05/09/08 02:07:06
>255の続き
ラオ語は植民地時代に欧米語の影響は受けていたと思う。その影響は
、語彙というよりは、文体の方に色濃く残っている。
例えば、ラオ語で、「カーン・ティー・プー・サーイ・キン・ラオ・
ラーイ・マオ・チョン・ローレー、マン・アーッ・シ・ラーイ・クワ
ー・メー・ニィン・キン・ラオ・マオ」という文章があったとする。
これは、口語ラオ語としてもひどいし、文語ラオ語としてもこなれて
いない。しかし、実際にはこういうラオ語は存在する。それは、「直訳
文体」として、論文や解説文の中に存在するのだ。
上の文章は、「It is more likely that men drink too much than
women do.」の直訳文なのであって、一般のラオ人が難しい文章を書くとき
には割とよく出現する文体だ。つまり、小難しい思考を欧米語でする癖の
あるインテリがこういう文章を書いて、それを読んだ人が「文章はわかり
にくく書くもんだ」と勘違いしてひろまった文体だと思う。
この手の文章は、無生物主語「マン(=it)」と動詞の抽象化接頭詞「
カーン(=to)」の多用が特徴だが、ラオスの植民地化の影響はこっちの
方にたくさん出ているのであって、こういう方面をもっと研究しなくちゃと
思うよ。