田沼意次について語るスレat HISTORY
田沼意次について語るスレ - 暇つぶし2ch650:☆ ◆G8Jw4.nqFk
07/05/01 23:56:57
民部卿治済が暗殺したとか田沼を抱き込んだとかそういう新説をもちこむほうがおかしいんだよ

651:日本@名無史さん
07/05/02 00:11:35
新説でもなんでもない。
むしろ手垢のついた話題。
だが否定も肯定もする確証がないから、いつも湧いて出てくる。

652:日本@名無史さん
07/05/02 00:16:53
つまりウジ虫と同じというわけだな

653:日本@名無史さん
07/05/02 00:32:38
このスレそろそろ終わりでOK?
>>652のような蛆虫を虫干しする必要があるかも。

654:日本@名無史さん
07/05/02 00:44:45
なんか、平和ボケした現代日本人の典型を見る思い。
開発独裁といわれる発展途上国はもちろん、
先進国の中でも、暗殺や秘密工作を行なう機関はない方が稀。
暗殺説を現代人の幻想とする方がおかしいだろう。
昔は、死因は謎のままになりやすいし、捜査能力は劣るし、科研なんてないしな。



655:日本@名無史さん
07/05/02 02:01:43
当時の江戸は現在以上に平和ボケな世界だと思うんだが

656:日本@名無史さん
07/05/02 02:08:53
>>654
暗殺・陰謀なんて所詮B級。
推論から始まった結論なんてクズですよw

657:日本@名無史さん
07/05/02 02:16:10
>>656
想像力・創造性ゼロ人間で確定w

推論から論証すれば良い。だから論証(反証でも当然可)にかかるのかと思えば、ウジ虫だ、クズだ・・・
シロートは来ても良いと思うが、話も通じないと書いても読んでも意味がない。何の為に書いてるの?

暗殺、陰謀を否定するのは良いと思う。ただ、何故否定できるのかが問題。
逆に知りたいところなんだが。

658:日本@名無史さん
07/05/02 03:08:36
暗殺や陰謀が見当たらないのが現実なんだから暗殺や陰謀を裏付ける証拠を説明する義務はそっちにあるんだよ。
いまのところ暗殺だの陰謀を裏付けるものがないからそこを準拠点とせざるを得ないと考えるところ、すでに陰謀や暗殺があったことを前提に話をぐちゃぐちゃに広げるからおかしくなる。
想像力とはいわず、妄想という。
それを想像力がないだのなんだのと噛みつかれても困るね。まさにクズ野郎、犬畜生以下の外道、デマ、天性のペテン師

659:日本@名無史さん
07/05/02 04:34:28
陰謀論=デンパ

660:日本@名無史さん
07/05/02 06:17:19
想像力=妄想力
創造性=捏造性

661:日本@名無史さん
07/05/02 10:46:57
では家基さんは、不幸にも死んでしまいました。
治済さんは、とても人の良い人物で、それを心配し、息子の豊千代丸ちゃんを将軍家に差し出しました。
それまで、タヌキさんが政治を仕切っていたのですが、疲れたでしょう、もう良いよって肩を叩いて降りて貰い、キツネさんを変わりに連れてきて老中をやって貰う事になりました。
豊千代丸ちゃんは家斉さんになり、お父さんはキツネさんと一緒にまつりごとを始めました。
で、家斉さんが成長したところで、治済さんはキツネさんに、もう疲れたでしょう。お稲荷さんをあげるから、もう降りてね、家斉さんは自分でやっていくから、と言いました。
キツネさんは、その後、本を書いて暮らしました、とさ。


662:日本@名無史さん
07/05/02 20:48:22
ウゲーッのひとことか

663:日本@名無史さん
07/05/02 23:00:10
4月の下旬からユニットバスの排水溝が詰まっていて一面水浸しになって水がひかず、
バケツで汲んで外まで往復を10回ぐらいしていたんですが、今日、意を決して
針金で排水溝をいじったら無事詰まりが治りました。本当にありがとうございました。

664:656
07/05/03 00:31:44
>>657
勝手に想像するのは結構だが、それは学問じゃねーよwww
小説家目指してがんばってくださいwww

陰謀があったって言ってるほうがその証拠を挙げるのは常識だろ・・・。
そんなことも知らないで学問板にいんの?www

シロートは来ても良いとは思うが、議論・学問の基本を知らないと意味がない。何の為に書いてるの?

665:日本@名無史さん
07/05/03 01:15:21
>>664
それは「知りたいから」だろう。
学問は、知る人と知らない人がいて成立するもの。
みんな知っていても成立しないし、みんな知らなくても成立しない。
「探求」なら、後者でも成立するだろうが。
また「知っている」でもいろいろなレベルがある。だから意見交換には意味がある。
最初から完全解しか書けない、のなら、それは陳列会で、その目的は「自己満足」だろうな。

頼むから、シロートでも分かるような事を、改めて聞くなよ。
野暮。

666:656
07/05/03 01:58:01
>>665
のってくんなよwww
てか最後のはあんたの言葉借りただけなんだけどそこだけにのるの?www
とりあえず>>658さんや>>664について意見をどうぞ?www

大体本当に知りたいなら妄想から始まる電波を肯定すんなよ・・・。
なんで研究者が暗殺説採らないか分かる?
真実を知りたくて史料に当たると暗殺を裏付けられないんだよ。
裏づけのない想像=妄想を肯定しながら知りたいとか探求とか言うなよw

頼むから、シロートはシロートらしくロムってろ。
野暮なんてガキが使わない言葉使うくらいだから大人だろ?
恥さらしてるから控えろ。な?


667:日本@名無史さん
07/05/03 03:00:29
暗殺や謀略を裏付けるのは確かに難しいです。
何せ、同時代に人にも知られないようにしている訳ですから。

噂には上りますがね。
現代でも、謀略をこれ見よがしにしていては、謀略ではないでしょう。

ただし、政略で、同時代の人にも明らかに判る場合はあります。
現代で言えば、小泉首相が郵政解散でチルドレンを輩出して選挙で大勝した、とか。
江戸時代は、民主主義ではありませんから、一般庶民には伝わらなくても、そういうケースは政治に関わるような関係者には伝わるでしょうね。
ですから、一橋治済みたいなのが政略を巡らした、くらいは伝わってくるのでしょう。


668:日本@名無史さん
07/05/03 03:54:01
だから一橋民部卿治済が陰謀家だったということが何ですぐに大納言家基や将軍家治暗殺(疑惑)に結びつけるわけ?
挙げ句はそこからさらに想像を膨らませて田沼が一枚かんでいたとか引きずり込まれたとか弱みを握られていたとか…さらに酷いのは田沼一族が闇の仕事だの影の種族だの後生のソ連書記長まで引用するしまつ。
どんどんどんどん妄想を前提に独りよがりな自説を拡大してゆく。
そりゃ治済の一挙手一投足に疑念を向ければキリがないわけで、前レスにもあるようにそれがしたいならば小説家を目指せばいいわけで日本史を討議するところにあんたはふさわしくないんだよ
ねえ君。情報システムのエンジニアだかなんだかしらないけど仮説に仮説を無限に広げるのは日本史じゃなくて小説の世界なんだよ

669:日本@名無史さん
07/05/03 04:13:24
妄想をあれこれ垂れ流し的に語るだけで、ではその事実関係に触れ得る内容を
説明しろといわれると全く説明できない。これもってしても妄想家であることはもはやハッキリした。

だいたい家基を殺傷しても清水宮内卿重好、一橋民部卿治済、御三家と、
優劣は別として将軍後継候補足りうる(まさにそのためにその家々は創設されている)
人々がいるわけで、一橋が暗殺の首謀者だとしても豊千代が将軍になれる確証はあるの?
暗殺暗殺というんだからあんたのほうから説明しなよ。
それら他の候補者をどうやって克服していったの?

それから繰り返しになるが、田沼意次にとっては、家治の次を傍系から養子
を迎えるというのは余りにもリスクが高い。過去の酒井忠清、柳沢吉保、間部詮房ら
がたどった末路を見てもわかる。
むしろ家治→家基と、つつがなく将軍職が継がれるほうが家基時代も、近代を見据えた
諸改革が行えると考えていたことであろう。
傍系養子は総じて先代の権臣失脚を伴う傾向が強い。
そういう客観的現象をすっ飛ばして、弱みだの闇の仕事を請け負っただの
なんら説得力のない妄想を展開するのは日本史板百年の大計を危うくする事は必定。



670:日本@名無史さん
07/05/03 04:38:05
>>668 >>669
エンジニアではなく、コンサルタントです。
書いてることも理解できないようなら、史料から得られるものですら、怪しそうですね。
仮説段階で考えることも「想像を絶する」のでしょうな。

小説がそうなのは、ストーリーにする為、論証が済んでないところも埋める必要が出てくる為。
「小説の世界」とか「史学の世界」とか、やたら世界を分けたがるようだが。

それから、俺は「断定」はしていない。
断定をしていないのを断定しているように言ったり、「妄想家であることはもはやハッキリした」なんて「断定」している方が「妄想」だと思われ。

あまっさえ、
>なんら説得力のない妄想を展開するのは日本史板百年の大計を危うくする事は必定。
とは。

「日本史板百年の大計」とは、その程度で危うくなるシロモノなのか?
「必定」という断定つきだが。
もっと自信を持ってはどうかな。今のところ、シロートに翻弄されているとしか映らない状況だが。
俺は翻弄するつもりはないから、自らの墓穴を掘っているのだろう。

671:日本@名無史さん
07/05/03 04:52:18
ちょっと思うのだが、そこまで雑言を並べ立ててまで、>>668>>669が守りたいものって一体何なんだろう。

例えば、情報システムの分野(「世界」なんて表現ではなく、専門家なら「分野」という表現が適当では)でも、顧客がいて、かつ当然シロートだからそれなりの事を言ってくる。
トンデモに近い内容もあるし、また難しいことも言ってくるが、そんなことで、専門家はいちいち躍起になったりしない。
それに相応しい事を筋道を立てて普通に言えば済む話。

歴史の話って、そんなに専門家にとって余裕のない、危ういものなんだろうか?
専門家が汲々としているのは、余りみっとも良い状態ではないと思うが。

672:日本@名無史さん
07/05/03 11:38:40
家治の後継者について。。。
一橋豊千代が家治の世継ぎとして西の丸入りした天明1年当時、
御三家御三卿の顔ぶれは次のとおりでした。
尾張宗睦(48歳)―継嗣なし
紀伊宗貞(51歳)―岩千代〈養子〉(10歳)
水戸治保(30歳)―鶴千代(8歳)
田安家(安永3年以来空き家状態)
一橋治済(30歳)―豊千代(8歳)
清水重好(36歳)―継嗣なし

一橋豊千代は家基と同じ吉宗の曾孫で、将軍家との親等からいえば、
家治の後継者として対抗できる者が他にいませんでした。
御三家は当時、将軍家との繋がりは、家光の血が入った尾張家以外、家康まで遡らねばならず、
「遠い親戚」状態。しかもその尾張家も吉通で嫡系は絶えています。
実際、家基死後、家治の後継者をめぐって、幕閣御三家の間で紛糾したという記録はありません。
家治の弟・清水重好は年齢、親等から言えば候補者たり得ても、生来の病弱で、
「あはれともいふべき人はなかりけり 身が病身で成らぬかなしさ」
と当時の落首で皮肉られる有り様でした。
「中興の英主」と言われ、発言力のあった尾張宗睦が、豊千代が西の丸入りした同じ天明1年に
48歳の年齢で従二位権大納言に異例の昇任を遂げているのは、意味深です。


673:日本@名無史さん
07/05/03 11:41:29
歴史ヲタが専門外の人間に押し捲られ、防戦一方w

突っ込めばもっと面白いのだが。
>>669
>だいたい家基を殺傷しても~
から後は、もう結果が出ている。豊千代丸改め家斉が将軍になったことは間違いない。
これに異論はないはず。
今更他の候補を挙げて云々するのが妄想だろう。
この妄想を一概に悪いとは言わないが、シロートより秀でていると自負しているのなら、
暗殺説を上回る考え方で、何故何人かの候補の中から家斉となったのかの合理的な説明
をすべきだろう。
「暗殺では?」と言った側は、シロート意見ながら、一応もう書いている。罪刑法定主
義みたいな証明責任の話を必死に展開しているが、そういうレベルの話なら、取り敢え
ず例え拙くても済んでいて、今は歴史ヲタ側の反証の番だよ。
ウジ虫とか、デンパとか言っている場合ではない。

>それから繰り返しになるが、~
から後もだ。何で歴史ヲタが、事実と違うケースで仮定の話ばかりしている
んだ。
端から見ていても、こちらの方がデンパで、拙くても暗殺説の方が事実検証
(事実ではないと思うが)のレベルの話ではないかよ。

完全に歴史ヲタが負けてるぞ。ヲタだから仕方ないかw
こんなの、専門家じゃないよ。専門家と話をしたかったら、大学に行ってくれよ。


674:日本@名無史さん
07/05/03 11:47:12
>>672
すれ違いだったが、このような話なら、マトモに検証していると言えるよね。
歴史ヲタは反証の機会も逸し、バカっぷりだけが発露して終息へ。

