幕末マイナー人物at HISTORY
幕末マイナー人物 - 暇つぶし2ch2:元常連 ◆QOYuzJdqhs
03/03/10 22:37
ほほー


3:日本@名無史さん
03/03/10 22:49
江木 仙右衛門(1824~1865)

出身:周防国岩国錦見
立場:岩国藩卒

文久3年8月の政変によって七卿を護衛して帰国し元治元年8月の四国連合艦隊の来攻に下関に行き宗藩の
軍に加わったが宗藩内は恭順派が政権を奪取、12月、高杉晋作らの革新派緒隊は美禰郡方面に
進軍して藩論の回復を計っていた。
そこで藩主の命により徳山藩の内情探査のため派遣されるが、慶応元年正月復命の帰路に藩領玖珂駅阿山で敵諜と
誤認されて斬殺される。年42。

4:日本@名無史さん
03/03/10 23:07
江坂 栄次郎(1843~1864)

系統: 姫路藩士 江坂善蔵の子
立場: 姫路藩士

砲術に長じ尊攘論を唱えて藩の上司と意見が合わず、文久3年正月に同士と共に佐幕派の家老
高須隼人の庇護を受ける。その後、米の買占めなど私曲の多かった用達紅粉屋又左衛門に天誅を加え
尊王倒幕の血祭りに上げ、河合伝十朗と共に脱藩して神戸海軍操練所に入った。
その後、長州に走ろうと大阪の土佐藩邸に潜伏中に幕吏の追補をうけて投獄され
河合と共に獄中で斬られる。年22。

5:日本@名無史さん
03/03/10 23:24
中井 庄五朗(1847~1867)

出身: 大和国吉野郡十津川村野尻
立場: 十津川郷士

資性剛直にして撃剣を能くした。文久3年、17歳にして上平主税と共に京に上り勤皇の志士と
交わる。同年天誅組の変には鎮撫使に従ってこれを治む。
慶応3年4月、京にて新撰組と戦い2名を斬り、会津藩に内通した長州藩士岸泰冶を要撃した。
また坂本竜馬の横死に悲憤し、12月7日その下手人と噂される新撰組を酒楼にて襲撃して数名を殺傷し
自らも数創を受けて死す。年21。
明治24年に靖国神社に祀られる。

6:日本@名無史さん
03/03/10 23:58
麻田 時太郎(?~1864)

出身: 土佐国高知
立場: 土佐藩士

京都土佐藩邸に勤務。元治元年6月10日夜、清水産寧坂の料亭明保野の奥座敷で独酌中に
長州藩士を追って乱入した新撰組等に驚いて逃げ出そうとしたところを会津藩士 柴司に槍で突かれ負傷する。
この報を受けた会津藩主 松平容保は両藩の確執を恐れ
家臣を送って陳謝し侍医も派遣しようとしたが売れられず、柴に切腹を命じた。
一方、時太郎も土佐武士の名誉にかけても生きれぬと覚悟し、柴の切腹前夜に自刃して両藩の平和のための犠牲となった。

7:日本@名無史さん
03/03/11 00:33
青木 猛比古(1831~1867)

出身: 豊後国海部郡堅田郷柏江村
立場: 少時僧籍(のち還俗)

父早世のため海福寺に入り僧となったがのち還俗して勤王の士と交わる。京の神祇伯白川資訓王に
会い留まること1年余り、内命を受けて九州に下り、防長の境に入り勤王の士を糾合した。
文久3年三条実美ら7卿を護衛して長州に下り
慶応元年豊前宇佐に楠公会を組織して九州の同志を募った。
翌2年長州の奇兵隊に入って幕軍と戦い、また宇佐の御許山挙兵に参画し、翌3年有力公卿推戴のため
同志と上京し10月三条大橋上で佐幕派浪士に暗殺された。年37。

8:日本@名無史さん
03/03/11 01:11
宇宿 彦左衛門(1820~1863)

出身: 鹿児島城下
立場: 薩摩藩士

成田正之に砲術を学び、弘化元年 鳥頭庭方製薬所掛となり、嘉永6年江戸の出て田町海岸の砲台を建造した。
安政元年に藩主に従って再び江戸に赴き、蒸気船製造、電信その他の技術を修め
帰藩後に集成館掛となって反射炉をはじめ地雷、水雷を作った。

万延元年、汽船天佑丸購入のため長崎に赴き廻航した。
その後、船艦試運転の任務に当たり、また島津久光が公武合体を周旋するに当たって運輸方
に任じられ、これを補佐した。
文久3年、薩英戦争に日本で初めて実践で水雷を使用したが英艦が航路を変えたので的中しなかった。

この年の12月幕府より借入の長崎丸に乗って大阪の廻航するために下関海峡を通過した時に
長州藩の砲撃を受け船と共に沈み死亡した。年44。

9:日本@名無史さん
03/03/11 02:15
大利 鼎吉(1842~1865)

出身: 高知城下上町
立場: 土佐藩士

幼少より武勇を好み、土佐勤王党に加盟し、文久2年50人組に加わり江戸に赴いた。
翌年正月、藩主 山内豊範にしたがい京に居たがやがて脱藩して長州に走った。
元治元年7月禁門の変で忠勇隊に属して蛤御門に進撃したが破れ、
南走の途中、同志の伊藤甲之助を介錯したのち長州に逃れた。

のち再び上方に出て形勢をうかがい、同年11月 大橋慎三、浜田辰弥、片岡利和らと大阪で倒幕策を
練っていたが、慶応元年正月8日に大橋ら3人で外出中新撰組に襲われ闘死した。年24.


10:日本@名無史さん
03/03/11 02:16
>>1
伸びろこのスレ応援age


11:日本@名無史さん
03/03/11 03:45
井原 応輔(1842~1865)

出身: 土佐国高岡郡佐川
立場: 土佐藩家老深尾氏の臣

3歳で父を失い古沢南洋に養育された。美少年で時々奇行があったという。
壮時、豊後の剣客 村上圭蔵が土佐に遊歴したのについて学びその奥義に達し帰国後に土佐勤王党に
加盟した。
同3年5月 姉小路公知が殺害されるや犯人の偵察をし、ついで帰藩して勤王党の獄にあい禁固に処されたが
元冶元年、禁門の変の報を受け、同年8月14日浜田辰弥(>>9)らの同志と共に脱藩し長州を目指し
招賢閣に入った。
慶応元年2月上京の途中、美作国土居の関にて土賊と間違えられ追跡を受け、島浪間と刺し違えて死んだ。
年24.


12:日本@名無史さん
03/03/11 04:17
中村 善右衛門(1806~1880)

出身: 陸奥国伊達郡梁川町
立場: 町人

天保10年病にかかり容易に治らず、二本松藩医 稲沢宗庵の診察を受けたおりに、たまたま使用された
体温計よりヒントを得て寒暖計の製造に成功し、蚕当計と名づけられた。
さらにこれを養蚕に応用するための実験が続けられ弘化3年その成果を公に発表した。
この長年の研究は「蚕当計秘訣」にまとめられ、養蚕技術を飛躍的に向上させた。
その後の安政開港以後、生糸は日本の主力商品として貴重な輸出品としてかかせないものとなる。

維新後、群馬県富岡製糸場 長尾高惇から秋蚕種を得てからはその利益のある所を唱えその
普及に努め、天寿を全する。年75.


13:日本@名無史さん
03/03/11 04:52
有川 恒槌(1846~1864)

出身: 長門国長府
立場: 長府藩士

安政6年に藩校敬業館の通学生となる。
文久2年11月同志と脱藩上京したが翌3年正月の藩主上京の際に脱藩の罪を許され、
ついで親兵に選ばれる。3月に賀茂神社行幸に扈従し、6月帰藩した。
同年8月、泉十郎、福原和勝と精兵隊を組織して上京、久坂玄瑞に従属する。
その後、帰藩するも宗藩の冤罪を訴えるために上京して禁門の変に遭い、鷹司邸にて乱闘の末
討ち死に。年19。


14:日本@名無史さん
03/03/11 05:17
太田 次郎(1844~1892)

出身: 讃岐国三木郡中村字石塚
立場: 豪農→丸亀藩士

豪農の家に生まれ、幼い頃より才気煥発、おおいに読書、習字に励み頭角を現した。
文久3年8月 中山忠光が大和五条に兵を挙げるやこれに参加しようと同志と共に
丸亀の村岡家より大砲弾丸を受け取り瀬戸内海を東航するも途中敗報を聞き引き返す。
同年11月周防の招賢館にて七卿と謁見し
元冶元年7月の禁門に小橋安蔵と共に幕軍と戦うも破れ、重囲を脱して帰藩し同志と後図を謀った。
維新後に新政府から仕官を勧められたがこれを辞した。
性来工学の修養があり、各地で使用された綿繰機は次郎の創始した物だといわれている。
年49で没。

15:日本@名無史さん
03/03/11 05:56
瓜生 岩子(1829~1897)

出身: 陸奥国耶麻郡小田村
立場: 油商人の娘

9歳で父を失い家が火災に遭うなど不幸が続いたが、17歳で佐瀬茂助と結婚し若松城下に呉服店を開く。
1男3女をもうけるが34歳で夫と死別。
明治元年会津戊辰戦争では知人と計って戦火の中、敵味方区別なく負傷兵の手当てを行い
城下を逃げ惑う難民の救済に奔走した。次いで小田付幼学校を開校し鳳鳴会、瓜生会を組織し
東京養育院幼産世話係長を勤めるなど貧民救済にその生涯を尽くした。
年69。
東京浅草寺境内に銅像が建てられている。

16:日本@名無史さん
03/03/11 06:32
曲直瀬 道策(1838~1867)

出身: 山城国乙訓郡向日町
立場: 向日神社社家の二男

幼少より平田派の国学を学び勤王の志が厚く、加賀藩主前田氏に仕える。
慶応2年7月加賀藩の有志と尊攘論を唱え実弟 六人部雅楽らと金沢に赴いて次代藩主
前田慶寧の入朝をうながし、志士の窮状を救って家産が傾くのも顧みなかった。
小松帯刀、三上兵部、陸奥宗光らと計って大阪に船舶運送業を興し、勤王同志の
活動資金を捻出しようとするが幕吏の知るところとなり、大阪難波新地で新撰組に襲われ斬殺される。
年30。




17:日本@名無史さん
03/03/11 20:11
安東 鉄馬(1843~1864)

出身: 美作国英田郡土居村
立場: 庄屋

幼少にして安東直範に剣を学び、ついで但馬国豊岡の池田草庵、近江国水口の豊田謙次らに学び
勤王の士気を磨いた。
早く父を失い母に至孝なるも天下多事に際して瓦全を求めず玉砕を期して義党と盟を交わした。
文久3年、生野銀山事件に関与し元治元年6月に京都池田屋の変に加わって危難を免れ、ついで7月
禁門の変には決死の覚悟で長州勢に加担し鷹司邸内で奮戦の末、銃弾に当たって斃れる。
年22。剛勇にして「今張飛」といわれた。

18:日本@名無史さん
03/03/11 20:50
大島 高任(1826~1901)

出身: 陸奥国岩手郡盛岡仁王小路
立場: 盛岡藩蘭医

天保13年江戸に出て坪井信道から蘭学を学び、弘化3年長崎に留学して高島浅五郎より西洋砲術、
鋳金、治金を学び、嘉永6年に水戸の藤田東湖に知られ、水戸那珂湊に反射炉を築き大砲鋳造に成功した。
しかしその材料が出雲砂鉄では不適当なので盛岡藩釜石の滋鉄鋼精錬の必要を説き
安政4年12月1日オランダ式溶鉱炉による磁鉄鉱の生産に成功した。
これは日本における最初の近代的鉄精錬であり、12月1日は鉄の記念日となっている。

その後、藩書調所出役教授に任じられ小阪銀銅山を開発。明治2年に新政府から特別任用され鉱山行政に参画、
4年に岩倉具視の一行に加えられ欧州の鉱山経営を観察、帰国後に国立釜石製鉄所を設立した。
秋田小阪銀山を私営したり官営したりしながら16年に工部大技長に、19年に佐渡鉱山局長に任ぜられ
23年に日本鉱業会会長になった。年76で没。

19:日本@名無史さん
03/03/11 21:19
石坂 弥次右衛門(1809~1868)

出身: 武蔵国多摩郡八王子
立場: 八王子千人同心頭

幕命で第二次長州征伐に嫡男 敬一と共に従軍し、慶応元年閏5月大阪に到着、ついで伊予松山に
遠征して翌2年の秋に帰郷した。
明治元年3月当番の八王子千人同心頭の萩原友親が病死したため急遽代わって日光東照宮の防火警備に
赴任したがいくばくもなく政府軍に包囲され東照宮を戦火から守るためやむなく部下を率いて政府軍に帰順。
日光を引き払って八王子に帰ったその夜、日光を政府軍に引き渡した責任をとって自刃。年60。

20:日本@名無史さん
03/03/12 18:52
age

21:質問
03/03/12 22:18
マイナーかどうかはわからないけど,
新選組4番隊組長の松原忠司について何か教えていただけないでしょうか?
他の幹部については情報が多いのにこの人は極端に情報が少ないのです。
お願いします。

22:日本@名無史さん
03/03/13 01:45
このスレいいね

23:日本@名無史さん
03/03/13 02:07
ていうか自演スレばかりじゃん。
どういうつもり?

