03/10/30 17:29
何よりも問題なのは、どうやら写真家自身が自分でも「芸術家」のつもりになっているらしいことだ。
百歩譲って言えば、『写真時代』(白夜書房)などの「エロ雑誌」で猥褻表現の限界をめぐって
警察とゲリラ戦を展開し、「恥部屋」と称する狭い空間の壁から天井からすべてを女性器の写真で
埋め尽くしていた頃の荒木経惟の写真は、いわば徹底して薄汚れてあることによって、逆に一種の
マイノリティとしての気概を感じさせた。いま残されているのは、希薄化されたその形骸でしかない。
写真そのものはもとより、プリントやディスプレイからしてすでに、徹底してチープでもなければ、
徹底してゴージャスでもない、つまりは、いかにも中途半端なのだ。それにしても、こういうウェットな
感傷にまみれた薄汚い写真が日本の現代芸術の代表とみなされ、公立の美術館で大規模な展覧会が
開催されるというのは、なんという倒錯だろう。