかにすることは、堯や舜でさえ苦しんだ」
「民衆はその徳を称揚することさえできない」(孔子)
「民衆がその存在を知るだけの君主」(老子)

654:日本@名無史さん
07/08/11 07:12:17
>>652
「完璧な聖人」にはそもそも政治なんか出来ないと思うが‥‥

655:日本@名無史さん
07/08/11 08:40:35
仏教と儒教の聖人はちょっと違うよ。
仏教は出家者の法だから家も社会も捨ててなんぼの聖人。
それに対して道家は徳をもって社会を治めてなんぼの聖人。
つまり徳治政治だな。

聖人恒無心、以百姓之心為心
(聖人はいつも私心を持つことがなく、国民全体の心を心として、衆知を集めて政治の決断を下す)
(老子・乙本第四十九章)

656:日本@名無史さん
07/08/12 15:40:39
_| ̄|(、ン、)

657:日本@名無史さん
07/08/14 00:50:35
>>565

三方ヶ原のどの辺りで戦いがあったかは分かってなかったと思いますが、
三方ヶ原の南端に浜松城があるであってますよ。
あと、犀ヶ崖の位置は現在でもしっかり分かっていて、
そこに、犀ヶ崖資料館がありますよ。

658:日本@名無史さん
07/08/14 01:27:44
家康の学問好きは並みではないから、実際聖人めざしてたかもな。
六万遍の日課念仏も普通じゃないが、実際に天を恐れていたんじゃないだろうか。

659:日本@名無史さん
07/08/14 01:32:37
259 :人間七七四年:2007/03/02(金) 21:22:22 ID:7SuLxbl3
戦後の日本という国、マスコミやら教育者からすれば、
戦前、戦後を区別しなければ現体制の前の体制である徳川家康を評価できない。
戦後の敗戦からの平和志向からは朝鮮出兵した豊臣秀吉も評価しにくいだろう。
戦後は新しいものが求められ今までの権威を打破するという価値観の中で織田信長は高評価を得たんじゃないかな。
あとは司馬遼太郎という昭和を代表するような大衆作家が信長好きの家康嫌いだったのも大きいかと思う。
楠木正成の例でもその時代によって人気が出たり、下がったりがあるし、
マスメディアがそうゆう操作をすることもあるんじゃないかな。

660:日本@名無史さん
07/08/14 07:02:05
企業経営者の中では家康は評価高いが。

661:日本@名無史さん
07/08/14 07:12:07
天智、頼朝、家康
賢いしすごいんだろうけど詰まらん三英傑

662:日本@名無史さん
07/08/14 11:06:34
詰まらんとしか感じないようではまだまだ社会勉強が足りないと思う
おれも社会勉強なんぞまったくできてないけどな
なんせ、山岡荘八で知った程度だから


663:日本@名無史さん
07/08/14 12:37:00
>>660
山岡荘八の徳川家康がサラリーマンのバイブルと呼ばれてたっけ。あの時はすごいブームを巻き起こしたらしいな。
ただ、資料根拠をはっきりさせてない小説だからなあ。そこが残念だ。
せっかく長い年月かけて、多くの資料にあたってるのに。随想によれば確か岡崎に取材に行くたびに有志が三十人、五十人集まってくれるぐらいらしい。
そういえば、徳川家康の資料って今どうなってんだろ。

664:日本@名無史さん
07/08/14 22:47:00
>>661
何故尊氏がないの?

665:日本@名無史さん
07/08/16 03:17:25
>>664
他と違って兄弟間抗争で泥沼になったからでは?
天智天皇は死んだ後の話だし、
頼朝は討伐しちまったし、
家康にはいない。

666:日本@名無史さん
07/08/16 07:14:50
>>661
まあ、玄人ウケするタイプ。老若男女が憧れるヒーローではないね。
昭和50年代、強いけど人気がなかったのが横綱北の海(現日本相撲協会理事長)と阪急ブレーブス(現オリックス)


667:日本@名無史さん
07/08/16 07:20:01
>>663
どちらかといえば、経営者層にまずウケて、それからサラリーマン層へと。
しかも、どちらかというと、経営者から薦められてという形で、新橋や新宿で飲んだくれるサラリーマンではなく、日経新聞を好んで読む層に浸透した。
「成功者」としての鑑だったんだろうね。

80年代、保守本流の時代。


668:日本@名無史さん
07/08/16 07:33:55
あちゃ、まとめて書けばよいのに連投スマソ。
>>663
山岡荘八は筋金入りの歴史小説家だね。史料にキチンと当たりながらも、それをこれ見よがしに作中に出したりしない。
司馬遼太郎とは大違い。
作風としては、ロシアの小説家、トルストイとかドストエフスキーみたいな感じを受けた。
読んだりして影響を受けているのかな。彼らは劇作の影響を受けているが、山岡は劇作家ではないからね。
余計な作者自身の解説を最小限にして、あくまで登場人物の所作と台詞でストーリーを進行させて行くやり方。
これは、まず自分で対象を完全に把握した上で、気力と丁寧さ、根気が必要な執筆になるはず。
どうしても大作になるしね。


669:日本@名無史さん
07/08/16 12:53:52
>>668
経営者から一番受けた質問は、部下に薄いのに部下はなんでそれに満足してついていったか、だって。
当時はストライキとかあったからなあ。
そういえば、ある社長の信長や秀吉はいいが家康は独創性がなくて参考にならんという新聞の投稿に、
信長は破産覚悟の革命家、秀吉は放漫政治の失敗者、そんなもん学んでどうするんだみたいなことをもらしてた。
まあでもよく調べているとはいえ小説家ということは念頭に入れておく必要はやっぱあるかな。資料の断片を繋げるのには空想が必要になっちゃうし、話を盛り上げたりもしなきゃいけないから。本人もそれは自覚しているみたいだし。
家康はかなり調べたが少し誇張気味かもしれず公に苦笑されるかもしれない、信長はエンターテイメントに撤したと書いてたかな。