24:日本@名無史さん
03/03/13 03:27
自レスが多くて申し訳ないです。
ここでは郷土の志士や自分のご先祖様なども含めて様々なマイナー志士が織り成した
幕末を好きなだけ語れたらいいなと思っています。

25:日本@名無史さん
03/03/13 12:51
大橋 慎三(1836~1872)

出身: 土佐国高岡郡佐川
立場: 土佐藩士

土佐藩家老深尾氏の臣で土佐勤王党に加盟し、文久元年に脱藩を企てたが武市瑞山の説得で思い止まる。
上京後諸藩の志士と交わり国事を論じた。
文久3年2月の足利三代将軍木像梟首事件で浪士を救うため老中 板倉勝静の元に赴き交渉の挙句その無能を
痛罵し、同年5月の姉小路公知暗殺事件には同志と共に刺客の捜索に尽力した。後、藩論一変のため自宅謹慎
に処されたが、禁門の変を聞くや浜田辰弥らの同志と8月14日に脱藩し三田尻の招賢閣に身を寄せる。
しかし長州藩俗論党の態度に失望し同年11月大阪に出るも慶応元年正月に
新撰組の襲撃で同志 大利 鼎吉(>>9)を失い十津川へ逃れ、名を大橋鉄猪から大橋慎三に変える。

同年2月に入京して坂本竜馬、中岡慎太郎らを岩倉具視に紹介して談議し、王政復古の基礎を
築く先駆的役割を果たした。同3年11月坂本、中岡の横死後陸援隊の隊務を処理し
12月鷲尾隆聚侍従の高野山挙兵に参謀として参加した。

維新後、新政府の内国事務局、軍務官、行政官、刑法官、開拓使などに出仕し、明治4年に式部権助
五年に大儀生に任じられたが急病のため死去した。年37。

26:日本@名無史さん
03/03/17 00:59
伊藤 祐亨(1843~1914)

出身: 鹿児島城下上清水馬場
立場: 薩摩藩士→帝国海軍軍人

文久3年の薩英戦争の時に21歳で戦闘に参加。
神戸海軍操練所に入り、江戸では江川左衛門塾で砲術を学んだ。
慶応元年12月に江戸の薩摩藩焼き討ちで血路を開いて脱出、品川の薩船翔鳳丸まで逃げ延びたが
この時に幕艦回天丸と海戦となり、砲手として奮戦し神戸へ脱出した。
明治元年正月に阿波沖では春日丸乗り組員として幕艦開陽丸と戦い、11月に1等士官として
富士山艦乗組となった。

その後の明治24年に中将に進み、日清戦争では連合艦隊司令長官として黄海海戦、威海衛攻略に勇名を
とどろかし、31年に大将に進んだ。日露戦争では大本営海軍幕僚長として勤務。
第一次世界大戦勃発の年に72歳で没。

27:日本@名無史さん
03/03/17 01:26
×薩摩藩焼き討ちで
○薩摩藩邸焼き討ちで


28:日本@名無史さん
03/03/17 02:57
所郁太郎。

29:日本@名無史さん
03/03/17 03:00
掲示板向きじゃないよ、これ。
単に辞典に掲載されていること書いてもなぁ。

30:日本@名無史さん
03/03/17 14:16
巖垣月洲

31:日本@名無史さん
03/03/17 14:20
対話の無いスレだね・・

32:日本@名無史さん
03/03/17 14:22
一般人は働いてるので・・・
君等みたいな人生の敗北者ばっかりじゃないんだよ
俺を含めてだが・・・

33:日本@名無史さん
03/04/08 19:37
つか、幕末という時代自体、マイナー。
研究者の層がきわめて薄い。
在野史家を自称する一部のマニアの占有物。

34:山崎渉
03/04/17 14:27
(^^)

35:山崎渉
03/04/20 02:09
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

36:日本@名無史さん
03/04/30 00:27
剣客桜内徳之進

37:日本@名無史さん
03/05/04 06:50
河西 忠左衛門(1831~1860)

出身:近江国彦根
立場:彦根藩士

彦根藩きっての剣豪でその名は他藩にも知られていた。
酒を好み常に酒気を帯びていたが「まさかの時は人後に落ちぬ」を口癖としていた。
桜田門の変では共目付として輿後に在ったが、水戸浪士の襲撃を見るや、泰然として
雨衣、柄袋を脱して襷をかけ、両刀を抜いて輿側を守った。
奮闘もっとも努め、浪士の傷を被る者の多くは彼の刀により受け、彼が生きている間は
輿に近づけなかったというが、遂に前後左右より刃を受け雪中に斃れた。年30。

奮闘を物語る刀は彦根の子孫の家に今も伝えられている。

38:日本@名無史さん
03/05/04 10:50
( ・∀・)
σ σ
ゲッツ!


39:日本@名無史さん
03/05/18 10:13
どなたか、新谷道太郎って人を知りませんか?
知っている方、カキコをお待ちしてます

40:日本@名無史さん
03/05/18 13:15
小島四郎(相楽総三)が、挙兵活動に目覚めた切っ掛けとなった人物の、
『桃井可堂』いいね!
 
東條一堂の門下生で、
清河八郎、那珂梧樓と、三人で一堂門下の三傑と言われた。
 
慷慨組を組織した。
攘夷の魁として、沼田城奪取し、横浜外国人居留地焼き討ち計画を練る。が…事が露見し、同志達に被害が及ばぬよう自ら代官所に出頭。
食を断ち、口を噤んだまま、衰弱死した。
 
ん?慷慨組の計画は、
清河八郎の横浜外国人居留地焼き討ち後、甲府城に立てこもるって計画と似てるな…。

41:日本@名無史さん
03/05/18 13:40
肥後勤王党・堤松左衛門
横井小楠を討ちそこねたたしか吉田と都筑は討ち取った。
一時、岡田以蔵と京で刀を振りまわしていた人。でのちに小楠討ち洩らす
を悔いて京で自決、若くて純粋な人の印象うけました。当方肥後もっこすだす。


42:日本@名無史さん
03/05/19 01:02
山田 顕義 1844(弘化元年)-1882(明治25年)
1844(弘化元)年 藩士山田七兵衛の長男として産まれる。
1857(安政4)年 松下村塾に。以後攘夷運動に奔走。
1862(文久3)年 狙撃隊を結成。
1864(元治元)年 7月19日 禁門の変に加わる。
1865(慶応元)年 御楯組結成。四境戦争に参陣。整武隊総督となる。
1868(明治元)年 鳥羽伏見の戦いに整武隊を率いて活躍。
1871(明治4)年 岩倉使節団の一員として渡欧。。
1877(明治10)年 西南戦争では政府軍別軍を率いて鎮定にあたり、功績を上げる。
1878(明治11)年 陸軍中将に。
1885(明治18)年 司法大臣に。
1889(明治22)年 日本法律学校(現日本大学)を創設。
1890(明治23)年 国学院大学を創設。
1878(明治11)年 参謀本部・監軍本部を設置。
1892(明治25)年 生野銀山視察中に急死。


43:日本@名無史さん
03/05/19 01:12
山田はマイナーじゃないと思うんだけど。


44:日本@名無史さん
03/05/20 21:41
玉木文之進なんて,とっても好きなんですけどいかが?

45:山崎渉
03/05/22 02:53
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

46:日本@名無史さん
03/05/26 09:10
age

47:山崎渉
03/05/28 10:52
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎―◎                      山崎渉

48:日本@名無史
03/06/17 13:25
橋本香坡
文化6年(1809)~(1862)慶応元年
上州沼田藩出身、大坂明倫館塾頭。
蛤門の変で長州兵ににぎり飯を与え、慶応元年、新選組に捕縛される。同年、大坂町奉行所に引き渡され、壱岐に遠島処分を受けるが、幕吏の与えた毒おにぎりを食し、死す。

49:日本@名無史さん
03/06/22 03:27
前田慶寧

50:日本@名無史さん
03/06/26 13:40
遠藤喜助(生没年不明)

鳥取のぐうたら藩士にして遠藤周作の祖先。

51:日本@名無史さん
03/07/14 15:59
幕末ってマイナーじゃないと思う。

52:日本@名無史さん
03/07/14 18:35
俺。


53:日本@名無史さん
03/07/14 21:03
俺のひいひいじいちゃん

54:山崎 渉
03/07/15 11:36

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

55:日本@名無史さん
03/07/17 02:07
う~ん、真木和泉は?

56:山崎 渉
03/08/02 01:43
(^^)

57:日本@名無史さん
03/08/10 04:24
野口正安
芹沢鴨が下村継次を名乗っていた頃の親友。一緒に吉田松陰と会っている。

58:日本@名無史さん
03/08/10 04:51
仏生寺弥助はどうなの?

59:日本@名無史さん
03/08/10 08:53
町野久吉もいれてやって

60:山崎 渉
03/08/15 13:33
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

61:日本@名無史さん
03/08/16 04:28
だから…
仏生寺弥助はどうなのよ?

62:日本@名無史さん
03/08/16 09:31
メジャーだろ

63:日本@名無史さん
03/08/16 10:25
白井小助(1826~1902)
 長州藩出身。毛利家家老浦靱負の家臣。若き頃江戸へ遊学し,当時同じように遊
学していた吉田松陰と知り合い,親交を結ぶ。その縁から革命活動に参加し,第二
奇兵隊の幹部となる。戊辰戦争以後は官軍の参謀となり,山県狂介や時山直八らと
ともに越後口で戦う。
 維新が成立してまもなく故郷に下野し,私塾を開き地元の子弟の教育に力を注い
だ。その後終生在野の身分でありながら,しばしば東京にいる長州藩出身の政府高
官達のもとを訪れ,その栄達を批判した。そのため,彼らは「松陰先生の親友であ
り,革命活動の先輩」である小助を恐れ憚り続けたそうである。
 小助は,かつてともに越後口で戦った山県有朋を特に非難し,「臆病者の狂介」
と罵倒し続けた。当時の失策を熟知されている弱みがあるため,山県はずっと頭が
上がらなかった。そのエピソードは司馬遼太郎の作品「長州人の山の神」に詳しく,
当時陸軍のトップである山県がコケにされている様は痛快である。

64:日本@名無史さん
03/08/16 23:59
「幕末三舟」のうち、勝海舟でも山岡鉄舟でもない残りの人。

65:>>2ちゃんねらーの皆さん
03/08/16 23:59
( ´Д`)/< 先生!!こんなのを見つけました。
URLリンク(www.hokekyoji.com)
URLリンク(www.yakuyoke.or.jp)
URLリンク(members.tripod.co.jp)
URLリンク(www.maap.com)
URLリンク(www.honmonji.or.jp)
URLリンク(www.maap.com)
URLリンク(www.kuonji.jp)
URLリンク(www.butsuzou.com)
URLリンク(www.butsuzou.com)
URLリンク(www.butsuzou.com)
URLリンク(www.butsuzou.com)

66:日本@名無史さん
03/08/17 10:03
樺山三円はメジャー?


67:日本@名無史さん
03/08/18 09:05
メジャーすぎ。

68:日本@名無史さん
03/08/18 19:29
梅田雲浜

69:日本@名無史さん
03/08/18 20:23
>>64
高橋泥舟の事か?
 
>>68
安政の大獄の被害者の、梅田雲浜、頼三樹三郎、吉田松陰、橋本左内、
梁川星巌は、マイナーじゃ、ないのでは?

70:日本@名無史さん
03/08/18 22:22
マイナー具合にももっと気合が必要、ってことだな>このスレ

71:日本@名無史さん
03/08/18 23:38
長州だったら
乃美織江
山田宇右衛門
あたりは?

72:日本@名無史さん
03/08/21 23:29
実績の割にマイナーっぽい赤禰武人も入れとく?

73:日本@名無史さん
03/08/24 00:27
明倫館剣術師範 柳生心陰流 内藤作兵衛。
木戸・高杉など上級武士の剣術の先生。
萩の乱で帯刀をしていたため反乱軍とまちがえられ射殺された。
木戸孝孝允日記には「惜しむべきは内藤作兵衛なり」としるされている。

74:日本@名無史さん
03/08/24 01:09
小栗某はマイナー

75:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/08/24 01:53
天誅組関連ですが、
藤本鉄石、安積五郎、古東領左衛門、乾十郎、林豹吉郎、井沢宜庵、水郡小隼人に、
興味を持っています。
関係ないですが大庭恭平と伊牟田尚平も気になります。(他にもいます。)

ここを見ている人にとっては知っている人たちなのでしょうが、
多分、世間的には幕末マイナー人物のような気がしますので名前だけでも書かせて下さい。

76:日本@名無史さん
03/08/24 02:12
新選組が壬生浪士組のころ、初期メンバーだった粕谷俊五郎もマイナーかな?従五位かなんかもらってるのに。

77:日本@名無史さん
03/08/24 02:16
千里眼うら
鞍馬天狗
森の石松      と書いてみる

78:日本@名無史さん
03/08/24 02:22
オレは各藩主の近親者・門閥クラスの
人物に興味がある。あまり有名な
人物はいないが。
島津久光・小笠原長行・三好胖は有名なほうですな。
あと松平頼該・松平昭訓・秋田静臥・長岡護美・島津久宝…
あと誰かいたっけ?


79:日本@名無史さん
03/08/24 08:09
長州では禁門の変後に責任を負わされて処刑された
前田孫右衛門・毛利登人・渡辺内蔵太・大和国之助あたりもいいね

松島剛蔵とか来原良蔵も実績の割にはマイナーな気も

80:日本@名無史さん
03/08/24 13:47
age

81:日本@名無史さん
03/08/28 21:50
手塚 良庵

大阪適塾の門下生。
蘭学を修め維新後に陸軍軍医となる。
代々医師の家系であったが孫の手塚治は大阪大医学部を卒業後なぜか漫画家となる。

82:日本@名無史さん
03/08/29 08:11
吉井幸輔友実
も、大藩薩摩の重要人物であるわりにはマイナー感強いね

83:日本@名無史さん
03/09/01 00:56
>81曾孫だったとおもうけど

84:日本@名無史さん
03/09/24 13:42
胤康とか・・・マイナーすぎる

85:日本@名無史さん
03/09/24 13:45
東中務とか細谷十太夫もなー

86:日本@名無史さん
03/09/24 13:52
>85
細谷は「細谷烏と十六ささげ 無けりゃ官軍高枕」みたいな
唄なんかもあるし、意外とマイナーじゃないような気もする。
烏組自体、以前よりは大分知名度上がってるし。

87:日本@名無史さん
03/09/24 22:31
月形洗蔵なんかマイナーそうでいて月形半平太のモデルになってる

88:日本@名無史さん
03/09/24 23:27
武市瑞山も半分入ってないか?

89:日本@名無史さん
03/09/26 01:29
車善七なんてどうよ?

90:tomo
03/09/29 17:59
山下市之進はどうよ。
剣豪としてはトップ10に入る腕前だったらしい。
函館で官軍兵を10人斬りした話しは有名。

91:日本@名無史さん
03/09/29 18:21
緋村剣心(本名:緋村心太)(1849年(嘉永2年)6月20日~?)

