07/01/23 21:21:58
>>370 鳩山一郎半殺し関連
朝鮮人二千人の首相官邸乱入事件
承前。「三国人」という言葉の歴史的事実と時代の背景を検証しておきたい。この言葉は、使われはじめた
ころのニュアンスとしては、軽蔑(べつ)や嘲(ちよう)笑でなく、畏怖や敬遠に近い。むしろ恐怖の対象であった
▼「三国人」は敗戦後の一時期、日本に居住していた朝鮮半島や台湾出身者をさす俗称で、約九十万人の
朝鮮人と約四万人の中国人をいう。二十年十一月三日、占領軍総司令部はこの人たちを「解放国民」と
指定した。それは「治外法権」と同義語だった▼解放国民は肩で風を切る勢いで街を行く特権階級だったの
である。東京焼け跡ヤミ市を記録する会編『東京闇市興亡史』(草風社、昭和五十五年)によると「彼らは
民族的団結心を結集しつつ、都有地や公有地を占拠し“解放区”を形成した」▼どぶろく、カストリ、ばくだん
などの密造酒を造り、進駐軍物資の闇市を設けたが警察も全く歯が立たず、ヤクザやテキヤを結集して
対抗させた。「警視庁年表」をひらこう。二十一年一月、朝鮮人二十人が富坂署を襲撃し、留置中の朝鮮人
を奪還した。同年七月、台湾人百五十人が渋谷署を襲い、巡査部長が殉職した▼同じ年の十二月には
朝鮮人二千人の首相官邸乱入事件というのも記録されている。だからといって、外国人だけが悪かったので
はないのはもちろんである。社会全体が混乱と騒擾(そうじよう)のただなかにあった。それは敗戦日本の
責任なのだった▼重ねて書くが「三国人」という言葉は現代では“死語”であって、使うべきではない。しかし
それが生まれた時代の背景には、そんな昭和史の一ページがあったことは忘れたくない。関東大震災など
を引き合いに出すのは筋が違うのである。
―「産經抄」、産經新聞4月15日付朝刊。