09/01/03 20:51:31
なるほど。横レスさんに対する2号さんのレスを見る限り、多くの誤解というか迷いが見られますね。
どうやら2号さんが求めているのは哲学であり、宗教学や悟りとは異なるものなのだろうと思います。
経典をお読みになっているなら、当然様々な仏話を知っていると思います。
例えば足がかりとして手塚治虫の『ブッダ』でかまいませんから一読されれば、私や横レスさんの言っている事が理解してもらえると思います。
猫とか木の苦しみと言いますが、その「苦しみ」とはどういう意味でしょうか?
定義が曖昧なので推測で話しますが、逆に苦しにはないと思える根拠は何なのでしょうか?
>遂に「悟る」ことが出来るのは人間だけです。
初めから悟っている、悟りの境地にいる存在には「悟る」必要がありません。
「妖怪人間ベム」が「人間になりたい」と思うのは、彼等が人間ではないから。
初めから人間の我々が「人間になりたい」と思わないのと同じです。
「悟る」事が目的ではなく、悟りによって得られた境地を生きる事が肝心なのでは?
2号さんは何の為に悟りたいのでしょうか?
大学は通過点でしかないのに、大学合格だけを目的に生きているのと同じに見えます。
本末転倒ではないでしょうか?
「足るを知る」「感謝」は人間を他の自然と区別して得られるとは思いません。
それは人間は生きているのではなく、多くのモノに生かされているからです。
他にも指摘したい所が多々ありますが、2号さんの求める道は2号さん自身の道。
ゴールが異なれば、道の方向も異なります。
ご自身の道を見極めて下さい。