新撰組にいたが、長生きできた人  at HISTORY
  新撰組にいたが、長生きできた人   - 暇つぶし2ch507:日本@名無史さん
07/10/17 20:22:26
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。

508:日本@名無史さん
07/10/18 00:10:14
>>507
保健室でのセンズリ見られたんだってなwww

509:日本@名無史さん
07/11/06 19:46:13
>>488
三段突きって、1突きで3回って言う説と
突くまでの段階が3回あって、そのスピードが
早い説があると聞いたのですが知ってますか?
・・・剣術に詳しい方教えてください。

510:509
07/11/06 19:54:28
間違いです、
突くまでの段階が3回× 
突くまでの段階が2回○
 失礼しました。

511:日本@名無史さん
07/11/06 22:42:40
>>501
近藤と土方のカッコイイ写真についても解説。
現代では写真を撮ることなどなんでもないことだが、
当時は写真を撮るということはまさに一世一代の大イベントであり、
事前に撮影スタッフと被写体の本人が数回の打ち合わせ会議を行い
「どういう構図で写真を撮るか」「どういう服装にするか」
「どういう表情にするか」などを細密に話し合い検討し細部まで決める。
そして写真撮影当時は被写体となる人物は
最高の一張羅もしくは撮影のために購入した豪華な衣装を着て
時間をかけて丹念な髪型を整え、化粧までして撮影に望む。

そこからが大変で実は当時の写真撮影は実は15分くらい被写体は
停止してなくてはいけない。
さらに写真撮影の椅子には頭が動かないように後ろから固定する器具があった。
あの近藤や土方の微妙な表情やポーズも打ち合わせどおり作られたものであり、
しかもそのポーズのままずっと15分も停止しているという不自然極まりないものであった。
その影には必死で「カッコイイ写真を残したい」という彼らの思惑と熱意があったのだ。
そしてさらにオマケに出来上がった写真にもかなりの修正が施されたという。

土方や近藤の写真を見て、
「この写真は彼らの当時の心境を表している」とかご高説をたれる新撰組オタがいるが、
当時の写真は実は細部まで作りこまれた肖像画のようなものでしかない。

512:日本@名無史さん
07/11/06 23:06:42
>>278 >>279
二年も前の書き込みにレスつけても仕方ないが、
その永倉が「斉藤君とはあまり話したことはないから、よく知らないが彼の剣の腕は凄かった」

とか語ったという話しは事実でしょ。
ロマンが崩れるとかいう理由で論拠もなくウソと決め付けてはイカンと思うよ。
要するにそかんなには個人的に親しい関係でなかったと思われ。

513:日本@名無史さん
07/11/07 16:02:43
新選組史上から抹殺された根岸友山。
維新後に本を書いてまで近藤いさきをこきおろした。

514:日本@名無史さん
07/11/07 22:48:18
>>511
それを考慮すると、中岡の白い歯スマイルは異常

515:日本@名無史さん
07/11/08 08:35:41
>>511
土方が写真を撮った年代なら写真技術が向上して
静止時間は5分程度で済んだ筈。
5分でも大変だろうけど。

516:日本@名無史さん
07/11/10 02:31:19
永倉とか斉藤が大正まで生きてたってのがすごい。
大正生まれのじじばばは今もいっぱいいるけど
新撰組の生き残りと同じ空気を吸ってたのにロマンを感じますね

517:日本@名無史さん
07/11/10 02:42:41
んでがんす。

518:日本@名無史さん
07/11/13 17:20:01
写真てどこで見れる?
歴史の教科書とかに載ってるのと同じ?

519:日本@名無史さん
07/11/14 09:10:23
函館政府の集合写真とか見たかったな。
一年も暇してたんだから、色々な写真撮ればよかったのに。
大鳥と土方が肩を組んだ写真とか(*´Д`)ハァハァ
榎本のお髭を引っ張るいたずら顔の土方とか(*´Д`)ハァハァ


520:日本@名無史さん
07/11/15 20:11:42
>>518
さすがに教科書には新撰組の写真は載って無いよw
普通に新撰組関係の文献見ればいい。
あとは幕末写真館とか言うサイトに行けば見れるとオモ。

>>519
妄想乙。

521:日本@名無史さん
07/11/15 20:47:50
栗塚旭

522:日本@名無史さん
07/11/20 02:21:38
俺の中で土方は栗塚さんなんだよなー
山本もかっこいいけど、鬼の副長にしてはちょっと軽い気もする

523:日本@名無史さん
07/11/20 04:20:17
鬼っ娘の副長がいいな
士道不覚悟だっちゃ!
切腹だっちゃ!!


524:日本@名無史さん
07/11/20 13:50:01
近藤がダーリン

525:日本@名無史さん
07/11/20 21:53:38
ちょっと質問があるんだけど新撰組の関係者で山南って人いなかった?
ふとその名を耳にして新撰組関係者だったような気がして…


526:日本@名無史さん
07/11/20 22:07:40
すいません自己解決しました
めちゃくちゃ有名だ…

でも新撰組にかなり興味持てたので新撰組について色々勉強してみます

527:日本@名無史さん
07/11/21 15:57:50
山南さんは隠れ志士だったので、土方さんにリストラされました。


528:日本@名無史さん
07/11/27 13:20:09
なんでここは腐れた女子が多いんでつか?(´;ω;`)

529:日本@名無史さん
07/11/27 14:33:31
山南ファンは腐れ万個ばかりだよ

530:日本@名無史さん
07/11/27 16:54:29
実際の山南さんは小太りで色白の優しい青年だったんだけどね。
堺雅人のイメージで腐女子が湧いてしまった。


531:日本@名無史さん
07/11/27 17:44:55
俺も小太りで色白の優しい引きこもりなんだがなあ

532:日本@名無史さん
07/11/29 02:27:38
>>531
職業不覚悟だな
切腹しろよ

533:日本@名無史さん
07/12/04 20:59:08
【コラム】 人間の不老不死研究はどこまで進んでるの?
URLリンク(news.ameba.jp)

534:日本@名無史さん
08/01/23 19:26:38
俺の祖父は服部武雄

535:日本@名無史さん
08/01/25 17:06:37
北海道の小樽に永倉新八の孫が俺が中学生くらいまで生きてた。


536:日本@名無史さん
08/01/27 02:26:18
あげ

537:日本@名無史さん
08/02/01 18:26:00
永倉新八が虫歯で死んだって話やけど、さっき歯医者の先生に虫歯で死ぬことが
あるかどうか聞いたら、実際にあるらしい
虫歯菌が血管の中に入って血管を腐らせるらしいが、そこまでくると相当激痛みたい
昔の人は木の枝なんかを使ってつまようじみたいに歯を掃除してたらしいよ

538:日本@名無史さん
08/02/01 20:45:15
大正期の内閣総理大臣加藤高明のおじさんが新撰組と最近知って驚いた。

539:日本@名無史さん
08/02/10 08:22:55
土方が戦死しないで、捕らえられてたら
どうなったかな?
普通に斬首かな?

540:日本@名無史さん
08/02/10 16:13:57
斬首なんて生ぬるいもんじゃn…

541:日本@名無史さん
08/02/10 17:12:51
俺のおじいちゃんが新鮮組を経営してたが今96歳やでぇ~

542:日本@名無史さん
08/02/11 16:25:53
永倉新八なら俺の曾おじいちゃんがビビらせてやったって自慢してた。


543:日本@名無史さん
08/02/11 17:19:46
>>542の曾爺「やらないか」

永倉「・・・?」

>>542の曾祖父「もう我慢できねぇ!俺の金玉をみてくれえええええええ」

永倉「ぎゃああああああああああ」


こんな感じだろ

544:日本@名無史さん
08/02/13 11:46:56
永倉新八って80歳で剣道教えていたらしいよね。
エライ気迫で、誰も敵わなかったらしいよ。
そりゃそーだよね本当に人を何人も斬ったんだから。

545:日本@名無史さん
08/02/13 16:35:45
>>539,>>540
榎本武揚が、土方の統率力を惜しんで、明治政府と政治取引をして
土方を生き残らせようとしたという話をどこかで聞いた気がする。

546:日本@名無史さん
08/02/13 17:52:30
544

孫に教えてたんだよ

 孫は柔道がやりたかったんだけど毎朝無理矢理やらしてたらしいね

547:日本@名無史さん
08/02/13 18:42:53
>>545
生き残って、欲しかったね
しかし、戦死の方が、土方らしくもある


>>544
弾丸、白刃の雨を生き残ったんだから、チンピラなんかにびびらないよな
睨んだだけで、おいかえしたってのは凄いけど

548:日本@名無史さん
08/02/13 19:10:03
>>547
榎本の申し出に対して土方は
「俺は人を殺し過ぎた」と断ったらしい。

出来すぎの話だからつくり話の可能性が高いが。

549:日本@名無史さん
08/02/13 20:29:23
>>548
燃えよ剣かな?
土方の大河ドラマやんないかな
俳優は細川なんとかあたりで
仮面ライダーの
香取の近藤はないよな

550:日本@名無史さん
08/02/20 12:59:46
 

551:日本@名無史さん
08/02/20 13:23:13
>>549 やはり 土方は栗塚旭でしょう。

552:日本@名無史さん
08/02/22 08:06:55
土方は今生きてても、イケメンで通りそうだ

553:日本@名無史さん
08/02/22 12:31:06

幕末一のイケメンは桂小五郎。


554:日本@名無史さん
08/02/22 18:41:09
木戸カッコいいか?
松平容保のほうがカッコいいだろ

555:日本@名無史さん
08/02/26 16:27:57
もしも、五稜郭の戦いで土方が榎本らと一緒に投降していたら、
新政府は土方をどう扱ったかな。
処刑か、または榎本・大鳥のように軽い罰で済んだか。
まぁ土方は絶対に降伏なんてしないだろうし、例え拘束されても脇刺で自刃したろうけど、もしもの話。

556:555
08/02/26 16:43:44
前のレス読返したら、もうこの話題出てましたね。ごめん。
ただ、旧幕軍の最高司令官でさえ軽い処分で済んだんだから、土方も西郷辺りの恩情で数年の投獄程度だった可能性もあるよなって思って。

もし生き残ってたら永倉・斎藤と共に北海道辺りで道場でもやってほしいな。

557:日本@名無史さん
08/02/26 19:01:29
でも降伏する土方なんて嫌だな

558:日本@名無史さん
08/02/27 00:07:48
嫌だな

559:日本@名無史さん
08/02/27 00:11:39
そうか?

