田沼意次について語るスレat HISTORY
田沼意次について語るスレ - 暇つぶし2ch150:日本@名無史さん
05/02/18 22:12:49
かっちょよかったらしいよ。
大奥に人気があったのは、あれだろ。
今の会社でも、女子社員を上手く扱わないと
仕事に支障が出るような

151:日本@名無史さん
05/02/19 14:06:25
江戸時代で一番の出世頭はやはり意次なのか?

152:日本@名無史さん
05/02/19 14:11:05
江戸時代最高の政治家は柳沢吉保。

153:日本@名無史さん
05/02/20 00:29:05
政治家っつっても実務能力が優れてるのか調整能力が優れてるのかで意見が割れるな。

154:日本@名無史さん
05/02/20 04:11:26
小泉みたいに、政局にしてそれに打ち勝っていくということでのしあがる、という
タイプもいる。
実務能力は皆無だし、30年も国会議員やっててちっとも勉強しないけど。

155:日本@名無史さん
05/02/20 06:45:02
大久保と比べれば、ゴミ

156:日本@名無史さん
05/02/20 11:10:06
そりゃそうだ。もともと独立採算でやってた郵政を民営化とかわけわかんないことほざいてるぐらいだからな。

157:日本@名無史さん
05/02/20 11:48:26
>>156
郵便外務、必死だな。(w

158:日本@名無史さん
05/02/21 14:46:59
>156
小泉の郵政民営化論は、
要するに「財政投融資」っていう日本の隠れ予算システムを潰せっていう事。

民営化によってサービスが向上するか否か、なんてことは
ハナっから発想に入ってない。

159:日本@名無史さん
05/02/21 18:47:19
財政投融資潰して一番困るのは政府じゃね?いったい郵政に何百兆借りがあるのかと。
つか国債買わせすぎたせいで郵貯の自己資本比率滅茶苦茶じゃん。
財投の都合上自己資本足りてなくても政府が穴埋めするからオケってことになってるけど民営化したらどうするんだろうね。

160:日本@名無史さん
05/02/22 23:28:03
>>158
そのためのおつきあいで郵便部門や小荷物部門などとバラバラ死体状態で民営化になる
のですね? 実にすばらしい計画です。
民間企業になれば、ストも打てるし計画倒産することもできるのです。
一回郵便会社や小荷物会社に計画倒産やらせて小泉の表情がどうなるかみたいものです。

・・・などと書くと、公務員板なら必ず>>157とレスがつくんだが。(w

161:日本@名無史さん
05/02/22 23:37:18
>160
小泉だもの。 土建行政潰すこと以外、なーんにも考えちゃいねぇww

162:日本@名無史さん
05/03/01 08:16:52
>>160 いずれは電報同様消滅する郵便事業なのだから、少し前倒しに
するかどうかということではないか。

163:日本@名無史さん
05/03/01 11:59:20
それはいずれの話であって今すぐではなかろ
今すぐ消滅したら困るじゃねーかよお馬鹿

164:日本@名無史さん
05/03/01 12:23:05
>>163 20-30年のTermではあるがこんな時間はあっという間。

165:日本@名無史さん
05/03/01 23:02:51
>164
君の寿命もそんなもんだから、
君の年収すべて僕がもらっても大した問題でもないよな。

166:日本@名無史さん
05/03/02 01:38:16
二三十年はあっという間といわれてもそのに三十年を郵便なしで過ごすとなると困るっしょ。
てかその言い方を拡大するといずれ消滅するから今すぐ地球がなくなって持ってもということに。

167:日本@名無史さん
05/03/02 09:18:35
>そのに三十年を郵便なしで過ごすとなると困るっしょ。
田沼とはあまり関係ないと思うので、短くいうと、
ITによって郵便事業の寿命が決まる。もっと具体的にいうと
ディスプレイの精度、価格。
それによって、現在のパソコンの普及速度がきまり、100%に
なったところで、郵便の需要は0%となる。その事への備えはやはり必要。
事業者は甘い予測を作りたがるから、遅くとも2-30年といったまで。

168:日本@名無史さん
05/03/02 10:39:15
その程度のことを分からずレスつける馬鹿が一人でも居ると思ったの?
みんな君よりは頭いいよ。

169:日本@名無史さん
05/03/05 16:31:19
田沼沖継

170:日本@名無史さん
05/03/05 18:06:43
詫濡魔御気津具

日本書紀にでそう。。

171:日本@名無史さん
05/03/05 20:14:49
歴史のIFとして、田沼政権が生き残るとしたら、どんなケースだろうか。

たとえば、家治があと10年ほど長生き→
家斉を田沼寄りに取り込む(または他の人物が将軍を継ぐ・・・誰になるか?)
&一橋治済が失脚(例えば家基暗殺or家治の暗殺未遂との関係が露見とか)

などという流れで田沼派の政策がその後も進められた可能性はありえただろうか。


172:日本@名無史さん
05/03/05 21:30:10
>>171
1.家基が生き残る。
2.浅間山噴火しない

173:日本@名無史さん
05/03/06 00:55:15
>>171
渋川温泉の温泉饅頭が
ヒヨコの形になってる

174:日本@名無史さん
05/03/07 01:13:00
反田沼に「側用人」という思いはあったと。

つまり、今の将軍なら我慢する。てめえはお気に入りだモンな。
でも、将軍変わったのにまだ居座る?はあ?
筋からいったら、昔は殉死してるはずだろ!てめえは。

こんな感じで。
しかしながら、田沼意次とは単なる側用人、つまり側近ではなく
幕府の正規の権力も代表している人間だったんだな。
なのでクーデターになった。
彼が、将軍側近→正規権力 の過程を取らなければ譜代も抑えられただろう。

ただ、将軍側近職からじゃないと、権力も握れなかったわけで。
この辺は当時の限界だろ。IFは無い。
たとえ10年長生きしようが、将軍が死んだ瞬間に
田沼意次は、幕府をのっとるか、自分が潰されるか の二者択一しかないよ。

175:日本@名無史さん
05/03/07 20:40:53
意次は正式な老中になっているの?

176:日本@名無史さん
05/03/07 21:52:56
なってます。田沼意次は柳沢吉保と違って正式な老中です。

177:日本@名無史さん
05/03/08 00:55:32
ついでに将軍のそばに自分の血縁置いてなかったっけ?

178:日本@名無史さん
05/03/08 01:04:45
意次は正式に老中になってるけど石高は吉保の方が上。比較するとどっちが出世頭?

179:日本@名無史さん
05/03/09 10:26:51
吉保=旧家出身の官房長官
意次=公務員が政治家に転身、首相の元秘書の大蔵大臣
現代風ならこんな感じか?


180:日本@名無史さん
05/03/10 01:06:05
意次は勝手掛老中ではない。

181:日本@名無史さん
05/03/10 02:57:27
老中を飲みたい

182:日本@名無史さん
05/03/10 09:58:06
意次と同時期の勝手掛老中って誰だっけ?


183:日本@名無史さん
05/03/10 11:15:34
松平輝高

184:日本@名無史さん
05/03/13 07:57:11
小説読んで、歴史板でモノをいうのもおこがましいが、平岩弓枝の文庫本を読んで
へえと思ったので、山本周五郎の栄花物語も読んでみた。意次を両方とも、ま、
持ち上げている印象。ぐぐってみると近年先見の明のある政治家として見なおされ
ているようだ。最近でいうと田中角栄とそれを引き釣りおろした三木の絵柄を思い
出すような印象だったが、三木も(後を継いだ)松平定信も、清潔かも知れないが
業績はぱっとしないよね。松平定信も白河藩の仕置きは悪くないようだが、国全体
を仕切るには器量が狭く陰湿な印象。
定信を引き釣りおろしたのは、誰なんだろう。家斉という記述があるが、元凶は別
にいるよね。

185:日本@名無史さん
05/03/13 13:24:05
江戸幕府って 将軍vs譜代だからね。

初代(家康)~3代(家光)辺りまで、将軍が頂点の権力者。

4代(家綱)で、将軍の力が弱くなって、譜代が強くなる。

5代(綱吉)で、譜代の力削減(側用人登場・・将軍権力の補佐)

6代(家宣)・7代(家継)でまた譜代が強くなる

8代(吉宗)でバランスが均衡(譜代=吉宗援立の臣 なので、譜代に気を使う)
で、譜代に対抗する為、紀州藩から家臣持ってきて側近にする。

9代(家重)でも譜代vs将軍(紀州系)は均衡。

10代(家治)で、側近の田沼が間隙をぬって権力頂点に立つ。
(譜代でも将軍一門でもない、紀州系の下克上みたいなもん)

だからこの時点で田沼の敵は、譜代と将軍一門両方だよ。
譜代の代表は松平定信で、将軍一門代表は一橋治済と御三家。
で、両派が一旦手を結んで、田沼を倒して、
次の権力闘争で、将軍一門が勝ったと見ればいい。

186:日本@名無史さん
05/03/13 13:38:16
三木がぱっとしないっていうのもえらく強引なこじつけねぇ。

187:184
05/03/13 15:40:48
>>185
なるほどね。で、家斉がオトナになって、世間の評判がわるいと首にした?
成り上がりの田沼を下ろすために、三卿が手を組んだが、とどのつまりは
一橋系が覇権を握ったってことかな。「...幕府はあっさり負けた」スレだかで
見たが、家斉のカミさんは島津から入っている。外様の支援もこのころは
効いたのかな。末期の前兆の気がしないでもない。
>>186
まじめな政治家だとは思うが、花はなかったのではない? 国民が元気になる
ような形は、表面に出る人には大事な要素と思う。「まつりごと」っていうじゃ
ない。

188:日本@名無史さん
05/03/13 22:37:27
田沼の開明性を分析し、評価するのはいいとしても、
田沼を評価するにあたり、政敵松平定信を極悪非道のように貶めるのはどうかと思う。

189:日本@名無史さん
05/03/14 00:40:17
>187
利権政治だけが「国民が元気になるようなカタチ」っていう認識は
ちょっと政治の見方としてどうかと。。。
戦後政治と幕府内政治を安易に結びつけて語るのは良くないよ。

190:日本@名無史さん
05/03/14 00:56:30
松平定信は別に田沼の政敵ではなかろ。と言うかギャーギャー煩いだけで。
田沼失脚は一橋治済が画策した結果では?

191:日本@名無史さん
05/03/14 10:39:28
>>188 定信が極悪非道とは言わないが、少なくとも経済オンチだったのは
今の視点では常識じゃないか?「銘刀うんぬん」のセリフも、定信本人が
「オレはアンチ田沼の御神輿なんだから、老中職につけてくれたらそれで
満足なんだよ。政策の実務能力なんてアテにしないでくれ」という心境を
示してると思うのだが。


192:日本@名無史さん
05/03/14 11:11:05
徳川幕府の権力の基盤が土地なのに重商主義とか無理
武家社会の解体を将軍の孫に課すのは荷が重かろ
現代から見れば何だって言える

193:日本@名無史さん
05/03/14 12:52:18
>>189
松平定信でぐぐってごらん。平成の松平定信:○田○也なんてのがある。
持ち上げる気かも知れないが、まずい気もする。

194:184
05/03/15 00:18:04
似たような発想の人、発見

URLリンク(sumidayo.at.webry.info)

195:日本@名無史さん
05/03/15 00:29:11
こっちが細かい。

URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

>>194 の外国人による再評価ってのが、ちょっと気になった。
上杉鷹山、円仁も外国人からだったような。

定信は書きものを残しているが、意次はなにか残しているのだろうか。儒教の人は
死後を気にして残すが、開明的?だったのが裏目かな。

196:日本@名無史さん
05/03/16 15:24:32
今の教科書にも賄賂政治とかなんとか書かれてるのかなぁ・・・。
田沼は賄賂ばっかで嫌な奴だったと思っている奴がいると思うと腹が立つ・・・。

蝦夷地検分ってだけでも(当時としてみれば)凄いことしてるのに、

197:日本@名無史さん
05/03/16 15:30:24
むしろ賄賂を受け取ってくれる器のデカい良い人
大出世したので本当ならショボい賄賂なんて逆に邪魔くさいだけなのに

198:日本@名無史さん
05/03/16 19:06:58
かといって田沼が清廉な政治家であったかのような言い草はおかしかろ、
それは歴史修正主義が陥りがちな極論。

全員が賄賂政治家だったんだから。 当時は。

199:日本@名無史さん
05/03/16 23:52:17
>>198
修正主義とかなんとか大それたことを言うつもりはないが、少しものを読んで
今までの印象と違っていることを発見すると、ぞっとする。

考えて見ると、田沼意次についてどれほどのことを「歴史」科目で習ったか。

せいぜい、江戸時代に3大改革があって、寛政の改革は松平定信がそれまでの
田沼なにがしの放漫政治を正した、位のこと。何分何秒の講義だったか。
焦点は定信にあって、田沼は引き合いだけで、田沼の政策の話は聞いたように
記憶していない。試験だって、改革の方は出るが、「田沼の業績を述べよ」あるいは
「田沼政治の弊害を述べよ」なんてのは出ないでしょ。例えば、今、高校では
江戸時代に何時間割いているのかな。

普通は、いいくに、いごよろしく、いちみさんざん、なんて類いのを憶えてい
る程度で終わるんではないの。あと、ま、賄賂の田沼とね。

200:日本@名無史さん
05/03/17 00:58:25
水野出てもとの田沼になりにける

と詠まれるくらいだから賄賂が普通だったんだろうな
定信が奇人変人なだけで

201:日本@名無史さん
05/03/17 04:01:23
松平定信のやったことってもう本当にばかの見本なことしてるからなぁ。
質素倹約させるっていうのは良い。当時の武士階級では無限に近いくらい無駄遣いをはてしなくしていた。
世間体を気にしての出費なんて巨大だったし・・・しかしそれを庶民にも押し付けた。
そんな真似すればどうなるか位考え付くだろうに。(定信は吉宗を尊敬してたらしいが吉宗は「庶民には押し付けるな」っていってるんだけどなぁ)
あと自分の領民に対して13歳以上は書物を読むな なんてアフォかとバカかと・・自分の領地でアフォ生産してどうするのかと・・・。
現代でも同じようなことしたなぁ・・・ゆとり教育だっけか?