もう来ない方が懸命だろw 書けば書くほど、バカっぷりが残るだけだ。


675:日本@名無史さん
07/05/03 11:58:21
>>672
それなら、と俺が聞いたりする。
そこで掲げられた候補者で言えば、最も後継者に相応しいのは、実は一橋治済
その人ではないかと思えてくるのだが。
徳川吉宗は33歳(数え年)で8代将軍として紀伊家から相続している。
何故、治済本人が11代将軍にならなかったのか、という問題が残るよな。


676:日本@名無史さん
07/05/03 12:48:09
>>675
もっともな疑問だと思います。
私見ですが、主な理由は2つあると思います。
①家治の後継と入っても、世子家基の死を受けて跡を継ぐわけですから、
 治済では、世代的に後戻りになってしまいます。
 実際、家宣が家継の生育を危ぶんで、その後継者に指名したといわれるのは、
 巷間伝わっているような尾張吉通・紀伊吉宗ではなく、その子息たち五郎太・長福丸でした。
 結果としては、吉宗が8代将軍になったわけですが、やはり他家から入った綱吉、家宣のケースに比べて、
 周囲にずいぶん遠慮する羽目になりました。
 将軍になってのち、家重を西の丸に入れるのに8年もかけています。

②治済は、豊千代の入嗣、意次の失脚、定信の起用とその失脚に際して、常に御三家に周到な根回しをしています。
 いわば生臭い役回りをしてきた当事者です。
 彼自身が将軍襲位の野心を剥き出しにすれば、当時はまだ意次一党で占められていた幕閣や御三家、なにより将軍家治自身の反応は
 きびしいものになっていたでしょう。
 「幼将軍なら・・・」という思いは、その後の主導権をめぐって意次らにも算段があったでしょうし、
 大奥の受けも良いですから。

 

 

677:日本@名無史さん
07/05/03 14:01:10
>>676
良い見解だな。
誹謗中傷には文句を言うが、まっとうな意見には文句を言うつもりはない。
ただ、細かいところは突くよw それは、それ以外の部分を認めた上での話しなんだが。

「大奥の受け」は疑問だな。
何故なら、幼少の将軍だと、「関係」を持てないから。
大奥の女たちの栄達を、一言で言えば「上様のご寵愛を受けて、男子を身篭りたい」だろう。
その時点で女盛りなら、幼将軍が成長した頃は、逆に盛りを過ぎている事だろう。
チャンスは基本的に、ない。ストレスが溜まる一方だと思うが。
トンデモ話になりかねないが、これが大奥というものだと思う。
歴史的な影響という話で言えば、「絵島生島事件」はそんな状況も一因だと思う。
幼将軍家継。これじゃ上様と通じて後継ぎを生むチャンスなんか、ない。
絵島自身というより、大奥の中にそんなストレスが鬱積していたのではないだろうか。
そんなケース・スタディが、過去に実際にあると、余計にそう思うのではないかと考えるが。

結果は、家斉は15歳(数え年)で将軍になった。かつ、定信の管理下で早期に女色へ奔る事を厳しく戒められた。
定信失脚後、堰を切ったように家斉は子作りを始めるが、家斉自身のストレスもさることながら、大奥のストレスもあったことが容易に考えられるな。


678:日本@名無史さん
07/05/03 15:46:44
>677
我ながら、大奥云々は蛇足だったかなあ、と後から思いました。
これは14代将軍の座をめぐって悶着を起こした当時の、紀伊慶福と一橋慶喜への
大奥一般の反応から想像して、確証もなく書いてしまいました。
大奥にはあまり詳しくありませんが、ただ、次のことは言えるのではないかと思います。
「御代替わり」によって、後宮は総入替えとなります。
他家から養子が入ってくる場合はなおさらです。
しかも彼女らは、まず本丸大奥の連中は、家基存命なら、お知保の方は将軍生母として大奥に
残り勢威をふるえたでしょうから、その望みを絶たれた本人はもとより周囲の落胆はひとしおだったでしょう。
西の丸の後宮も、家基の死とともに大奥入りが泡と潰えたので思いは同じ。
そこへ、もし治済が世子豊千代と夫人たちを引き連れて乗り込んできたら・・・

世継ぎとして治済と豊千代を迎える家治の大奥の心情を察するに、まだ豊千代の方が抵抗感が少ないのではないか?
と思ったのです。

679:日本@名無史さん
07/05/03 16:42:47
まあ「将軍家家族」というレベルだと、それは言えそう。
俺が念頭に置いたのは、多くの女中、腰元など格下が栄達を望む場合も含めていた。
綱吉生母、家継生母はそれに該当する。

ただ、無理が通らないかと言えば、出来ない事もない。
家継生母月光院は、吉宗将軍就任後も、吉宗と関係があったと言われている。さすがに大奥には居られず、別途屋敷を与えられているようだが。
それに家宣正室の天英院も残っている。ま、それが>>676のいう「周囲にずいぶん遠慮する羽目」の具体例かも知れないが。

将軍の意向なら(ましてや治済ほどの男なら)無理が通るとも思えるが、それ以外の要因で同意している以上、そのテの話はここで留めよう。

田沼意次の話は、そろそろネタ切れか・・・・?

680:日本@名無史さん
07/05/03 17:23:21
私は>>675(おそらく>>677>>679サンでもあるのかな?)の
一橋治済だって有力な候補者だ・・・という発想に感心しました。
また、家継時代の大奥の風紀の乱れが幼将軍を擁した女性たちの倦怠というか、
欲求不満からきているという意見も説得力があります。
あと、工学系のコンサルタントをしている方の意見にも賛成です。
専門家でも、まず仮説からはじまると思います。
我々はなかなか一次史料に直接触れる機会は少ないですから、史料に基づいて
論証するのは難しいですが、想像力は何より大切だと思います。

そして田沼意次・・・この人は幕政を担った人物の中で、個人的には最も興味深い人物です。
ネタはまだいっぱいあると思いますが。。。


681:日本@名無史さん
07/05/03 18:05:38
治済も候補の一人だとは、あなた方が非常に嫌ってる日本史オタが最初に指摘してますよ

682:日本@名無史さん
07/05/03 18:11:49
田沼意次は将軍候補じゃなかったの?












酒井忠清とか「下馬将軍」とか言われたし。
征夷大将軍はそりゃ無理だけど、○○将軍とか、或いは実権者としての呼び方はなかったのかな。

と、無理やり田沼意次に持って行ってみるw

683:日本@名無史さん
07/05/03 21:22:41
九州王朝説とか広瀬とかその辺の妄想野郎と変わらないなwww

684:日本@名無史さん
07/05/03 21:24:42
トンデモと分かって、知的推論を重ねているだけならいいんだけど・・・。
妄想家は本気になってそっちを真実だと思い込むからタチが悪いよな。

685:日本@名無史さん
07/05/03 21:48:25
妄想家という自分でデッチあげた妄想上の敵に向かって必死に吠えてるだけ。
反応すると、面白がって意味のない罵詈雑言を浴びせてくるだけだから、
勝手に無駄吠えさせればいい。無視!無視!

ここは妄想とは?とか、知的推論とは?って議論する場じゃねーの!

686:日本@名無史さん
07/05/03 22:30:55
で、家斉が将軍になれた説明はみごとにすっ飛ばす

687:日本@名無史さん
07/05/03 22:45:06
では田招意次についてかたりましょ?

688:日本@名無史さん
07/05/03 22:55:58
後北條の滅亡後、佐野家も改易となる。その一族が家康に召し出されて、後に紀州頼宣の家臣に。佐野一門の田沼家も同じく紀州藩足軽に。


と言う事でよいのかな。

689:日本@名無史さん
07/05/03 23:04:38
>>688
御三家とか出来たときに、大量の就職口が出来たんだろう。

考えてみれば、水戸家に「一色」とかがいたりするしね。
当時は、大名の改易も多かったから、これは失業対策の効果もあるかもしれない。

逆に御三卿の創設時は、・・・・・・ハッ!? また民部卿治済に接近してしまいそうだからここらで止めとこ。


690:水戸藩士・一色由良之助
07/05/03 23:08:32
水戸藩士・一色由良之助

691:日本@名無史さん
07/05/03 23:38:23
頃玉衛門介玉次

692:日本@名無史さん
07/05/04 00:03:49
妄想家は自分がそうだとは分かってないもんだよ

693:日本@名無史さん
07/05/04 06:18:18
それだけに始末が悪いなw

694:日本@名無史さん
07/05/04 11:24:33
自演乙 しかも内容がバカすぎ

695:日本@名無史さん
07/05/04 12:12:05
話を蒸し返すようで申し訳ありませんが、
>>669の意見も、その後段は説得力があると思います。
前段については、
家基死後の後継者としては、一橋豊千代以上の適格者はいませんでした。
しかし、
意次の改革が彼一代ではとても完成が覚束ない気宇壮大なものでしたから、
家基と意知の世代に期待していたことは確かでしょう。
傍系養子によって、先代の権臣が退けられるという傾向も史的事実です。
ですから意次が家基の死に介在したとは、論理的にあり得ないという見解に賛成です。

ただ、残念なのは、おそらくあなた自身はよくわかっていて、いきがかり上こだわっている
だけではないかと疑うんですが、
家基の死は、
①彼がそれまで至って健康であったこと。
②急の発症がハンミョウを盛った場合の症状に酷似していたと云われること。
③その急死による受益者が明確に存在したこと。
などから、毒殺説は当時から噂されていたことで、その容疑者として一橋治済かその周辺を想定するのは、
荒唐無稽な「妄想」とは言えないでしょう。
史家の多くは暗殺を断定していませんが、その可能性を否定もしていません。


696:日本@名無史さん
07/05/04 16:23:15
>694
よしなよ。あんたが荒らしに左担してるようなものだ

>695
家基後継が世代逆行もあり得ると思われるが、御三家や清水重好、一橋治済ではダメなの?

697:日本@名無史さん
07/05/04 18:01:16
家綱→綱吉の時の酒井忠清
綱吉→家宣の時の松平吉保(柳沢保明)
家継→吉宗の時の間部詮房
という先例を知っていたら、田沼が家基を暗殺する必要がないどころか却ってそんなことをして傍系から養子将軍を迎えれば
命取りになるからしないと思うんだが。
たとえそれが史実の一橋豊千代以外の者であったとしても前車の轍を踏まない可能性は薄い。

忠清は自殺とも思える憤死をして、あてつけに自殺したと思い込んだ綱吉に墓を発かれた。
吉保は家宣擁立の事務を執ったにもかかわらず政界を退くことになった。自発的に退いたおかげで平穏に世を去ったが、吉
宗の時代になって二代吉里が墳墓の地甲斐を逐われた。
詮房は失脚して幕閣から去り、高崎から村上に左遷された。

698:日本@名無史さん
07/05/04 18:27:59
荒らしだってw
田沼意次について語るスレで将軍の話ばっかりしてんのは荒らしじゃねーの?

699:日本@名無史さん
07/05/04 18:51:04
荒らしはともかく陰謀論の当否や想像力など、かなりずれ込んでいるのは確かなんだよ。これは自称コンサルタントに元凶がある

700:日本@名無史さん
07/05/04 20:43:18
>>697
粘着キモヲタうざい。去ね。

701:日本@名無史さん
07/05/04 21:57:10
だから、田沼が加担しているとか、してないとか、毒殺とかはどうでもいいんだ。
自称コンサルタントという歴史とは無関係な人間だから問題なんだよ。
門外漢は、何を言っても妄想だ。

702:日本@名無史さん
07/05/04 22:19:01
何かこのスレ、荒れてきたね

703:免職、差控、隠居、永蟄居
07/05/04 22:33:15
わたしも元々は田沼さんが手がけた新御用金令や蝦夷地開拓事業などを話したいとおもっていたのに荒れてしまっているのは残念です

自称コンサルタントを本スレから放逐せよ。

704:日本@名無史さん
07/05/04 23:03:44
>>703
一行目に、私も賛成です。
政争話は面白いので、ついつい書き込んでしまいましたが、
意次の真価は、やはりその政策にあると思います。
スレの流れが変わることは歓迎です。

705:日本@名無史さん
07/05/04 23:09:23
>>703
まるで中世の魔女狩りだね。

並行して書くのには、何の問題もないでしょう。
むしろ、そうしないから「謀殺」とかだけが目立つのではないでしょうか。

ちなみに、>>702を書いた真意はそういう意味です。


706:日本@名無史さん
07/05/04 23:21:34
何を言う?謀殺の話に一緒になって騒いでいたのは貴様も同じだろうが

707:日本@名無史さん
07/05/04 23:24:01
荒れるのは、GWだから。
スレタイに知識も興味もない厨房がカキコする。
その証拠に、意次について何も語らない。
ただ他人を中傷するだけ。
学校が始まれば、また凪状態に戻るさ。

708:日本@名無史さん
07/05/04 23:29:04
遠野凪子

709:日本@名無史さん
07/05/05 00:18:27
>>706
騒いでないというのに。

710:日本@名無史さん
07/05/05 00:19:43
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_______________________________________________


