06/10/07 11:40:23
>>731
時制はあってもいいが、それが文法的に存在するのと、表現として存在するので
は意味が違う。インドネシア語などでは、文法的には時制はなく、たんに、副詞
で、時制が表現される。こういう副詞はオプショナルだから、つけなくてもいい
わけだ。文脈から十分わかる場合にはね。
英語とそっくりの文法をもつ、あるいは英語よりも複雑な文法をもつ多くのヨー
ロッパ人にとっても、英語の時制を正確に会話で話すのは難しい。で、案外、
全部現在形でしゃべるようなことがおこる。
名詞の格変化や性数の一致のような話も、たとえば、この点について同じような
文法をもつドイツ語とフランス語の間で、フランス語流暢なドイツ人がかならず
しも、フランス語の性数の一致が扱えるわけでもない。間違えることが多い。
こういう、文法における、一致だとか、活用というものを本当にマスターする
には、子供のときからの学習が必要だ。
第二言語として習う、国際語を考える場合は、これらの活用がないことが大前提
だろう。エスペラント語は、間違いなく英語よりこの点で複雑だ。よって、
英語よりも学習が遙かに難しいということが明らかなわけだ。