670:日本@名無史さん
07/08/16 18:15:21
絶対的な勝利と、成長路線が支えていたと思う。
なんだかんだと言っても、松平→徳川家は、三河一国から、遠江、駿河、甲斐、信濃。そして関八州と領土は常に拡張しているから。
いくら吝嗇でも、絶対量が増えている。家康配下の者共、当初から考えれば待遇は向上しているはず。

例えば、室町から戦国時代は兄弟争いが社会的に絶えないが、毛利はうまく行っている。
それも版図の絶対量が増えているから。毛利本家の家督でなくても、もともと安芸国吉田荘しかなかった一家が中国地方の大半を手に入れた訳だから、満足だろう。

不平不満は言い出せばキリがない。徳川家でも「三河物語」なんてあるし。


671:日本@名無史さん
07/08/17 15:06:58
>>668
> 山岡荘八は筋金入りの歴史小説家だね。史料にキチンと当たりながらも、それをこれ見よがしに作中に出したりしない。

山岡が描こうとしたのは歴史的な史実ではなく
(もちろんそれは踏まえているが)歴史上の人物の「心」だろうな。
極力その人物の立場になって考えようとしている。
だから、メチャクチャくだらない悪人とかあんまり出て来ない。

> 史料にキチンと当たりながらも、それをこれ見よがしに作中に出したりしない。 司馬遼太郎とは大違い。

そうだね。まぁ司馬が描きたかったのは結局は劇画チックな冒険活劇。
歴史上の人物のキャラを借りながら現代人を描いたわけで。
だから人気が出たとも言える。
くだらない人間とかしょうもない悪人とかいっぱい出て来るしね。
まぁそれでも小説中に延々と史料を丸々と引用する津本陽よりは
マシかな。似たようなもんだけど。

672:日本@名無史さん
07/08/17 22:50:55
646
家康だって薩長の母体である毛利島津をかなり虐めてるけど
なにか
?文句ある?

673:日本@名無史さん
07/08/18 03:11:44
>>671
うーむ、俺はそういう評価は良く分かるし、それはそうだと思うんだが、反面、登場人物がみんな「慧眼」になってしまうという部分がどうかなと思ってしまう。
ここは家康のスレだから、山岡論を延々とぶってもどうかと思うが、それでも書くなら、家康や信長、秀吉辺りは、相応の慧眼があったかも知れないが、他はどうかな?

後の時代から見て書くから、あそこまで将来を見通せる訳で。
明日の世など、誰も確固たるものがない中で、時に思惑が外れたり、逆に結果オーライになったりするのが人間の常なんじゃないかな。
余りにも、慧眼ぞろいになってしまうのが、不満といえば不満ですね。
まあ、良く書けているし、あれだけの大作にドタバタの要素まで取り入れたら、読者が話についていけなくなりそうな感じはするけれどね。


674:日本@名無史さん
07/08/22 23:56:11
スレ枯らし

675:日本@名無史さん
07/08/23 23:36:39
座りしままに、食うは徳川。

立って食わんだろ、普通w

676:日本@名無史さん
07/08/25 00:27:16
「座して・・・」は楽してとか何もせずにという意味だが、
一番苦労してるな、家康。
優雅に水の上を漂っているように見える白鳥が、
水面下で必死に水を掻いているというたとえ。
イメージ的には白鳥とは言い難いがw

677:日本@名無史さん
07/08/25 02:03:54
縁の下の力持ちが、建物が炎上し、住人もどこかに行ってしまって仕方なしに自分で家を建てて主人になった、って感じかな。


678:日本@名無史さん
07/08/25 10:44:35
長生きしなきゃ天下は取れない。
取ったとしても子孫が天下人であり続ける体制を構築することはできない。

679:日本@名無史さん
07/08/25 10:55:59
まあ、幼時から人質生活を転々とし自分の家族を泣く泣く手にかけ
老臣達に死を命じ、戦では何度も死にかけ・・・

なんと壮絶な人生か。

680:日本@名無史さん
07/08/25 13:55:21
信玄と今川領折半したときも、取り決めた境界を越えてどんどん占領されて、
それに文句を言うと、
「あれは部下が勝手にやった事、サーセンw返すねwww」とごまかされ、
その下の根も乾かないうちにまた領内を荒らされる。
 
…アレ?どこかで見たような話だな。


681:日本@名無史さん
07/08/26 23:07:33
「信長は本当に天才だったのか」を主題とする本が出てたが、
また信長が信康を殺させたなどと書かれてた。
一体いつまで御用学者のついた嘘に騙され続けるのか。
通説論者がいたら、信長が命令したということで
この事件を詳述してみてくれ。
それをやろうとすると疑問・矛盾だらけでさっぱり
首尾一貫しないものになること間違いなしだが。
例えば徳川家史料でいう信長は築山殿を殺せとは
一言も言っていない。なのに家康は信康に先立って
築山殿を殺害している。
この一事だけを見ても2人を殺したのは家康の意思
であることは明らかだ。

682:日本@名無史さん
07/08/30 10:17:04
朝青龍の処分にしても、理事長は当初そこまで大事にするつもりはなかったが、こけにされた巡業部の突き上げに
よって、2場所連続出場停止という厳しい処分にした。

