06/09/24 10:21:48
>>461-462
この問題は、このスレの最初のほうにも書いた気がするけれど、
世界の多くの国で、英語教育が盛んになっている。たとえば、お隣韓国でも
そうだ。中国でもそういう方向だ。日本人も、英語ができないというコンプ
レックスがある。
それから、しらないうちにではあるが、東南アジアの国々では高等教育が
英語化されているところが多い。タイなどでも大学での教育、とくに科学
技術関連は英語で教育されている。そういうわけだから、こういう英語で
高等教育をうけるような国の若者は、知的なことを考えるときの言語が
英語になる。タイで、大学で科学技術などを学んだタイ人は英語で科学
技術に関することを考えるわけで、タイ語ではない。
結局、こういう高等教育を英語でうけると、知的な部分は英語になる。
しかし、そういうことなら、もともと英語の国の人々のほうがはるかに
自由に英語で考えることができる。いわば、高等教育に英語を持ち込む
ことは、不完全な英語ネイティブによる不完全な思考を奨励してしまうと
ともに、自分の言語で知的思考を行う機会を奪う。
幸いなことに、日本では大学学部レベルの教育はほとんど日本語でおこな
われている。大学院レベルでは英語も使えないとどうにもならない場合が
多いけれど、基本的には、日本人は知的な思考を日本語で行うことになる。
中に英語に堪能な人がいたとして、そういう人も日本語で考えることが多い
し、堪能であれば、英語で考えることもある程度できるだろう。つまり、
両方の方法を身につけることができる。つまり、日本人はいまのところ、
英語の国の人々の不完全コピーになる可能性は少なく、むしろ日本語で
考えることで、英語の思考ではできない発想をもつことが可能である。
もちろん、その日本語といっても明治時代以来の西欧文化の圧倒的な
影響で成立した現代日本語であるから、その中にはかなり英語的という
か西欧的なものがあるが、それでも非常に異なっている。
この独自性を保つことで、逆に世界文化への貢献ができるのだろうと思う。
私は、英語教育を否定するつもりはないし、むしろ奨励する。
ただ、高等教育は、大学レベルの教育は日本語を中心として行われるべき
だと思う。