【ねえ】近衛文麿【フーミン】at HISTORY
【ねえ】近衛文麿【フーミン】 - 暇つぶし2ch100:日本@名無史さん
04/12/11 18:07:58
>>95-98

101:日本@名無史さん
04/12/11 18:11:06
近衛は色々な評価の本があるから、初心者の俺は良く分からないな。
戦争を推進して軍に担がれた挙句に、自殺したってことぐらいしか・・・。

102:日本@名無史さん
04/12/11 18:23:17
最高の家柄に偉大な父親。何もかもが揃いすぎてる。
若い近衛が心情的に社会主義に惹かれるのも仕方ないかと思う。


103:日本@名無史さん
04/12/11 20:08:51
近衛が東大から京大に移ってからは、やはり公爵であるから下宿などではなく、新築の家で書生を置いて、
身の回りの世話をさせていたらしい。当時の学生の身分で女中と書生がつき、一ヶ月の給料が百円以下の時代に
生活費は一ヶ月百五十円だったという。

104:日本@名無史さん
04/12/12 06:32:59
松岡任命したのこいつだろ確か

105:日本@名無史さん
04/12/12 19:39:31
近衛も、松岡も悪くない。
悪いのは・・・・このオレだ・・・。

106:日本@名無史さん
04/12/12 19:43:53
>一ヶ月の給料が百円以下の時代に
>生活費は一ヶ月百五十円だったという。

それっていまいちすごい贅沢なのかどうかわからん

107:日本@名無史さん
04/12/12 19:53:27
今の大学生の仕送りで月50万以上もらってたらすごい贅沢じゃん?

108:日本@名無史さん
04/12/12 20:01:05
>105

東条さんですか

109:1o5
04/12/12 20:11:46
みんな・・・すまん。

110:日本@名無史さん
04/12/12 20:31:03
まぁええことよ。

111:日本@名無史さん
04/12/12 21:42:09
110は、こんなだめな俺を許してくれるというのか・・・。
これからは心を入れ替えて、世のため人のために尽くしたいと思います。

112:日本@名無史さん
04/12/13 00:10:48
>>111
ヒットラーですか?

113:日本@名無史さん
04/12/13 15:15:59
誰も知らない知られちゃいけない、俺の正体が誰なのか。
何の力もない無力な俺が、罪を償うにはどうしたらよいものか・・・。

雪桜 過ぎ去り時を 隠しまう 雪解けともに 罪は消えへぬ



114:日本@名無史さん
04/12/14 23:35:03
>>113
×ま→○や
×罪→○時
×消えへぬ→流れぬ

115:日本@名無史さん
04/12/27 13:44:43
満州「ねぇカンチ、あたしのこと好き?」
カンチ「うん」
満州「どのくらい」
カンチ「このくらいかな」手でサッカーボールをもてるくらいの大きさを作る。
満州「え~、そんなもん?」
カンチ、手を広げて「このくらい」
満州、不服そうに「え~」
カンチ、走り出す「こ~~~~のくらい」
満州「セクースしよ」

つまり誘ったのは満州側であり、113は無罪。

116:日本@名無史さん
04/12/27 14:07:55
あと、113の詩は本人が詠ったものじゃなく、後の人が勝手に詠んだ詩で、
彼は自分が悪いことをしたとは露ほども思ってなかったと思うよ。

117:日本@名無史さん
05/01/05 23:29:06
文麿はかなりの男前だな。

118:日本@名無史さん
05/01/12 18:48:51
東條に戦争の罪を全部なすりつけようとしたり…
昭和天皇を戦艦に乗せて戦死させようと目論んだり…

ほんとこいつろくな人間じゃないな

119:日本@名無史さん
05/01/15 20:51:52
高橋是清が逝ってなければ近衛など
に権力奪取される事も無かっただろうに
青年将校に殺されてなければな




120:日本@名無史さん
05/01/15 20:54:26
>昭和天皇を戦艦に乗せて戦死させようと目論んだり…
マジすか?

121:日本@名無史さん
05/01/16 07:06:29
近衛は側近の富田健治に、「敗戦の暁、どうして国体を護持できるか、私は陛下に
お願いして、連合艦隊の旗艦に乗っていただいて、最後の決戦に艦と運命を共にし
ていただく、これこそが天皇制を護る道ではないかと思っている」と語っている。

122:日本@名無史さん
05/01/16 07:34:25
>>1
アヤマロなんですけどw

123:日本@名無史さん
05/01/16 09:13:33
タイトルのネーミングセンスに爆笑しましたので
一言残してゆきます。あんた大好き(笑

124:日本@名無史さん
05/01/16 10:26:18
昭和天皇の日記によれば 近衛は「東条ならば陸軍(の暴走)を抑えられる」と言って登用を推薦した」とあります

125:日本@名無史さん
05/01/16 10:31:22
昭和天皇が日記?

126:日本@名無史さん
05/01/16 10:53:08
124は、戦前の制度や基礎的な歴史を学んだうえでカキコしませう。
東条を首相に推薦したのは木戸内府であり、この時、重臣の若槻は宇垣を
岡田も軍人宰相は対外的な印象が危険として若槻に同調した。だが、天皇は
木戸の案にのった。もし、陸相就任をいうのであれば、近衛は前任の畑陸相の
推薦で東条を起用した。また、陸相就任には陸軍三長官の同意が必要という
内規があり、首相が自由に選ぶことはできなかった

127:日本@名無史さん
05/01/16 11:09:52
でも、宇垣は昭和天皇に嫌われてたから、やっぱり東条になっちゃうだろうな

128:日本@名無史さん
05/01/17 12:49:24
永田鉄山が生きてたらどうでしょ?

129:日本@名無史さん
05/01/17 13:24:00
あれ?昭和天皇が嫌いなのは東条のほうじゃなかったっけ?

130:日本@名無史さん
05/01/17 15:45:26
昭和天皇は東条大好き。嫌いなのは宇垣一成、真崎甚三郎、山下奉文など
真崎と山下は皇道派ということで納得だけど、宇垣を何故嫌ったのかは知らぬが、
あのようの者は絶対に総理などにはしてはならぬ、と独白録にまで残している

131:日本@名無史さん
05/01/17 21:32:23
>130
独白録の書かれた理由を考えれば想像がつく。これが書かれたのは昭和天皇の処遇がどうなるのか
日本側には不明の時期。万一、連合国の検事側に天皇が尋問された場合に備え、たとえば東条を首相に
起用したのは何故か?と詰問された場合の想定問答と考えれば辻褄が合う


132:日本@名無史さん
05/01/17 22:03:37
>>130
昭和天皇は松岡をことのほか嫌っておられた

133:日本@名無史さん
05/01/28 17:46:46
裏口で京都帝大入ったんだってね

134:日本@名無史さん
05/01/28 21:20:59
まあ、あの時代、帝大にいった華族のほとんどは裏口入学みたいなもんでしょ。
全部が全部とは言わないよ、葉室さんみたいな優秀な方もいるからね。

135:日本@名無史さん
05/01/28 21:31:41
でも当時、学習院高等科は高等学校(旧制)と認められてなかったから、
第一高等学校をわざわざ受験したらしいね。


136:日本@名無史さん
05/01/28 21:39:09
学習院は後の方で旧制あつかいだよ。そのかわり、東京帝大は定員がいっぱいだから、京都帝大にまわされた。
東京帝大にいきたい人は一高を受験した。

137:日本@名無史さん
05/01/29 12:39:06
>>133
東京帝大の哲学科から、京都帝大の法科に移ったんじゃなかったっけ。
少なくとも、成績不振だったということはないと思うけど。

138:日本@名無史さん
05/02/03 01:23:26
>>137
一説によれば京都帝国大学に入りなおしたのは
河上肇の下で社会主義の研究がしたかったからとか言われてるね

139:日本@名無史さん
05/02/04 00:47:48
>>138
一説も何もそうじゃないのか?
近衛の若かりし頃はバリバリの社会主義者だぞ。
オスカー・ワイルドの戯曲も翻訳してた。

140:日本@名無史さん
05/02/08 12:53:12
父親は突然変異なのかな。
公卿にしては有り得ないくらい剛毅な人だけど。

141:日本@名無史さん
05/02/08 14:31:44
細川護煕とか近衛の孫って名乗るのに抵抗あるのかな?

142:日本@名無史さん
05/02/08 14:57:52
外孫をこれみよがしに名乗るのは近衛家の嫡流に対して失礼では

143:日本@名無史さん
05/02/12 10:04:16
当時の首相が綾小路きみまろだったら日本はどうなっただろうか?

144:日本@名無史さん
05/02/15 22:35:49
>>143
毒舌吐きまくり
ABCDソのほかナチスドイツ,ファッショイタリー含む
全世界を敵に回して自滅もしくはスルー

145:日本@名無史さん
05/02/26 14:13:06
自由主義者昭和天皇を葬って、敗戦革命でスターリンになろうとした、
日本史上最悪の不忠者。

146:日本@名無史さん
05/02/26 14:46:35
>>145

近衛文麿が戦後生きていたら・・・

1946日本国摂政(昭和天皇は人間宣言とともに退位・皇位は空位とする)
1952日本共和国大統領(独立回復で天皇制を正式に廃止)
1960日本人民共和国国家主席(安保離脱でソ連陣営へ)






なバカな

147:日本@名無史さん
05/02/26 19:39:44
近衛文麿て典型的な公家顔だよな。
URLリンク(www.google.com)

148:日本@名無史さん
05/02/27 01:11:24
文麿と書いて、「あやまろ」と読む人がいた。「ふみまろ」と読む人もいます。


正解はどちらなのですか?

149:日本@名無史さん
05/02/27 01:12:26
息子さんは、シベリアで殺されているのでしょ。

150:日本@名無史さん
05/02/27 01:24:13
>>148 最初は「あやまろ」だったんだけど、人にあやまるに似ているから、
「ふみまろ」としたらしい。

151:日本@名無史さん
05/02/27 07:48:43
映画やテレビのドラマみると、公家はかならずアホみたいに扇を口にあてて
右往左往する様子が描かれてるが、ホンマにあんなアホばっかだったの?

152:日本@名無史さん
05/02/27 10:33:06
近衛の書いた文をセレクトして復刻してくれないかな~
「英米本位の平和主義を排す」以降の彼の思想遍歴をたどれると面白いのだが。
まあ何も変わっちゃいないだろうけど・・・。

で、「国民政府と対手とせず」声明は、下半身事情を握った右翼の脅しで
言わされたとは本当ですか?

153:日本@名無史さん
05/02/27 13:13:18
>>152
戦前は下半身なんてスキャンダルにならんぞ。
政治家は待合茶屋で遊ぶのが普通だし。


154:日本@名無史さん
05/02/28 08:19:47
ベルサイユ体制に反発した近衛を軍部が我が同士とばかり後押ししたのが日本の不幸の始まり

155:日本@名無史さん
05/03/07 21:00:14
統制派=アカ論を唱えておきながら、実は一番のアカな罠

156:日本@名無史さん
05/03/07 21:06:26
麻生

157:日本@名無史さん
05/03/07 21:23:42
これくらいの金持ち、名家だと子供の頃から
女中を手篭めにできるんですかね?

158:日本@名無史さん
05/03/08 00:03:48
そもそも名字の由来が「天皇親衛隊」っつータカ派っぽい意味なのに、ヘタレにも程がある。

159:日本@名無史さん
05/03/08 00:19:18
近衛文麿って父系でみると
江戸時代の後陽成天皇の子孫だよな。

そういう意味で、摂家の名門というだけではなくて
王孫だという顔も持っている。

160:日本@名無史さん
05/03/08 00:29:12
おまけに日本最高クラスの名門なのにな

161:日本@名無史さん
05/03/08 12:05:44
本来ならば、天皇陛下を真っ先にお守りしなければならない華族が、逆賊になるとは。
華族制度を批判する気はないが、どうして左傾する連中が多いんだろう。
皇室の藩屏のくせに、ひどい連中だな。

武者小路公秀に万里小路の坊ちゃんも左翼だったかな。

162:日本@名無史さん
05/03/08 17:33:52
>>141
近衛家の現当主って細川護煕の実兄じゃなかったっけ?
近衛文麿は長男文隆がソ連に抑留されて死んで、男系の子孫はいないよね?

163:日本@名無史さん
05/03/08 18:16:15
>男系の子孫
東隆明

164:日本@名無史さん
05/03/08 19:51:03
>>162
過去スレをよく読め、ボケ

165:日本@名無史さん
05/03/08 22:17:06
ピストル自殺に失敗した東条と、服毒自殺に成功した近衛
どっちがエロい!

166:日本@名無史さん
05/03/08 22:46:19
>>162
次男の通隆氏が今も荻外荘にすんでおるわ。

167:日本@名無史さん
05/03/08 22:46:31
近衛文隆の弟に
近衛通隆ってのが居たと思うけど
彼には子供居るの?

