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>>349
1963年は奴隷解放宣言の100年記念日だった。それ(奴隷解放宣言)はアメリカ史の中と、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの人生の中で、真に偉大な日だった。アラバマ州
とミシシッピー州の知事の反対にもかかわらず、合衆国大統領のジョン・F・ケネディは
連邦司令官たちが、数人の黒人の学生たちのミシシッピー大学とアラバマ大学への入学の
手助けをするのを許可したのだった。アラバマ州バーミンガムの警察署長の「ブル」コナ
ーは、警察官たちに、若いデモ参加者たちに消火ホースを向け、警察犬をけしかけた;
テレビカメラがこのヒドイ光景を捉えたとき、アメリカ全体が信じられない思いと嫌悪の
気持ちで息を飲んだのだった。ミシシッピー州のジャクソンの、NAACPの外勤の役員
である30歳のメドガー・エバーズは、6月12日に自宅の玄関で殺害されたのだった。
暴動がその夏中起こった。国家(アメリカ)は人種の内戦の瀬戸際にあったのだった。
アメリカには、火薬と爆弾から残された煙を透かして見るのに力を貸してくれるような
預言者を必要としていたのである。「なぜ我々は今現在待つことができないか?」を
出版したマーチン・ルーサー・キング・ジュニアが、その時の預言者だったのだ。
「私には夢がある」の中で出てくる言い回しやテーマの多くは、何回もキング牧師によっ
って繰り返して言われたのであるが、これは、キング牧師のもっとも有名なスピーチで
ある。キング牧師はワシントンD.C.での、公民権のための行進の基調演説として
1963年8月28日にリンカーン・メモリアルの前でそのスピーチを(演説)した。
テレビカメラはマーチン・ルーサー・キング・ジュニアが社会正義と自由を訴える声と姿
を全国の人々に聞かせ、見せることを可能にした。コレッタ・キング夫人は、かつて
次のように言った。「あの瞬間、神の王国が現れたように思えたのです。でも、それは
一瞬しか続きませんでした。」と。