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>>506
人がものを書くのは二つの主要な理由、読まれることとお金を儲けることのためである。
ある書き手が何を書くかはその人の目的に基づいている。楽しませるため、教えるため、
読者に影響を与えるため、といった目的である。書き手がどのように書くかはその人の
性格、個性、熱意、能力による。ある人がどのように書くかはその人自身の人となりを
反映する。
自分のためだけに自分を楽しませるために書くのだと主張する書き手は、結局そのこと
だけしか達成しない。決してプロになることのないアマチュアなのである。彼の書く理由
は癒しであるかもしれない。いったん自分の苦しみや不満を紙の上に書き付けてしまえ
ば、書くことから(腹立たしげに、悲しそうに、うれしそうに)歩き去って、より適した仕事や
職業につくことができる。自分のためだけに書くのだと主張する一部の書き手は正直に
語ってはおらず、失敗の可能性から自分を守っているのである。こうした作家は―
小説や戯曲を完成させると―出版されて読まれることを考え始める。
ある人が何をどのように書くかが、その人の作品が出版されるかどうか、そしてもし出版
されるなら誰によって出版されるか、を決定する。駆け出しの作家はみな、自分の才能を
認め、進むべき道を示し、自分の目的である出版へと励まし導いてくれる編集者や
出版社を見つけることを夢見ている。以前はこうしたことがあった。もっとも、作家たちが
信じているよりももっと稀にであったが。今日の編集者や出版社は作家の成熟を待つ
ような余裕はない。彼らは才能を育成しその成長を援助したいと思っているが、出版の
コスト、わずかな利益率、他のメディアとの競争、大衆の好みの気まぐれのために、
今日にでも出版の用意のできている作家、何をどのように書くべきかわかっている作家を
必要とするのだ。こうした必要のせいで大学のクリエイティヴ・ライティングの授業、
ライティングのクラブ、会議、地域のクリエイティヴ・ライティング組織がますます数を
増やしている。