文隆の隠し子に東隆明がいるのは知っているけど...

168:日本@名無史さん
05/03/08 23:15:38
去年、テレビに出てたのは誰の子孫?若い顔してた、30代?

169:日本@名無史さん
05/03/08 23:22:46
>>164
過去「スレ」ってどこじゃい大ボケ

170:日本@名無史さん
05/03/08 23:41:52
文麿の弟に指揮者やってた秀麿て弟がいたが、

171:日本@名無史さん
05/03/08 23:43:20
フーミン、さっきテレビに出てた

172:日本@名無史さん
05/03/09 00:32:43
参謀本部が日中戦争を止めようと必死で頼んだのに、
近衛の野郎が行け行けドンドン。

173:日本@名無史さん
05/03/09 00:38:22
【近衛文麿の正体】

 近衛は中学生の頃、高貴な華族の家柄であるが故に貧困に喘ぐ下層階級を見て良心の
呵責に苛まれ、弟の秀麿に「社会主義談義」を頻繁に行い、京大学生時代には貧困の
問題を研究し、大正三年(一九一四)、近衛は新思潮五、六月号にオスカーワイルドの
「社会主義下の人間の魂」を翻訳掲載し(発売禁止処分)、ワイルドの言葉を借りて次のように述べている。

 「私有財産が諸悪の根源であり財産と貧困の害悪を断ち切るには社会主義を実現するしかない。」
URLリンク(touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp) 

174:日本@名無史さん
05/03/09 07:21:16
若いころ、社会主義、共産主義者なら右翼の赤尾敏、田中清玄、ヨミウリの鍋ツネ、
サンケイの水野成夫等々別に珍しくない。問題は政治に関わるようになっても彼が
社会主義者として振る舞ったかどうか。

175:日本@名無史さん
05/03/10 20:33:05
>>171
フーミンも急に老け込んじゃったよね。なんか悲しい。

176:日本@名無史さん
05/03/11 15:55:19
近衛文麿公は御写真を拝見したけど
歴代首相の中で一番気品があられたね。
典型的な公家顔。
やっぱり無駄に千年以上続く家柄ではないと思ったよ。
現代の御子孫方は知らないけど
やはり気品はおありなのでせうか?

177:日本@名無史さん
05/03/11 16:00:56
>>176

近衛忠輝日本赤十字社副社長(社長は藤森昭一元宮内庁長官)のことですか?

178:176
05/03/11 20:16:37
>>177 詳しくは知りませぬが、
その御方は昭和天皇陛下の内親王さまが御嫁ぎになられたところですか?
やはり気品がおありになられるのですね。
やはり文麿公と似ていらっしゃるのですか?

179:日本@名無史さん
05/03/11 20:44:47
>>172
それは寧ろ広田だな

180:日本@名無史さん
05/03/11 21:47:25
支那事変の際、蒋介石政府との和平交渉(トラウトマン工作)打ち切りに統帥部は反対したが
陸軍省(杉山陸相、軍務局)と外務省および米内海相は打ち切りを主張。近衛はこの様子を
ただ沈黙してながめていただけだったとか。例の近衛の“爾後国民政府を相手とせず”の声明
が出されたが、別に近衛が積極的に打ち切りに動いたわけではない。閣内の大勢が打ち切りに
傾いている中で異論を唱えることは許されない制度(戦前の内閣は閣内全員一致が原則)、もし
もし1人でも反対があれば内閣は崩壊する。この制度が、日本無責任体制の元凶ともいえるが

181:177
05/03/11 21:59:33
>>178

いえ、忠輝夫人は、三笠宮崇仁親王(昭和天皇の末弟)の長女(内親王)です。

182:178
05/03/11 23:38:14
>>181 そうですか。それではその御夫人は
とも仁親王さまや桂宮さまの
御兄弟でいらっしゃるのですね。

183:日本@名無史さん
05/03/12 09:47:04
>>180
大日本帝国憲法の欠陥といえば天皇に権力が集中していたことを
よくあげられるが、一番の欠陥は内閣の規定が全くなかったことだな。
内閣についての規定があればかなり状況は異なったであろう。

184:日本@名無史さん
05/03/12 10:29:06
>>183
内閣官制があるでそ。内閣官制で首相の指導的地位を認めればいいだけの話。

185:日本@名無史さん
05/03/12 10:47:17
>>184
そう簡単な問題じゃない。
時代により解釈は異なるだろうが、少なくとも近衛が総理の時代は、
[第55条] 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
という憲法の規定から、総理大臣と各大臣は対等であるべきである、
と解釈され、総理大臣に強力な権限を与えようという試みは、
その壁を越えられなかったんだよ。


186:日本@名無史さん
05/03/12 10:53:22
そもそも内閣制度を憲法に盛り込まなかった事自体、内閣を弱めるためだもんね。

187:日本@名無史さん
05/03/12 19:04:36
忠輝さんは「この前の火事(応仁の乱)で財産の大半を失いましてね」
との名言を残された方ですか?
文麿公の何男にあたられる方ですか?

188:日本@名無史さん
05/03/12 19:07:50
>>187
少しは過去レス読めよ

189:日本@名無史さん
05/03/12 22:48:59
>>187
護貞侯の子だよ。

190:日本@名無史さん
05/03/12 23:55:50
近衛家は文麿公の直系が継いだわけじゃないのですね。
どうして文麿公のお子さまが後を継がなかったのですか?

191:日本@名無史さん
05/03/13 02:13:12
陸相を更迭したところで陸軍は新たに大臣を出さないから
あの段階で内閣には「開戦」か「総辞職」の二択しかなかった
現役武官制が祟ったわけで、おまけに帷幄上奏権というもの持ち出されると
神聖にして侵すべからずの天皇と対峙することになり
どのみち軍の力が強いと内閣の足元は覚束ないものだった
これは旧憲法の制度上の欠陥といってもよい

192:日本@名無史さん
05/03/13 07:26:25
>>191
何の話?

193:日本@名無史さん
05/03/13 07:31:41
日米開戦前の経緯(近衛内閣総辞職)でないの?

194:日本@名無史さん
05/03/18 22:20:55
日本赤十字社の新社長に近衛氏

 日本赤十字社は18日、代議員会を開き、藤森昭一社長の後任に副社長の近衛忠●氏を、
近衛氏の後任に前厚生労働次官の大塚義治氏を選出した。いずれも4月1日付で発令する。
(●は火ヘンに「軍」)

 近衛 忠●(このえ・ただてる)氏 学習院大政経卒。日本赤十字社社会部長、外事部
長を経て、1991年4月から副社長。東京都出身。65歳。

URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

195:日本@名無史さん
05/03/19 07:46:20
近衛忠煇

196:日本@名無史さん
05/03/22 23:37:47
>>191
そういう点はあったろうが、近衛は「英米本位の平和主義を排す」っていう思想のもとに行動したいたわけだから、
現状維持が自国に危険で、他国に一方的に有利であれば戦争を辞さないという姿勢も変わらず、
結局日本が戦争に突入するのは避けられなかったと思われ
戦争が正しい、悪いとかの先入観をいれずに考えると

197:日本@名無史さん
05/03/22 23:57:57
「武力による現状打破も正義ならば許容される」ってのはマルキストの暴力革命の国際版だね。
この思想がWW2を招いたと言っても過言ではない。ヒトラーもムッソリーニもマルクス主義の影響を
強く受けている。

198:日本@名無史さん
05/03/23 08:14:16
ファシズムは暴力を外へ、マルキシズムは暴力を内へ。
前者はいわば恐喝犯や窃盗犯、暴走族、ならば後者は家庭内暴力野郎。

199:日本@名無史さん
05/03/24 21:33:33
>>196
その現状維持的な妥協案が軍に蹴られたから辞職せざるを得なかったわけなんだが・・・
米側は軍を抑えられるかに注目していたそうだが駄目だったわけで
「英米本位の・・・」はだいぶ前の発表(大正?)で国際情勢や国力の変化で
激動の時代に常にその通りに行動できるわけではない

200:日本@名無史さん
05/03/25 22:16:33
>194
まるで怪しい記事みたいだな。
 近衛さんはスイスから帰国した際も、新聞の記事になってたくらい
 だから社長になるのは当初からの予定だったのでしょうね。

201:日本@名無史さん
05/03/25 22:20:06
>>198
それは間違ってないが、そういうなら
当時の英米は自分さえ良ければ良いこの上ない自己中心主義者といえる

202:日本@名無史さん
05/03/25 22:22:00
近衞さんはいまどちらのお住まい?

203:日本@名無史さん
05/03/25 23:34:25
>>201
現在はさらにパワーアップしてるな

204:日本@名無史さん
05/03/26 00:56:26
>>202
東京都港区芝大門1-*-*


205:日本@名無史さん
05/03/26 14:43:48
>>202 そんな事お聞きなさるな。
>>204 個人情報保護違反です。

206:日本@名無史さん
05/03/26 16:00:15
>>205
何で個人情報保護違反と言えるの?確認したのか?
個人情報でないだろ。赤十字本社の住所は。

207:日本@名無史さん
05/03/26 19:25:53
たとえ個人の住所だって公表しても違反にはならんだろ

208:日本@名無史さん
05/03/28 08:09:54
>>206>>207 近衛さんは昔はどうであれ今は一個人
その個人の住所及びそれと思われるものを公開する事は立派な犯罪です。
なおこれから先は紀宮さまも法律上は個人になられる。

209:日本@名無史さん
05/03/28 08:18:48
>>208
204の住所は個人の住所でないので犯罪ではありません。

210:日本@名無史さん
05/03/28 08:39:33
萩外荘には住んでないの?

211:日本@名無史さん
05/03/28 22:31:59
近衛忠てるさんの御子息の
忠大さんが『近衛家の太平洋戦争』を出版してたけど
この人には御子息及び御令嬢はいらっしゃるの?

212:日本@名無史さん
05/03/29 11:25:29
>>210

荻窪の郊外だから荻外荘。
萩ではないぞ。
こちらは文麿公の次男が住んでおる。

213:日本@名無史さん
05/04/09 02:12:52
>>208
法人である赤十字本社の住所を書くと犯罪になるの?

214:日本@名無史さん
05/04/25 15:54:23
近代日本の公家の没落を決定付けた人。
彼以後、お公家さんは庶民へと零落し、
せせこましく生活している。


215:日本@名無史さん
05/04/25 17:07:50
近衛家は家柄だけは
皇族に継ぐ名門だけど
経済力は非常に弱いものだった。

家柄では遥かに下の諸侯華族の
徳川家や前田家などのほうは、比較的に豊かだった。


216:日本@名無史さん
05/04/25 18:45:53
>>215
何を今さらw

217:日本@名無史さん
05/04/25 22:49:49
開戦前の近衛文麿とその周辺の人達の話って見てると笑っちゃう。
本当は笑えないはずなのに。

>近衛はルーズベルトとのトップ会談による解決に全てを賭けていた。
>「殺されるぞ」と言う友人の言葉に「生命も名誉もメンツも度外視している」と胸を張った。
>しかし、ルーズベルトは頂上会談をあっさり断ってきた。

せっかくカッコいいこと言ったのに…。

218:日本@名無史さん
05/04/25 22:52:41
>>217
しょせんお坊ちゃま特有の一人よがりだったのね。。。

219:日本@名無史さん
05/04/26 02:21:25
やる気が空回り
結局、誰にも相手にされなかったってこと?

220:日本@名無史さん
05/04/26 02:33:59
第3次近衛内閣の総辞職についての近衛の弁明をもう一度吟味したい。
だれか史料紹介してちょ。一度読んだことがあるはずなんだけど忘れてしまった。

221:日本@名無史さん
05/04/26 08:55:00
>>214
公家は元々せせこましいです。

>>215
子孫がそこそこ上手くやってるんだから問題なし。
文麿のときに家財整理をしたおかげで、戦後の金銭的没落は避けられた。

222:日本@名無史さん
05/04/26 17:53:09
>>219
>>217の時は陸軍にも相手にしてもらえたようです。
それまで米国との外交に消極的だった陸軍も態度を改め近衛に協力する事に。
しかしアメリカ側に断られ全部パー。
以降、陸軍はもう外交やってもしょうがないと開戦の決意をいっそう強くし、
第3次近衛内閣は総辞職。

223:日本@名無史さん
05/04/26 21:28:42
新体制運動って本当よくわからない。

協力者
軍部
有馬頼寧(久留米の殿様。政友会。)
風見章(元国民同盟。)
麻生久(無産政党の重職を歴任。)
尾崎秀実(社会主義者。中国評論家。ゾルゲ事件に連座。)
三木清(共産党シンパ。哲学者。)

取り合えず近衛は左右問わず大人気だったんだね。
政党も右派団体も労働組合も左右みんな仲良く一斉に解党。

そして近衛の口から明かされる『新体制』の中身とは!?