 土方さんには生きてほしかったよ

560:日本@名無史さん
08/02/27 13:19:33
>>559
生きて、日清戦争で指揮する土方ってのも素敵だけど
降伏は嫌だな
せめて、隠れて生き延びるってならいいけど

561:日本@名無史さん
08/02/27 13:29:15
>>554

あんな三白眼なバカ殿嫌だわ。


562:日本@名無史さん
08/02/27 13:48:44
木戸はなるしすと臭い
土方が一番カッコいいな
もてそうなのは中岡慎太郎

563:日本@名無史さん
08/02/27 14:28:37
>>560
確かに日清戦争で指揮をとる土方は見てみたいし心強い。
抜刀隊を優遇しそうだけどw
原田生存説が真実で永倉の志願が承諾されてれば、また一緒に戦えてたかもね。
だけど隠れて生き延びる、って函館戦争から逃げ落ちてどこかに潜伏するってことになるな。
そんな土方はもう土方じゃないよ。やっぱあの人はベストな死に方をしたわけだ。

564:日本@名無史さん
08/02/27 15:52:21
>>562
ナルシストそうなのは圧倒的に土方だろ。因みに京の舞妓の間で一番モテたのは桂だぜ
>>563
新撰組で唯一許せるよ土方は。思想は無いけど戦うために生きてる感じが不器用でかっこいい。


565:日本@名無史さん
08/02/27 16:00:53
桂が一番もてたってソースは?
土方は舞妓からもらったラブレターを
実家に送りつけたエピソードがあるが

566:日本@名無史さん
08/02/27 16:40:56
沖田
「土方さん。これからどうなるんでしょうね?」
土方
「総司、男ならどうなるかじゃなく、どうするかだ!」

567:日本@名無史さん
08/02/27 20:47:44
かだ!」

568:日本@名無史さん
08/02/27 23:56:59
土方は五稜郭で死んだからこそ「新撰組副長 土方歳三」なんじゃないかな?

仮に生き残って軍に入るとしても長州人だらけの陸軍じゃ出世どころか命が危ない
薩摩閥の海軍もあるけど土方の得意分野じゃないし…
民間でも壬生の狼、賊軍、人斬り集団の副長ということで就職は見込めないだろな
やっぱ多摩の百姓で不遇の人生をおくる土方なんて見たくないよw



569:日本@名無史さん
08/02/28 00:44:09
名を石田と改めて薬の行商をするんだよ…嫌スギルw
もし生き残ったら土方verを考えると斎藤一の世渡りの上手さが神懸り的に思えてくる。
維新後の警察の採用基準て腕っ節の強さか?だとしたら薩長の志士だらけだったと思うんだけど斎藤よく集団リンチに合わなかったなw
そもそも元新撰組だって隠してたのかな、偽名使ってもバレバレだと思うのだが。

570:日本@名無史さん
08/02/28 00:52:36
もしかしたらリンチされてたかもよ?
 そういう記述がないだけで…

571:日本@名無史さん
08/02/28 01:38:51
>>569

明治初期の警察は失業した士族、没落士族の再就職先という面もあったから
むしろ元賊軍や弱小藩出身者が多かったみたい
薩長の志士たち川路みたいな幹部クラスにはいたと思うけど、大半が近衛師団か陸、海軍に散らばってるんじゃない?

572:日本@名無史さん
08/02/28 15:33:29
>>564
許せるってどういうことだ?

573:日本@名無史さん
08/02/28 15:34:46
てか長州にリンチ受けるのは解せるが
薩摩とは一度組んで禁門の変で戦ったわけで
リンチ受ける意味が分からん

574:日本@名無史さん
08/02/28 18:23:18
西南戦争での斎藤一の活躍が新聞に書かれたそうだけど、元新選組っていう記述はあったのかな。

575:日本@名無史さん
08/02/28 20:19:53
新撰組より鞍馬天狗のが強い

576:日本@名無史さん
08/02/28 20:35:49
>>569 ない

577:日本@名無史さん
08/02/28 20:40:01
新撰組はリンチはするが
尊皇の志士はリンチはしない

578:日本@名無史さん
08/02/28 20:44:38
土方は1番狡猾でずる賢いやつ

579:日本@名無史さん
08/02/28 20:45:43
>>574
ない

580:日本@名無史さん
08/02/28 20:48:31
>>565
野暮で田舎者の新撰組は京の女には圧倒的に
不人気だったのは歴史の常識。
だからラブレターをもらう程度のことが
大自慢になったわけ。

581:日本@名無史さん
08/02/28 21:24:28
長州人は遊郭で金使いまくったからモテただけだろ

582:日本@名無史さん
08/02/29 01:19:29
577 いやどっちもどっち
 新撰組来る前は超やりたい放題だったけど、新撰組が来た後はあんまできなくなっただけ

 581 新撰組だってそうだろ
 むしろ金回りは新撰組のが全然上
  

583:日本@名無史さん
08/02/29 01:25:05
新撰組は金回りは悪かった。
直属の上司である京都守護職松平容保の会津藩は、長年の京都駐屯で既に財政破綻を来たしていた。

584:日本@名無史さん
08/03/04 06:02:24
土方はブサじゃないけど開いてるか閉じてるかよくわからん目しててノッペリ顔

585:日本@名無史さん
08/03/04 14:23:09
香取の新撰組の時の、土方役は結構似てたな

586:日本@名無史さん
08/03/05 20:09:06
test

587:日本@名無史さん
08/03/06 17:16:53
池田七三郎

588:日本@名無史さん
08/03/06 17:17:58
永倉新八

589:日本@名無史さん
08/03/06 17:18:23
齋藤一

590:日本@名無史さん
08/03/17 23:50:05
斎藤さんは永倉さんのように何か書物など残されてはいないのでしょうね。

591:日本@名無史さん
08/03/18 21:03:00
池田七三郎は新撰組隊士の最後の生き残りだよね。


592:日本@名無史さん
08/03/22 21:55:03
斎藤一と芹沢鴨の接点を知っていたら、教えてくれませんか。

593:日本@名無史さん
08/03/23 01:00:38
どっちも哺乳類

594:日本@名無史さん
08/03/23 01:51:59
藤田五郎の墓に行ってきました。

595:日本@名無史さん
08/03/23 14:09:13
>>594
どこにあるの?
近藤の墓は遺族が作ったみたいだけど
土方の墓ってないの?

596:日本@名無史さん
08/03/23 21:46:37
>>595
会津にあります。パチンコ屋の前で阿弥陀寺って所でした。

597:日本@名無史さん
08/03/24 04:06:29
斉藤一が左利ききで脇差し右に差してたなんて浅田の創作だよね?

598:日本@名無史さん
08/03/24 06:43:53
牙突

599:日本@名無史さん
08/03/25 18:25:11
>>596
それは土方の?斉藤の?

600:日本@名無史さん
08/03/25 19:03:53
596に書いたのは斎藤一で藤田五郎の名前です。
会津には近藤勇、土方の墓もありました。

601:日本@名無史さん
08/03/25 23:22:55
土方の墓あるのか
でも遺骨ちゃんと埋葬されてるのかね

602:日本@名無史さん
08/03/26 09:16:42
狙撃された落馬、遺体を味方が収容して、官軍に分かり難い場所へ埋葬。
その後、埋葬場所を特定出来ず(´・ω・`)
ということで、土方の遺骨は行方不明です。


603:日本@名無史さん
08/03/26 11:43:14
んじゃ函館の土になってるのか。

604:日本@名無史さん
08/03/26 22:41:17
やはり行方不明か
新政府軍に処刑されたら遺骨は残ってたかもな

605:日本@名無史さん
08/03/26 23:20:05
坂本龍馬

606:日本@名無史さん
08/06/03 07:16:43
近藤の首の行方が今ではほぼ判明しているって某サイトにあったけど
一般的に知れ渡っていないだけで、学者やら研究者の中では
既に周知の事実ってのがあるのかねー

607:日本@名無史さん
08/06/12 11:46:55
近藤勇の首って、京都の東山に埋葬してあって
首塚を見たって言う人も時々現れます。
いずれにせよ、首塚は東山にあるのだろう。

608:日本@名無史さん
08/06/18 00:03:42
自分は会津に土方が近藤の首を埋葬したと聞いた

609:新選組
08/06/18 00:26:22
沖田とされた写真は実は大鳥圭介だった。と何かの本で読んだ覚え
がある。また、東スポ出版の「激録 新撰組」という本に
芹沢や無名隊士3人の集合写真、なぜか赤報隊の相楽総三の写真
も掲載されてたが、どれもインチキくさかった。

610:日本@名無史さん
08/06/21 14:31:36
文化祭で新撰組やることになった
何か池田屋以外にやりやすいストーリーとか
面白そうな逸話みたいなのとか無いですか?
新撰組初心者なんでググってもなかなかわからないです
誰か助けて・・


611:日本@名無史さん
08/06/21 15:12:51
会津には遺髪じゃなかったかの?

612:日本@名無史さん
08/06/21 19:39:29
>>608
近藤の首級は京都、土方は官軍と転戦中。
そんな余裕はありませんがな。
確か近畿の寺に埋葬されたんじゃなかったかな?


