10/07/17 23:56:21 AvueJtAB
>>844
平安時代は顔の細かな出来をあまり重視しなかったという話はあるね
髪が長く琴などが達者なら美人、なんて極論もあるが
しかしそれでも当時は蝦夷を野蛮人扱いしていた時代なわけで
土ぐも(縄文系)の特徴を美しいとはまず言わないだろう
つーか歴史的に当時の秋田は弥生人が進出していたことがはっきりしている
小野小町も出身が東北でも血は貴族のものだ
まさか小野小町が代表とされる秋田美人を縄文人の形質のおかげだ!なんて言い張るまい
コーカサス説については(この説は君いわくどうでもいいらしいが)秋田美人伝説が
江戸以前の平安からあるという時点で信憑性を失ってるのでもう相手にしてないがね
>奇跡でも何でもない。
古代には古代の価値感における美人で有名だったが、
現代には現代の価値感における美人で有名・・・
ということが一つの地域で起こるのは奇跡以外の何者でもないが
特に君もいうように「昔の美人は現在では美人とはいえない」のだから、
古代においてもてはやされたところが現代でももてはやされるというのは尚更不自然w
だったらその評価軸となった美意識は連続していると考えるのがまっとうなはずだが、
何故かそこでわざわざひねくれた理屈を捏ねて「可能性」に拘るから始末が悪い
>この部分よく分からんのだけど、具体的にどこを指して言ってるのか教えてくれないか。
この議論の発端は君の「【江戸時代までの美人の概念】を、明治期に生まれた秋田美人
へも適用するのはおかしい」という言いがかりから始まってるわけ
その前提として、「江戸時代と明治時代の美人の条件は違う」という約束があるわけだ
ところが菅江の文献を出されて、
①秋田が美人の産地であることが明治以前の大昔からあること
②平安から江戸にかけて(実は明治・大正までその美意識は続くのだが)の美人像は
薄顔のもので、【江戸時代までの美人の概念】と同じものである
この二つに対して反論しなければいけなくなった
そこで君は「秋田には濃いのもいたし薄いのもいた」「濃い美人だろうが薄い美人だろうが
関係ないくとにかく秋田には昔から美人が多い」と乱暴に「美人」という言葉で
(君いわく江戸期までの美意識とは共有できない)明治期の美意識と江戸期までの美意識
とのギャップを無視しようとした
最初は「美人にはそれを評価する軸があり、その軸は時代によって違う」ことを根拠に人の
説を否定しておいて、自分の立場が危うくなると評価の軸への言及は避けて
「薄いものにしろ濃いものにしろ美人が多い」とする
ご都合主義以外の何だというんだ?
ちなみに言っておくと君らが言う「秋田美人」の初出であるらしい文豪のいう
秋田美人像というのは「瓜実型と丸型の中間で切れ長の細い眼」だそうだ