07/05/13 06:09:37
最後の2行はちょっと酷、でした。申し訳ありません。
あなたの論議を封じてしまう誤解を与えますね。そうではないのです。
ただ、田沼の細部を引き合いに出しても、先見性とは無関係であることを理解してください。
ずっと前に、こんなことを書きました。
「田沼意次の卓越した見識がもっと通れば、江戸時代後半の様相はかなり変わったかも知れません」
と。>>480
私は、田沼意次の政策から「卓越した見識」があったと認めてはいるのです。
それと、吉宗の政策は、田沼意次にも、松平定信にも受け継がれた、これも認めました。
これは吉宗に、多少の先見性があった(現代にまでは至りませんが)ことも認めています。
このことから、田沼意次が「先見性」を「持ち得る」ための条件を考えてください。
そうすれば分かるはずです。
それは、田沼意次は、決して潰されてはならなかった、ということです。
>田沼意次の卓越した見識がもっと通れば、江戸時代後半の様相はかなり変わったかも知れません
これは「仮定」であって、実際は見識は通らなかったのです。
それには、いろいろな要因があります。私一人が言ってしまうと面白くないので、考えるなら、それを考えてみてはどうでしょう。
どうすれば見識は通ったのか(どうだから通らなかったのか)。
どうすれば潰されなかったのか(どうだから潰されたのか)。