613:新選組
08/06/22 08:38:45
>610
まだ誠衛館(試衛館?)道場の頃。つまり、
京都上洛前の頃を芝居してみては如何?
漫画でもそういう場面だけクローズアップ
している作品もあるし。
主要メンバーの多くはもう揃っていたから
結構いけると思います。


614:日本@名無史さん
08/06/22 10:44:54
就職活動すると分かるよ、日本語の大切さが。

ハーバード大、プリンストン大、あと北京大やらエーゲ大やら、似たり寄ったりの学生が
何千人も面接に来てみんな同じこと言うんだよ、
「学生時代は、ごっくんサークルの部長代理次官補佐筆頭を務めていて」とか、
「夏休みに海外の大学に法典獨協会留学していて」とか。
みんな同じことしか言わない。
そこで、新潟弁がぺらぺらに話せますって言えば、
居酒屋とかだとだいたい最終面接までいける。
ポルトガル語は、これから社会に出る人間にとってすごい武器になるかもね。

615:日本@名無史さん
08/06/22 14:33:13
>>613
ありがとうございます 
参考にします



616:新選組
08/06/23 08:35:34
>615
勇の義父の周斎が刀を振り回して土方を
追い駆け回したエピソードなんか、結構
笑いを取れると思うよ。

土方が伊庭八郎と飲み歩いたり、2人で
周斎の講談からそっと逃げ出したり、
この辺りのことは幾らでも脚色出来るから
マニアからクレームは来ないと思うし、
気楽にやれますよ。


617:日本@名無史さん
08/06/23 20:26:28
>>601
島田 魁
新撰組隊士。新撰組一の力持ちと謡われ、その豪腕で数々の戦火を越えてきた。
新撰組崩壊後も土方歳三に付き従い、北は蝦夷地、函館までやってきたが、
土方が凶弾に倒れると その身体を担ぎ上げて民家に運び込み、その最期を看取った。
その躯はどこかに密葬されて 今でも発見はされていない。
島田魁は函館まで残った新撰組隊士の最期の名簿を作成したり
晩年に新撰組をその手記に残すなどしている。


618:新選組
08/06/24 12:45:43
斉藤一は夢録とか言う書を残していたらしいね。
だけど、その内容は不明で現物も行方不明。
専門家が必死に探しているが、発見出来ない。

沖田総司の写真もあったらしいけど、戦時中の
空襲で燃えてしまった、と言うエピソードを
本で読んだのだが、詳しいこと知っている人いますか?

619:日本@名無史さん
08/06/30 17:21:26
西南戦争に参加しようとした奴は迷ったんじゃないか?
西郷軍であくまで明治政府と戦うか
政府軍で憎い薩摩の西郷軍と戦うか
どっちも道理にかなっていない

620:日本@名無史さん
08/06/30 19:05:00
市村は西南戦争前に実家で病死
西南戦争に参加して死んだとか思ってるやつは
娯楽小説家の嘘を信じてる低能低学歴馬鹿
学問板で語る資格なし消えうせろ
もっと大脳を使って生きるんだな

621:日本@名無史さん
08/06/30 19:16:36
司馬のうすら馬鹿爺(親父は息子の妻をレイプ三昧。司馬はかばわなかった)のせいで
脱走した臆病者の代表として名があげられることになってしまった
相馬主計が哀れすぎる
司馬の馬鹿爺(先妻に後妻になる女の品定めをさせた)はなんで相馬を名指しで選んだんだ?

622:日本@名無史さん
08/07/01 22:31:40
質問だが沖田さんの恋人?かと思われる墓の方だが(光縁寺:沖田氏縁者)
一説には、石井秩さんか明里という説もあるが実際にはどうなんだろうか?

623:日本@名無史さん
08/07/02 00:09:29
山南さん亡き後、沖田君が明里を京妻にしていたのかね?
兄の未亡人を弟が貰うという話はよくあったみたいだし。


624:日本@名無史さん
08/07/19 12:25:02
新撰組は羽織袴(例えば池田屋事件の時でも)で戦闘してたんですか?

625:日本@名無史さん
08/07/19 12:29:08
>>620 斎藤一

626:新選組
08/07/21 01:43:22
>どうも専門家から言わせると、違うらしい。
鴻池に借金までして作った隊服は行動に目立つのと、
恥ずかしいとの理由から、僅か数ヶ月で着なくなった。
との事。その後は映画の「御法度」で着ているような
黒主体の服だったらしい。

浅葱色は本来、田舎侍の代名詞的色だったので、その点
からも嫌われたのだろう。


627:日本@名無史さん
08/07/21 02:21:31
勤番侍=浅黄裏だけど武士の礼装だからね

628:新選組
08/07/21 19:14:01
>627
えっ、そうだったの?それは不見識を
恥じる。だけど、当時の隊服が写真に
に残っていたらと思う。

629:日本@名無史さん
08/07/23 22:06:32
幕府を復興したい
スレリンク(jinsei板)

630:日本@名無史さん
08/07/24 10:09:18
宣伝用に制作されだんだら羽織りは芹沢鴨暗殺前後で廃止されている。今でいうコスプレ衣装のような物で抵抗があった、材質が悪いなどが理由。
その後池田屋事件前後までの期間、出動の際は機動的で統一のとれた格好であったようだが色調などは不明。
長州征伐開始前後の組織改革が進む時期に黒装束(筒袖に陣羽織?)へ移行していった。渡辺昇の証言によれば当時巷では「新撰組といえば黒装束」という認識だったようだ。

631:日本@名無史さん
08/08/07 13:52:43
生き残りはだいたい明治&大正時代に亡くなってるが昭和初期まで生きた人も存在してる。
維新以後は消息不明の人も大量にいるからもしかしたらその中には戦後まで生き延びたひともいるかもね~。

632:日本@名無史さん
08/08/23 12:06:56
沖田総司のその後
スレリンク(souji板)

633:日本@名無史さん
08/08/23 12:34:34
>>547
けど永倉さんは維新後の東京で、恨まれている三木三郎に会ってビビったって自分で言っている。やっぱり敗戦後で弱気になっていたらしいが…
そんな正直な永倉さんが俺は大好きです。

634:日本@名無史さん
08/08/23 22:26:58
でもその後人生成功した人っていないよね?
御稜衛士組の篠原ぐらい?
榎本や人見のように敗軍からなった人もいない

635:日本@名無史さん
08/08/23 23:14:55
【水着がないから】女子中学生3人、深夜に川を裸で泳ぎ補導される 【福岡】
スレリンク(bake板)

636:日本@名無史さん
08/08/23 23:22:39
>>635 自然体捕獲でしょう。

637:日本@名無史さん
08/08/24 06:10:13
生き残り中には三木三郎や斎藤一のように警察で出世した連中、
近藤芳助のように政治家で成功した連中、阿倍十郎や中島登のように商売
で成功した連中なんかが以外に多い。
佐々木一なんかは生前に紳士録に記載された。直接関係はないけど佐野七
五三之助のように親族から首相を出した人もいたりする。佐野自体は明治
の前に死亡してるけども。
対照的に三浦啓之助や谷万太郎みたいに不遇の後半生を送った人も多かっ
たことだろうが。
極端な成功もおさめなければとりわけ不幸な生活を送ったわけでもなく、
ごく一般的で平凡な人生を送った人が大半だったんじゃないかな。

638:日本@名無史さん
08/08/24 06:17:58
島田魁
明治維新後に京都西本願寺の守衛になりました。

639:日本@名無史さん
08/08/24 07:02:53
伊東組じゃない連中は
出仕した連中もよくて一般官吏だよね警官とかも

中島の花火屋は成功って言えるのか?
蘭栽培のときに偶然できた新種が馬に蘭食べられて
商売終了とか経歴は面白いけど
質屋もコケテえらく懲りたのか「孫子の代まで質屋はやっちゃだめ」とかいい残し

加藤高明と佐野が血縁だったのか・・・

640:日本@名無史さん
08/08/25 04:26:03
元新撰組でも採用率が高かった警察ならすんなり入れたんだか。それでも警部とか署長になったのは凄いが。
彼らが元気で働けるころの陸海軍って長州系とかの反発とかあってやりづらそうだな。よく久米部正親は士官に採用されたよな。
伊東一派は元新撰組&元赤報隊のダブル汚名があるのに基本的に順風満帆にすごしてるな。ある意味単に元新撰組というより維新後の進路は大変だったんじゃない?
三木三郎も死ぬギリギリに兄ちゃんの活躍が国に認められてよかったよね。


641:日本@名無史さん
08/08/27 09:20:38
鈴木三樹三郎って大正8年まで生き残ってるけど組頭経験者では最後の生き残りだよね。新撰組時代のことは詳しく伝えてない。新撰組の内情とか平隊士に比べたら色々知ってることも多かったと思うけど。
新撰組から離脱しあげく兄や仲間殺されたから、今更元新撰組ですなんて胸張って喋れる立場でもなかったしそんな気もなかったろうんだろうけど。
兄同様に美男子で紳士的な人物だった彼は老後、普段は大人しく日々を過ごした。だがある日盗人が忍び込んだとき
「ぶっ殺したる!!」
ってとっさに刀振り回して絶叫して賊を追い払ったという。
永倉の場合もそうだが新撰組と知らなくても喧嘩売った明治生まれの若者は本当に不運だよな。よぼよぼの爺さんだと思って脅したら逆におっかない目にあうなんてね。

642:日本@名無史さん
08/08/31 05:07:21
>>622
「沖田氏縁者」は他の沖田姓の隊士のものでは、て説もなかったっけ。

643:日本@名無史さん
08/08/31 05:13:10
若い頃、厳しい新撰組で命懸けの戦いを何度も切り抜けてきてるんだから、年をとっても迫力はすごかったろうね……。
ヤクザの比じゃないよね。

644:日本@名無史さん
08/08/31 05:18:29
池田という隊士は昭和11年まで生きてたんでしょ?
俺の母親の生まれる約10年前はまだ新撰組隊士が生きてた……。
なんだか、意外と近くて遠いな。

645:日本@名無史さん
08/08/31 07:01:18
池田七三郎の没年は昭和13年だよ。享年90。入隊した当時は慶応三年で19歳。江戸時代終了から丁度70年後に亡くなったことになる。あと10年生きてれば戦後も経験したことになる。
考えて見れば江戸時代終了から終戦まで80年。現在から80年前は昭和三年だから丁度江戸時代終了から60年の時。
今年は明治140年にあたるけどそれ関連のイベントあるのかな?
それともきりがいい十年後にそういうことはやるのかな。

646:日本@名無史さん
08/09/01 19:55:30
新撰組が近く感じるな。

647:日本@名無史さん
08/09/02 06:56:31
うちの祖父母は昭和五年の生まれだが祖父母が若い頃まだ新撰組と同時代に生きた人が少なくとも70歳は越えてただろうけどまだまだ現存してたんだよな~。

648:日本@名無史さん
08/09/02 11:31:34
>>645
今のように歴史や文化財の保存に意識のある時代だったならと惜しまれるな。
当時の新撰組は朝敵との風潮だったから語るのをためらった関係者や資料を処分してしまったことも多いだろう。
明治初年の廃仏毀釈と戦時中の空襲がなければ江戸時代を伝える資料はもっと大量に残っていただろうに。

649:日本@名無史さん
08/09/05 00:53:10
>>609
東スポは宇宙人や恐竜をも真面目に記事に出す新聞社なんだぞ。
芹沢鴨くらい何羽でも出せるさ。

650:日本@名無史さん
08/09/05 06:35:41
池田七三郎が死んだ年に生まれて今生きてる人たち
野沢那智、大林宣彦、細川元総理、磯野ワカメの中の人
しんじゃったけどジャイアント馬場

池田が生まれるまで生きていた人
葛飾北斎、踏み倒しの調所、ショパン

池田と同年生まれの人
乃木希典、西園寺公望、ベルツ、 緋村剣心

651:日本@名無史さん
08/09/05 08:29:58
剣心wwwww

652:日本@名無史さん
08/09/05 23:13:08
西園寺って昭和16年に死んだんだっけ?やつも長生きだよな。

653:日本@名無史さん
08/09/06 01:09:08
銀さんはどの辺に入りまつか?