出身:不明(関西らしい)
立場:浪人

逆刃刀を腰に下げ、全国各地を旅する流浪人。その正体は、幕末の
動乱期に数多くの人を斬り、最強と恐れられた伝説の人斬り抜刀斎!
長州派の維新志士として殺人剣を振るい、幕府の剣客と闘った人斬り
時代、その前半は無情の暗殺者として、後半は仲間を守る遊撃剣士と
して働き、維新達成の立役者となる。その無敵の強さは後世にも語り
継がれている。時代が明治に変わる頃、維新志士を抜け、流浪人に。
無情の人斬りが、なぜ不殺の流浪人になったのかは一切謎である。


92:日本@名無史さん
03/09/29 18:28
相楽左之助(1860年(万延元年)2月~?)

出身:信濃

元・赤報隊の喧嘩野郎。
天性の打たれ強さと怪力を武器に、悪党共を蹴散らす正義感の持ち主。
少年の頃は、赤報隊の準隊士として新時代を作るために活動。
だが、赤報隊がニセ官軍の汚名を着せられ、尊敬する相楽総三が維新
志士に殺されてしまう。
赤報隊崩壊後は「喧嘩屋斬左」となり明治を生きる。


93:日本@名無史さん
03/09/29 18:42
四之森蒼紫(1853年(嘉永6年)1月~?)

出身:江戸
立場:幕府御庭番衆

元は将軍直属の隠密、江戸城御庭番衆の頭。部下からの信頼も厚く、
自分の率いる御庭番衆の実力に誇りを持っている。だが幕末、最後の
将軍・徳川慶喜の絶対恭順のために思うような活躍ができず、維新の
世を迎えた。闘うときに闘えなかった、その無念の思いを晴らすため、
維新後も自分を慕う部下と共に闘いの世界に身を投じることになった。
性格は極めて冷静。だがその奥には凄まじいまでの闘争心を秘め、幕末
最強の証を手に入れるために維新志士最強であった剣心を倒すことに
全てを賭ける。


94:日本@名無史さん
03/09/29 19:02
幕末4八郎の最後の一人教えてくれ



95:日本@名無史さん
03/09/29 19:40
橋本左内

96:日本@名無史さん
03/09/29 22:44
古屋佐久佐衛門(1833年~1869年)

出身:筑後
立場:幕臣

1851年 脱藩後、幕臣である古屋家に養子入り。
1868年 衛鋒隊として会津で戦い、のち蝦夷で戦死。
特技:英語

97:そう
03/09/30 17:49
井川忠八治景は?

久留米藩の家老で、洋式大砲を鋳造した人物。
高杉晋作も恐れていた。

98:そう
03/09/30 17:52
奇兵隊を撃退した小倉藩の砲兵隊長だった佐々川庫之助は?

確か砲撃で、鬼島又兵衛の弟を戦死させている。

99:そう
03/09/30 19:04
徳川慶喜の末弟で、わずか15歳で水戸家の城代家老並びを
勤めた水戸定実は?

明治政府に仕え、後年陸軍中将まで出世している。
日清戦争では、朝鮮半島の元山攻略戦の総指揮を行い、
日露戦争では、樺太侵攻した第11師団の師団長を勤めて
いた。

貴族院議員、台湾副総督、伯爵。

100:日本@名無史さん
03/09/30 19:15
百武兼行


101:来矢
03/09/30 20:48
森侍従実隆って知ってる?

新撰組に対抗するために、京の公家の縁者で結成した
新寮隊の副長をしていた。剣は自然奉天流の免許皆伝。

最後には、沖田総司により斬られた。


102:トム
03/10/01 09:36
>>101

誰?

103:日本@名無史さん
03/10/01 19:16
>>91>>92>>93
 
そんな奴等、幕末にいてたまるか!!


104:日本@名無史さん
03/10/06 08:01
太田市之進(長州)

105:日本@名無史さん
03/10/07 05:02
石坂宗順。
浪士組幹部。もと佐倉の医師。清河八郎暗殺の際、捕縛される。明治になって日本で最初に石油開発に挑んだ男(戸籍に記載あり)

106:日本@名無史さん
03/10/07 08:25
武市半平太(土佐)
身長六尺、鼻高く、あご長く、眼中に異彩あり、顔面蒼白、
深沈で喜怒色にあらわさず(ほとんど笑ったことがない人だったという)、
音吐高朗、見るからに人に長たる威厳があったという。
その性質は、中岡慎太郎が後年西郷隆盛と比較して、
誠実なことは伯仲していると言っている。
人きり新兵衛こと田中新兵衛は半平太に傾倒することがわけて深かったが、
やはり西郷と並ぶべき人物であると言っている。
それほどの人物であったが、ド迫力の三文字腹の切腹も虚しく、
坂本竜馬ファンの策謀により無念のマイナー落ち。

107:日本@名無史さん
03/10/07 08:39
>>105
石坂周造のことか…宗順て誰かと思った。山岡鉄舟の伝記には出てくるね

108:日本@名無史さん
03/10/07 17:56
はんぺいたは有名だろうヨ

もっとマイナーなの

109:106
03/10/07 20:21
>>108
バカっぽい

110:日本@名無史さん
03/10/07 20:35
山口徳之進(水戸)
水戸藩尊攘派。新撰組結成にも関与。京都本圀寺詰め。
鳥羽伏見の戦いの直前、慶喜の命で本圀寺水戸藩兵は二条城守備を任され、
幕軍本隊は大坂まで退去。その後、会津藩兵・新撰組の二条城入城を拒否、
市川ら諸生党討伐の勅を受け、喜び勇んで東帰、諸生を追って、長岡・会津など
各地を転戦、八日市場で諸生をほぼ斬殺し潰滅させる。(市川逆さ磔は翌年)
維新後は茨城県知事、侍従長(皇宮警察署長)を経て水戸徳川家の執事を務める。


111:日本@名無史さん
03/10/08 00:57
土佐勤王党だったら、重要人物の割にマイナーな間崎哲馬(滄浪)がおすすめ。
武田鉄也のRoninでは、本人は出てきてないけど処刑された話が出てきてなぜか
龍馬たちが号泣していたのを覚えている

112:日本@名無史さん
03/10/19 12:40
これ最強 蟻川賢之助(ありかわ けんのすけ)

113:日本@名無史さん
03/10/20 09:21
水戸の天狗党ってマイナーだらけじゃね?

114:日本@名無史さん
03/10/21 15:29
とっびっきり最強中の最強 弘前藩の西舘狐清

115:日本@名無史さん
03/10/21 15:30
>113 シマイには鰊倉に押し込められたからねw

116:日本@名無史さん
03/10/21 21:32
当時は真木和泉や久坂なんかより武田伊賀や藤田小四郎の方が著名だったが、
後の政権が薩長系となったため知名度が逆転した。


117:日本@名無史さん
03/10/22 09:08
山田球。号は方谷。

118:日本@名無史さん
03/10/22 18:55
小原鉄心

119:日本@名無史さん
03/10/28 21:03
んなもん 維新の嵐のプレイヤーだったらいくらでも思いつくぞw

120:日本@名無史さん
03/10/29 08:20
武居の吃安

121:日本@名無史さん
03/10/29 20:40
吉良の2吉

122:日本@名無史さん
03/10/30 09:05
日柳燕石

123:日本@名無史さん
03/11/01 01:21
澤 宣嘉って知ってるか?

124:日本@名無史さん
03/11/01 01:34
七卿落ちの一人っしょ。この前伝通院に墓参り行ってきまつた。

125:日本@名無史さん
03/11/01 04:00
横倉喜三次~近藤を斬首したひと

126:日本@名無史さん
03/11/01 09:33
澤宣嘉は七卿の中では三条實美・東久世通禧と並んでメジャーだと思うのだが。
生野の変にも参加してるし、維新後外務卿になってるし…

127:日本@名無史さん
03/11/01 09:35
足利三代将軍木像梟首事件の犯人を挙げよ

128:日本@名無史さん
03/11/01 22:48
>>106、111 土佐文武の先駆者といわれた武市瑞山、間崎哲馬ときたら残りの一人 平井 収二郎(1835~1863)はどう? 英才優れ、弁舌の人で武市の参謀的存在。

129:日本@名無史さん
03/11/01 22:50
続き) 豊後岡藩主、中川久昭の違勅問題で活躍し、鵜飼吉左衛門の子の出獄などで名声を高めた。 また、他藩応接役となり薩長間の調停をする。 武市の藩政改革が通らなかったため中川宮朝親王の親書を用い山内豊資を動かそうとして 容堂の怒りをふれ土佐に連行、切腹。

130:日本@名無史さん
03/11/02 00:02
>>126
ウチの大学の先輩に東久世って人がいたけど、あの東久世の子孫かなぁ?

131:日本@名無史さん
03/11/02 08:09
幕末関白
鷹司政通・九条尚忠・近衛忠煕・鷹司輔煕・二条斉敬
一番マイナーなのは輔煕かな

132:日本@名無史さん
03/11/02 18:39
>127 三輪田綱一郎(元綱)かな?

133:日本@名無史さん
03/11/03 09:14
所郁太郎
美濃赤坂の酒屋の子。大坂で緒方洪庵に医学を学び、京で詩を梁川星巌に学び、剣は神道無念流に学び
京で町医開業して長州藩士と親交を結ぶ。八月十八日の政変で長州に下る。
元治元年、井上聞多(馨)が暴漢に襲われ、瀕死の重傷となったとき、井上家をたまたま訪問。
もっていた酒と畳針で傷口を縫う。後の明治の元勲を救ったが、本人は翌年腸チフスで死亡。

134:日本@名無史さん
03/11/04 17:51
吉田東篁。福井藩の儒学者。文化五年(1808)年生まれ、明治八年
(1875)年没。

135:日本@名無史さん
03/11/04 18:02
日命。もと会津藩士であったが、出家して法華宗の僧侶となる。
吉田松陰が兄の杉梅太郎に送った書簡に名が見える。

136:日本@名無史さん
03/11/05 01:21
佐々木只三郎の兄の手代木直右衛門はマイナー?
会津藩公用方で新撰組にも絡んでる割にはあまり聞かないが

137:日本@名無史さん
03/11/05 16:43
>>126 偽名でなければ間違いなく関係者。

138:日本@名無史さん
03/11/05 23:31
梅沢孫三郎

水戸藩士・目付

139:日本@名無史さん
03/11/08 00:31
大楽源太郎。何をした人物なのかよくわからんw


140:日本@名無史さん
03/11/17 00:37
水戸の西丸帯刀はどう?

141:日本@名無史さん
03/11/23 22:11
URLリンク(product.esbooks.co.jp)

142:日本@名無史さん
03/12/03 16:32
ところで、首切られた絵が残ってる人たちいるよね
彼らってここに名を連ねてもいいんじゃないか

143:日本@名無史さん
03/12/10 21:50
有馬範顕(1815~1873)
佐幕派の公家で剣の達人。維新の時に家ごとその存在を「抹消」されたらしい。
こういう人が実在したなら凄く面白いのだが、紹介されてるページが
何だか、かなり胡散臭い。大室ナニガシの記述もあるし…
URLリンク(homepage1.nifty.com)

144:日本@名無史さん
03/12/12 01:43
>>143
そこ以外でほとんど検索に引っかからないのが怪しいな

145:日本@名無史さん
03/12/17 13:39
村松文三、漢詩を能くした。

146:日本@名無史さん
03/12/23 09:32
漢詩っつったら梁川夫婦だろ

147:日本@名無史さん
03/12/28 16:03
島村 貫倫(1833~1876)

出身:豊前国小倉
立場:小倉藩家老

佐幕・攘夷論者。
格式中老、家老席詰、家老職を歴任し、呼野金山を開き、田川の石炭採掘を奨励、
新田開墾、殖産産業、武備増強を図り富国強兵を実施する。

慶応二年長州再征の戦いには士大将として活躍、同年八月、小倉城自焼後は金辺峠
にて小倉占領後の長州軍と戦いこれを悩ました。

明治二年二月に職を辞し、新政府より官途出仕の要請を受けたが応じず
下野。自適の生活に付くが、明治七年佐賀の乱には旧藩士を鼓舞し、
政府に救援尽力した。

148:あぼーん
あぼーん
あぼーん

149:日本@名無史さん
04/01/16 09:07
紅屋杢助。

150:日本@名無史さん
04/01/19 05:32
三浦安~天満屋事件で新撰組に守ってもらった坂本竜馬暗殺犯人にされた男。
さりげなく東京府知事になってた。

151:日本@名無史さん
04/01/19 14:07
俺の先祖、名前は明かせないが幕末から明治のころの人。
幕末の人名事典に”たまに”載っている。
必ず載っているわけではないところが無名。

152:日本@名無史さん
04/01/19 15:09
西郷隆盛に間違われた尾崎さんって有名なのか?法曹界

153:日本@名無史さん
04/01/19 15:47
松根図書
宇和島城代家老
孫は松根東洋城

154:日本@名無史さん
04/01/19 16:57
矢野玄道
新撰組にとっ捕まったが釈放される。
幕末国学者で唯一政権構想を奏上し、
具体化された。

155:日本@名無史さん
04/01/19 18:00
>153
むしろ、図書と東洋城の間の人が気になる

156:日本@名無史さん
04/01/19 20:13
>>155
松根図書1820~1894 宇和島城代家老
┗松根権六 司法官
 ┣松根東洋城1878~1964 俳人 松根豊次郎
 ┗松根宗一 アラスカ石油会長


157:日本@名無史さん
04/02/02 08:58
海後嵯磯之助。
きのう広岡子之次郎がメジャーに昇格したので

158:山田うどん子
04/02/24 17:33
山田うどん子



159:日本@名無史さん
04/02/24 21:47
test


160:日本@名無史さん
04/02/28 19:54
浅田 宗伯(1815-1894)