これを巡業部の命令ととるか、理事長自らの意思ととるか。

683:日本@名無史さん
07/09/04 02:09:07
681どんな親だって子供を殺したい親がいるか?
  このときの家康は弱虫だったんだよ。信長と戦って死ぬ勇気が
  なかったんだよ。


684:日本@名無史さん
07/09/04 02:58:36
>>681
中公新書の徳川家康には
築山殿を殺せとは言ったが
「女の事だからやりようもあったはずだ
  それも考えず打ってかっかたのか」
みたいな記述が確かあったよ

685:日本@名無史さん
07/09/04 11:07:37
信長が信康の殺害を命じたという話は今では否定されている。
最近では浜松派と岡崎派が対立し、家康自身も岡崎衆を制御できなくなったため、
岡崎衆の粛清を行ったというのが定説。
また、家康が武田信虎のように追放される可能性もあったようだ。


686:日本@名無史さん
07/09/04 12:24:29
浜松派が信長に讒言して信康と築山を殺す命令を出させるようにしむけた。

殺してもいいですね?
仕方あるまい、よきように。

実際、こういう会話だったのが、
家康の耳には信長からの粛清命令として届いた。


687:日本@名無史さん
07/09/04 13:15:21
じゃあ、晩年酒井忠次が息子の処遇について文句を言ったとき、
家康がお前でも倅がかわいいのか?と小言を言った、
というのは創作なのかい?

688:日本@名無史さん
07/09/04 13:33:18
>>687
そういう伝説はあるらしいね。

689:日本@名無史さん
07/09/04 13:57:14
まあ創作だわな

690:日本@名無史さん
07/09/04 14:48:05
>>683
家康は30代後半で、まだまだ若い側室との間に
子供を作る予定だったろうし、子供の夭折も多かった昔は、
それほど一人の子供に執着していたとは思えんがな。
子供が死んでも、また作ればいいか、みたいな。
戦国大名が多くの子供を作るのも、
息子は戦へ行って死ぬために、娘は同盟国へ嫁という名の人質に出すために、
子供は親が権力を握るための人身御供みたいなもんだったし。

691:日本@名無史さん
07/09/04 16:14:48
>>690
> 子供が死んでも、また作ればいいか、みたいな。

バカかおまえは

692:日本@名無史さん
07/09/04 16:53:47
もう生まれているよ、信康の死の時には秀康(5歳)や秀忠は既に生を受けている。
信玄も跡継ぎが武田義信だけだったら、殺さなかっただろう。

693:日本@名無史さん
07/09/04 17:03:58
秀康は、家康が出生を疑って、認知しなかった。
長男信康のとりなしでやっと対面したのが3歳のとき。
すぐに秀吉の養子にやってしまい、将軍にもしなかった。
3男秀忠は、長兄信康切腹時、まだ生後半年の赤ん坊で、
夭折せずに育つか、育っても馬鹿かもしれんし、徳川家は安泰だったわけではない。
家康は永らく長男信康以外に男子がいなかったから、
仮に、信康を切腹させて家康もまた、幼児であった2人の息子を残して40ぐらいで死んでいたならば、
徳川家も終わっていたがな。


694:日本@名無史さん
07/09/04 18:44:19
築山殿が家康を呪ってます
いつか祟りが襲い掛かります

695:日本@名無史さん
07/09/05 00:54:03
>>684
>>687
御用学者にしては上出来な創作w

696:日本@名無史さん
07/09/05 06:48:48
家康の我が子への冷たさは異常。
次男秀康は出生を疑ってなかなか認知しなかったばかりか、
養子に出してしまうし、6男忠輝は追放。
これらから見れば信康も岡崎派が彼を担いでクーデターを
起こそうとしたのが事実なら、殺そうと思ってもおかしくない。
子を殺すはずがないというなら上にもあるように武田信玄も
長男を殺してるし。
蛇足だが、信長は信玄と敵対した時に、その父を追放したことと
子を殺したことを非難している。
そんな信長が他人に嫡男を殺せなどと言うだろうか?

697:日本@名無史さん
07/09/05 06:56:14
ある本に、
「徳川家康の経歴や事績についてはウソが多い。本人がついたウソ
もあるだろうが、徳川様の天下になってから、御用学者などが
デタラメなことを言っている場合も少なくないようだ」
とあるのだが、これに異議のある人はいる?
信康切腹が信長のせいなんてのはその「御用学者がデタラメなことを
言っている」典型例だと思っている。

698:日本@名無史さん
07/09/05 09:40:06
>>697
そう思ってる根拠は書けないんだな。
御用学者の手による創作もあるだろうが真実もあるのにどう区別してんの。
自分がそう思い込みたいだけでしょ。

699:日本@名無史さん
07/09/05 10:51:42
>>698
権現様を持ち上げる為にデタラメを言う御用学者が存在したとする「ある本」が根拠だろ?
子殺しは言うまでもなく汚点、それを取り繕うために織田からの命令で殺したとしておこうと
こんな読解力も無いのか?
子殺しが汚点じゃないというなら、思うならもう何も言わんが
武田と戦ってウンコもらした云々も自省のためとか理由つけて取り繕ってるだろ?