711:田安斉匡
07/05/05 01:31:59
とうとうこのスレも手じまいのようだな

712:日本@名無史さん
07/05/05 13:14:35
意次は、酒井忠清、柳沢吉保、間部詮房と比較して、明らかに違う環境にありました。
つまり天明1年に世継ぎに決まった家斉が、わずか8歳の幼さだったことです。
当時、幕閣は田沼一党で占められ、松平定信は白河藩主松平定邦の養子の身で、
まだ家督も継いでいません。
一橋家には意次の正妻の父伊丹直賢に続き弟、甥と家老職を務め、
のちに家斉に従って西の丸から大奥へと入った老女大崎とも親しい関係にありました。
そして何より心強いのは、将軍家治がまだ44歳で先々の展望が持てたことです。
つまり、意次は家治存命中に家斉をコントロール下に置けると踏んでいた可能性があります。
この間は、いかに一橋治済とて隠忍自重せざるを得ません。
実際、家基死後も意次の改革は、印旛沼の開拓着工、蝦夷地の調査、江戸両替商や
大坂の江戸積問屋の株仲間の公認、大坂町人への御用金の賦課・・・
そして「貸金会所令」へと続いていきました。



713:日本@名無史さん
07/05/05 14:19:08
田沼の政策は、とにかく資本の集積が前提で、現在の企業論理と通じるところが多いから評価されるようになったのだろう。


714:日本@名無史さん
07/05/05 14:57:06
>>712 自称コンサルタント、もういい加減にしろ。お前のたわごとは飽きたので

715:日本@名無史さん
07/05/05 15:45:50
>>714
違うという事だけは、情報システムコンサルタント本人から断言しておきましょう。
もうほとんど、被害妄想だな。

716:日本@名無史さん
07/05/05 16:01:04
>>712
>>715
じゃないけど、「たわごと」だと決めつける自分の意見をちゃんと書けよな>>714
お前の存在が一番ウザイ。

717:日本@名無史さん
07/05/05 16:06:53
>>714
m9(^Д^)プギャーーーッ

718:( i_i)\(^_^)
07/05/05 17:50:23
もー完全なる誹謗中傷はお止め下さい!実害が出ております

719:日本@名無史さん
07/05/05 17:57:58
田沼をかたレ

720:日本@名無史さん
07/05/05 18:20:55
>>714
>>712はいいんじゃね?田沼の話だし。
自称コンサルタントっぽくないし。
結構読んでておもしろかったというか。

721:日本@名無史さん
07/05/05 18:29:46
ご感想有難うございます。

               情報システムコンサルタント

722:日本@名無史さん
07/05/05 18:47:14
な、なんだってー!(AA略

723:日本@名無史さん
07/05/05 18:59:50
田沼が考えた財源は

天領や貿易、鉱山収入のみで天下の政治を仕切っていた幕府が、大名から徴税し、これを行政費に宛て、あるいは土地を担保に大名に貸し出して返せない大名からは土地を取り上げる、という封建制では画期的な新御用金令を発布した


支配勘定太田南畝、土山宗次郎らが、蝦夷地に鉱物資源があるというのでその噂を頼りに調査団を派遣(失敗)。その後、蝦夷地住民との交易や、寒冷地ではあるが蝦夷地は地味がよいので開拓の可能性も視野に入れていた


田安、清水を空邸→廃邸にして二十万石を収公せんとした


印旛沼開削工事により新たに水田を開くと同時に流通網を確保し安定的に江戸に物資が流れるようにした

724:日本@名無史さん
07/05/05 19:33:03
>>723
短い行数の中に、田沼政治を凝縮したレス。
すばらしいと思います。


725:日本@名無史さん
07/05/05 20:06:51
諸大名は知行地の租税徴収権を持っているが、そこに手を入れて幕府の租税徴収を行う「新御用金令」は封建制では画期的、というより封建制を壊すものであった。
だが田沼がここに行き着いたのは自然の成り行きとも言える。
幕府が勅使院使御馳走役や治水治山、建築工事を諸大名に押し付けていったは、たかだか400万石とか600万石の天領しかない幕府が全国的な行政を展開せざるを得ない帳尻を、無意識裡に合わせていたのであろう。
その矛盾を解消し、国家的支出は全国民から賄おうとしたもので、その輪を広げてゆけばよかった。
でも田沼にとって惜しむらくは、徴税された税金が何に使われるか分からず、御三家や在府の伊達、浅野ら諸大名が疑心暗鬼になって反対し始めたことでござろう

726:日本@名無史さん
07/05/05 21:32:48
ござろう・・・って、キミ?

727:日本@名無史さん
07/05/05 21:36:23
本人降臨ktkr

728:日本@名無史さん
07/05/05 23:28:12
「悟られてしもうたかのう。許せ。
それがしは治済ごとき青二才とは違うて、日ノ本の将来を見据えた歴とした政治家ぞ」

729:日本@名無史さん
07/05/05 23:50:37
阪神7連敗

730:システムコンサルタンツ
07/05/06 00:00:06
いまから特捜最前線みるので25:00からにして下さい

731:日本@名無史さん
07/05/06 00:42:20
何人もいたのか、それともこいつが英語知らないだけか?

732:日本@名無史さん
07/05/06 00:54:04
>>725
参考になる意見をどうも。
素朴な疑問(悪意はないよ)をひとつ。
たとえ大藩とはいっても、てか、大藩ならなおさら、外様大名が幕政に口出しするのは
当時はまだタブーだったんじゃないの?


733:日本@名無史さん
07/05/06 01:21:05
確かに太平の世で徒党を組むのは天下の法度なので、いずれ素直に従うという目論見があったんでしょうが、天明六年の大洪水と家治の死、これが田沼の計画を狂わせて下総。

734:日本@名無史さん
07/05/06 01:26:55
>>732
外様大名が幕政に・・・という事だが。それは結果論かな。
>725じゃないけど、言うとするなら、逆に幕府も、外様藩には必要以上の内政上の口出しはしなかった。
もちろん、いろいろな制度を決めたり、負担を押し付けたりはあったが、それは徳川家と外様大名との相互間の問題。
財政面とか内政までは、原則口を挟まない。
従って、例えば「生類憐みの令」なんて、他の藩領では適用されていないし、御三家の水戸藩ですら従っていない。
そして、例えば吉宗の「上米の令」では献上米と引き換えに参勤交代の江戸在府期間を短縮している。
これは、逆に言えば、そういう問題については、幕府と諸藩(全体)は対等に近い結果となっている。見返りが必要な訳だからね。

田沼意次は、明らかにそれより踏み込んでいる。そして、天保の水野忠邦の上知令はその先例があったから発想的にも出来た事だろう。
逆に言えば、諸藩も江戸幕府の政策に、以前より無関心ではいられなくなった。
田沼意次に「中央集権」という発想まではなかったと思えるが、流れとしてはそちらへ向かっている。
それが、幕末から明治維新の「流れ」で作用した一面はあるかも知れない。意次の意向とは無関係にだが。
当時のアジア等世界全体で見ると、中央集権が出来たかどうかが、欧米列強の植民地支配から免れたかどうかの重要なポイントなので、結構この「流れ」は重要だったかも知れない。


735:日本@名無史さん
07/05/06 01:37:24
封建制のもとでは諸侯は領域内の排他的行財政権を握っていたが、主殿が全国民から税を徴収せんとしたのは、それを根本的に否定してかかるものだったので、騒ぎが起こってしまったんですね。水野忠邦の上地令も同じ。
まずいことにこれは田沼の取り巻きだった奥の役人たちの利害にも関わることだったので敵味方を全員敵に回してしまうことになる

736:日本@名無史さん
07/05/06 01:45:00
田沼全盛期ならいざ知らず、
>>725のいう「御用金令」だ出された頃は、意次の凋落ぶりはあきらかだったから、
それに御三家や定信の尻馬に乗る分には、反対しても「お家安泰」ってタカくくってたんじゅあ?
伊達は田沼と仲のいい島津とは猟官争いしたライバルだし、浅野は尾張と義理の兄弟だったしな。
まあ、領土がからむとあっては、それだけ必死コイタって見方もできるだろう。

737:日本@名無史さん
07/05/06 01:54:57
確かなのは、個々の事情はどうあれ、幕藩体制そのものが、徐々に変質して行ったのは間違いないと思う。
それだけ大きな影響はあったと思える。江戸幕府成立から200年近く経過し、幕末へと流れる中でのターニング・ポイントに位置づけてもそれほど大袈裟ではないともいえるかも知れないね。


738:日本@名無史さん
07/05/06 02:23:01
素朴な疑問をもうひとつ。
御用金令って、貸金会所という一種の公的金融機関を作って、年貢米や俸禄が凶作で
滞って窮乏化した武家を救済しようとしたもんなんでしょ。
意次って、ほんとうに大名の自治を制限し、貸し付けた公金を返済できない武家の知行地を
担保として取り上げてしまう、まるで公的資金を返済できない銀行を整理回収機構に委ねてしまう
ようなことまで想定していたんだろうか?
なんか、近代以降から顧みたあとづけの評価みたく思えるんだけど。


739:日本@名無史さん
07/05/06 02:25:01
もとの濁りの田沼恋しき

740:日本@名無史さん
07/05/06 02:56:01
新御用金令によると確かに法令の目的は大名救済、大名融資で、融資に当たっては村高証文(担保)を提出させる。返済できない場合は田畑からの収穫をもって充てる、とまでしか無い。
さすがに大名らの領地を担保流れにさせるのが目的だとは書いてない。漏れれば御三家含めて大名らはこぞって反対し、へたをすると田沼自身が改易になる…
と、あるいはこんな理由で田畑を担保ながれする目的は書けなかったのではあるまいか?

741:日本@名無史さん
07/05/06 02:58:07
>>738
当初の思惑と運用上の思惑のあるし、また思惑は記録に残っていない以上は分からないでしょうね。
また、運用については実現していない訳だから。
後付けはあるでしょう。まったく田沼意次ほど、後世の評価が乱高下する人も珍しいでしょうから。
ある意味、政策が実現しなかったからこそ、実は政策面でも謎の多い人物なのかも知れません。

ただ。
>意次って、ほんとうに大名の自治を制限し、貸し付けた公金を返済できない武家の知行地を
>担保として取り上げてしまう、まるで公的資金を返済できない銀行を整理回収機構に委ねてしまう
>ようなことまで想定していたんだろうか?
というのを真に受ければ、逆「徳政令」のような形ですね。これは、松平定信の棄捐令が、準「徳政令」みたいなものと考えると対照的です。
また、定信が棄捐令を出したお陰で札差が債権を失い、それを救済(金融拒否に対応)する為に貸金会所を設立しています。
現在でも、企業救済の為に銀行に債権放棄させたりもし(実際「徳政令」と揶揄された)、あなたの言うように整理回収機構を設けたりという政策がありますから、これは元々政策の「両面」という考え方も出来ると思います。


742:日本@名無史さん
07/05/06 10:19:20
いろいろなご意見参考になります。
>>738の疑問は、意次自身が拠って立つ封建制を自ら否定するような極端な考えは
彼にはなかったのでは?という文意だと思うのですが、
私も、意次の政治には、吉宗の改革を補完しようとする思想が根っ子にあるように思います。
印旛沼開拓はもちろんですが、直接税一辺倒では限界と享保の改革から学んで、「株札」という
間接税の発想を取り入れたのでしょうし、
南鐐二朱銀にしても吉宗の元文改鋳とのつながりで、その意義を評価すべきでしょう。
話題の貸金会所も、当時の政争がらみで歪められたり、のちの田沼再評価の中で「革命的」に捉えられすぎたり
している気がします。
いずれにしても、意次が定信のように自己弁明の著述を残していないのが残念です。


743:日本@名無史さん
07/05/06 13:16:58
>>742
封建制を否定しても、封建制を肯定しても、確かなのは当時の商品経済は無視できないものになっており、また封建制だけでは幕府の財政は維持できない状況になって行ったのは間違いないと思います。
封建制の重要な一面は「米」という一商品に財政が依存している事で、これが享保期の吉宗が「米将軍」とまで言われるくらい苦闘する羽目となります。
また、既出ですが、流通貨幣が金と銀という、国内で外為相場が存在しているような複雑な経済運営をしなければならなかったという部分もより政策が難解になっている側面です。
この頃の商人たちの経済感覚は、もう既に「近代経済」のレベルに達しています。複式簿記(B/S)、減価償却、引当、為替。
また相場取引についても、「酒田五(六)法」を考案した本間宗久は、現代の株価テクニカル分析とほぼ同レベルです(株価チャートはここから来ていると言っても過言ではない)。
そんな中で経済政策を考えるとすれば、もう殆ど発想が近代経済に近くなければ、ついて行けない状況だったのは確かです。
>>741でも書きましたが、有体に言えば、現在の日本政府の経済政策は、良くも悪くも田沼意次、松平定信レベルです。
新井白石の頃だと、海舶互市新例(正徳長崎新令)を出す時期辺りで、為替相場の不均衡が金銀の海外流出を齎すことがようやく理解されだしたというレベルですから、急速な進展ですね。
封建制についての認識の如何を問わず、日本経済・市場の急速な進展に、有無を言わされず巻き込まれていったというのが客観的な実態だったようにも思えるのです。