654:日本@名無史さん
08/09/06 07:12:17
こうしてみると意外と江戸もそれほど昔じゃないんだなぁ
そういや文化文政時代に生きてた人は明治以降も生きててもおかしくないから
湖の時代が舞台であることが多い時代劇の登場人物の同心とか与力とか仕事人とか火消しとかも
最終回以降に維新を体験して文明開化を経験してる可能性があるという話を聞いたことがある
現に金さんのライバルの鳥居妖怪は生きてたしね

655:日本@名無史さん
08/09/06 07:27:08
遠山も1855年まで生きてたんだから勝海舟とあってても不思議はないな。

656:日本@名無史さん
08/09/06 16:37:55
『増補浮世絵類考』の斎藤月岑なんかも明治まで生きていて
「明治直前に書かれた写楽の記事なんて信用できない!」と一部から嘘つき呼ばわりされているけれど
月岑が写楽の記事書いた頃は
葛飾北斎や曲亭馬琴が現役ばりばりだったりするんだよなあ。


657:日本@名無史さん
08/09/06 16:40:17
ここはまったり感があって居心地悪くないな。近代史板の新撰組スレ覗いてみたが変なの多すぎ・・・。純粋な学生つかまえては必死にバカにしてる奴らはいるし。
それはともかく、幕末からまだ150年も経ってない。ってことは若いときに幕末の志士と話した人がまだ生きてるかも。あと永倉新八のお孫さんってまだ生きてるんかね?

658:日本@名無史さん
08/09/07 15:57:25
曾孫さんが本出してたような。お孫さんはよくわからない。

659:日本@名無史さん
08/09/28 18:20:37
昭和の新撰組池田七三郎

660:日本@名無史さん
08/09/29 00:41:31
私の子どもは、土方さんが戦死した次の日に生まれた
土方さんは信長と同じ日に亡くなった

いや、言ってみただけ

661:日本@名無史さん
08/10/01 12:47:12
近藤や土方の写真は一般的に知られているアノ写真しかないの?

662:日本@名無史さん
08/10/02 08:43:54
確実に本人だといえるの一般的に知られてるあの写真しかないですね。どこかに近藤勇と依田学海とのツーショット写真がある(あった)とも言われてます。
土方歳三はとある函館政府軍人の写真が彼にどことなく似てるので土方か?と疑問をもたれてるというのを五年くらい前に雑誌で読んだ気がします。
いずれにしてもその真相は不明で、雑誌によくありがちな「もしかしたら」的な記事ですので信じるに値する情報ではありませんね。
現在は少ないのですが昔はそうした詳細不明な写真を芹沢鴨とか沖田総司といって普通に雑誌にのせる時代がありました。

663:日本@名無史さん
08/10/05 16:13:13
大河ドラマ「新選組!」しりとり
スレリンク(575板)l50

664:日本@名無史さん
08/10/08 09:21:28
しんぱちに限るな

漫画に出てくる新八ってどんな?
銀魂(ちょっと違うけど)、ひなたの狼・・・?あとは?

665:のうたりん
08/10/13 03:15:30
稗田利八も甲府で大怪我してよく昭和13年まで生きたよなー。たいしたもんだ

666:日本@名無史さん
08/10/13 11:17:00
中島登は新撰組同僚の絵を描いてるけどアレってまるで歌舞伎役者の錦絵だ。

667:日本@名無史さん
08/10/13 12:07:13
昔から慣れ親しんだ、ああいう錦絵的な画風にどうしてもなってしまうのかも。
絵に描かれた何人かの戦死者の傷が実際の戦死理由とされる負傷箇所と一致している。
また、戦闘風景や隊士の風貌も伝承や写真のイメージに近いもので実は案外リアルな絵であることがわかる。


668:日本@名無史さん
08/10/20 04:34:40
隊士と一緒に寝たい
土方先生とか

669:日本@名無史さん
08/10/20 20:19:47
>>668
がんがってタイムマシン発明しれ。
んで、屯所行って、みんなと雑魚寝して来やがれ。

670:日本@名無史さん
08/10/21 10:40:44
初期の頃はみんな雑魚寝だったんだよな。なんか、土方歳三とか実際は割とフレンドリーだったのかも。
下っ端隊士にまじって将棋やってたなんて話もあるし。

671:日本@名無史さん
08/10/22 18:48:55
隊員全員で屯所前で記念撮影している写真があれば見てみたいな。

672:日本@名無史さん
08/10/22 18:50:10
島田魁

673:日本@名無史さん
08/10/22 20:17:12
共に語ろうぞ!!


▲▽▲新徒【誠】新撰組屯所▲▽▲part4
スレリンク(shugi板)

674:日本@名無史さん
08/10/22 20:32:04
>>142 三浦啓之助は、ウナギの蒲焼きに中って、亡くなったそうな。
URLリンク(page.freett.com)

ちなみに、ウナギの蒲焼きで中ることもあるのか、と思って調べたら
どうやらサルモネラ菌による食中毒らしい。
URLリンク(mh.at-g.net)
現代日本なら、間違いなく治るだろうが、明治初年の松山でろくな医者も
おらず、結果として食中毒でも不治の病になったのだろう。
まぁ、この人の場合、日頃の行いが悪かったので天罰だったかもしれない。

675:日本@名無史さん
08/10/23 09:28:45
「新選組永倉新八のひ孫がつくった本」を読んでみた
ファンブック的な感じで思ってたのとはちょっと違ったけど
永倉以外にも近藤や土方や沖田の子孫の人達の話が載ってて
それなりに面白かった

ただ最後の最後で江原哲之が出てきたのには驚いた
あの人が霊視wしたところによると新撰組は今あの世で
再結成して現代の日本をどうするか相談しているそうだw
なんなのこいつ

676:675
08/10/23 09:32:17
間違えた、啓之だった

677:日本@名無史さん
08/10/24 11:09:55
ってか近藤勇の養子は勇五郎じゃなかったかな?

678:日本@名無史さん
08/10/26 21:47:29
私も養子にしてください

679:日本@名無史さん
08/10/27 18:12:38
谷千太郎(近藤周平)も一時期養子だったよな。たった一、二年程度だが。

680:日本@名無史さん
08/11/17 19:40:29
無名の平隊士は意外と長生きしたんじゃね?

681:日本@名無史さん
08/11/18 03:17:27
新撰組っても幕末時に死亡が確認できる連中は全体の半分もいないな。なんとか上手く世渡りして激動期を乗り切った奴は多い。
しかし、最古参隊士の生き残りは少ない。浪士組結成から鳥羽伏見戦争まで経験し大正まで生きたのは永倉新八しかいない。

682:日本@名無史さん
08/11/18 10:06:01
ラジオで、怒りやストレスを感じてるとき強い胃酸が
でて胃によくないみたいな話してて、
そういえば斎藤一は胃潰瘍で死んだなぁと思い出した。

683:日本@名無史さん
08/12/04 18:55:23
ちょっと気になってる事があるんだけど、斎藤って「大恩ある会津藩を見捨てる
事はできない」(だっけ?)って言って土方たちと別れたけど、
維新後の会津戦争で政府軍の警視庁抜刀隊として参加したんでしょ?
なんか矛盾してると思うんだけど、そのへんどうなの?
詳しいこと知ってる人いたら教えてください。

684:日本@名無史さん
08/12/04 19:17:59
加納惣三郎

685:日本@名無史さん
08/12/04 19:53:03
>>683
そりゃ西南戦争だべ。
明治になってカタモリの仲人で結婚式してるのにw

686:日本@名無史さん
08/12/04 22:15:10
斎藤一は最後まで会津藩と強い関係を有しています。あと会津戦争は二度も起きてはいません。
斎藤一が警察で編成された臨時陸軍部隊〔抜刀隊ではない〕に参加して戦ったのは西南戦争。


687:683
08/12/05 13:44:10

すいません。間違えてました。会津戦争じゃなくて西南戦争でした。

>>685
教えて頂きありがとうございました。勘違いしてました。
不勉強ですいません。
よく考えればわかることでした、、、。
ホントに恥ずかしい、、、。


>>686
詳しくて勉強になりました。ありがとうございます。
西南戦争のときも、抜刀隊じゃなかったんですね。

688:日本@名無史さん
08/12/05 14:44:27
>>685
元会津藩主 松平容保
江戸幽閉後に日光東照 の宮司やってたからな。

689:日本@名無史さん
08/12/06 01:36:32
>>687
ライフル銃を抱えた藤田五郎(斎藤一)の写真も残っているよ。
西南戦争の天王山田原坂では実際に元会津藩士などの抜刀隊が大活躍したよ。


690:日本@名無史さん
08/12/16 17:51:38
抜刀隊って火力の援護がないと脆そうだな。

691:日本@名無史さん
08/12/16 18:07:44
火力の援護が無けりゃあ「七転八倒隊」だべ。

692:日本@名無史さん
08/12/17 22:00:10
たしかに、火力の存在は大きかったろうな。ただ、銃器もたせても、特に武士出身連中

693:日本@名無史さん
08/12/18 00:22:35
薩軍の示現流が刀構えて怒声揚げながら突っ込んでこられると、
農民上がりが多いの政府軍最前線はビビッたようだね。
そこで投入されたのが薩摩に恨みがあった元会津藩士系抜刀隊


694:日本@名無史さん
08/12/18 01:18:08
チェストー!

695:日本@名無史さん
08/12/23 16:35:16
chessと

696:日本@名無史さん
08/12/23 16:47:12
よつばと!

