09/05/10 04:05:14
>>332
当時は南米各国の日本人も米に強制連行された。
米も相当酷いもんだよ。
日露戦争での日本の捕虜以外は似たり寄ったりさ。
露の捕虜なんて更に酷いさ。
それらを隠すために未だに反日をやるのさ。
だから終戦日には必ず靖国神社へ行きましょう。
米や中がガタガタ言うなら尚更行くようにしましょう。
335:ウヨもサヨも討伐 ◆YaXMiQltls
09/08/01 20:59:22
>1
板の厚みをよく見ろ。全然違うじゃねーか!
しかも縦に振ってるし。ほとんど重さで勝ちじゃねーか。
横に振れば日本刀圧勝だろ。
336:名無的発言者
09/08/01 21:57:19
>>335
キチガイ相手にむきになってどーする
337:名無的発言者
09/08/03 00:38:39
日本刀って数打ちや昭和刀の一番安い刀ですら20万円以上もするのに
貧乏人の中国人が買っておもちゃにできるはずないだろ
338:名無的発言者
09/08/13 01:17:09
>>337
武装解除された時の押収品がかなり残っていて中国の骨董市場に流れている。中国人=貧乏人の偏見はすてろ。
このスレは日本酒とワインのどっちがアルコール飲料としてすぐれているかを問うに等しい。つまり無意味。
ただ、軍刀は結構壊れやすかった。安物扱いされる昭和刀は実用価値だけなら馬鹿にできない。
339:名無的発言者
09/08/19 22:25:18
ていうか、振り下ろすだけ・重量で勝負って話なら
中世ヨーロッパの剣とかハンマーの方が強いんじゃないのか?
340:名無的発言者
09/10/18 18:02:34
まだあったのかこのスレ
341:笑み
09/10/18 18:15:23
337てめえ見ていると 昔 疎開人の 在日の人たちが 住んでいた
部落に 住んでいた 農民の 日本人 思い出すわ 在日は 都会から
疎開してきたのにも 関わらず 小作人の 小娘が 都会に 集団就職して
して たまに帰ってきただけなのに 都会人面して お前達とは
関わりたくないみたいな あの態度 人見下した態度
342:笑み
09/10/18 18:19:49
笑わせるぜ 日本人って 殆どがその傾向にあるね 刀だってさ
元正せば 中国から 伝わったものなのに 今じゃ これだ
世界一の 田舎民族も 納得 刀磨く 技術さえもなく 朝鮮から
技術者呼び寄せて 教わった民族が 何 ほざいてんだ 世界に
文明や 文化の 多大なる影響 与えたのは 中国朝鮮だ
343:名無的発言者
09/12/04 17:47:37
test
344:名無的発言者
10/03/06 21:07:42
そもそも中国刀ってなんだよ
青竜刀ならしってるが
345:名無的発言者
10/03/06 22:32:20
>>342
出自は中国でもそれを更に改良するのが日本だよ、
室町時代の輸出品目で人気のあったのが日本刀、
倭刀と呼ばれ、倭寇が恐れられたのは武器が日本刀
だったからさ。
346:名無的発言者
10/05/23 21:41:45
『懲毖録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
明軍の北方(蒙古や女真)騎兵と正面から激突したが日本刀で
一方的に打ち負かしたことがわかる。著者の柳成竜は朝鮮の宰相なので
もちろん日本贔屓の評価など書くはずがない。
347:名無的発言者
10/05/23 22:13:12
朝鮮刀だけは無いw
あっても全部日本刀の起源捏造w
348:名無的発言者
10/05/23 23:13:45
>>333
> 日本が、歴史的に中国や朝鮮よりは少しはマシな国だったのは
> 儒教や漢籍を真に受けなかった結果であったことは自覚すべき
> だと思う。
これはチト違うな、儒教や漢籍、仏典も日本人は真面目に学んだよ、
そして、その神髄だけを取り入れて、日本流に再構築したんだな。
これが如何に日本文化の形成に寄与したかは計りしれんよ。
この一点だけが、本質を理解せず、一言一句変えずに儒教一辺倒に
染め込んだ儒教原理主義国との違いだな。アラブの一部国家もそう
だが、思想として広めるよりは、思想、宗教を統治の道具としては
殆ど使わなかったのが昭和初期を除く日本なんだな。
349:名無的発言者
10/05/24 00:18:07
>>347
宣教師の報告する朝鮮の刀剣
『日本史』豊臣秀吉篇第三六章(第三部四七章)
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
350:名無的発言者
10/05/24 22:04:40
スレリンク(mnewsplus板)
351:名無的発言者
10/05/25 01:44:06
日本刀なんて骨に比べたら文字通り全く刃が立たない状態。
10人を立て続けに切るなんて先ずもって不可能。
352:名無的発言者
10/05/26 23:23:43
柳成竜『懲毖録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
353:名無的発言者
10/06/01 11:46:59
>>351
現代の安い居合い刀でも豚や牛の肉塊程度なら容易く骨ごと真っ二つに出来る
実験する訳にはいかないからあくまで対比になるが
胴体真っ二つは難しいかもしれないって程度で手足や首程度ならまず簡単に切り落とせる
3人斬ったら切味が落ちて使い物にならなくなるってのは素人に安物の刀を持たせた場合
だから昔の武将が徴兵した農民兵には槍も持たせてたって事実が歪んで今に伝わってるだけの話
それなりの日本刀をそれなりに剣の嗜みのある人間が使えば10人斬り殺す程度なら簡単に出来る
354:名無的発言者
10/06/05 18:09:19
別に骨を切らなくても人間は死ぬぞ。古流剣術は体表近くの
動脈などの急所を狙う技を発達させているのを知らないのかな?