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それは伊勢神宮の裏側に、広大な原始林が歴史の謎を秘め存在し、そこへ入ることがもう一方の目的だった。
そこは東京ドームが400個入る伊勢神宮の御神域で「高麗広」と呼称され、地図でも確認できる。
翌朝、私は小学校の坪内弘明先生に案内され、和製ジープで高麗広に入った。
台風一過の五十鈴川は清流を湛え、滔々と御神域を包み込むようにうねっていた。
何という美的空間だろうか。ここは千数百年の昔から40数軒の家々が点在し、
杣人の末裔が生活すると考えられている。
7年前、高麗広に居住された伊勢神宮一級表具師・杉山貞雄氏宅を訪ね、いろいろ伺った。
氏はこの宮域には、いまも15、6頭の鹿の一群が出没する自然環境だと教えてくれた
それもしかりで、我々3名の眼前で、突如、大きな川鵜が飛来し五十鈴川に潜り、小魚を銜えた。
天武天皇が伊勢神宮を創建した7世紀には、既に式年遷宮制度が定められ、
天武である大海人は、高句麗・百済系とも考えられてきた。すれば、高麗広と呼称されるのは当然で、
杣人たちは天武を警固した高句麗渡来人なのかもしれない。
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