幕末は幕府の典医にして、維新後は東宮侍医。
せきどめの「浅田飴」を創製した現代人にもっとも身近なマイナー人物の一人。


161:日本@名無史さん
04/03/02 23:52
海坂藩家老...ってネタです。すみません。

162:日本@名無史さん
04/03/19 16:49
国司信濃
禁門の変における優秀な指揮官の一人。
若く剛胆な家老にしてルックスもイケメンだ。
23(一説には27)の若き命を敗戦後の恭順のため、藩に責任を取らされ自害にて散らす。
腹を掻っ切った後、短刀をのど元に突き刺し前に向かって切り裂く凄惨な最後が後世に伝えられている。

163:日本@名無史さん
04/03/20 00:47
ほしゅ

164:日本@名無史さん
04/03/20 01:47
堀直虎
信州須坂一万石の藩主。若年寄兼外国奉行。
鳥羽伏見の戦いの後、江戸城での評議の後に城内で切腹。無条件恭順を主張して
いたとも、主戦論を主張していたともいわれ、真相は不明。

165:日本@名無史さん
04/03/21 18:52
奈良原 喜左衛門

薩摩藩士。薬丸自顕流の使い手。弓術にも優れていた。
安政6年、島津久光の出府に浮かれた過激派、有村新七らの凶行を君命により
諌めに行くも失敗したため同輩を斬りまくる。(寺田屋事件)

帰途、行列の前を横切った外人(リチャードソン)らを斬りまくる。(生麦事件)
薩英戦争で仕返しに来た英艦に西瓜売りを装い、乗艦→斬り込みをかけようとするが
さすがにばれて、追い返される。




166:日本@名無史さん
04/03/21 19:34
結城 無二三(1845-1912)

出身:甲斐国山梨郡一町中村
立場:新撰組隊士

父が医者であり、その影響のせいか最初は医学を志して
江戸に出るがいつの間にやら砲術に鞍替えし幕府の講武所に通う。その後
なんだか京都へ出かけて行き、新徴組・新撰組に入隊し忙しい日々を送ったり
するのだが鳥羽・伏見の戦いで破れて東へ逃げ帰る。

明治元年に政府軍に対抗するために組織された甲陽鎮武隊の軍監を務め
出陣するも柏尾の戦いで敗北しちゃう。

維新後は甲府で牧羊なんかを経営してみるものの失敗し、迷える子羊状態になると
キリスト教に目覚め、牧師として東京、浜松、山梨で布教活動に専念し、
なんだかんだで大正元年まで生き抜いたりする。年68。

167:日本@名無史さん
04/03/21 20:11
文久三年(1863年)に密航して英国に渡った
伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三の五名の長州藩士の内
五カ国による長州攻撃時に帰藩しなかった
井上勝、遠藤謹助、山尾庸三さん三名

168:日本@名無史さん
04/03/21 21:15
粕谷新五郎:剣豪らしい・・・

169:日本@名無史さん
04/03/22 00:30
鵜狩 鉢平
徳川慶喜に雇従し水戸家より一橋家に移る、
大政奉還時、慶喜、都落ちの際、腹痛でしゃがんでいるところを
薩人に斬られた。先祖は黄門光圀と諸国漫遊の旅をした。
明治12年、贈、正八位、団子の守

170:日本@名無史さん
04/03/22 07:44
奈良原は結構メジャーだと思っていたが…

171:日本@名無史さん
04/03/22 09:43
>>170
小学館の漫画日本の歴史16にも出るしな

172:日本@名無史さん
04/03/22 09:47
市川宇八郎
元松前藩士。芳賀家の養子になり幕臣・芳賀宜道と名乗る。
永倉新八の親友で一緒に武者修行をした仲。慶応四年三月、新選組を離れた永倉と原田左之助
と図って靖共隊を結成、隊長に推される。旧幕諸隊と共に各地を転戦し、会津へ。靖共隊を会津藩
に託して永倉と共に米沢へ援軍要請に向かうが、米沢藩が降伏して挫折、十二月に永倉と東京に
戻り、浅草三軒町の妻のもとに隠れた。翌月、妻の実兄で新政府に仕える藤野亦八郎と出会い
酒の喧嘩となり、藤野の部下に斬殺された。

173:日本@名無史さん
04/03/22 17:55
昔、怪奇現象を扱った番組で生首の掛け軸の閉じていた目が開くってのがあったけど、あれは以蔵タンに石部宿で斬られた役人だったんだね。渡辺金三郎か大河原重蔵かは忘れたけど。

174:日本@名無史さん
04/03/22 19:46
市川って芳賀宜道だったのか!
永倉と靖共隊組むところからしか知らんかった。
病死してねぇ!

175:日本@名無史さん
04/03/22 21:34
奈良原て大村益次郎の暗殺計画した詰めの甘いひとでつか?
ついでに山県も始末しとかなきゃ。

176:日本@名無史さん
04/03/22 21:45
>>173
渡辺

177:日本@名無史さん
04/03/22 21:52
マジレスおれのひいじいさん

178:日本@名無史さん
04/03/22 21:55
>177
何してた方なのよ

179:177
04/03/22 22:06
本職は医者。これ以上は勘弁

180:177
04/03/22 22:07
本職は医者。これ以上は勘弁

181:日本@名無史さん
04/03/22 22:09
ミスった(;´Д`)

182:日本@名無史さん
04/03/22 23:12
神保修理西郷頼母井上丘隅

183:日本@名無史さん
04/03/22 23:34
>139
大村益次郎の暗殺の一味と疑われた人です。

184:日本@名無史さん
04/03/22 23:35
金輪

185:日本@名無史さん
04/03/23 00:19
>179
せっかくだから、もっとご先祖自慢しては?

186:日本@名無史さん
04/03/23 01:02
>>179
わかった。青木周弼でしょう。

187:日本@名無史さん
04/03/23 10:03
大河原重蔵
大原重徳
チョト似てる

188:日本@名無史さん
04/03/23 13:03
>>173
小さいころその番組見て怖くて泣いたことがあって、今まで思い出さないようにしてたけど、
以蔵に斬られた人だったとわかったら怖くなくなってきたヨ。thx

189:日本@名無史さん
04/04/01 06:47
乃美織江

長州藩京都留守居役。

190:日本@名無史さん
04/04/04 03:00
>>173 >>188
生首の掛け軸の人は渡辺金三郎。
番組ではもう一幅、光惇という僧の生首の掛け軸も紹介されてたよ。
金三郎よりもずっとマイナーだと思うけど、光惇というのは水戸藩出身の僧。
仲間の正惇と一緒に孝明天皇呪殺の祈祷を行なった嫌疑で、文久三年、勤皇派
により京都の宿屋で二人とも斬られ、さらし首にされた。
現在、渡辺金三郎と光惇の生首の絵は、青森県弘前市の正伝寺にある。

191:日本@名無史さん
04/04/04 14:30
>>170

ならば喜左衛門の弟、
奈良原 繁(1834-1918)はどうだ。

兄と寺田屋、薩英戦争を戦い、静岡県令、沖縄知事、男爵を勤めている。
賢弟。 

192:日本@名無史さん
04/04/04 15:10
山本 数馬(1835~1913)

坂本竜馬の従兄弟。尊攘派。
千葉周作の門下で、懐中時計盗難事件を起こし箱館へ脱走。
同地の神明神社の宮司、沢辺氏の巫女タンを娶って神職に就く。 (・∀・)イイナアー

その後、
ロシア正教のニコライ神父を殺害しに乗り込むも説得され牧師になる。(゚Д゚ #)オイ!!

193:日本@名無史さん
04/04/04 16:22
変な所だけ竜馬に似てるんだな。>変節漢

194:日本@名無史さん
04/04/04 16:23
>>192
従兄弟の竜馬も、勝海舟を殺しに行って逆に心服したね。
殺す予定の相手に説得されやすい家系なのか?

195:日本@名無史さん
04/04/07 19:08


196:日本@名無史さん
04/04/07 22:16
>>194は勝にダマされ続けているアホ or 武田鉄也

197:日本@名無史さん
04/04/10 10:19
ミイラ取りがミイラになった典型的な例だな

198:日本@名無史さん
04/04/10 12:54
竜馬は勝を斬りにいったなんて信じてる奴まだいるのかよ

199:日本@名無史さん
04/04/10 14:45
久米 通賢(栄左衛門)(1780~1841)

出身:讃岐国引田町馬宿
立場:農民~発明家・測量士

幼いころから天文学に興味を示し、18歳の時に大阪の天文学者間重富に入門し、天文・測量学を修める。
父が亡くなったため一旦郷里に戻り、農業や漁業で生計を立てながら発明や天文学を学んだ。
1806年に高松藩の地図作製の命で藩内を測量し、2年後の伊能忠敬の讃岐測量で案内役を務めた。
通賢の測量技術は当時ヨーロッパでも最新の技術であった「バーニア副尺」を応用したもので、伊能忠敬の測量技術よりも優れているとも言われている。
藩財政再建のため塩田開発を申し立て、29年に坂出塩田を築造し、宇多津塩田の開発も計画した。
地図作製よりも測量技術を基にした塩田開発が有名で、「塩田の父」として知られる。
河川や港の改修設計、兵器の研究開発も手掛けたほか、国産マッチを初めて開発したとされる。
晩年は塩田開発の際の借金に苦しみ、寂しくその一生を閉じた。

200:日本@名無史さん
04/04/10 15:47
水野忠徳
外国奉行・長崎奉行・軍艦奉行を歴任。日本初の欧米諸国との条約締結
するなど幕末3傑ともいわれる逸材。小笠原探検の功績にアメリカへの
特使として派遣されるなどその経過は卓越したもの。

201:日本@名無史さん
04/04/10 18:17
塩谷 宕陰(1809~1867)

儒学者。若い時には水野忠邦に仕え天保の改革にも参加。
阿片戦争が起ると情報を集め「阿芙蓉彙聞」を著し
世に海防論を盛んとさせた。


202:日本@名無史さん
04/04/10 20:20
楢山 佐渡(1830~1869)

盛岡藩の重鎮。藩主、南部利剛に組し、新政府寄りの南部利義の一派を
退け、盛岡藩を奥州列藩同盟加盟への道を歩ませる。
戊辰戦争中は新政府側の秋田藩と戦い、自身も鹿角口攻撃の総大将を務め
大館を攻略し意気を上げるも、その後は新政府軍に敗北を重ね、9月に開城、
降伏する。

明治2年6月、藩を朝敵の窮地に追い込んだ責任をとって自刃する。

203:日本@名無史さん
04/04/19 15:24
良スレ揚げ

204:日本@名無史さん
04/04/20 07:44
>>200
水野忠徳をマイナー人物呼ばわりはちょっとかわいそうな気がする。

205:日本@名無史さん
04/04/20 19:05
修理済み神保修理

206:日本@名無史さん
04/04/21 06:49
楢山佐渡だってマイナーじゃないと思ふが

207:日本@名無史さん
04/04/28 22:31
>>111間崎イイね。マイナー具合も丁度よさそう。
若いのに安積艮斎塾の塾頭になって、同塾の清河八郎と交流したり
吉村虎太郎・中岡慎太郎の師(といっても3・4歳年上なだけ)だったり
竜馬と春嶽公の元に訪れたり(一説によると竜馬を春嶽に引き合わせたのは彼)

、、でも早く死にすぎた。

208:111
04/04/30 06:54
まあ、間崎の場合ある意味、土佐の吉田松陰と言えなくもない。

209:日本@名無史さん
04/05/01 23:17
佐藤八郎だろやっぱ

210:日本@名無史さん
04/05/02 18:35
大津 彦之允(1835-1864)

水戸藩士。
元治の役に執政・榊原新左衛門の陣にあって神勢館砲撃に参加。
9月に、北方に援軍を求めるため郷士勢を率いて那珂湊を出立。
山野辺義芸と合流し介川に至るも諸生軍に攻められ、
長倉へ向かう途中の9月9日、久慈郡島村の戦いで戦死。

211:日本@名無史さん
04/05/02 18:49
阿久津 小太郎(1843-1864)

水戸藩士。
文久3年、幕府新徴組に加えられたが、元治元年の水戸の内乱に巻き込まれ
那珂湊で捕らえられ処刑。

212:日本@名無史さん
04/05/02 19:06
浅田 忠之進(1841-1866)

床机廻世話役を勤め、松平昭訓の神位を奉じて水戸に至るも
市川三左衛門らの阻止にあい、那珂湊に拠って城兵との戦いに参加。
元治元年10月23日、総督・榊原新左衛門らと自首して古河藩に禁固され、
慶応2年3月に囚中に病死。

213:日本@名無史さん
04/05/02 19:42
榊原 新左衛門(1834-1865)

水戸藩士。
元治元年6月、同藩で絶大な力を誇る、市川三左衛門の執政就任に反対し
江戸藩邸に向かいその解任に成功する。

8月、藩主目代として下向する松平頼徳を護衛して水戸城に至るも、ぶち切れた
市川三左衛門に入場を阻止されたため、那珂湊に陣して城兵と交戦する。
松平頼徳は新左衛門を軍事総督に任ずる一方、幕府の介入もあり、陳情のため
後命を待つよう指示して江戸に立つも、休戦は破られ、再び戦闘を再開した。

城中の戸田銀次郎の勧めもあり、10月21日に会合を開き、1000人あまりを
率いて幕軍に降伏した。その後、古河藩に禁固されたが翌、慶応元年に自刃に処された。年32。

214:日本@名無史さん
04/05/02 20:16
鮎沢 伊太夫(1824-1868)

水戸藩士。
弘化元年に藩主、徳川斉昭が幕府により処罰されると、雪冤運動に奔走し
禄高を召し上げられ処罰された。

安政5年、江戸で薩摩の有馬新七らと会見し国事に関して意見を交換するも薩水
両藩提携の挙兵にはなお自重するところがあった。(有馬らはその過激さゆえに、その後あぼーん)

安政6年、安政の大獄に連座して終身禁固に処されるが許され、元治元年に松平頼徳を護衛して水戸に
下るも市川三左衛門に入場を阻まれ、那珂湊で榊原新左衛門らとともに市川三左衛門と戦う。
榊原新左衛門が自首すると、武田耕雲斎に属して西上し、大徳寺に潜伏した。

明治元年正月、藩政回復の勅書を奉じる。3月帰藩。7月に脱走する市川三左衛門を北越に追討し
10月1日、水戸城侵攻の市川勢と弘道館に戦って勝利するも、この戦いにて戦死する。年54。


215:日本@名無史さん
04/05/02 20:40
市川 三左衛門(1816-1869)

水戸藩家老。
安政の大獄および、勅書返納問題をめぐって水戸藩内に内訌が起きた際は改革派の
鎮圧に努め、家老に昇進する。
その後は佐幕派諸生党の首領として武田耕雲斎らの天狗党と対抗した。

元治元年3月、天狗党の田丸稲之衛門、藤田小四郎らが筑波山に挙兵すると諸生党を率いて
江戸に入り武田耕雲斎らを退けて執政となり、幕軍の援助をうけて天狗党を弾圧し、水戸城を占拠しては
ついに藩政の実権を握った。

しかし、明治元年には弘道館の戦いに敗れてからは数百名ほどの一隊と共に
水戸を脱して会津に落ち延びる。
その後、再度水戸侵攻を図るも水戸城を守る家老、山野辺らの軍との戦いにも敗北し、
下総八日市場で一隊は壊滅。
市川 三左衛門は翌年の明治2年4月に東京で逮捕され水戸で生晒の挙句、
水戸城外の長岡原で逆磔の極刑に処された。年54.

