昔の地図は古いat GEO
昔の地図は古い - 暇つぶし2ch62:,聖地を貫く直線パターン、、、
08/06/21 19:10:18 d5Y34M5X

1991年、リンカーンはもう一つ重要なことを発見した。彼は、ボルンホルム島生まれのデンマーク人
TVプロデゥーサーと接触していた。エルリング・ハーゲンは、ボルンホルム島の15か所の教会に興味を持
っていた。それは13世紀(すなわちテンプル騎士団の時代)のもので、どうも古代の巨石と
関係があるらしい―事実、巨石のいくつかは教会の壁にとりこまれていた。

さてリンカーンは常々、レンヌ=ル=シャトーのパターンの一部は巨石時代にまで遡るのではないかと考えて
いた。一方、ハーゲンセンは、ボルンホルムの幾何学図形もまた5角星型だと彼に告げた。リンカーンは彼
らがそれぞれ「同じ謎の別の部分を解き明かしつつある」と確信した。
さらにハーゲンセンは、ボルンホルムの幾何学にイギリスのマイルが用いられている事を発見した。例えば、
もしもハーゲンセンの幾何学が正しいなら、イヴスケルとポヴスケルの2つの教会の距離は、正確に7
マイル(約11・2キロ)になるはずだ。そして実際にその通りだった。

だが、なぜに「マイル」なのか?リンカーンの本の「単位」と題する章には、奇妙だが説得力ある
事実が示されている。

URLリンク(ja.wikipedia.org)  マイル

1791年に使用されるようになったフランスのメートルは、北極から赤道までの距離の1000
万分の1だ。リンカーンによれば、イギリスの古い単位である「ロッド」「ポール」「パーチ」(1マイルの3
20分の1)「などもまた、地球表面の正確な距離に基づいていると言う。1ポール(198
インチ)を二乗すると、ちょうど1キロ(39370インチ)となる。

この古代のポール(198インチ)に1・618、すなわち黄金分割をかけると、答は320。
そして320ポールは1マイルだ。つまりイギリスのポールとキロメートル、それに黄金分割を掛け合わ
せたポールとマイルは、数学的に関連しあっているのである。


63:,聖地を貫く直線パターン、、、
08/06/21 19:24:47 d5Y34M5X
URLリンク(ja.wikipedia.org)  ロッド

リンカーンはまた、ベルリンの「歴史上の度量衡」を引用している―ギリシアのスタディオンは、ギリシア人
が地球の正確な大きさを知っていた示していると述べた本だ。ベリマンは問う、「はるかな太
古に、地球は計画されていたのか?」。そして確かに計測されていたことを示すために、古
代エジプト、バビロン、シュメール、中国、ペルシア、その多くの古代文明の例を挙げる。彼によれ
ば、古代の度量衡は地球の計測に基づくものだ。逆に言うなら、当然ながら古代人はすで
に地球を計測していたと言うことだ。

これはもちろん、歴史は必ずしも進歩し続けるとは限らない、と言うハプグッドの見解とも
一致する。歴史は停滞することもあれば逆行することもあるのだ。このことは、今から1
0万年前に存在した高度な科学レベルを持つ文明の存在を前提としている。

リンカーンは、ハラルド・ベールケというノルウェー人と知り合った。彼はノルウェーにおける距離に関し
て驚くべき発見をした。ノルウェーは1000年前まで異郷の土地で、キリスト教の進入とともに、
あちこちにあった交易場が姿を消し、より大規模な人口密集地となって都市へと発展していった。
このような新しい街―オスロ、トロンドハイム、ベルゲン、スタヴァンガル、ハマル、トンズベルク―
は極めて恣意的な場所に造られたように見える。たとえばオスロは、何もない単なる僻地だ。

スタヴァンガルに大聖堂があるのはなぜか、誰にも分からない。


だが、それらの街の距離は、何らかの数学的理由に基づいて造られたらしいのだ。すなわ
ちオスロからスヴァンガルまではぴったり190マイル。オスロからベルゲンも190マイル。トンズベル
クからスタヴァンガルは170マイル。トンズベルクからハルスノイまでは170マイル等々。

