05/06/05 01:46:48
>>404
ははあ、それ元ネタは『台湾紀行』でしょ。金沢の事も出てるよ。
…十二、三世紀ごろからこの地を私的に灌漑構造を造って開発する者が増え
十四世紀の室町時代ごろには、それらが無数の開墾地主になって、私的に武装した(中略)
十六世紀になると、かれらは結束し、幕府の正規の加賀の守護である富樫氏を逐い出し
合議制で加賀一国を運営するまでになった。
当時の記録ではこの状態を「加賀は百姓の持たる国」といい、また一揆と呼んだ
明快な意味での共和制だった。
加賀一揆は共通の思想として浄土真宗を選び(中略)結束の核とした