『万民翼賛』『下意上達・上意下達』

224:日本@名無史さん
05/04/27 02:04:47
文麿公「もういい、総理なんてやめる」
先帝陛下「近衛はいつでもやめられるからよいね。」
妙に納得させられてしまった陛下の一言。
てか奥方さまとは賊に言うナンパ?で知り合ったんだって。
しかも通勤バスの中
その後芸者に手をつけてるし。
気品漂う感じが好きですわ。
てか隠し子とかいるの?

225:日本@名無史さん
05/04/27 21:07:46
文麿公には庶子(女の子)が二人いたのではないかな。
一人は、篤麿に漢学を教えていた先生のところへ、貰われていった。
貰い手は神戸の旧家で、女の子はその家の親戚筋の方と結婚した。
文麿夫人の千代子さんの斡旋で、結婚相手の夫は住友財閥系の会社に就職した。
もう一人は、近衛四兄弟の末っ子で、水谷川男爵家をついだ忠麿のところに、
養女として、貰われていった。

子供のことに関しては何かと面倒を見ており(庶子にも関らず)、時折会いに行ってたそうだよ。
そのあたりは、子煩悩な性格が表れている。

226:日本@名無史さん
05/04/29 20:19:30
>>255そうでございますの。
なかなか子煩悩な殿方ですわね。
御夫人も文麿公の浮気?は
あまり咎めなかったのかしら?

227:日本@名無史さん
05/04/29 22:15:53
>>226
公家時代の余韻といったら良いのか、あまり家庭内での女性問題は、
やかましく言われなかったそうである。ただ、千代子夫人は内心苦々しく
思っていたのか、子供達に父の帰りが遅いのを訊かれると、
「お孟様は夜学で忙しいから」と皮肉交じりに答えていたそうだ。
夫人の方が発言に力があり、言い負かされるのは文麿のほうで、口喧嘩では
「うん」と頷くのが精一杯だったそうだ。

228:日本@名無史さん
05/05/10 02:44:14
まあ、身分の高いお公家様のやることなので、堅いこと言わない!

229:日本@名無史さん
05/05/15 21:48:42
フーミンの事は「殿下」ってよぶべきだよね?

230:日本@名無史さん
05/05/15 22:10:13
>>229
江戸時代は摂政・関白を「殿下」と呼んでいたから、首相を務めた文麿を殿下と呼んでも、あながち間違いではないか。

231:日本@名無史さん
05/05/15 22:32:12
家では御前って呼ばれてたけどね

232:日本@名無史さん
05/05/16 19:13:49
>>223
ホントかウソか異説あるところだけど

近衛公は暴走する陸軍を抑えるために国民をまとめて
陸軍より多人数の強力な組織を作り、数の圧力で陸軍を黙らせようとした
そのために枢密院議長を辞し、さあこれからという時に大命降下
総理の近衛公は結局自分の都合だけで動く事が出来なくなり
国民再組織運動は本来排除されるべき極右や陸軍まで入り込んできて
結局ナチス張り、ソ連張りの社会主義全体主義になった
で、結局近衛公はイヤになって大政翼賛会発会式の時に
「大政翼賛の臣道実践ということにありまして…」
と投げ遣りな挨拶をする情けない事態になってしまった
で、翼賛会は陸軍の高度国防国家建設に向け一人歩きを開始、
作った近衛公自身もう止められない事態になっちゃった…トホホ
というのが今のところの通説かと

ただし、近衛公は学生時代にバリバリの共産主義者河上肇に師事したこともあり、
新体制運動は日本共産化のための第1段階の動きと考える向きもある

そこら辺は近衛公自身が終戦直後に自決しているので真相は永遠に闇


233:日本@名無史さん
05/05/16 19:35:25
>>232
>近衛公は学生時代にバリバリの共産主義者河上肇に師事したこともあり
近衛は1917年に京大卒業してるが、そのころの河上はマルキストではないよ。
河上はマルキストになってから、1917年に公刊した『貧乏物語』を絶版にしてる。

近衛自身は社会主義には共感しても、
共産主義に賛意を示したことはないんじゃないかな?

234:日本@名無史さん
05/05/16 20:12:44
>>233

そうでした
こちらの思い違いです

ただ、
>近衛自身は社会主義には共感しても、
>共産主義に賛意を示したことはないんじゃないかな?

はどうなんでしょう
実際近衛公は総理になった直後血盟団事件、2・26事件、5.15事件
さらには共産党の受刑者まで全部ひっくるめて大赦を与えるべく動いたことだし
それには総理に推薦した西園寺公も烈火のごとく怒ったらしいし
賛意を「示した」ことはなくても実際の行動は?というと
疑問に思う人間は疑問に思うかなと


235:日本@名無史さん
05/05/16 22:57:55
>>234
>共産党の受刑者まで全部ひっくるめて大赦を与えるべく動いた
というのはソースありますか?
矢部貞治の『近衛文麿』(読売新聞社版)p.276~281には
2・26事件に対する恩赦の話しか出て来ないけど。
それ以前の諸事件の処罰に対して、2・26事件が重すぎるという趣旨なので、
5.15事件、血盟団事件に対する恩赦も求めてない。

236:日本@名無史さん
05/05/18 09:13:19
ちょびヒゲはやしてる写真あるけどあれってもしかしてヒトラーの真似なんですか?

237:日本@名無史さん
05/05/18 15:49:36
>>236
>>57を見てみよう

ヒトラーコスプレは実に有名な話

238:日本@名無史さん
05/05/20 07:33:10
日独同盟には反対だったのにヒトラーのコスプレはするのか。

239:日本@名無史さん
05/05/20 08:23:06
近衛は日独同盟反対なんかしてないよ。自分が首相のときしっかり結んでます。

240:日本@名無史さん
05/05/24 09:04:35
もっと他にまともな人物はいなかったのかなあ
あの国難の時代に二度も首相になって二度とも職務を中途で放り投げるなんて
めちゃくちゃ

241:234
05/05/24 12:18:10
>>235
>共産党の受刑者まで全部ひっくるめて大赦を与えるべく動いた
>というのはソースありますか?

ソースといえるかどうか微妙なところですが…
原田熊雄述「西園寺公と政局第6巻自昭和12年6月至昭和13年6月」
p76~
以下引用(本文旧字体 面倒なので現代語に訳)
p78 寺内(寿一)大将の話
「昨日(昭和12年8月19日)杉山陸軍大臣のところに、総理の遣いとして馬場内務大臣が来て、
 真崎大将の無罪論や、結局大赦を奏請する問題について同意を求めた。
 即ち、三月事件、血盟団、5・15事件、神兵隊、11月事件、2・26事件といったような
 内乱の陰謀について、つまり彼等の動機は必ずしも悪くない、国家を思う念慮から来ているのだから、
 正しいのだ、それを一方の反対派のほうが弾圧していくというようなことから、
 結局相克摩擦がますます激しくなってくるので、その解消のためにはどうしても大赦を奏請し、
 この非常時に彼等も陛下の思召に感激して、新たなる生涯に入ってお互いに協力していく事が
 必要だというのが、その趣意であったように聞いた。
 一体近衛総理がそんなことを言い出すとは甚だ面白くない。
 また、馬場がそれを取り次いでくるところをみると、馬場という人はかねて思ったよりつまらない人だ。
 なお、多分これは塩野が提唱しているようだが、背後には平沼がいるんだろう」
といって、非常に憤慨しておった。


242:日本@名無史さん
05/05/24 12:24:20
なりたくも無いのに就任せざるを得なかった近衛には同情する。
経験ゼロの若輩公爵を買いかぶった西園寺にも責任の一端はありそうだ。
とは言え他に適任者も見当たらないし、仕方の無い選択だったのだろうか。

243:234
05/05/24 12:38:43
続き

p79
24日の朝(湯浅)内大臣を訪問して、例の大赦の問題についての寺内大将の話をした。内大臣は、
「相克対立をどうしても解消したいということで、近衛総理は一途に考え込んでいるから、寺内大将は
 『杉山陸軍大臣が一蹴した』といっているが、それで事柄が止めになるようなことはないと思う。
 それほど近衛総理は熱心であるから、なかなか扱い方が難しい。以下略」
といっておった。
(中略)
p81自分(原田)のほうはこれは困ったと思ったけれども、例の大赦問題の経緯について、木戸からの話及び寺内、内大臣等との話を(西園寺)公爵にしたところが、公爵は、
「筋の立たないことをやるくらいなら、辞めた方がいいじゃないか。
 別に総理大臣が近衛でなければならんということでもないのだから」
と言われ、非常に語気が強かった。
(中略)
自分は30日に(西園寺)公爵を訪ねて、例の大赦問題についていろいろ公爵とお話したところが、公爵は
「木戸も賛成だそうだ。近衛には今まで既に有象無象が付き過ぎていた。そういう者を寄せ付けすぎていた事が甚だ面白くなかった」
と言って多少嘆いておられた。
(後略)

244:日本@名無史さん
05/05/24 18:46:19
もし荻外荘の維持に困ってるのなら、椿山荘や雅叙苑や叙々苑みたいにしたら?

245:日本@名無史さん
05/05/24 19:16:54
儒教や共産主義をかじった人間に碌な人間はいない

246:日本@名無史さん
05/05/24 19:55:43
近衛が共産主義かぶれなら統制派に親近感を持つはずだが、彼は何故か皇道派贔屓

247:日本@名無史さん
05/05/24 19:57:07
ていうかもうすでに荻外荘の大半はなんかの宗教団体のものじゃなかったか

248:日本@名無史さん
05/05/24 20:06:15
>>246
共産主義かぶれだと統制派に親近感を持つ理由が分からん。

249:日本@名無史さん
05/05/24 20:14:46
1度はそうかもしれないが、2度も内閣を投げ出したと言う奴は無知

250:日本@名無史さん
05/05/24 20:19:02
つまり近衛って八方美人?



251:日本@名無史さん
05/05/24 20:22:54
統制派⇒陸軍部内の統制を図るのみならず、戦時中の統制経済は
社会主義そのもの。下層階級出身者が多い陸軍将校には状況さえ
変われば、社会主義者に変貌する下地が十分ある。敗戦間際の
梅津の親ソ的な考えや瀬島のソ連抑留時の言動みれば歴然

252:日本@名無史さん
05/05/24 20:44:00
>>251
それは皇道派が実力で目指したものと同じでは?
もともと皇道派っていっても上層部には大した思想はないんだよね。
あと皇道派の理論的な支柱だった北一輝も毛色は変わってるが
社会主義者くずれだよね。

253:日本@名無史さん
05/05/24 21:01:05
青年将校は北にかぶれてたのもいたかもしれぬが、荒木以下の高級将校は
北なんて関心ないと思うが

254:日本@名無史さん
05/05/24 21:46:46
>>247
昭和35年に家屋の約半分は、宗教団体の宿舎として移築されたみたい。
現在の荻外荘は増築改築を繰り返したもので、離れは誰かに貸してるらしいね。
維持費が大変だろうなぁ。

255:日本@名無史さん
05/05/24 21:55:41
北一輝やら大川周明やらは共産主義者と同じで基本的に権力外のゴロツキだからな。


256:日本@名無史さん
05/05/24 21:57:43
>>254
>維持費が大変だろうなぁ。
だから叙々苑みたいにすべきなのでは?

257:日本@名無史さん
05/05/25 14:59:43
近衛文麿は身長177cm
京大の学生にして貴族院議員だった。
昭和天皇に上奏する時に玉座の前で
椅子に腰掛けで足を組んで友達と
話すように報告したのは後にも先にも
近衛文麿だけだ。

息子の文隆は若い頃からアメリカに留学して
プリンストン大学に進学、そこでゴルフ部の
エースとして活躍した。しかし戦争で日本に
帰国した。

258:日本@名無史さん
05/05/25 15:11:37
ここも荻外荘なの?隣の家かと思ってた・・・
URLリンク(www.momoi2-e.suginami-tky.ed.jp)

259:日本@名無史さん
05/05/25 15:22:59
近衛公が足組んで上奏した話は有名だけど、
そもそも拝謁する場所に臣下が座る椅子なんてあるのか?

260:日本@名無史さん
05/05/26 09:29:58
ニッポン放送人事 2005年6月24日付
▽常務(経営企画室長)近衛正通

一族だろうか?

261:日本@名無史さん
05/05/30 17:22:49
通隆さんは昭和天皇の内親王の婿候補に挙がらなかったんだろうか?

262:日本@名無史さん
05/06/01 08:49:43
>>261
通隆氏は次男だから分家すれば平民になる身。
平民の許に内親王は降嫁できまいと思うが如何?