216:日本@名無史さん
04/05/03 09:38
えー。他の5人はともかく
市川三左はマイナーじゃないだろ…

217:209
04/05/03 09:56
おまえらひょっとして佐藤八郎知らないの

218:日本@名無史さん
04/05/03 12:41
>>217どんな人?ジジイ?

219:日本@名無史さん
04/05/03 16:12
>>217
…ごめん。知らん。
勉強不足で…。どんな人さ。

220:209
04/05/03 16:24
>>218>>219
じゃあ、教えてやる。
俺のじいさんのじいさんのじいさん(プゲラゲラーリ

221:日本@名無史さん
04/05/03 16:30
>>220幕末の時代なん?じいさんのじいさん

222:日本@名無史さん
04/05/03 16:36
>>209の名前は佐藤十四郎

223:日本@名無史さん
04/05/03 20:02
>>209トシちゃんか!

224:日本@名無史さん
04/05/10 16:12
高松 太郎(1842-1898)

土佐郷士。坂本竜馬の甥(千鶴の長男)。
剣術修行で九州を旅したり、土佐勤皇党に加盟したり。
叔父(竜馬)のコネで大原重徳とか三条実美とか姉小路公知とかの邸宅に出入りしたり。
三条、姉小路の勅使東下で護衛を勤めたり。
土佐藩吏、井上佐市朗殺害の容疑で追われたり。
箱館戦争に参加したり。
竜馬の跡をついで坂本 直と改名したりする。
コネの強さから宮内省に勤務。(・∀・)イイナアー




明治22年、キリスト教徒である事がばれて免職。(゚Д゚ )・・・


225:日本@名無史さん
04/05/11 02:03
土佐勤王党生き残り、田中顕助は?
爵位ももらってるけど、勤王党は壊滅したが故に生き残りの方がマイナーになってると思う。

226:日本@名無史さん
04/05/12 14:06
田中顕助はマイナーかねぇ?司馬遼太郎が短編で主役にして描いてたりするしなぁ。
長州にもかかわり深いから、美味しい人物ではあると思うが。

227:日本@名無史さん
04/05/13 17:28
Dear フランス大統領殿

「ヤバイ。切腹ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
切腹ヤバイ。
まず痛い。もう痛いなんてもんじゃない。超痛い。痛いとかっても
「裂痔20個ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ腹を切る。スゲェ!なんか単位とか無いの。出血何㍑とか内臓何㌔とかを超越してる。臓物出るし超痛い。
しかも作法があるらしい。ヤバイよ、作法だよ。
だって普通は自殺するのに作法とか関係ないじゃん。だって自分が自殺する時やたら落ち着いてたら困るじゃん。
腹切るのに顔歪めんなとか言われても困るっしょ。
外人暴れて、逮捕しようとしたら撃ってきたから反撃したのに、自分だけ死ななきゃなんないとか泣くっしょ。
だから大名とか宣戦布告しない。話のわかるヤツだ。
けど武士はヤバイ。そんなの気にしない。戦いまくり。現場の武士とかよくわかんないくらい強い。ヤバすぎ。
強いっていたけど、もしかしたら武器とか貧弱かもしんない。でも貧弱って事にすると
「じゃあ、それで立ち向かってきて潔く切腹ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にもわからないなんて凄すぎる。
あと超怨念こもってる。約1カリブの亡霊。摂氏で言うと-272℃。ヤバイ。怨念こもりすぎ。自分の腸投げつけてきて死ぬ。怖い。
うちらなんて自殺とかたかだか首吊ったただけでしょうがないからに焼き討ちしたり、ギロチン置いてみたり、革命やったりするのに、
武士は全然平気。戦って責任負って死んでく。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、武士のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ日本に出て行った俺らとか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。」

from フランス軍艦ジェプレー号船長

228:日本@名無史さん
04/05/19 00:18
age

229:日本@名無史さん
04/05/23 00:47
幕人は結構一般的にマイナーのたぐに入る・・・

230:日本@名無史さん
04/05/27 09:05
赤松大三郎則良

も活躍の割にマイナーな希ガス。まあ幕末には日本にいなかったわけだが

231:日本@名無史さん
04/05/27 17:57
酒井 孫四郎(1839-1869)

福井藩家老。
20歳で酒井家を継ぎ、25歳で家老職に就任した。
頭脳明晰らしい。
一橋慶喜と会し、松平慶永の意向を伝えたり、長州征伐に兵を率いて従軍した。
天狗党の武田耕雲斎に対しての処置を行ったのもこの人。
戊辰戦争では越後口各地に転戦しては功を挙げ、会津若松城を攻略して凱旋しては
天顔を拝するにいたった。

伊藤や大隈のように次代を待望されたスーパールーキーかも知れなかったが
明治2年3月、藩命による欧米視察のため横須賀より出港してさっそく観音崎沖で座礁して
あぼーん。(クス。
年30。


232:日本@名無史さん
04/05/27 18:21
>>230

幕臣から海軍中将に成った人だね。
伊藤は日清日露だけじゃなくて幕末でも血刀を振るってた人だからいいけど
この人はオランダ留学だとかで完全に明治限定の人って感じがする。

233:日本@名無史さん
04/05/27 18:26
>>232は北洋艦隊を壊滅した方の伊藤ね。

234:日本@名無史さん
04/05/31 20:58
新納 八郎二(1841-1868)

出身:日向国宮崎郡佐土原
立場:佐土原藩士

文久3年薩摩で郷田流兵法を、慶応元年に江戸でイギリス式練兵を習得する。

戊辰戦争では27歳にして藩の北陸道進撃軍長官を務め会津戦で活躍するも
敵兵追撃にあたり、会津藩兵の強烈な反撃に遭い、両翼を固めていた薩摩軍、長州軍
が急遽撤退を開始してしまったため、
正面の戦闘を担っていた佐土原軍は敵の重囲の中に陥る。

八郎二は先頭に立ち叱咤激励して戦闘を指揮し孤軍奮闘の挙句、敵を撤退せしめるも
佐土原軍の死傷甚大にして、八郎二自身も敵弾に斃れていた。

235:日本@名無史さん
04/05/31 21:06
高間 省三(1848-1868)

広島藩・神機隊砲兵隊長。
江戸、甲府、東奥州へ転戦。東奥浪江駅口の戦いで戦死。20歳。

236:日本@名無史さん
04/05/31 21:40
沢野井 徳右衛門

山城国宇治郡山科郷大宅村の郷士。郷士とはいえ天皇のお侍。親兵。
御守衛士隊(山科郷士隊)の総代として京の町をブイブイいわせ、禁門の変、鳥羽伏見の戦いでは
禁裏を守備し、戊辰戦争では東山道先鋒総督に任命された岩倉具定にしたがって東上して信州、甲州に転戦
し、上野国宇都宮城攻撃ではいい仕事をしたらしく、大功を挙げたことになっている。

明治天皇の東駕東幸の際も、天皇警護の任についた。

237:日本@名無史さん
04/05/31 22:22
淵上 郁太郎(1837-1867)

農民。
肥後の鳩野宗包に外科術を学び、医者にバージョンアップして天草に開業した。
江戸へ出て諸藩の志士と論じ、文久元年、久留米藩校の明善堂の教官を務めたりする。
安政2年、脱藩。長州で発見され久留米で禁固に処される。
安政3年、釈放。真木和泉の命を受け上京。
8月18日の政変で七卿に従って京を脱出。
再び上京。
元治元年・6月5日、池田屋からの脱出成功。
禁門の変で京都脱出成功。
筑防、対馬、大阪と渡り歩き、薩長和解、征長解兵の工作を試みるも幕吏に捕まり
投獄。
いきなり釈放。→突然の釈放に同志より幕偵の嫌疑を受ける。

ある日、伊藤甲子太郎らに呼び出されてアボーン。首は大宰府に送られた。30歳。

238:日本@名無史さん
04/06/03 19:35
三戸 式部

盛岡藩家老。
明治元年2月、楢山佐渡、目時隆之進らと共に藩兵200名を率いて維新変革の
下問のため藩主に代わって上洛する。
奥羽列藩同盟について楢山と目時が対立し激論となったが、三戸は可否を言明せず楢山に
一任した。そのため盛岡藩は列藩同盟加盟の道を歩み、敗北。
藩主、南部利剛の命をうけ十二所へ楢山と赴き、鎮撫総督・九条道孝に降伏の嘆願書を提出する。

239:日本@名無史さん
04/06/03 19:42
島 忠之(1824-1901)

盛岡藩士。
奥羽列藩同盟に反対し脱藩。京都、長州藩邸に匿われ、桂小五郎に藩主の朝廷への
異志無きを訴え続け、明治元年十月、盛岡藩の開城にあたって城中御用掛として
藩政収用にあたった。

240:日本@名無史さん
04/06/03 19:56
長宗我部 四郎(1843-1865)

出身:土佐国吾川郡長浜村
立場:土佐藩士

文久3年、藩命で上京して三条実美の衛士となる。
同年、8月に天誅組の挙兵に参加して上田宗児とともに五条代官・鈴木源内を斬るも
戦いに敗れ、同志とともに中山忠光を推して三田尻へ逃れ、忠勇隊に属する。

元治元年、禁門の変で忠勇隊で戦う。その後は井原応輔らと諸藩への遊説を計画し、
上京の途中美作国土居の関所で賊徒として追求を受け、井原と刺し違えて死す。23歳。

241:日本@名無史さん
04/06/14 17:36
幕臣とかもっといないわけ?

242:日本@名無史さん
04/06/15 10:04
矢田堀鴻
 通称は景蔵。幕府海軍総裁。しかし副総裁の榎本釜二郎と陸軍総裁勝麟太郎の間に挟まれ
 ちっとも目立たない。
木村喜毅
 摂津守。幕府軍艦奉行。咸臨丸に乗船し、幕府使節の護衛をする。日本の水師提督だが
 一艦長である勝にすべてが仕切られたため非常に影が薄い。号は海舟をもじって芥舟。
新見正興
 豊前守。米国との条約批准文書交換のため、幕府正使としてポーハタン号に乗船し渡米。
 しかし、なぜか目付の小栗豊後守(のち上野介)の方が目立ってしまい、影が薄い。
村垣範正
 淡路守。同副使。もっと目立たない。
堀利煕
 織部正。箱館奉行。蝦夷地探検や蒸気船造成など結構派手な働きをしているが目立たない。
 蝦夷地探検の際の従者だった榎本釜次郎の方が目立つ。
林復斎
 大学頭。幕府の代表としてペリー艦隊と交渉を行い、日米和親条約を結ぶ。西洋の事情にも
 通じ、へりくだることなく堂々と対米交渉を行った傑物だが、儒学者という本職から、古くさい学者
 というイメージが強く、活躍の割に目立たない。

243:日本@名無史さん
04/06/25 23:57
反応なし…(´・ω・`)

244:日本@名無史さん
04/07/14 09:15
メ几
木又

245:日本@名無史さん
04/07/17 10:02
それがし儀、保守致し度存じ奉り候ニ付キ、age奉り候。恐惶謹言

246:日本@名無史さん
04/07/21 00:22
>>224 ワロタ

247:日本@名無史さん
04/08/18 10:24
仙台藩の尊攘派、桜田良佐親子についてご存知の方がいらしたら
教えてください。

248:日本@名無史さん
04/08/22 23:33
探してみよう。

249:日本@名無史さん
04/08/25 02:10
時山直八。

250:日本@名無史さん
04/09/13 13:06:59
>>242
やたぼりと木村はそれなりに有名だと思うが

251:日本@名無史さん
04/09/13 20:20:18
>>247
酒井良佐じゃないの?_?

252:日本@名無史さん
04/09/29 01:52:54
長州のヒーローといえば、乃美織江と山田宇右衛門だよな

253:日本@名無史さん
04/10/05 01:38:50
そして、薩摩のヒーローは桂久武と松木弘庵

254:日本@名無史さん
04/10/06 00:47:02
土佐のヒーローつったら間崎蒼浪と佐々木三四郎

255:日本@名無史さん
04/10/15 00:57:16
上杉宗二郎

256:日本@名無史さん
04/10/22 07:50:58
河野敏鎌ってマイナー?

257:日本@名無史さん
04/10/22 08:32:56
明治に入ってからはメジャーだが…

258:日本@名無史さん
04/11/04 06:33:11
上田馬之助

259:日本@名無史さん
04/11/09 14:00:32
阿比留鋭三郎
新選組にいたらしい

260:日本@名無史さん
04/11/09 20:03:57
三吉慎蔵
長府藩士。龍馬のボデーガード。

261:日本@名無史さん
04/11/10 08:16:01
>>259-260
その辺はそれほどマイナーではないと思うな。

262:日本@名無史さん
04/11/20 01:30:29
紀州人が勝手に維新の四傑に入れる津田出もマイナーだな

263:日本@名無史さん
04/11/24 09:27:06
佐々木只三郎はメジャー?マイナー?どっちですか?
大河ドラマではかなりの存在感だったと思います。
最期が報われないあの忠臣ぶりは泣けました・・・

264:日本@名無史さん
04/11/24 09:59:11
>>263
クマー!