697: 【大吉】 【1759円】 株価【42】
09/01/01 23:19:17
おめでと!

698:参謀
09/01/02 16:14:28
あけましておめでとうございます

699:日本@名無史さん
09/01/11 02:10:27
斉藤一の写真 
URLリンク(www.dokidoki.ne.jp)
上 ミスタースポック
下 クッキングパパ


700:日本@名無史さん
09/01/11 09:23:15
ぶっちゃけ斎藤一がどんな容姿だったかなんてどうでもいいがな・・・。あんな裏切り&嘘つき繰り返し捲り野郎の容姿なんてな。


701:日本@名無史さん
09/01/12 01:29:10
抜刀祭の影響が大きいよな <イケメン斎藤

702:日本@名無史さん
09/01/19 11:06:50
一昨年斉藤さんの親族の方に一族写真見せてもらいますた。
「厳格なおじいさま」という雰囲気ですた(語彙貧弱。
今まで見たことが無かった写真ですた。
親族の方曰く、「見せた誰かがネットにうpってから、あまり見せてない」
と言われたけどネットで見たことないんだけど、なー。
どーしても見たい、と口説き落として見せてもらった。

703:日本@名無史さん
09/01/19 11:15:58
すげー見たい。俺はそれすげー見たい。

704:日本@名無史さん
09/01/19 17:57:40
スレチに成るかもしれないけど
御陵衛士って意味有ったの?
私には新撰組を抜ける為の口実にしか思えない

705:日本@名無史さん
09/01/20 19:58:31
伊東甲子太郎は組頭の一人として多大な貢献をしてきた人物であったが、思想的にはやや近藤勇らとは一線を画す存在だった。
しかし、近藤らとの対立は激しいものではなく、むしろ内部に存在する反主流派の受け皿として、慶応2年には参謀に昇進した。
伊東は一年後に御陵衛士として分離。それは倒幕派スパイのためで、参謀職はその計画主任で伊東派調役はその補佐という任務があったと考えられる。
事実、分離後も特に新撰組へ敵対する活動は行わず、新撰組幹部と接触したりと、純粋な新撰組協力機関であった可能性が強い。
しかし、伊東は「大開国」を掲げ次第に独自の政治活動に邁進。それが近藤らの嫌疑を招く。さらに近藤暗殺を真意不明ながら計画したとされる。
後、先手を打つ形で伊東は暗殺、残りの御陵衛士も殺害追放されるが、近藤暗殺計画がどこまで検討されていたかは疑わしい。
むしろ、遊興に耽り信頼失って衛士内にいずづらくなった斎藤一が新撰組との微妙な関係を利用してついた帰隊のための嘘であった可能性がある。


706:日本@名無史さん
09/01/20 20:46:53
さっきテレ東でやってた土方生存説見た方いるかな?あれって珍説?
一見、新政府軍の銃の飛距離と新政府の位置からしたら歳三は打てない。だから遺体もない、と言っていたが…どうなのだろう
他の蝦夷共和国の人間は生き残ってるのに土方だけ撃たれた。そこも指摘してあった
土方がロシアに行ったってのはまあ嘘臭いけれども

707:日本@名無史さん
09/01/20 21:24:14
「蝦夷共和国」なんて言ってる時点でインチキと気づけ。

708:日本@名無史さん
09/01/20 21:51:05
なぜ新撰組が人気あるかわからん
内ゲバばかりやってさ
それにこいつらの功績って何よ?

709:日本@名無史さん
09/01/20 21:57:27
司馬遼太郎の目に留まったのが最大の功積

710:日本@名無史さん
09/01/20 22:29:48
教科書に載ってないことが不思議。メジャーなのに教科書や資料集では申し訳程度にしか出てこない。
もっと大々的に取り上げていいと自分は思うけれども。なんか教科書見てたら偏ってる気もする。
>>707
やっぱり珍説?
蝦夷共和国を抜いたらちょっと信じたくなるような話ですが…

711:日本@名無史さん
09/01/20 22:48:21
新撰組ってのは「尽忠報国の志」があれば「貴賤老若」に関わらず参加できるっていうところが注目できる。
これは全身の浪士組時代からの方針で、大きく見れば身分解放の先駆けともいえる方針で結果様々な個性的な人材が集まった。
ただし、広範囲な身分や地域の人々が多数所属する事で、当然思想的な問題も含めた内部対立は恒常的にならざるを得ない。
ま、内部対立なんか明治の諸隊潰しに比べりゃ小規模なものだし、どこでもってあったこと。新撰組のそれは幕末の物騒さの一例に過ぎない。


712:日本@名無史さん
09/01/20 23:02:35
>>710
教科書で大々的に載せる必要は無いだろ。今のようにさらっと乗せる程度で十分。新撰組の斬ったはったよりも重視すべき事柄はもっとある。
どの隊員がどんなやつかなんてどうでもいいし。新撰組の時代に果たした功罪や、その実像は大学なんかでやってくれればいい。

713:日本@名無史さん
09/01/25 09:53:27
確かに新撰組のやったことなんて、あの激動の時代の中ではほんの小さな一部だものね。

714:日本@名無史さん
09/01/25 23:00:58
>>706
そもそも仲間からの発砲説があるからね

715:日本@名無史さん
09/01/26 12:07:15
近藤って新撰組の規模を拡大して軍隊的組織するつもりだったんだっけ?

716:日本@名無史さん
09/01/27 17:08:25
そもそも最初っから新撰組は「攘夷」のための思想&軍事集団だったね。
京都残留の口実として京都守護職の支配下に属し、警察と訴訟取扱いの
仕事に従事していたけれどもね。
でもそのうち攘夷の不可能が世間的に常識化し、今度は「長州問題解決」
のための思想&軍事集団に性格を変えたわけ。
ただ現実には有志集団という性格上、内部抗争や脱走はしょっちゅうで隊士
の出入りは激しいし、雇い主の会津藩の経済状況に遠慮してなかなか規模を
拡大するのは難しかったみたい。
京都時代は最高でも150人くらいしか集まんなかった。それに正規軍に
なったのも遅かったから装備も同じ幕府軍の中でも旧式な方で、個人戦では
強いだろうが、近代的な軍隊としては同じ幕府の「歩兵隊」なんかに遥かに
劣っていた。





717:日本@名無史さん
09/01/27 17:36:38
>>710
世界史の授業で三国志の時代が2、3行で片付けられるのと一緒

718:日本@名無史さん
09/01/28 00:47:51
中韓の歴史なんて素通りで十分^^

719:日本@名無史さん
09/01/28 10:48:32
>>716
そもそも治安維持任務(警察)レベルの組織や装備、人員で鳥羽伏見で軍隊相手に戦うなんてムチャだよ。

720:日本@名無史さん
09/02/01 11:20:41
斉藤一は確か警察官になったよな?
KYですまん

721:日本@名無史さん
09/02/03 16:39:05
斎藤は警察になってるよ。彼が警察に採用された1870年代後半旧薩摩藩士を中心とした士族の反乱が頻発。政府は薩摩系が大量辞職した警察の補充要員に旧幕臣を採用。
彼らは警察というよりも未だ規模が不十分な陸軍の助っ人としての性格が強い。彼らが別動旅団・抜刀隊などを編成して西南戦争で大暴れしたのは有名。

722:日本@名無史さん
09/02/03 19:42:22
>>719
大砲装備して西本願寺でドカンドカン嫌がらせ半分の演習やってた組織を警察程度とな
任務が主に治安維持だったのは事実だが、組織自体は有事の戦闘集団目指していたわけだろう
武士になるという発想自体が時代に逆行してたがな

723:日本@名無史さん
09/02/03 21:13:29
>>722
幕末~明治初期時点の感覚では、武士になることが封建制下で立身出世するため欠かせない事項で新撰組に限らず全国的な常識。
明治初期以降の社会の変化による武士の末路を知った現代人から見れば古めかしいかもしれないがね。

724:日本@名無史さん
09/02/03 22:48:24
>>722
警察つーか先頭集団つーか、独立愚連隊みたいなもんだろ。

現代で言うと、中東あたりで敵対組織にロケット砲打ち込む武装集団みたいなもんだよ。

大砲持ってりゃどうだっつーの。

725:日本@名無史さん
09/02/04 22:35:26
幕府制度でいえば平時の新撰組は京都とその周辺の警察・裁判調停担当組織。つまり役方(文官)。
しかし戦時には軍隊に改変。つまり番方(武官)となる。平時の副長助勤が戦時には組頭と名称を変え直属の部下を従えたように。
ようするに、新撰組は時と場合に応じて警察や裁判官にもなりえたし攘夷や長州征伐を目的にした軍隊にもなった。

726:日本@名無史さん
09/02/05 00:05:14
その割には隊員少ないのよねw
最大で200人くらいでしょ?
全員が最新兵器ライフルを持ったとしても、
戦況に影響を与えるような軍隊組織とは思えないけど。
実際には、刀と大砲ちょっとだけだし@鳥羽伏見

727:日本@名無史さん
09/02/05 09:50:32
>>726
そもそも、どこの藩の藩士ってことでもないし、勿論徴兵制でもないし、人員はあくまでも有志から成り立っていることをお忘れなく。
当時の有志諸隊なんてみんなそんなもんだろ。せいぜい百人超えるくらいしかいない組織はざらにある。二百人いたらいいほう。


728:日本@名無史さん
09/02/05 17:44:57
>>726
幕府指揮下とはいってもあくまで私設の軍隊だからやはり装備の優秀さなんかは正規の歩兵部隊にくらべて限界があるよな。
ま、150人もいりゃ普段の活動にはむしろ十分な人数だったろうけども。

729:日本@名無史さん
09/02/09 23:07:47
戦国時代は大軍VS大軍の戦闘が目立つが
幕末って□□隊とか△△組とか少人数の戦闘グループの活躍が目立つな。

730:日本@名無史さん
09/02/10 01:22:47
>>729
うむ。大半の藩は傍観決め込むか、付き合いで10人程度の兵だして終わりというパターンが多いからね。有志の部隊が中心にならざるをえなかったわけだな。