さらに、古い修道院のある場所は、やはり5角星型の幾何学に基づいていた。あたかも教
会が、新しいキリスト教ノルウェーを作り出すために、何らかの秘密の幾何学の知識を使っていたか
のようだ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)  オスロ
URLリンク(ja.wikipedia.org) ベルゲン
URLリンク(ja.wikipedia.org) トンズベルク


64:,聖地を貫く直線パターン、、、
08/06/21 19:29:07 d5Y34M5X
リンカーンはまた、188メートルを基準とする単位を発見し、これを「教会単位」と名づけた。
そして5角星型の測地とともに、これをフランスの雑誌で発表した。フランス在住の数学教師パトリシ
リンカーンの「聖なるパターンへの鍵」の最終章によれば―「われわれは謎に直面している。レンヌ
=ル=シャトーの地形構造、それとイギリスのマイルとの関連(そしてマイルと地球の大きさとの関連)は、
豊富な実例とともに容易に示すことができる。単位と幾何学配置の存在は明らかだ。その
パターンは繰り返し現れ、その形は深い意味を持つ。これらすべては遠い過去に作られ、それ
が今明らかになりつつある」。そして彼は、歴史家や考古学者に対して、これらの証拠に目
を向けるよう訴えている。

リンカーンの言う「パターン」とは、山々の5角形配置や教会の円状配置だけではない。
彼はレンヌ=ル=シャトー周辺に、意図的に作られたとしか考えられない数多くのパターンを発見した。
彼の言う「聖地」とは、「自然の山々による5角形、およびそれをとりまくように建てられた人工の神殿」である。

この種の話は、どうもこじつけが過ぎるとおもわれがちだ。私だって、やたらと細かい線
を引きまくった地図を見せられただけで、げんなりして本を投げ出してしまう。そんな私
だけが、リンカーンの本は実に説得力があった。例えば、レンヌ=ル=シャトー教会を中心として、周囲の
村、教会、白などに直線を引いた図。はるか彼方の教会や城からレンヌ=ル=シャトーにむかって引
かれた直線が、そのままレンヌ=ル=シャトー教会を貫通し、遠く離れた反対側の城や教会に到達す
るのだ。中でも最も説得力ある図は、格子パターンだろう。様々な場所を繋ぐ直線を引くと」、
それらは互いに平行しているのだ―右から左だけではなく、上から下にも。そしてその
直線同士の距離も等しいのである。

それだけではない。この格子の基本単位は、イギリスのマイルになっているのだ(リンカーンはマイルで
示した距離のリストを挙げている。例えば、レンヌ=ル=シャトーからブズはちょうど4マイル。レンヌ=ル
=シャトーからスランもちょうど4マイル)。


65:,
08/06/21 19:31:01 d5Y34M5X

さらに彼は、ソニエールの謎の財宝についても新しい手がかりを提示した。彼の発見した直線の
多くは、ソニエールが書庫として建てたマグダラ塔を通過していた。それはまさに、ソニエールにとっ
ての最西端にある―彼はそれを切り立つ急斜面のすぐ上に建てたのだ。これによて、リンカ
ーンの言う「レンヌ=ル=シャトー神殿」に、さらに重要な配置が追加された。

さらに興味深い情報がある。1917年の死の直前、ソニエールはもう一つの塔の建立に着手し
ていた―それも高さ60メートルのものだ。その位置は不明だが、リンカーンによれば、この
あたりで最も重要な配置の一つは「日の出ライン」、すなわちアルク教会からブランシュフォールを
通過してレンヌ=ル=シャトーに至るラインだと言う。このラインは、リンカーンが始めてイギリスのマイルに気づいたラインで、その長さはほとんど6マイル(約9・6キロ)だった。