263:日本@名無史さん
05/06/01 17:50:41
>>262
末っ子の貴子さんは島津家の分家の次男坊である久永さんに降嫁したぞ。

264:日本@名無史さん
05/06/05 00:51:21
>>35

>近衛文麿の死後オスカ・ワイルドの獄中手記「深き淵より」がみつかった。そして、次の個所にアンダー・ラインがしてあった。
>それは、「世間は、私を余りに個人的であると批評したものである。しかし、私の滅亡は、この人生における個人主義の過多によるものではなくて、むしろ過少から起ったものである」というくだりであった。
>この短い言葉は、政治家としての近衛の生涯を実は象徴し、また彼が荷った運命を余りにもよく解明するものではないであろうか。

これってずっと蔵書して愛読してたのかと思ったら
借りたものだったんだね。
他人の物にアンダーラインひくなよw

265:日本@名無史さん
05/06/05 18:33:36
誰から借りたものなの?

266:日本@名無史さん
05/06/06 02:36:28
>>265
初代国連大使となった外交官の加瀬俊一氏。

267:日本@名無史さん
05/06/06 15:09:18
やはり肉親の情がうすいと気力薄弱になるんでしょうかね>近衛公

268:日本@名無史さん
05/06/06 20:21:43
>>242ええっと高橋是清さんは無視ですか?
近衛が代わりに死ねば良かったのに


269:日本@名無史さん
05/06/06 20:38:28
お公家さん同士、西園寺は近衛が可愛かったんだよ

270:日本@名無史さん
05/06/06 20:59:29
>>268
不謹慎なことを言うなよ
高橋だろうが近衛だろうがどちらが死ねばよい等と言うことはない
政治家としての近衛の評価を逸した不適切な発言だぞ

271:日本@名無史さん
05/06/07 06:16:45
近衛は首相になんかなりたくなかったから、西園寺や木戸にもそう言っており、
最初は西園寺も近衛を首相にしないようにしていた。
しかし、堂々と「首相にはなりたくない」と言うような無責任な事を言えば周りの士気に影響するため、
近衛支持者や他の関係者の前では
「大命が下れば死んでもやらなければならない」と言っていた。
結果、世間には「近衛はやる気だが重臣達が危ぶんでいる。近衛が出ればこの行き詰った状況を打ち破るかもしれない。」
と言う話として広まり、近衛待望論は益々強まり、
西園寺もこの声を無視する事ができなくなった結果近衛が首相となる。

272:日本@名無史さん
05/06/07 08:08:40
木戸と原田に対して
「どうか自分が出ないようにしてくれ。どうしても出たくない。」
西園寺に対して
「自分の立場としては大命が下ればやむを得ないという事を、
いかにも用意があるが如く人が思うので、非常に困却する。よろしく頼む。」

273:日本@名無史さん
05/06/10 23:05:29
>>259
椅子はあることにはあったが普通は座らなかった。
そこを近衛は座るのみならず身長177cmの長い足を組んで
「御機嫌よろしゅうございます。ご無沙汰でした。」
と普通の人に話すように上奏したので侍従達はびっくりした。
が、昭和天皇もこの打ち解けた会話を喜んだ。
それに相手が田舎侍であれば皇室の権威を軽んじていると注意できても何せ相手は藤原氏。
天皇家と摂関家の縁の深さを考えると誰も咎める事が出来なかった。
もっともあまりに打ち解けすぎていたから、近衛は気分によっていい加減な事を言う事が多く
昭和天皇も「近衛はすぐ言う事が変わるね。」と困惑していた。

274:日本@名無史さん
05/06/10 23:30:29
昭和天皇は近衛が自分より十歳年上もあってかなり遠慮していたみたいだね。

275:日本@名無史さん
05/06/12 09:25:59
>>67

>「国際正義に基づく真の平和と社会主義に基づく施策の実現に努めたい」

社会『正』義だよw

276:日本@名無史さん
05/06/12 09:28:53
筆頭は牟田口に変更。

277:日本@名無史さん
05/06/12 17:56:18
近衛と細川の両総理は確か祖父孫の関係だと思うが、やっぱどっか似てるよな。
眼が細いところかな。

278:日本@名無史さん
05/06/12 18:02:30
近衛ってあの近衛家なわけですか…そりゃすげーわ

279:日本@名無史さん
05/06/12 19:38:27
近衛と細川の現当主は兄弟だろ。

280:日本@名無史さん
05/06/14 00:23:07
近衛文麿を横に引き伸ばすと細川護煕

281:日本@名無史さん
05/06/14 01:10:35
モリヒロは出目金っぽい目じゃないか

282:日本@名無史さん
05/06/14 22:25:21
>>281
出目ではないマブタがはれぼったいのだ。

283:日本@名無史さん
05/06/15 00:40:47
>>275
朝日だったかに、「社会主義」と誤植された
という記事を読んだ記憶がある。
ソースは確認できなかったけど。

284:日本@名無史さん
05/06/18 13:34:16
>>267
近衛公の母親は公が産まれてまもなく死去し、
公は長いあいだ継母を実の母と思い込んでいた。
真実を知った時のショックは大きく、それ以来「世の中は嘘だ」と思うようになったという。
12歳で父篤麿が没すると、周囲の人間が掌を返すような態度をとった為人間不信に陥る。
近衛家の財政は苦しくなり借金とりまで来て頭山満らが追い払うという状況になった。
公は12歳にして人の世の冷たさをしり、
成長したのちにも当時の事は骨身に達して忘れる事が出来なかった。

285:日本@名無史さん
05/06/18 13:40:27
近衛文麿と細川護煕⇒頬骨が出たとこが似てる。でも、母方の孫だろ

286:日本@名無史さん
05/06/18 14:09:01
父方の孫東隆明もなんとなく面影ある

287:日本@名無史さん
05/06/18 15:30:25
>>284
まさにマルキストになりそうなタイプだな。


288:日本@名無史さん
05/06/18 22:11:41
イケメン度は近衛>>>>細川ぐらい差がある

289:日本@名無史さん
05/06/18 23:33:10
>>287
まぁ間違ってないね。
しかしこれが同時に右翼に親近感をもつきっかけになったという事もまた見逃せない。
それで西園寺の庇護を受ける様になったんだから、
また話がややこしくなってくる。
近衛の育ちの複雑さがそのまま本人をして
「四方八方に受けがいいという事はどこにも真の支持者がいない事」
と言わせたような複雑な政治姿勢に結び付いている。

290:日本@名無史さん
05/06/18 23:52:11
著矢部貞治の「近衛文麿」によれば、近衛は一高の文科には受かったが法科には落ちたらしいね。
近衛が東大哲学科から京大法科に移ったのはマルクス主義を学びたいというのもあったと思うけど、あのプライドの
高さも多少はあったんじゃないかと勝手に推測してみる。

291:日本@名無史さん
05/06/19 00:26:28
一高文科卒業時の順位は、42人中23番だね。秀才でもなければ、落ちこぼれでも無い。
杉森久英「近衛文麿」に文麿公が一高時代に書いた手紙(風見謙次郎宛)が載せられていて、
彼の学生時代からの思想背景が読み取れて、なかなか面白い。

>近衛は一高の文科には受かったが法科には落ちたらしいね。
これは初耳ですな。杉森版の方だと、叔父の津軽英麿が法科を勧めたにもかかわらず、
かたくなに文科志望を貫き通したと書かれている。諸説あるのかな?

292:日本@名無史さん
05/07/05 07:50:59
切腹と言う武士のやり方に迎合しなかったのは偉いね

293:日本@名無史さん
05/07/05 10:25:40
服毒が単に一番苦しみがなく安らかだからだと思うけど

294:日本@名無史さん
05/07/15 10:38:15
東條のプロパガンダ用ニュース映画は
ヒトラーと比べて面白くないが、
これが近衛だったら良いものが撮れていたと思う。

295:日本@名無史さん
05/07/15 19:19:50
近衛は1919年?頃のパリ講和会議に出席して、
「持つ国と持たざる国の戦争」って世界観をもったからね。
「持たざる国が持つようになるには、現行世界秩序を破壊しなければならない。
それは持つ国にとって悪だが、持たざる国にとっては正義だ」
みたいな論文残していなかった?

そういうところが、西園寺の英米協調と相容れぬ反映米の右翼びいきになったんだろうけど。

296:日本@名無史さん
05/07/16 20:04:19
>>295
今更そんな話題もちだすなよ

297:日本@名無史さん
05/07/20 23:19:42
文麿さんは一高をでてるけど、あの時代は
東京高等付属中と一高はどっちがすごかったんですかね?

298:日本@名無史さん
05/07/20 23:26:01
>>297の補足
>東京高等付属中



正確には東京高等師範付属中(現・筑波大付属高校)でした

299:日本@名無史さん
05/07/22 22:24:47
今の筑駒と旧制一高を比べたらどちらが凄いのか、と言う質問でしょうか。
それとも、当時の東高付中と一高のどちらが優れているのかを質問されているのでしょうか。
前者を1、後者を2として分かる範囲で書き込みさせていただきます。

1.
一高は戦後の学制改革により、東京大学教養学部に組織を移行したので、高等学校の
筑駒と大学の一高では比ぶるべくもないでしょう。学校で習う範囲も、旧制高校では
教養面の科目が多く加わりますので、単純な難易の比較は出来ないかと思われます。
ただ、現代の筑駒生と一高生の頭脳は、両者とも拮抗するほど優劣付けがたい優れた
ものだと推測します。受験数学では筑駒の方が難しい気はしますが、それ以外の科目では
旧制高校が上だという気がします。芥川龍之介は無試験入学で一高に入りましたが、
合格通知が来るまでの半年間(不合格へ備えて)、毎日十時間を勉強に費やしていました。
不勉強な私には今の最難関受験生の勉強時間は知るべくもありませんが、この話を聞くと
余程の学習を必要とされたのであろうことは想像せられるのでは。

※芥川の時代は、中学卒業後、高校入学まで半年ほど空白期間がありました。

300:日本@名無史さん
05/07/22 22:52:15
2.
こちらも1と同じように、中学校と高等学校では比べようがないと思われます。
戦前は東高付中やお茶女付中(現筑付)よりも、府立一~三中などの公立校が
旧制高校への進学率が高く、従って教師陣も生徒も優秀な方が多かったようです。
戦後は国立の高校が実績を上げていき、1970年の都立高学校群制度の登場で、
公立高校は凋落の一途をたどり始め、私立国立に取って代わられる様になりました。
どこの学校にも優秀な生徒はいたかもしれませんが、全体的に見ると府立一中→旧制一高の
流れが当時のエリートコースでしたので、一高>東高付中になると思います。
また、一高は他の旧制高校よりも群を抜いた存在でした。
明治40年の合格者最低点は、
一高(553)三高(420)六高(365)五高(355)二高(353)七高(351)四高(350)
と他校を圧倒しています。戦前エリートの最高峰が一高生だったようです
いろいろ小ネタも書きたいところですが、この辺で失礼します。

301:日本@名無史さん
05/07/23 19:29:33
>>299-300


302:尾長黒猫
05/08/07 13:47:43
文麿のあだ名

303:日本@名無史さん
05/08/07 22:53:03
>>300一高医学部(千葉大医学部)ってのは何ナノ?


304:日本@名無史さん
05/08/08 01:47:22
陽明文庫や荻外荘はこの御方がお造りになったのでしょう。
しっかりと自分の血筋の価値や日本の歴史の重みが
分かる先祖がいてうらやましいわ。
どうか大切になさって下さいね。
間違ってもオークションに出したり、骨董品屋に売ったりしないで。


305:日本@名無史さん
05/08/08 07:10:08
人が住んでるのを買ったんじゃなかったっけ>荻外荘

306:日本@名無史さん
05/08/08 16:36:14
近衛さん背高いなあ

307:日本@名無史さん
05/08/09 00:58:55
公家はみんな背が高いものなんだろうか。

308:日本@名無史さん
05/08/09 03:37:49
>>307公家は知らんが大名系はやはり体格がごついですね!女の人でもでかい。


309:日本@名無史さん
05/08/10 06:13:51
母が前田家。
あの身長は母方由来かも。
篤麿文麿あんまり似てない

310:日本@名無史さん
05/08/10 11:08:08
衍子や慶寧は高身長だったの?