700:日本@名無史さん
07/09/05 12:44:40
「ある本」で根拠になるのなら
ムー大陸も存在したってことになるな

701:日本@名無史さん
07/09/05 13:26:15
阿呆か?
「根拠がかけない」に対して「ある本」を根拠として「異議は無いか」と>>697は聞いてると指摘してるんだろ
異議があるなら
>「徳川家康の~少ないようだ」
に異見を言えばいいだろう、根拠がおかしいというなら「根拠がかけない」じゃなくて「根拠が怪しい」と指摘すれば良いだけの話
本当に読解力無いな

702:日本@名無史さん
07/09/05 13:36:30
信長は嫁(徳姫)の父親で、信康は信長の義理の息子なので一応許可は
貰いに行ったらしく、信長は家康の申し出に許可を与えただけと
「安土日記」や「当代記」では書かれている。もちろん殺害などは命じてはいない。
徳姫からの除名嘆願はあったが、建前上は同盟関係で家康は家臣
ではないので、やむなく許可を出したのだろう。
「松平家忠日記」には信康事件の時の家康と信康の対立が書かれているが、
武田との内通など「国家安康」ばりのデッチアゲで自分を脅かす存在になった
信康を殺すろは、さすがは家康といえる。


703:日本@名無史さん
07/09/05 13:36:34
じゃあ、「ある本」は最強ってことでw

704:日本@名無史さん
07/09/05 15:14:24
>>698
>どう区別してんの
それを究明するのが歴史学。
徳川幕府が権現様を持ち上げたり、その支配を正当化するために
作らせた史料でも、全部がウソでも全部が本当でもない。
それを見極めるのが歴史学だよ。その方法は他の史料と突き合わせた
り、当時の状況を考えたり。
信康の事件にしても、徳川家の史料にあることを信じて
信長の命令があったとされてきたが、近年疑問が呈され、
他の史料なども提示されて、家康の意思だったという説が
有力になりつつある。
分かりやすい例を挙げると源義経。「平家物語」や「義経記」に
書いてあることの内、どれが本当でどれが間違いかを学者は
研究している。

705:日本@名無史さん
07/09/05 15:33:40
>>686
これまでの通説でも誤解が多いのだが、
信長の命令で信康を殺したとする徳川家史料でも、
信長は「築山殿も殺せ」とはまったく言っていない。
それが通説に疑問が生じる一つの理由になっている。

706:日本@名無史さん
07/09/05 15:39:21
>>703
まだ分かってないのか?
「家康の経歴にはウソが多い」に対して「ウソなどない」、
「御用学者がデタラメを言っている」に対して「そんな
御用学者などいなかった」と言えばいいこと。
それが「異議がある?」への答。

707:日本@名無史さん
07/09/05 17:10:54
>>703
本当に頭悪いんだな
なんか御免

708:日本@名無史さん
07/09/05 18:17:33
>>706
> 「家康の経歴にはウソが多い」に対して「ウソなどない」、
> 「御用学者がデタラメを言っている」に対して「そんな
> 御用学者などいなかった」と言えばいいこと。
> それが「異議がある?」への答。

「多い」とか「デタラメ」とか、恣意的に決めつけるような言葉を多用する人は、学問とはおよそ無縁な大衆だな。
学問とはもっと精緻で具体的でないと駄目だよ。

709:日本@名無史さん
07/09/05 19:01:21
>>708
そんな迂遠な言い方しないで「わたしは家康信者です」
と正直に言った方がいい。
第一、>>697で引用されてる文章は○木○哉のもの。
著書を何冊も出してる人だぞ。
素人にそんなこと言われる筋合いはなかろう。

710:日本@名無史さん
07/09/05 19:11:44
全部フィクションなら御用学者というより戯作者の域だなw

URLリンク(www.ikedakai.com)
岡崎殿御事を信長より申さるゝ旨ありしとき。酒井忠次。大久保忠世両人も。御ふるまひのあら/\
しき事ども。条件にしるして御覧に入ければ。三郎がかゝる所行あらば。定て汝等二度も三度も諌を
納し上にて。尚聞入ねばこそ我に直訴するならん。聖賢の上にも過誤なしとはいひがたし。まして年
若きものゝ事をや。いかにと問せ給へば。両人さ候。若殿にはおゝしき御本性におはしませば。若諌
良など進めて御心にかなはざらんには。忽に一命をめさるべければ。今まで忠言進め奉るもの候はず
と申せば。君今の世に比千。伍子胥が如き忠臣なければ。諌を進めざるも理なれとて。又何と仰らる
ゝ旨もなし。其後三郎君御生害あり。はるか年経て後。忠次老かゞまりて御前にいで己が子のことね
ぎ奉りしに。三郎今にあらばかく天下の事に心を労すまじきに。汝も子のいとほしき事はしりたるや
と仰ければ。忠次何ともいひ得ず。ひれふして在しとか。又幸若の舞御覧ありし時。両人にも見せし
められしに。満仲の曲に。をのが子美女丸をもて。主にかへて首切て進らせしさまを御覧じて。両人
に向はせ給ひ。其事となく御落涙し給ひ。両人あの舞はと仰られしかば両人大に恐怖せり。又或時三
郎殿のかしづき渡邊久左衛門茂に向はせ給ひ。汝等は満仲が舞見ることはかなふまじと仰られし事も
あり。また関原の役にあさとく御旗を勝山に進めれし時も。さて/\年老て骨の折るゝ事かな。倅が
居たらば是程にはあるまじと独言の様に仰られしとか。(中略)たゞ少年勇邁の気すゝどくおはしま
せしを。信長の恐れ忌しより事起れるにて。御手荒き御挙動の在しも。軍国の習にてあながち深く咎
め奉る事にあらず。さるをかの両人織田家の奸計に陥り。かしこきまうけの君をあらぬ事になし奉り
しは。不忠とやいはむ愚昧とやいはん。百歳の後までも此等の御詞につきて。御父子の御情愛をくみ
はかり奉るに。袖の露置所なくおぼえ侍るにぞ。(武辺雑談、東武談叢、寛元聞書)

(国史大系第38巻『徳川実紀 第一編』を底本としました。)

