07/05/06 10:19:20
いろいろなご意見参考になります。
>>738の疑問は、意次自身が拠って立つ封建制を自ら否定するような極端な考えは
彼にはなかったのでは?という文意だと思うのですが、
私も、意次の政治には、吉宗の改革を補完しようとする思想が根っ子にあるように思います。
印旛沼開拓はもちろんですが、直接税一辺倒では限界と享保の改革から学んで、「株札」という
間接税の発想を取り入れたのでしょうし、
南鐐二朱銀にしても吉宗の元文改鋳とのつながりで、その意義を評価すべきでしょう。
話題の貸金会所も、当時の政争がらみで歪められたり、のちの田沼再評価の中で「革命的」に捉えられすぎたり
している気がします。
いずれにしても、意次が定信のように自己弁明の著述を残していないのが残念です。