で最後にやったことが田沼意次がやってきたことの取り壊しでしょ。
権力者の力を更に強大にするためにやったんだろうがこの改革は自国の弱体化にしかならなかった改革だな。

202:日本@名無史さん
05/03/17 06:26:13
「国」と「政治権力」の間に違いがあることを、現代でも理解できない人は大勢居るんです。
まして定信ちゃんの時代に、「国」「政治権力」「統治階級」の違いを
理解している人がどれほど居たことやら。

この三つを別のものとして認識する訓練を積んでるからこそ、
俺らは定信ちゃんを「馬鹿だ」と非難できるわけで
そういう考え方が無い当時には、どうにもやりようがないよ。

203:日本@名無史さん
05/03/17 08:52:20
独自路線を突っ走った挙句失敗して田沼のやったことを真似したり。

204:日本@名無史さん
05/03/17 13:26:54
前に出ていたサイトだったか、定信が老中になってからも、それまでの官僚は
田沼の政策を固持しようとしたというのがあったな。
これ読んで、田沼って自前の政策が、本当はなくて、側用人やって、調整役だった
ので、いろいろのブレインの考えを取り上げて、進めたんではないかと思うようになった。
で、政権が変わって、前のは悪いというのは常道だから、その責めを田沼が
一身で引き受ける形になった。悪名高い、柳沢吉保もいいわけしていないし、
子は奈良の方でズーと家は続いている。悪けりや、お預けだよね。

田沼も定信が死ぬ前に相良へ石高は少ないが、戻っている。
>>202 じゃないが、レベルが低くて試行錯誤? それにしても、学校で教えて
いることも、冴えない。先生もおれが習った通りでないこと教えられないとか
あるんかな。

205:日本@名無史さん
05/03/17 15:30:30
>>204
いや・・・田沼は一つ一つその場の問題を定信みたいに事なかれ主義じゃなくつぶそうとしてる後があるんだよ。
それに身分を問わず実力主義で人材を採用してるのでこいつだと認めたやつの意見を聞いたりするのは悪いことではないしやってきた功績を見る分に田沼を悪評価できるか?
側用人のいうこと聞いてるとしても採用するのは田沼だし実行した、それは見る目があったってことなんだから。

蝦夷地開拓の人選見てみろよ。当時の幕府の中でもこれっきゃないってほどのエキスパート集めてるよ。


206:日本@名無史さん
05/03/23 00:14:02
経済政策にしても意次本人じゃなくて配下の功績だっていう意見があったけど、
そういう政策を打ち出す人物に目をかけて政策を取り入れたのは意次だしね。
意次に政策がなかったとは言えないと思うな。
アメリカ風の俺についてこい的なリーダーシップと違って、日本人の指導者の
あり方って調整役としての能力が重視されるから、その点だけは>>204
捉え方も一つの側面とは思うけど。


207:日本@名無史さん
05/03/23 10:07:43
田沼意次の失脚のきっかけになった天明の大飢饉だが、日本全体での米の収穫
はそんなに減ってなかったという説を見たことがある。
商業化の流れの中で換金作物として米を売り払ってしまった藩(津軽藩とか)、
逆に米を買い占めて米価高騰を引き起こした藩(定信ちゃんの白河藩とか)など
人災ともいえる部分が結構あったとか。
一時的に自由経済の看板を下ろしてでも、米の流通を統制出来なかったのかな。
それとも造船技術の未発達とか船舶保有量の面でどのみち無理だったんだろうか。


208:日本@名無史さん
05/03/23 17:11:56
むしろ流通の未熟さゆえ。
仙台あたりにも米会所つくっとけばそれでおk

209:204
05/03/25 09:11:37
>>206
意次に政策がなかったとは思わないが、以前の印象では、意次が一人で専横を極めた
ような話だったので、実はそうではなかったということを言いたかった。
持論をごりごりやっているだけでは、代が替わるところっと政策が変わるというのが
常と思っていたけど、意次が辞めた後も、残った人が継続しようとしたというのを
知って、ああ、そうだったんだ、そうでなきゃ長続きしないなと思ったわけ。

御前崎へ行ったとき、相良は素通りしたけど、機会があったら寄ってみたくなった。
知らないというのは情けない。

210:日本@名無史さん
05/03/25 09:26:14
>>208
そうなんだよね。飢饉は何回も経験しているのに改善されないというのは難儀。

分野が違うが、玄界島などの地震の被害をテレビで見ても、阪神、新潟と先例
がありながら、対岸視して手が打たれていないように見える。今も変わらない。

211:日本@名無史さん
05/04/03 09:41:26
最中(゚д゚)ウマー!!

212:日本@名無史さん
05/04/03 11:43:36
吉祥寺小笹の最中はうめーよな。羊羹のほうは朝6時とかにならばなきゃ買えないらしいが。

213:日本@名無史さん
05/04/03 11:43:42
>>210
日本の国内政策ってそんなもんだよ
前例が無いで逃げてばかりでいざそう言う出来事が起こると
こんな事がおこるとは…だもの
役所の人間ってのは決まった事柄以外の事は頑としてやりたがらない
変化ってのを極端に嫌うからね
で実際にそう言う出来事が起こったから何らかの改善をするかと言うと
特に自然災害の事に関してはまだまだ遅れてるって感じだし

214:日本@名無史さん
05/04/03 12:42:39
>213
行政技術として、ある程度は仕方ないって部分も大きいよ。
予算は有限で、ある日突然配分割合の大変更、なんてのも出来るわけじゃない。

半額セールをたまたま発見したから晩御飯のおかずは変更ね、みたいな
個人の買い物の感覚で行政批判されても困るよ。

215:日本@名無史さん
05/04/03 19:50:19
その割に、タヌキしか通らない道なんぞが出来たりする。

よく言えば、みんなこっちへ来て住んでね。旧市街は火事が起きても
消防車が入らないからねって、言ってるようにも見えるが。

216:日本@名無史さん
05/04/04 00:29:54
ちゃんと利権が絡んでるのでそれは意固地になってるわけではないです。

217:204
05/04/07 10:46:28
歴史小説スレでいいらしいというので、北方謙三のものを探していたら、余燼という
のを見つけたので、読んでいるが、小説ネタを史実のように言うのは、的外れは
承知で、言うと、田沼意次の一派が松平定信の老中就任をはばむようなプロットに
なっている。意次は止めた後だが、意次に引き上げられた役人が抵抗している。
大奥も意次派みたいに書いてある。意次の名が表面に出て来るが、意次派の首領は
他にいそうな気がしてならない。

218:日本@名無史さん
05/04/09 12:24:53
>半額セールをたまたま発見したから晩御飯のおかずは変更ね、みたいな
>個人の買い物の感覚で行政批判されても困るよ。

全くの的外れ、こう言う人間が居るからどんどんバカになってくんだろうな。
あのね、朝三暮四みたいな事を言ってるんじゃないの分かる?分かんないだろうな。
自然の災害にそもそも人間の都合なんってのは関係無いって事を言ってるんだよ。

219:日本@名無史さん
05/04/09 15:28:25
>>214 の意見は、大枠がどっかから下り来る視点なんでスルーしたんだが、
行政は、そういう視点ばかりではない。何人かのキャリアと付き合ったことが
あるが、遠大な構想を政策化しようと努力している人がいるのは確か。
その意味で >>214 は狭量と思えた。

キャリアでない部分の仕事は、どっちかというと、余計なことはするなみたいな
枠組みになっている。社会保険庁みたいなところもあるが。

薬害は数人の被害者で行動を起こすようだが、交差点の信号機は10人位人が
死なないと作らない印象。今思い出せないが、他にもそんな暗黙の基準がある
ように思えてならない。東武線の信号機の死亡事故で、線路を高架にするのが
実現すれば、新しい事例と見ている。情けないが、血を流さないと進まない。

220:日本@名無史さん
05/04/09 19:25:10
新規の案件に関する予算は限られてるから無駄遣いはできない、ある程度血が流れて必要性を社会に示さなければ
予算を配分できない。
それでいて既存の案件に関しては必要性が無くなってもなかなか予算が削れない。
民間でも部門ごとの予算の取り合いがあるように行政もいろいろある

221:日本@名無史さん
05/04/09 20:05:35
もう部内の年度の予算使っちゃったから超勤しても手当出ないから超勤しちゃだめ。
とかあるよな。

222:日本@名無史さん
05/04/09 20:36:52
>>221
あるある、逆に予算使い切ってないから、3月ごろに急に備品買い換えたり、飲み食いしたり、研修行ったり

223:日本@名無史さん
05/04/10 18:06:21
>>220
予算の取り合いの場面だけを見て、民間も行政も同じと断ずるのは危険。
少なくとも、民間ではどっちが付加価値が多いかが基準。
税金は納税義務で集めた金(債券も将来の納税者から集める)だが、民間の金は
競合相手があってそっちへ行ってもおかしくないものがこっちへ来て使える金
だから、いいもの、いいサービス、安く、早くになるよう、お客さんに更に
こっちへ払ってもらえるように考える。予算が余るようなら、値引きに反映する
のだ。

224:日本@名無史さん
05/04/12 19:48:23
>219
キャリア官僚の権限の大きさをもってすら、
その程度のことしか出来ないってことだろw

225:日本@名無史さん
05/04/13 20:02:40
(´-`).。oO(脱線してるなぁ・・・)

226:日本@名無史さん
05/04/14 08:51:52
とも言えるし、身につまされているとも。

227:日本@名無史さん
05/04/14 16:25:39
すごい美男子だったらしいね。

228:日本@名無史さん
05/04/15 11:36:25
大奥でも人気があったようだ。
今の世の中の風潮を先取りした雰囲気が匂う。今も昔も変わらないとも言えるが。

229:日本@名無史さん
05/04/18 06:59:09
確かに。文書とかの形に残ってる例は少ないかも知れないが、なんだかんだで
昔から日本の男は女に頭があがらなかったんじゃなかろうか。
個人的な印象で恐縮だが明治生まれの今は亡き祖父母や同世代の親族を見るに、
形式的・制度的な男尊女卑はともかく実質的に男は尻にしかれてたし…
江戸時代でも大差があったとは思えん。
今の日本の企業や役所だって、偉いさんが職場の女性連にこまめにみやげ物の
菓子や香水を差し入れたりしてご機嫌をとってるのはよくある話だし。

しかし、二枚目でマメなモテ男くんが出世街道を驀進したのを僻んだ自己中の
モテナイ君(定信)が、影の実力者に尻尾を振ってモテ男くんの足をひっぱって
失脚させた、と言うと、いきなりスケールが小さく感じるな。

230:日本@名無史さん
05/04/18 17:12:39
むしろ陰湿な性格の治済君が後ろから定信君を煽ったと言う構図

231:日本@名無史さん
05/04/19 10:14:38
治済君は定信君の7歳年上で、治済君22歳のとき後の家斉が生まれ、この翌年
定信は白河へ養子に出された。年表でいうと家斉が将軍になった歳に定信は老中に
なっている。
子供の夭折が多かった時代、男の子が生まれたから早速定信を白河へ養子に出す
運動をすぐ始めたのかちょっと疑問に思った。当時まだ将軍の子も健在だったろうに。

232:日本@名無史さん
05/04/19 21:51:57
>>231
それは白河松平が家格を上げたかったから
将軍の血筋を望んだだけ。
元々、御三卿って、ただ単に「生きる」ことが目的だからね。
血をプールする為に吉宗が作ったから。
余っていたらどこぞにやってもよいのだよ。



233:日本@名無史さん
05/04/19 21:56:39
ただ、そういうものなんだけど
なんでか田安家は定信養子を大反対している。
これだと、「家」の思考があるんだよな。

事実、田安家以前に当主がいなくなった清水家は
いわゆる「明屋形」で家来もいなくなったんだけど
田安家は当主がいなくなってからも家来がそのまま残った。

将軍も田安家を特別に懇意にしていたし、
御三卿っていっても多分それぞれ概念は違うよ。
でも田安家が「明屋形」になったことで
一橋だけが特別の家になったのは事実。

234:231
05/04/20 00:59:19
御三卿の家の家来はみんな今で言えば出向だよね。子飼いはいないと思ったが
当主がいなくなっても残したのは、どう説明されているの? (老いた)女が
残っていて菩提を弔うとかあったのかな。
まさか今でいうポストがなくなると困るから残したとか。家斉の子はあっちこち
大勢押しこまれてはいるが、これはこの後だよね。

235:日本@名無史さん
05/04/20 16:28:48
将軍家のスペアであり余った子供の押し込み先でもあるから?