711:日本@名無史さん
07/09/05 20:50:52
鈴○眞○?!
それを聞くとちょっと・・・

712:日本@名無史さん
07/09/05 23:01:09
>>710
『徳川実紀』は、19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録。
そんなものに息子殺しの真相を載せるわけにはいきません。

713:日本@名無史さん
07/09/06 04:04:40
>>709
> >>708
> そんな迂遠な言い方しないで「わたしは家康信者です」
> と正直に言った方がいい。

おまえこそ何の信者だか知れたもんじゃないな。
ほんとにアホらしい。


714:日本@名無史さん
07/09/06 05:43:52
家康を論じるに当たって取り合えず
 1.家康個人、あるいは徳川家当主としての家康
 2.政治家の側面(民生からの観点、歴史上はたした役割)
に分けたい
1は皆の言う通り色々な意見があって然るべき
2は私見では源頼朝と並ぶ史上有数の政治家だと思う
ご批判を請う


715:日本@名無史さん
07/09/06 09:38:00
岡崎派だった平岩親吉に実子仙千代をくれてやったことはどう説明する?
同母弟の義直が御三家なんだから、もし仙千代が成人していたら、平岩家
はとてつもなく繁栄したことだろう。

716:日本@名無史さん
07/09/06 13:27:23
浜松派のスパイだったのかもしれないな。

717:日本@名無史さん
07/09/06 17:45:48
そもそも、岡崎派って誰?

718:日本@名無史さん
07/09/06 22:53:39
もう「ある本」に書いてあることが真実でいいよ
みんな「ある本」を読め

719:日本@名無史さん
07/09/06 23:19:05
なんせ鈴木氏は本を何冊も書いてる人だからな
本物だ信用できる
逆に史料なんて時の支配者に逆らうようなことは書けないんだから信用できないよな
一冊も本を書いてないくせに史料なんかを信じて徳川史観に毒された家康信者と
たくさん本を書いて通説を次々に打破してる人じゃ勝負にならないな

720:日本@名無史さん
07/09/07 00:20:56

鈴木 眞哉wiki URLリンク(ja.wikipedia.org)

721:日本@名無史さん
07/09/07 02:33:15
>>719
そうそう!!史料なんてみんな時の権力者の捏造だよね。
もしかしたら「徳川家康」なんて人間そのものが
存在しなかったかもしれないし。

722:日本@名無史さん
07/09/07 08:54:22
>>704
>徳川幕府が権現様を持ち上げたり、その支配を正当化するために
>作らせた史料でも、全部がウソでも全部が本当でもない。

信長の命令があったことを示す史料が全部嘘でない限り家康主導説は成立しない。
単純な論理。

723:日本@名無史さん
07/09/07 08:59:19
>>711
名前でどうこういうなら、名前すらだしてないおまえらニチャンネラーが何言ったところで説得力皆無だぞ
重要なのは論の中身だろ

724:日本@名無史さん
07/09/07 09:23:47
「ある本」最強伝説。
後世、古事記や日本書紀のように重宝がられること間違いなし!

725:日本@名無史さん
07/09/07 15:08:17
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726:日本@名無史さん
07/09/07 15:10:41
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学者のコメントを、自動的に肯定文に翻訳し、字幕も自動作成します。
元音声をイコライジング処理するので、違訳が発覚しません。
「ええ間違いありません」「最新のデータが証明しています」など力強いテキストが満載。

727:日本@名無史さん
07/09/07 15:12:42
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★★★★★ 編集者必携 BY エヌ氏
これでライターに払う無駄な原稿料が浮きます。
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★★★★☆ 新作に期待 BY 赤坂のTVマン
プラグインよりも『捏造君MOVIE&VOICE』を先に出してほしかった。
あるあるの悲劇を繰り返さないためにも、切に願う。
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☆☆☆☆☆ 役に立たない! BY サイ九郎
こんな出来合いのソフトでろくな話は作れないッ!前方後円墳は鍵穴だとか
プラズマ兵器とかの斬新な発想は、人しか考え出せないからだっ!
これで原稿料浮かそうとする出版社は、末日に滅びるが良い!
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――考古学板・オーパーツスレより――


728:日本@名無史さん
07/09/07 23:35:43
>>722
家康の猜疑心の強さが信康を殺したわけだよ。
似たようなものとして武田信玄→義信、豊臣秀吉→秀次(甥であるが)、
大久保派粛清がある(国家安康の大阪の陣も入るかも)。
神君家康になってしまってからの記録では「信長の命令で」という
ことにしないと、都合が悪いんです。
『信長公記』の原本である『安土日記』と家康の家臣松平忠家の『忠家日記』
信康が幽閉される直前、信康が謀反を企てているとの噂が流れていたという記述があって、『安土日記』には「家康が信康切腹の許可を信長に取り切腹させた」とありますよ。

729:日本@名無史さん
07/09/08 00:10:47
信長側なので信長公記を除くとしても、忠家日記の記述は根拠になるな
手元にないので記憶だけど、家康と信康の仲が悪いようなこと書いていなかったっけ?

730:日本@名無史さん
07/09/08 01:38:16
>>728
> 家康の家臣松平忠家の『忠家日記』

家忠日記なら知ってるが‥‥
忠家日記なんてのもあるのか?


>>729
二人して忠家日記と言ってるとは、
もしかして最近の学説では家忠が忠家になってるのか?!

731:日本@名無史さん
07/09/08 01:51:28
>>728
> 神君家康になってしまってからの記録では「信長の命令で」という
> ことにしないと、都合が悪いんです。

よりによって実の子を、
立場上同盟関係であるに過ぎない人間の「命令」ごときで
殺してしまうほうがよっぽど体裁が悪い気がするけどな。
それならば、謀叛の動きが実際にあったとしてしまうほうが、
よっぽど家康には都合がいいように思うぞ。
もし謀叛の噂云々が事実なのに、徳川実紀(俺は読んでないけど)には信長の命令でって書いているんだとすれば、
それは家康を庇うというよりも信康を庇うためなんじゃないの?


