06/10/05 08:24:22
>>664
エスペラントの中立ということに関してはいろいろ誤解も多いようで
URLリンク(homepage3.nifty.com)
と岡田俊之輔氏も
1:「「中立的」とは飽く迄もヨーロッパ人たちの間に於ての話であつて」と
どこの民族語でもないことがエスペラントの「中立性」であるのに、学習の
し易さの「中立性」だと誤解している。
2:「外國人のものの考へ方に違ひが見られるのも至極當然だが、どうやら
さういふ差異を無くすのが「國際化」だと世人は思ひ込んでゐるらしい。」
とエスペラントの目的が本来各民族語間の「差異」を保つことなのにバベルの
塔を比喩に持ち出して差異を無くすことだと誤解している。
とはいえここでは「ヨーロッパ至上主義」がこのスレではもともと「ヨーロッパ語
の基本的な表現法をもってきただけだから、 結局、ヨーロッパ語至上主義にはか
わりはない。」とエスペラントにおける「ヨーロッパ的語彙や表現の多さ」について述
べていたのに、いつのまにか「帝国主義」的なものにすりかわってませんか?
なので中立性については、確かにヨーロッパ的語彙が多いですが、これはヨーロッパ
で発明されたからあたりまえのことで、エスペラントの中立性を損なうものでは
ないということで、おしまい。
そもそもセム的要素がなければ今の文明を成立しえなかった「ヨーロッパ」
しかも「アジア」との差違によって際立たせた概念でしかない「ヨーロッパ」
むしろ「ヨーロッパ」は「アジア」の中にあるとは思えませんか?
思えませんね…。ですが、英語もヨーロッパですし、ヨーロッパ起源(これは
そもそもオリエント起源ということ)の言葉が世界に氾濫して、インドネシア
もヴェトナムもトルコもラテン文字を使う時代。もはや「ヨーロッパ」「アジア」
といった二項対立は古くはありませんか?