236:日本@名無史さん
05/04/20 21:43:52
御三卿って難しいよ。
作った当初は血のプール(家重が馬鹿殿だったため保険)
で、役割を終えたのに、その後どんどん既成事実が積み重なり
『御三卿』と。
当時の人間もよくわかってなかったみたい。
一応「将軍の家族」と捉えていたらしい。
将軍の家族とは何か?と問われると
最早どうしようもないのだが。

237:231
05/04/20 23:47:11
政治は譜代大名がやる約束だから、御三家が知行地を治める用事以外はヒマなのに
御三卿は知行地もなく全くのヒマですよね。悪さしかねないね。

定信のところってその後桑名へ戻って幕末京都所司代でご苦労だったんだね。

238:日本@名無史さん
05/04/22 23:26:06
(´-`).。oO(保守しとくかあ・・・)

239:日本@名無史さん
05/05/05 12:51:37
最中age

240:日本@名無史さん
05/05/22 11:20:06
age

241:日本@名無史さん
05/05/22 21:19:08
この人かばうつもりはないけど、必要以上に悪く言われてるというか押し付けられている。
賂鳥は島津重豪だぞ。証拠にくつわ十文字だろ。

242:日本@名無史さん
05/06/02 19:38:03
age

243:日本@名無史さん
05/06/02 21:18:10
相良じゃ偉人じゃ。

244:日本@名無史さん
05/06/03 10:17:00
白河のあまりの清きに住みかねて 濁れるもとの田沼恋し

245:日本@名無史さん
05/06/06 17:21:23
風雲児たちを読んだけど、この爺さん格好良いな。
息子の遺志を継いで老体に鞭打ったんだろうなあ~
蝦夷探険隊で稚内で越冬して氷漬けになった人たちは英雄だ。


246:日本@名無史さん
05/06/07 22:07:27
田沼意次がワイロづけで悪の権化ってイメージは、
戦前、尋常小学校の教科書に掛く書かれただけが理由だと愚考いたします。

勧善徴悪主義って、かなり精神年齢と民度が低いです。

247:日本@名無史さん
05/06/12 23:05:20
いいことをいう。
ならば今こそ必要なのは、勧善徴悪主義。

衣食足りて礼節を知るとも言うけれど、こうはならなかったわけだし、
再吟味することは多そう。

248:日本@名無史さん
05/06/13 09:31:19
勧善懲悪はいいことでしょ。
賄賂=悪と断じられていた、善悪二元論が問題。

249:日本@名無史さん
05/06/13 13:43:32
田沼だけが賄賂をもらっていたかのような扱いのほうが問題かと。

250:日本@名無史さん
05/06/13 23:53:27
司馬遼が韓国へ行ったときのことを「街道を行く」に書いていて、ホテルでアンマを
頼んでホテルに3000円相当を払って、来たアンマにいくら貰っているか聞いたら
800円位(正確でないかも知れない。1000円は行かなかったと思う)とか答え
たという。司馬遼が儒教ではこういうことは当たり前なんだなと感心?していたが、
儒教というのは今の日本人の理解を超えるところがあるようだ。

江戸時代も武家は儒教をやっていたから、そういうのが常識?だったのかなと
思える。賄賂というとカドが立つが、若年寄とか老中になるのに金がかかる話は
よく出てくる。

251:日本@名無史さん
05/06/14 07:45:13
なんでかね?
商人からってのが反感を買ったのかね。

252:日本@名無史さん
05/06/14 10:25:59
田沼が武家社会の中では異例の昇進を遂げたから。

自分の地位の根拠が家柄しかない連中の妬みですよ。

253:日本@名無史さん
05/06/14 14:45:14
>>251
御三家だって台所が苦しくなると商人に献金させる話はある。田沼が江戸で
商売めいた企画をすると紀州が関西の商人に競合させるようもちかけた話が
あった。

>>252
やっぱ家柄ですかね。クローン人間が集まった社会を維持したかった?
やっぱ腐って来ますね。人材の新陳代謝が進まないもんね。

254:日本@名無史さん
05/06/15 00:49:46
>>250
話がよくわかりません。
司馬遼って司馬遷とかの子孫?
3000円払ってアンマの収入が800円。
2800円はホテルが仲介手数料でとっているというはなしなだけでしょ?

255:日本@名無史さん
05/06/15 10:16:28
>>254
ホテルではなさそうだ。受け付けのお兄ちゃん(達)の小遣い稼ぎらしい。

256:日本@名無史さん
05/06/15 14:40:54
>>255
なにが儒教と関係あるのか?

257:255
05/06/16 12:36:30
>>256
司馬遼太郎・街道を行く「韓のくに紀行」(朝日文芸文庫)p.175 以降を
参照願いたい。数行に纏めなおすのは手に負えない。
尚、読み返して見たらアンマの取り分は800円もなかった。

258:日本@名無史さん
05/06/16 23:27:11
田沼が賄賂を受け取ったという証拠は何一つ無いと思う、具体的な例レベルでもそんな話しないし
ただ賄賂を受け取っていると言う噂が流れただけで…田沼の部下は知らんが。
伊達家からの賄賂を断ったと言う話しと、屋敷を没収したら清貧そのものだったと言う話しぐらいしか
伝わってないと思うが。

259:日本@名無史さん
05/06/16 23:43:19
賄賂と言うか今のお歳暮なんかと同じ感覚じゃね?

260:日本@名無史さん
05/06/16 23:48:22
濡れ衣の要素が大きいと思う。
当時から役職に就くには金品を使って運動しなければならない習慣があり、普通の
役職者はそうしたはずだから、田沼も使ったに違いないと思ったでしょう。
家重の代から重用されていたし、大奥の受けもよかったらしいし、新しい財政策の
提案にも柔軟だったのだけれど、出る釘は打たれるの例え通りになった。

天保以降各藩で財政再建に人材登用して取り組むのだけど、軌道に乗ると仕置家老
は更迭されるケースが結構ある。
藩主も皆が皆独断専横とは行かないみたいだ。(広島の浅野の殿様も明治になって
の手記でうまいものが食えなかったと愚痴っている。)

261:日本@名無史さん
05/06/17 09:45:38
>>259
感覚はそうかも知れないが、礼を尽くすような感じがもう少し強い感じ。
山本博文氏の江戸お留守居役の日記では、いろんなことで老中や町奉行にお願い
をするとき進物を贈っている。用人にも付け届けをしている。

いくさで家来が手柄をたてると恩賞を出しているが、それと似て仲介の労をとって
もらったりすると反対給付のように出している感じがある。
藩からのお願いの筋があるなら老中などが当然それを処理するとのいわば職務規定
があり、それに対して禄高が決められているならそういうことにならないだろうが
禄高は幕府への貢献に対する反対給付であって、各藩の願いごとは好意で処理して
いるため別途業務と考えられていたように思われる。
先の日記でも老中が変わると今度はどなたにお願いすればいいかと聞いたりしてい
る。

蛇足ながら前の書きこみのホテルのクラークも別途業務ということで手数料を取った
と考えられる。お役人と同じ発想で仕事をしていると見られる。自由競争が基本で
顧客サービスから発想する日本とは大分違う。最近の韓国がまだそうかどうかは
寡聞にして知らない。

262:254
05/06/18 00:43:24
>>257
司馬遼は司馬遼太郎でしたか。
常識ですか?

263:日本@名無史さん
05/06/18 07:46:30
別のスレで、国司は徴税請負人という表現があった。うまいことをいう。
受領は転んでもタダでは起きないというが、年貢を集めて定まった分を朝廷へ
納めれた残りは自分の懐へ入れていた。
江戸時代の代官も請負人。検見でいくらの出来高かを査定すると年貢は決まる。
請負仕事は裁量の範囲が広いから代官の実入りもデカい。
平安時代公家の徴税が理不尽だと武家社会を作ったのだけれど、武家社会に
なってもやり方は結局は変わらず百姓は苦しんだ。商業が発展して大半の武家も
苦しんだ。
裁量の範囲が広いのは仕事が融通無碍で弾力的なのだが、悪い方へ向かうと
賄賂のような慣行が蔓延する元になる。仕組みはかわっても結局は個々の要員の
心がけが仕組みの功罪を制するという証左。

264:日本@名無史さん
05/06/19 22:13:57
かといって裁量の範囲を狭めてしまうと、
「官僚主義的」と叩かれるという罠。

人類が政治っつーもんを覚えてから、ずっと悩み続けてる課題ですな。

265:263
05/06/19 23:25:10
>>264 御意。
先般も東京都知事が週3日しか登庁しないとか言ってなにやら怠慢みたいな報道が
あったが、こういう、ウカツなヒトを誤導するような言い方も混乱の元。

266:263
05/06/20 07:59:33
今朝、JR西の社長が車掌の制服で宝塚線の電車に乗っているのをテレビで見たが、
社長と車掌では仕事や責任が違うってことを印象づけるにはまずいと思った。

>>265 で都知事のことを書いたが、知事もときに作業着風で記者の前に出ることが
ある。ウカツなヒトには知事もタイムカードを押して仕事をしているように見えは
しないかと余計なことを思った。見え方は枝葉の話ではあるが。

267:日本@名無史さん
05/06/20 16:55:23
>266
「うかつな人」ではないのでしょう。
人間の目は常に主観フィルターがかかる構造になってますから、
非難したいと思っている相手の行動は、たとえどんなモノでも貶せるもんですよ。

268:日本@名無史さん
05/06/20 17:35:15
物事をバイアスかけてみるってのに周囲にそういう風に見えちゃうような隙をつくちゃうと言う時点でうかつなんじゃね?

269:日本@名無史さん
05/06/21 00:42:41
それ言い出したら最後、既存のモノの変革は一切出来なくなる……

大事なのは相手のセリフを鵜呑みにすることじゃなく、
何故そいつがそーいうセリフを吐いてるのかを理解すること、であって。


270:日本@名無史さん
05/06/23 20:57:58
age

271:日本@名無史さん
05/06/25 23:05:47
ヒマそうなので雑談。
田沼を考えると、清盛、義満、秀吉、竜馬、渋沢栄一などの重商の流れを連想する
んですが、そんな気はしませんか。いい本があれば読んで見たい。

272:日本@名無史さん
05/06/25 23:42:08
上げてるメンバーがいまいちだとおも
ただ有名なだけで

273:日本@名無史さん
05/06/25 23:44:41
推薦図書
佐藤雅美「主殿の税」

274:日本@名無史さん
05/06/25 23:46:53
朝日新聞の朝刊連載でも読んでろ。

275:日本@名無史さん
05/07/11 00:37:27
ここは私立天明高校。初代徳川家康が開校して今年で大体150年
続いている歴史ある学校なのである。
ある晴れた日、窓越しで二人の男子生徒が話していた。
工藤「は~、なんで俺たちのクラスだけ持ち物検査とかやるんだよ。」
平賀「しょうがねぇじゃん、担任の定信先生は8代校長の孫だから
   校内の風紀を守りたいんじゃね?」
工藤「でも隣の意次先生の三組はすごく乱れてるぜ。昨日も三組
   不良グループの〈火武奈嘩魔〉が暴れたらしいぜ」
平賀「他のクラスも文句を言いたいけど意次先生が恐くて言えない
   らしいな。なんせ意次先生の後ろには家治校長がいるからなぁ。」

その時ものすごい勢いで走り教室に駆け込んだ生徒がいた。
杉田「たた、大変な事が起こったぞ、ささ、三組で・・・」
工藤「どうしたんだよ?落ち着いて話せよ。」
杉田「それが・・・、三組の意知が四組の佐野に刺されたんだ」
工藤&平賀「な、なんだってーーーーーーーーー!!!
      意知は意次の息子で三組の番長だぞ。」
平賀「佐野ってあのいつも静かながり勉だろ?なんでそいつがあの
   意知を刺すんだよ。」
杉田「なんでも、貸した授業ノートを返してくれなかったとか
   お金を強請られてたらしい。」
工藤「これで田沼親子の支配も終わりだな。」


276:稲葉正明
05/07/11 11:54:08
ところで、蝦夷地開拓事業のことだが、勝手方勘定奉行の川井久敬、松本秀持らの試算によると開拓がされれば四百万石の米収は見込まれると意次に報告している。また、入植がすすみ人口が増えればロシアも無遠慮に蝦夷近辺に出没できなくなるという目論みもあった。
田沼の政治がもう永く続いていればねえ。
松平定信の蝦夷政策は幼稚で、原野のまま放置しておいた方がロシア帝国も魅力を感じないから南下政策はとらないだろう、という単純な論法。
ロシアは不凍港を求めて南下していたから例え原野のままでも充分沃野に映ったという視点が欠落している。

277:稲葉正明
05/07/11 11:54:26
ところで、蝦夷地開拓事業のことだが、勝手方勘定奉行の川井久敬、松本秀持らの試算によると開拓がされれば四百万石の米収は見込まれると意次に報告している。また、入植がすすみ人口が増えればロシアも無遠慮に蝦夷近辺に出没できなくなるという目論みもあった。
田沼の政治がもう永く続いていればねえ。
松平定信の蝦夷政策は幼稚で、原野のまま放置しておいた方がロシア帝国も魅力を感じないから南下政策はとらないだろう、という単純な論法。
ロシアは不凍港を求めて南下していたから例え原野のままでも充分沃野に映ったという視点が欠落している。

278:日本@名無史さん
05/07/11 15:34:59
400万石なら、600万人は人口増だな。蝦夷地は漁業資源等も豊富だから、1000万人
は養えたかも。となると、現在の人口に換算すれば、2千400万人~4千万人も日本の
人口は多くなっていたかも。

石高と人口
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

279:余談でスマソ
05/07/11 21:52:45
田沼町が佐野市に吸収された。意知も無念だろうな。

280:日本@名無史さん
05/07/14 07:47:31
>>279
前から疑問だったんだが、田沼町は田沼意次のゆかりの土地っていうんだが、
どういうゆかりか、分る人がいますか。意次の親が紀州で中間とかだったと
いうのはぐぐると出てくるが、中間なら姓はないのではと思ったり、意次が
姓を名乗るに当たって田沼町から借りてきたとかあるのでしょうか。