744:日本@名無史さん
07/05/06 15:36:02
consultant w

745:日本@名無史さん
07/05/06 16:19:12
俺は、田沼の経済政策には詳しくないけど、
言い訳や恨み節をダラダラ書き残した越中に比べて、
田沼が残した七ケ条の遺言に惚れ惚れしたなあ。
晩年、あれだけの迫害に遭いながら、恨みごと言わない潔さ。

746:日本@名無史さん
07/05/06 17:07:30
これかな。

URLリンク(homepage2.nifty.com)

短くても、田沼意次の人柄と、生涯を反映したものなのでしょうね。


747:日本@名無史さん
07/05/06 17:19:28
>>744
当たりですよ。今度は。
私は日本の歴史が好きですが、とりわけこの時期に興味を持つのは、日本経済の原点がこの辺りにあるような気がするからです。
世界的には、資本主義経済はイギリスから始まった流れが主流ですが、日本は一種独特な発展を遂げ、鎖国下でかなり高水準になっていたと思います。
私の専門は、情報システムの中でも、金融・証券・保険のシステム、それから企業の組織統制(最近の言葉でいう「内部統制」)です。
ですから、その専門的な観点からも、当時の田沼の政策はかなり高い水準の内容を、少なくとも指向していたと評価できます。
現在の政治家にもむしろ、見習って欲しいくらいに。
それは内容ではなく(後世なのだから内容が上なのは当たり前)、むしろ政策通としての在り方ですね。
そして、政治家は、当然政争にも巻き込まれます。組織ですから。
その両面の評価が、政治家としての評価でしょうね。


748:日本@名無史さん
07/05/06 17:35:43
自己紹介はいい。

749:日本@名無史さん
07/05/06 17:42:01
>>748 おい厨房、もういい加減にしろよ。
感情的になればなるほど、情けない実態をさらけ出してるぞ。
俺はもう書いたが、何か意見があれば書くか、さもなくば黙ってろ。

750:日本@名無史さん
07/05/06 18:48:43
う~ん、どうなんだろ。あなたも自己紹介してみれば。
名を名乗れっていう訳じゃない。歴史を専攻しているとか、なんでも。

751:日本@名無史さん
07/05/06 19:00:10
もうよしましょうよ。それよりせっかく新御用金令というハードボイルドなる話が出ているんですからそれについてを。「新」とついているがどの点が新しいの?

752:日本@名無史さん
07/05/06 21:12:38
>>751
御用金とは、今でいう国債発行(返済=幕府の債務が発生)。新御用金とは課税なので、新旧関係というよりまったく異なる概念でしょう。
どうなんでしょうね。私は実はそれほど刮目はしていませんが。
画期的だと思われる方は、意見を書いてください。

実はこれを、現在の所得税などの国民皆税みたいなものとは理解しません。
何故なら、税金をすべての人が払うから、それに見合う政策を・・・というのは「民主主義」の考え方であり、上意下達の政策では本来ないからです。
それは「新御用金令」という名称が、図らずも示しています。
つまり、返済を伴わない御用金という発想ですから。

何か田沼の政策というと、ここではall agreeという雰囲気も感じなくはないのですが、これはむしろ、窮余の一策であり、現在の税制とは似て非なるもの、これが田沼批判の原因となっても当然だと考えます。

・・・と、多少挑発しておきましょうか。冗談ですが、反対は意見の形でお願いします。


753:日本@名無史さん
07/05/06 21:13:55
>>743
意次というより吉宗にその萌芽が見られる、とは言えませんか?
私は意次と定信の政策は、吉宗が産み落とした双生児に見受けられるんですが。

754:日本@名無史さん
07/05/06 21:21:03
ちょっと誤解を受ける表現かな、と思うので追加しておきます。
>>752の前2行は、おそらく新御用金令を画期的と考える場合の想定される「概念」という意味で、私は「それほど」評価はしないという事です。
途中飛んでしまいました。敷衍しておきます。

755:日本@名無史さん
07/05/06 21:29:35
>>753
私も実はそう考えています。ある意味で、意次と定信は正反対のように言われていますが、確かに政治的・組織論的にはそうでしょう。
門閥対実力派という観点でもそうです。

しかし、政策としては、どちらも享保の改革から派生した問題を、どうするかという考え方で共通しています。

手法が反対だろ? という考え方もあると存じますが、>>741の最後2行で書いた通り、これらの政策は、「局面見合い」の同次元の政策手法だと考えます。
現在でも、公定歩合を上げるか下げるかは正反対の判断です。しかし、利率を操作して経済を制御するという意味で同一次元ですね。
債務の処理手段を厳しくするか、状況で緩和するかという観点となります。


756:日本@名無史さん
07/05/06 23:21:22
>>755
742、753ですが、レス有難うございます。
別の話題ではすれ違いもありましたが、おおむね同意見です。



757:日本@名無史さん
07/05/07 23:17:22
>>756
どうも。GWも明けたので、書き込みは一段落のようですね。
いろいろ書きましたが、ただし、という言い方をするなら、形として「中央集権」みたいな形式へ、意図したかどうかは別として推移している感はあります。
しかし、やり方が如何にもセコイ。と言えばまた挑発っぽいですが、それが、一官僚である限界、または江戸幕府を肯定せざるを得ない弱さでしょうかね。

支配者は「覇権」を目論むような観点で、統治的観点から集権を目論むことはありえます。
しかし、官僚は、「仕切る」ことでしか指向できません。石田三成もそうでしょう。徳川家康のような存在には太刀打ちできないでしょう。

吉宗は、支配者たり得ましたが、着手からすべてをやり果せることは出来ませんでした。
吉宗が、家斉みたいに長期在位したから出来たようなものでもないでしょうが。

幕末の小栗忠順(このスレの前の方に出ていますが)位に、周りの環境が乱世の趣を醸し出してきた頃なら、「第二の関ヶ原(による徳川中央集権体制)」みたいな過激論も出てくるようですから、天下泰平が一要因であるともいえますが。
時代の制約、立場の制約、環境の制約は認めても良いと思います。


758:日本@名無史さん
07/05/08 00:51:51
おい、歴史通たちよ、完全に押しまくられてるぞw

田沼意次や松平定信の政策は、経済政策だから、現代の経済通には敵わないってか。
それじゃあんまりだろ。ちゃんと中身で対抗しろよ。

さすがに小栗上野はそこまで過激だった訳ではないんじゃないか?
確かにフランス軍制による軍事力の拡充、海軍力の増強は、軍事力で主に西国大名を制圧するという発想も出来る。
ナポレオン3世の寵臣ロッシュから、ナポレオン1世のヨーロッパ征服の話なども聞いたようだが。
でも慶喜相手に、それは無理だろ。

田沼意次にはいろいろとコメントしたい気もあるが、経済については俺は勝てん。
誰か、頑張れー♪

759:日本@名無史さん
07/05/08 01:18:45
私は小栗豊後守は余り期待はできぬと思いますよ。

760:日本@名無史さん
07/05/08 01:46:54
でも「中央集権」は確かに大局的に見た場合、重要な観点かなって思う。
田沼意次にとっては「見果てぬ夢」だったかも知れない。
はっきり言って、江戸幕府って覇権になっていなかったというのが、結論ではないだろうか?
関ヶ原の戦いで勝っても、豊臣が残っていたことが、原因のような希ガス。
結局元和偃武の翌年に家康が死んでしまい、日本は連邦国家(幕藩体制)のような形で進んでしまった。
全国的な政策を行うというのが、力任せにしかできない。
だから、田沼意次のような「頭脳派」は苦労しただろう。いくら思慮深い政策を考えても、その施行にはどうしても「権力任せ」「力任せ」の要素が入ってくる。
随分誤解を受ける事になったと思う。
それと、年貢、税、債権債務という分析は、後世なら簡単だろうが、当時は経済学なんてないから、余程でないと無理。
冥加金と賄賂はどこが違うんだという話にもなりかねない。「御用金」の解釈も、そんなに分析性をもって考えるだけの体系はなかっただろう。

吉宗って、さかんに「尚武」を進めたが、それが充実していたら、真の統一でもやるつもりだったのかな?
田沼意次は官僚(老中にまでなっているが)、定信は朱子学徒だから、そんな発想はないだろうが。


761:日本@名無史さん
07/05/08 01:58:44
田沼意次は「ビスマルク」にはなれなかった、ということでOK?

762:日本@名無史さん
07/05/08 02:24:11
幕府は開幕当初ミスを犯した。全国から徴税する権能を作んなかった

763:日本@名無史さん
07/05/08 02:40:34
明治政府ですら「地租」という固定資産税か所得税か、律令の「租」なのかよく分からん税制からスタートしているし、無理もないよ。


764:日本@名無史さん
07/05/08 02:45:46
ま、開幕ダッシュに失敗したら、ペナントレースを制するのは難しい・・・

765:日本@名無史さん
07/05/08 02:48:36
>>763
よく分からんのは、自分の頭のせいだとは思わないのかw

766:日本@名無史さん
07/05/08 02:58:43
>>761
ビスマルクは、プロイセン王ヴィルヘルム1世(のちドイツ皇帝)の全幅の信頼があっただけでなく、モルトケ元帥など周りの有能な軍人やスタッフに恵まれていたし、また理解と協力が得られていた。
それに対して、田沼意次の周りは、協力者も多かったが、足を引っ張る奴も沢山いた。
特に格上が沢山足を引っ張った。

さぞかし、田沼意次の足は長くなったことだろうなw
スマソ

767:アジアシステム開発
07/05/08 03:52:14
いずれにせよ田沼氏は御三家や溜間詰格ら名門から足を引っ張られていたことは明瞭で有ります

768:日本@名無史さん
07/05/08 21:18:55
>>760
力任せ、または妥協でしょうか。理によって政策を実現できない。

769:日本@名無史さん
07/05/08 21:52:53
>>757
釣りなんでしょうが、「同意」の前言を翻し、あえて挑発に乗ります。
あなたの意見は、当初とやや変化して意次と彼の政治を矮小化しすぎだと思います。
つまりその時代における画期性を後世の高見から「それほどでも」って評価しているだけのように感じます。
「コロンブスの卵」ですよ。

第一、意次は「官僚」じゃなく、「政治家」です。
石谷清昌、河井久敬、松本秀持、赤井忠晶ら財務スタッフこそが「官僚」と呼べるでしょう。
意次の経済政策を「国立銀行」「国民皆税」「統一通貨」という近代国家を前提にして初めて
成立する政策と直線的に結びつけるのは「革命的」に捉えすぎると思いますし、
政策の真価はその運用を見て定まるものでしょう。
ですから「貸金会所」にしても、その真意も実効性もはっきりしないまま潰され、
「南鐐二朱銀」にしても、物価安定には寄与しましたが、秤量貨幣の廃止まで意図したものなのか?
見届けることなく廃止されましたから、結果論では何とでも言えますが、
その発想は、従来にない独創的なものだったんじゃないですか。

また、あなたも認めているとおり、政治家は政略に長けていなければ政策実現能力に欠けるという点で、
有能とは言えないでしょうから、そういう面でも彼の家重時代からの政略は目を瞠るものだった
と思います。

770:日本@名無史さん
07/05/09 00:14:08
ビスマルクはユンカーという一種の貴族出身。
ドイツ統一前からプロイセンはすでに近代国家。
田沼とは条件が違いすぎて、比較するのはナンセンス。

771:日本@名無史さん
07/05/09 00:44:54
全くもってその通り。誰だよ、唐突にビスマルクを出してきたは

772:日本@名無史さん
07/05/09 00:55:31
>>769
どうも有難うございます。ちゃんと説明すると長くなりそうですが・・・。
田沼意次を矮小化はしていません。私が言っているのは「新御用金令」ですね。
しかも、時代の制約、立場の制約、環境の制約は認めても良いと思っています。言葉を変えて言えば、現代経済政策よりはハンディをつけるか、或いはレベルについては現代を比較対象としないかです。

その上で、何故>>757のような評価になるのかといえば、「説得力」の問題だと思います。
レベルに関係のない次元で、現代と比較してみましょう。
例えば、現代。政府の財源が必要で、何とかしたいと考えたとします。
その手法として「国債」を大量に発行するとします。しかし、これでは財政赤字が増えるだけです。
そこで、増税ではなく、「国債」を発行するが、それは償還なし、なんて言ったらどうなるでしょうか。
つまり、一方的に出せ、ということです。政府は債務を負わないのです。
おそらく、非難轟々でしょう。そしてその「非難」は、政府がカネを集めるという意味よりも、もっと違った意味の非難が強いはずです。
「それは、形を変えた『増税』だ。しかも税を増やすと言うのならまだしも、形だけ国債という形式を取るなんて、やり方が『セコイ』。」
こうなるはずです。増税なら、そういう話にはならず、増税そのものが、財政や国民生活のバランス上問題であるか否かという「本来」の次元の話になります。


