河井継之助at HISTORY
河井継之助 - 暇つぶし2ch273:日本@名無史さん
07/01/27 00:29:36
河井継之助伝に小山正太郎氏の談話が掲載されている。
『故品川子爵(弥二郎)は、かつて当時の京都に関して自分にこういう話をなされたことがある。
「京都で皆が寄ってたかって相談の結果、各藩を説得して味方にするには、勅使を出したほうが良いと決まった。
しかし、単に勅使といっても、別に何か有難味がなくてはいかぬというので、それに錦の御旗が良かろうということになった。
ところが錦旗杯というものは何所にもない。さりとて無暗に作ったことが世間に聞こえては有難味がないという所から、
木戸の妾(幾松)が小才のあるのを幸いに、これに命じて西陣へ遣り、自分の帯にするという口実で錦を一巻買わせて来て、
夜こっそり旗に作らせ、翌朝禁裏の寶蔵から恭しく持ち出し、是が、錦旗節刀を賜うさ。
ところが我々を土下座させた大名共が、この木戸の妾の帯に土下座するという始末さ。ずいぶん滑稽だね。」
是が真面目の話で、当時の事情は全く斯くの如きものであった。』
参考文献 河井継之助伝 今泉鐸次郎著 昭和6年 目黒書店 731~732ページ
錦の御旗に関しては、岩倉具視の謀臣、玉松操の説もあるので、なんともいえない。
しかし、当時の空気、雰囲気というものが伺えるものではないだろうか。


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