田沼町は何回か通っていて通る度に思っていて 279 でまた思い出したもんで。

281:牧野貞長
05/07/14 09:31:18
佐野政言が少老田沼山城守を殺害した動機だが、佐野氏の公式系図を佐野が城州にレンタルしたが、いっこう返してくれなかったとか、政言の知行地の佐野大明神を田沼大明神に名前を替えられて横領されたとか、松平越州が暗殺指令を出したとかいうが、
此等はガセネタであり、真相は、佐野善左政言が城州に
「田沼氏が佐野の子孫をうたっている(捏造だが)。うちは正式家系。よってうちが格が上だが、まあ仲良くしましょう。私にも役職を下さい」
と、じつに詰まらないことで言い寄り城州に相手にされ無かったのを逆恨みしたと、調査結果が出て居る。(参考重要文献・佐藤雅美「主殿の税」)

282:日本@名無史さん
05/07/15 12:12:48
その時歴史が動いたという番組によると
悪人と言うのはデマであって
本当はいい人だったそうだ
これが事実ならかわいそうな人だな
名誉を挽回してあげられないものかね

283:日本@名無史さん
05/07/15 12:30:05
>>282
それは見てなかった残念だな
定信ちゃんの子孫が、そんなこと言ったのかと思うと笑いがこみ上げるけどw

学生時代に定信ちゃんの日記を読んだことがある
「定信ちゃんエライ!」の羅列で嫌になってきた途中で挫折したorz

284:日本@名無史さん
05/07/16 17:17:36
経済学者としては米本位から通貨本位へ
移行したのはやはり優れてると思うが

政治家としてと問われると
政敵に追い落とされるなど 超マヌケ政治家といわざるを得ない

政治は結果を残して何ぼの世界だしwwww

285:日本@名無史さん
05/07/16 17:34:14
しかし当時の価値観で考えれば
天明の大飢饉しかり
食糧生産が一番重要だったので
やはり田沼意次は庶民にとってはどうかと

とくに東北の農産は飢饉で人食したり土かゆ食ったり
悲惨だったそうだし

でも飢饉でも武士は食うに困ってない

重商主義で金銀あっても
食いもんなきゃ どうにもならんだろ

おれは田沼のほうが小泉に近いと思うがな

小泉=松平であれば
小泉が農村放置してるのはおかしいだろw

286:日本@名無史さん
05/07/16 18:21:07 BE:120077344-
これオイラが作った狂歌どう?

小泉の 極右に魚の 耐えかねて
             もとの濁り オブ池こひ死期

  

287:日本@名無史さん
05/07/16 18:47:07
>>286
小泉は拡大財政政策だが
もちろん一般会計と特別会計での差し引きでの純額ベース出だ

一般会計だけで緊縮だと論じて小泉=緊縮財政というのは
もう発言しないほうがいいくらいの馬鹿まるだしだぞ



288:日本@名無史さん
05/07/16 19:38:50 BE:225144656-
>>287
286ですけど、初顔出しです。はて 、+ +。
なんのことやら?

289:日本@名無史さん
05/07/16 23:00:32
>>284
田沼が優秀な政治家かどうかはよく分らないが、世上言われるほどのひどい政治家では
なかったと思い直している。

因みに江戸時代の優秀な政治家って誰を思い浮かべますか。

290:日本@名無史さん
05/07/17 00:07:05
>285
アホか?
重商主義のほうが天災等の被害を抑えることができるんだが。

291:日本@名無史さん
05/07/17 00:13:56
もちろん生産も大事だけどね。
田沼は蝦夷地開発、手賀沼・印旛沼開拓と生産のほうも着手してる。
流通が同じくらい大事だと理解していただけ。

天明の大飢饉のときも他の地域では食糧は余ってたというし、ソ連の飢餓問題は=流通問題だった。

292:日本@名無史さん
05/07/17 01:33:21
松平定信が天明飢饉を切り抜け「名君」と呼ばれたのだって、
要は領内で取れたコメを領外に出さず、
他領に広がった食糧不足を飢餓に拡大させちゃったことと引き換え、なわけだし。

293:日本@名無史さん
05/07/17 09:33:34
松平定信は天明飢饉の際、隣藩の奥州会津、野州宇都宮などからも手広く米を買いあさった。
その結果白河の領民は救われたが他藩はそれだけ米不足に泣いたわけで会津の松平肥後守、宇都宮の戸田日向守から苦情が出たわけだし、
また自分の希望で白河から桑名へ国替えなどやることがかなり自己中

294:日本@名無史さん
05/07/17 22:24:59
田沼意次こそ真の改革者。
松平だとか水野は現実が見れないアホ。

295:日本@名無史さん
05/07/18 01:57:21
頼むから水野とDQNを一緒にすんなよ。

296:日本@名無史さん
05/07/18 04:30:43
は?水野は充分DQNだろ。
蛮社の獄の責任は半分アイツにあるだろ。

297:日本@名無史さん
05/07/18 14:13:24
そういえば、水野のこともよく知らないなあ。桶狭間のとき出てきたのと、
鳥居耀蔵の後ろだて位だな。旗本奴もだっけ。時期がむちゃくちゃだが。

天保のころは、当て馬で時間稼ぎみたいな印象。この時期各藩はいろいろ
やって成功したのに幕府は所帯が大きくてだめだったのかな。

298:日本@名無史さん
05/07/18 15:25:53
天保期の改革で成功したか否かが幕末で目立てたかどうかの分かれ目だあな。
大藩でも加賀や仙台のように失敗したとこはいまいち目立てなかった。

299:297
05/07/18 23:50:43
>>298
いわれて手許の資料をみたら、加賀本藩は富山藩の改革も潰してますね。
今様の「政局」にしちゃったんですねえ。

大聖寺の方は九谷焼、山中塗とかが出てくる。本藩の佐幕に対して勤皇みた
い。京に近いだけ情勢に敏感だったのかなあ。大した距離の差とも思えない
けど。

300:日本@名無史さん
05/07/24 19:46:43
今日命日だよね。

301:日本@名無史さん
05/07/24 20:56:14
能力的には日本史上屈指の政治家だったかもしれないねえ。
如何せんツキがなさすぎたのと、定信ちゃんが馬鹿すぎた。

302:日本@名無史さん
05/07/25 13:04:52
ワイロで有名だろ
と書いて削除されたようなんだがなぜだ?

303:日本@名無史さん
05/07/25 13:34:21
愚民化政策をとった定信を授業でよく言うのは間違っているとおもてた厨房時代

304:日本@名無史さん
05/07/25 23:11:09
>>302
どこで削除?


305:302
05/07/26 00:07:53
>>304
ここで

306:日本@名無史さん
05/07/26 14:29:19
亀だが>>280
意次のルーツをたどると、我が田沼町に行き着きます。田沼家の初代重綱が、
元仁元年(1224)に当地(当時は下野国安蘇郡田沼村)に一家を立てたのが
そのはじまりで、その姓は地名に由来したものです。
URLリンク(www.city.sano.tochigi.jp)


307:280
05/07/26 17:12:12
>>306
寛政重修諸家譜にはそうあるらしいが、それ以外に資料があるんでしょうか。
この資料は自己申告で、眉唾の要素大のようです。尚、私は出自で意次の業績
をとやこういう積もりは一切ありません。業績は業績です。

308:日本@名無史さん
05/07/26 21:39:18
299 > 二つに分かれればどっちが勝っても家名が残る。関ヶ原でも前田そうだったよ?忘れた?w

309:日本@名無史さん
05/07/26 21:42:28
307 > 秀郷の一族であるからこそ 本家の佐野が出世に嫉妬して刀傷したのでわ?

310:日本@名無史さん
05/07/28 13:49:13
松平定信が将軍になっていたら、もっと悲惨なことになっていただろうから
寛政の改革が数年で終わって良かったことだ
一橋治済が彼を養子送りにしたお陰だな

311:日本@名無史さん
05/07/28 15:18:27
定信は一杯書き残し、意次は書き残していない。この辺がその後の評価の分かれ目
だな。胸に一物あるやつは一杯書き残したほうが良いという教訓かな。

312:日本@名無史さん
05/08/02 17:25:04
鎖国は経済的には貿易赤字対策という側面があるわけだが、田沼の重商主義
が日の目を見ていた場合、江戸時代後期に国産化していた品目などを
考えると、日本の輸出品目は何だっただろうか。
明治期の前倒しと考えると、こんなところだろうか。
絹、陶磁器、茶、銅:欧州向け
木綿、食料、繊維製品:極東ロシア、東南アジア向け
銅、海産物:中国向け
九州の石炭:近海に出張ってきた列強の艦船向け

313:笠間侯・老職、牧野越州
05/08/02 19:48:30
確かに田安を将軍継嗣とせず、白河侯松平定邦養嗣にしたのは正解で、田沼主殿頭、水野出羽守が重商主義政策をとったのも正解だが、
豊千代(家斉)がただひたすら本能のまま金を浪費したため、殆ど結果に結び付かなかったのが悔やまれる。

314:日本@名無史さん
05/08/05 00:18:50
>>307
それを眉唾とすると
日本史の研究は成り立たなくなります・・・・特A史料です。
特Aというか、超基礎的史料。

具体的に言うと、あなたの疑問は
「色の定義は誰が決めるの?」
「1+1はなんで2なの?」ってレベルまでいってます。
もの凄いびっくりした・・・


315:日本@名無史さん
05/08/05 20:09:27
いま「トホホ」で田沼と平賀源内している

316:日本@名無史さん
05/08/05 20:25:24
まあ民放での扱いなんてこんなものか・・・

317:日本@名無史さん
05/08/05 20:31:03
あの國學院講師って誰?
あまりにトホホなこと言ってたから
ac.jp中心に調べてるんだけど、見つからね。
聞いたことも無い人だ・・・・

318:日本@名無史さん
05/08/05 20:33:32
江戸時代について小学館の学習漫画レベルの知識しかない俺だが
あの先生の発言はなんか違和感を感じたんだが・・・。
その違和感は正しかったのか。

319:日本@名無史さん
05/08/05 20:39:41
宮本か宮元でしょう・・・大学のシラバスにも載ってないのだが?
だーれーこの人。気になる気になる。


320:日本@名無史さん
05/08/05 20:50:16
見つけました。
織豊期、戦国の論文が多いです。
あと特殊な分野好きそうです。医療とか。
世間受けしそうな分野好きそうだから
次は田沼意次なのかもしれん・・・・

321:日本@名無史さん
05/08/20 12:38:35
age

322:日本@名無史さん
05/08/21 22:51:55
ヒマな無駄話だが、先日田沼の西林寺へ行ってみた。田沼意次の先祖の墓があると
言われているところ。Tシャツ姿だったが住職らしい人が出てきたので、田沼の
先祖について聞いてみた。あの辺は藤原秀郷の末裔が多いところで、佐野も田沼も
そうらしいとか。しかし系図は売ったり買ったりしているので確かなところは分か
らんと気にも止めない返答だった。

本堂裏手の墓地の奥に墓があると聞いたが、ぐるっとまわっただけではわからなか
った。暑かったので探すのはまたの機会にした。

323:日本@名無史さん
05/08/23 01:11:47
>322
期待してます。いいすねぇ~。

324:日本@名無史さん
05/09/07 21:38:58
age

325:日本@名無史さん
05/10/03 22:57:25
保守

326:日本@名無史さん
05/10/05 18:42:31
いやな老中だ。

327:日本@名無史さん
05/10/05 19:41:14
西ノ丸老中だから

328:日本@名無史さん
05/10/07 14:35:05
沼田次意

329:日本@名無史さん
05/10/07 14:39:38
田んぼに沼って下級ぽい名前 なんで改名しなかったんだろう・・・

330:日本@名無史さん
05/10/07 23:15:18
窪田を久保田といいかえるような、好字佳字を好む風潮はあるが、
地名を名字にするのは出自や領地を連想させて、習慣として根強いものが
あったようだから使いつづけたのではないか。
それに今は「沼」はいいイメージでないが、野や谷に比べれば稲作に重要な
水の便がよさそうで、豊かな土地のイメージがある。今は畑作も差別がない
が、昔は稲作はいわば現金を作っているようなものだから、稲作と畑作では
大違いだった。田沼は米が沢山取れそうなイメージがある。

331:日本@名無史さん
05/10/13 21:48:05
贈収賄大好き。

332:日本@名無史さん
05/10/29 23:03:10
age

333:日本@名無史さん
05/10/30 01:26:48
>>331
当時も今も政治家はみんなそう。
あの松平定信も賄賂贈ったくらいだし

334:日本@名無史さん
05/10/30 01:36:52
当時と今じゃ感覚が違うでそ。
当時のはお歳暮や時候の挨拶みたいなもんじゃん。
今は明確に法に反してる。

335:歳バレバレ
05/10/30 07:05:02
「天下御免」の田沼が
個人的「初田沼体験」ですた。



336:日本@名無史さん
05/10/31 01:02:52
田沼さん頑張ったよね。

337:日本@名無史さん
05/11/01 04:37:52
田沼意次は松茸御飯が大好きでした。

338:日本@名無史さん
05/11/02 06:46:40
田沼が
矢野弾左衛門の莫大な資金で
蝦夷地大開発企てたったのは、ほんと?