732:日本@名無史さん
07/09/08 02:17:20
>>730
こちらのサイトの受け売りだろ
URLリンク(blog.livedoor.jp)

信長厨は自分で考えるんじゃなくて、誰かの受け売りが多いな

733:日本@名無史さん
07/09/08 06:13:15
学者以外は大半が受け売りだ

734:日本@名無史さん
07/09/08 06:55:17
>>733
同じ受け売りでも、何冊も学者の本を読んだり、原典にちゃんと当たってみたりする奴と、
個人ブログ(言い方は悪いが、つまりは素人の自説)を無批判に丸ごと受け売りしてる奴とではまったく違うだろ。
しかもこのブログ主は、こんな断わりまで入れているぞ。



このブログは専門知識のない織田創が本やテレビ等から得た情報を元に書いています。
故に誤った記述等もあると思います。
もし気付かれた方はコメントにてお知らせいただけるとありがたく思います。
よろしくお願いします。
また、紹介している内容もひとつの説に過ぎません。ご了承ください。

735:日本@名無史さん
07/09/08 07:22:01
>>732
信康殺害は家康の意思と言うと、なんですぐに
信長厨ということになるのかねえ?
そういう言い方こそ厨の発想だろうが。

736:日本@名無史さん
07/09/08 11:19:16
>>734
前者の受け売りのやつも「誰かの受け売り」だし、後者の受け売りも「誰かの受け売り」
「受け売りだから」という批判じゃなくてどこがどうおかしいか指摘せねば意味あるまい
批判してる>>732>>730は「忠家日記」「家忠日記」と間違えてるから、それだけしか>>728の問題を指摘できてない
批判というより揚げ足取りだ、これじゃ
そもそも受け売りの何が問題だ?
その受け売りの内容に「忠家日記」みたいな本論と関係ないミス程度しか見受けられないなら問題なかろう
重要なのは誰かの受け売りかどうか、些細なミスがあるかどうかではなく、その論じてる内容に問題があるのかどうかだろ?


737:日本@名無史さん
07/09/08 14:56:49
>立場上同盟関係であるに過ぎない人間の「命令」ごときで

実質は上下関係があった。
三方が原に言い訳程度の援軍しか送らず自力でなんとかしろなんて
対等な同盟はない。

738:日本@名無史さん
07/09/08 19:59:59
>>728
「安土日記」には信康が謀反を企てたので
岡崎城から追い出した、という記述だけ。
家康が信康の処置を信長に相談したのに対し、
「家康存分次第」と信長が答えたと述べているのが
「当代記」。
「当代記」はかなり信頼性の高い史料と研究者の間で
されているので、これが信長無関係説の根拠に
なっている。
なお、なぜ家康が信長に相談したのかと言えば
信康が信長の娘婿だから。舅の信長に断りなしに、
信康を処分するわけにはいかなかったろう。
酒井忠次はそのために安土を訪れた。決して
五徳の12ヶ条の書状などを持っていたわけではない。
御用学者は「信長公記」を見て、天正7年7月に
酒井が安土を訪れてるのに気付き、「これだ!」とばかりに
飛びついたのであろう。酒井はここで、信康切腹を信長に
命じられたことにされてしまった。

739:日本@名無史さん
07/09/08 21:05:44
>>732
通説派こそ、江戸時代以来語られてる筋書きを繰り返すばかりで、
何ら新たな根拠など示してないだろ?
元々通説には数々の疑問・矛盾点があり、それに対して
新たな史料の解釈などを加えて出てきたのが「家康の意思で
殺した」説。
他にも書いたことがあるが疑問を二つばかり。
嫡男を殺せと命じられた家康が、信長は離反するとは思わなかった
のか。また、離反した場合への、東への備えなどはあったのか。
この時期、現実の信長はこの頃上洛して蹴鞠を見物したりして、
そういった緊張はまるで感じられない。
次は信康を庇わず、死に追いやった酒井忠次が何故その後も
重臣として用いられているのか。通説の通りなら冷遇されても
おかしくない。
通説にはこのように説明できない疑問が多すぎる。
もう一つ明確にしておきたいのは、信長が命令したという話は
徳川の天下になって作られた史料にしか出てこないということ。
同時代にそういったことを言っているものがあるのなら
肯定できるが。

740:日本@名無史さん
07/09/08 21:34:34
これも他に書いたことがあるが、
信長は無関係で、家康は自らの意思で妻子を抹殺したと
(著者なりに)論証した本が、
典厩五郎著「家康、封印された過去」(PHP研究所刊)。
著者は、高校生の頃から信長犯人説が不思議でならなかった
そうで、その疑問は大人になっても解決せず、この本の執筆に
至ったそうだ。
家康犯人説に納得できない人は是非読んでみてほしい。品切れなので
図書館などで探さねばならないが。

741:日本@名無史さん
07/09/08 23:18:12
>>739
信長と家康のキャラを考えればそれほど疑問でもない。
信長は家臣に寝首を掻かれるような鈍感力の持ち主。
敵に回すことを一々恐れていたら天下統一に先鞭をつけるようなことができるわけない。
忠次はむしろ冷遇されたという見方のほうが妥当だろう。
第一、>>738の言うように信長の許可を得る使命を帯びて安土を訪れたなら
忠次には何の落ち度もないことになるからもっと厚遇されてしかるべき。
怒りに任せて殺したり追放したりはしていないが、
人を使うには欠点は仕方ないと思ってあきらめ、長所を取り立ててやれというのが家康の信条。

