07/06/28 00:35:57
>>211続き
(3:35)そして私も勧誘されましてインドネシア軍に入ったわけですが、
(3:39)どのぐらいの方が戦死なさったのですか?
(3:42)約半分。千名は戦死されました。
(3:46)というのは我々は戦争指導ですから第一線に立っています
(3:51)だから敵の目に見つかりやすいですよね
(3:55)で結局犠牲者が多かったわけです。
(4:00)戦後、植民地支配にあえいでいたアジア諸民族は自らの力を以って相次いで独立を達成していきました。
(4:13)ここマレーシアは再び占領したイギリス政府との粘り強い外交交渉の結果、
(4:19)1957年君主国家として独立し
(4:25)また長い間海峡植民地だったシンガポールも2年後の1959年独立を達成しました
(4:35)戦争という体験によって我々は強くたくましくなりました
<字幕:ウンク・アジス氏、元マレーシア大学副学長>
(4:40)これを必要としないとする人もいるかも知れませんが、
(4:44)当時マレーシアではこのように溌剌として強固な人間を育成するためには非常に重要だったのです。
(4:57)日本軍がもたらした大和魂のような考え方を持つことをです。
(5:02)おそらく今の日本ではこの考えは必要ないと思われているでしょうが、
(5:08)我が国では独立に為にこの精神がどうしても必要だったのです。
(5:15)これは戦争の心理的インパクトです。
(5:19)このことがあって我々の独立は早まりました。
(5:23)だから我々はこの点を大変感謝しているのです。
(5:33)1955年アジア・アフリカ会議がここインドネシア、バンドンで開かれました。
<字幕:アジア・アフリカ会議会場、バンドン>
続きます。