やっときゃその後の日本の歴史もかわったかな。

339:日本@名無史さん
05/11/02 14:23:29
田沼意次は在日だから。

340:日本@名無史さん
05/11/02 14:27:44
田沼の親父さんは足軽上がり。

341:日本@名無史さん
05/11/02 14:38:24
松平だの水野だのは恵まれているよな。

田沼かわいそう。

342:日本@名無史さん
05/11/02 18:38:33
三大改革の時代は、贅沢を禁止したりして、消費を冷やす。
つまり不景気な時代だった。だから経済も悪化した。
田沼の時代は贅沢を認めたインフレ時代。経済は拡大した。
全体から見ると、田沼時代の方が景気が良かった。


343:日本@名無史さん
05/11/02 23:08:53
>>342
だろうなあ

344:日本@名無史さん
05/11/03 11:12:20
田沼意次の官途はなぜ、主殿頭なのか。

345:日本@名無史さん
05/11/03 18:05:29
直系が横浜に住んでるよ。さすが士族率74%の横浜だ。
現代の武家地、それが横浜。庶民を寄せ付けないからね。

346:日本@名無史さん
05/11/03 18:37:13
あえて釣られる
士族率74%なんてあるかよw

俺の親戚の横浜市民は東北の貧農出身で
苗字はズバリ、「佐藤!!!」

347:日本@名無史さん
05/11/05 11:19:23
>>339
在日日本人

348:日本@名無史さん
05/11/21 22:57:47
保守

349:日本@名無史さん
05/12/09 23:09:06
age

350:日本@名無史さん
05/12/21 15:31:23
age

351:日本@名無史さん
05/12/23 12:26:29
田沼意次

352:日本@名無史さん
06/01/11 22:58:28
最中age

353:日本@名無史さん
06/01/11 23:05:53
大黒屋光太夫たちが意次在任中に帰国していたら、すぐに日露の国交が開かれ、
貿易が始まったか?

354:日本@名無史さん
06/02/04 23:06:18
最中

355:残さん
06/02/05 11:30:16
あっしも田沼の殿様はいいと思う。現実主義者だから。

356:日本@名無史さん
06/02/05 17:22:28
わたしは田沼さんが失脚してしまったのは松平定信でも御三家でもなく、老獪な一橋民部卿の暗躍によると思います

357:日本@名無史さん
06/02/05 17:41:00
>329田沼は佐野一族(藤姓足利氏=秀郷直系)の名門ですよ。
田沼町は佐野市に吸収合併されますたが…

358:日本@名無史さん
06/02/05 17:57:16
>>356
老獪って治斉は定信と10も違わないんだぞ

359:日本@名無史さん
06/02/05 18:14:49
御三卿の当主って、江戸城内の邸宅に住んでて、将軍の家族扱いで、
領地経営の責任も宮仕えの気苦労もない貴公子でしょ、

どこで、そんな老獪な政治力を身につけたんだろう?

360:日本@名無史さん
06/02/05 20:30:35
>>356
それは常識だと思ってたよ。定信はただ騒いでただけで。

361:日本@名無史さん
06/02/05 23:58:43
>>359
時間があるんだから、史書でも読んだんじゃね

362:日本@名無史さん
06/02/26 12:51:09
田沼=ムネオ

363:日本@名無史さん
06/02/26 16:16:49
松本秀持あげ

364:日本@名無史さん
06/02/26 22:32:36
曲淵景漸もおるでよ。

365:日本@名無史さん
06/02/27 18:00:16
川井久敬もいる

366:日本@名無史さん
06/02/28 21:20:23
田沼の不束はたかが市井の町医を奥医にすすめた程度である。不束でもなんでもない。
よかれと思ってやったことだ。しかも田沼は辞職をもとめていない。にもかかわらず解任命令がでた。
家治の死をふせて誰かが解任命令をだしたにちがいない。誰か。いうまでもない。水野だ。
「裏切り者め!」
田沼は虚空をにらんでいった。虚空に水野の顔がうかびあがった。目があった。水野は目をそらした。
そこへ思わぬ男がぬうっと顔をだした。一橋民部卿治済だ。
「そうか」
田沼は気付いた。
「一橋民部卿、おことも謀りごとにくわわっていたか」

367:日本@名無史さん
06/02/28 23:35:12
一橋民部卿治済の実像がどうもわからない。
どういう人物だったのだろうか。

368:日本@名無史さん
06/03/01 00:03:37
御三家と治済の間で、松平定信を幕閣に推挙する推薦文の文言が書簡でやりとりされた。あって話をすれば簡単にすむのだが、
ここらあたり当時はなにかと窮屈になっていた。そして十二月十五日の月次登城の日―。尾張の宗睦、紀伊の治貞は所労で休んだ。
水戸の治保のみが登城し、宗睦、治貞の添書をそえて、
「松平越中守事、実儀なる者に相見え、そのうえ諸事宜敷ように我ら承り及び候、年若には候えども只今の内より
加判の列仰せつけられ候わば、後々御為にもあいなり申すべくと存じ奉り候、よってこの段おのおのまであい達し候事」
という推薦状を手渡し、定信を老中にあげるように進言した。
水野は大老井伊直幸、老中首座松平康福らとともに治保の進言をきき、推薦状をみた。
事ここにいたって水野はようやく手を握ってはならない相手と手を握ったことに気づかされた。

369:日本@名無史さん
06/03/01 00:24:29
一橋民部卿治済は、つねに、家斉や御三家を通じてしか動かないのでなかなか実像を掴みづらい。
①家治が一回だけ手をつけた色黒の、どこにでもいる風采のあがらない御富という大奥女中を側室に貰い受けた。
9ヶ月後に豊千代(家斉)が御富から生まれたため、家治は豊千代が実は自分の子ではないかと随分悩んだらしい
②大洪水と打ち壊しのどさくさにまぎれて水野忠友に田沼を失脚させる
③御三家に松平越中守推挙を働き掛けさせる
④松平越中守に水野、井伊らを放逐させる
⑤家斉を通じて老中に対し、自身を大御所格で西の丸に入れるようごり押しさせる(失敗)
⑥家斉を通じて朝廷から儀同三司(准大臣・則訣の官)に任命さる

370:日本@名無史さん
06/03/01 09:21:38
暴れん坊が御三卿なぞ創らなきゃな…
兄を殺して紀州を纂奪したり極悪人だな。
治済も定信もイラネ

371:日本@名無史さん
06/03/01 12:41:13
でもその暴れん坊が田沼専左衛門を江戸に召し出したのも事実

372:日本@名無史さん
06/03/02 00:56:22
江戸時代の三大改革の実行者の一人ではあるが政治家としての力量は松平定信と同列ではないわな。
暴れん坊>水野>定信っつー感じか?3人の中では定信が一番無為無策だな。

373:日本@名無史さん
06/03/02 13:59:03
松平越中守儀、ロシアの南下に備えるべく田沼が着手した国家的事業とでもいうべき蝦夷地開拓を中廃止にした点、罪が重い

374:日本@名無史さん
06/03/02 19:00:40
水野と一橋治済の間に早晩亀裂が生じるだろうというのは予測するところだった。治済のほうが役者は一枚上だ。
亀裂ができたときは水野が窮地におちいったときで、ひょっとしたら水野は相談にやってくるかもしれない。復権できるとすれば
そのときだとなかば心待ちしながらまっていた。期待していたとおり水野は連絡をとってきた水野にたいする怨みは数々ある。
老中を罷免され、あらゆる動きを封じられた。五十数人におよぶ離縁義絶の口火をきってくれた。
営々とふやした禄高五万七千石のうちの二万石も収公してくれた。手掛けていた事業、新御用金令や蝦夷地の一件などあらゆるものを中廃止してくれた
水野は八つ裂きにしてもしたりない相手だった。しかしいまさら愚痴をぶつけたところでどうにもならない。一文の得にもならない。
いつでもいい、来る気があるならこられたいと田沼は水野の用人にいった

375:日本@名無史さん
06/03/02 19:21:48
三浦庄次、井上伊織の話題求む!

376:日本@名無史さん
06/03/02 23:25:58
>>374
水野?

377:日本@名無史さん
06/03/03 21:36:18
「屋敷が狭くなって身の置き所もないような始末で・・・・・」
と田沼がいった。水野ががばっと手をついていった。
「こんどのことはなんとお詫びしてよいやら・・・・・」
田沼はつとめて冷静にいった。
「手をあげられよ、出羽どの」
それでも水野は手をついたままくどくどと詫びをいった、詫びおわると気もおさまったか、
「実は・・・・・・」
と御三家と一橋治済の動き、また松平定信推挙の動きなどの一部始終をかたり、ため息をつきながらいった。
「どうか力をお貸しくだされ」
「ため息をつかれるほどのことではござらん」
田沼はこともなげにいった。


378:日本@名無史さん
06/03/03 21:42:30
>>359
才能じゃねえの?

政治的センスってあるからね。

その上で>>361が言うように、貴公子だから書物をたっぷり
読み込む時間と金はあるからね。

379:日本@名無史さん
06/03/03 22:01:26
「それにはまずそれがしの差控をゆるすことでござる。年頭の祝賀に登城できるように差控免は年内ということがよろしかろう」
「・・・・・・?」
「甥の能登(意致)は御用取次を病免されており申す。病は癒えたからと能登も再勤仕させればなおよろしかろう」

年がかわって天明七年(一七八七年)一月一日、年頭拝賀の儀式の日、諸大名旗本等群臣は続々登城した。
その中に田沼の姿もあった。田沼の姿をみとどめて、諸人は目をまるくした。
田沼は家格からいうと当然大広間で群臣とともに拝謁する。
御白書院には御三家の水戸の治保、加賀の前田治脩、大老井伊直幸、それに
水野ら老中と若年寄が控えていた。田沼はツツと進んで老中の末席にひかえた。
直垂に身を包んだ家斉が老中牧野貞長の先導で現われ、上段の間に進んだ。
田沼はなにもかわったことがなかったように、水野らとともに家斉に拝謁した。

これが「松平越中守を加判の列に」という御三家の推挙への幕閣の回答だった。
“亡霊”を行きかえらせてしまった。治済は驚愕にしばらく声もでなかった。


380:日本@名無史さん
06/03/03 23:05:48
一月十五日になった。十二月十五日、一月一日とそうだったが、この日も尾張の宗睦、紀州の治貞は出仕しなかった。
一人水戸の治保のみが登城した。御三家の詰所は大廊下である。治保が一人大廊下で休息していると、
大老井伊直幸に松平康福以下の老中がやってきて、康福がいった。
「松平越中守の儀についての書面の趣、内々御聴に達しました。おっつけお言葉があると思います」

家斉はたしかに水野に、「御三家の意向をきき届けてしかるべしと存ずる」といった。かえってきた返事は意外だった。
「なりませぬ」
水野は強い口調でいってつづけた。「越中守の白河松平家は加判の列にすすむ家格ではございませぬ。
宿老に人がいないというわけでもございませぬし、ここはおきき届けにならぬほうがよろしゅうございます」

381:日本@名無史さん
06/03/04 16:29:02
御三家は「松平康福は老中首座でありながら田沼のいいなりになっていた。それがけしからぬ。康福を罷免してかわりを……」
とかわりの人物として奏者番の秋元永朝の名をあげていた。田沼の謗を恐れて老中を辞任した秋元涼朝の養子である。
御三家が秋元永朝の名をあげているのに深い理由はない。

政局を回転させようという意図があってあげた名ではなかった。治済には政局を回転させる男として意中の男がいた。
ありていにいうなら水野ら幕閣からおいだす男だ。御三家をたきつけてその男を幕閣におくりこむのが、水野おい
おとしのために治済が描いた構想の骨子になっていた。意中の男とは、家治が死んでから急接近してきた男、
話をしてみると田沼に異常な恨みをいだいているのがわかった男、水野らも田沼の党類とみなして幕閣からおっぱらおうと
情熱をもやしている男、白河藩主の松平定信だ。
ややエキセントリックなところが気にならないでもない。しかし毒には毒をで、そのくらいでなければ
とても水野らを幕閣からおいだすことはできない。定信こそふさわしい

382:日本@名無史さん
06/03/05 22:58:35
打ち壊し騒ぎがようやくしずまったのは五月二十三日。翌日の二十四日、家斉は本郷泰行、横田準松、田沼意致の三人をよんでいった。
「なにやらこのところ町方が騒がしいようだが、なんぞあったのか?」
本郷泰行がこたえた。
「とくに騒ぎというほどのことはおきておりませぬ」
横田準松も、
「世上いたって御静謐」
田沼意致も、
「そのとおりでございます」
口をそろえた。家斉は十五歳である。騒ぎを家斉の耳に入れても仕方がない、というのが彼らの判断であった。家斉はそこで怒って見せた。
「余をたぶらかすのにも程がある…そのほう本日より御用取次を免ずる。おって沙汰する」
びっくりして三人はさがり、水野らに事の成り行きを報告した。家重、家治は在任中解任などという人事権を行使しなかった。
家斉は公然と人事権を行使した。騒動のことを家斉に報告しなかった責任は老中にある。家斉が御用取次の非をとがめたというのは
暗に老中の非をとがめたということである。徳川幕府は絶対権力者である将軍がたとえ実父の指図であろうと、
人事権の行使についてこうはっきりと意思表示をすると、水野らはもうさからいようがない。

383:日本@名無史さん
06/03/07 20:31:02
民部卿一橋治済あげ

384:マルサの女 
06/03/07 20:33:29
お千保の方が大奥にて陰謀したらしです。
そうとう田沼を恨んでいたみたい

385:松平周防守康福 ◆ltxY70nW1I
06/03/07 20:37:34
いや、恨みに固まる田安賢丸こと松平越中守と、大御所格を狙う老獪なる一橋民部卿の謀略が

386:茶々
06/03/07 20:58:12
お千保って誰?

387:大御所格を狙う一橋民部卿
06/03/09 20:48:31
大御所格を狙う一橋民部卿

388:御台所・輔子
06/03/09 21:10:30
尾張藩・吉道の正室じゃ!吉道さまは頭がいいですが、母の本寿院さまがアホじゃ

389:日本@名無史さん
06/03/30 16:50:36
うほ

390:日本@名無史さん
06/04/15 10:01:31
      

391:日本@名無史さん
06/04/20 00:21:18
意次・意知は好きだが、意尊は×

392:日本@名無史さん
06/05/17 23:03:14
保守

393:日本@名無史さん
06/06/04 09:52:45
>>375 三浦庄次は、小説にでてくる田沼家の用人の方のことかな。実在の人物
だったのでしょうか?