>>740
典厩五郎の本をちょっと読んだことあるが、
家康を「何考えているかわからない」とか、偏見が酷かったのを覚えている。

742:日本@名無史さん
07/09/08 23:40:57
>>741
忠次は信濃平定時に下手を打ったらしい

743:日本@名無史さん
07/09/09 03:09:13
>>736
> 批判というより揚げ足取りだ、これじゃ

揚げ足取りじゃなくて、依拠している史料の名前を間違えるか普通?
ってだけの話でしょうに。
知らなかったのならこれを機に知ればいいし、
ミスの指摘ありがとくらい言ったっていいくらい。
人前で言えば恥をかくのはあんたなんだしね。


744:日本@名無史さん
07/09/09 03:24:59
>>740
> 著者は、高校生の頃から信長犯人説が不思議でならなかった
> 家康犯人説に納得できない人は是非読んでみてほしい。

この辺がよくわからないんだよなぁ。
「犯人」って、まるで悪人か罪人扱いじゃないか。
「妻子を殺した!」って、まるで現代の、それも一般庶民の倫理感覚でとらえ過ぎてないか?
そもそも良い悪いを言い出すなら、真偽のほどはともかくとしても、
謀叛の疑惑をかけられるような隙を見せてしまった信康
(と築山御前)が一番悪いんじゃないの?
今風にいえば内乱罪が適用されてもおかしくないわけでしょ?


745:日本@名無史さん
07/09/09 06:41:36
>>744
「犯人」というのは著者(典厩五郎)の表現を借りたまで。
他の言葉に置き換えても本質は変わらない。
>>741
では他の疑問を2つほど。
・それほど信長が怖いなら、すぐに殺さずに2ヶ月もの間
信康の身柄をあちこち移したのは何故か。しかも最後は
武田方の最前線である二俣城に送りこんでいる。これでは
信長の疑惑を煽っているようなものではないか。
・家康は何故、信長が一言も触れていない築山殿まで殺した
のか(一般に信長は2人を殺せと命じたとされているが
これは誤り。史料では信康にしか触れていない)。
酒井の件は谷口克広など研究者も疑問としている。
ここであんたの自己流解釈を聞かされてもねえ。
おれは谷口氏の方を信じる。

746:日本@名無史さん
07/09/09 06:50:41
連投だが、疑問はまだまだ挙げようと思えば
挙げられる。
要するにこの事件は徳川家製史料を下敷きにしている限り、
さっぱり筋が通らず、支離滅裂になる。
それより信長が家康の思う通りにせよと言ったという
「当代記」の方がよほど信頼できる。

747:日本@名無史さん
07/09/09 17:45:38
>>741
家康は家族に関してなら十分「何を考えているか分からない」と
言えると思うが?
上の方にもあるように次男秀康は出生を疑った上、対面するのを
嫌がるし、忠輝は追放。
秀康と対面するのを嫌だと言って逃げ回っていた家康を、信康が
秀康と対面させたという話が残ってるが、異常というほかない。
我が子と対面するのから逃げ回る家康など、御用学者が創作する
はずがないから、話は本物であろう。
偏見などとは言えまい。

748:日本@名無史さん
07/09/09 21:21:01
良い証拠は偽者
悪い証拠は本物
魔女裁判みたいだw

749:日本@名無史さん
07/09/09 21:21:19
>>743
論点がずれてる
些細なミスを鬼の首でもとったかのように騒ぎ立てて本論すらも信憑性がないとしてることが問題なんだが?

750:日本@名無史さん
07/09/09 21:29:56
些細なミスなのか本気で間違えてるのかわかんねえよ。
忠家なんて間違えようがない。

751:日本@名無史さん
07/09/09 22:02:56
>>748
そりゃそうだろ。
御用学者が神君家康を美化するためには、悪い話はなかったこと
にするか他人のせいにする。
悪い話でないことはいじる必要はない。そのまま。
秀康と対面するのを嫌がった話が創作でないと判断する理由は、
この家康が神君家康ではなく人間だから。つまり作為性がない。
ただし人間と言っても薄気味悪い人間の部類だが。

752:日本@名無史さん
07/09/10 19:05:17
>>747
> 上の方にもあるように次男秀康は出生を疑った上、対面するのを
> 嫌がるし、忠輝は追放。

だから何?としか言い様が無いなぁ。
領国や家中を治めるには、息子だからって無条件に愛するわけには
いかないのは当たり前のこと。
その辺のマイホームパパじゃないんだから。

> 秀康と対面するのを嫌だと言って逃げ回っていた家康を、信康が
> 秀康と対面させたという話が残ってるが、異常というほかない。

異常というほどのもんでもなかろう。
足利尊氏も直冬をなかなか認知しなかったし、
徳川秀忠も公然とは保科正之をわが子と認めなかった。
身分や地位があり、更に権力もあって、
大勢の一族家臣を束ねるような立場の人間は、そう簡単に認知なんか出来るもんじゃない。
ましてや100%わが子であると言いきれない子供の場合、
身分地位が無くたって、なかなか認知なんて出来るもんじゃない。
そのくらい想像してやれよ。


753:日本@名無史さん
07/09/10 19:07:30
>>747
ところできみは、前に徳川家内部で家康vs信康みたいな勢力争いが起きていた、というようなことを書いていた人?
それなら「信康が秀康を家康に対面させてやった」と言う逸話は、
その辺のホームドラマみたいな話を連想して異常とか決めつけるよりも、
政治とか権力のパワーバランスから読み解いてみたらどうだろう?
例えば家康がなかなか秀康と対面しなかったのは、家康が信康一派に見せた政治的配慮ではないか、と仮定してみる。
家康の後継者であると自他ともに認める信康とその一派の了解を得ることで、
初めて家康は秀康と父子の対面に至った、という話になった、という具合に。