731:日本@名無史さん
09/02/12 21:31:34
とりあえず、新選組の最後の生き残りは
稗田利八と言うのが、今のところ定説に
なっているね。

732:日本@名無史さん
09/02/13 15:50:38
ワシが最後の生き残りじゃが

733:日本@名無史さん
09/02/13 23:46:14
>732
あっ、あなたは!?新選組最後の生き残り!?
この時代に?お名前をお聞かせ願いたい。


734:日本@名無史さん
09/02/14 00:00:15
新撰組の隊員は維新後に消息不明のメンバー多いな。

735:日本@名無史さん
09/02/14 00:39:37
>>734
幕末期は新撰組に限らず歴とした幕臣や藩士でも下級になれば下級になるほど消息が分からん人は多いようだね。
むしろ名前だけでも判明していてその時代に存在したことがわかっている分だけいいほうだろうな。


736:日本@名無史さん
09/02/14 02:53:48
伊東さんは生き残れば、新政府で活躍できたのにね。

737:日本@名無史さん
09/02/14 15:48:33
歴史の流れ次第だろうな。もし戊辰戦争のような内乱がおこらず薩長閥のみが
幅をきかせるような事態にならなければ十分活躍の場が与えられただろうね。
しかし史実通りの世界になれば薩長閥と一線を画する伊東の方針(坂本龍馬な
んかと似た考え。ただし坂本からは警戒されていたようだが)は邪魔だったろ
うしいかに伊東が優れていたとしても中枢で活躍できたかは微妙なところだろ
う。また元新撰組大幹部の経歴も長州の心証を悪くしたろうし。
勿論文武に秀でており人格者でもあったようだから太政官や各省の卿なんかに
なれなかったとしても県知事とかにはなれたかもね。

738:日本@名無史さん
09/02/14 16:41:57
土壇場で新撰組に戻って最後まで土方と転戦するという熱い展開があったかもしれんw

739:日本@名無史さん
09/02/14 20:46:01
伊東は生きてたとしても何とかの乱で明治十年までにはあぼーんだったでしょ

740:日本@名無史さん
09/02/15 10:23:35
>>738
土方と仲が良かったかは不明だが離脱後しばらくは新撰組と友好関係だったらしい。ただ政局の緊迫した土壇場で新撰組の疑心暗鬼をかって殺されたと。

741:日本@名無史さん
09/02/15 15:29:59
>>739
そしてさらし首の写真が残る、と
近藤とかも誰か撮ってないのかな

742:日本@名無史さん
09/02/15 21:23:32
>>741
近藤勇の晒し首の絵は何枚か残ってるな。しかし誰のものであったとしてもそういう写真や絵は気味が悪い。

743:日本@名無史さん
09/02/16 13:53:30
伊東は道場は違えど同じ北辰一刀流の同門なのに、
龍馬に邪険にされてるんだよねw
しかも、龍馬に身辺気をつけよと忠告の席で。
伊東さん、清河八郎と同じニオイがしたのかな・・・
龍馬「こいつ胡散くせぇ」

744:日本@名無史さん
09/02/17 05:43:49
>>743
龍馬は伊東を単にスパイだと信じ込んでたようだな。御稜衛士は新撰組がスパイ活動させるため放った分隊ってのが周囲の認識だったし。
それに離脱後も新撰組内部の最新情報に通じてたり、活動資金とおぼしき金を受け取ってる時点で縁が切れてない証拠。
現実的には伊東の人格が怪しいってよりもその前歴と背景が問題だったようだ。

745:日本@名無史さん
09/02/17 16:22:32
伊東と龍馬が会ったっていうのは創作じゃなかったのか。

746:日本@名無史さん
09/02/17 16:45:26
>>745
事件前後に複数回伊東が坂本を訪ねてるのは谷千城他の記録に散見され事実であったようだね。
ただ、坂本暗殺後に伊東が遺留品を見て犯人は新撰組だと証言したくだりは嘘だと。
新撰組に怨みのある土佐下級藩士たちが近藤勇他の処刑の口実としたかったみたいだ。

747:日本@名無史さん
09/02/17 19:34:38
龍馬暗殺の数日前に、伊東と藤堂が近江屋へ。 <多分、薩摩藩の仲介でしょう。
龍馬と中岡、二対二で面談した。
伊東が語る時勢の分析に、中岡は伊東を信頼したようだが、
龍馬はかなりスルーしたらしい。
最後に、新選組が狙っているよと忠告して、中岡は感謝したが龍馬は無視。
陸援隊の隊士が新選組屯所に監禁されていたから、中岡としても新選組情報を知りたかった。

龍馬暗殺の当日は、その陸援隊隊士の解放が永井大目付の仲介で決まっていて、
その引き渡しの段取りについて龍馬と相談していた模様。
中岡は死ぬまで新選組の仕業だと思っていただろうね。


748:745
09/02/17 21:27:48
情報ありがとう。
そりゃ新撰組が疑われてもしょうがないわな。
幕末ってこういう意外な史実があるからおもしろいわ。

749:日本@名無史さん
09/02/18 22:47:20
龍馬暗殺について近藤勇は何か発言してたっけ?

750:日本@名無史さん
09/02/18 22:49:34
土方歳三の写真は洋装姿のあれ以外見たこと無いな。

751:日本@名無史さん
09/02/19 00:52:41
>>749
大目付永井尚志から、お前ら自制出来なかったのか?と訊かれたが、
絶対に新選組は関わっていないと断言している。

その当時の永井、龍馬、新選組の関係は面白い。
龍馬は、福岡藤次の紹介で永井邸で連日のように大政奉還について議論している。
土佐藩家老後藤も何度か同席している。
また、永井の紹介で後藤と近藤勇も一度だけ会談している。
永井邸は二条城に近く、周りは幕府関係者ばかり。
また、永井邸の警護は新選組が任されていました。
連日その永井邸に龍馬が来るわけで、当然新選組も龍馬の来訪は黙認していました。
つまり、その時点で永井から龍馬に手を出すなと、近藤へ通達は届いています。
龍馬の書簡に、永井とヒタ同心とあり、勝海舟に近い思想の永井とも意気投合しています。
この永井・板倉を龍馬・後藤が説き伏せたことで、大政奉還が大きく現実へ近付きました。

坂本海援隊と後藤象二郎(藩主山内容堂)は、徳川中心の雄藩連合へ
中岡陸援隊と板垣退助(土佐藩西洋式陸軍)は、薩長連合と武力倒幕へ

近江屋で襲われた時も中岡が居ますし、中岡は坂本の行動へ同調しようとしていたのでしょうか?
二人が生きていれば、戊辰戦争がどうなっていたのか・・・

752:日本@名無史さん
09/02/19 00:59:00
>>749
近藤は永井尚志ら幕府役人の調べに対しても更に後の官軍の取り調べでもまったく身に覚えのないことで知らんと話してたような。
また大石鍬次郎の証言では近藤が事件後に隊の酒宴で集まった組頭たちに対して見廻組が坂本を暗殺したことを語ったというな。


753:日本@名無史さん
09/02/19 01:12:51
>>750
京都時代は特に写真を撮るような環境でもなかったし、得体の知れないものに金遣うより飲み食いやら女遊びに使った方が良かったんだろうか。


754:日本@名無史さん
09/02/19 08:14:33
>>753
番組でやってたがストレスから遊女依存症になり、給料を使い切った挙句
その金ほしさに強盗殺人に走り、結局隊にばれて破滅したなんてアホな隊員がいたな。

番組では現代に彼がいたらよかったのにといってたが、どうせ職場のストレス発散を
ギャンブルや女に走ってしまって犯罪を起こすたちだろうに。

755:日本@名無史さん
09/02/19 11:42:43
>>754
加納惣三郎のことかな?司馬遼太郎の小説じゃ男狂いの挙げ句に沖田に斬られる美少年設定だけど。
加納が実在の人物かははっきりした記録に見られず怪しいが、強請りや不義密通騒ぎはちょくちょくあったみたいだな。



756:日本@名無史さん
09/02/28 22:42:18
>>741
マジで?
ネットで見れる?

757:日本@名無史さん
09/03/24 22:30:17
幕末ファンの何割が歴史小説や漫画やゲームなどの新撰組からファンになったのだろう?

758:日本@名無史さん
09/03/25 18:12:43
元アナウンサーの有賀さつきがひいひい爺さんが新撰組隊士って言ってたね、何かの歴史番組で。

759:日本@名無史さん
09/03/26 01:14:35
こないだテレビ(ナントカ日本史)に坂本龍馬を斬った人の子孫が出てたね。
今井さん?だったかな。テレビでの露出・発言は初めてということで
興味深かったス。その中で言っていたのは、

・腕がたつということで江戸から見廻組に入隊したこと。
・坂本龍馬が維新の英雄だと知ったのは明治に入りずっと後であったこと。
・暗殺当時は危険人物、極悪人であるから捕縛、無理なら殺しても構わぬから
 との指示を受けており正義感で行動していたこと。
・使用した刀が今でも伝わっている。
・突入の順番はクジで決め、最初は3番クジだったがまだ若く血気にはやり
 もう一度クジを引かせてくれと頼み、1番をゲットしたこと。
・知人のフリをして『お久しぶりです坂本先生』『…どちらさんでしたかな?』
 というやりとりのあと座位のまま横なぎに斬ったこと。
・斬ったときに龍馬はグギャア…というような凄く嫌な声を出したこと。
・『コナクソ!』とは誰も言っていないこと。
・その後捕縛され取調べを受けたが、何故かすぐ釈放になったこと。

以上の話を子供の頃から聞いており、子孫としても曽祖父(だったかな?)
がこのようなかたちでしか歴史にかかわれなかったのは不幸なことと思っているとのこと。

…なんだかせつない話でしたが、暗殺犯今井某が維新後、龍馬のことを考えた時、
なんともやりきれないない気持ちでいたことを思うとなんだか気の毒ですね。


760:日本@名無史さん
09/03/26 22:23:04
>>759
それ見たかったわ。
>斬ったときに龍馬はグギャア…というような凄く嫌な声を出したこと。
このくだり津本さんの本にも書いてあってすごく印象に残ってる。

761:日本@名無史さん
09/03/27 08:57:41
グギャア

762:日本@名無史さん
09/03/27 17:32:20
>>757
逆に聞くがそれ以外にはどういう入り方をするんだ?
ご先祖さまが縁の方とかのごく一部の方はともかく

763:日本@名無史さん
09/03/27 18:28:07
古い写真を見て幕末に関心を持つ→新撰組、奇兵隊、白虎隊などの幕末の出来事を読む→
写真がある・記録が多いことにより当時の人間に感情移入できて幕末ファンになった俺は異端?