394:日本@名無史さん
06/06/04 10:04:05
田沼氏の発想は、とれるところから更に絞る×。とれそうなところからとる○。
といった感じだと思います。何百年前の御仁なのでお目通りは不可ですが、揮毫
や書状があったら是非ほしい逸品です。勝林寺のお墓には一般人でも参詣できる
のでしょうか?

395:日本@名無史さん
06/06/04 22:52:48
暗闘
★旧田沼派★
水野出羽守忠友(老中)
松平周防守康福(筆頭老中)
井伊掃部頭直幸(大老)
田沼能登守意致(御側御用取次)
稲葉越中守正明(御側御用取次)
横田飛騨守準松(御側御用取次)
松本伊豆守秀持(勘定奉行)
曲淵甲斐守景漸(町奉行)
阿部播磨守正敏(大坂城代)

396:日本@名無史さん
06/06/04 23:01:31
★定信派★
一橋民部卿治済(御三卿一橋家当主、将軍実父)
松平越中守定信(陸奥白河藩主、将軍補佐)
尾張大納言宗睦(御三家)
紀州中納言治貞(御三家)
水戸中納言治保(御三家)
松平伊豆守信明(三河吉田藩主、側用人)
松平和泉守乗完(三河西尾藩主)

397:日本@名無史さん
06/06/05 00:46:41
『 南紀派 vs 一橋派 』みたいだな

398:日本@名無史さん
06/06/05 03:39:57
寛政の改革中期~末期
★定信派★
松平越中守定信(老中首座、将軍御補佐)
松平伊豆守信明(老中次席)
戸田采女正氏鉄(老中)
青山下野守忠良(老中)
京極備前守高久(若年寄)※外様閣老

★反定信派★
一橋大納言治済(将軍尊父、御三卿一橋家当主)
水野出羽守忠友(西丸老中格)



399:日本@名無史さん
06/06/28 00:06:53
定信は短小だったらしいよ

400:日本@名無史さん
06/07/03 21:32:41
なにが?

401:日本@名無史さん
06/07/03 21:38:49
子供に“龍助”と名付けたいのだが、
嫁やその実家に理由を聞かれ、正直に田沼主殿頭が好きで意次のように成ってほしいからだと言ったら、
猛反対を受けています。 


402:日本@名無史さん
06/07/03 23:19:44
>>401
親戚を説き伏せてください。
田沼の立派さを説いてください

403:日本@名無史さん
06/07/06 17:32:32
>>401
ごく普通の名前だし田沼も一応偉人なのにそこまで反対を受けるのか

404:日本@名無史さん
06/07/14 16:33:39
田沼意次の田沼は姓(かばね)だよね?じゃあ田沼家の子孫の苗字は何なの?
我が町内で田沼という名札を発見したけど偶然かな? 当方は栃木在住。

405:日本@名無史さん
06/07/14 23:54:53
今度合併した佐野市の田沼にゆかりということではないの?

藤原秀郷があの変の有力者でその末裔が佐野とかその枝の田沼とか名乗ったのでは
ないかと思ってる。本当の末裔かどうかは別にして、ゆかりのあるのがそう名乗
ったらしい。田沼意次の縁者の墓が田沼駅の前の寺にあるという。(自分は探した
が分からなかった。暑くて止めた。これ前にも書いたと思うが)
住職に聞いたら名乗った人はいるが、藤原秀郷の裔かどうか分からないと笑っていた。

余談だが、近くの唐沢山城は大きいのにびっくり。栃木には旧跡が多いが、余り
宣伝されてないのが残念だよね。もうちょっと案内板が欲しいね。もう転勤した
が、息子がお世話になっているときは随分県内をドライブした。

406:404
06/07/15 18:50:47
>>405
んじゃ血縁の可能性は低いのか・・・ちょっと期待してたのに (´・ω・`)
赤の他人に妙な期待してしまった俺は何様のつもりなんだろwまだ俺も青いな・・・。

もしかしたら明治新姓(皆姓)の頃に、その人の先祖が佐野氏にあやかって名乗り出したのかもね。
そうすると「田沼」の苗字を名乗ってる家は、(たとえ遠戚だとしても)佐野市一帯がルーツになるの?
それとも「まんが日本の歴史」なんかでアリガチな「木の下に住んでる=木下」や「農民=○田」てな具合かな?

407:405
06/07/17 05:40:28
>>406
このスレの前の方にあったと思うが、意次の親だかその前だかは紀州の足軽で
吉宗が将軍になったとき旗本になって、で、(親類が田沼の地方にいるという
ので)田沼を名乗ったのではなかったか。田沼出身の人間がどう巡り巡って
紀州の足軽になったかは、ぐぐれば多少の話はある。

408:日本@名無史さん
06/07/17 13:08:14
>>401
田沼意次を知ってるだけエラいじゃん。>嫁やその実家
でも一発変換できるんだね。「意次」

409:404
06/07/17 18:16:09
>>407

ごめん一生懸命ググっても意行エピソード見つからんかった。代わりにこんなの見つけた。
URLリンク(72.14.235.104)


たぶん上記データでの田沼姓は百姓出自だと思われる。なんかいい加減クダらなくなってきたw
「我が家は元々埼玉県民です byご近所」というオチだったらイヤだし、
声をかける時のリスクも付きまとう。もうアキラメますw。

ところで意次の父である意行は実績以外がハッキリしない訳ですが、
まさに彼は成り上がりの典型ですよね。
ここの部分で現代人にアピールできないでしょうか?
オキツグの賄賂のイメージのせいで、このままの評価では可哀相ですよ。
美濃斉藤氏の“油売り”某や徳川家康に至っての“得川”とか
DQNな噂が立つ人物が多いだけに尚更思ってしまう訳なんですが。

意行・意次・意知3代に渡る大河ドラマで映像化してほしいと祈りつつ、
そろそろ私は消えますw。 長文な上にチラ裏スマソ

410:407=405
06/07/18 07:29:39
>>409
醜女の深情けみたいなレスになりますが、
「寛政重修諸家譜」と「田沼意行」でぐぐると1つは出てくる。
自分も佐藤雅美の本で見たのかも知れない。寛政重修諸家譜での記載しかないのかも
知れませんね。それより(旧)田沼町の名前の由来を調べたけどわからないのが悔や
まれる。地形からなら地形でいいんだけど、それも見つからない。
しかし、意次の功績は立派なもので、相良町ではいまもって慕っているみたいですね。
(ま、地元で人気の殿様は他にもいるといえばいますが)

411:aaaaaa
06/07/24 12:06:15
・・・・よく勉強になる^!!

412:日本@名無史さん
06/07/24 23:45:48
>>1
最高かどうかは別にして、国内産業の流れの隆盛を掴んでいたってところは
現代ならばもっと評価あっていいと思う。

413:日本@名無史さん
06/07/28 05:59:08
佐藤雅美の本っていうのは「主殿の税」ですか?
キャスト
田沼意次(老中)

徳川家治(十代将軍)

徳川治済(一橋当主)

田沼意知(若年寄)/松平武元(老中)

松平康福(老中)/松平輝高(老中)/牧野貞長(老中)/板倉勝清(老中)

佐野政言(旗本)/徳川家斉(十一代将軍)

川井久敬(勘定奉行)/松本秀持(勘定奉行)

阿部正敏(大坂城代)/井伊直幸(大老)/徳川治保(水戸藩主)/稲葉正明(御側取次)/田沼意尊(御側取次)/横田準松(御側取次)/本郷泰行(御側取次)

水野忠友(勝手掛老中)
松平定信(白河藩主)

414:410
06/07/28 12:33:49
>>413
題名を覚えてなかったが言われるとそう。自分もここで教えて貰った。

415:日本@名無史さん
06/08/22 18:09:59
ほー

416:日本@名無史さん
06/09/23 22:16:29
田沼意次って松平定信より政治家としては格が下がる。田沼の政策なんかたいした事ないしね。

417:日本@名無史さん
06/09/23 23:27:37
老中
田沼意次 主殿頭 従四位下侍従 雁之間詰 遠江国相良藩57000石→37000石→1万石

老中首座兼将軍御輔佐
松平定信 越中守 従四位上少将 溜間詰 陸奥国白河藩11万石

418:日本@名無史さん
06/10/13 00:33:27
開国近代化の元祖だろ

明治維新の100年前に維新政府がやったことをやろうとしてたのが
この人

田沼の政治がつづいていれば日本は1700年代の終わりから
開国近代化できたわけだ

残念

419:日本@名無史さん
06/10/23 04:06:20
田沼政治が続いていれば、諸大名の領地は軍事力ではなく経済力をもって徐々に幕府に吸い上げられ、蝦夷地開墾により、國が豊かになり、また対露外交が有利になったことは異論の余地が無い

420:日本@名無史さん
06/10/23 06:34:23
けど当時の技術力でどれだけ蝦夷地の開墾が可能なん?

421:日本@名無史さん
06/11/27 02:34:04
>>375

嘗て田沼氏執政のとき、その家老井上伊織、殊更に時めきたり。
其一を挙て言ふに、阪大学と云輪王寺宮の家司、貨財融通のことにて伊織の宅に往き謁を請しが、取次云には、主人出勤まへにて灸治を為し居候。
因今朝は逢がたしと答ふ。
大学、急ぎ候ことなり。何かようにても不苦。
推て目通仕たくと云へば、左らば通られよと云ゆゑ、入りたるに、伊織は出勤前ゆゑ継上下を着て、物に腰をかけ三里に灸をしゐたり。
灸をすゆる人を見れば、御船手頭向井将監なり。
又羽箒を持て灸灰を払居たる人を見れば、御勘定奉行松本伊豆守なり。
大学も大に駭き退出たりとなり。
これ後に大学が直話にせしことなり。
此頃の世態、聞ても愕然に堪ざる計なり。

平凡社刊東洋文庫『甲子夜話』第二巻
巻之三十 三五 田沼の家老井上伊織の事 p.254-255

422:日本@名無史さん
06/12/14 00:26:55
あげ

423:日本@名無史さん
06/12/14 01:18:37
>>404姓カバネの意味、判ってますか?
姓セイは藤原で、足利氏の一門。小山・結城・長沼と同族の佐野家の庶流。
後北條氏の滅亡後、主筋の佐野家と共に徳川家に仕えたとされる。

424:日本@名無史さん
06/12/18 18:36:30
>>420
米では無理だな。
てか、田沼なら沿海州との交易くらい考えてたんじゃねーかな。
北海道はその基地として、拠点港だけ抑えた間接統治、自力で開拓するほど農業に執着なさそうだ。

425:日本@名無史さん
07/01/08 16:09:24
田沼と大岡忠光とではどっちが上なの。

426:日本@名無史さん
07/01/13 13:26:06
>>425
大岡の方が年上

427:日本@名無史さん
07/01/22 13:28:20
田沼意次と松平定信の双方を操った影の実力者、家斉の父、一橋民部卿治済は何者か

428:日本@名無史さん
07/01/22 17:38:22
一橋宗尹の子、徳川家斉の父

429:日本@名無史さん
07/01/22 19:35:01
そんなことはわかっている

430:日本@名無史さん
07/01/22 22:34:12
田沼は坂本に生まれかわりましたよ
経済的なバックグラウンドがなきゃ軍事力なんて張り子の虎だし

経済の土台が無い軍事力は破綻を早めるだけ

431:日本@名無史さん
07/01/27 12:41:42
>>429
じゃあ、何が知りたい?

432:日本@名無史さん
07/02/01 02:30:11
とにかく知ってることなんでも書け

433:日本@名無史さん
07/02/01 11:21:51
池波正太郎『剣客商売』おもすれー

434:日本@名無史さん
07/02/01 18:13:06
宮城谷昌光の歴史小説はワンパターン杉

435:日本@名無史さん
07/02/11 21:04:53
田沼が失脚してからまる二年がかりの暗闘に興味があるそうです

436:日本@名無史さん
07/02/11 22:32:49
携帯なので検索するの面倒だから、激しく外出なんだろうけど、田沼氏の発祥の地て佐野市の田沼なの?

437:日本@名無史さん
07/02/14 00:24:15
そだよ。藤姓足利氏から分かれたのが、佐野家や小山・結城一門。田沼は佐野の分家。

本来なら主筋の佐野大明神政言(貧乏御家人)が、老中意次・若年寄意知に嫉妬して刃傷に及んだ。或いは、一橋卿に洗脳されたのか…?