773:日本@名無史さん
07/05/09 00:56:19
(つづき)
課税対象範囲を拡大し、また米穀依存ではない課税形式という方法と「方針」を明確に打ち出せたなら、田沼の政策は当時としては卓越して優れた発想となります。
しかし、「御用金」の延長で、幕府の債務逃れというような形だから、当時ですら「説得力」に欠けるのではと思うのです。
不思議なことに、武家政権というものは、すぐに債務を踏み倒すという性質を持っているようですね。
鎌倉幕府や室町幕府の徳政令もそうですし、また江戸期の薩摩や長州の財政改革も通じるところがあります。
すなわち、その発想の範囲内であれば、それは「武家政権の本質」から脱出できていない、という事です。
武家政権にそれが可能なのは、「武力」や「権力」、すなわち「力」の論理です。意次は意識していなかったかも知れないですが、本質的にそれを持ってしまっているのです。

債務逃れ、ではなく、「課税」という発想なら、これは現代にも通じるくらいの画期的な発想だったはずです。
しかし、それは無理でしょう。意次が悪い訳ではないのですが、それは、TAX payerから生ずる民主主義の本質的発想だからです。
田沼意次に、民の為のみに税を集め、民の為のみに政治をするという発想はないはずです。民の為を突き詰めると、「民の、民による」が絶対に出てくるからです。
門閥でなかったとしても、それは田沼自体の存在をも否定するものとなります。

なお、政治家か官僚か、ですが、官僚出身の政治家(現在でもいますが)でしょうね。そこは、訂正させてください。



774:日本@名無史さん
07/05/09 01:26:43
といいつつ、まだ拘っている部分を書いておきます。連投ごめんなさい。
官僚か、政治家か、というのが現代的な尺度でした。
「君臣」の「臣」にあたる、と訂正します。吉宗は「君」、田沼意次は「臣」です。

775:日本@名無史さん
07/05/09 01:49:04
>>773
まず意次は「党人政治家」とは言えても、「官僚政治家」とは言えないでしょう。
もっとも現代の党人派、官僚派の区別とは厳密には違いますが。
なぜなら彼の経歴は小姓から小納戸を経て側御用取次、側用人、老中というもので、
実務官僚(勘定組頭、勘定吟味役、勘定奉行、あるいは代官・郡代や遠国奉行でもいいですが)
の経歴の持ち主ではありません。
荻原重秀や神尾春央が老中になったのなら、そう言えるのかもしれませんが、
老中クラスは従来もその後も門閥で占められていましたから、小身の身でその殻を打ち破れるとしたら、
政策のプロではなく、やはり将軍の側近以外無理だったでしょう。
その伝でいけば、大久保長安あたりが官僚政治家と言えるのかもしれませんが。

まあ、長くなりましたが、これは本題ではありません。
まず貸金会所に集められる金は、御用金ではないと理解しています。
年利7朱で出資者に配当するものなのでは?
運上金・冥加金は一種の間接税なのでしょうが、これには株札という大きな反対給付がありました。
しかも貸金会所にしても南鐐二朱銀にしても、それ以前の政策との脈絡の中で案出されたもので、
結構体系的だと思いますよ。
税に対する意識にしても、年貢を直接税と見立てるのは制度上のことで、納税者の権利を前提とする現代の徴税とは、
徴収される側も使う側も全然異なりますから、現代と当時を平板的に比べるのは難があると思います。


776:日本@名無史さん
07/05/09 03:07:14
「新御用金令」についても田沼失脚の直前に第一歩を踏み出していたんですよ。大坂で。田沼が大坂に送り込んだ大坂城代阿部能登守正敏が大坂の商人から金を集め終えていた。
金を取られるのは誰しも望むところではなかったが、税額がすっきりしていてわかりいいというのは田沼の政治に一貫している。

777:日本@名無史さん
07/05/09 11:10:02
つまり、秘書が大臣になって、そのまま仕切っていたという訳だ。
まあ、そういう場合は、ろくな結果にはならないよ。

現代との比較で画期的だ、みたいな評価をしている人、
政策を陳列しているだけでなく、経済との関連で論証すべきではないか?
公定歩合とか出ていたけれど、同じ種類の政策であっても、現状と判断が逆なら、政策としてはダメダメだ。
それに田沼の政策には、「つもり」があっても「答え」がない。どちみち破綻したことだろう。
門閥が引き摺り下ろしたのは、当時のキャスティングがそうだったから。現代に田沼がいたら、現代の仕組の中で葬られたことだろう。


778:日本@名無史さん
07/05/09 23:09:38
田沼の政策って、では何の為にやったのか? を考えてみてください。
民の為に「のみ」ではないことは明らかです。民主主義ではないですから。
ないとは言いませんが。
その「目的」を求めたところで、その意義と、状況に対する実効性と、結果を考えてください。
そうすれば、田沼に対する客観的に近い評価が得られるのではないでしょうか?

・目的・意義(当時)
・状況(当時)に対する実効性(妥当性)
・結果
です。


779:日本@名無史さん
07/05/09 23:15:59
>>777
>同じ種類の政策であっても、現状と判断が逆なら、政策としてはダメダメだ。
私もそう思います。斬新な内容で妥当でない政策より、古い伝統的な手法でも妥当な政策の方が間違いなく良い政策ですから。
政策の斬新性=評価できる政策ではありません。長期的な展望に立つ斬新性なら、現代の政策手法が当時よりも優れているという前提で、現代との「連続性」があるか、というのが評価の基準です。
私は田沼の中に斬新さを認めても良いですが、連続性は希薄だという考えです。

織田信長の経済政策の方が、連続性をまだ感じます。それは「インフラ」という意味において。
聞きたいという人がいたら説明しますが、このスレ話題ではないので、一応留めておきますが。


780:日本@名無史さん
07/05/09 23:26:03
>>778その問題設定自体がおかしい

781:日本@名無史さん
07/05/09 23:45:25
>>780
では、自分で違う設定をしてみて考えてみればよいでしょう。
どんな分析が出来るのか、私は知りませんが。

782:日本@名無史さん
07/05/10 01:06:06
↑歴史、いい加減にしろ

783:日本@名無史さん
07/05/10 01:09:19
田沼意次が、現在に残したものってなんでしょうか?

ただ悲劇の人間ドラマの主人公なら、政策は何も残ってないと?
西洋から来たものが現代なら、田沼はたまたま似たようなことをやろうとしたかも知れないというだけ?


784:日本@名無史さん
07/05/10 01:40:09
>>782
意味不明。日本語は使えるか?

あのさ、実際は江戸幕府はペリーなどの外国船の来航で開国し、尊皇攘夷と薩長の台頭で滅んでいくわけだが、江戸幕府自体が継続したとして、どうしたかったんだろう。
江戸幕府の当事者にとって、むざむざ滅びるようなプランを構想するわけがないから。
吉宗から田沼意次、松平定信、徳川家斉とその周辺(含む:一橋治済)。そして水野忠邦。
忠邦はもう、幕末に片足突っ込んでいるから、それ以外で考えると、政策や謀略はいろいろあって全部違うが、やっぱり共通項は
「中央集権を目指した」
かな。
吉宗は家康路線への回帰を目指し、できるなら覇権を確立したかった。
そしたら、敵は残存外様大名などではなく、商人であり経済ということになった。
田沼意次は、それに傾注して経済的手法で幕府覇権を目論んだが、限界があった。
松平定信は、経済政策は引き継がざるを得なかったが、朱子学路線が吉宗、引いては家康路線だと信じた。
(家康の林羅山=朱子学路線は、結果であって、家康の主政策ではないと思うが、途中綱吉や新井白石が出たから結構マイナー色は払拭)
徳川家斉&周辺は、係累増殖政策が家康路線の延長で、やはり徳川絶対覇権を目論んだ。

江戸幕府は結局、すべてを支配しようとしてあの手この手でずっと続けて来たが、タイムアップでならなかった。
そして、中央集権路線は、朱子学の延長である尊皇攘夷思想にバトンタッチ。



785:日本@名無史さん
07/05/10 01:59:07
それと、結局残存外様大名雄藩と天皇に。

786:日本@名無史さん
07/05/10 02:58:10
そして内務省という中央集権のばけものを作りだし、その生き残りが片山虎之助である

787:日本@名無史さん
07/05/10 09:13:50
中央集権の結果は、天皇中心の明治維新で結実した。
その結果日本は、欧米列強の植民地支配を免れたのかもしれないが、逆に戦争、帝国主義の趨勢に加担。
挙句の果てにWWⅡで多大な国民・他国民の犠牲を出し、破滅した。

788:日本@名無史さん
07/05/10 10:40:24
しかし、このスレ3年以上も続いてるんだ。

789:日本@名無史さん
07/05/10 22:38:28
そろそろ田沼意次はネタ切れかも分からんね。

790:日本@名無史さん
07/05/10 23:15:53
>>777に経済との関連で論証せよと迫られた>>775の反論が聞きたい。
それと>>775の説が正しいなら、御用金と事実誤認して、自説を展開した経済通の>>773の反論もな。

791:日本@名無史さん
07/05/11 00:03:11
わざわざ現代との対比でする必要はあまりない

792:日本@名無史さん
07/05/11 00:45:20
>>775
「結構体系的」という評価が、困るんですね。
体系的なのは、朱子学だって体系的だし、江戸幕府の組織だって体系的。
体系的=画期的ではないのです。
>>790さんは、「御用金と事実誤認」と書いていますが、御用金は従来からあるもの。かつ幕府だけでなく、例えば尾張宗春とか大名でも商人に御用金を課しています。
「新御用金」でしょう。話になっているのは。実は何度も繰り返していますが、私は余りそこには興味がないし、刮目していないんですよ。
工夫をしているのを否定はしないけれど、だから何なの? なんです。
田沼意次の政策=すべて画期的と考える人は、では何の「どういう点が」画期的なのか? という展開がなく「何が」を延々と羅列しているだけなんですよ。
それは、単に歴史的な知識を披瀝しているに過ぎなくて、画期的であるという論証ではないのですよ。厳しい言い方になってしまってますし、また厳しい指摘が本意ではないのですが。
新御用金は、国債なのか、株式なのか、税なのか、の論議を措いたとしても、ではそういった政策が当時のいかなる経済状況に、如何なる効果を齎したものなのか、がまず肝心。

次に、それが「画期的」なのは何故なのか、です。自分がそう思うというだけではそれは主観ですからどう思っても結構です。
でもわざわざ書くということは、他に対してもそうではないかと提示している訳で、客観性が必要です。
「画期的」というのは、それがなされたことにより、それ以降のものごと(この場合はその後の政策、またはその後の歴史)の流れを変える契機となったことを示していなければなりません。

793:日本@名無史さん
07/05/11 00:46:02
もし「画期的と思っている訳ではない」のなら、そう意思表明して欲しいです。私は「画期的だと思われる方は、意見を書いてください。」と書いて、それにより前言を翻しての反論だと思ったものですから。

で、私自身は、田沼意次の「目的」が何かが問題だと思っていて、それはそれまでの政治を否定または変えようとしたものではなく、>>784さんも言う通りで「幕府権力の強化」に過ぎなかったという考えです。
そして、>>784さんの話と違う部分について言えば、結局幕府権力は強化されず、実は明治維新後の中央集権すらも挫折し、「政治(政治家)は経済(商人・ビジネス)に屈した」のが現代ではないかと考えています。
今の政治は、夜警国家的な部分以外では、経済調整を後追いで認めることしか出来ていません。
「良くも悪くも田沼意次・松平定信」レベルというのはそういう意味です。

結局勝利したのは、徳川でも田沼でも、薩長でも天皇でもなく、江戸時代以来の「商人」です。
田沼の重商主義政策は、幕府権力を強めるどころか、商人の勝利を助長するものだった、ということになるでしょう。
しかもそれがきっかけではなく、商人たちの力は、それ以前から既に台頭して来ていました。
すなわち「画期」ではなかったということです。


794:日本@名無史さん
07/05/11 00:54:42
ちょっと補遺ですが、私は今書いた内容は我ながら厳しすぎる見解だと思っています。
でも歴史を俯瞰して、その延長線上にある現代にまで帰ってくると、現代社会の問題点に帰結してしまいます。
田沼はそれに対して何をなしえたか、という点では、仮に門閥の排斥がなかったとしても、思い切り高いレベルで酷ですが、厳しい見解になってしまいました。


795:日本@名無史さん
07/05/11 02:03:47
以上が経営コンサルタントのかたの見解だから次は歴史専門家もちゃんと見解言明しろよ

796:日本@名無史さん
07/05/11 02:56:28
おやや。

俺は、この時期の黒幕であり実力者は一橋治済かと思っていたが、実は『あきんど』だったか。
みーんなあきんどにしてやられたのね。

三○とか○友とか、今だに健在。戦争とかがあって、負けて財閥が解体されてもビクともしない。
ゴキブリ的生命力とは、実はあきんどのことかも知れない。


797:日本@名無史さん
07/05/11 12:52:55
政治だけでなく、学問も経済に屈したのか?

