07/06/28 00:25:39
○説、○説って分けて考えること自体が、後世の人が自分の中で割り切って、孟子や荀子の考えを自分の都合で考える安易さが出ているのだと思うよ。
そもそも孔子や孟子、王子は何説何説を自分で説いて名を挙げようなんて考えなかったんじゃないかな?
世の中が退廃して末世って感じたから、じぶんがなんとかしなくて
はって考えたんじゃないかな?
孟子に「猶興の士」ってのがあるんだけど、そうじゃないのかな?王陽明も学とはこう在るべきだ、学問は人を導くというかこう在るべきだと考えて
そうなったんだと思う。(自分が戦場に駆り出されてそんな場合じゃないのに)その状況に自分がいたらそんな事考えるだろうか????
打算や物欲なんてどっかに吹っ飛んでいるんだと思う。それでもなんとかしなくちゃって、記章の学問、知識じゃ人の悩みや生き方、世の中は良くならないっておもったんじゃないかな。
どうなんだろうかな?