438:日本@名無史さん
07/02/14 01:23:52
結局、一橋治済は、息子を将軍にする為だけに田沼、定信を利用したんだろね。

一橋って、御三卿の二番目、田安より格下。この微妙な位置がね。
すなわち将軍家の後嗣が絶えるだけでは不十分。定信は田安だが、田安って
宗武の時もそうだけど、能力が高いから後継ぎにふさわしいなんて主張する
ようなお家柄。定信はうってつけの候補者だな(七男だけどね)。
将軍家には、家基という後継ぎがちゃんといた。これらふたりが後継者から
除外されないと豊千代丸(家斉)は将軍になれない。
権謀術策しかないけれど、これには優先度がある。家基から除外すると定信
が将軍になってしまう可能性が大(少なくとも一橋よりは上)。

当然、定信、家基の順で除外するしか豊千代丸の出番はない訳だね。

439:日本@名無史さん
07/02/14 03:32:39
ウホッ

440:日本@名無史さん
07/02/14 07:22:15
>>437
由緒正しい武士だったのに足軽まで転落してたんだ

441:日本@名無史さん
07/02/14 09:24:32
すでにさんざん既出だと思うけど(甲斐素直の随筆にもあるし)、
実は田沼氏のその後は「風雲児たち」に描かれているほど悲惨では
なかったらしくて、たとえば水野家から追い出されてきた子供って
いうのも、意知が亡くなったので田沼の方から呼び戻したもので、
元に水野家とは昵懇のまま、定信が権力をなくした後にまた幕府
財政を担当している。決して幕末の「ニシン倉」まで表舞台に出て
こなかったわけじゃあない。

ただ2年にわたる政争が凄絶なものだったのはたしかで、それは
よく言われているように、これが田沼家対一橋・定信の個人的な
対立という次元じゃなく、綱吉の時代から築き上げられてきた
「家柄にこだわらず能力主義で人材を登用するシステムを維持
したい勢力」と「能力に関係なく家柄で幕府の要職を固めて動かさ
ない門閥第一勢力」の覇権争いだったからで、実質的に江戸時代
180年の歴史の総決算的な路線対立だったから。

で、よくあるように「民衆の蜂起」を理由に革新派が撤退を余儀なく
されて、かえって民衆にはヒサンな政権が勃興してくるわけです。
改革をうたって人気を得て、しかし時代に逆行する破滅政権が
できるのは世の常ですね。かくして田沼意次を中心とした能力本位・
商業経済主義・開国革新路線の幕政は実質的にストップし、松平
定信のトチ狂った経済政策でせっかく蓄えた幕府の余剰金もアッと
いう間に底を尽き、幕政はたちまち破綻に追い込まれていくことに
なります。

とにかく幕末期もそうですが、派閥争いで報復人事を繰り返して
いるうちに、負けるはずのない相手に漁夫の利をくれてやるなど
負けるはずのない勝負を落とすようなことばかりゆやっているのが
日本のトップの体質です。まあ大東亜戦争も平成経済戦争もそう
でしたが、どうしてこう学習しないのか…余談すいません。



442:日本@名無史さん
07/02/14 09:58:51
>>441
いや、余談を交えて頂いたのが、流れに言及することになって良いのではと存じます。

>>440
考慮しておく必要があるのは、必ずしも「嫡流」ではないということかな。
由緒正しい嫡流が、そのまま足軽に没落するというより、嫡流以外が自然に由緒から
外れていって、いつの間にか嫡流は消滅してしまい、残った傍流の中から異例の台頭
をした者があった場合、その祖を辿ると実は由緒正しい家柄、なんてパターン。

徳川の家臣(御三家のような新興の家は顕著)だが、例えば水戸の家臣に「一色」
なんている。室町時代の名門武家だよね。ただ、一色の嫡流が水戸の家臣にまで
「身を落とした」のではなく、一色の嫡流は戦国乱世の中で別途落ちていって、
沢山存在している一色の傍流の誰かが、水戸に仕官した、という形。

先祖を辿れば、必ず天皇だ! なんてお茶目なスレも日本史版にはあるがw、
そんなところが実態でしょう。

443:○「本能寺の変、425年目の真実」
07/02/14 11:07:35
○人大杉状態を何とかするべし。自由に書き込めないだろう。

田沼意次を許す幕府。

○二十年間で二千億円の賄賂を集めた。
○天明大飢饉の最中に、米だけで七百億円をあちこちにため込んでいた。
○金銀反物は、屋敷に満ち、その数を知らず。
○大奥の美女らとはスキャンダルの数々。

島津家は長さ六メートルの銀の舟に金銀細工を万杯にして贈る。
井伊家は九尺四方の金銀製の箱庭を贈った。

444:田沼意次の財政改革ー主殿の税
07/02/15 01:56:38
一橋民部卿、おことも謀りごとに加わっておったか。

445:日本@名無史さん
07/02/15 02:35:21
一橋治済は、御三家と結託し、田沼の残党である大老井伊直幸、老中首座松平康福、老中水野忠成、御用御側本郷泰行、同田沼意致、同横田準松をおっぱらうため、
白河藩主松平定信、小浜藩主酒井忠貫、山形藩主秋元永朝のいずれかを老中首座にすべく工作していた

446:日本@名無史さん
07/02/16 09:40:21
定信は、何と言っても「吉宗の孫」という凄い札がかかっているからな。
家臣筋になってしまったが、主筋も同様。

老中首座になるのもむべなるかな。
ただ、既に一橋治済は、もうその先を見ていたのは間違いない。

447:日本@名無史さん
07/02/16 17:42:39
田沼の治世が原因で民衆が苦しんだってのは無い
飢饉や疫病はそれこそ地方領主の無能を示してるし


正直、汚職だろうが悪徳だろうが
それ以上の能力の持ち主だろ
息子が暗殺されたのは自業自得だが・・・・

448:日本@名無史さん
07/02/16 23:37:11
正義の胡散臭さが分かる人なら、田沼の価値も理解できるのかも。

449:日本@名無史さん
07/02/17 02:21:17
飢饉を悪政の証左のように語られちゃったのも気の毒だね。
小氷河期みたいな時期だったんでしょ?

しかし、為政者の失政を天変地異で戒めるってモロに儒教的発想だよね。


450:日本@名無史さん
07/02/17 03:22:11
天人相関説だな。

本能寺の変の頃も気象的には似た状況だったらしい。
赤光(オーロラの一種)が観測されたとも言うし。その逆が平氏政権末期。
気候変動も、歴史を動かす・・・・・?

451:日本@名無史さん
07/02/17 05:33:10
田沼が失脚してから寛政の改革の号令が始まるまで、まる二年の暗闘が繰り広げられ、幕府政権交代史上類を見ない激動だったと。
というのも、田沼改革はチームを組んで行われていたから田沼一人を閣外に放逐しても政策は簡単には揺るがない。しかも大奥まで田沼派。

その暗闘における一橋民部卿治済の暗躍には非常に興味を感じますが、いかがでしょうか

452:日本@名無史さん
07/02/17 11:45:35
最大の問題は、定信の処遇。実は、田沼派と寛政改革派(便宜上こう呼ばせていただく)の戦いは、やはりほとんど決着していたと見ている。
やはり田沼が巨魁であって、田沼なき田沼派は殆ど壊滅状態。政権を失った自民党経世会みたいなもの。

寛政改革派は、定信の処遇如何で、一枚岩になれるかだった。
それに、実は一橋治済は、そういった両派をも超越するような存在であったのではないかと考えている。

田安家の七男定信を、奥州白河藩主へと駆逐したのは、そもそも田沼と組んだ一橋民部卿治済の画策。
豊千代丸を将軍にしたい一橋民部卿治済の意志が働いている。将軍世子家基の暗殺も同じラインの謀略だろう。
御典医も買収されていた訳だし、用意周到。

その後の田沼追放も一橋民部卿治済。ここまでする動機は豊千代丸の将軍就任のみを至上命題にしているからこそ。
豊千代丸は、14歳で第11代将軍徳川家斉となったが、政権運営をする核が必要となる。政権与党側になった訳で、ただ謀略にのみうつつを抜かしている訳にはいかない。
定信の起用の背景だ。当然、家斉が成人するまでの暫定措置であり、何も幕政改革なんて路線を支持してのことではないだろう。

一橋民部卿治済は、暗闘の一方の当事者という考えではなく、両派を超越した巨魁であるという考えがないと、この一連の真相は見えてこない。


453:日本@名無史さん
07/02/17 23:29:19
一橋民部卿治済スレはここですか?

454:日本@名無史さん
07/02/18 00:58:06
そうかな、そうかも。
主役はすっかり食われていまつ

455:清水宮内卿重好
07/02/18 03:43:33
水野出羽守忠友は、一橋民部卿治済と手を組んで意次を免職、差控という形で老中から逐ったが、治済の老獪さに手を焼き、やはり大奥に隠然たる影響力をもつ意次が不可欠と判断。
意次に侘びを入れて協力を仰ぎ、差控を解いた。さらに、いずれは老中に復権させる腹積もりだったそうですが、これは真実でしょうか?

456:日本@名無史さん
07/02/18 11:42:06
その根拠は?

「腹積もり」なんて、具体的なデータがないと、トンデモだよ。
史料でも、それを窺い得るような出来事でも、何かソース挙げてくれ。


457:日本@名無史さん
07/02/25 15:56:24
誹謗中傷はなしね。

458:日本@名無史さん
07/02/25 16:02:17
そうだそうだ。誹謗中傷はよせ

459:日本@名無史さん
07/03/04 23:49:34
タヌキ意次

460:日本@名無史さん
07/03/17 11:37:50
沼田意次

461:日本@名無史さん
07/03/22 23:21:37
田沼意次は老中を罷免されたとはいえ、御用取次は田沼能登守意致、横田備中守準松、本郷大和守泰行らことごとく田沼派で占められ、
老中たちも松平周防守康福、水野出羽守忠友は大奥に繋がりを持っており、大奥まで挙げて定信の老中就任を阻もうとします

462:日本@名無史さん
07/04/03 19:14:40
俺も田沼意次は天才だと思ってた。やはり天才は不遇なのかね

463:日本@名無史さん
07/04/07 04:59:01
江戸時代は、太平が続き、経済があれだけ伸びたんだ。
重商主義を取る政治家が皆無だったら、もっと早く駄目になっていただろう。


464:日本@名無史さん
07/04/07 09:22:51
生活必需品を全国規模の流通で支えていた江戸中期に、通貨の統一が出来なかったのは
大きなマイナス要因になっただろうな。
相対的に銀を貶めて、金を高めることしかせずに、両貨統一の方向に向かわなかったのは
江戸幕府の統治能力の限界か?

てか、なぜ関西は銀なんだ?

465:日本@名無史さん
07/04/07 11:42:16
中国他、東洋は銀。欧米は金。BANKの訳語も銀行やがな。

466:日本@名無史さん
07/04/07 14:50:04
BANKは堤防だろ

467:日本@名無史さん
07/04/08 15:07:50
田沼といえば、すぐ賄賂政治とか批判されがちだが、
今と違って当時は、贈収賄への罪悪感なんて大してなかった。
松平定信だって、水野忠邦だって贈賄してるしな。

意次が家基の毒殺の黒幕なんて確たる根拠のない言いがかりまでつけられて・・・
これだって、初期の政敵だった松平武元の家臣が書いた「続三王外記」を元ネタ
にした俗説だろう。
家基生母のお知保の方と意次は実際は懇意だったし、家基が田沼の政治を批判して
いたなんてウィキが勝手に書いてるだけ。
家基につけた西の丸老中は歴代、松平康福、水野忠友、板倉勝清など意次の与党
ばかり。
第一、意次は家重→家治という吉宗の嫡流にのっかって出世してきただけに、
この嫡流の血統を重視、当初は大岡忠光と組んで一橋家を空き家にしようと画策、
そしのちには一橋治済と組んで、田安家を空き家にしたぐらいだから、家基を
亡き者にするなんて・・・考えにくい。

468:日本@名無史さん
07/04/08 23:12:52
>>464
関西が銀なのは昔からです。銀の方が西国産出量が多く、価値も金ほどではなくてもそこそこあるからです。
金が産出するのは、東日本の方が多く、特に戦国期はゴールド・ラッシュですが、そんなところから、東国系武士=金、西国系商人=銀という流れが自然に生まれたのではないでしょうか?
江戸期には、統一のメリットはあるが、むしろ不統一のメリットも考えたのでは。小判の品質を(改鋳等で)落とさざるを得ない場合、銀の品質をより落とす(流通量を上げる等)ことで相対的な価値下落を軽減させるなどの手法もありますので。

>>467
おそらく、一橋治済と組んだことから、治済の嫡子豊千代丸を将軍にする路線で一致したものと考えられます。
ただし、それだけでは治済があれほど田沼を操れたのが不思議です。田沼の方が実権を握っている立場で、治済排除は出来なくてもイニシアティブは田沼が持っていてもおかしくない。
おそらくは、治済が何等かの田沼のウィーク・ポイントを握っていたのではないか。そうでなければ、田沼失脚という筋書きが説明できません。家基暗殺も。

飽くまで想像ですが、例えば紀伊吉宗の擁立までの過程の田沼家の暗躍(紀州内や尾張に対してetc.)などの田沼家にとって発覚すれば致命的な機密事項を握っていたとか。


469:日本@名無史さん
07/04/08 23:17:59
>>467
えっ!????

470:日本@名無史さん
07/04/09 08:06:35
>>469
ボヘッ!?