朱子学だけでなく、現代史学も。

798:日本@名無史さん
07/05/11 13:53:33
高度成長期も現在も、財界が「カネ作る道具になるガッコと兵隊
作らせんかいわりゃあ」と政府を脅して、大学にしろ義務教育に
しろ「改革」され続けてるもんなあ。

しかもそれでかえって国際競争力を落として、実際に世界に通用
しているのは、そういう財界の要請と全然縁のない世界で好き勝手に
育ったジャンルの人材ばかりという現実。ダメだねこりゃ。

799:日本@名無史さん
07/05/12 15:03:43
お、おまいら、そう簡単に迎合すんな!

800:日本@名無史さん
07/05/12 15:57:58
商品経済の進展が幕藩体制と相容れない、これは田沼時代でも同じこと。
徳川体制の基本は米を中心とする経済、幕府を宗主国とする(擬似的な)連邦国家、
この理念は田沼政権下でも放棄されてはいないだろう。

その理念の下に、商品経済の進展を前にして、それをコントロールして幕藩体制を守る、
この点も定信他の政権と共通している。

まあ理念にこだわるか清濁併せ呑む道を選ぶか、抑圧のための統制か共存のための統制か、
そこが違いといえば違い、という程度だわな。

801:日本@名無史さん
07/05/12 19:53:17
学問?
そんなものは、就職する為の予備課程だろうが。
どうやって生きていくかがまず肝心。

政治?
それはみんなが生きていくための調整役だよ、もとから。
政治家の自分たちの為の政治なんて、理念だろうが経済だろうが軍事だろうがみんな間違い。
てめぇたちの為に調整している奴なんて、迷惑なだけの話だ。

802:日本@名無史さん
07/05/13 00:05:26
私が「前言を翻した」のは意次の評価ではなく、あなたへの「同意」の部分です。
あなた自身の田沼評が変っていくので、当然でしょう。
画期性についてですが、視座の違いが根本的にありますね。
現代の高見から裁断するような見方を私は取りません。
「時代的拘束性」という政治史にせよ経済史にせよ、
その時代人には突き破れない限界を常に念頭に置くべきです。
それは理屈ではわかっているとレスから察しますが、評価を下す段になると途端に忘れてしまっている、
そんな感じを受けます。
なお、私は「体系的=画期的」などとは一言も言っていません。
>>760の「御用金の解釈も、そんなに分析性をもって考えるだけの体系はなかっただろ」
という指摘に疑問を呈したまでです。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。



803:日本@名無史さん
07/05/13 00:12:33
まず「新御用金」などと紛らわしい言葉で語られる「貸金会所」の原資について。
あなたは、>>752で返済を伴わない課税だする事実誤認からはじまって、>>760>>772>>773へと持論を展開していくわけですが、
いくら経済との関連で語ろうが、後世への影響の有無を語ろうが、前提となる事実を見誤っていては虚構の論、何の意味もないでしょう。
そしてあなたが田沼の経済政策について具体的に語っているのは、実はこの前提の間違った御用金、新御用金の部分だけなのです。
>>778式に語るなら、
貸金会所の目的は、年貢米に依存しすぎて窮乏化した武士を救済することし、そのための原資を富農、商人、寺社の遊金、余剰資金に求めて、
資本の流動化をはかることにあったと考えますが、薩摩藩の調所広郷など重商主義の藩政改革の多くが、強権発動による「踏み倒し」を常套手段とする中で、
公的機関の金融支援という形を取ることで借り手に圧力をかけ、返済不能に陥れば、徴収すべき年貢を充当させるという貸し倒れ予防策をしっかり講じている。
この場合「踏み倒される」のは幕府なのです。
(余談ながら、幕府の御用金そのものが、他ならぬ宝暦年間、つまり意次が政権中枢に入ってからはじまったものなんですけどね)
実際この「貸金会所」は挫折というより「阻止」されてしまったわけですが、運用されればその先に経営能力のない藩の淘汰に行き着くわけで、
その決意が意次にあったことは、郡上一揆での金森頼錦改易と老中、若年寄ら幕閣さえ処分した経緯からも確かでしょう。

歴史的意義は、徴税ではなく出資(当然配当もあれば還付もある)を募って原資とし、公的金融機関の体裁を取って大名に貸し付ける。
その発想はこれまでにない展開を持ち、返済できなかった場合を想定すれば、封建制の土台を揺るがす因子を孕んだものと言えるぐらい、
踏み込んだものなのです。


804:日本@名無史さん
07/05/13 00:16:28
次に、南鐐二朱銀の発行は、「金貨本位制」の確立に向けた、わが国貨幣金融史上きわめて重要なイノベーションだと思います。
これを契機に銀貨の金貨に対する補助貨幣化が本格化し、その後幕末までに7種類の係数銀貨が発行されました。
また、係数銀貨の鋳造に際しては大量の丁銀が鋳潰されたため、1830年代になると銀貨の約9割を係数銀貨が占めるようになりました。
南鐐二朱銀は貨幣供給を経済実勢に見合った水準に増やし、しかも米価その他の物価の水準に応じて、秤量、係数銀貨の割合を加減する事で、
金貨も含めた大がかりな貨幣改鋳によらずして、微調整の可能な政策手段を与えるものです。
それ以前は貨幣改鋳に頼るほかなかったことに比べれば、画期的に異なります。
ちなみに南鐐二朱銀が発行されなかった場合、1736-1818年の期間の金銀貨在高の増加率は急減しただろうとの試算があるぐらいです。
この南鐐二朱銀はいったん定信によって潰されましたが、彼の失脚後鋳造が再開されました。

この政策の歴史的意義は、江戸と大坂の金圏・銀圏の分立が商品流通の阻害要因になっていることからこれを解決しようとしたものですが、
金銀交換レートの安定を図るという点で、今の為替政策にも通じるうえ、明治4年の新貨条例制定への底流となる、先進性の高い通貨政策だ
と言えると思います。


805:日本@名無史さん
07/05/13 00:22:25
さらに意次といえば倹約政策とは無縁と思われがちですが、
今で言うゼロシーリングを採用し、行政機関ごとにあらかじめ支出額を策定しておく予算制度を初めて導入したのは彼です。
つまり民需は活性化するが、官の肥大化は抑えようとしたのです。
それは彼の権勢のバックボーンとなった将軍・大奥にまで及び、小納戸予算の大幅削減を果たしています。

その歴史的意義は、幕府が江戸開府以来、予算を組むことがなかった、というより1873年の「見込会計表」、1881年の「会計法」によって、
ようやくわが国で予算制度が確立した経緯を考えると、そのすぐれた先見性が見えてくるはずです。


806:日本@名無史さん
07/05/13 00:33:02
まあ、いろいろ長く書きましたが、連休明けはロムるのが精一杯で、
週末の長い書き込みとなってしまったわけですが、
意次の政治を語る場合、ほかにも蝦夷地開発や印旛沼開拓、その貿易政策(経常収支改善)にも
触れなくてはいけないでしょう。
つまり、田沼政治の一面だけを切り取って、現代の土俵に持ち込み、一般論もからめてあれこれ言っても
あまり実証的ではないだろう、ってことです。

807:コンサルタント
07/05/13 00:56:24
いまから特捜最前線みるので26時からにしてください…

808:日本@名無史さん
07/05/13 05:21:54
>>803
あなたの「誤認」について触れておきます。
「新御用金令」とは、別に私が命名した訳ではありません。
それに、何度も繰り返しますが「事実誤認」とか言っている「返済を求めない課税」の件ですが、私はそのような論議は措く、と言っているのです。
そしてそれには興味がない、関心がない、すなわち歴史的な意義は余り感じない、と言っているのです。
何度言えば分かるのでしょうか。
それを前提にしていないのに、「前提となる事実を見誤っていては虚構の論」と言っているのでは、最初からすれ違いです。

いいんですよ、そんな内容は。もう私を始め、何人かは結論を出しています。
優れた先見性は、引き継がれなかった訳ですから、先見ではなかったという結果です。

それに、何度も、かつ何人も言っているのですが、「経済の実情」「目的に対する合理性・合致の如何」に対して、あなたは何の提示も出来ていません。
実証といって、またもや列挙に終始しています。

政策というものは、当時でも何でも、実情に即しているかが問題であり、いかに体系的であっても、細かい内容であっても、実情に合わなければ妥当な政策ではないのです。
おおざっぱな政策でも、実情に即していれば妥当な政策です。


809:日本@名無史さん
07/05/13 05:22:57
私はそのような細かい話よりももっと重要な部分の話をしています。
それは、田沼は「何の為にそれをしようとしたのか」です。
「田沼政治の一面だけを切り取って」をやっているのは、あなたの方なんですよ。

田沼意次の「目的」は幕府権力の強化、です。そしてそれは、うまく行きませんでした。
それに対する反論ではないようなので、ここではもう敷衍はしません。

あなたが、田沼の政策の細部までよく知っているのは分かります。しかし、理解していないようですね。
歴史の大局、という視点においてです。

田沼意次を考える際の最も大きな「誤解」は、細かい経済「的」政策に着目し、それがあたかも現代の経済政策の嚆矢になったような理解をしてしまうことです。

実際は、それは「断絶」し、現代の経済政策は、改めて西洋の影響を受けたものだからです。
一方、江戸時代以来の「商人」の方は、断絶はほとんどなく、西洋の資本主義を取り入れながら、従来の商人の経営手法は連綿と受け継がれてきています。
これが、今日「日本的経営」といわれているものです。
「先見性」というのは、今に至るまで続いているかが問題であり、かつそれが当時妥当であったかと併せて論じるべきで、当時駆逐され、かつ後世とリンクしていなければ、それは「先見」ではない、ということになってしまうのです。
ずっと見ていると、細部ばかりを見ていて、歴史を連続してみていないことから来る誤解をしているようですね。
木を見て森を観ず、を地で行ってしまっているような。

もうかみ合っていないようなので、論議はここまでにしましょう。
「画期的だと思う人の意見」は他にないでしょうか?


810:日本@名無史さん
07/05/13 06:09:37
最後の2行はちょっと酷、でした。申し訳ありません。
あなたの論議を封じてしまう誤解を与えますね。そうではないのです。
ただ、田沼の細部を引き合いに出しても、先見性とは無関係であることを理解してください。

ずっと前に、こんなことを書きました。
「田沼意次の卓越した見識がもっと通れば、江戸時代後半の様相はかなり変わったかも知れません」
と。>>480
私は、田沼意次の政策から「卓越した見識」があったと認めてはいるのです。

それと、吉宗の政策は、田沼意次にも、松平定信にも受け継がれた、これも認めました。
これは吉宗に、多少の先見性があった(現代にまでは至りませんが)ことも認めています。

このことから、田沼意次が「先見性」を「持ち得る」ための条件を考えてください。
そうすれば分かるはずです。

それは、田沼意次は、決して潰されてはならなかった、ということです。
>田沼意次の卓越した見識がもっと通れば、江戸時代後半の様相はかなり変わったかも知れません
これは「仮定」であって、実際は見識は通らなかったのです。
それには、いろいろな要因があります。私一人が言ってしまうと面白くないので、考えるなら、それを考えてみてはどうでしょう。

どうすれば見識は通ったのか(どうだから通らなかったのか)。
どうすれば潰されなかったのか(どうだから潰されたのか)。


811:日本@名無史さん
07/05/13 09:43:38
>>808
かなりの暴論ですね。
議論は置くって!?「新御用金?」について滔々と語っていたのはあなた自身ですよ。
間違えを指摘された途端、「興味はない、関心がない。意義を認めない」って。
あのね、田沼政治を語るなら、その政策の一つ一つを「実証的に」検討してから、
評価を導き出し、そのうえで、通史的な大局的見地からの位置づけをすべきでしょう。
これはどんなテーマに取り組む場合でも、あるべきアプローチの仕方です。
意次や彼の政策を良く知らない、知らないから総論を語る―
表現はキツイですが、そんな印象を拭いきれません。


812:日本@名無史さん
07/05/13 09:44:37
>>809
また意次は市井の革命家ではありませんから、「幕権の強化」をめざすのは当然でしょう。
要は、そうした時代的、身分的な制約の中で、その政策に先見性、妥当性があったか?ということで、
この点は、あなたも力説している部分なのですが、次期政権に潰されたから先見性がなかったなんて立論、私は初めて聞きました。
ポスト田沼を政敵が担ったために、そしてその先見性、革新性ゆえに潰されただけです。
守旧派の政治家には彼の見識が理解できなかったと言うべきで、その見識は脈々と近代まで生き続けたと思います。
実際、定信後、忠邦以後に、時代の要請によって復活せられた政策はいくつもありますし、
通史的に見た場合、彼の政策は明治以降の政策に通底するものがあることは、すでにいくつか実例を挙げました。
「先見性」とは先を見通す力であって、その時代に実現できなかったからといって、否定されるものではありません。


813:日本@名無史さん
07/05/13 09:46:07
>>810
最期に>>480があなたとは知りませんでした。
「妄想」をめぐって荒れた時の、あなたの意見には感心しきりでした。
また、>>810に少し痕跡を残すあなたの当初のバランスの取れた見解には共鳴する部分が
多くありました。
反応がイマイチで、挑発のため自説を先鋭化させるフリをしたのか?本性を現わしたのか?(笑
疑ったものでした。
視座が違うので、どこまで行っても議論が噛み合わないというのが率直なところ。
彼が「潰された」原因は、政策の失敗より政治的(政略的)な要因による面が強いと言うのが
私の持論なので、そうした話題になったら、またレスしましょう。


814:日本@名無史さん
07/05/13 14:17:18
と、コンサルタントがほざいておられる

815:日本@名無史さん
07/05/13 14:22:10
商人が断絶してない?そりゃあ、利潤追求って意味ではなw
だがその姿はずいぶん変ったさ。
だいたい商人どころか資本家だって、今じゃ少数派だ。


816:日本@名無史さん
07/05/13 15:18:57
でも世の中を実質支配してるぜ。数の問題じゃないだろw

いつになったら、江戸商人→財閥→各種業界最大手、は滅亡するのかな。

817:日本@名無史さん
07/05/13 15:46:45
根猿短人?