764:日本@名無史さん
09/03/28 20:52:14
というか普通の人は斬られたときどんな声を出すのかそっちが気になったw

765:日本@名無史さん
09/03/29 11:53:22
>>764
危ないやつだな。

766:日本@名無史さん
09/03/30 00:48:55
歴史に興味もつきっかけでどっからが普通でどっからがそうじゃないか
なんて線引きできないだろうけど、大半は小説とか漫画とかいうのから
入ってく人が多いのう。
だからなのか必要以上にそういう作品のイメージに傾き過ぎたりしてて
どっから創作でどっから史実かわからんままな人とかも結構多い様子。
例えば沖田が土方が兄弟のように仲良かったとか。俺も最近知ったが二
人が仲良かったって証拠は不思議とないそうな。二人とも近藤勇とはか
なり仲良かったのは事実だが。


767:日本@名無史さん
09/03/30 02:10:08
760さん、その番組『新説!?日本史ミステリー』です。
既にYouTubeにアップされていたのでいかがでしょうか。
「龍馬暗殺」とかで検索すればたどり着くと思います。

768:日本@名無史さん
09/03/30 13:57:23
悪即斬の人は生きたね

769:日本@名無史さん
09/03/30 18:32:05
斎藤一な。実際に悪即斬とはいってないらしいが。大正四年の九月くらい
に病没。ちょうど第一次世界大戦とかの時代だな。
斎藤一や永倉新八は新撰組崩壊から四十年以上も長い後半生を生きていた
わけだな。最後の生き残りの池田七三郎なんぞは七十年も生きてる。
ってか維新から第二次世界大戦の敗戦まで八十年も経ってないのがなんか
意外だ。

770:日本@名無史さん
09/03/30 20:35:27
漫画は変に美化されている気がする。
最近は大河や映画のドラマから歴史に興味持つ人間も多そうだな

771:日本@名無史さん
09/03/31 00:35:37
>>766
福澤諭吉と土方歳三が京の街を肩を並べて歩いたなんて面白い。<仕事上だけど

772:日本@名無史さん
09/04/07 19:03:32
>>766
近藤と土方が仲良かったのはわかるんだけど、
近藤と沖田が仲良かったエピソードって何かある?
いや、仲悪かったわけはないと思うんだけど、なんかエピがあるなら知りたい

773:日本@名無史さん
09/04/08 13:14:35
>>766
近藤が塾頭だった時に
「いずれ試衛館は沖田に継がせる」みたいな事を言っていたと思うけど。

仲がいいというよりも同郷の兄弟弟子みたいな感じじゃないかな?

774:日本@名無史さん
09/04/08 21:16:34
それは近藤が慶応元年冬に長州(実際には広島)に尋問使として派遣される
際、故郷の後援者に宛てて書いた手紙だよ。自分に万一の場合があった時は
新撰組は次席の土方に任せ、天然理心流は沖田に任せるって内容。
本来なら同門連中の一人くらいは同行してもおかしくないがそうしなかった
のはこのためだな。ちなみにこの時は組頭から武田観柳斎・伊東甲子太郎、
学術師範の尾形俊太郎、調役の山崎丞ら5人というインテリ集団を同行。
あと、近藤が当時よく「総司、総司」と呼んでかわいがってたっつー話があ
り、よく好んで仕事を任せたのは沖田、井上源三郎、大石鍬次郎らだったっ
て証言もある。
沖田とは新撰組結成時点で既に十年以上も寝食を共にしているわけで完璧に
家族同様の関係にあったと考えて不思議ではないと思う。

775:日本@名無史さん
09/04/08 23:03:27
でも、養子にはしてないよね。

776:日本@名無史さん
09/04/09 10:26:55
慶應元年当時、勇は新撰組局長、天然理心流宗家、浪人近藤家当主ってい立場にあるがどれか一つに名前を連ねれば必ず全て継承というわけではない。
この時勇には養子周平がいてそいつが近藤家を継承する予定だった。確証はないが勇は長男であるのに紆余曲折で家を継承できなかった総司
を哀れんみ将来宗家として家を持たせ独立させてやるつもりだったらしい。近藤家に関しては結局周平との関係が解消され勇親戚の勇五郎が継承した。
ちなみに本来の沖田家は総司の姉に婿入りした井上林太郎が継承し庄内藩新徴組士として存続。この人は井上源三郎の親戚。

777:日本@名無史さん
09/04/25 23:41:51
今日は近藤勇が斬首された日だったな…南無

778:日本@名無史さん
09/04/26 03:57:00
>>252
篠原含め高台寺党の話がしたい

779:日本@名無史さん
09/04/26 21:19:20
>>261
会ったのは本当。ただし古老の話に補足程度に脚色を加えたようなことを本人が語ってる。どこまでそうなのかは今ではわかりようがない。

ついでに沖田の肖像画はその親戚にあたる要さんの顔を使ってる。沖田の姉が常々彼の雰囲気が沖田に似てるっていってたもんだから、
維新60年記念だかをきっかけに当時の人気映画に登場する沖田の髪型や衣装を要さんの写真に合成し作成したもの。

780:日本@名無史さん
09/04/27 08:55:03
>>269
耳を洗ったくらいでは中耳炎にならんと医者がいってた。
ってか子母澤はあくまで作家であって「歴史を書くつもりはない」って本人もいってるしなぁ。古老の話しを元にした娯楽作品。
作成目的からして実際の当事者たちが自ら書き残した日記類や証言に比べ信憑性は劣る。
子母澤と同じ時期の出版物なら平尾道雄の「定本新撰組史録」の方が研究書としてはよく調べてるし参考になるってのが真っ当な研究者たちの評価っぽい。
子母澤作品は確かに知名度は高いし作品としても面白く入門書には最適だけど本当に信頼できるかは正直微妙。

781:日本@名無史さん
09/06/08 04:19:14
集まれ憂国の志士よ!
▲▽▲新徒【誠】新撰組屯所▲▽▲Part5
スレリンク(shugi板)

782:日本@名無史さん
09/06/09 11:00:59
芹沢の魂は今も生きてる

783:日本@名無史さん
09/06/10 19:55:49
芹沢は兄弟とかいたのかな?

784:日本@名無史さん
09/06/10 21:21:20
このときの1両って今でいくらくらいの価値になるの?

785:日本@名無史さん
09/06/11 22:47:34
1両=4万円

786:日本@名無史さん
09/06/12 02:31:08
>>98
青年期の近藤が知り合いのおじさんに土方を紹介するときに「うちの~」って
紹介して、そのおじさんがその日の日記で「おもわず!?ってなったお。」っつー文が
残ってたよな。今で言う「うちの嫁です」みたいな意味で使われてたから
おっさんが驚いたってエピソード。
近藤勇・・・友だちにまで手出したらイカンよ・・・・潔白を信じるが・・

787:日本@名無史さん
09/06/13 03:20:50
>>786
腐女子大歓喜なエピソードだな。

788:日本@名無史さん
09/06/13 20:34:33
このときの両さんが今生きてたら四万人ってことね

789:日本@名無史さん
09/07/04 23:27:34
話ずれるけど島原てのは今でいうキャバですよね?

790:日本@名無史さん
09/07/05 21:24:02
売春宿だよ

791:日本@名無史さん
09/07/05 21:59:30
そうだったんですか…なんかショックです

792:日本@名無史さん
09/07/08 12:14:41
近藤のおりょうストーカーはなぜ局中法度に触れないの?

793:日本@名無史さん
09/07/08 15:05:41
>>790
お前、バカじゃねぇ~の?w
太夫を単なる売春婦と思ってるのか?w
お前、日本人じゃねぇ~だろw

794:日本@名無史さん
09/07/08 15:41:38
すぐに日本人じゃないとかチョンだとか言うのやめろよ。レベル低いぞ

795:日本@名無史さん
09/07/08 17:41:39
>>789です
島原は普通と違って体は売らないとウィキに書いてあったのですが、なぜ近藤さんは深雪太夫との間に子供がいるんでしょうか?幼稚な質問ですいません

796:日本@名無史さん
09/07/09 17:35:53
>>795
妾にしてたからでしょ。

797:日本@名無史さん
09/07/13 08:00:12
そういう事なんですか!!めかけって確か近藤さんたくさんいましたよね…

798:日本@名無史さん
09/07/15 01:07:01
短パン

799:日本@名無史さん
09/07/26 00:36:41
近藤勇を斬首した刀を持つ処刑人の子孫が居るんだけど、

その刀を見せないらしい。
薄っぺらで小さな感傷が歴史を暗くする。

あくまでも事実の資料を見せる事は、見世物ではない。

近藤勇が処断した隊士は史実として見れる様に、 近藤勇の頚椎と筋肉を切断した刀は公開されるべきだ。

くだらないこだわりはいらない

800:日本@名無史さん
09/07/30 16:04:51
>>799
血糊が付いたままなら見てみたいけど、拭き取っているならどうでもいいや。

佐久間象山の息子おもしろいなぁ
幼少時、象山から牛痘の実験台にさせられる。
吉田松陰や小林虎三郎と遊んでもらう。
象山と一緒に京都へ来たら、象山暗殺される。
勝海舟の紹介状で近藤勇に預けられる。
勝や母親からの仕送りで豪遊し、敵討ちを忘れる。
若い沖田がキレて、何度か殺されそうになる。
命の危険を感じて脱走w
町中で傷害事件を起こし、六角入り。
その間に鳥羽伏見の戦いで新選組敗走
出獄したら明治維新になっていたw
象山の息子として学問を志し、福澤諭吉の慶応へ入塾。
すぐに退学するw
勝の口利きで西郷隆盛に接近して、新政府へ出仕。
すぐに辞職し、親の金で豪遊三昧w
また出仕の話がまとまった矢先、うなぎに当たって死亡…
昔はうなぎで死ぬことあったのか?


