08/05/16 03:05:56 0
>>401
おそらく少なくとも奈良時代から、岐阜県・愛知県にあたる領域は東西方言の中間的方言だったと思われる。
奈良時代に既に、「毛人方言、飛弾方言、東国方言」という方言区分が登場する(飛弾は飛騨のこと)。
「毛人方言」というのはおそらくアイヌ語のことだろう。
「東国方言」というのは古代の方言区画意識としても確立していたのだろうが、
「飛騨方言」というのが出てくるのが注目される。
これは、東国方言ほどではないが近畿方言とも違う中間的方言として、
当時から都の人々に意識されていたのだろう。
大野晋は、万葉集の東歌、防人歌などの言語の実態を研究して、
現在の「西関東方言」が話されている地域に相当する範囲を「第一のアヅマ」、
現在の「長野・山梨・静岡方言」が話されている地域に相当する範囲を「第二のアヅマ」、
現在の「岐阜・愛知方言」が話されている地域に相当する範囲を「第三のアヅマ」としている。
当時の文献に見られる東国方言的特徴をそれぞれの地域について観察すると、
第一のアヅマから第三のアヅマに進むにつれ東国的特徴が薄れていく。
この区分は、縄文時代や弥生時代の文化的境界ともよく一致する。