このラインを正確に6マイルにするためには、マグダラ塔の下の斜面に終点を置かねばならない。

だが、塔の下の斜面であるために、目印としてブランシュフォールやアルクから見えるようにするため
には、マグダラ塔よりも高い塔でなければならない。ソニエールが新しい塔を作ろうとしていたの
はこの場所なのだろうか?
もしそうなら、それはわれわれの仮説をさらに裏づけるものとなる―このあたり一帯が、
ちょうどニューヨークの街路のように、幾何学的原理に基づいて意図的に配置されている、と言
う仮説だ。

例の暗号文書を発見した直後から、ソニエールは長い時間をかけて周囲の丘を歩き回っている。
彼自身は岩屋を作るための石を集めていたと述べているが、多くの研究家は財宝を探して
いたと考えている。だが、さらに可能性の高い説が浮かび上がってきた―パリ滞在中、彼は「神殿」の幾何学の秘密を知り、自らこれを習得していた。その後、彼はマグダラ塔を作
り、これによって「日の出ライン」を完成させようとしたのだ。

つまり、暗号文書の発見によって彼は「神殿」の看護者に任じられていた。それを命じたのはたぶんドビッシーで、目印を建てるための金も彼が供与したのだろう。

リンカーンの30年に及ぶレンヌ=ル=シャトーの研究によって、地球の計測に関する古代の科学の存在が
明らかとなった。中世以来、この科学は教会によって管理されてきたようだ(当然、そこ
にはテンプル騎士団も関わっていただろう)。だがリンカーンは、それがさらにはるかにふるいもの
であると感じている―まさしく、巨石時代にまで遡るものであると。これはただちに、
アレキサンダー・トムの言う「巨石時代のアインシュタインたち」を思い起こさせる。


66:,
08/06/21 19:42:34 d5Y34M5X

ベリマンもまた「歴史上の度量衡」で同じことを述べた。すでに述べたように、彼によれば先
史時代の単位は測地学に基づいていた―地球の大きさに基づいているということだ。そ
してベリマンは、驚くべき事例の数々をこれでもかとばかりに集めている。例えば地球の円周
とスタディオンの正確な対応、あるいはインダス渓谷のモヘンジョ・ダロの大浴場の面積がぴったり10
0平方ヤードであること、等々だ。

また彼によれば、インダス渓谷で発見された貝殻に、巧みな技術で均等目盛りのつけられてい
るものがあった。そして特に印のついている目盛りの間隔は、シュメールの1シュシにぴったり一
致していた(1シュシは1インチの3分の2)。

さらに奇妙なことがある―ローマにはユゲルムと言う面積の単位があり、これはイギリスの1エーカーの8分の5である(フランスのメートルもまたイギリスのマイルの8分の5だ)。そしてこれは、ぴったり
100平方「ポール」に当たっている。ここでもまた、古代の測量単位というものは、昔の
王に仕えた測量士の気まぐれなどではなく、往古に遡る伝統に則るものだという観念と直
面する。そしてそれは、地球の大きさに関する正確な知識に由来しているのだ。

URLリンク(ja.wikipedia.org)  ヤード
URLリンク(ja.wikipedia.org) モヘンジョ・ダロ
URLリンク(ja.wikipedia.org) エーカー
この「イギリス繋がり」について、リンカーンは突飛だが魅力的なことを思いついた。レンヌ=ル=シャト―
を研究し始めた頃、彼はジェラール・ド・セドと一緒にパリの国立図書館へ行った。セドは、アンリ・
ブデ神父の「真ケルト語」(1886)と言う本を借りるよう勧めた。ブデはレンヌ=ル=バンの司祭
で、ソニエールの親友だった。


67:,
08/06/21 19:45:58 d5Y34M5X

事実、ソニエールに金を渡していたのはどうもこのブデだったらしい。プランタールの祖父が189
2年にブデを訪ねたが、ブデはソニエールに(というか、ソニエールの家政婦であるマリ・デナルノーに)3
50万金フランを渡していたのみならず、ビアール司教にも750万金フランを渡していた。
この司教はソニエールを任命し、また明らかにこの秘密に関わっていた人物である。1金フランは
今の35フランに相当する(そして9フランが英貨1ポンド)ので、ソニエールの受け取った金
はポンドで言えば1300万ポンド(2000万ドル)以上、そして司教はその2倍以上の
額を手に入れたことになる。

