06/09/17 11:40:13
>>360
まず、おっしゃるとおりだね。
言語は論理的、知的である部分も重要だが、かなりの部分は慣用的であり、
それらは、言語間翻訳においては、慣用から慣用に翻訳されているわけだ。
で、私が目指すのは、そういう要素をある意味で排除した知識体系の明確
な記述のためのものだ。これは、これまでの言語において不十分に実現さ
れていたものだから、これを中心に据えることになる。
>>361
ここだよ。エスペラントはそういう規範としては、全く役に立たないほど
古くさいものだ。ヨーロッパ語の文法において広く通用している項目を、
規則的にしたものにすぎず、そこには、厳密な意味での論理性もなければ、
合理性もない。
ようするに、エスペラントは、本来の言語のもっているべき特徴をとりさり
かといって、目標とする言語の要素をももっていない、なにも意味のない
ものだ。だから、研究する価値すらない。言語の発現現象としても意味が
ない。全く無意味なものだ。だから、その存在意義を宗教的なものにおか
ないかぎり、価値が全くないのだよ。
クレオールなら、あるいはピジンなら言語発現現象として研究価値がある。
これが人間の認知と論理と社会性の仕組みを明らかにするかもしれない。
エスペラントはそれがない。
>>363
そうだな。だから私がいうように、論理的、知的言語においては、表層の
語彙の綴りや文字などは全く意味がないし、表層における文法表現法も
意味がない。必要なのは、深層における論理的表現のありかただけだ。
これがあれば、いかなる言語にも明確に翻訳できる。そして、その結果と
なるいろいろな言語での表現形式はそれぞれの言語における明確で論理的
な表現法としての規範になり得る。