265:日本@名無史さん
04/11/25 07:56:43
超がつくほどのメジャーだろ…

266:日本@名無史さん
04/11/26 19:53:53
加納宗七
とりあえず幕末の人

267:国
04/12/02 15:08:12
松森胤保(1825-1892)

出身:出羽国鶴岡
立場:洋学者(出羽松山藩士)

若年から文武両面に頭角を現し、
文久三年には松山藩家老となり、
慶応三年には兵を率いて江戸の
三田薩摩屋敷襲撃に参加、戊辰戦争では
軍務総督として官軍を破る。
(松森という名字は、この時出羽松山城を
守り抜いたことを記念に賜ったもので、
実家の名字ではない)
維新後は区長・中学校長・県会議員などを
歴任。著述は八十七部三百二十八冊に達し、
その一部は酒田市光丘文庫に残されている。

268:日本@名無史さん
04/12/02 15:59:16
尊攘派浪士に暗殺された画家の冷泉為恭はマイナー?

269:日本@名無史さん
04/12/02 16:03:04
誰それ

270:日本@名無史さん
04/12/02 16:19:52
おかっ引の文吉

271:日本@名無史さん
04/12/02 16:32:04
長州の狂人・大楽源太郎に殺された絵師だろー冷泉ためちか

272:日本@名無史さん
04/12/03 02:06:06
>>270
目明かしの猿の文吉のことか?

273:日本@名無史さん
04/12/22 15:47:07
こっこて、武士の名前しか書き込んじゃいかんの
絵師の月岡芳年はマイナーなほう?
俳人の井上井月も幕末の人だったような・・・・

274:日本@名無史さん
04/12/23 10:11:33
しかし、それを言い始めるときりがないからなぁ。
戯作者とか力士とか歌舞伎役者だっているにはいたろうし

275:日本@名無史さん
04/12/24 23:27:12
三島億次郎

276:日本@名無史さん
05/01/12 11:25:28
ネタ切れか?

277:日本@名無史さん
05/01/12 17:22:54
ちと聞きたいが桑名藩はメジャーだよな?

278:日本@名無史さん
05/01/13 03:14:46
田辺太一は誰も知らんだろうな

279:日本@名無史さん
05/01/13 03:41:11
桑名って伊勢平氏桑名家があったところの桑名?



280:日本@名無史さん
05/01/13 04:51:30
>>279
その手は桑名の焼きハマグリ の桑名

281:日本@名無史さん
05/01/13 14:54:18
平吉(1833年~1869年)

出身: 土佐国
立場: 農民

小作農の長男として生まれる。19歳のとき夜這いをかけた
イネと結婚3男1娘をもうける。「俺は竜馬さんと相撲をして勝った
ことがある」が口癖。

282:日本@名無史さん
05/01/14 02:17:25
長州の広沢さんは既出?


283:日本@名無史さん
05/01/14 02:21:54
幕臣 矢田堀 鴻

284:日本@名無史さん
05/01/14 02:26:15
山形有朋ってマイナーかな?


285:日本@名無史さん
05/01/14 03:06:08
長州の広沢や山県は誰でも知ってるだろ。

286:日本@名無史さん
05/01/14 08:18:58
広沢兵介や矢田堀景蔵も十分メジャーだ。

287:日本@名無史さん
05/01/14 16:29:17
>>274  狂気の絵師と乞食の俳人ってなんかインパクト
       あると思って書き込んだつもりなんだが

288:日本@名無史さん
05/01/14 21:12:13
長岡護美ってマイナー?

289:日本@名無史さん
05/01/15 02:58:45
誰?

290:日本@名無史さん
05/01/15 03:03:01
緋村剣心こと心太は?

291:日本@名無史さん
05/01/15 10:10:44
女はどうよ。
寺田屋のお登勢
大浦屋のお慶
野村望東尼あたりは有名だが。松尾多勢子とか村岡局とか…

292:日本@名無史さん
05/01/15 14:31:10
>>290
緋村剣心は実在したの?

293:日本@名無史さん
05/01/15 19:00:16
>>288
長岡家自体はマイナーじゃないと思うが、幕末の肥後藩自体が地味だからなぁ。

294:日本@名無史さん
05/01/17 08:43:55
つか、細川家中興の祖、藤孝・忠興父子は長岡姓だったのだが。

295:日本@名無史さん
05/01/18 23:10:24
秋月悌次郎
立見鑑三郎

296:日本@名無史さん
05/01/19 08:03:47
立見は微妙だが秋月は十分メジャーじゃろ。

297:日本@名無史さん
05/01/19 08:50:46
田代 安定(1856 - 1928)

出身:薩摩藩加治屋町

1875年、それまで勤めていた内務省を辞め帰郷、その後農商務省へ移り
熱帯の動植物・民族・風土の調査目的で、沖縄県八重山諸島や南洋諸島を巡る。
「東京大学植物標本室」設立の第一人者。

298:日本@名無史さん
05/01/20 02:35:35
その後、陸軍に出仕し、田代砲を開発。

299:日本@名無史さん
05/01/21 18:07:59
月形洗蔵

300:日本@名無史さん
05/01/22 13:22:23
『宮本宗助』

水戸藩出身。
水戸藩下級武士の出身。藤田東湖に師事していた父を尊敬しており、自らも尊王攘夷の道を志す。
安政七年、桜田門外の変で父の悲願であった井伊直弼の暗殺に参加。
その後は京に逃れ、土佐勤王党の活動に協力する

301:日本@名無史さん
05/01/22 13:30:43
『秋月小二郎』

江戸府内に浪人の子として生まれる。
代々御家人として幕府に仕えてきた家系だが、祖父の代に身分を剥奪された。
文久三年幕臣への復帰を胸に、清川八郎の発案によって結成された浪士組に参加。
上洛後、浪士組を尊王攘夷に利用しようとする清川に反発した近藤勇、芹沢鴨らと共に新撰組を結成する。


302:日本@名無史さん
05/01/22 13:34:45
>>300-301
↑はプレステ2の『風雲幕末伝』というゲームの主人公なんですけど、
この人達に合うような史実の志士っていないですかね?

303:日本@名無史さん
05/01/22 13:55:09
>>300-301
絶対出ると思ってた。

304:日本@名無史さん
05/01/22 15:52:17
>>5 の中井庄五郎は?

305:日本@名無史さん
05/01/25 23:55:20
>>304
マイナーではないだろ。
司馬の短編小説にも主人公で取り上げられたよね。

306:日本@名無史さん
05/01/26 20:59:14
佐野竹之介は討幕主人公に使えないか?

水戸藩士で桜田門外の変に参加
死んじゃったけど、年齢若いし所詮ゲームだから
生き残って歴史に名を残して…
と言う脳内設定で

佐幕は…思い付かない…
尾形俊太郎あたりか?

307:日本@名無史さん
05/01/26 23:56:51
討幕なら田中だろう。同志獲得は難しいだろうが。


308:日本@名無史さん
05/01/27 01:27:16
>>307
田中ってば…シンベェさんのコト?
彼なら出て来ますよ

飄々としたやつですが

309:日本@名無史さん
05/01/28 21:07:16
豊後の毛利空桑って知ってる人いる?

310:日本@名無史さん
05/01/29 04:44:06
吉田松陰の先生だっけ?

311:日本@名無史さん
05/01/29 10:35:06
豊後の毛利? 毛利勝永の子孫?

312:日本@名無史さん
05/01/29 23:16:31
毛利空桑 (1797-1884)

豊後国の熊本藩領鶴崎(現大分市鶴崎)出身の儒学者で尊王思想家。
吉田松陰とも交流があった。
鶴崎で塾を開き豊後国内外の多くの子弟を教育,
維新時の豊後諸藩の動向に大きな影響を与える。
維新後,高田源兵衛(河上彦斎)とともに長州の大楽源太郎を一時かくまう。

家系としては,毛利元就と争って敗れた,弟の毛利(相合)元綱の子孫にあたる。



313:日本@名無史さん
05/01/30 00:04:03
沢太郎左衛門

314:日本@名無史さん
05/02/04 02:38:28
保守…

沢って誰?

315:日本@名無史さん
05/02/04 08:31:12
澤太郎左衛門貞説は幕府軍艦開陽丸(艦長:榎本武揚)の副長。。
榎本らと同じく長崎海軍伝習所→オランダ留学組。
その後、函館戦争まで榎本と行動をともにした人。
鳥羽伏見の敗戦の後、大坂城を密かに脱出した徳川ケーキが
お忍びで開陽艦で帰ろうとしたとき「船は艦長がいなければ出航できませぬ」
(榎本は戦況視察のため入れ違いで上陸中だった)と述べたら
その場で臨時艦長を仰せつかったというエピソードが。

どうでもいいが昔『五稜郭』というドラマで秋野太作がやってたのだが
あまり上品に見えなかった…

316:日本@名無史さん
05/02/10 10:31:34
三吉慎蔵

317:Gくん641
05/02/11 16:09:18
知っている人教えて!
松平春嶽と田安慶頼は、どちらが兄でどちらが弟?


318:日本@名無史さん
05/02/12 10:22:56
田安慶頼は田安斉匡の五男、越前慶永(春岳)は八男。

319:Gくん641
05/02/12 12:01:21
>>318さん!ありがとう!

320:日本@名無史さん
05/02/12 18:09:48
鈴木三樹三郎 北辰一刀流

新撰組 九番隊組長 
新撰組参謀 伊東甲子太郎(のち御陵衛士)の実弟


321:日本@名無史さん
05/02/13 00:39:07
陸奥宗光も幕末まではマイナーだよな

322:日本@名無史さん
05/02/13 01:24:29
陸奥は明治になってから政府転覆の陰謀企てて獄に入れられてるね
そんな奴でも登用して外相までやらすんだから明治政府は懐が深い


323:日本@名無史さん
05/02/13 01:34:40
でも明治大帝からは嫌われてたらしい>伊達陽之助

324:日本@名無史さん
05/02/13 02:01:37
>>320
その人物もっと詳しく知っている人教えて下さい!

325:日本@名無史さん
05/02/13 02:34:45
伊地知正治
1828-1886
薩摩藩士の子として生まれる。目と脚が不自由だったが、努力して薩摩藩の
兵学を学び、藩校の造士館の教官となり西郷従道・三島道庸らを教える。
文久二年に島津久光の上京にあたり軍師としての資質を認められ、軍奉行と
なる。薩英戦争・禁門の変で藩兵を指揮するなど幕末の薩摩藩の軍事指揮に
おいてめざましく活躍する。戊辰戦争では東山道総督府参謀を命じられ、旧
幕府や大鳥圭介の軍勢を相手に北関東・会津にてめざましく活躍する。
会津攻めでは板垣退助とともに戦う。

326:日本@名無史さん
05/02/13 09:01:43
鈴木 三樹三郎が、三樹 三郎に改名した件について

327:日本@名無史さん
05/02/13 10:46:05
>>326
マジで言ってんのか?

328:日本@名無史さん
05/02/13 21:07:42
>>322
でも軍閥がある。
・・・・すっげぇ理解しにくい政府だよな。

329:日本@名無史さん
05/02/20 15:19:38
入江九一

330:日本@名無史さん
05/02/20 22:00:32
さすがに松門四天王はマイナーとはいえないのでは

331:日本@名無史さん
05/02/21 19:03:40
>>330
ですね…。
でも四天王の中で一番マイナーな気がするんですが…。

332:日本@名無史さん
05/02/21 21:56:57
山本帯刀。

333:日本@ななしごんべ
05/02/22 00:01:34
鈴木三樹三郎について。
彼は幼名不詳、一時期多門と名乗っていたらしいです。
伊東甲子太郎の実弟。彼らは鈴木が本姓です。常陸筑鈴木家は上から長女こと、長男大蔵(後の甲子太郎)、次男三樹三郎、次女よし(後に須磨と改名)の四人兄弟。
後に三樹三郎は人の伝で養子に入るも酒癖が悪くて離縁され、三木荒次郎と名乗ります(母御にも手厳しく勘当されたため鈴木姓に戻れなかった)。
そして流れるように脱藩。
幼い頃から文武に秀で、水戸留学を経て江戸深川の伊東誠斎道場へ弟子入りしていた兄大蔵を頼って伊東道場へと転がり込みます。
当時は桜田門外の変などがあったため幕府の浪士監視が厳しく、尊皇攘夷の思想を持っていた三樹三郎は身の危うさを感じていたようです。
兄弟仲の比較的よかったらしい大蔵と三樹三郎は剣の稽古の合間にそういった話に華を咲かせていたらしいです。
元治元年9月、伊東道場寄り弟子であった新選組の藤堂平助が隊士募集のため東下。まっさきに伊東道場の門をたたき、彼ら兄弟を勧誘したようです。
大蔵は道場に集まっていた同志達(後の御陵衛士、加納・服部・内海・佐野・篠原と中西など)と相談。
道場をたたんでとりあえず上京し、様子を見て新選組に加盟するかどうかを判断すると決めて行動に移しました。

…また時間があったら書き込みます。

334:日本@名無史さん
05/02/22 00:21:56
阿比留鋭三郎

335:日本@名無史さん
05/02/22 14:29:29
自分に惚れた娘の前でワザと嫌われるように
(大望ある身に色恋は邪魔という論理)
路上でぶりぶりうんこたれたという豪快なエピソードがある
梅田雲浜

336:日本@名無史さん
05/02/22 14:38:34
>>335
スカトロ?

337:日本@名無史さん
05/02/22 14:38:59
>>335
ほんと?死に際って結構見苦しいって聞いたけど・・・。
それは橋本左内か?