818:日本@名無史さん
07/05/13 15:57:35
文字通りの資本家なんて、中小企業のオーナーぐらい。
経済界をリードしているのはサラリーマン社長。
三菱は武家出身だし、三井、住友、鴻池、古河みんな江戸商人じゃない。
財閥?そんなもん今ではタガゆるみっぱなし。
トヨタの住友から三井への乗り換え、三井住友銀行の誕生がいい例だろ。
業界最大手?勢力地図はずいぶん塗り替わってるぜ。
商人が政治を・・・中世の都市国家がせいぜい。

819:日本@名無史さん
07/05/13 18:19:27
>>818
こいつ真性のヴァカみたいだ。
武家でも商家でも、血縁の世襲だけだと思ってやがる。バロスw
それに身分はずっと固定だと思ってやがる。ワロスw
武家が商売始めたら、商人なんだよ。それが、本人の意思なら、なおのこと、武家より商いの方が良いと選択した事になる。

歴史ヲタって、事例を挙げたらそれがすべての真実みたいに思い込んで、内容をキチンと検証しない奴、多いね。
そういうスタティックな脳細胞は、もっと働かせてダイナミックにしろよw
勢力地図を塗り替えても、商人が天下を動かしている状況には変わりがない。

門閥を迎えて、田沼が経済を動かそうとしても、所詮は武家政治だったように。
田沼が江戸幕府を動かすのも、サラリーマン社長と同じだろうがw。





820:日本@名無史さん
07/05/13 18:39:29
すぐに現代と比較したがる奴が出てきたせいで急につまらなくなってきた。これも例のコンサルタントで有らうか?

821:日本@名無史さん
07/05/13 19:51:14
商人が天下を動かしてるってさ。
こいつ真性のばバカじゃない。
おまえみたいな単細胞、もう一度中学レベルから学びなおした方がいいぞ。


822:日本@名無史さん
07/05/13 19:55:25
田沼ヲカタレ。経済ヲタサレ。

823:日本@名無史さん
07/05/13 20:41:02
田沼でも田沼と経済でも、田沼と現代でも良いが、それ以外のことのみを語るな。
多分、田沼の個々の業績や田沼マンセーのみが面白いと思うのは、田沼ヲタ、歴史ヲタだけであろう。
田沼意次に関して、いろいろな内容に関心を持てるのは、プロでも素人でもここに書いて良い。
それ以外はスレ違い。


824:日本@名無史さん
07/05/13 20:42:37
>>820
別におまえのご機嫌を取るために書いている人ばかりじゃない。
ダダをこねるなw


825:日本@名無史さん
07/05/13 20:49:38
>>823
なに偉そうに仕切ってんだ、こいつ。


826:日本@名無史さん
07/05/13 21:12:23
Mr.コンサルタント只今発狂中!!!

【注意】近づいたり、エサを与えないで下さい。
    だれかれなしに咬みつきます。

827:日本@名無史さん
07/05/13 21:33:57
>>824 何偉そうに仕切ってんだこいつw

828:日本@名無史さん
07/05/13 22:09:23
これはもう終わりかも分からんね

829:日本@名無史さん
07/05/13 22:26:31
田沼意次なんて、元々そんなにネタがない。
よくここまで伸びたな。ある意味驚異だね。
それもこれも、結構斬新な考えが出てきたからかもしれない。

田沼意次って、政治理念的に最低とか、経済政策の評価が実は高いとか
いろいろ虚実が多い歴史上の人物だったけれど、経済とか現代とか、
もっと歴史を大きく考えた意見が出たことで、割と実像や歴史上の意味
が明確になってきたような気がする。
田沼意次の評価について書いたものは、賛否両方、歴史学者が書いたも
のを読んだし、小説は山本周五郎の「栄花物語」を昔読んだけれど、
このスレの、しかも後半の内容が一番興味深かった。
経済通VS歴史専門家みたいな意見交換も迫真だったけれど、実は一番
気に入ったのは、どちらでもなく(ご両人、ごめんなさい)、>>784
何か江戸時代や江戸幕府の本質に迫ったものじゃないかな。
それもこれも経済通VS歴史専門家みたいな意見交換があって、導かれ
るように出てきたような気がする。
いろんな角度から意見が出たし、歴史専門家ってそういう場合最初から
相手にしない、みたいな感じで対話がなかったけれど今回は違ったし。
意見を戦わせるスレとして、久々に良スレだったんじゃない?
幕間の罵倒や誹謗中傷は、どのスレにもいるんで、相変わらずだった
けれど。

830:日本@名無史さん
07/05/13 23:23:32
>>825
>>827
何情けなく仕切られてるんだおまえらw

831:日本@名無史さん
07/05/13 23:44:54
しかし、IE6だと人大杉ばっかだね?
IE7だと何でもないのに。

832:日本@名無史さん
07/05/14 01:05:10
>>821
おまえ、意見としてはカラッポじゃないか。
人に何かいう場合、まずは意見を書け。脳もカラッポなんだろw

833:日本@名無史さん
07/05/14 03:04:58
>>830 お前にそんなことを言われる覚えは無い。自分の主義に誇りを持てなくて如何する?脅される謂われは無い。お前に脅されて踊るバカではない?

834:日本@名無史さん
07/05/14 09:27:10
↑最後が「?」なのが、ワロスwww

835:日本@名無史さん
07/05/14 10:42:16
>>812
>次期政権に潰されたから先見性がなかったなんて立論、私は初めて聞きました。
良いこと教えてもらったじゃないかw 誰でも最初はあるもんだよ。
世間じゃ、常識だよ。潰されたら、先見性はなし。

836:日本@名無史さん
07/05/14 14:11:54
まあ潰されたらそれまでだろうね。
「歴史に『もし』があるか?」を認めるかどうかとも、関係あると思う。
潰されたからダメだったけれど、潰されていなかったら・・・? という話は、歴史の『もし』を肯定しているんだね。
歴史の専門家は、よく『もし』をトンデモだと否定するのが大勢だと思うけれど。
ここでは逆になっていないかな?
実際は、田沼意次の政治は潰された。そして門閥も滅びた。
石田三成とか、田沼意次とか、時々見直しの対象となって『もし』を考えられるけれど、
ひょっとしたら、歴史研究者のネタとしてのみ、意味を持ってしまったりしていないかな?
結論を先延ばしにした方が、飯の種もずっと残るってこと。


837:日本@名無史さん
07/05/14 14:37:07
このスレの役割も終わったようだな

838:日本@名無史さん
07/05/14 21:22:51
ホントにこの人、コンサルタント業やってンのかね?
やってねえだろうなあ。
ずっと朝から晩まで、ネットに貼りついてのたわ言。
文体変えての罵詈雑言。



839:日本@名無史さん
07/05/14 21:56:18
>>838
あんたまで自演に走るとはね・・・

840:日本@名無史さん
07/05/14 22:04:52
>>839 好い気に成るなよ!

841:日本@名無史さん
07/05/14 23:26:17
田沼意次が潰されたから評価されているのかな?
潰されずに経済政策を行使して失敗したら、ここまで評価されていないのかもしれない。
自分はコンサルタントなんかやっていません。
ただし、歴史に詳しい人が、余りに仮定が多いような気がしました。
コンサルタントの人の方が、現実を語っているのではないかと。

842:日本@名無史さん
07/05/15 00:09:47
>>829
私の意見は、結構オーソドックスなのであまり面白くないと思います。
もし興味を持って頂けたとしたら、あなたの指摘どおり経済通氏のお陰でしょう。
彼の反論によって目立っただけです。

>>784のご意見、再読しました。
この方も経済通氏もマクロ的に歴史を見ようとしている・・・肝心なことです。
ただ、一つ一つの丹念な検証は必要でしょう。

「中央集権」・・・この概念は近代統一国家の概念です。
封建制とは両立しないと思います。
誰かも以前語っていて、「まったく同感」と思ったのですが、徳川氏が「幕府」を開くという
選択をした時点で、近代国家の「中央集権」への道を自ら閉ざした(対比として信長を念頭において言っているのですが)
と、私は見ます。
「幕権の強化」と「中央集権化」とはまったく別物です。
そして市民革命を経ずして促成栽培で近代国家になった国特有の現象として、明治以降日本は
極端な中央集権国家になり、その残滓はいまだに色濃く残っています。

意次は?と云えば、彼は「士貌商魂」の感じを受け、よく使われる対比で言えば
「資本の論理」と「武士の論理」のうち、幕府の政治家でありながら「資本の論理」を
ウエイトを置いた人だったのでしょう。
中央集権化は商人の求めるところでないことは、今も昔も変りませんが、「ゆるやかな連合」
とそれをまとめる政府、ちょうど藩と幕府のような関係の秩序は欲します。
意次はその要請に応えつつ、幕府の行財政力の回復に努めたと思います。


843:日本@名無史さん
07/05/15 00:25:09
>>835>>836
自然科学の分野に目を移せば明白ですが、
その時代に迎えられず、否定されても、のちに真理と実証された例は
いくつもあります。
政治や経済も同様、むしろ先見性とは「当時は否定されたが」という
前置きが付くとき、いっそう輝くものでしょう。
定信は今でいうステータスポリティックスの政治家。
ステータスポリティックスには常にスケープゴートが必要とされます。
意次はその意味で潰された側面が強いでしょう。
しかし、定信自身失脚して白河藩に戻ったとき、彼の藩政は意次に倣うものでした。
そして、繰り返しになりますが、意次の政策は結果として、明治以降の財政政策や通貨政策に
嚆矢となったのです。


844:日本@名無史さん
07/05/15 00:31:14
田沼意次が失脚しなかったら……カステラみたいにピロシキも日本料理になっていただろう

845:日本@名無史さん
07/05/15 00:39:44
それは違うな。別に俺はコンサルタントの味方ではないが。
田沼意次の経済政策と、明治以降の近代化に伴う財政政策や通貨政策には
何の関係もない。
それらは、改めて西洋の影響を受けたもの。残念だとは思うが。
日本の商人の動きが、後の日本的経営へと流れたとするならば、田沼意次の
政策が結実していたならば、日本的経済政策が独自の発展を遂げた可能性が
ある。
それなら嚆矢といえるだろう。ただし、それも所詮は可能性。
ちなみに、面白いと思ったのは、「士貌商魂」という表現。
誰かが荒れる中でも言っていたが、日本の江戸時代の商人は、元を正せば武士
だったものが多い。いうなら「商貌士魂」だろう。
士農工商は所詮は朱子学の概念であり、また兵農分離は統一や海外進出の都合で
考えられたものだから、その路線通りにいかない反主流はいくらもいる。
むしろ、江戸期の商人の中にある武士的精神にも注目するのも観点のひとつ。
ある意味、江戸期の幕府の経済政策と商人の戦いは、形を変えた武士のいくさで
はなかったか。

846:日本@名無史さん
07/05/15 00:42:22
ついでに>>844に便乗させてもらえば、
「開国」・・・この大きな展開も意次の外交貿易政策に
その胎動を感じます。
まあ、これは徳富蘇峰が最初に指摘したことですけど。

847:日本@名無史さん
07/05/15 00:56:02
>>845
おそらく明治4年に「新貨条例」が、明治14年「会計法」が制定された時、
誰も意次が「金貨本位制」や予算制度の確立をめざしたことは知らなかったかもしれません。
私は彼の政策を近代国家の成立を前提として成り立つ政策と「直線的に」
結びつけるのは革新的に見過ぎると、以前自分で語りましたが、
その根っ子には、あなたと同じ考えがあるのですよ。
私が言いたいのは、似たような理念をその当時持ち得た・・・そこに先見性を認めるのです。



848:永島竜二 ◆Hfzjqzckbc
07/05/15 03:06:26
関係ないことに話を広げるな!

849:日本@名無史さん
07/05/15 07:01:27
ここまで田沼マンセーされると、もう鼻につくよ

850:日本@名無史さん
07/05/15 07:39:31
>>842
>「中央集権」・・・この概念は近代統一国家の概念です。
これも、違う。
律令制も基本的には「中央集権」。江戸幕府は、幕府だから中央集権ではない
というのではなく、「幕藩体制」になってしまったから、そうでない形態になった。
あんたは織田信長=中央集権を肯定するなら、はからずも近代統一国家概念で
はないと書いているようなものだが、織田信長=近代なのか?