311:日本@名無史さん
05/08/11 05:19:12
ほうほう

312:日本@名無史さん
05/08/11 20:23:30
ごめん、スレタイ読んで吹き出した。

313:日本@名無史さん
05/08/12 16:56:07
もし平時に首相を務めていたらその識見、能力、人脈で稀有な政治状況をつくりあげていたかもしれんな

314:日本@名無史さん
05/08/12 21:34:10
でも結局は細川モリヒロのようになっていたのかな
どっちだろうな

315:日本@名無史さん
05/08/13 00:18:11
近衛は東條罷免してでも開戦阻止すべきだったな。


316:日本@名無史さん
05/08/13 00:59:01
>>315
近衛に東條を罷免する権限がないわけだが。

317:日本@名無史さん
05/08/13 01:12:23
当時の状況からいって、天皇自ら統帥権もちだして立ち上がる
以外、撤退は無理かな

318:日本@名無史さん
05/08/13 01:52:27
>>317
そこが近衛が昭和天皇を責めてる一番のとこだな

319:日本@名無史さん
05/08/13 01:55:19
>>315は近衛が首相の時に東條罷免ってことだろう。

320:日本@名無史さん
05/08/13 02:01:05
>>319
陸軍大臣は陸軍の推薦がいるから
実質的に近衛にはどうにもならないよ

321:日本@名無史さん
05/08/13 02:03:26
>>316
陸相だったころの東条の発言は陸軍の意見でもあるから
仮に東条を罷免しても問題解決できない

322:日本@名無史さん
05/08/13 02:07:19
近衛は常に陸軍の先手をとって政策を実行することによって
陸軍を抑え込むという独特な理論の持ち主だったな


確かに斬新な考え方だと思うけど、物凄く危い思考でもある

323:日本@名無史さん
05/08/13 06:59:33
統帥部がもう一つやる気のないとき(支那事変初期)に限って強気だったりと
あべこべなんだよな、此人。

324:日本@名無史さん
05/08/13 11:39:01
杉山陸相を板垣に替えてなかった?

325:日本@名無史さん
05/08/14 00:25:45
>>323
広田、米内もそんな感じだ。
陸軍に引きづられてはならないと言う考えが裏目に出たのかもしれない。

>>324
だね。それは近衛の考えだ。
閑院宮参謀総長に伝えて、昭和天皇とも連絡を取って板垣を陸相にした。
この二人のご意向ともあれば統帥権は出てこない。
板垣は当時不拡大派の頭目で、にもかかわらず陸軍で人気があるという事で
人気がない為に下からの突き上げに応じてばかりの杉山の代わりに陸軍を抑えようという考えだった。
しかし、実際には板垣は東條次官の傀儡となって近衛の思ったとおりには行動してくれなかった。
原因としては、まず陸軍がやはり外部に陸相を変えられた事に不満を持って
板垣に実験が渡らないようにした事。梅津美治郎辺りが板垣を危険視して東條を次官にした。
確か板垣は石原莞爾を中央に呼ぼうとしたんだけど東條次官に邪魔された。
まぁこういうと東條は凄く悪いみたいだが、本人には悪気は無かったんじゃなかろうか。
おそらく梅津は東條を次官とすれば茫洋たる板垣は実権を持ち得ないと考えたのかもしれない。
そしてそれが後の近衛の梅津の周りにアカがいると言う考えにもつながったんだろう。
そして板垣は凄い茫洋とした人物で彼が不拡大派だったのは彼の周りにいた人間、おそらく石原などが不拡大派だった為で、
中央に来て取り巻きが変わると意見も変わった。
これは近衛の人を見る目の無さがまずかった。
板垣に会った事も無いのに人望があるからと陸相に望んでいたが、
実際に会うと「ぼんくらだ…」と思い昭和天皇にもそう上奏して呆れられた。

で、この閑院宮もよくわからない方だ。まぁ実際には傀儡だったんだろうけど。
仏印進駐の武力進駐派と共に東條にやめさせられているのは、やはり危険視されていたんだろうか。

326:日本@名無史さん
05/08/14 00:50:16
当時の参謀次長多田駿は石原と考えを同じにする不拡大派であり、
杉山との間に深刻な対立があった。
風見章は前線にいる板垣を呼び戻すのには、多田に頼むのが一番いいと考えて、
それとなくカマをかけたが、多田は板垣には余り気乗りがしない風で、
後任には序列からいっても古荘幹郎が適当であると云う。
それで風見は多田に頼むのを諦め、同盟通信社ルートを使って板垣に連絡をつけた。

閑院総長宮はノモンハン事件の後、事件の責任を取ってしかるべきときに退任する
という意向を持ってたようだ。

327:日本@名無史さん
05/08/14 07:05:54
うちのばあちゃんいわく近衛さんが出てきたとき
何かが始まるという期待を持ったといってた。
僕も中学のとき細川政権で何かが変わる
と思った。2人は半世紀以上の時間を越えて
似たような感慨をこの血のつながった両氏に
抱いたわけですなあ

328:日本@名無史さん
05/08/14 16:25:06
俺も道長さんが出てきたとき何かが始まると思った。

329:日本@名無史さん
05/08/14 17:31:44
俺も鎌足さんが台頭してきたとき俺の中で何かがこわれた。

330:日本@名無史さん
05/08/14 19:02:35
俺も天種子命が神武天皇の即位式で寿詞を奏上したときry

331:日本@名無史さん
05/08/14 22:04:25
>>319
帝国憲法下で首相が国務大臣を罷免する権限はないだろ。

332:日本@名無史さん
05/08/16 01:43:41
この人のお墓て何処にあるの?
他の歴史上の人物と同じように
遺族じゃなくても参拝できるのですか?

333:日本@名無史さん
05/08/16 03:01:31
>>332
有名な京都の大徳寺に近衛家廟所があるけど一般人は立ち入り不可のようだ。

334:日本@名無史さん
05/08/19 20:19:48
近衛家って宮家よりも家格が上で
宮様も近衛家当主が道の反対側から来ると端によけて道を譲るのが慣例だったそうだ。
そりゃ廟所も一般人立ち入り禁止になるな。

335:日本@名無史さん
05/08/19 20:48:15

近衛文麿 述懐
「自分が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、
明日御前に出ると『昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することはないよ』と仰せられて、
少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回はもっと戦争論の方へ寄っておられる。
・・・従って統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない。
・・・こういう状態では自分も手の施しようもなかったのだ」
(富田健治『敗戦日本の内側』)



336:日本@名無史さん
05/08/19 20:49:16
暗記科目=クソ科目

337:日本@名無史さん
05/08/19 20:55:01
>331
 確かに罷免させる権限はない。

 詳しくは内閣官制、内閣職権を参考にしてくれい

338:日本@名無史さん
05/08/20 09:15:52
>>335
「近衛は自分に都合のいいことを言っているね。」

>>337
権限はないが勧告はできる。もちろん法的拘束力がないので言われたほうは拒否できる。
近衛が杉山から板垣に陸相を代えたときは、勧告以外にも閑院宮も動員している。
このような根回しに失敗すると、東條が岸にやられたように拒否されて総辞職ということになる。
松岡のときは勧告しても無駄だしアメリカの陰謀だのなんだのいいふらされりすると思って
総辞職したそうだが。

339:日本@名無史さん
05/08/23 04:51:02
その無責任な性格から首相時代の実績にいたるまで、東條よりもタチが悪い

340:日本@名無史さん
05/08/23 06:31:25
>>334 近衛家は五摂家筆頭でございますからね。
五摂家=摂政殿下、関白殿下になりうる家柄=PRINCE
宮家=親王殿下、王殿下=PRINCEで称号は同じ。
なお、近衛家は後陽成天皇陛下から別れた皇統。
傍流の宮家は崇高天皇陛下から別れた皇統で
実のところ天皇陛下とは近衛家の方が血筋が近い。
もう、文麿公のような気品とプライドに満ちた殿方はあらわれないの。

341:日本@名無史さん
05/08/23 11:20:07
近衛が何回「首相辞めたい」と言ったか誰かカウントしてみてくれ。

342:日本@名無史さん
05/08/23 18:31:11
>>341
「やりたくない」もカウントするべきだろう。

343:日本@名無史さん
05/08/23 23:06:24
細川元総理も近衛の一族でございます。

344:日本@名無史さん
05/08/23 23:59:45
もともと周りから担がれた御方ですからね。
文麿公「もういい首相やめる。」
先帝陛下「近衛はいつでもやめられるからよいね。」
御気楽で繊細な御公家さん。
摂関政治とはかけ離れた政党政治家にはむかないわ。
文麿公が高松宮殿下とあの計画を実行なさっていればどうなったのでしょうか?
この御方に会った米国人の回想禄に風格が凄いとかいてありましたわ。
御上をも自分と対等に置く御方ですものね。
皇太子殿下の事はどう思っていたのでしょうか?

345:日本@名無史さん
05/08/24 01:21:48
>>342-342
東条が弱音を吐いた時には、内閣改造してでも続けろとか言ってるくせにねw

346:日本@名無史さん
05/08/24 01:24:44
>>345
人それぞれに向いた仕事がありますから。

347:日本@名無史さん
05/08/24 08:56:44
226の後、首相を断ったとき、確か「体調不良」が理由だったような。
この人なにか持病があったの?それとも仮病?

348:日本@名無史さん
05/08/24 10:38:42
時々媚びへつらった変な文調の奴がくるな

349:日本@名無史さん
05/08/24 17:45:09
>>346
そうそう。
責任のない立場での近衛の発言は、着眼点は元もだし、論旨も明快だしで
かなりまとも。
頭の切れる人だとは思う。


350:日本@名無史さん
05/08/25 03:17:09
>>345
それって稔彦王に言ったやつのこと?
一応近衛は岸信介が頑張ってた時に四重臣で申し合わせて東條やめさせてるけど。

>>347
まぁ仮病だろうが、自分の体にはえらい気を使ってて、
果物は煮沸消毒したあと零度まで冷やした水で洗ってから食べていたそうだ。

351:日本@名無史さん
05/08/27 13:55:49
>>347


352:日本@名無史さん
05/08/29 17:44:39
>>217
>近衛はルーズベルトとのトップ会談による解決に全てを賭けていた。

首相になるの断り続けていたはずなのに、
なったらなったで、自分が大物だと思うところがまずいね。
相手を納得させるようなビジョンも権限も丸でないにも関わらず。

「爾後国民政府を相手とせず」も、大陸の状況を鑑みてと言うよりも、
蒋介石の事を格下と思っていたからでは?

>>335は反戦じゃなくて、自信がないだけだろう。
本心は東アジア連邦の首長(委員長?)になりたかったはず。

野心をうまく利用されたし、自分でも制御できなかったと思われ

353:日本@名無史さん
05/08/29 17:53:49
>>254
天理教
URLリンク(www.tenrikyo-tokyo.com)

354:日本@名無史さん
05/08/29 22:25:07
>>352
なぜトップ会談というウルトラCに賭けなければならなかったのか、
会談でどのような提案をするつもりだったか

355:日本@名無史さん
05/08/31 16:47:44
>>353
やっぱり財産税が大変だったから敷地の半分譲ったの?

356:日本@名無史さん
05/09/05 04:30:28
>>354
天皇の勅令というこれまたウルトラCへの布石にはトップ会談が一番だと思ったんでしょう。
大本営政府連絡会議で承認されたものではアメリカが呑まないしまたのその逆もしかりだから
一度ハワイに逃げて勝手に交渉結んで勅令によって反対意見はいっきに封殺。
勅令とあれば東條は言うこと聞くだろうし、あの時の軍部の上層部は二・二六鎮圧のゴールデンメンバーだから
クーデターもなんとかできたでしょう。
まぁハルやルーズベルトがああだった以上どうやっても無理なんだけどね。

グルー
『近衛を先頭にし陸海軍の有力なひとびとをもふくんだ和平派は、天皇を介入させるという
未曾有の且つきわめて冒険的な方策-日本の降伏実現のため四年後に用いられて完全に成功した方策-に訴える覚悟であった』

357:日本@名無史さん
05/09/05 11:40:13
福田和也は近衛の戦中の和平工作、近衛上奏を含めてあの点数をつけたんだろうか

358:日本@名無史さん
05/09/05 12:23:25
>>357
あれは総理時代のことだけなんでしょう。
西園寺も総理時代何もしていないと書いて点数低くしてあるし、
高橋是清も財政では偉くても総理としてはたいして偉くないとか書いていた。

でも総理時代だけみても近衛の点と東條の点は変だと思うな。
おまけに細川は武家なのになぜか公家総理とか書いているし。
巻末対談での中西の西園寺評もおかしい。
鳥羽伏見の戦いで公家がみんな洞ヶ峠の時に
このままでは天下の大事が去ってしまうと発言に岩倉を大喜びさせた西園寺に対して
西園寺家は武家伝奏だったから岩倉みたいな勤皇の士とは違うとかなんとか・・・。
そして誰も間違いを正さない。

福田はポピュリストポピュリスト言っていたがむしろ福田自身がとんでもない文壇ポピュリストだね。

359:日本@名無史さん
05/09/05 12:47:40
近衛は戦前は過大評価、戦後は過小評価過ぎる気がする
よって近衛の評価は過大と過少の中間にあるのではないか

360:日本@名無史さん
05/09/05 17:03:18
>>356
外交交渉に期限を付ける決議しといて、
そんないいところだけ、しかも何も実現してない、観るのはいかがなものか?