471:日本@名無史さん
07/04/09 09:22:40
>>470
スッポンポーン♪

472:日本@名無史さん
07/04/09 23:08:20
愚鈍な政治家でない限り、当然以下のことは察するだろう。
豊千代を将軍の跡継ぎに迎えれば、実父一橋治済の勢威が手のつけられないほど大きくなるだろう
ことは。
意次にとっては、家基に11代を継がせた方がずっと有利なのは自明。

>>468
わざわざ個人的な想像とことわっているのになんだけど、
吉宗擁立の暗闘は、紀伊・水野重上VS尾張・水野弥次太夫の闘争に尽きるじゃないか?
たとえ意次のオヤジが関与したとしても、治済にせよ意次にせよ定信にせよ、
みんな吉宗勝利の受益者ばかり。その過程でどんなあくどい立ち回りをしたとしても、
殊勲にこそなれ、弱みになるなんてことはない。


473:日本@名無史さん
07/04/09 23:14:04
徳川家基暗殺は、一橋治済が首謀者で、田沼意次は消極的参加または黙認ではないかな。
意次にとっては、別に家基でも悪くはない。しかし、一橋治済は何としても家斉を将軍にしたい。でなければ意味がない。
動機は、一橋治済にある。

474:日本@名無史さん
07/04/09 23:23:41
>>472
後世の我々は、みんな同じように見えるかもしれないが、当時は君臣の歴然たる差があるので、そこは斟酌しなければならないと思います。
一橋治済や、また定信は格下へ養子に出されていますが、やはり「主家」の人間。
田沼は、どんなに優れていても家臣です。スキャンダルがあった場合、どんな場合でも責めを負うのは家臣なんですね。
徳川頼宣と由比正雪を出したら極端ですが、発覚した例を出せばそんな感じです。

ただし、私も>>472の前半の内容には同意です。かつ、結果はそうなりました。
それが、田沼意次の限界だったのではないでしょうか。
一橋治済が家基暗殺を画策した場合、田沼は不本意であっても従わざるを得ない。
そんなところではなかったかと「思う」のです。私ももう少し調べてみますが。

475:日本@名無史さん
07/04/09 23:29:12
意次が家重とその嫡流を守るために苦心惨憺して、田安・一橋の「御両卿はずし」に奔走してきた
経緯と、お知保の方との所縁を考えると、家基の死に関与していたとはどうもね。

意次の義父や弟と甥が一橋家の家老をしていたのは事実だけど、これは一橋家側から働きかけた結果。
成り上がりの意次も、門閥の後ろ盾は必要との思惑もあったろうけど、
でもね・・・家基の死には積極的も消極的もなんも、無関係だと思うな。

476:日本@名無史さん
07/04/09 23:35:48
いや、無関係かもしれないです。私も傍証となるに相応しいデータをまだ見つけていません。
ただし、仮に田沼が嫡流を守ろうという意図を持っていたとしても、田沼ほどの政治力のある人間が、結果的に家基暗殺を許してしまい、その結果、豊千代丸の将軍就任と自らの失脚を招いています。
純粋に田沼意次と一橋治済の政治能力を比較したら、間違いなく田沼が上です。
にも関わらず、結果は田沼の敗北。そうなったのは何故なのかを考えてみた次第です。

477:日本@名無史さん
07/04/09 23:39:07
つか、意次が黒幕と思わせるあたりが、そもそも治済のしたたかね仕掛けじゃないかって
疑うな。
奴は、ずっと初代宗尹の長男次男を相次いで越前松平家へ養子に追いやった意次への
怨念を腹中に宿していたと思う。

478:日本@名無史さん
07/04/09 23:45:17
それはあると思います。
結局、田沼対治済という暗闘が、手を組んだ面もあったことを認めたとしても、構図として存在していたでしょう。
そしてそれは、このスレでも出てきていましたが、「立場の上下」対「能力の優劣」で、最終的に治済に軍配が挙がったと言うことでしょうか。


479:日本@名無史さん
07/04/09 23:54:06
確たる経綸をもっていただけ、意次は政治家として卓越していると思う。
過去レスに、何人かの役人の名を挙げて、意次の手柄ではないような書き込みが
あったけど、官僚はしょせん官僚、大図を示し、役人の献策を取り上げるか否かの
舵取りをするのが政治家。
その点、治済はただの権勢欲に取り憑かれた政治屋って感じ。
けど、その妄執が凄い。確かにある意味逸材だな。

480:日本@名無史さん
07/04/10 00:10:53
なかなか有意義な意見交換が出来ました。私ももっと調べてみますが。
馴れ合いになると面白くないのですが、具体的な話が多く出たので、意義はあったと思います。

田沼意次の卓越した見識がもっと通れば、江戸時代後半の様相はかなり変わったかも知れません。
ある意味、治済の勝利は理不尽なのですが、そのような幕府だからこそ滅んでいくわけで、どちらが良かったかは難しいですね。

あと、敢えて治済にも同情論を。
おそらく「御三卿」というシステムに大いに問題があったのではと考えます。
御三家と御三卿の大きな違いは、一国一城の主ではない、ということでしょうか。
十万石ありますが、はっきり言って仕事はありません。
尾張家や紀伊家なら、例え将軍になれなくても、55万石~60万石の「大名」であり「藩主」です。
その人生は決して無為なものではありません。
それに比べると、御三卿は将軍家家族で、家臣すら、幕府からの出向みたいなもの。
私が御三卿の当主になれといわれたら(有り得ませんが)お断りですね。後三卿の当主で一生を過ごすなんてことになったら、一体何のために生まれてきたか分かりません。
それに、ひょっとしたら「将軍になれるかもしれない」のです。そうすると、何か有意義なことをやろうと考えたら・・・

どんな手を使ってでも、将軍の座を目指す。それしかないのではないでしょうか。

481:日本@名無史さん
07/04/10 00:37:31
う、久々にヒートアップしとるな、このスレw

しかも、またもや一橋民部卿治済のスレになりかけている。
・・・と思たが、まあどちらもバランスが取れていて意次も評価されている
ようやな。

治済が将軍になろうとした訳ではない。しかし父親の情を考えたらと一橋家
の存在意義を考えたら、家斉を何としてでも将軍にしたかった気持ちは分か
る。自分がダメでも、せめて息子には、部屋住みの延長みたいな一橋家なん
か継がせたくなかったんだろう。
意次は、そんなのと戦わなければならなかったから、更に不憫だな。

482:日本@名無史さん
07/04/10 00:41:54
>>480
>ひょっとしたら「将軍になれるかもしれない」・・・そうすると、何か有意義なことをやろうと考えたら・・・
その志あっぱれ。。。というべきでしょうねえ。
でも治済の場合は、手段が目的化してしまったような。
御三卿は高等遊民の最たるもの。責任を負わずに権威に胡坐をかける。
あなたと違って、僕が憧れと思うのはナマケモノだからでしょう。



483:日本@名無史さん
07/04/10 00:42:34
大納言家基の暗殺首謀者の容疑者筆頭は一橋民部卿治済だと思うが、田沼が暗殺に一枚かんでいたとは考えにくい
メリットがないし、ぎゃくにリスクありすぎ

484:日本@名無史さん
07/04/10 00:45:32
そんなこんなで将軍となった11代徳川家斉は、大した業績は何も残さず、太政大臣兼征夷大将軍という家康秀忠以来の栄誉と、大御所時代を含めて50年も最高位にあって53人もの子供を作るという離れ業をやってのけたw

485:日本@名無史さん
07/04/10 00:48:50
しかも上洛して太政大臣宣下をうけるのが筋なのに江戸に居ながらにして太政大臣になるという横着きわまることをする
治済=准大臣、家斉=太政大臣、家慶=右大臣を独占するゴキブリ並生命力一橋党

486:日本@名無史さん
07/04/10 00:58:24
>>483
リスクはある。しかもものすごーく。
しかし一方で、一橋治済と正面から対立するリスクもものすごーくあるのではないかな。
暗殺には加担はしていないと思う。いくらなんでも。
でも分かっていても(意次ほどの政治家なら、察知できなかったという方が考えられない)抗えなかったのでは?
テラカワイソス

487:日本@名無史さん
07/04/10 01:02:05
治済による家基暗殺計画を察知する→家治に報告する→治済隠居→一橋十万石は収公→幕府財政に寄与

というあらすじにはならないんですか?

488:日本@名無史さん
07/04/10 01:11:28
それは、将軍家分裂、全面戦争。第二次応仁の乱・・・か安永の乱かになるかも。
田沼意次さんは、「政策」を実施したかったんでしょう。
家治-家基ラインと治済-豊千代丸ラインを比較したら、後者の方が遥かに粘着質。
前者は貴族然としているっていうか、頼りになるくらいなら、意次さんも何とか動いたのでは。
実権握る為に無力化していたのが裏目に出たのかもしれないし。
どーでもいいや、あんな親子・・・・って

489:日本@名無史さん
07/04/10 01:16:59
しかし家基さえつつがなく将軍を継承していればねぇ。意次は、せがれ意知を次期将軍の老中に、甥の能登守意致を次期将軍の側用人とし、
次代も田沼一族で将軍周辺を固めるつもりであり、一橋民部ごときに口出しさせぬ権力基盤確立まであと一歩だったのに…

490:日本@名無史さん
07/04/10 01:21:45
家基が毒殺されたかどうか?・・・自体が藪の中。
鷹狩り後、東海寺で体調を崩し、典医池原雲伯の投薬後、さらに病状が悪化して帰城後3日後に死んだ経緯
から、まず雲伯が疑われ、それを推挙したのが意次とされるところから意次自身に嫌疑がかかった。
(といっても、取り調べを受けたわけではなく、「続三王外記」などの俗書で、巷間囁かれただけ)
これがまず出来過ぎ。
よほどのバカじゃない限り、すぐ容疑者が割れるようなこんなトンマな仕掛けはしない。

第一、仮に毒殺だとしも、防ぐとか事前に察知するなんて容易じゃない。
治済はもっとしたたかで老獪だよ。




491:日本@名無史さん
07/04/10 01:23:38
で、結局、大納言家基は病死なのか暗殺なのか?

492:日本@名無史さん
07/04/10 01:26:25
田沼氏による執権政治が開始され、封建制から重商主義による高度な資本主義経済がアジアで独自に開花した。
北方の防備に備えるため、オランダと全面提携。西洋式武装と積極的な貿易が開始された。
ペリーが来航する50年以上も前。

493:日本@名無史さん
07/04/10 01:31:40
>>490
そう。具体的な計画まで察知できたかは疑問。
だが、ネガティブな流れは感触として得られたのでは?
その程度では、将軍家にも言えないし、また表立って動けば、それこそ一橋と正面きって対立しなければならなくなる。
むしろ田沼は、もっと真面目な政策通であり、謀略とかは却って治済には遠く及ばなかったと思えるな。

494:日本@名無史さん
07/04/10 01:31:53
家基は文武両道の聡明な青年といわれているが、18歳ではまだなんとも?
治済の父親の宗尹は「生まれながらの将軍の子はわれ一人」と強い自負を
持っていたそうだから、この家系、大岡忠光や意次が早くから脅威に感じていた
ように権力にも色事にも逞しかったんだろう・・・と思う。

495:日本@名無史さん
07/04/10 22:29:53
>>494
吉宗の後は嫡流の家重か、英明な(田安)宗武か、みたいな中で埋没していたように見えて、猫被ってたか。
こういうのが、実は一番怖いね。

496:日本@名無史さん
07/04/11 00:25:36
自身が無事生育するかどうかもわからない幼少の頃に、兄重昌、重富が相次いで越前家に養子に出され、
一橋家存亡の危機に陥った苦い経験から、
治済はこの策動の首謀者意次に接近して、彼の同輩だった岩本正時の弟内膳正正利の娘お富を側室(その子が家斉)に迎え、
意次の弟の意誠、甥の意致を家老に用い、意次と昵懇の老女大崎に一橋家の奥向きを取り仕切らせた。
この時期の力関係はまだ、一橋<田沼だった。

しかし、大奥における意次の最大の同盟者だった年寄松島の庇護下にあったお知保の方(意次はお知保の生家津田家の血縁
を探って、所縁の娘を側妾にした)が産んだ家基が急死してから目算が狂った。
この時期からあきらかに一橋>田沼へと力関係が逆転していく。

家基亡き後、わが子が時期将軍になると決まれば、治済にとって、意次の利用価値はなくなる。
と同時に、いよいよ復讐の刻来る!
ともに「御両卿はずし」の憂き目にあった治済と定信が接近。つか、定信を復讐に利用・・・
ってな感じかな。



497:日本@名無史さん
07/04/11 00:47:48
田沼失脚の際は、表向きは「御三家が相談」となっているけど、そのあたりの事情はどうなんだろう?

498:日本@名無史さん
07/04/11 01:05:24
尾張宗睦は従二位権大納言に昇進する約束で沈黙。
紀伊家は当主治貞と、わが子岩千代に藩主の座を継がせたい先代重倫との確執があってゴタゴタ。
水戸治保は、甲府・紀伊が綱吉の後継争いをしていた頃の綱條のような態度を取っていたらしい。
もともと御三家ら門閥グループは保守派、成り上がりで重商主義の意次の専横を快く思っていなかったようだ。
家基死後は、親等からいっても一橋豊千代に対抗できないだろうねえ。

499:日本@名無史さん
07/04/11 01:25:05
家宣は、柳沢吉保に勧められるままお須免の方を側室にしたけど、
治済は、はるかに徹底して意次を懐柔し、篭絡した。
なんせ一橋家を田沼一党で占拠させたようなもんだから。

500:日本@名無史さん
07/04/11 01:32:27
軒下を貸して・・・・叩き出したか・・・!?

501:日本@名無史さん
07/04/11 09:51:33
田沼は、さきに田安や清水を抱き込んで、やばそうな一橋を空家にすべきであった。その後、清水重好を11代目とすべきであった

502:日本@名無史さん
07/04/11 23:44:10
意次の失脚に御三家が加担した背景には、三家各々のお家の事情を
巧みに治済に利用された面もあるが、
究極は、やはり「貸金会所の令」で、決定的に御三家をはじめとする門閥グループを敵に回してしまったからだと思う。
盟友水野忠友さえ、これを機に田沼の急進的な改革に危惧を感じて、彼から離れていっている。

503:日本@名無史さん
07/04/11 23:46:42
つか、その田沼改革の危うさを御三家らに喧伝したのが、治済。

504:日本@名無史さん
07/04/11 23:53:00
田沼意次は今で言えばさしずめ竹中平蔵って所か。

505:日本@名無史さん
07/04/12 08:16:06
治済スレにするつもりはないけどw、御三卿って、やっぱり「~卿」に任ぜられるのがお約束になっていたのかな?

治済は「民部卿」。でも例えば一橋慶喜は「刑部卿」だから、家と官職で固定でもないようだし。
この辺りの慣習についてご存知の方、いらっしゃいますか?

506:日本@名無史さん
07/04/12 08:33:55
田安家は衛門督が多い
徳川家臣のうち、御三卿以外で~卿は医者ぐらい。
正式な叙任を経たものか疑わしいが、医者には
室町以来の旧家があるから、慣例として認めたものか?





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