07/04/03 09:28:07
東京朝日新聞
昭和12年7月7日に中国の北京近辺の盧溝橋で共産党が主導した発砲事件が起き、これがやがて大東亜戦争に発展してしまうのだが、そのとき東京朝日新聞は
「不法支那兵わが駐屯地に発砲」「暴戻南京政府断乎鷹懲」という見出しでこれを伝えた。その後現地停戦協定が出来たにもかかわらず、中国側の一方的な違反が続き、
ついに近衛首相の「重慶政府を相手にせず」との談話が発表され我が国は泥沼にのめりこんで行ったのだが、その最初の対中煽動記事がこれである。
参考までに言うと蒋介石側は「日軍背信向我進攻」と書いた。 つまり「日中両軍に発砲者はいないのになぜか銃声がとどろいて互いに『お前が犯人だ』と言い合っている」状態だったのである。
戦争なんてこんな些細なこと(といってもこの時はコミンテルンの壮大な罠が仕掛けられていたのだが)で、双方の大衆意識に火がついて、誰も止められなくなるものである。メディアの恐ろしさはここにある。