801:日本@名無史さん
09/07/30 16:24:04
>>800
ダメ男の典型みたいな感じだけど、あれはあれで苦労もしたろうし、端から見れば面白い人生だよね。それに意外に心優しい一面もあったみたい。
同じくダメ男的扱いの谷周平も晩年はしがない鉄道員暮らしだけど体中には刀傷が無数にあったとか。調べればなかなか意外な一面が出てくるもんだね。

802:日本@名無史さん
09/08/02 14:23:05
>>799
刀よりも
今でも謎になってる近藤の首がどこに埋葬されたのか知ってないのかな

803:日本@名無史さん
09/08/03 17:57:33
>>801
谷周平は年齢を考えれば、無能な人物でもなかったのかもね。
三十郎があんな事にならなければどうなってたんだろうね。

804:日本@名無史さん
09/09/16 06:50:51
>>803
何だかんだで周平は諸士調役に昇進してるしな。ってかあんまり知られてないが女性疑惑あるようだな。
旧前川屯所に残された由来不明の戸板に「近藤周平女也」とか書いてある。あと近藤勇の奥さんが「周平さんは女のためにあんなことになった」
とか脱走について語ったようで、単純に女癖が悪かったと受け取るか、女性であったが故に組を抜けざるを得なかったのか。
なかなか怪しげな説だけどね。

805:日本@名無史さん
09/10/05 00:09:37
>>86
1986年ってスゲー

806:日本@名無しさん
09/10/05 01:02:54
>>800
うなぎにはイクシオトキシンという蛋白毒がある。
蛋白なので加熱すれば失活するが、死んだ例は結構ある。
有名どころではマグナカルタを定めたヘンリー1世w


807:日本@名無史さん
09/10/16 02:32:31
深雪大夫の写真ないの?

808:日本@名無史さん
09/10/19 22:14:53
この前、土方の兄ちゃんと久しぶりに橋の下でやりあったんや。

809:日本@名無史さん
09/10/24 02:07:44
近藤芳助さんの子孫の方が何でも鑑定団に出てたね。
戊辰戦争後は改名して、弁護士・横浜市議になって、80歳まで生きた。
幼少時から試衛館の近所に住んでいた縁で、新選組へ加盟。
斎藤一の下で伍長を務める。
維新後も斎藤・永倉と交友があった。

810:日本@名無史さん
09/11/13 22:05:20
原田の奥さんも昭和まで生きたよ

811:日本@名無史さん
09/11/15 03:06:33
近藤の墓って福島の会津にあるんじゃなかった?


812:日本@名無史さん
09/11/16 00:00:30
あるよ。板橋にもあるし

813:日本@名無史さん
09/11/16 00:43:15
首から下を分骨したの?

814:日本@名無史さん
09/11/19 13:32:28
首は三条河原から持ち去られて、琵琶湖付近の寺に埋葬されたという話だが・・・

815:日本@名無史さん
09/11/28 15:31:41
斉藤と永倉は新撰組消滅してから死ぬまで再会はしなかったんですかね?

816:日本@名無史さん
09/11/29 02:27:29
板橋の慰霊碑を造る際に会ってませんでしたっけ!?

817:日本@名無史さん
09/11/29 21:18:49
>>808
.\やったぜ。 投稿者:変態糞土方(8月16日(水) /糞まみれで 投稿者:変態糞親父
糞.\                          ./先日、二回目になるが例の浮浪者の  
糞糞.\昨日の8月15日にいつもの浮浪者のお ./高架の下で道路からは見えないとこなんで、
糞糞糞.\ (45歳)とわし(53歳)の3人で県北 ./いちぢく浣腸をお互いに入れあったんや。 
糞糞糞糞.\今日は明日が休みなんでコンビ /しばらく我慢していたら2人とも腹がぐるぐると
糞糞糞糞糞.\そこでしこたま酒を飲んでか /お互いにけつの穴を舐めあっていたんだが 
糞糞糞糞糞糞.\3人でちんぽ舐めあいな ./わしもおっさんも我慢の限界が近づいているみ
糞糞糞糞糞糞糞.\しばらくし∧∧∧∧∧/けつの穴がひくひくして来たんや。おっさんがわし
糞糞糞糞糞糞糞糞.\.浮 .<   ..変  >ああ^~もう糞が出るう~~と言うまもなく、
糞糞糞糞糞糞糞.糞糞\ <   ..態  >それと同時にわしもおっさんの口と顔に糞を  
糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 <  の 糞  >もう顔中に糞まみれや。お互いに糞を塗りあいながら.
―――――‐.< ..予 親  >―――――――――‐.  
やりたい 投稿者:糞親父<  感 父  >;;      , -──- 、  
                <  !!      >     ./´            `.ヾ ああ^~
糞まみれのプレーをやり ./ ∨∨∨∨∨ \;   /:                 ヽ  
ちんぽを尺八しながら顔./ 090-****-**** \;; ./:::::::::               、ヽ  ああ^~
もう考えただけでちんぽ/             ..\::::::::::::::.    ミ゙´`゙'゙'''シ  ,:ゞ'''"ミ l 
出来れば年配の親父 ./糞、ためて待つぜ。   .\. ..::::::...  ,. -─- 、  , -─- 、|  ああ^~
糞だらけになれるなら/                 .\;,r'====i ...rェz、l⌒i  rェ; :: }^i 
一緒に変態の限りを/ はよう糞まみれになろうぜ   \::` ヽ'....:'''ンノ __ヽ.:::'''"ソ、ノ 
けつの穴に入れた /                      \ ヽ::::; ,ノ r  ヽ. ̄ ) 


818:日本@名無史さん
09/12/31 07:33:05
新撰組にいた人と直接会ったことがある、
という人はまだ確実に何人も生きてるよな。


819:日本@名無史さん
10/02/01 18:40:22
それでももう結構なお年?


820:日本@名無史さん
10/02/19 17:22:04
まず最初に斉藤に興味を持ちいろいろ調べたら
苦労されたみたいですね。

鶴ケ城落城まで留まって斗南にまで行ったのは
彼なりに武士の本分を全うしたかったからでしょうか。


近藤は斬首、土方は死に場所を求め彷徨い(少なくともそう見える)
沖田は病死
特に近藤は土方に諭されたとはいえ
なぜ流山で切腹しなかったんでしょうかね。
まともに裁きがうけられると思ったのでしょうか。


>>799
太刀取りは横倉喜三次と言う人
捕まってる間に親交を深く持ったらしく
刀を公開するとは思えません。

821:日本@名無史さん
10/02/19 18:12:21
土方歳三の一人称は「僕」だったのですか?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

822:日本@名無史さん
10/02/21 17:28:17
料理研究家 バーバラ寺岡の曽祖父も新撰組だった。

823:日本@名無史さん
10/02/22 13:57:07
>>820
> まともに裁きがうけられると思ったのでしょうか。

偽名使っているから、逃げるつもりだったんでしょ。
死にたくないの一心かと。

824:日本@名無史さん
10/02/22 18:00:35
>>823
やっぱりそうなんですかね?

そうなると浪士組の意義って何だったんですかね
己の立身出世の為だけなら
内部で志があって殺された人たちが浮かばれない

永倉や斉藤の本音を聞いてみたかったですよね
途中でバカバカしくなったとか。

825:日本@名無史さん
10/02/24 22:47:37
>>824
立身出世の何が悪い?
んなの承知で入ってない奴がいたらそれこそ甘ちゃん

ただまぁ永倉は愛想尽きたんだろうな
斎藤は他に理由がありそう

826:日本@名無史さん
10/03/08 13:01:39

スレリンク(budou板)

スレリンク(budou板)l50

URLリンク(www.unkar.org)

URLリンク(www.unkar.org)


827:日本@名無史さん
10/03/08 17:33:37
>>825
しかし世間の評価は違うぞ

828:日本@名無史さん
10/03/08 23:06:00
永倉さんが孫とお買い物中に
町でチンピラに絡まれたけど
「気」で散らしたのは本当かな。



829:日本@名無史さん
10/03/09 01:04:00
それは、ご本人の顛末記だからね…。

830:日本@名無史さん
10/04/09 00:14:41
ほほー

831:日本@名無史さん
10/04/09 07:07:05
>>830
一文字目は「あ」の方が似合うよ。

832:日本@名無史さん
10/04/09 13:28:52
沖田の最後を看取った植木屋平五郎の子孫が『女賭博師』江波杏子。

甲陽鎮撫隊の不名誉のお詫びに、弾佐衛門が知り合いの植木屋を仲介したと
いうのは俺の推理。

833:日本@名無史さん
10/04/24 13:04:04
生き残りの人達がもう少し語ってくれていたらなあ。
永倉には感謝してるが。
新撰組は意外と元武士が多いよね。藩命が絶対の時代に自分の意思で入隊してる。
子母澤の話は作り話も多いけど・・
それ以上のドラマがあるのではないかと想像してしまう。
たんなるチンピラで切り捨てられない、彼らの地の底からのオーラは
逆に言えば語らずして死んでいった故なのか。

834:日本@名無史さん
10/04/25 10:56:50
>>786
大坂城かどこかで近藤が依田って人に土方を紹介した時に「吾子」と呼びかけたのとは別の話か?

835:日本@名無史さん
10/04/27 19:01:39
新撰組は、「○番隊」なのに、なんで「組」長、なんですか?

836:日本@名無史さん
10/05/02 21:54:38
徳川時代には武官を「番方(番衆)」、部隊単位を「番組」(例えば幕府の
将軍親衛隊の、大番組、小姓組、書院番組、新番組、小十人組(五番方)
が有名)といった。新撰組もそれに倣い、副長の下で実務を担う副長助勤
が「組頭」を併称して戦時には「番組」を率いた。しかし、時に「番組」
を「番隊」と表記したり「組頭」を「隊長」とした史料を目にする。そ
の理由は、単純に字の重複を避けたためだろう。見廻組で組頭を「与頭」
と表記していたのも同様の理由から。つまりは表記上の都合であって、そ
れ以上の理由は特に見いだせない。「一番組組頭」と書くより、「一番隊
組頭」と書いたほうが読みやすい、ってこと。
ちなみに、新撰組全体を「組」や「隊」ではなく、わざわざ「局」と称した
のは、会津藩の職制に合わせたからともいうが、「局」とは組織の美称であ
り、単純に「自分たちは立派な一隊である」ということを外部にアピールす
る手段の一つだったと考えたほうが自然じゃないかな。

837:日本@名無史さん
10/05/03 01:32:03


838:日本@名無史さん
10/05/11 17:40:07
>>835
最近隊長の方が多く使われてる気がする
組長って何かヤクザみたいだし

839:日本@名無史さん
10/07/19 09:26:53
すいません質問です
近藤勇って妹がいたって本当ですか?


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