ただし、江戸幕府は前半は織田信長的な観点から、その後は朱子学を幕府の
統治理念にしたことにより、「中央集権」指向が強まったことになったと思われる。
寛文期になるまで(或いは慶安事件以前)は、徳川の方針は、大名改易路線。
これが進めば、すべての外様大名が改易されたところで、幕府による中央集
権が完成する。
綱吉が将軍になった当初(天和期)も、この路線がある意味(というのは外
様ではないから純粋な当初の路線ではない)復活するが、次第に朱子学による
覇権概念に修正されていく。
朱子学路線で行くと、徳川将軍≒中国皇帝となる為、おのずと中央集権を目指
すことになる。ただ、基本的にもう戦争は出来ない。だが吉宗のような考え方
が現実に進めば、軍事力による覇権を目指すことは十分可能だった。
清朝の第六代皇帝乾隆帝の例もあり、天下泰平下での覇権を指向する可能性は
なくもない(ちなみに乾隆帝の治世は少しだが吉宗在位時期と重なる位同時期
で、乾隆帝が後だからこれを参考にはしていないだろうが)。
それ以降、吉宗後半から田沼意次は、武断でもない文治でもない経済で苦闘す
ることになる。それは新たな敵(商人)に対する為で、外様大名どころではな
くなった。


851:日本@名無史さん
07/05/15 21:38:14
外様幕閣
京極備中守高久(若年寄。丹後峰山・一万五千石)
脇坂淡路守安董(奏者番・寺社奉行。播磨龍野・五万一千石)

852:日本@名無史さん
07/05/15 22:44:11
>>845>>850
たいへん示唆に富んだレスですね。
「寛文期になるまで(或いは慶安事件以前)」という幕府の大名政策の区切り方も、
よく観察されていると思います。
であるからなおさら、誤解は避けたいので付け加えますと、

私は「中央集権」が近代統一国家の概念だと疑いませんが、
その概念を使って歴史を顧みたとき、律令制は本来公地公民制を前提としていましたから、
めざした形が「中央集権的」だったとは言えます。その点に異論はありません。
ただ封建制は中央集権とは両立しません。
幕藩体制は、むしろ従来の封建制に比べれば幕府権力の強化が特徴的です。
それでも中央集権化とは制度的に自己矛盾があって、「国家」を(そして中央集権を)強く意識すれば
するほど、反徳川や尊王でなくても、「倒幕」を志向せざるを得なかったと考えます。

「信長=近代」という見方はしていません。彼は幕府=封建制を突き破る体制を考えていた可能性があります。
その程度の意味です。
傍証はあっても確定する材料を知らないので、そんな大胆な仮説も持ちあわせていません。


853:日本@名無史さん
07/05/15 22:45:23
朱子学路線を進めても、「徳川将軍≒中国皇帝」とはならないでしょう。
朱子学はよく言われるように尊王敬幕を説いていました。
これは、政治の二重構造の容認を前提とする「幕府」という政体選択をした限界に由来するものでしょう。
案の定、やがて両者のバランスが崩れ、闇斎のように尊王賎覇と華夷内外の思想部分が突出して、
幕府にとっては結果的に両刃の剣になってしまいました。

話題が「田沼意次」からだいぶ逸れてしまいましたが、
私は「商人」が勝った「武士」が負けたではなく、商人でも武士でも「資本の論理」と「武士の論理」を融合できた者・・・
それが結果的に勝者になれたと考えます。
石田梅岩の思想やあなたのいう「商貌士魂」もキーワードになると思いますが、
そうしたものを受け容れるかどうか?
本商人(ほんあきんど)と彼らの云う袖長商人との対立、その後主流となった本商人と在郷商人との18C後半からの相克・・・
利害の対立だけでない思想の相違もあって、「商人」となかなか一言に概括できないでしょう。
商人の間でも、意次と定信に似た対立があったのです。
その意味で、意次は「資本の論理」に目覚めながら、その時代の拘束性からは抜けきれず、
限界にぶちあたったと見ています。


854:日本@名無史さん
07/05/16 01:57:59
>>853
あの、朱子学路線を進めても、「徳川将軍≒中国皇帝」となるのか、どうかだが。
それは、ここで俺とあなたが争う以前に、既に当時、江戸時代に論争がある。
山崎闇斎を引き合いに出してくれたから、おそらくご存知のはずだが、その弟子
の佐藤直方と浅見絅斎だ。
つまり、ここでそのテの論争しても、直方と絅斎との論争の繰り返しになるはず。
かつ俺はその一方を擁護したり否定したりしようとするのではない。
ごくごく簡単に言えば、直方は「徳川将軍=王者」という発想。対して絅斎は
「徳川将軍=覇者、王者=天皇」という発想。
尤も直方は後に立場が揺らぐ。「徳川将軍=王者」という発想は、新井白石の方
がより鮮明だ。
しかし、こういった論争の是非や真偽を検証しているのではない、というのが俺
の考え。
純粋な学問上の概念でいえば、実はどちらも間違い。本来の朱子学は、「王者=皇帝」
で、これは朱子学(新儒教)以前の儒教、特に孟子の頃からある発想だ。更に
ややこしくなるが、厳密にいえば皇帝すら、王朝を開いた頃は「覇者」、文治主義に
なって「王者」となっていく、というのがより正しいだろう。
いってみれば、朱子学上の「尊王」の対象の「王者」とは、実は曖昧なもの、相対的
なものともいえる。




855:日本@名無史さん
07/05/16 02:00:21
では、江戸時代における徳川将軍はどうなのか? 天皇は別にいる。しかし
江戸幕府が儒教、そして朱子学を統治理念として採用した経緯は、決して
皇室を尊ぶのが目的ではなかった。「忠孝」の概念の「忠」の対象は徳川
将軍である。これは、正しいのかどうかが重要なのではなく、当時の幕府は
そう考えていた、ということなんだ。
その論法で行けば、徳川将軍≒王者=中国皇帝となる。繰り返すが、これが
概念として妥当かではない。そのように位置づけて江戸幕府は朱子学の普及
・浸透を図ったということだ。
しかし、当然研究が進めば、その辺りで疑問が出てくる。それが直方と絅斎
との論争などに現れてくる。しかし、朱子学の本場中国には、征夷大将軍を
頂点とする「幕府」なるものがそもそも存在しない為、突き詰めれば突き詰
めるほど、つまり理論を語れば語るほど、そうじゃないのではないか、とい
う話になってしまうんだ。これは「歴史上の経緯」の話。

長くなったがそういう意味だ。そして結局それが幕末の尊王思想になっていく。
幕府にとっては朱子学を推奨したのが完全に裏目。そしてより過激な「水戸学」
が尊王思想を過激なものにしていく。

田沼に死命を制したのが門閥とその統治論の朱子学だから、田沼が出てこないが
この話は重要。



856:日本@名無史さん
07/05/16 02:15:56
そして結論。
「幕府」という政体選択をしたにも関わらず、幕府は統治手法として「朱子学」
を採用し、徳川将軍≒皇帝=王者に位置づけることで、統治しようとした。
この発想を「信じる」限り、江戸幕府はそれによる覇権を指向することになる。
幕府が開かれても、当然実態としては覇権になっていない。>>760の書いた通り。

しかし、幕府は覇権を目指した。いろいろ手法は異なるが田沼意次の政治目的
もその範囲内のものだった。しかし朱子学は結果的に尊王思想を育んでしまい、
それが衰退に拍車をかけ、最後は大政奉還となって滅亡した。
そういう流れだろうな。

商人の類型については、別途考察しよう。


857:日本@名無史さん
07/05/17 01:47:50
次に、
>「商人」が勝った「武士」が負けたではなく、商人でも武士でも「資本の論理」と「武士の論理」
>を融合できた者・・・ それが結果的に勝者になれたと考えます。

これはその通りだ。まったく異存はない。そして、それで行けば、幕府権力側にいた方の負けなのは
明らか。従って田沼は「敗者」であることも明らかなんだ。
政治に関わったから、ではない。例えば幕末の「亀山社中」のような考えで行けば、商売と交易、そ
して資本の論理と政治は容易に結びつくし、坂本龍馬は明らかに政治に首を突っ込んできている。
それが土佐藩公認となって海援隊となる。龍馬は薩長や幕府に首を突っ込みすぎて殺されたが、海援隊
の中から後の三菱を立ち上げる岩崎弥太郎が出ているから、このことは龍馬に先見性があったと見て良
いだろう。何故なら、当初の発想は、しっかり後に継承されたからだ。彼らはかつて経済政策や海外交
易まで念頭に置いた(かも知れないとされる)田沼意次の精神を念頭には置いていない。
従って田沼は「結果的に」先見性は持っていなかったことになる。

先見性というのは、後の評価だ。当時では絶対に評価できない。「先見性の可能性」までだ。
後に先見性があったと評価される為には、後の世が、一旦断絶したとしてもその精神を受け継ぎ、
その主旨を理解してそれを実現したかで決まる。
後の世は、経済中心となり、一見似たようなものになったが、実は田沼の精神を受け継いで近代
日本の経済に寄与しようとした人間はいない。別の動機、別の影響によるもの。

何が違うかは、もう明らかで、田沼意次の「動機」が幕府権力や幕府財政の建て直しだったから、
ということに尽きる。手法が同じか、似たようなものでも、動機は実は松平定信や、極論すれば
井伊直弼とも大差ない。明治以降に引き継がれなかったのは当然。
幕府側の人間だから、ではない。例えば岩崎の好敵手、渋沢栄一などを考えれば、それは明らか
だろう。
多分、コンサルタント氏が出てきても、似たようなことを書くのではないだろうか。
株を完全に奪ってしまったがなw



858:日本@名無史さん
07/05/17 10:04:07
>>851
外様に対する「譜代」の概念だけど、江戸幕府はかなり拡大解釈をしているね。
本来、譜代とは、父祖代々その主君に仕えている者。
ところが、豊臣秀吉にはそれはなく、当代で仕えても、そのような扱いにする「恩顧」という言葉が出てきた。
豊臣恩顧の大名、とか太閤恩顧の・・・というのがそれ。
徳川家康の場合、従来の「三河譜代」および、秀吉でいう「恩顧」の両方を「譜代および譜代格」として扱ったようだ。
それと外様の境界線はどこか、といえば、一応関ヶ原の戦い以前に従っていたか、それ以降(関ヶ原の戦い時も含む)かということになっている。
だが一律にそうかというと微妙なところ。
そのルールだけで行けば、加藤清正とか福島正則は外様大名。そして彼らまたはその子孫は改易によって葬られた。
おそらく、それ以降改易路線でなくなってきたところで、ある条件を満たせば譜代扱い(幕閣参入)という風に条件が緩和されていったと思う。
条件は、推測だが、
1.関ヶ原前後で徳川方についた者
2.大大名ではない者
3.当代も幕府に忠誠心のある者
4.養子縁組により、譜代や徳川縁者の係累が入った
京極は関ヶ原の後、石田三成の佐和山城攻めの後、家康に城を供出している。それ以前からも東軍に与している。
脇坂は、関ヶ原では西軍についたが、小早川の裏切りに呼応して東軍に寝返った。
それプラス上記の条件を満たした。
あと、挙げるなら老中に抜擢された真田幸貫を挙げないと。
彼は松平定信の次男で、松代藩主の養子に入っている。

859:日本@名無史さん
07/05/17 22:48:27
>>857
すごい論争になっていますね。
別にお株なんて拘っていません。むしろ近い考えを持っている人がいてくれて何よりです。
しかし、ちょっと違います。
私が言ったのは、「政治が経済に屈した」という事です。
武士とか商人とは、「身分」であり、身分間の階級闘争みたいに捉えていません。
武士対商人なら、明治以降はありませんし、また武士から商人になった者も、農民から名字帯刀を許されて武士になって、更に商人になった(渋沢栄一)例もあります。
問題は、田沼意次の経済政策と言ったものを考えた時、その歴史的位置付けでしょう。
今までに出てきたものを挙げてみましょう。

1.田沼意次の経済政策は、(1)現代の経済社会の到来をも見越した先見性のあるものであり、それは、門閥の排斥に遭って頓挫した。
  (2)排斥さえなければ、田沼意次の経済政策は日本の経済の進展に大きく寄与し、場合によっては有意義に評価できる日本独自の経済政策が育まれた可能性がある。
2.田沼意次の経済政策は、(1)現代の経済社会とは直接関係はない。
  (2)門閥の排斥がなくてもそれは発展を遂げる可能性は低かった。

大体こうでしょうか。目的については、私や>>857さんが「幕府権力を強化、または立て直す為」という主旨であり、>>853さんは特にコメントはありません。
まだ、論点の相違は不明ですが、実はこれが決定的なんです。
そしてそれは、江戸幕府の本質的な存在意義、覇権を目指したとかというのがその背景として語られています。
これも、その対立軸は見当たりませんね。


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