361:日本@名無史さん
05/09/05 17:07:02
南仏進駐してしまったのにアメリカとの交渉に期待を見出すところに
近衛の限界を感じる

362:日本@名無史さん
05/09/05 18:19:02
マルセイユの日本軍か。素敵だね。

363:日本@名無史さん
05/09/05 18:36:14
>>356
やはり、そういうつもりがあるのなら、
それまでにちゃんと下地を固めておかなければ。
南京と対話したり。

364:日本@名無史さん
05/09/05 20:32:16
あの時代の「決定」は今の感覚で考えるとダメだよ

365:日本@名無史さん
05/09/05 23:08:19
高橋是清みたいに殺されてないし、翼賛会だし、
当時の基準で考えても駄目でしょう。

ただ、憲兵にスパイされていたくらいだから、
軍部によく思われていなかったのは確か。

本当に弱い人…

366:日本@名無史さん
05/09/05 23:13:12
親父の剛毅さの10分の1でもあればね。
篤麿は、日露戦争を前に腹を切る手術をしたとき、
麻酔で昏睡して国家機密をもらしてはいかんからと、
麻酔を使わず、お気に入りの相撲取りに体を抑えさせて
手術を受けたと、娘の夫の大山柏が書いてた。


367:日本@名無史さん
05/09/05 23:17:24
>>365
まったく趣旨がズレてるが・・・

368:日本@名無史さん
05/09/05 23:46:23
近衛は皇道派シンパだからね。
そりゃあ高橋是清みたいには殺されないよ。

369:日本@名無史さん
05/09/06 00:12:38
篤麿はロシアに対しては日露戦争推進派であり
中国に対してはシナ保全だったけど
もし西園寺並に生きたとしたら英米に対してはどういう政策を
とっただろうね

370:日本@名無史さん
05/09/06 01:22:58
『英米本位の平和主義を排す』にならないとも限らない…。
しかし、篤麿公が長生きしていたらというのは面白い。
「当今貴族社会の人材を数ふるもの、先づ(西園寺)候と近衛公とを挙げて近き未来に於ける総理大臣の両候補と為す。」
だから、西園寺が左を率い近衛が右を纏め政界に双璧を為せばあるいは国内の統率はうまく行ったかも知れない。
西園寺と近衛は顔見知りだしあまり暴力的な対立も無かっただろう。

371:日本@名無史さん
05/09/06 21:45:40
>>345
それってこれのこと?

<近衛日記 昭和19年6月22日>

  東久邇宮は余に次ぎの如く語った。
  「東條も今度は弱ったようだ。とてもやっていけない、と言って来たので私は、『今絶対に辞めてはいかん。
  内閣を改造してでも続けよ』と言ってやった。私は東條に最後まで責任をとらせるが良いと思う。
  悪くなったら東條が皆悪いのだ。すべての責任を東條におっかぶせるが良い。
  内閣が変わったら責任の帰趨がぼんやりし、最後は皇室に責任が来るおそれがある。
  だからあくまで東條にやらせるがよい…」 と。

372:日本@名無史さん
05/09/06 22:38:44
>>371
近衛じゃなくて東久邇宮が言ったってこと?

373:日本@名無史さん
05/09/07 00:55:39
>>372
俺の知る限り、近衛周辺で内閣改造云々って話はこれしか知らない。
ただ、東條に責任をかぶらせるというのは近衛が東久邇宮に提案したもので、
この東久邇宮の発言もその提案の上で出たものだと思う。
「東條を他のものに代えることによって戦争を好転させえるならば、もちろん別であるが、しかしそうでないのなら、
せっかく東條もヒットラーと共に世界の憎まれ者に成っているのだから、彼に全責任を負わしめる方がよいと思う。
米国は皇室の責任を云々するかもしれないが、しかし、彼らには皇室という観念は乏しいし、
その上東條に全責任を負わせれば、天皇の責任ということについての彼らの関心を幾分弱めることができるかもしれない。」(細川日記)
という主旨の発言を四月東久邇宮にしている。


しかし、後にはやはり東條はやめさせなければいけないと語ったようで、東久邇宮は
「近衛との話合いで、東條内閣は変えた方がよいと思ったので、その方法を色々考えてみた。」(東久邇宮日記)
と発言している。
七月になるとはっきり東條内閣打倒となる。
理由としては、木戸が考えを変えだしたこと、岡田が動き出したこと、
レイテ、サイパンときて敗戦必至となったのに陸海軍が大きな方針転換を行わないことがあったようで、
七月二日に木戸に意見書を出している。

374:日本@名無史さん
05/09/08 00:37:04
その辺りが馬鹿なんだよな。
東條のままなら変わるわけないじゃん。

375:日本@名無史さん
05/09/08 13:55:34
基本的には打倒東條だったけどね。
上のは、戦況が不利になったからといって東條を変えても良くならないし、
戦況を好転させるため首相を変えるなどすれば責任問題がどこへ行くかわからないという論で
戦争継続派の東條への不満を意識したものだろう。

昭和十八年八月、近衛と岡田の対談では東條への評価は一致するが打倒への決意はならなかった。
「東條内閣のやり方ではどうにもならんということは全然同じだが、
然しこの内閣がいかんからといって積極的にこれを倒す方法はない。
それは近衛さんにも案がないということだった。」岡田
そしてその後も二人は打倒の方針を持ち続けるが、
岡田は近衛中心の宮中や文官を先頭に、近衛は岡田中心で海軍を先頭にやろうと思っていたので、
そっちがやれ。いや、そっちがやれという情けない争いになる。
近衛のブレーン、陸軍中将酒井鎬次
「敗戦は必至であり、戦闘は無駄である。東條は駄目、陸軍政権も駄目、
時局を救うには海軍政権を作るほかに途はない。」
岡田、昭和十八年十月
「ずるいことでは近衛さんが一番ずるいんだよ。海軍を責任者にしようとするのは無理だよ。
重臣懇談会でも私が海軍を何とかして海軍に倒閣をやらせようという考えかもしれんがそれは出来ぬ。」
まぁ結局木戸の考えが変わらなければ難しかった。

この争いがどうなったかは不明だが、重臣会議で小磯が次期首相かという時に
近衛は小磯・米内連立内閣ということを言い出している。

376:日本@名無史さん
05/09/08 16:05:52
近衛は平時に総理を務めたら名宰相だったろうか?

377:日本@名無史さん
05/09/08 20:15:05
人材を見る眼さえあれば。

378:日本@名無史さん
05/09/08 22:26:39
>>376
まさか

379:日本@名無史さん
05/09/08 22:34:27
>>376
名宰相だったかもしれないが
結局は細川モリヒロだったかも


このどっちかだろうな


380:日本@名無史さん
05/09/09 16:37:15
この人は政治評論家がお似合い。責任のない立場で物知り顔で文句だけたれてインテリぶっている
のがちょうどよい。

381:日本@名無史さん
05/09/09 19:50:29
高踏的批評家というあだ名もあったな。

382:日本@名無史さん
05/09/09 22:11:17
>>379,380
頭は切れるが実際にやらせてみるとてんでダメってタイプだよね。

383:日本@名無史さん
05/09/09 22:23:54
>>379
細川さんは記者会見でなんかミラーを導入したり
サミットにマフラーを巻いて行ったり見た目ばっかり気にしていたイメージがあるなぁ

384:日本@名無史さん
05/09/09 23:30:57
文麿で気になるのは自分の子供への関心の薄さ。
文隆を心配してやっている言葉とかあったのだろうか。
娘の昭子に
文隆はアメリカへ留学させたがお前が男だったらソ連へ留学させる。
将来米ソが世界をわけるから、
両国から情報が仕入れられるようにして政治をやる。
と、いったそうだが、子供への愛情というものがちっとも感じられない発言だね。

385:日本@名無史さん
05/09/10 01:10:52
>>353 荻外荘には文麿公の次男が住んでいるのではないの?

386:日本@名無史さん
05/09/10 15:52:15
>>385
同じ建物を半分づつに分け、
一方は近衛通隆宅、一方は天理教宿舎になってる。

387:名無しさん@そうだ選挙に行こう
05/09/10 22:52:54
近衛さんて天理教信者??

388:名無しさん@そうだ選挙に行こう
05/09/11 18:15:23
>>385
天理教のは移築だよ、よく読め。

389:日本@名無史さん
05/09/12 21:09:06
吉田茂が近衛夫人を気遣って荻外荘の部屋を借りていたこともあったらしい。
近衛が自殺した部屋に寝泊りしていたので、近衛夫人あたりに気持ち悪くないかときかれると
「近衛の幽霊が出たって怖くない。」
と冗談を言ったそうだ。

390:日本@名無史さん
05/09/15 21:05:28
近衛家の血筋は優秀だよな
文麿(昭和史の主役、三度の組閣)
文隆(ゴルフの達人)
通隆(東大教授)
細川護煕(55年体制撃破、首相)

391:日本@名無史さん
05/09/16 00:50:43
>>390
sugeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee

392:日本@名無史さん
05/09/17 11:28:26
文麿長女昭子って島津忠秀との間に数人の子がいたらしいけど野口晴哉との間には子供はいたの?
また喪主は誰がやったの?

393:日本@名無史さん
05/09/17 11:28:59
でかパイ

394:日本@名無史さん
05/09/23 13:16:04
現在東京都内で個人の邸宅として最も敷地が大きいのは近衛家の荻外荘だろうか?

395:日本@名無史さん
05/09/23 14:23:15
URLリンク(www.buaiso.com)

396:日本@名無史さん
05/09/23 14:51:31
>>394
都内て…23区内にしないと話にならない。

397:日本@名無史さん
05/09/23 15:08:46
>>396
詳しく

398:日本@名無史さん
05/09/24 01:59:33
URLリンク(www.buaiso.com)

《悲劇の政治家の標本みたいにいわれている近衛文麿氏も、私には非常に印象の深い人である。
近代の政治家であの人ほど頭脳明晰だった人は少かったろう。しかしおしむらくは、公卿の特性として決断力にはかけていたように思う。
一面気の弱かった反面に、またとても常人には考えられない一種特有の図々しさというか、盲者蛇におじず的のところがあった。
例えば、終戦前に天皇と対談中に足を組むなんていう態度で話をした「臣下」は、他には一人もいなかったと聞いている。
おそらく今でも一人もいないのではないだろうか。また近衛内閣の時に、右翼の動向に腹をたてて当時泣く子もだまるほどの絶対貫禄の持主、
頭山満翁を呼びつけたという一幕も、あの時分に政治家で頭山翁を呼びつけるなんていうことは、はなれわざどころの騒ぎではなかった。
頭山翁との会談一回だけで、右翼の動きは一ペんにおさまったのは、御両人ともさすがであると、感心したことを今でもおぼえている。
そんな強気の反面、自分の子供にすら小言を言えなかったような弱気の面もあった。
この弱気さはほとんどだらしなさに通じるものであった。戦死した長男の文隆はとても可愛い奴であった反面、一種の不良性も充分に持ち合わせていた。
この長男に全然面と向って小言が言えなかった。文隆にこういってくれ、ああいってくれ、とよく御用命を仰せつかったものだ。
ある時、麹町永田町の私宅の二階で文隆をつかまえてどなりあげていた最中に、御自身二階にあがってきて、
私のあまりの剣幕に、「そんなにいわなくても文隆はわかるよ」と泣きをいれたので「これはもともと、あなたの指図でやっているのですよ」
と暴露したところ、ほうほうの体で階下に逃げさったような滑稽な場面もあった。》


(白洲次郎「吉田茂は泣いている」より)

399:日本@名無史さん
05/09/24 10:22:44
>>398
> しかしおしむらくは、公卿の特性として決断力にはかけていたように思う。

トップとしては一番大切なことの一つなんですが…

400:日本@名無史さん
05/09/24 11:27:10
高輪の高松宮邸はだいたい6000坪らしいけど
荻外荘はそれよりも大きいだろうか?

401:日本@名無史さん
05/09/24 13:02:35
近衛氏は、故吉田茂首相も言及したように、それ程批判をあびなきゃいけない人物か?
時局を誤ったのは確かだけど。


402:日本@名無史さん
05/09/24 13:12:38
日中戦争を早期解決できず泥沼化。そのうえ、三国同盟でドイツと結び、
仏印進駐までやったら、向こうから見て戦犯は免れまい。

まあ、日本国民から見ても戦争責任を追及したくなるよな。

403:日本@名無史さん
05/09/24 13:21:43
結局、この人は宮中に入って侍従長でもやるのが分相応だったかと。
内大臣でも、天皇にまちがった助言して国を誤るだろうしw

404:日本@名無史さん
05/09/24 13:23:24
>>401
しかし、決断力と責任感がない人間が、
明治維新以来の難局に三回も組閣して失敗しているもんなあ。
明治維新の前に遡ると関が原までない難局なんじゃないの?

