06/09/24 10:11:04
とりあえず最初に今年の9月11日に亡くなられ、ノーベル賞候補にもノミネー
ト されたことのある文学者William Auld氏の死を悼みます。
さてここでの議論は文法・語彙など表層での議論が続いています。
けれど完璧な法律がないように文法・語彙の完璧な言語なんて存在しません。
少なくとも私は知りません。もちろんどの言語が優秀で美しいなんてものも
ないです。もし英語に問題があるとしたらそれは文法ではなくそれがアメリカ
の言語であるから、なのではないでしょうか?
そしてここでまず問題にすべきは日本が独立国として、または主権国家とし
て国際社会に存在する上での、英語優先教育への疑問です。
例)いずれも私が経験した実話です。
1:「英語=英雄の言語」と誤解する中学一年生がいた。
2:タイへ一緒に旅行した友人が「こんな国、英語が通じないし
発音が変だからもう嫌だ。次は英語の通じる国へ行こう。」と言った
3:同じ友人が「英語圏の人と話したいんだけど話す内容がないんだよね。」
そこで「じゃあ英語の歴史とか文学を読んで話題を探したら?」と助言すると
「いやだ。歴史とか文化になんか興味がない。」
4:トルコへ一緒に旅行した他の友人がそこは公用語がトルコ語なのに
「やっぱ帰国したら英語を勉強しよう。」と言った
現在の英語を習い始めるほとんどの中学生にとって確かに身近な国はアメリカ
ですが彼らにはアメリカやイギリスの文化への興味はまだありません。そのう
ちから特定の民族語(英語)を習わせることは「英語嫌い」か、英語を絶対視
するが歴史や文化には興味がないという「英語バカ」を産むのではないので
しょうか?中国語や他の言語にしても同じ結果を生むと考えられます。まず
はどこの国でもない言葉を教えて文法を日本語との違いから理解させた方が
いいのでは?むしろ私は日本語を完全に習得するためにも外国語教育は早期から
必要と考えていますが、特定の民族語を習わせるのには反対です。
続く