09/05/26 08:21:31 FOPkKCFq
>>223
稲田家と蜂須賀家の確執は、双方に問題がある。
そもそも稲田家は、蜂須賀が阿波をもらう時、秀吉より大名として領地をもらうはずだったが、固持して蜂須賀について阿波に入った。
蜂須賀も配下としてでなく、客分扱いで脇に領地を与えて、税を免除した。
蜂須賀等の大名は財力を持つと、幕府に工事を命じられたりで、蓄財は殆ど出来なかったが、
稲田家が蜂須賀の庇護の下に、参勤交代も無く税免除された上で、蜂須賀家を超える財力を持つ発展を自らの力と過信し蜂須賀家に対する礼を忘れた。
それが原因で、蜂須賀家の家臣との摩擦が起こり、蜂須賀は稲田家を淡路に追いやって家臣と距離をおかせた。
そういった状態で幕末・明治初期の廃藩置県で稲田家の家臣は大名と同じ扱いを望んだが聞き入れられずに問題を起こした。
蜂須賀家臣にすれば、稲田家は蜂須賀配下であって大名ではないので、分不相応な要求に感じただろう。
更に問題を起こしたのだから、蜂須賀家にも影響が出ることを危惧して稲田家と抗争に発展した。
顛末は映画にもなったが、稲田家のみの懲罰で済まされている。
蜂須賀は稲田家に対し、家臣でもないのに領地を与えたのが間違いで、稲田家を中途半端な存在にしてしまった。
戦国時代が続けば、状況は流動して貴重な戦力だったが、江戸になって時代が安定すると稲田家のような存在は邪魔なだけなのに・・・