05/07/22 22:52:15
2.
こちらも1と同じように、中学校と高等学校では比べようがないと思われます。
戦前は東高付中やお茶女付中(現筑付)よりも、府立一~三中などの公立校が
旧制高校への進学率が高く、従って教師陣も生徒も優秀な方が多かったようです。
戦後は国立の高校が実績を上げていき、1970年の都立高学校群制度の登場で、
公立高校は凋落の一途をたどり始め、私立国立に取って代わられる様になりました。
どこの学校にも優秀な生徒はいたかもしれませんが、全体的に見ると府立一中→旧制一高の
流れが当時のエリートコースでしたので、一高>東高付中になると思います。
また、一高は他の旧制高校よりも群を抜いた存在でした。
明治40年の合格者最低点は、
一高(553)三高(420)六高(365)五高(355)二高(353)七高(351)四高(350)
と他校を圧倒しています。戦前エリートの最高峰が一高生だったようです
いろいろ小ネタも書きたいところですが、この辺で失礼します。