07/04/29 18:17:23
結局どうなのか決着しろ
練習帳
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これはよく流布している無知からきています。
射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。
これは漢語に由来する表現であることを知らず、日本語として「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。
語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。
この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたのです。
矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。
たとえば、“[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って諸れを其の身に求む。(平凡社『字通』白川静著)”と「失する」という表現をしています。
「失」の反対は「得」であり、「射」ではないのです。
そうでなくても、もともと「得」という字には「あたる」という意味があります(白川静の前掲書)。
いつのまにか「正鵠」という分かりにくいことばを使わず「的」に省略し、「的を射る」という悪貨が「的を得る」という良貨を駆逐していて、日本の国語辞典にも浸透しています。