ただ>>1によれば、渡部昇一は戦犯と言っているみたいだけれど、
決断力と責任感がないことは犯罪じゃないからね。

無能だ!って罵られているんだよね。
国のトップなんだからこれくらい当たり前では?

まあ選んだ奴も悪いが。

405:日本@名無史さん
05/09/24 13:24:22
東條氏や戦前のさばった右翼テロリストには怒りを感じるが、近衛氏には悲哀感が漂う。


406:日本@名無史さん
05/09/24 13:31:14
近衛文麿は無能だったと批判する気持ちはわかるが、渡辺の認識はや誤りの気がする。


407:日本@名無史さん
05/09/24 13:40:13
>>401
吉田は口が悪いからね。
でも彼が書いた『思い出す侭』とかには近衛の話がいっぱい出てきていて
本心から嫌っていたとは思えない。

408:日本@名無史さん
05/09/24 13:50:55
近衛は平時に首相を務めていたならばその識見、幅広い人脈、優れた政治手腕により
稀有な政治状況をつくりあげていただろう

409:日本@名無史さん
05/09/24 13:53:46
吉田氏が、近衛氏はそれ程悪くないと表現した。吉田氏は近衛公をかばっていた。
私のつたない書き込みが、吉田氏が近衛公に批判であるかのような誤解を与えたようだ。


410:日本@名無史さん
05/09/24 14:00:29
>>409
ああ…そうでしたか。勘違いして申し訳ない。
鳥居民の『日米開戦の謎』で
吉田がある人の「近衛公と慶喜公は似ていないか」との質問に対し
「慶喜公は立派な方で比較にならない」と答えたという話がのっていて
鳥居氏は吉田はこういう風に言わなくてもよかったのではないか、と書いていたので
これのことかと思ったよ。

411:日本@名無史さん
05/09/24 15:04:06
だって、慶喜は江戸幕府を滅亡に導いただけで、
日本全体にとってはよい内乱回避だったから。

近衛は、日本滅亡寸前の、皇国(wの歴史始まって以来の占領だからね。
状況は違えど、慶喜が出来たことが、近衛には出来なかった。
その結果責任を国のトップは負うべきだ。

ただし本人だけの責任じゃないし、
決断力と責任感がないことは犯罪じゃないからね。
関東軍の暴走、二・二六などのテロは明確な犯罪だけれど。

その上個人的にも知っているので、同情的なのだろう、吉田は。

412:日本@名無史さん
05/09/24 15:13:58
首相はさっさと一回で辞めて、西園寺みたいな上からの助言役に徹すればよかったのに。

413:日本@名無史さん
05/09/24 15:15:57
>>402
近衛はそれが自分の責任だという自覚が全くなかったと思う。

一度統帥権について天皇と腹を割った話をすべきだったと思うが、
「足を組む(>>398)」事はできても、それが出来ないのは、無能と言わざるを得ない。

しかも、後から天皇がもっと積極的にやって欲しかったなんて言う奴だよ。
その時に自分が動け!

これは頭はよいが責任感はない人間の特徴である。
結果が良い時は自分の手柄だと思う。ところが、失敗した時は、
自分の能力に自負が大きいので、他の人と協調して問題に当ることができない。

414:日本@名無史さん
05/09/24 16:30:17
この人を批判するのは当時の政治の水面下をよく知った上でないと恥かくよ
今と同じようなシステムで内閣が動いていたわけではないからね
少なくとも一般に言われているほど無能でもないし批判されるべきでもないと思うけどね

415:日本@名無史さん
05/09/24 16:46:53
誰も無能だ、なんて言ってない
ただやることなすことすべて裏目に出ただけだ

416:日本@名無史さん
05/09/24 18:48:39
>>414
近衛は無能。
家柄と親父の名声だけで首相になった。それだけ。

417:日本@名無史さん
05/09/24 19:13:03
近衛は無能じゃないよ
むしろ近代政治家の中じゃぴか一の頭脳の持ち主だと思う
ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ
そして時代にも恵まれなかった


418:日本@名無史さん
05/09/24 19:22:51
先生!
深く考えないで安易に決めていく人って、無能じゃないんですか?

419:日本@名無史さん
05/09/24 19:23:26
>>417
>ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ
それ、無能だろw

420:日本@名無史さん
05/09/24 19:24:06
かぶった・・・・・

421:日本@名無史さん
05/09/24 19:26:02
>>417
>ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ
(; ・`д・´)

422:日本@名無史さん
05/09/24 19:35:22
>>417
> ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ

orz

近衛も>>417も無能だと思う。




423:日本@名無史さん
05/09/24 19:46:43
ちょっと視点を変えて、
「首相時代の」近衛の褒められるところを、
・公になった言動
・水面下での動き
の双方について列挙してみませんか?
(ちなみに問題あるところを挙げるときりがないくらいありますよね…)

前者については、
・盧溝橋事件後の閣議で「不拡大方針」を確認
・その後の国会では「事件不拡大」と発言

後者については
・密使を使って中国(宋子文)と和平交渉

後は何がありますか?

首相時代に限らないなら、終戦工作が非常に大きいですよね。


424:日本@名無史さん
05/09/24 19:52:29
終戦工作って功績にはいるか?
結局は原爆落とされてあわててポツダム受諾したわけだし

425:日本@名無史さん
05/09/24 20:00:23
んだんだ

426:日本@名無史さん
05/09/24 21:02:19
>>424
受諾できる体制を整えていたし(東条の本土決戦準備のための畑首相就任論を退け鈴木貫太郎を推した)
高松宮とともにまだ降伏の条件を取り付けたがっていた軍部を抑え
国体以外は無条件でとっとと宣言を受諾するよう言っていたから
この辺は功績に入るだろう。

427:日本@名無史さん
05/09/24 21:43:25
>>417
> ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ

近衛は、東アジアに大英帝国のような大日本帝国を打ち立て、
その首長に君臨しようという野望があったのでは?
そして緩やかな侵攻、併合、傀儡政権擁立は容認する考えだったのでは?
そう考えると、首相時代の失策の全てに説明がつくと思います。

アメリカ、イギリスが東アジアの覇権を諦めて、日本の邪魔をしなければ、
朝鮮併合のように平和裏に(これは異論のある言い方でしょうけど)、
東アジアを統一して、各連邦国の近代化を成し遂げられると思っていたのでしょう。


428:日本@名無史さん
05/09/24 22:15:33
>>427
>その首長に君臨しようという野望があったのでは?
それ、天皇以上の存在だね

429:日本@名無史さん
05/09/24 22:46:24
>>426
>受諾できる体制を整えていたし
降伏の条件を取り付けたがっていた軍部を抑え




それは鈴木貫太郎翁の功績だ

430:日本@名無史さん
05/09/24 22:52:10
こっちに功績があればあっちにはないって問題じゃないから

431:日本@名無史さん
05/09/25 00:54:27
親父が偉すぎたんだよ。おまけに早死にしちゃったから
息子に過度の期待がかかった。

432:日本@名無史さん
05/09/25 06:41:46
>>428
そうですね。天皇は世襲だけれど、
血筋として遜色ない自分は選ばれて首相になった、
こういう自負が近衛にはあったんじゃないですかね。

> 息子に過度の期待がかかった。

当時の新聞見ると颯爽たる登場って感じですね。
批判的な言論も少なからずあったようですが。



433:日本@名無史さん
05/09/25 13:40:09
戦前、昭和天皇と対面で話すとき、椅子に深く腰掛けたのは近衛だけって話もあるね。

434:日本@名無史さん
05/09/25 17:47:19
近衛は天皇を除いたら自分が一番偉いと思っていたわけだから、
シナ事変の声名にしろ、三国同盟締結にしろ、国家総動員法にしろ、
天皇の次に偉い自分がいざ本気をだして動けばいくらでもひっくりかえせると思ってたんだろうね
だからよく考えず次々と決めていったんだろうね

435:日本@名無史さん
05/09/25 18:51:42
>>423
総理の時のいいところを挙げよと改めて言われてもなかなか思いつかないね…

436:日本@名無史さん
05/09/25 19:15:08
>>423の他は、
・軍部と内閣の情報流通のために大本営内閣連絡会議を設置 (第一次; 機能せず)
・大政翼賛会発会式での演説による会の死児出産 (第二次; もともと近衛新党)
・ルーズヴェルト大統領との頂上会談工作 (第三次; 時遅し)

くらいかなあ。いいところ全然ないなあ。

>>417>>427
幣原によれば、近衛は仏印進駐が戦争を招くとは思っていなかったんでしょう?
感覚が麻痺しているね。やはり東アジアへの覇権願望があり、
欧州は今大変だし、この程度なら問題ないだろうと漠然と思っていたはず。

437:>>435-436
05/09/25 19:16:08
駄目だわ、近衛まさに無能だわ。


438:日本@名無史さん
05/09/25 19:20:51
>>436
>欧州は今大変だし、この程度なら問題ないだろうと



問題ではないと思っていたところに近衛の限界を感じる

439:日本@名無史さん
05/09/25 19:32:11
>>438
そうだね
そこに限界感じるね


この人何か重要な局面になると自分の思想というか常識というか自分の範囲内だけで
決めてる気がする
これはやっぱりお偉さんの特徴だと思うけど
現実性が全くないんだよ

440:日本@名無史さん
05/09/25 20:13:26
>>436
> 幣原によれば、

これでしょ。

(幣原喜重郎「外交五十年」p203-204)

 近衛公は私に向かって、「いよいよ仏印の南部に兵を送ることにしました」
と告げた。私は、「船はもう出帆したんですか」と訊くと、「エエ、一昨日出
帆しました」という。
「それではまだ向こうに着いていませんね。この際船を途中台湾か何処かに引
戻して、そこで待機させるということは、出来ませんか」
「すでに御前会議で論議を尽くして決定したのですから、今さらその決定を翻
すことは、私の力ではできません」との答えであった。
「そうですか。それならば私はあなたに断言します。これは大きな戦争になり
ます」と私がいうと、公は、
「そんな事になりますか」と、目を白黒させる。私は、
「きっと戦争になります。それだから出来るならば途中から引き返させて、台
湾か何処かの港に留めておきワシントンの日米交渉を継続して、真剣に平和的
解決に全力を挙げられたいものです。しかしもう日本軍がサイゴンか何処かに
上陸したならば、アメリカと交渉しても無益ですから、それはお止めになった
らよいでしょう。交渉を進行する意味はありません」というと、公は非常に驚
いて、
(続く)


441:日本@名無史さん
05/09/25 20:14:09
「それはどうしてでしょうか。いろいろ軍部とも意見を戦わし、しばらく駐兵
するというだけで、戦争ではない。こちらから働きかけることをしないという
ことで、漸く軍部を納得せしめ、話を纏めることができたのです。それはいけ
ませんか」というから、
「それは絶対にできません。見ていて御覧なさい。一たび兵隊が仏印に行けば、
次には蘭領印度(今のインドネシア)へ進入することになります。英領マレー
にも侵入することになります。そうすれば問題は非常に広くなって、もう手が
引けなくなります。私はそう感ずる。もし私に御相談になるということならば、
絶対にお止めする外ありません」
 ジッと聞いていた近衛公は顔面やや蒼白となり、「何か外に方法がないでしょ
うか」という。「それ以外に方法はありません。この際思い切って、もう一度
勅許を得て兵を引き返す外に方法はありません。それはあなたの面子にかかわ
るか、軍隊の面子にかかわるか知らんが、もう面子だけの問題じゃありません」
と、私は断言したのであった。

URLリンク(www.geocities.jp)

近衛って馬鹿じゃないの?

442:日本@名無史さん
05/09/25 20:56:29
>>423
どこが褒められる事なの?
日本は対ソの軍備整備で忙しいし、誰も戦争しようなんて思ってないんだから
不拡大なのは当たり前。
拡大したかったのは中国側だろ。

443:日本@名無史さん
05/09/25 21:10:04
>>442
たいして褒められることじゃないけれど、

> 日本は対ソの軍備整備で忙しいし、誰も戦争しようなんて思ってないんだから
> 不拡大なのは当たり前。
> 拡大したかったのは中国側だろ。

何にも知らないのね。
その後どういう予算措置が行われたか。
「北支事変」を何という名前に呼称変更したか。


444:日本@名無史さん
05/09/25 21:10:16
ここ数十レスで何度も書いてる人華族スレで顰蹙かってた人と同じ?