338:日本@名無史さん
05/02/22 14:56:23
越前・若狭を誇る

松井 耕雪
(まつい こうせつ:1819年~1885年)
 横井小楠、三岡八郎とともに、福井藩の殖産興業の積極的な牽引者。
 府中の富商松井家の9代目。幕末のころ府中には学校がなく、安政3年他藩に遅れをとることを憂いた耕雪は、
私財三百両を献じて藩校建設を願い出た。これによりつくられたのが「立教館」である。
立教館が開かれた後も有能な教師を招いて人材の育成に努めた。
 立教館からは、渡邊洪基(東京帝国大学初代総長)、斉藤修一郎などの優れた人材を送りだした。
耕雪は、武生の教育の礎を築いた人物といえよう。
 武生市公会堂記念館の正面にある建学記念碑は、その功績を記念したものである。



339:日本@名無史さん
05/02/22 14:58:39
関 義臣
(せき よしおみ:1839年~1918年)
 福井藩校の「明道館」に学び、文久元年、府中を出て東西に歴巡。その後、江戸の昌平坂学問所に学び舎長になる。
やがて坂本龍馬、後藤象二郎とともに海援隊を組織し、慶応4年、大政奉還論を唱えて、徳川慶喜に建白する。
明治3年、「武生騒動」に連座して福井で投獄されるが、許されて武生に帰った。
その後は、大阪府権判事、鳥取県・徳島県・山形県の知事を歴任し、同40年、男爵を授けられ、府中藩出身唯一の男爵になる。


340:日本@名無史さん
05/02/22 15:06:05
中根雪江(1807-1877)
幕末の福井藩士、明治政府初期の参与、国学者。
文化4年(1807)7月3日、福井藩の上級武士(寄合席700石)中根衆諧の長男として城下に生まれた。
諸役を歴任後、松平慶永の側用人となり、藩財政立て直しに活躍。
また春嶽の懐刀として、橋本左内とともに将軍継嗣問題や条約勅許問題に関する政争に関わる。
嘉永6年(1853)6月、黒船来航の時、春嶽はペリーの要求を断わり、海岸線防備の必要性、軍艦の建造などを幕府に献言するが、
これは側用人である雪江の意見が反映されたものである。
安政の大獄により春嶽が隠居謹慎処分となり、橋本左内も斬られると、雪江も藩政の第一線を退く
春嶽が政界に復帰して政事総(惣)裁職になると、側近として参勤交代制の緩和や横井小楠と協力し、公武合体運動に奔走し、将軍上洛を現実のものとした。
また、長州出兵は慎重に決定するべきことを説いている。
慶応3年(1867)12月12日、新政府の参与となったが、王政復古後に徳川家救済に尽力したため、
新政府批判の嫌疑で翌年免じられた。

341:日本@名無史さん
05/02/22 15:09:43
鈴木主税
福井藩士。鈴木主税は水戸藩の藤田東湖が西郷隆盛と共に「当今の豪傑」と評した人物で、
中根雪江と共に松平春嶽を補佐した。
世直神社の祭神として生前から奉られたといい、寺社奉行、町奉行時代の善政と共に人柄が偲ばれる。

342:日本@名無史さん
05/02/22 18:55:34
中平龍之介

高岡郡梼原村地下浪人中平佐平(定好)の長男として生まれる。
那須俊平に剣を学んだ。
勤王の志を固め文久3年(1863)11月6日、
田所壮輔、尾崎幸之進、安藤(東)真之助らと脱藩、
長州忠勇隊に入り禁門の変に参戦。
激闘の末重傷を負い元治元年(1864)7月19日自決。
二十三歳の若さであった。

343:335
05/02/22 21:15:15
>>336
>>337
まあ宮武外骨の本で読んだんで
本当はどーかはわからんですがね

あと、幕末の侠客てーと清水の次郎長がメジャーだが
会津の小鐵 新門辰五郎なんかはどうだろう?


344:335
05/02/22 21:15:56
>>336
>>337
まあ宮武外骨の本で読んだんで
本当はどーかはわからんですがね

あと、幕末の侠客てーと清水の次郎長がメジャーだが
会津の小鐵 新門辰五郎なんかはどうだろう?


345:日本@名無史さん
05/02/22 21:17:04
↑ダブりすまぬ

346:日本@名無史さん
05/02/22 21:30:21
ドンマイ!

347:日本@名無史さん
05/02/22 22:13:04
あぁ、赤松が来る…

348:日本@名無史さん
05/02/22 22:54:32
>>333
おぉ凄い!鈴木の情報ってこんなにあったんですね!全部初見です。
是非続き見たいです。

349:日本@名無史さん
05/02/23 02:16:54
良スレage

350:日本@名無史さん
05/02/24 05:44:01
>>340
中根雪江はメジャーだと思う。

351:日本@名無史さん
05/02/24 17:37:58
斎藤一諾斎

352:日本@名無史さん
05/02/24 17:42:20
つーかわからなすぎ。誰なわけよ。

353:日本@名無史さん
05/02/24 23:49:42
望月亀弥太
意外と影が薄い…資料少ないし

354:なお
05/02/25 00:22:17
会津藩士で鬼官兵衛こと佐川官兵衛とかですかね
山川大蔵さんとか会津じゃあ有名なんでしょうね。きっと。
弟の、山川健次郎は東大初代総長ってのはメジャーでしょうか?
会津って田舎ってイメージありますけど、意外と教育の水準は日本一という説が。。。。
かくいう自分はやかましい名古屋人ですw

355:日本@名無史さん
05/02/25 05:56:53
>佐川官兵衛

勇敢かも知れないが、上士なのに喧嘩で人殺しをした粗暴無思慮な男のイメージ

356:日本@名無史さん
05/02/25 08:29:51
高崎五六(薩摩)あたりはどう?

357:日本@名無史さん
05/02/26 09:01:07
乃美織江(長州)あたりはどう?

358:日本@名無史さん
05/02/26 15:20:48
長州の大楽源太郎

359:日本@名無史さん
05/02/26 15:53:17
雄藩はメジャー。それ以外で出るとドキッとする。

360:日本@名無史さん
05/02/26 18:16:21
>>359 教育水準は高いけど惜しむらくは古典に精通してただけの優等生。他藩は砲術や医学や工業・科学、政体、時事など正統派以外の学があった。

361:日本@名無史さん
05/02/26 19:43:46
会津は農民層まで教育は普及していなかった。
商人・豪農層の人材が厚い他の諸雄藩に比べてやはり一枚落ちる。


362:日本@名無史さん
05/02/26 22:40:46
小松帯刀

363:日本@名無史さん
05/02/26 22:46:48
小松帯刀ってマイナーなのか?

364:日本@名無史さん
05/02/27 06:28:06
十分すぎるほどメジャー。

365:日本@名無史さん
05/02/27 14:05:58
藤堂平助

この人物はマイナーじゃん?

366:日本@名無史さん
05/02/27 18:31:28
なぜか知らないっけどメジャーなんだよ。

367:日本@名無史さん
05/03/03 20:50:51
メジャーかマイナーかわからないんだったら黙ってROMってろボケが。

368:日本@名無史さん
05/03/04 02:41:19
吉田松陰の兄
井上馨の兄
前原一誠の弟
大山巌の兄
 
有名人の兄弟なのに結構地味な印象があるな。
マイナーかどうかはしらんが。


369:日本@名無史さん
05/03/04 04:13:47
土居通夫(宇和島藩)
知らんよな・・・orz

370:日本@名無史さん
05/03/05 13:12:34
吉田稔麿

371:日本@名無史さん
05/03/05 13:15:47
西郷頼母

372:日本@名無史さん
05/03/05 22:51:23
マイナーって言えばきりがなくなると思うけど,どの辺が限度?

373:日本@名無史さん
05/03/06 14:36:48
浦和盛三郎(南宇和郡内海村)

374:日本@名無史さん
05/03/06 18:36:42
マギー司郎

375:日本@名無史さん
05/03/06 18:41:37
の弟子

376:日本@名無史さん
05/03/06 19:49:36
二宮敬作

>>373
渋いな~



377:日本@名無史さん
05/03/06 21:12:59
>>372
誰かが『メジャーだよ』って突っ込んだら、2レス消費したこととなり、
知名度に関係なくマイナーでは無いことが認定。

378:日本@名無史さん
05/03/07 00:28:08
宮崎八郎兵衛(宇和島藩、ただし子孫は吉田藩)

379:日本@名無史さん
05/03/07 06:03:59
せめて業績を一つぐらい書け!
名前だけ聞いたって興味湧かないでしょ?



380:日本@名無史さん
05/03/07 10:56:20
椎原小弥太(薩摩藩士)
本名不詳。

381:378
05/03/07 13:54:22
>>379
河内浪人。伊達秀宗に仕え、宗純(秀宗5男、吉田藩祖)の傅役となる。
逝去直前の秀宗に手を添えて3万石分知の判物に花押を据えさせる。
秀宗が逝去すると2代宗利と宗純のいざこざを収めるため殉死する。
嫡子専助らは宗純に引き取られ以降吉田藩士となる。

382:日本@名無史さん
05/03/07 21:56:33
>>381
殉死の禁止令が出る5年前だよね。

383:日本@名無史さん
05/03/07 22:36:47
月照(西郷と一緒に身投げした人)と
よく混同されて可哀想な月性

384:日本@名無史さん
05/03/08 07:08:42
武藤鬼一 
 衝撃隊No.2。生没年不明。エピソード不明。墓は石巻市

385:日本@名無史さん
05/03/08 13:09:50
>>384
すげぇ名前!!
№2ってことは実力あったのか


386:日本@名無史さん
05/03/09 03:50:09
でもエピソード不明・・。

387:日本@名無史さん
05/03/10 21:56:36
マイナーって言えば立花壱岐

388:日本@名無史さん
05/03/11 08:22:57
だからエピソード書け

389:日本@名無史さん
05/03/11 16:56:35
柳川城を炎上させた人

390:日本@名無史さん
05/03/16 04:46:40
松平茂昭
最後の福井藩主兼最初の福井県知事

391:日本@名無史さん
05/03/16 07:48:57
請西藩主・林昌之助忠崇。藩主なのに脱藩。

392:日本@名無史さん
05/03/16 15:52:11
391
その人って、遊撃隊の伊庭八郎や人見勝太郎と行動を共に
してた人ですよね?

確か昭和15年まで生きてたって聞いたけど…。

393:日本@名無史さん
05/03/17 07:42:04
藤本鉄石、っていたような

394:日本@名無史さん
05/03/17 07:57:49
天誅組総裁はさすがにメジャーなのでは

395:日本@名無史さん
05/03/18 00:05:00
江川英龍。
お台場を作る。

396:日本@名無史さん
05/03/18 07:58:17
有名じゃろ。教科書にも載ってるし。

397:日本@名無史さん
05/03/18 13:06:50
じゃあその盟友斎藤弥九郎。
神道無念流錬兵館道場主の剣客。

398:日本@名無史さん
05/03/19 09:41:57
江都三大道場の主がマイナーなわけなかろ。
そういえば弥九郎は江川の密偵として各地を廻ったとかいう話もあったな。

399:日本@名無史さん
05/03/19 12:10:10
前原功山。
一応、小説の主人公になった事があるが、マイナーだろう。

400:日本@名無史さん
05/03/19 12:15:44
神代直人

401:日本@名無史さん
05/03/19 17:51:40
>>400
恒例となってるその人物のエピソード書いてくれ・・・
名前だけじゃ、まるっきし分からんよ

402:日本@名無史さん
05/03/20 07:57:38
徳川茂栄。
高須四兄弟の中では一番マイナーだが3家の当主をはしごするなど結構経歴は派手

403:日本@名無史さん
05/03/22 13:25:11
すいませんエピ書きます。ゴメンナサイ。

「神代直人」
高杉晋作を殺そうとした男、大楽源太郎の子分格。
極端な攘夷家。
「あんな男に殺されるのはイヤだ」と、
晋作がスタコラ逃げちゃったほどの、粗暴悪漢。
後に、大村益次郎も殺そうとつけ狙う。

・・・河上彦斎やら、河合ヌ殿之助に、テイストが似てるかも。

404:日本@名無史さん
05/03/30 13:36:49
>>369
外国事務局大阪運上所勤務
大阪府権少参事
兵庫裁判長
大阪上等裁判長
大阪控訴裁判長
大阪電灯会社社長
日本硝子製造重役
長崎電灯重役
日本生命重役
大阪毎日新聞重役
明治紡績重役
大阪実業銀行重役
阪鶴鉄道重役
大阪馬車鉄道重役
宇治川電気重役
大阪染色重役
浪速電車軌道重役
大阪土地建物重役
大阪貯金銀行重役
京阪電鉄重役
衆議院議員
大阪商業会議所会頭
堂島米穀取引所理事長
大阪銀行取引所理事長
日本電気協会会長
大阪実業協会会長

>>391>>392
嘉永1年7月28日~昭和16年1月22日

405:日本@名無史さん
05/04/18 07:19:49
松島剛蔵あたりはマイナーなのか?

