08/07/29 18:54:39
神戸新聞Web News
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韓国が「李承晩ライン」を設定し、竹島水域などの主権を宣言した一九五二から六五年にかけて、
ラインを越えて拿捕(だほ)された日本船は三百二十六隻、乗組員三千九百四人に上る。
八管本部などの巡視船は、追跡を受ける漁船と韓国警備艇の間に割り込み、楯(たて)となって拿捕を防いだ。
この間、韓国側による銃撃は十五件を数えるが、日本側の応射は一件もない。
不審船の取り締まりでも、六三年から八五年の間、巡視船の発砲はゼロ。
七〇年には、兵庫県竹野町(現豊岡市)沖で不審船の銃撃を受けたが、応射しなかった。
一九九九年三月、武器使用をめぐる環境が一変した。
石川県能登沖で、不審船を警告射撃のみで取り逃がしたことに国内の批判が高まり、武器の使用要件が拡大された。
二〇〇一年十二月には、鹿児島県奄美大島沖で不審船を射撃、同船は自爆により沈没した。