445:世界@名無史さん
05/09/25 21:12:52
晒しage
494 :日本@名無史さん :2005/09/24(土) 22:03:18
>>488が正しいこと言ってるのに、その後で相変わらずの馬鹿カキコしてる>>490>>493は低脳だな。

446:日本@名無史さん
05/09/25 21:15:20
>>443
おまえさん、どうしてそんな書き方しかできんのかね?

447:日本@名無史さん
05/09/25 22:00:07
443が痛いところ突いたから、暴れちゃったじゃないか…

448:日本@名無史さん
05/09/27 20:17:48 0
近衛忠大さんの結婚相手って旧久邇宮の方なの?

449:日本@名無史さん
05/09/27 20:21:15 O
二代続けて宮家?

450:436
05/09/28 08:27:44
誰か他にもいいところ挙げろよ。

451:436
05/09/28 08:34:48
>>442,444-446
ウザッ!


452:日本@名無史さん
05/09/28 22:18:38
>>423
> ・盧溝橋事件後の閣議で「不拡大方針」を確認
> ・その後の国会では「事件不拡大」と発言

どうだかなー。
その後がひどいからなー。 > 中国のせい発言、予算増強、和平反対、相手せず発言

どういうつもりで言ったのかよく分からない。
誰か説明してよ。

453:日本@名無史さん
05/09/28 23:28:23
個人の気まぐれのみで声明を出すわけではないということ

454:日本@名無史さん
05/09/30 12:12:32
東亞新秩序声明で完全に米英を敵にまわしてしまったのが一番でかい。
むこうはあれを米英排除とアジア制覇宣言と解釈して、経済制裁と援蒋を開始する。

455:日本@名無史さん
05/09/30 16:43:12
「英米本位の平和主義を排す」もあるしなあ。

>>453
「不拡大」の方が近衛の本意じゃなかったと思われ

456:日本@名無史さん
05/09/30 19:08:11
不拡大が本位でつよ

457:日本@名無史さん
05/10/01 03:01:24
1972年に出た岡義武の『近衛文麿』、現在では無視されがちな部分も書かれており、
読んだ俺は近衛に擁護的だと思ったが、当時これを読んだ人の意見は違ったようだ。
リベラルよりの学生だった人はこの本は近衛を告発、批判したものとうけとり、
戦前近衛と近かった人は当時の近衛観と今の近衛観は全然違うのだ、という風に語っていた。
つまり、岡の本が出る前の時期は近衛はそんなに悪いと思われていなかったわけだ。
しかし今ではその岡の本よりさらに近衛に批判的な意見はざらにあるわけで、
岡以前、近衛の評価は相当良く、今はかなり悪いということになる。
おもしろいもんだね。

458:日本@名無史さん
05/10/01 09:27:29
朝日新聞に書いた近衛の手記、皇族であることの影響が強かったんじゃないか?
軍部への反感からの近衛への相対的な好意感情もあっただろうし。

幣原その他が書き残した生の発言を読むと、
軍部に押し切られただけではないもんね。近衛が推進した部分も多い。

459:日本@名無史さん
05/10/01 12:01:01
>>457
漏れも岡本読んだとき物凄く擁護してると思ったよ
でもそんな背景があったのか・・

460:日本@名無史さん
05/10/01 14:15:30
あったあった。

>●―東大では。
>平松 岡義武さんのゼミで、岡さんの家には何回も行って。あの人の『政治史』は、今でも時々読みます。
>引用もおもしろい。小説的だしね。
>最近岡さんの、『ロンドン日記』もおもしろい。奥さんにあてた手紙も全部書いてあってね。
>戦後では、『近衛文麿』。この本で近衛さんを辛辣に批判している。
>岡さんは客観的立場に立ち自己抑制のきいた人ですが、
>近衛さんのために日本は間違ったんだということですね。

岡は1939年に東大教授になっていたから丁度近衛と同じ時代を生きたわけだ。
近衛と多少の親交があった矢部貞治とは違い、岡はさめた眼で見ていたんだろう。
しかし、近衛と同時代を生き批判的だった人が自己抑制し客観的に書いた本が
あの『近衛文麿』であるなら、やはり今現在近衛は悪くいわれすぎではないかと思う。

461:日本@名無史さん
05/10/01 16:02:04
近衛は政治家になるべきじゃなかった
宮内大臣とか侍従長、もしくは高等政治批評家、歴史家になるべきだった

462:日本@名無史さん
05/10/04 14:41:17
細川護貞氏死去。享年93歳。

463:日本@名無史さん
05/10/04 19:15:13
>>455
「英米本位の平和主義を排す」ばかり注目されるが、
「新日本の姿を示せ」というものもある。
ここでは
アメリカは満州国だけなら認めるだろうが、中国本土に手を出さないか心配しているので、
日本としては中国本土に手を出すべきではない、手を出せばアメリカとの関係が悪化し満州国も駄目になってしまう
ということを言っている。

464:日本@名無史さん
05/10/04 22:58:48
じゃあ、さっさと和平すれば良かったのにな。
現地で勝手にやるなっていうだけじゃなくて、
出来るだけ有利な条件を得ようとしているもんな。
本人の言葉として証言が残っちゃってるもんな。

465:日本@名無史さん
05/10/04 23:09:24
>>464
そんな簡単にできるものなら誰も苦労せんわ

466:日本@名無史さん
05/10/05 12:00:24
近衛は戦争回避したいのか、
自分が主導権握りたいだけなのか、
日中戦争の辺りははっきりしないな。
やっかみもあったと思うが、宇垣が「時局の波に乗るのが巧み」と揶揄したのも分かる。

終戦の事は分かりやすいんだけれど。

467:日本@名無史さん
05/10/05 19:47:06
「新日本の姿を示せ」は昭和九年だが、
翌年には現地軍が華北五省分治案にもとづいて本土に手を出そうとしはじめた。
岡村寧次は華北五省分治案をやめておけば中国との戦争はせずにすんだとしている。
もっとも昭和十二年には分治策を放棄した第三次北支処理要綱ができるが
これには現地軍からの反対が強かった。

468:日本@名無史さん
05/10/06 09:21:58
昭和に入る前に統帥権の問題について危惧を表明したいたはず。
とはいえ憲法改正なくして、首相になったのだから、
統帥権問題を回避するため、天皇と連携して軍をコントロールしようとしたかというと… orz

469:日本@名無史さん
05/10/06 22:36:28
必要な件に関して統帥事項であっても予め内閣に知らせてもらえないかと上奏
天皇は総理と外相にのみ必要な事項を伝える旨を了承
但し、天皇に質問等はできず

470:日本@名無史さん
05/10/08 14:38:17
一応、コントロールの為に大本営設営と首相の参加をやろうとしたが、日清の先例があるのに拒否され、
連絡会議が開かれるにとどまった。

471:日本@名無史さん
05/10/08 16:22:13
まぁ、近衛がもし首相にならなかったとしても
誰かが同じことしたんだろうな
まさにあの時代の流れの運命だったんだろうな

472:日本@名無史さん
05/10/09 05:13:33
近衛は北支派遣決定の閣議では無言だったそうだが…


473:日本@名無史さん
05/10/09 19:33:23
>>472
その時以外にも閣議その他でほとんど発言していなかったみたい。
もっとも、これは大日本帝国では普通のことだったようだが。
東条も開戦前の連絡会議ではほとんど喋ってない。

474:日本@名無史さん
05/10/09 20:21:58
「この人の浅はかさと『ええかっこしい』で日本はしなくてもよい戦争をしてしまった」





というレスをどこかで見たことがある

475:日本@名無史さん
05/10/11 20:47:45
それ、近年かなり一般的になってる評価じゃない?
近衛への評価の変遷ってのも面白いね。
通史でも最近のシリーズでは近衛への評価は概して低いと思う。

476:日本@名無史さん
05/10/11 22:06:48
昔:聡明だが意志が弱い
今:ただの馬鹿

という感じだな。
まぁ、ここら辺は旧軍をどう扱うかと言うイデオロギーにモロに関わる部分だからね。

477:日本@名無史さん
05/10/15 03:13:14
護貞侯が情報局総裁の伊藤述史氏のメモを出したいと言ってたがあれは結局どうなったんだろう?

478:日本@名無史さん
05/10/15 16:27:55
昭和天皇が吉田茂に話したとされる
「東條は実直な人間である。〇×はいかさまである」の〇×って誰?
東條と並べることができるのは近衛と石原くらいなんだけど。

479:日本@名無史さん
05/10/15 19:11:19
>>476
いわゆる「試験秀才」への風当たりが強まってるのと関係あるのかもね。


480:日本@名無史さん
05/10/15 19:16:58
詳しく

481:日本@名無史さん
05/10/15 22:21:44
>>478
何に載ってる??

482:日本@名無史さん
05/10/16 00:57:27
近衛がやたらカコイイでむぱ腐女子サイト。
URLリンク(www.geocities.jp)
このページの近衛の発言に注目。
有価、こんなこと言うかゴルアー!
これだからブヨサヨ女は

483:日本@名無史さん
05/10/18 04:20:30
>>481
忘れた。
たしかちくまの文庫になった吉田の本。

484:日本@名無史さん
05/10/18 13:35:22
吉田茂の本ってほとんど中公じゃない?
もしかして吉田健一?

485:日本@名無史さん
05/10/18 15:40:14
そう言われてみると
保阪正康「吉田茂という逆説」
URLリンク(www.amazon.co.jp)
だったかも。

いずれにせよ本棚に見つからなくて確認できん。

486:日本@名無史さん
05/10/18 15:43:44
近衛文麿ッてかッこいいの?


487:日本@名無史さん
05/10/18 16:31:03
かっこいい方だと思う

488:日本@名無史さん
05/10/19 12:05:07
顔はね。生き方は…水曜どうでしょう。

489:日本@名無史さん
05/10/21 00:32:34
一高受かってるから頭いいんだね

490:日本@名無史さん
05/10/21 00:49:16
山本有三が学習院中等科→高等科→京都帝国大学と無試験で行けるのに
わざわざ公爵で一高に行ったのは近衛ぐらい、と書いていた。
成績は(一高は席順で成績がわかる)中くらいだったそうだ。

491:日本@名無史さん
05/10/21 19:29:00
日本最高の家柄に生まれ、血統のカリスマであり深窓の御曹司、人もうらやむ体躯・容貌、頭脳の明晰さ、偉大な父・・・

この人は本当にすべてを兼ね備えて生まれてきたんだな



492:日本@名無史さん
05/10/22 11:54:02
全部チャラになったけどなw

493:日本@名無史さん
05/10/22 16:54:42
>>491
やばいほど恵まれすぎているな

494:日本@名無史さん
05/10/22 22:43:58
運動神経も良く、学習院中等科では陸上のエースだった。
その噂は一高の陸上部でも有名だったので、彼らは熱心に勧誘したが、
近衛を見込んで彼の教育役を買って出ていた山川健次郎が反対した。
(男爵。東京、京都、九州三帝国大学の総長。日本初の理学博士で、
多くの科学者の教育にあたり日本物理学界の基礎を築いた。
後に東郷平八郎と共に平沼騏一郎の国本社副会長となる。)
一高陸上部も引き下がらずに彼のもとへ赴いて説得を試みたが、
何せ山川は大正デモクラシーを腐敗と言い切る人なので、
「摂関家筆頭の家に生まれたお方を馬のように走らせるとは何事か!!」
と部員らを叱責したため近衛の入部は無しになった。
一高の同期は芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、山本有三、土屋文明。

495:日本@名無史さん
05/11/09 15:16:32
この人の子孫が細川首相だよね

496:日本@名無史さん
05/11/09 17:14:01
司法試験はどうなったの?

497:日本@名無史さん
05/11/09 17:22:51
ヤバくなるとすぐ逃げる。恥摂家

498:日本@名無史さん
05/11/09 19:30:33
>>497
それは口にしてはいかん!!消される

499:日本@名無史さん
05/11/09 21:19:25
近衛は政治家としてはいろいろと問題のある奴だったんだろうけど
普通に付き合ったらきっといい奴だったんだろうなぁ

500:日本@名無史さん
05/11/09 23:31:23
>>499
いい奴なのに友達が全然いないのか?

501:日本@名無史さん
05/11/09 23:53:45
名門の家柄に遠慮して誰も近づかなかっただけじゃね?

502:日本@名無史さん
05/11/10 01:21:05
>>500
学生時代は友達と一緒に西園寺邸に入り浸ってたらしいよ。
まあ、その友達ってのが原田熊雄と木戸幸一なんだが…。

503:日本@名無史さん
05/11/10 02:19:28
メンピンのフーミン

504:日本@名無史さん
05/11/10 02:22:46
その三人の共通点は「友達がいない」こと。


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