リンカーンはブデの本を手にしたが、それは不可解極まりないものだった。ブデは、バベルの塔
以前の原言語は英語―というより、ケルト語であったと考えていたらしい。リンカーンはブデの
本のこの部分を「言語学的冗談」と呼んでいる。

ブデは聡明な人物であったとされているので、これは彼の韜晦ではないのか、とリンカーンは考
えた。だがその後、話は遥かに面白い方向に転ずる。ブデはその地方の巨石構造物を論じ
始めるのだ。この本の副題は「レンヌ=ル=バンのクロムレック」―クロムレックとは2個の直立する立石の
上に平らな巨石を乗せた、巨大なダイニングテーブルのような構造物を言う。

あたかもブデの役割は、その地方のなぞについてほのめかし、それが巨石時代にまで遡る
と暗示することのみにあるように見えた。だがリンカーンはこう想像した―彼の意図は、この
地方の謎を解く大きな鍵はイギリス、特にイギリス単位(例えばマイル)にあると示唆することでは
なかったのか、と。そしてブデは、人類の原単位がイギリスのもの、例えばマイルであるといい
たかったのだろうか?


68:,絵の中に隠されていた5角星
08/06/21 19:55:43 d5Y34M5X
67のレスはマズッタかも、、、。レンヌ=ル=シャトーの場所ってWIKIで検索できないでしょ、、。


ネンヌ=ル=シャトーは、自然の5角形を中心としている点で、他のすべての聖地とは異なっている。
それだけでここを聖地と見なすには十分だったのだろう。では、ここはいつから聖地とさ
れていたのだろうか?リンカーンによれば、少なくとも1000年間はそうだと考えている。「神
殿」―-教会、城、村から成っている―は少なくとも1000年以上前にデザインされたに
違いないのだから。

そこで、秋から名疑問が浮かぶ。この地方の山々の5角形の配置は、空中から見るか、も
しくは精密な地図上でしか確認できない。だが、1000年前にそのような地図は存在し
なかった。確かにポルトラーノというものはあったが、あれはあくまでも海図であって、
陸図はお粗末極まりないものでしかなかったのだ。

だが、ハプグッドの提示した証拠の中には、キリスト教よりも何千年も前の地図が―それも、
氷結前の南極大陸の地図までもが―存在しているのだ。

さて、ベルリンの示した証拠によれば、古代ギリシアのスタディオンは地球の正確な大きさを知っ
ていた文明の存在を示しており、どうもそれはシュメール人らしい。彼らは60分で1時間、6
0秒で1分という体系を作り出した。だが、そうだとすると、また別の問題が持ち上がる。
シュタイナーはいったいどうやって地球の大きさを知ったのか?

その答は―紀元前250年にエラトステネスがアレクサンドリアの塔の影を使って計測したのと同じ方
法だ。だが、そのためには必ずしも5000スタディオンも離れた場所が必要なわけではない。
日本の垂直柱を、数マイル話して地面に建てればよいのだ。古代エジプト人が同様の方法を知
っていたのは明らかだ。彼らは、大ピラミッドの単位の中に、地球の大きさを組み込んでいる。
シュメール人が60進数を使っていたと言う事実は、彼らもまたそれを知っていたことを示して
いる。

とはいうものの、もしも地球の正確な大きさに関する知識は何処からもたらされたのか、
とプラトンにたずねることができたなら、彼は答えただろう―アトランティスだ、と。かつてのハプ
グッドも9部9里同じことを答えていたに違いない。だが晩年の彼は、アトランティスよりも遥か
に古い、10万年前に遡る「高度に発達した科学」の存在を確信するに至った。



次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch