08/08/30 21:03:18
例え中身がからっぽだろうが、ウソ・インチキ・暴力などのアンフェアーな
手段を使って達成されたものだろうが、見かけの良さ・体裁さえ
取り繕うことが出来ればそれでいいという考え、それが中国人が
面子と呼び、韓国人が自尊心と呼ぶものの正体である。
同じ儒教文化圏に属する中国・韓国のサッカー選手は何故こうも暴力的なのか。
まず同じスポーツを愛するファミリーとして対戦相手に敬意を表するという
文化に欠けていることが一つ、暴力だろうがインチキだろうが、
どんな悪どい手段を使ってでも”良い結果”を得た者が勝ちという
根強い信仰を持っていることが理由の二点目であろう。
後者の場合、これも一種の偽装と言える。
北京五輪の場合、あからさまに中国に買収されたような判定をする
審判はいなかったようだが、女子体操で金メダルをとった中国人選手に
年齢詐称疑惑が持ちあがっているのは、皆さんも良くご存知だろう。
以上みてきたように、中国や韓国など儒教文化圏の人々は、
見かけの良さ・体裁を取り繕うのに異常な執着を見せることが多い。
見せかけの結果のみではなく、プロセスや中身を比較的重視する
日本人にはなかなか理解しがたい事であるし、知識が無いと
そんな考え方が存在するという事がなかなか信じられないと思うが、
例え中身がからっぽだろうが、ウソ・インチキ・暴力などのアンフェアーな
手段を使って達成されたものだろうが、見かけの良さ・体裁さえ
取り繕うことが出来ればそれでいいという考え、それが中国人が
面子と呼び、韓国人が自尊心と呼ぶものの正体である。