754:日本@名無史さん
07/09/10 19:19:38
>>728
> 家康の猜疑心の強さが信康を殺したわけだよ。
> 似たようなものとして武田信玄→義信、豊臣秀吉→秀次(甥であるが)、
> 大久保派粛清がある(国家安康の大阪の陣も入るかも)。

う~ん‥‥そんなに似ているかなぁ?
武田義信には飯富兵部、豊臣秀次には木村常陸介、
それぞれ有力な重臣が連座して切腹させられているけど、
信康の場合は家老の平岩親吉に何のお咎めも無かったでしょ。
だいたい猜疑心から殺すんであれば、
信康一人を殺すのではなく、その背後にある敵対勢力も
大量かつ一斉に粛清しないとあまり意味は無いんじゃない?

だから、俺は上に書いたような「家康派vs信康派」のような内部対立があったというのはちょっと考え難いと思っている。
武田に内通した一部家臣がいた、というだけの話じゃないの?
しかし、信康本人までが内通していたかといえば、それはわからない。
わからないが、黒ではなくても灰色なのは確かだろう。
家康が父親の情として命だけは助けたいと思ったとしても、
それでは同盟国(織田)や家臣にも示しがつかない。
已むを得ず責任を取らせて自刃、ということになった、と。

755:日本@名無史さん
07/09/10 19:48:49
>>745
・身柄をあちこち移したのはどう見ても家康苦悶の痕跡なのに何が疑問なのか?
信康に切腹の覚悟ができていないため移したという家康の手紙が発見されたらしいが、
覚悟ができていないのはむしろ家康のほうだっただろう。
・築山殿を殺す理由は家康にはもっとない。
家康主導説では捏造というしかないだろうが、>>684のようなエピソードも残っている。
史料でことさら築山殿に触れていないのは、信長が本当に抹殺したいのは信康だと
誰もがわかっていた証拠。
思えば築山殿は武田内通という名目のために犠牲になったあわれな女性。
その後、徳川方からも悪く言われ二重にあわれ。

大体、このあたりの史料は家康主導説ではまったくの捏造だろうに。
ご都合主義もはなはだしい。

756:日本@名無史さん
07/09/10 23:17:28
こりゃ駄目だww

757:日本@名無史さん
07/09/11 23:05:29
あちこちに移したのって、信康派の家臣から引き離すためじゃないのかな

758:日本@名無史さん
07/09/12 08:34:49
>>756
お前みたいな一行煽りレスが最低だって気付けよ。
具体的に反論できねえでやんの。
しかもいまどきw使ってる。

759:日本@名無史さん
07/09/12 12:44:23
>>752
尊氏と直冬の場合はちゃんとした理由がある。
自らが滅亡に手を貸した北条の一族である正室と
その嫡子に遠慮してのこと。
家康とは一緒に出来ない。

760:日本@名無史さん
07/09/12 12:46:40
>>758
w


761:日本@名無史さん
07/09/12 17:57:09
通説論者がまだいるようだが、これは現在そのままでは
成立しなくなっていることを認識すべきだ。
通説では家康と信康の間は何の問題もなかったところへ、
信長が半ばいちゃもんのような嫌疑をかけて殺させたと
なっている。
だが「家忠日記」には事件の1年前から、家康が岡崎在住の
家臣を信康から切り離そうとしていたことが分かり、両者の間が
険悪になっていることが窺える。
それに「当代記」の記事はどう説明するのか。
家康を美化するのが目的の徳川家製史料と、
研究者の間でも信頼性が高いとされる当代記。
どちらに信が置けるか言うまでもあるまい。

762:日本@名無史さん
07/09/12 19:15:19
>>758
w w

763:日本@名無史さん
07/09/12 20:58:14
仮に岡崎と浜松の争いと言う可能性があったとしても、この件で
死亡したのが家康の妻子だけというのが謎
岡崎の重臣が一人も死ななかったというのは変である

そうなると対立していたのは家康と信康の個人間という事になるの
であろうが、この二人がそこまで対立する要因が見えてこない
それこそ俗説が築山殿が武田と内通をし云々を挙げるのも理解は
できる

764:日本@名無史さん
07/09/12 22:06:52
それよか築山殿も含んだ個人間での権力抗争だったから家臣の粛清がなかったと
考えればいいと思うが。武田との内通とかいうほうがよっぽど荒唐無稽だわ。

765:日本@名無史さん
07/09/12 22:21:27
>>764
その個人間の権力抗争に重臣が全くタッチしていないのはありえない。
信康はその程度の根回しもできないような奴という事になる

逆にその程度の事もできない無能だから粛清したのかな?

766:日本@名無史さん
07/09/12 22:59:04
信康の死後、その近臣たちのほとんどが蓄電、隠遁、不自然死、
もしくは左遷されている。
と述べている本もある。ただ具体的に人名を挙げろと言われると
細かく記した本が手元にないので出来ないが。
同著者によると、徳川幕府が各家に提出させた系図には、
途中が抜けていて、この人はどうやって生まれてきたのだろうと
いうケースが少なくないという。
著者はこれを、信康に仕えた後牢人、切腹などと書かれていた
ところを、幕府側が改ざんしたと見ているのだが・・・
従って岡崎派の誰も処分されてないということは出来ないと
思う。一見そのように見えるのは幕府による隠蔽ということになる。


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