09/11/08 01:46:44
花々、人々、木々、家々、村々、山々、日々、
どれも、不特定多数を考えることの多い短い言葉、というところに共通点があるのであって、生物類非生物類なんて言い出すのは印欧語的に歪んだものの見方だなあ。
「たち」に至っては、完全に、動体であるか不動体であるか、が付けられるか付けられないかの差で、動体不動体ってのは生物非生物とは違う概念だ。
生物非生物で分類してて、木が生物類であるために木には木々の複数形があるなら、なぜ木や花は生物として扱っているはずなのに「いる」ではなくて「ある」なのか。
木々や花々に「生命的なエネルギーを感じるから」繰り返し形がある、と考えるのと、「不特定多数が並ぶことが多いから」繰り返し形がある、と考えることのどちらがより妥当な判断かぐらいちょっと考えれば分かるだろうに。
繰り返し形自体が"不特定な多数"にそのいちばんの特徴をもっているわけだし。