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オスマン王朝の場合は、公用語が三つ。トルコ語、ペルシャ語、アラビア語。
上級の官吏官僚は三つとも必要、下級官吏の文官は少なくとも一つ、武官兵員はトルコ語と少なくとも
もう一つを要した。
地域的にはアラビア語とペルシャ語の通用地域の間に割って入るように建国し、両側に領土を
広げたからには、既に広く通用する言語をそのまま利用するのは当然だろう。
古くはメソポタミアの諸王朝がシュメル語やアカディア語を支配層の出自に拘わらず公用語と
したりローマがギリシャ語を併用したり、新しくは、イギリスやオランダがマレー語での官吏
養成をしたりしたのと同じだ。
トルコ語(中央アジア内陸、黒海沿岸)、ペルシャ語(ペルシャ湾岸、中央アジア都市部)、
アラビア語(紅海沿岸、地中海南岸)と、それぞれ大きな領域で既に通商・行政で通用していた
言語なので、外交には当然必要、占領すればそのまま行政用語となるから、やらないわけには
いかないという事情もあった。