406:日本@名無史さん
05/04/22 06:20:11
勝川海老蔵
幕末の任侠、清水次郎長のライバル。

鈴木三樹三郎
新選組参謀(のちに御陵衛士頭取)の伊東甲子太郎の実弟

407:日本@名無史さん
05/04/22 07:50:19
陣幕 久五郎(1829~1903)
本名:石倉 槇太郎
出雲出身。江戸時代最後の横綱。徳島藩お抱え力士から薩摩藩を経て大坂相撲へ。
ライバル不知火との対戦では1度も負けなかった。
慶応3年横綱免許。同年末薩摩藩邸焼き討ち事件が起きた際、大坂の西郷へ事件を伝える。
引退後は実業界に転身、それまで伝説の域にあった歴代横綱を確定し、数々の顕彰碑を建てた。
靖国神社社殿竣工の際には奉納土俵入りを勤めた。

408:日本@名無史さん
05/04/24 22:07:58

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 幕末転勤物語 妙高山
スレリンク(livenhk板)

409:日本@名無史さん
05/04/24 22:30:43
>>406
鈴木三樹三郎って80代まで生きたらしいね。
斎藤や永倉は死んだ時70代だったから、三樹三郎が新選組で最長寿なのかな。

410:日本@名無史さん
05/04/24 22:46:42
さげ

411:日本@名無史さん
05/04/27 18:49:26
坂英力

412:日本@名無史さん
05/04/27 23:30:56
むしろ、桜田良佐

413:日本@名無史さん
05/04/28 07:26:57
中井桜洲もマイナーか

414:日本@名無史さん
05/04/29 17:04:48
宮川 助五郎(1844-1870)

土佐藩士。馬廻り格の上士であったが勤皇の心篤く、郷士とも広く付き合いがあり、尊王運動に奔走する。
また50人組みの総組頭として江戸まで山内容堂の警護にあたったりもした。

慶応二年九月十三日の夜、京都三条大橋の幕府の制札を除くために出かけ、
待ち伏せていた新撰組と戦闘になり重症を負って生け捕られた。

その後、脱走して潜伏し、戊辰戦争では軍曹として働いた。


なお、中岡慎太郎は新撰組から宮川助五郎を救出すべく画策し、坂本竜馬に相談しにいったが、
運の悪いことにその日は坂本竜馬暗殺の11月15日であった。

415:日本@名無史さん
05/04/30 09:27:11
宮川 音五郎

近藤勇の実兄。

416:日本@名無史さん
05/05/06 23:49:51
宮川 大助 花子

漫才師。

417:日本@名無史さん
05/05/08 20:56:48
金正日(????)~(????)
口がキムチ臭くて髪は薄井で有名の独裁者。しかも頭はいかれている。2007年に死ぬ予定

418:日本@名無史さん
05/05/23 12:29:53
あげ

419:日本@名無史さん
05/05/23 21:17:06
河合継之助

420:日本@名無史さん
05/05/23 23:28:16
西郷隆盛

421:日本@名無史さん
05/05/28 15:57:08
大高 又次郎(1821~1864)

林田藩士。赤穂47義士の大高源吾の末裔。
幼少より武芸に励み、安政五年に脱藩して京に上がり、梅田雲浜に師事し
多くの志士と交わった。
安政の大獄により梅田雲浜が逮捕され江戸に護送されるやその奪還を試みたが失敗し
一時、浅草寺の僧侶になりすまして幕吏の追及を逃れた。

後に再び京に入り長州藩邸に匿われ、
元治元年6月、肥後勤皇党の宮部鼎蔵らと三条の池田屋で密会中に新撰組に急襲され(池田屋の変)
奮闘の後に戦死。42歳。

422:日本@名無史さん
05/05/28 15:58:20
高松 平十郎(1836~1863)

塚田孔平の門下で剣術を学び、且つ同門の師範を努めた。
尊皇攘夷運動に身を投じ広く同士と交わり、文久3年2月23日の夜、三輪田元綱、角田忠行ら
15名と京都等持院に押し入り、足利尊氏らの木像を引き出してその首を斬り、
三条河原に晒したが、補吏と戦いになり数名を殺傷し、自分も殺された。28歳。

423:日本@名無史さん
05/05/28 15:59:09
根本 六三郎(1843~1864)

水戸藩士。
安政6年・・・勅書返納阻止を計って長岡に屯集。
万延元年8月・林忠左衛門と共に攘夷運動の尖兵となるべく薩摩藩廷に身を投じるが幽閉される。
文久3年・・・許されて藩主の上京に追従。
元治元年3月・田丸稲之衛門らの筑波挙兵に呼応。一部隊の隊長として常陸を転戦。
その後、武田耕雲斎と共に西上し、12月12日に耕雲斎の内意を受け加賀藩と交渉開始。

17日に降伏して敦賀に禁固に処され、慶応元年2月4日に斬。26歳。

424:日本@名無史さん
05/05/28 16:00:02
鷲津 隆聚(1842~1912)

堂上公家(羽林家)。
父は右近衛権中将・鷲津隆賢、母は権納言・高倉永雅の女。

嘉永3年、元服と同時に昇殿を許され、文久2年には侍従に任ぜられる。
勤皇の大儀を唱えて倒幕の大計を計り、上京した諸藩の藩士達を糾合しては寺院に寄託させ時期を図る
が朝議を蒙って差控された。(寄託させた志士の中には坂本竜馬など、後に大成する有名人も多数居た)

慶応3年、差控を赦されるや直ちに内勅を奉じて高野山に登り、檄を四方に飛ばしては政府軍の糾合に努め、1000人からなる
勢力を作ると京都の同士と相呼応し、大阪城攻略を図ったりした。

明治元年1月7日に錦旗を授けられると高野山より入京、参与に任じられ軍防事務局親兵掛を兼ね、その後に
奥羽追討総督、東征大総督府参謀、奥羽追討白河口総督などを歴任しながら政府軍を率いて東北各所を転戦した。

維新後は戊辰の戦功を評され、三等陸軍将、陸軍少将、五条県知事、若松県知事などを歴任した。
著書に「鷲津隆聚奥羽追討日記」がある。


425:日本@名無史さん
05/05/28 16:06:54
山本 速夫(1825~1874)

三河吉田藩士。
代々藩主松平家に剣道をもって仕え、彼も剣を能くした。
少年の頃から羽田野敬雄に国学を学び勤皇の志すこぶる時勢に感奮するところがあった。

禁門の変の数日前に脱藩、諸国を流浪し京都で侍従・鷲津隆聚の邸宅に坂本竜馬、田中顕助、藤村四郎、香川敬三らと
共に同居し時期を待った。

慶応3年、鷲津隆聚が密勅を奉じて高野山に挙兵するや、彼もこれに従い、監察に任じ、
東三番隊長を務めた。明治元年に朝命により帰藩し、その後内国事務局権判事、三河裁判所、武蔵国巡察使、
租税司判事、若松県大参事等を努めた。


426:日本@名無史さん
05/05/28 16:25:15
大江 卓(1847~1921)

土佐藩士。
家老・宿毛の伊賀氏の臣。
長崎で砲術を学んでいたが風雲急をつげる時勢を見、上京して陸援隊に入隊する。
このころ京の生活で歳多、非人に思うところがあった。
明治元年、鳥羽伏見の戦いを陸援隊士として戦い、
高野山に使して錦旗を侍従・鷲津隆聚、勅書を和歌山藩主・徳川茂承に伝える役を果たした。

維新後は兵庫県判事試補や大阪会計官に抜擢されるが思うところあって重職を退官して上海に渡ると東亜の情勢を監察し
清国人の惨状を目の当たりにする。

帰国後、神戸にて歳多非人の廃止運動を行い、明治4年民部省ついで工部省に出仕後、陸奥宗光県令の後を継ぎ、神奈川県令
に就任。在任中にペルー船籍マリア=ルーズ号の中国人奴隷売買の不法を摘発し
特別裁判所を開設すると、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ等の外国公使の反対を押し切って奴隷を解放した。

明治7年、大蔵省。翌年は後藤象二郎の蓬莱社に入る。
西南戦争が勃発すると林有三らと挙兵を企てるが捕らえられ10年の刑を受け、岩手監獄に繋がれたが
その後、咎人の身ながら帝国議会衆議院議長にまでなった。


427:日本@名無史さん
05/05/28 23:41:27
大江はメジャー。

428:日本@名無史さん
05/06/05 01:27:48
幕末儒者大橋。
坂下門外の変に関与し牢死。数々の長州の勤皇志士を育てた。
ただの教育者ではなく、自らも維新に挑戦した実行者。
松蔭が今これだけ評価されながら、彼の名前は歴史に埋もれた。


429:日本@名無史さん
05/06/05 02:41:02
津田真道はどうだい。

430:日本@名無史さん
05/06/05 02:50:47
うん。俺が知らないからマイナー認定します。つーかプロよろしく。

431:長州ファンA
05/06/15 01:36:39
あげ

432:日本@名無史さん
05/06/17 00:56:32
輪王寺宮(北白川宮能久親王)  1847(弘化 4)~1895.10.28(明治28)  
幼名は満宮(みつのみや)、法名は公現親王。伏見宮邦家親王の第9王子。仁孝天皇の猶子だから、孝明天皇とは兄弟。幕末に彰義隊が担ぎ出した上野寛永寺の輪王寺宮公現親王である。 
1858(安政 5)輪王寺宮を相続・門跡となる。 1868(慶応 4)には将軍慶喜征討の中止を懇願するため、東征大総督となった有栖川宮熾仁親王を駿府に訪ねている。
上野戦争では激戦の中、脱出して幕艦長鯨丸に乗って陸奥会津城に入城。 1870(明治 3)還俗、伏見宮に復帰して軍籍に就き、同年直ちにプロシア留学を命ぜられている。
1872(明治 5)留学中に北白川宮第二代を相続している。 1877(明治10)帰国し近衛砲兵連隊に配属。
1884(明治17)陸軍少将、歩兵第一旅団長。1892(明治25)陸軍中将、第六・第四師団長を歴任。
 日清戦争では開戦後の1895. 1.(明治28)近衛師団長となり、台湾に出征。戦後も台湾守備を命じられ、台南で病没した。
 死後に陸軍大将を追贈され、また台湾神社に祀(まつ)られた。

今吉村昭が朝日新聞に「彰義隊」を書いてるが主役的扱い。






433:日本@名無史さん
05/06/17 00:57:48
このスレまとめて誰か本出してくらはい。

434:日本@名無史さん
05/06/17 01:11:49
阿比留優
父は歯科医だが高利貸しも営み不正で逮捕、母親は濡卯弩女優、姉は元、威江楼伽部。
堀布魯に所属していたが、子どもの頃の団房流万引きが発覚、謹慎処分に、図々しくも復帰し、週刊文春に愚裸美唖を載せる。
天敵伊集院光に夜道斬られ死亡。享年19歳。

435:日本@名無史さん
05/06/17 01:14:16
>>432 「東武皇帝」の名前だけならわりかし有名人だね。

436:日本@名無史さん
05/06/18 03:45:52
土田衡平:天保7年(1836)生まれ~文久4年(1864)死亡、矢島藩士

漢学を新田勘七に学び、又、島源蔵について関口流の柔術を学び、その奥義を究めた。
安政元年、9歳の時、藩の選抜をもって江戸藩邸におもむき留守居役書記となるが、23歳で脱藩する。
京都におもむき岩倉具視と交を結び、多くの志士とともに活躍するかたわら、藤本鉄石について軍学を学びその奥義をきわめた。
文久3年(1863)大和に天誅組の義挙があり、これにおもむいて戦い、敗れた後足利に身をひそめ、その地にあって関東の志士と交わり勤王倒幕に活躍した。
翌元治元年、水戸藩士藤田小四郎等が中心となり筑波山によって天狗党を結成し攘夷のさきがけを決行しようとした。その中に騎兵隊長田中源蔵あり、土田衡平の非凡の才あるを知り、しきりに決起を要請した。
衡平はそのもとめに応じて田中隊の参謀となり、広く関東常野の地において幕軍と戦ってこれを敗走させた。後、助川の戦いにおいて利なく、田中隊も四散、衡平は小船をもって同志とともに海へのがれ去ったが、
たまたま台風にあい、漂流の末相馬藩中村にたどりつき、捕らえられて同年11月5日斬刑に処せられた。享年29歳。

土田衡平が古賀塾にいたころ、同門の河井継之助を師匠として学問に励んでいた三郎(苅谷無隠)が、継之助が西国遊学のため古賀塾を去るとき、三郎少年は継之助に対し「誰を師匠にしたら良いでしょうか?」と聞いた所、
継之助は「土田衡平がよかろう」と言った。


437:日本@名無史さん
05/06/19 02:04:58
甲賀源吾

438:日本@名無史さん
05/06/20 03:26:09 BE:12816544-
木川松蔵氏について教えてください



439:日本@名無史さん
05/06/20 03:30:01
>>735
台湾で戦病死したことでも有名だと思うが
マイナー人物とは言えん罠

440:日本@名無史さん
05/06/25 23:28:41
池田徳太郎
弘化4年(1845年)安芸広島忠海生まれ、

池田種徳(徳太郎)の諭に従って、志を立て江戸に上り、山岡鉄舟の門に入り免許皆伝を受ける。帰郷し三原城主浅野公に聘せられ、精義隊の剣道指南となる。
その後池田種徳と共に京師に上り、幕末の志士坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通等と交わり、又九條家、本願寺等に出入して、日夜王事に奔走し、鳥羽伏見の役には尊王近衛団の大隊長として大活躍する。
坂本龍馬を高杉晋作に引き合わせ、薩長連合の成立に尽力。


441:日本@名無史さん
05/06/25 23:43:51
URLリンク(cache.yahoofs.jp)
からのまるぱくりです。もしかしたら>>438さんがかいたことかもしれません、そのときはごめんなさい。

木川松蔵  長岡藩家老河井継之助の従者
もともと松蔵は藩主の駕籠の者だったが、若君の正室と恋に陥り、奥女中に知れた。継之助は口止めをして、松蔵を引き取り、従者にした。
姓をつけるとき、松蔵本人は、河井の河の字を取って「木河」にしたかったのだが、届けを出したときに、役場の人が間違えて?「木川」になったらしい。
司馬遼太郎「峠」では「役者のようないい男」とか書かれている。



442:日本@名無史さん
05/07/03 17:37:52
岩村 高俊(1845~1906)

土佐藩士。
大江卓と同じく代々家老を努める伊賀氏の臣下であった。
慶応3年、上京して国事周旋活動に参加。
 同年11月、坂本竜馬・中岡慎太郎が暗殺されると、暗殺の嫌疑がかかっていた和歌山藩士・三浦久太郎を
陸奥宗光、大江卓ら16人で襲撃し、新撰組と刃を交える。

明治元年、戊辰戦争に東山道総督府軍監として参加。
信越に出征の際、小千谷慈眼寺において長岡藩家老、河井継之助と会談して決裂。長岡藩を抗戦側にまわしてしまう。
その後、奥羽に転戦。戦功が認められ200石を下賜される。

維新後、神奈川や宇都宮の権参事を勤め、佐賀県県令の時には江藤新平の起こした佐賀の乱を平定。
ついで大久保利通と日清会談に参画し、
諸県令を歴任後、宮中顧問官を経て貴族院になり男爵を授爵。


443:日本@名無史さん
05/07/03 21:53:34
新撰組隊士・野村利三郎。

444:日本@名無史さん
05/07/04 01:23:57 BE:25632948-
長岡藩士高野貞吉

445:日本@名無史さん
05/07/04 04:25:50
戦国マイナー人物、源平合戦マイナー人物、江戸時代マイナー人物のスレも欲しいな

446:日本@名無史さん
05/07/04 05:19:46
>>442
ちなみに兄貴の岩村通俊は初代北海道庁長官。
高俊は弟のほうか…

447:日本@名無史さん
05/07/04 07:03:31 BE:38448386-
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